LSWのちょっとかゆいところに手が届く「まごのてblog」

静岡LSW勉強会の管理人によるコラム集

【第53回】エル・クラシコで考える「連携とファシリテーション」

メンバーの皆さま

メリークリスマス。いかがお過ごしでしょうか。管理人です。

僕は12/23夜、リーガエスパニョーラで「エル・クラシコ(伝統の一戦)」と呼ばれる注目カード、

レアル・マドリードバルセロナ

を観てしまったせいで、もともとサッカーネタが多いのに、さらに思考が「サッカー脳」になっています。

ちなみに、僕はもともとNBA(米バスケ)の方が好きで「マイケジョーダン」の時代からBS放送NBA(米バスケ)を観てるんです。

しかし、今年からあの「楽天」がチャンピオンチーム(GSウォーリアーズ)のスポンサーになったせいで「楽天TV:RakutenTV」ばっかで放映して、NBABS放送が全くなくなっちゃったんですね。

その「楽天」は今年から「バルセロナ」のスポンサーにもなっていて、全世界が注目する一戦で「Rakuten」の文字がメッシをはじめ様々なスター選手の胸で踊っていました。すごい時代になったもんです。

で、取り上げたいネタは「楽天」ではなくて。

エル・クラシコ」のハイレベルな応酬を観ていると、対人援助の「連携」「ファシリーテション」って、やっぱりサッカーと似ているなぁ、とつくづく思いまして。

と言うことで、サッカーで考える(児童福祉の)「連携・ファシリテーション」のお題でコラムを一つ。


■まず、サッカーのお話し

あるブログで「相手の状況に応じて、3つのタクティクス(戦術)を持つ」「それはポゼッション、カウンターとかいう類のものではなく、3つの守備の設定位置を使い分けるという事」「高い位置、低い位置、そして、その中間の位置という3つ」という説明があり、僕の中ではすごく腑に落ちました。

以下は、あくまで僕の解釈ですが、

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イメージ的には、右からFW攻撃(白)、MF中盤(黄)、DF守備(赤)、GK砦(黒)の選手がそれぞれいると思って下さい。

そして、上の感じが【中間の位置】のスタンダードな守備バランスと仮定します。
(図はiPhoneで作ってますので、丸の形や位置のガタガタは気にしないでください)

基本的には「現代サッカーは11人全員で守る必要がある」(クラシコ直前の宮本恒靖ハリルホジッチ対談)ので、

①ファーストディフェンダー(白)が、ボールにプレッシャーをかけてプレーの幅・方向を限定する。
セカンドディフェンダー(黄)は展開を予測して連動してポジションを取り、ボール奪取を試みる。
③最終ライン(赤)は、放り込まれるロングボールを確実に跳ね返す、ゴール付近に飛び込んでくる相手を確実に捕まえてフリーにさせない。

と、組織として役割が連動することが必要で、前線からの守備が機能すれば次でボールが楽に奪えるし、逆にどこかで穴があると、余裕を持ってボールを運ばれてしまうので、後ろにかかる対応の負担やシワ寄せが増えていきます。

で、状況に応じた【守備の位置】の設定ですが、まず【高い位置】について。

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イメージは「バルセロナ」的なボール保持率(ポゼッション)の高いサッカーですが、それを実現するにはパスを繋げる技術だけでなく「ボールを失わない攻め」&「失ってもすぐに奪い返す守り」という攻守の両輪があって成立します。

いわゆる「ハイプレス」で、全体を前に寄せてボールの奪い所を【高い位置】に置いています。

これが機能すればずっと攻撃できるわけですが、もし「ハイプレス」が突破されたら、自陣の広いスペースでGKと1対1の場面を作られるリスクもあります。なので、GKは攻撃では「ボール回しに参加する足元の技術」を求められますが、守備では「1対1でもストップする」高い能力が求められるわけです。


で、逆に【低い位置】の守備はこんな感じです。

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自陣に構えて相手のスペースを消します。すると相手は中央突破ではなくサイドから崩してクロスを放り込んでくるので、DFやGKはハイボールを弾き返す「高さ&パワー」が求められます。

さらに、攻撃はボールを拾った後の「カウンター」なので、前の選手(白)には「相手を振り切るスピード」と「一人で得点を決めきる」高い能力が必要で、それを兼ね備えた代表格がクリスティアーノ・ロナウド

もちろん「エル・クラシコ」では、お互いの持ち味は十分に知り尽くしていますから、相手の長所を消すような戦術を取りつつ、一瞬のスキを伺う戦いが繰り広げられるわけです。


■ようやく児童福祉のお話し

そういう視点で試合を観ると、守備の「戦術の浸透具合」とか「連動性」って、対人援助で言うところの「方針の共有」とか「多職種の連携」と似てるなぁ〜、と思うわけです。

また、攻撃におけるテンポの良い正確なパス回しは、対人援助で言う「グループによる対話」や「ファシリテーション」の形だよなぁ、と。

例えば、子どもにアプローチして関わる時期を、

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こんな感じで右から順に見立てると、長期に施設入所している子は乳児院児童福祉施設(場合によっては施設変更も)〜自立まで、各ステージで多機関の関わり(例:母子保健、施設、学校など)はあるものの、時代を通じて継続してアプローチできるのは「児童相談所かなと。

最近なんだか担当の子の「自立」に立ち会う機会が多いのですが、同じ児相に約10年いるので、幼児や小学校低学年から知っている子たちなんです。

そうすると、中にはファーストアプローチ(=一時保護)から知っている子もいるわけで、始めから将来の布石となる声かけや記録を残し、中盤でもLSW的なアプローチして、思春期にフォローして、自立期には整えて送り出すことが出来ます

しかし、これは我ながら「ズルい」パターンかなと思います。言わば、前線FW〜中盤MF〜最終ラインDF〜GKまで全部自分でやってるわけですから、戦術理解も意思統一も出来てて当然だし、情報だって記録だけじゃなく記憶にも残っているわけです。

