【第12回】あいまいな喪失の二つのタイプ
メンバーの皆さま
おはようございます。管理人です。
前回のエピローグに続き、今回は
「はじめにー喪失とあいまいさ」を取り上げます。
正直「はじめに」からお腹いっぱいになる内容の分厚さにも関わら
●目次
はじめにー喪失とあいまいさ
第I部 あいまいな喪失の理論の構築
第1章 心の家族
第2章 トラウマとストレス
第3章 レジリエンスと健康
第II部 あいまいな喪失の治療・援助の目標
第4章 意味を見つける
第5章 支配感を調整する
第6章 アイデンティティーの再構築
第7章 両価的な感情を正常なものと見なす
第8章 新しい愛着の形を見つける
第9章 希望を見出す
エピローグーセラピスト自身について
●内容&コメント
まず、題名である「あいまいな喪失」について。
本書では、あいまいな喪失には二つにタイプが存在すると説明して
1)身体的には存在していないが、心理的には存在している状況
2)身体的には存在しているが、心理的には存在していない状況
です。順番に見ていきます。
【タイプ1】身体的には存在していないが、心理的には存在してい
ー愛する人が身体的に失われている状態、肉体が消失している状態
・悲惨な例としては、戦争やテロ、地震や津波、殺人や事故などで
・日常的な例としては、離婚による親の不在、養子家庭における生
・これらの場合、諦めるべきなのか、戻ってくるまで待っているべ
これは、親と離れて暮らす社会的養護の子ども達のLSWでよく扱
さらに言うと、考え方によっては、例えば乳児院から施設育ちとか
けれど、仮に実親と暮らした記憶がなくとも、他児が親子交流をし
「みんなにはお母さん、お父さんがいる。自分のお母さん、お父さ
って思ってる方が自然だと、僕は思うんです。そうしたら、顔も姿
そして、
「失われた人のことで頭がいっぱいになり、他のことをほとんど考
まさにこれが、LSWで生い立ちや家族の話題を扱う理由じゃない
続いて、もう一つの喪失。
【タイプ2】身体的には存在しているが、心理的には存在していな
ー人々が心理的になる不在になること、すなわち情緒、認知のレベ
・例えば、アルツハイマー病、その他の認知症、脳外傷、自閉症、
・日常的な例としては、ワーカホリック、ホームシック、再婚によ
・このタイプのあいまいな喪失では、関係性や情緒的な過程が凍結
これは思わず「なるほどぉ~」と心の中で唸ってしまいました。こ
想像してみてください。自分の母親が突然の精神疾患で、いきなり
「いつものお母さんはどこへ行っちゃったの?」
「もう以前の優しいお母さんは戻ってこないの?」
きっと、寂しい切ない思いになりますよね。
僕も職場や関係者で「以前ならこんなこと言わなかったのに」とい
さらに、身体が存在しない【タイプ1】のあいまいな喪失ですら「
児童福祉で関わる子も親なんて、成育歴を聞くと、言わば【タイプ
その全部の喪失体験には漏れなく「未完の感情」がビッシリ詰まっ
だから、やっぱり聞くことが大事だろうと思うのですが、最近ちょ
前回の勉強会で「知りたくない権利もある」ということが話題に上
でも、もっと根本的に大切なことは、対人援助の基本的な姿勢で、
それは一般的には「LSWのベースとなる支援者との情緒的交流、
前回コラムで扱ったように、対人援助を「教えてあげなきゃ、助け
この辺は「永遠の課題」な気がしますが、最近、歴史を積み重ねる
その意味では、賛否両論ある「1/2成人式」も10歳の節目だし
「親がいない子どもが傷つく、可哀想」という意見はよく耳して、
なので福祉業界も、直前になって「1/2成人式」をただ批判する
なかなか脱線してしまいましたが、脱線話しで結局言いたいことは
「地域の支援者がチーム仲間になるためには、もっと対話が必要」
ということで、それが勉強会を立ち上げた理由の一つです。
次回も「はじめに」の続きです。この本でどれだけ書くつもりだ、
ではでは。
【第11回】あいまいな喪失と「支援者の価値観」
メンバーの皆さま
おはようございます。管理人です。
九州の雨は酷いですが、静岡はもうすっかり夏ですね。今日も暑く
今回から、また長期連載になりそうな本を紹介します。
本書は「あいまいな喪失」について書かれたもので、東日本大震災