しかし日本の多くの現実は、10年の間に職員異動サイクルが3〜4年前後でも担当は3人目、ケースワーカーは毎年変わる事も珍しくないですから7〜8人目なんてこともあり得るわけです。余程しっかり記録するか引き継ぎが行われ、また引き継ぎを受ける側も意図を理解できる経験者でないと、意思統一はなかなか難しいですよね。

またサッカーで言う状況判断は「見立て」に近くて、例えば、思春期前後に初めて関わるケースは、

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もうファーストアプローチが遅れてるので、無理せず全体の支援を戦略的に下げるしかない訳です。その中で失点しない(安全を守る)ようにしながら、挽回できるカウンターのチャンスを伺います。

ただ、重いケースは概ね(コート右側の)幼少期以前の生い立ちに大きな「トラウマ体験」や「未完の喪失体験」を抱えていることが多いですから、その中をボール(安全安心)を失わずにドリブルで突き進んだり、前線のスペースに走り込むFWに後方からロングパスを供給するアプローチというのは、相当な訓練や専門性が必要となるわけです。

トラウマやグリーフに熟知していて、「ここなら行ける!」ところをピンポイントに通さないと行けないわけで。

なので最悪、児童福祉の枠で関われる「残り時間」や「資源」が少なければ、それ以上悪化する(今の安全も損なう)ような失点をしなければOK、スコアレスドロー(0-0)狙いの戦術がベターな場合もあるのが現実だと思います。まさに状況判断です。


で個人勝手に無理すると、こんな事態が起きます。

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守備も攻撃も、どこで勝負するのか、その方向性や意思の疎通が上手く行かずに、動きに連動性がなくバラバラになります。

(白)は「過去まで踏み込んで」支援する⇄(赤)は「思春期以降(現在)が危ない」から無理したくないという意図の相違。そうなると全体が間延びして守備も攻撃も連動性や分厚さがないので、チャレンジ後の「フォロー&カバー」ができずに、危険地域をスカスカやられ放題の状態。

 

対応が後手後手になっている、あの嫌な感じです。危機察知能力が高い人が、なんとか少し時間を遅らせたり、最悪カード覚悟で止めに入るパターンのやつです。

 
例えば、施設入所させたはいいが、その後に何も出来ず、気がつけば思春期には手がつけられない状態になっているみたいなケース。他には、始めの導入や対応(方向付け)が分かりにくかったりイマイチで、次に引き継いだ人が前の人のフォローから始めなくては行けないケースとかは、そんな感じかなと。

 

また、全体的にLSWに熱を入れると…

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過去(コート右)に支援が寄るので、前線に人数や時間をかけた状態になります。持ち時間や人員には限りがありますので、ここで全てのケースをカバーできれば良いですが、そこをすり抜けた(あまり問題のないと思われているケース)の「現在・現実」の支援が手薄になる可能性があります。思春期以降を任されたGKは、かなり広範囲を一人でカバーするスキルや懐が求められます。

なので、【守備の位置】を全体的に押し上げるのか、一旦は引くのかの判断は「全体の状況を見立てる」状況判断と全体への意思統一、役割の明確化(+スキルアップ)が必要不可欠と思います。

大切なことは、いま自分たちが何をしようとしているのか、どのポジションを取り、何の役割を求められているのかを俯瞰的に把握・理解していること。

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今は上空からの俯瞰図で全体を見ていますが、実際は現場ピッチ上の視野で、これを正確に把握し、全体でイメージ共有しないといけないわけです。これはそんなに簡単なことではないし、マネジメントや経営的な視点がかなり含まれる高度な専門性だと僕は思います。

さらに、失点やボールロストを「安全安心を失う」ことに例えるなら、攻撃の時も正確に狙った所にパスを出す、きちんとトラップ出来ることもまた「安全安心を守る」ために必要な要素かなと。

実際の「エル・クラシコ」の選手たちは、激しいプレッシャーを受けながらもボールは失わず、味方のスペースを見つけた動きのタイミングに合わせて、矢のような速さのパスを正確に繰り出し、受け手の選手も何事もなかったようにピタリとボールを止め、淀みなく次の攻撃動作に移って行きます。しかし、疲れや焦りが出てると、あのレベルの選手だって細かいミスが出てきます。


パス回しを「対話」に喩えるなら、物凄くわかりやすく正確な説明と柔らかい受け止めの面接技術、さらに効果的な流れを展開するファシリテーション技術の応酬です。美しく流れるような展開を支えているのは、「緻密さ」と「正確さ」を体現できる基礎技術の高さなんだと改めて思いました。

つまり、「安心感の高い」話し合いを実現するには、ボールの出し手も受け手も「現在地と今後のイメージ共有」が出来ていて、的確にボールを出したり受けたりする「個人の面接技術」を持ち、ミスが起きてもフォローして直ぐボールを守れる「チーム体制・戦術」が整っていることが必要なんだと。


僕の中では、

【前線から守備】
リアルタイムでの、LSWを見越した情報収集・記録作成、措置変更前後の丁寧な説明&フォロー(喪失へのケア)

【ボール奪取後のパス回し】
LSWで対話しながら安全に過去を遡っていく感じ

その全体バランスや意思統一の重要性もLSWイメージと重なりまして、色々なことを考えさせられる今年の「エル・クラシコ」でした。

正直、クリスマスイヴに何枚もサッカー図を描いて「何やってるんだろう」と思う瞬間もありましたが、色使いも何となく「クリスマス」風になりましたので、サッカーに興味がない方も管理人の「遊び」と思ってお許しください。