簡単に言うと、大事な物や人を喪失しても
「なぜそれが起こったのか?」
「いなくなった人や物が今どうなっているのか?」
「そもそも生きているのか死んでいるのか?」
さえハッキリと説明がつかない"あいまいな"喪失体験の理解と援
ご察しの通り、社会的養護で家族と離れて暮らす子どもたちにドン
ちょっと今回も長いので、そのつもりでお願いします。
●目次
はじめにー喪失とあいまいさ
第I部 あいまいな喪失の理論の構築
第1章 心の家族
第2章 トラウマとストレス
第3章 レジリエンスと健康
第II部 あいまいな喪失の治療・援助の目標
第4章 意味を見つける
第5章 支配感を調整する
第6章 アイデンティティーの再構築
第7章 両価的な感情を正常なものと見なす
第8章 新しい愛着の形を見つける
第9章 希望を見出す
エピローグーセラピスト自身について
●内容&コメント
目次には、LSWのキーワードがてんこ盛りですよね。その一つ一
今回は「木を見て森を見ず」とならないよう、まず全体像を捉える
「エピローグーセラピスト自身について」
から取り上げます。
以下は、エピローグの一部を僕なりに順番をアレンジして抜粋した
~専門家としてのレジリエンスがトレーニングの目標である場合、
~これが、セルフケアと呼ばれるのか、セラピスト自身の自己への
~逆説的ですが、本当のところを知らないまま生きていけることと
~クライエントにとって、セラピスト同様に、不確実さの中でも健
本書のキーワードは「レジリエンス」かなと思います。詳細は第3
「あいまいさとともに安心感を持っていられる力」
これが本書でのレジリエンスを端的に表現しているかなと。
皆さんもご存知の通り、自閉スペクトラム症(ASD)や人格障害
社会的養護の子ども親ってかなりの確率でこんな感じですから、援
さらに、児童福祉の対応って、曖昧なグレーゾーンが結構多い気が
しかし、特に虐待対応において、援助者自身が曖昧さを抱えきれな
そこで、読んでいただきたいことが以下です。
~伝統的に、私たちが受けるトレーニングは、物事を支配し、修復
~専門職の文化では、コントロールすることが、臨床的介入に暗黙
~その場合、コントロールしたいというと私たちの欲求を和らげる
~臨床家は、支配しコントロールしなければという自分自身の欲求
~優れた専門家であるためには、常にすべての答えを持っていなけ
~今日のセラピストには、外からのはかりしれないほどのプレッシ
~専門家のプレッシャーを楽にするよりもむしろ、サービス提供者
~解決のない状況にトラウマをうけて犠牲になっている人々と仕事
本書では、セルフケアや内省に加えて、専門職としての"凝り固ま
最近、専門家自身のケアや感情の取り扱いは脇に置いて、プログラ
それは現在の専門家へのプレッシャーの強さや精神的時間的余裕の
よく聞く地域援助者の「心配だから施設入所させてくれ」もそうで
「エビデンスがあるから、これやっておけば大丈夫」
「もう施設入所したから大丈夫」的な。
確かにプログラムや施設入所という「枠」を使うことは安心感を作
ただ本質的なことは、プログラム実施や施設入所が「目的」はなく
専門家自身が、何故その選択肢を選んだかに始まり、その理由をク
「コントロールしたいというと欲求を和らげることが重要な課題」
ただ、専門家自身がそのような恐怖や雑念があることも真摯に受け
その意味では、自分自身を見つめる「質」が、対人援助で提供でき
そして、エピローグの「訳注」に、大事なことがサラッと書かれて
~家族療法では援助者が専門家としての振り返りをするだけでなく
(H&I.ゴールデンバーグ2008)
~この新しいポストモダンの流れでは、専門家は自分の気持ちを超
(私信、2014)
専門家は「理論的な専門的知識」や「経験」はあるかもしれません
専門家が正しい判断ができるなら、世の中の問題は全て解決してい
現実問題はもっと複雑で、世の中には100年前まで科学で証明で
なので専門家なんて偉くもなんともないし、クライエントという「
最近、僕も家族面接でクライエントと対等な立場に立って、率直に
なんてことはありません、勉強会の雰囲気そのままに面接してるだ
なので、LSW勉強会でも今後、そんなフラットな関係性の交流や