ではでは、よいクリスマスを🎄

【第52回】SOC:首尾一貫感覚

メンバーの皆さま
 
こんにちは。管理人です。
 
サッカークラブW杯やってますね。時差があって試合が夜中なので、なかなか全部は観られませんが…
 
浦和レッズは早々に負け、本田所属のパチューカ(メキシコ)も準決勝で惜しくも敗退。昨年の鹿島ように「レアルマドリードに挑む日本人を観られないのは残念ですが、あのステージに日本人が普通にいるということ自体、少し前では考えられないことだと思います。
 
約半年後の2018年6月はロシアW杯。正直、日本代表の期待値あまり高くない雰囲気ですが、そんな時こそ反骨心、番狂わせ、ジャイアントキリングが起きて欲しいですね。楽しみです。
 
で、サッカー話しをしたのは、少し前に本田圭佑がオランダのファン・ニステルローイを引用した「ゴールはケチャップみたいなもの」という言葉を使いたかったから。
 
要は出ない時期もあるけど一回出るとドバドバ出る、ということなのですが、前回コラムで触れたように「題名への捉われ」が外れたら、コラムで書きたい情報がドバドバ入ってくるようになりました。
 
まぁ単純に、仕事の書き物がひと段落したということが大きいんですけど。人の感受性や視野というものは、ホントに精神状態や環境的な要因によって大きく違ってくるものだなぁ、と実感します。
 
 
という事で、コラム本編です。
 
【SOC:首尾一貫感覚】
 
所内回覧で回ってきた「地方公務員  安全と健康フォーラム」という雑誌の連載「予防型メンタルヘルスのすすめ」で取り上げられていたのがこの言葉。
 
どうやら保健や看護の分野で使われている概念のようで、少し調べてみると、
 
「SOC:Sence of Coherence (コヒアレンス)」はストレス対処能力を表すもので、以下の3つで構成される、と。
 
①把握可能感
自分が置かれている状況や,将来おこるであろう状況をある程度予測、理解できるという感覚
 
②処理可能感
どんな困難な出来事でも自分で切り抜けられるとい う感覚や何とかなるという感覚
 
③有意味感
人生・生活に対して、意味があると同時に価値観を持ち合わせている感覚
 
 
【参考】首尾一貫感覚 SenseofCoherence(SOC)と 生活習慣に関する研究の動向(浦川、2012)
 
がSOC研究を広くカバーしてまとめてくれていますが、成人や高齢者だけでなく、思春期や「育ち・育て」についても触れられています。
 
例えば、
・子どもは、生来の気質や能力に加えて、親の育て方の影響を強く受けて成長する
・子ども時代に意思決定に参加でき, 結果形成に参加できたか(有意味感の基礎要素),一貫性は得られたか(把握可能感の基礎要素),負荷のバランスはとれていたか(処理可能感の基礎要素)の 3つの経験がSOCを左右するとしている(坂野純子 2009)
 
 
 
もう皆さんならお気づきと思いますが、これってLSWで大切にしたり目指していること、そのものですよね。
 
①把握可能感/②処理可能感/③有意味感
 
と似た内容は、本コラムでも「意味を見つける」「希望を見出す」「支配感」「レジリエンス」と言った題材で扱われてきました。
 
また、「喪失」「時間志向性」などを題材に、入所理由や措置変更についてのきちんとした説明や振り返り、見学や慣らし保育などの丁寧な移行期間のつなぎの支援が子どもの状態に与える影響は「①把握可能感」と重なる部分が多いと思います。
 
そして、Coherence一貫性)は、児童福祉では一貫性・永続性を表す「パーマネンシー」の保障が虐待対応の基本に含まれていますよね。
 
これは【第50回】で取り上げた「組織言語」の違いかなと。分野が「福祉」と「保健・看護」で違うだけで、対人援助において大切な本質的なことを切り口を変えて言っているだけなんだと思うんです。
 
つまり、思春期〜高齢期におけるLSW的取り組みの重要性は、すでに保健・看護の分野で説かれている、という見方ができるかなと。
 
 
さらに、もう一つ。
 
「地方公務員  安全と健康フォーラム」で、こんなトピックが取り上げられていました。
 
【上司のSOCの高さは部下のSOC形成に影響する】
→SOCが低い管理職がストレッサーに対峙すると「不安で先のことが考えられない」「うまくいかないのではないか。その言い訳を探そう」「なぜこんな目に遭わなければならないのだろう」などと考え、こうした不安を軽減させるため、失敗を部下に押し付けたり、会社や上司への不満などを部下の前で漏らしたりします。
 
 
思い出してください。これは地方公務員の全体に向けたメンタルヘルスの話です。
 
「大人が出来ないことを、子どもに求めちゃダメですよね」
 
僕が信頼する心理士さんがよく言うのですが、対人援助に限らず、上司が出来ないこと部下に押し付ける、上司がつべこべ言わずにやれと部下に言い、それを先輩が後輩に押し付けるなんて連鎖は、分野に関係なく起こるんです。
 
「落ち着いて」「よく考えて」「話を聞いて」「みんなと仲良く」
 
なんて児童福祉ではよく聞くセリフですが、実際、支援者同士が職場内で機関連携でやれてないことを、相手に求めていることありませんか?
 
「言ってること」と「やってること」がズレてる状態です。首尾一貫していないですよね。
 
 
まずは「人の振り」より「我が振り」見直せ。ということで、管理者を成長させるプログラム開発の試みが看護分野では進んでいるようです。
 
「看護管理者用SOC向上プログラム開発と有用性の検証」(研究期間2015-2018
 
このプログラムは、SOCをコンセプトの軸として、看護師の「自律性」や管理能力といったキャリアデザインを確認できるもので、教える側は受講生の「主体性」を徹底的に重視し、「自由度」を保証した「横の関係」を促進する促しや「ファシリテーション」が重要であることが示唆されている、と。
 
 
あれ?
 
 
これって【第24回】の多職種連携コンピテンシーhttp://lswshizuoka.hatenadiary.jp/entry/2017/08/12/091754の内容や
 
驚くほど「静岡LSW勉強会」の話し合いのコンセプトと類似してますよね。
 
これは面白いです。研究が形になるのが楽しみですね。
 
分野によってアプローチ法、言葉のチョイスは違えども、扱おうとする本質は似ていたり、他分野で応用できるという事はよくあるので、今後もヒントになりそうな他分野の情報もドバドバ仕入れて行きたいなぁ、と思います。
 
ではでは。

【第51回】すぐに役立つことは、すぐに役に立たなくなります

メンバーの皆さま

一気に冷えましたね。管理人です。

各地の豪雪ニュースが流れる中、今日の静岡の最高気温は、沖縄以外では全国トップでした。

寒いは寒いですけど、やはり静岡は温暖ですよね。


ところで、前回の【目次】コラムで「これから題名には気をつけます」なんて書いたものだから、しばらく「いい題名になるネタないかな〜」なんて題名ありきの思考に陥っている自分がいました。

そして「とらわれ過ぎは良くない」と気づいて思考の硬さや肩の力が抜けると、視野が広がってふとアイデアが浮かんできたり、良いものに出会ったりするものです。

はい、思わぬところで出会いました。


「すぐに役立つことは、すぐに役に立たなくなります」


ある会報誌で紹介されていて、最近のモヤモヤした気持ちのど真ん中を射抜かれました。

この言葉は、わかりやすいニュース解説でおなじみの池上彰さんや東大総長など名だたる方が引用しています。

が、もともとは超進学校灘校」で"伝説の国語教師"と呼ばれ、教え子から数々の著名人を輩出していることで有名な橋本武(1912-2013)」先生の言葉だそうです。

で、少し調べてみると、その伝説の橋本先生の授業というのが、

「小説『銀の匙』を3年間かけて読み込む」

というもの。

現代で『銀の匙』と言ったら、週刊少年サンデーで連載中の漫画『銀の匙 Silver Spoon』を連想してしまいます。

僕は小説『銀の匙』も漫画『銀の匙も読んだことがないのですが、どうやら小説『銀の匙』は、

夏目漱石が「きれいな日本語」と認める美しさ
・新聞連載小説で、長からず短すぎない
子どもが成長していく過程の自伝物語

というのが橋本先生が数ある図書から教材に選んだ理由のようで、ときには2週間で1ページしか進まないということもあったそう。

で、さすがに「早く進めて欲しい」と言う生徒に対して橋本先生が生徒に諭した言葉が、

「すぐ役立つことは、すぐ役立たなくなります。自分で興味をもって調べて見つけたことは一生の財産になります」

であると。また橋本先生はこんな言葉も残しているそうです。

「子供たちは、自分で体感し発見したことだから、自然と興味をもち、楽しみながら学んでいきました。遊びの感覚でやるから楽しい。“遊ぶ”と“学ぶ”は同じこと」

【参考】明治の人ご紹介 第31回 橋本武さん


これらの言葉やエピソードは「灘校に行く程のレベルの子だから通用するんだよ〜」では片付けられない奥深さがあると、僕は思います。

最近の僕のモヤモヤは、対人援助の支援者がすぐに答えを教えたがること、待てないこと、葛藤を抱えられないこと。

相談業務、対人援助における結果の「善し悪し」なんて簡単には評価できないし、人生という長いスパンの中で何かの糧になったか、極論を言うなら、その人が死ぬ瞬間にようやく下される位のものだと僕は思います。

しかし、仕事の効率化、時間短縮、説明責任、エビデンスと叫ばれる時代。特に児童福祉では、危機的な状況を脱して安全を確保するためタイムリミットの中で判断の瞬発力が求められる分野かと思います。

早く決めることの必要性があることは「認知」では理解しつつも、理屈だけでは動かないし追いつかない「感情・感覚」があることも理解して、大事なものを失わないようにギリギリのラインでせめぎ合いバランス取りをするのが、現場の臨床家であり専門家なんだろうと思います。

一般世間とは違う感覚や視点を持っているから専門家なわけで。しかし、専門家も社会の一員ですので世間的な感覚を持ち合わせつつ、流されない部分も持ち合わせると言う、「遊びと軸」「柔軟性と安定性」の両方を持っていなければいけないと思うんですけど…

実際は、社会情勢に大きく影響され流されていることに自覚がなかったり、専門家の世界の難しい言葉や理論をゴリ押しし過ぎて世間から浮いていたり。

「一般性⇆専門性」に極端に振り切って固まっちゃう支援者が少なくないことへの切なさを最近(に限ったことでないですが)感じることが良くあります。

どう伝えたらいいものか…とモヤモヤが続いていたところに、


「すぐ役立つことは、すぐ役立たなくなります」


一発KO、ど真ん中のどストライクです。やはり賢人というのは本質的なことを、実に簡潔で色褪せない言葉で伝える術に長けているよなぁ、としみじみ。


そして、
「自分で体感し発見したことだから、自然と興味をもち、楽しみながら学んでいきました。遊びの感覚でやるから楽しい。“遊ぶ”と“学ぶ”は同じこと」

これは子どもに限らず、大人にとっても同じだと思います。

最近、企画して話し合っている研修方法(楽しく学ぶ、体験→知識→練習)と実にシンクロする内容で、確かに仲間とあれこれ考えたり話し合っている時間はワクワクして楽しい。

「静岡LSW勉強会」「まごのてblog」も理由づけとして「学び」の体はとっているけど、言われてみれば感覚は「遊び」に近いなぁ、と。


自分で体感し発見した時って、おそらく感情・感覚が活発にポジティブに動いている時で、知識を認知的に「覚える」だけでなく、身体全体で「身につく」ことに繋がるんだろうな、と思います。

逆に、やる気のない時は、感情・感覚もエネルギー低下していて身体全体で感じ方や染み込み方が薄かったり、虐待や暴力のようにネガティヴ感情・感覚に染み付いたトラウマ記憶もやはり「身について」なかなか取れなかったり。