長くなったので、この辺で止めておきます。
ではでは。
【第10回】高齢者による幼児期の語り
メンバーの皆さん
おはようございます。日曜の朝からスミマセン。
今回はプライベートな体験談で、
「LSW的に非常に興味深い出来事」
があったので忘れる前に投稿します。
昨夜、僕の長男誕生祝いで、
僕の父母、妻の父母、僕と妻、長男(3ヶ月)
の計7人で集まったんです。まぁ宴会です。
そこで、50代後半~60代のじいじばあば達が、
「何歳頃の記憶まで覚えてる?」
という話題で、ひょんな事から語り出しまして。
ちなみに断っておくと、僕は一切誘導してません(笑)
そしたら、思い出せる一番古い記憶は、
やっぱり3歳頃の印象的な出来事なんですよ。
例えば義母は、宮城県気仙沼の人で、
東日本大震災の津波の前に、実は3歳時、
チリ地震による津波を気仙沼で経験しているんですね。
そして、チリ地震の津波警報が出た時、義母の祖母が
「わたしゃ、死んでもいいからこの家を出ない!」
と動こうとしなかったそうなんです。
でも、いざ家が浸水し始めたら、その祖母が慌てて逃げ出そうとし
「なんだ、やっぱり死にたくないんじゃん」
と当時3歳の義母は思ったそうです。
60代の語りですよ。興味深いですよね。
また男性陣は3歳頃の記憶しっかり覚えてましたね。
僕の母(50代後半)は、
3歳頃の記憶は思い出せなくて、
思い出せるのは5歳で経験した新潟大地震だと。
その時は、なんだかよく分からず、
言われるがままに動いていた、と言ってました。
そして、僕の妻も6歳くらいまでしか思い出せない、
特別なことなかったし、と語る中で、
義父が「3歳頃、山形(義父の実家)に行った時
のこと覚えてないの?」と投げかけると、
妻「いろんな大人からその時の事を言われるから、
それが自分の記憶なのか、想像なのかわからない」
と。実に興味深いですよね。
エピソード記憶に自分の感情や体験が伴うと、
60代でも幼児期の事を活き活きと語れる一方で、
エピソード記憶が他人目線の物語ばかりだと、
30代でも自分の記憶なのか確信が持てない、
と言うのです。
LSWで、事実のみでなく本人の感情や体験を扱う意味って
「これだよなぁ、これ」としみじみ思いながら、
まぁ僕も聞かれるもんだから、
「通常エピソードで語れる記憶は3歳頃までだけど、
それ以前の感覚的な記憶は身体的には覚えているもんです」
なんてLSW勉強会で言うようなことを、
妻の実家で語りながら親族と酒を呑んでいる僕は、
"もはや思考や生活がLSWという病に侵されている"
なぁ、と言うお話しでした。
ではでは、休日に失礼しました。
【第9回】悲しみにおしつぶされないために 対人援助職のグリーフケア入門
【第8回】「未完の感情」の表現を助ける基本カテゴリー
おつかれさまです。管理人です。
前回の予告通り、
「未完の感情」の表現を助ける4つの基本カテゴリー
"謝罪/許し/情緒的な言葉/楽しい記憶"
について書いたのですが、僕自身の整理が追いつかず、かなりの長文になってしまいました。
普通に読むと「どこまで続くの?」となると思うので、全体をサッと見渡し、お時間に余裕があるときに、所々読んで見てください。
●目次
パート1 喪失に関する神話を見つめる
パート2 未完の感情を知る
パート3 未完から完結への道
パート4 発見から完結へ
パート5 その他の喪失
パート6 子どもと死を考
●内容&コメント
まず4つの基本カテゴリーの前に「関係の見直し」について触れます。
「関係の見直し」は、
未完の感情を完結へと導く、最初の行動。
私たちの考え方や感情、意見はつねに変わるので、関係のどの要素が未完であるかを探し出すには、関係を見直すことが必要。
と説明されています。さらに、こう続きます。
・ただし、関係の見直しは、完結ではない。完結するためには行動が必要。
・喪失や悲しみからの回復は、悲しんでいる人によって選択される、小さな、積み重なった行動の連続でなされるもの。
・関係性の見直し(振り返り)は、自分の思ってのとは違う形で終わってしまったこと、よりよくあってほしかったこと、あるいはもっと多くあってほしかったことを思い起こし、子どもたちが本当に望んでいることを発見するのに役立つ。