食リポのように、自分の感覚を研ぎ澄ませて味わって、よく咀嚼して、自分の言葉で表現する。

勉強会でも研修会でも「覚える」のではなく、「身につける」には、インプットとアウトプットの繰り返しで、身体全体に染み込ませる必要があって、それは日々のコツコツした積み重ね。

そう表現すると受験勉強や部活のシゴキように、嫌々苦しいことに耐えるみたいなイメージを持つ方もいると思いますが、それは「認知ー感覚ー感情」全体での学びには繋がらない。

ただし仕事は楽しい事ばかりじゃないのも分かっていますし、楽しいばかりで興奮し過ぎても、かえって感覚を鈍らせてしまうと思います。

出来れば自分の感情感覚をフラットな状態で、新しい刺激(知識・体験)に触れてみる。そこで感じる感覚や感情を味わってみる。言葉を変えれば「マインドフルネス」に近いかもしれません。

すぐに役立つことが「ずっと役に立つ」ことになるには、使ってみてどのように感じたのか、なぜ役になったのか、しっかりと自分自身で味わって咀嚼して「身につける」過程が大事なんだと思うわけです。


話は逸れますが、格言と言えば、僕と同じ新潟県長岡市出身で、高校の大先輩である山本五十六の言葉にこんなものがあります。


やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、
ほめてやらねば、人は動かじ。


僕の体験の中で、高校の廊下に「山本五十六」の肖像画がバーン!と飾られていて、いつも衝撃で未だに記憶に残っています。

ただ、高校生当時はこの言葉すら知らずに「偉かった軍人さん」位で通り過ぎつつも体験としては刻まれていたわけです。

そして卒業から10〜15年の時を経て「山本五十六と言う名前を聞けば反応し、この言葉にたどり着き、自分の積み重ねた人生経験や臨床経験の中で、まだまだヒヨッコなりに深みのある言葉として咀嚼できるようになっているわけです。

このように自分の体験を伴わない「借り物の」知識や方法は、すぐに役に立たなくなる、おそらくすぐに忘れるし応用が効かない、ということを実にシンプルに的確に射抜かれた言葉でした。


「すぐに役立つことは、すぐに役に立たなくなります」


座右の銘とかで言ってみたいですね。

ではでは。

【目次】第1回〜第50回コラムの内容

メンバーの皆さま

こんにちは。管理人です。

前回コラムでも書きましたが、【第50回】を考えるに当たって、過去のコラムを見たり思い出したりしたんです。すると、2つのことに気づきました。

まず1つは、当初のコラムは内容もコメントも短くあっさりしているのに対して、だんだん一つが長くしつこくなっていること(苦笑)。

もう1つは、過去のコラムを引用(リンク貼り)しようとした時に、題名からはコラム内容を検索できなくて(思い出せなくて)、頭に浮かんだ内容を結局コラムをいくつか読み返しながら探す作業を何回もしていた、ということ。

題名が題名の役割を果たしていない、つまり、僕の「ネーミングセンスのなさ」が浮き彫りになっているわけです…。

僕の場合、題名ってコラムの最後の最後に付けるので、書き終えた達成感と疲労感が混じって「もう、これでいいやー」と、正直テキトーに付けちゃっている結果がこれなんです。

なので今回、コラム副題と言いますか、コラム内容の【目次】を作ってみました。

 

ただ、過去の題名を全部変更するのは、さすがに面倒臭いので、これから題の命名をもう少し気をつけます。50回という区切りのタイミングがあると、これまでの振り返りと言いますか、まとめ的な作業もする気になりますね。

読み返すと「いいこと書いてるじゃん」と我ながら思う回もあれば、「イマイチ切れ味ないな」という回もありますが、【目次】をきっかけにバックナンバーも活用いただければ幸いです。

以下、コラム内容の目次です。

【はじめに】「まごのてblog」とは?
【第1回】「グリーフ」と「ファシリテーション
【第2回】子どもの感情コントロールと解離
【第3回】グリーフの自己覚知、自覚のスキル
【第4回】勝てるチームとそうでないチームの差
【第5回】喪失に関する神話
【第6回】気持ちを伝える言葉選びのセンス
【第7回】「未完の感情」と「フラッシュバック」
【第8回】「未完の感情」の表現を助ける4つの基本カテゴリー
【第9回】「健康な/不健康な」グリーフプロセス
【第10回】高齢者による幼児期の語りと記憶

【第11回】あいまいな喪失と「支援者の価値観」
【第12回】あいまいな喪失の二つのタイプ
【第13回】日本文化と「即興性」「育成論」
【第14回】「米国文化」と「医療モデル」
【第15回】異文化に飛び込むことの意味
【第16回】「心の家族」と文化的家族観の違い
【第17回】あいまいな喪失と支配感の関係
【第18回】「cura/care/heal」の違い
【第19回】時間志向の6タイプ
【第20回】あいまいな喪失と「治療/ケア」

【第21回】レジリエンスの「多様性」と「柔軟性」
【第22回】主観的な時間感覚の違い
【第23回】「意味を見つけること」と「少数派」
【第24回】多職種連携コンピテンシー
【第25回】支配感と無力感
【第26回】  アイデンティティーの再構築
【第27回】「チームを整える」ファシリテーター
【第28回】両価的感情を正常なものとみなす
【第29回】新しい愛着の形を見つける
【第30回】「希望を見出す」ことと「感情焦点セラピー」

【第31回】「逆境の捉え方」と「流れを読む感性」
【第32回】プロとしての成長とは
【第33回】人と組織の成長を特徴づける七段階
【第34回】金魚鉢の対話形式と「気づき」の仕組み
【第35回】「BPSモデル」と「子どもの育ち」
【第36回】DSMエビデンスへの固着
【第37回】感受性の違いと情緒的発達の速度
【第38回】「戦術理解」と「状況判断」の違い
【第39回】「方法論/認識論」による4つの象限
【第40回】時間精神医学とBPS

【第41回】初期記憶のミステリー
【第42回】胎内環境×脳の発達
【第43回】胎児期の感覚・神経の発達
【第44回】「エピソード記憶」と「手続き記憶」
【第45回】新生児期の感覚・神経の発達
【第46回】愛情ホルモン「オキシトシン
【第47回】「西洋/東洋」医学の考え方の違い
【第48回】記憶の面から考えた精神分析
【第49回】欧米の「心理士/心理療法士」の違い
【第50回】共通の型づくり・型破りの意味

ではでは。

【第50回】「文化づくり」は「言葉づくり」

メンバーの皆さま
 
こんにちは。管理人です。
 
いよいよ師走(12月)になりましたね。年末に向けて忙しくなってくる時期ではないでしょうか。
 
そんな時期で、気がつけばコラムを始めて約半年。この時期に【第50回】の節目の内容は何がいいのか色々考えていたのですが、考え過ぎてだんだん面倒になってきたので、あまり考えず思ったことを書きます(苦笑)
 
なので、今回もネットから。
 
株式会社「かえる」ブログ
「組織の言語」を作りましょう :組織文化の作り方
 
株式会社「かえる」は、組織開発コンサルタントの会社です。LSWの実践やチーム・組織づくりについて、簡潔にわかりやすくかつ大事な話が書かれているので紹介します。是非、サイトをのぞいて見てください。
 
 
●内容(一部抜粋)
〜組織文化とは人が共通して持つイメージの総体であり、その共有イメージを作ることなくして、組織文化は完成しないからです。
 
〜独自の組織文化を持っている企業に行くと、共通して気づくことがあります。それは、「その企業独自の言葉を使っている」こと。
 
〜そしてもう1つ、この「組織の言語」はなるべく「方言であることが重要です。他の組織とは違う「言葉」を使うことがポイント。なぜなら、そうすることで、他の組織とは異なる「我々らしさ」の意識が高まるからです。
 
こうしてみると、組織開発のコンサルタントは、「組織言語学」なんだろうと思います。その組織が作りたい組織文化を一緒に考え、それを定着させるための言語を作るということ。組織文化開発≒組織言語開発、なんだと思いますね。
 
 
●コメント
これは、面接および組織づくりの本質を射抜いていると思います。なぜなら、面接および連携でやっていることは「共通のイメージづくり」そのものだからです。
 
面接で、その人が言った言葉を大事にする理由はコレです。例えば、話し手が「食事」と言ったものを、聞き手が何気なく「ごはん」と言い直すようなことは日常会話でよく起こりますが、話し手のイメージは「食事」=「ごはん」とは限らないわけです。
 
さらに「おまんま食べる」がその人にとって自身の体験とリンクする表現だとしたら、「食事をしたんですね」と言い直すのは、すでにその人がイメージしているものから遠のいている可能性があります。で、そんな感じのやりとりが続くと、聞き手が自分の頭の中で勝手に描いたズレたストーリーやイメージを「共通のイメージ」と思い込んでしまうという事態が起きます。
 
これは、LSWの中のやりとりでも同じですし、LSWを行おうとする組織・チームにおいても同様です。外から持ってきたマニュアルや本の知識では、言葉を読んでいても同じでも、実はチーム内で描いているイメージはズレている(イメージすら出来ていない)可能性があります。なので、支援者同士の事前の話し合いが非常に重要なんだと思います。
 
 
これはLSWに限らず、組織文化やチームワークを築く上では共通しているプロセスと思います。ですが、毎回毎回ゼロからスタートしていては、他組織との連携にばかり時間が取られて仕方がない。
 
そんな視点で、面白いのが元サッカー日本代表監督の岡田武史氏がオーナーを務め今治FCの取り組み。
 
サッカー好きな方はご存知の「岡田メソッド」。一言で言うと、日本サッカー「共通のイメージづくり」の野望です。例えば、内容はこんな感じです。
 
〜独自の用語を使っているため少し説明が必要ですが、例えば、我々が規定するパスの種類のひとつに、「シャンク」というものがあります。試合中にシャンクを何本入れられるか。その本数をKPIとして、シャンクの本数が増えればより進歩していると見なしています。
 

〜言葉というのはすごく大事で、例えばエスキモーには白を表す言葉が10種類くらいあるんですよ。なぜかと言えば、雪の白さの違いによって翌日の天候を予測できるからです。

〜僕らにはただの白に見えても、エスキモーには「明日は天気が荒れて危ない」とわかります。必要だから言葉がある。例えば、スペインでは横パスで揺さぶってディフェンスがずれたときに、そのギャップを突いて斜め方向に出す縦パスと、単に縦方向を狙う縦パスとで言葉が違います。

〜一方、日本サッカーには縦パスという言葉しかありません。我々にはそこまで細やかな考えがないから必要としていなかったということですが、新たな価値観をつくるため、既存の考えと区別するために言葉を考えているんです。

 

これって「組織の言語づくり」そのものですよね。そして岡田さんは「守破離」という日本の「道」の修行のプロセスを絡めて語っています。端的に言うと、実は自由だけでは自由な発想は生まれないと。

 

日本人は「型」に捉われるけど、本来「型」は守るだけのものじゃない。まずやってみて、あえて破って、そのから離れて新たなモノを構築するための「材料」にしか過ぎないわけです。

 

だけど、まずやってみるモノ、考える材料そのものが無ければ考えようがないですよね。そう言う意味での「型」は必要だと。

 

参考)今治FCのHP、岡田武史インタビュー 
 

 

児童福祉現場に置き換えると、よく「国のガイドラインにはこう書かれているから」とかトップダウンの材料に捉われ過ぎたり、指示待ちで思考停止に陥っていることはよくあると思います。

 