・見直しはまた、将来についての実現しなかった夢や希望、そして期待を明らかにする。子どもたちは、彼らが言ったことやしたこと、あるいは、言わなかったことやしなかったことで、今こうしたいと思っていることを見つけられる。
・しかしながら、伝えられなかったことや言えなかったことに気づくだけでは、子どもたちの感情は完結までは行きつけない。
僕的には、ここまでの内容は、LSWで自分や家族の過去を知るプロセスで起こる、本人のこころの中での「発見」「気づき」の解説かな、と思いました。
そして、支援者が「感情の完結」のためにサポートする行動が「語り」です。
語りは以下の「4つのカテゴリー」
①謝罪(Apologies : A)
②許し(Forgiveness : F)
③情緒的に重要な言葉
(Significant emotional statments : SES)
④楽しい記憶(Fond Memories : FM)
について「言語化したのしたものを他の人に聞いてもらうことが必要」とされています。
少し長くなりますが、カテゴリーごとに紹介します。
①謝罪(Apologies : A)
「ごめんなさい」
人を操作するのでなく、自分の感情を完結する
・子たちたちがしたこと、あるいはしなかったことでだれかを傷つけてしまったことに対してなされる。
・謝罪の目的は、子どもたちがしてしまったこと、あるいはしなかったことを、情緒的に完結するのを助けること。
・生存している人に直接お詫びをすることが不適切で、相手を傷つける危険がある場合には、間接的な謝罪をする。その場合、声に出して言い、誰かがそれを聞いていることが必要。
・誰かが亡くなってしまったとしても、その事実が未完のコミュニケーションを完結する必要性をなくすわけではない。
・謝罪をした相手の反応は、その人によるものであり、謝罪をした自分のためのものではない。
上記の内容は、違和感を持つ方も多いのではないでしょうか?相手の許しがない謝罪はどうなのかと。しかし、逆説的に考えると、もし相手が亡くなったり、物理的に直接会えない状況におかれたら、謝罪はなくてもいいのか、ということです。
僕の理解としては、謝罪は「したこと」「しなかったこと」に対する自分の中の「心残り」や「後悔」を表現したり整理する言葉なのかな、と思いました。
例えば、一般のLSWのお話では「自分が悪い子だから施設に預けられた」と思い込んでいる子どもに事実を明らかにして、あなたは悪くないと伝える、ということはよく耳にします。
もちろん事実無根であったり幻想であれば訂正される必要があると思います。でも、もし親と一緒に暮らした記憶があって、仮に親の要求水準が年齢や能力不相応だったとしても、当の本人が「僕が言うこと聞かなくてごめんなさい」と思う気持ち自体は否定されるのもではないだろう、と思うのです。それは、自分の感情の整理(完結)のためだから。
幼い子どもは自己中心性が強く、過度に自分のせいだと思う傾向があるので、それをニュートラルに戻すサポートは必要と思います。ただ極端に振り切って、親の事情を無視して何でもかんでも「全部、親が悪い」とすると、親への怒りをむやみに増幅させたり、「今が悪いのは親のせい」で片付けて自分の行動への責任を放棄する方向に向かわせる危険性もあると思うのです。
そこで重要なポイントが次のカテゴリーかなと思います。
②許し(Forgiveness : F)
「私はあなたを許します」「悪いことでしたが、もういいです」
許しとは、過ぎ去ったことについて、もっと違っていたら、あるいは、もっとマシだったら、という思いを諦めること。
・ほとんどの人がforgive(許す)をcondone(大目にみる)という意味に置き換えて理解しています。
●forgive
自分を傷付けた人に対する憤りを感じるのをやめること
●condone
ささいな、害のないような、あるいは重要ではないように、扱うこと。大目に見ること。
※「憤り」とは、間違った、侮辱された、傷付けられたと感ずる持続した悪意に対する憤慨した不快な感じ
許しは行動であり、感覚ではない。
・許しは記憶を取り去りはしませんが、痛みを取り去る。「許すことはできますが、しかし、忘れることはできない」なら、忘れなければ許せないのか?