大事なことは、守らなければいけない事は守る、けれど、そこに書かれていることはどう言うことなのか、まずはその組織の人たちで話し合って共通の言語に翻訳して「共通のイメージをつくる」ことですよね。イメージがなければ実際に動けませんし、応用が利かないので、全く現場じゃ役に立たない机上の空論で終わってしまうわけです。

 

僕は個人的に「LSW」と言う言葉も「共通のイメージづくり」の材料の一つに過ぎないと思います。別の言葉、別の切り口で、LSWが大事にしている本質の内容が共通理解できれば、それで何にも問題ないわけで。

 

なので僕は面接でも「心理検査や見立てと言うのは考えるの材料の一つなので、それを聞いて感じたこと、思ったことを率直に教えてください」と言うような事を、子どもに対しても大人に対して説明しますし、面接においては心理検査や見立てもやりとりの「ネタ」くらいの扱いをしています。大事なのは、目の前の人とのやりとりやイメージの共有なので。

 

その組織ごとに歴史文化は違いますので、LSWの名称が馴染めばそれで良いし、別の共通言語の方がしっくりくればそれでいい。言葉に捉われず、本質的に何を大事にし、何をしようとしているのか、そのことが話し合える環境づくりが各地で広がっていくと、面白いことになりそうでワクワクしますね。

 

ではでは。

【第49回】「セラピスト」と「カウンセラー」の違い

メンバーの皆さま

こんにちは。管理人です。
 
最近、色々な発表資料の作成に追われておりまして。隙あらば出来るようにカバンにPCを入れているので、コラムで紹介する本を入れるスペースも読む時間も弾き出されています。
 
ということで、今回もネットで見つけた論文からです。
 
 

心理学の歴史に学ぶ

欧米諸国における臨床心理学資格の実際とその歴史

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臨床人間科学オープンリサーチセンターhttp://www.ritsumeihuman.com/hsrc/resource/10/open_research10.html

なぜ、この論文集を取り上げたかの理由は、表題「セラピストとカウンセラーの違いとは?」という問い。

僕自身は臨床心理士ですが、児相の面接記録の中で書く児童心理司の略称は「Th.」。これはTherapist=「セラピスト」のことなんですが記録を書きながら、ふと「Th.と書いてるけど、俺って何かセラピーやっているのかなぁ」と素朴に思うんです。

一方、面接を「カウンセリング」とよく呼びますが、「Co.」=Counseler:カウンセラー、とは記録に書かないわけで…

そして、臨床心理士はClinlcal psychologist:「CP」と略されるけど、そもそも「セラピスト」「カウンセラー」と「心理士」って何が違うのか?

職業アイデンティティーに関わる根本的なことだけど、これって結構難しい。正直、僕自身これまで曖昧に適当に流していたわけですが、この特集を読むと、臨床心理士(クリニカル・サイコロジスト)や臨床心理学/心理療法カウンセリングの捉え方や歴史文化的な違いについて、非常に整理がつきました。

これは心理士でなくても、LSWに携わる人の支援観、治療観の違いについてのルーツを考える上で参考になるので紹介します。

以下にイギリス、ドイツ、フランス、アメリカの臨床心理学等の特徴を簡単にまとめますが、詳しくは元原稿を読んでください。

 

【内容】

   

▪️イギリス

イギリスは実証的、科学的心理学を臨床心理学の基本としている。それは、生物ー心理ー社会(バイオサイコソーシャル)モデルを基本としたエビデンスベース臨床心理学。なので学術的(Academic)な心理学の大きな括りの中に臨床心理学(Clinlcal psychology)が入っている。

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(イギリスの臨床心理学の歴史ー日本との比較を通してー 下山 2007より)

で、心理療法(サイコセラピー)は左上に外れている別物で、ある特定の心理療法の理論や技法を身につけていれば心理療法士(サイコセラピスト)=心理士(サイコロジスト)である必要は全然ない。

さらに、カウンセリングはまた別物。先生や看護師、ソーシャルワーカーなどで行われるもので学術的なものではないが、最近「カウンセリング心理学」というものが出てきて臨床心理学とカウンセリングの間に入って、自分たちも心理専門職に入れてくれと主張しているのがイギリスの状態だそう。

 

◾️ドイツ

ドイツでは職能意識が強く、資格制度も非常にきっちりとしている。1980年代から学問としての「臨床心理学」と実践活動に対した専門職としての「心理療法」の違いが盛んに議論され、1998年の法制化により心理療法士」「青少年心理療法士」 が国家資格化。

これは名称独占ではなく業務独占の資格で、法制化以降、心理療法士の資格(免許)のない人は「心理療法と名の付いた活動業務は行えないし、もし無免許で心理療法を行えば、法的に罰せられる。

ちなみに、二つの資格の違いは端的にいうと対象者の年齢制限で、「青少年心理療法士」は21歳までの患者に心理療法を行えるのに対して、「心理療法士」は年齢制限なし。ただ、それ以外にも色々な権限の内容に関して細かい違いはある。

 

◾️フランス

フランスは、哲学や芸術を含ませた独自の発想や「自由」を重視する価値観とか生き方がある。臨床心理学に関しても独自な歴史があり、アメリカの実証主義的やり方(例えばDSMが世界において支配的になるということへの警戒感がある。知的階層では特にその傾向が伝統的に強い。

今や何でもデジタル化して、標準化して、尺度を決めて、点数化すれば何でもできるような、アカウンタビリティになり、説明責任が達成されるという考え方、そういうのをフランス人は一番嫌うと。

臨床心理士の資格とは別に、心理療法家や精神分析家がフランス全土で約5,000〜6,000人。人口比率でいうと、世界最高。個人主義の国で開業も相当数いる。そして、フランスでは精神分析ラカン派が圧倒的に人気。