・求められていない許しは、常に攻撃と考えられる。許される人は、じぶんが許されると知る必要はない。
・相手が亡くなっているなら、その人に自分を許すように頼むことは、亡くなった人に行動を頼むことで不可能。
・許しの価値という新しい気づきを、子どもたちの生活を向上させるために使いましょう~、もし子どもが許しを得たいと願ったら、自分が言ってしまったことやしてしまったことを謝罪するのです。直接相手に許しを願うより、自分が謝罪をすることの方が、はるかに子どもたちにとってはいいことです。
ここには、LSWに重要な示唆があると思うんです。
僕の理解だと、許しは、
過去をありのまま、過大過小評価することなく受け入れ、過去からの思いを良い意味で「諦め」、憤りや痛みから自由になる(解放される)こと、なのかなと。
「許しは行動であり、感覚ではない」
行動を起こすためには、十分な情報を知ること、そこから沸き起こる自分の気持ちに向き合うこと、そして「語る」こと、ここまでセットで必要だろうなと思います。
そして、もう一つ。「許し」を読み進めると僕の「こころ」の中で、怒りに似た気持ちが湧いてきました。
「加害者は直接相手に謝らなくていいってこと?」
そんな自分を客観視して理性で考えて見ると「頭」の中にこのような構図が浮かびました。
「社会的要請・全体の利益」vs「個の成長や幸せ」
「多数・メジャー」vs「少数・マイナー」
すると、はじめに僕の「こころ」の中で湧いた怒りに似た感情は「社会的、多数的」な思考からきているのでは、と思いました。知らず知らずのうちに、社会の常識的な価値観や、もしくは個人的な経験の感情を大きくかぶせた思考になっているのでは、と。
今一度、思い出していただきたいのは、この本は「喪失体験の適切なサポート法」がテーマです。つまり焦点は「個」のサポートなんです。
原点の「個」の支援の視点に戻ると、被害者視点では「求められていない許しは常に攻撃とみなされる」は正にその通りですし、憎しみを抱え続けて生きることの苦しみや悲劇を扱った映画やドラマは数えきれません。
改めて「喪失体験をした個人をサポートする」ことは、慣れ親しんだ社会的常識に縛られず、そして自分の過去の痛みや憤りにも縛られず、その「個」に寄り添いニュートラルにまず聞くことなんだな、と思いました。
そして、三つ目のカテゴリー。
これは四つの中でも本当に重要なものとされています。
③情緒的に重要な言葉
(Significant emotional statments : SES)
謝罪や許しではなく、言う必要のあること。亡くなったペットへの手紙を例に。
その人が死別離別など何らかの理由により引き離されて、関係性が終了してしまう前に、伝えられたor伝えられなかった言葉(感情)。
「もっと遊びたかった」「大好きだよ、それに、きみも僕のことを大好きだったのも知っているよ」
情緒的に重要な言葉には、許しが必要。否定的な言葉を述べることは問題ないが、その後に許しの言葉があって完結される。
「きみが僕を噛んだから、僕は怒った。でも、もういいよ」
そして、最後のカテゴリーは、
④楽しい記憶(Fond Memories : FM)
子どもが幸福感を持った体験として記憶していること。肯定的なことに関する喜びや、人に対する感謝を含む。
「ありがとう」「感謝しています」
ここまで読んだ皆さんはどんな感想を持ったでしょうか?きっと色々な想いが浮かんできたと思います。
もしかしたら、親と過ごした経験や記憶が全くない子どもは、4つのカテゴリーについて何も語れないと思った方もいるかもしれません。
でも僕は、LSWに取り組む中で、
「姿を一目見てみたい」「声を聞いてみたい」
「なんで私を施設に預けたのか知りたい」
「親も大変だったんだね」
「もういいよ」
「ここで元気に暮らしているし」
等々の子どもの声を聞いて来ました。そして、これまでの養育者支援者への感謝や楽しい思い出もたくさん聞いてきました。
LSWで大切なことは(面接全般ですが)
「気持ちを聞くこと、感情を完結、整理すること」
で、そこには喜怒哀楽すべての感情が表現されて良いこと、自分のありのまま感情や人生を認め、憤りや痛みから解放されること。
そして、情報を収集したり伝えたりするのは、その手段やきっかけに過ぎないこと。
現在の僕はこんな風に思っています。
【第7回】「未完の感情」と「フラッシュバック」
パート1 喪失に関する神話を見つめる
パート2 未完の感情を知る
パート3 未完から完結への道
パート4 発見から完結へ
パート5 その他の喪失
パート6 子どもと死を考える
●内容
【第6回】お弁当ばこのうた~あなたへのお手紙~
「お弁当ばこのうた~あなたへのお手紙~」
「言葉はナイフにも薬にもなる。この歌は、毎日頑張って早起きしてお弁当を作っている、日本中のお母さんたちの心の薬になっているのではないか。お弁当を作りながら口ずさんでいるお母さんたちの姿が眼に浮かぶ。ちょっと面倒なお弁当作りも、こんな曲があれば、”お弁当は子供へ渡すお手紙なんだ”と思えてちょっと頑張れるかもしれない。」