その要因のひとつには、 統一や画一化に警戒心がある国民性もあるよう。ラカンは「精神分析は医学ではない」とはっきり言い、臨床心理学には初めから相当批判的で、根本は哲学的。だから医学で心理学もやっていなくても、精神分析に入門することに何ら問題もない。実際にラカン派の分析家には、元経済学者や音楽家がいたりする。

 

◾️アメリカ

アメリカの場合、50の州の統一モデルが必要で、臨床心理学の大学院訓練モデルの樹立に向けて、1948年に科学者―実践家モデル(ボールダーモデル)をまとめあげた。しかし、時代による文化社会的変遷を余儀なくされてきた。

もともとアメリカ精神医学の主流は精神力動学で、psychotherapyは精神分析を意味していたが、当時のアメリカは神経症(ヒステリー)ではなく、統合失調症などの患者群や第二次大戦後のサバイバーへの対応が迫られ、従来の精神分析では対応困難だった。

しかし、1952年に抗精神病薬が発見されたことで精神分析が衰退。疾患分類のための国家的体系を作る試み『DSM-Ⅰ 精神障害の診断と統計のためのマニュアル』が作られる。当時は精神分析の理念や言葉などが盛り込まれたが、1978年刊行DSM-Ⅲでは、精神力動的な理論や用語が排除され、評定を一致させるような診断基準に方向づけられる。

そして薬物療法の導入などにより、統合失調症の患者の早期退院が可能になり、今度は受け入れる家族への対応に迫られた。これにより家族療法が発展したが、1980年代フェミニスト運動で女性の権利が主張される中で、家族療法も男性を基準とした認識と誤解され批判された。その中で社会構成主義(1985)が提唱され、ナラティブセラピーの流れが作られる。
 

 また2005年アメリカ心理学会の会長Levant博士が、Evidence-based practiceに関する定義を           

「心理学におけるエビデンスベースの実践とは、患者の特徴、文化、および志向の枠組みの中で得られる最高度の研究と臨床的専門知識を統合することである」

と提案し、心理学を実践するにあたりすべてにおいてエビデンス重視するという基本的な方針を打ち出す。

資格的には、アメリカのクリニカル・サイコロジスト(Clinlcal psychologist:CP)は、基本的に「精神病理を持つ患者の診断・治療・教育」に活動領域が特化し、心理アセスメントと精神療法に従事する専門家としての色彩が濃い。そしてCPになるには高度な専門的訓練と博士号取得が必須で、使用されるDSMの診断システムは上記のような医療モデルの歴史がある。

また、アメリカのカウンセリング制度には、精神障害を有する病理水準の高い患者(クライエント)を取り扱う「クリニカル・サイコロジスト」と病理性のあまりない心理的な悩みや人間関係の問題を取り扱う「カウンセリング・サイコロジスト」がいるが、カウンセリング・サイコロジストは修士過程を終了して修士号を取得すればなることができる。

でカウンセリングの歴史で見ると、を1950年後半〜60年前半にClient-centered Counselingを提唱した非医師のロジャーズは、1928年からニューヨーク州児童相談所で医師やソーシャルワーカーなど他領域の臨床家たちと共に活動していた。
 

精神分析は動機づけの高い中流階級の成人クライエントを対象として行われていたが、ロジャーズが対象としたのは面接に対する動機づけが低かったり、子どもの問題で来談する母親であったり、勉学が思うようにできない大学生であった。

ロジャーズの「非指示的non-directiveアプローチ」は、ある特定の問題を解決することを目的とするのではなく、個人が現在の問題に対してもより統合された仕方で対処できるように、その個人が成長することを援助すること、知的な面よりも情緒的な要素や状況に対する感情的な側面が強調されている。

そして、このロジャーズのカウンセリングの考え方は、日本の教育分野で広く発展して行くこととなる。

参考:システムズアプローチのトレーニングに関する研究(赤津、2013)

http://repo.lib.ryukoku.ac.jp/jspui/bitstream/10519/5181/1/dk_172_001.pdf

 

 

【コメント】

以前コラム(第2回〜第8回)で取り上げた『子どもの悲しみによりそう 喪失体験の適切なサポート法』で「キューバダイビングを習う時に、一度もスキューバダイビングをしたことのない人に習うのは危険」という比喩がありました。

LSWって、その人自身の「自分って何者?」という疑問から始まると思うんです。すると、支援する側が「自分は何者で、自分の職業職種の役割や考え方の根底は何なのか」という自身の支援観、価値観について考え悩んだことがなければ、目の前の人が悩むプロセスに共感的に寄り添うことは難しいのでは?と思います。

そういう意味では、僕自身これまで児童相談所や児童心理司とは何をする組織や職種なのか随分と悩まされてきましたし、その模索や葛藤は今なお続いています。

最近になって、これは対人援助に携わる以上は抱えないといけない感情で、これを放棄したら自己成長は止まり、自己満足の援助に成り下がるんだろうという境地にようやく至れるようになりました。

今回の各国の考えを見て、改めて、やはり児童相談所やLSWは「ソーシャルワーク」の考え方がベースにあって、医療の歴史や考え方とは違うよなぁ、と思いました。

最近「成長を促すアプローチ」と「治療的アプローチ」は重なるけど軸は違うと僕は感じるのですが、1928年当時の児童相談所でロジャーズが精神分析の「治療」でないアプローチを悩み考え、たどり着いたプロセスは、約100年後の現代の児童相談所の悩みと実は全然変わらないのかなと。福祉と医療の発想ベースや支援対象の質の違いです。

ただ、フランス人が毛嫌いしているアメリカ式実証主義何でもデジタル化して、標準化して、尺度を決めて、点数化すれば何でもできるような、アカウンタビリティになり、説明責任が達成されるという考え方」に日本も侵されてきている感じに危機感がある僕は、考え方はフランス人っぽいのかなぁとか思ってみたり。

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ただやっぱり、イギリス式の図は非常にわかりやすい。エビデンスベース臨床心理学の世界的リーダーということだけあって整理説明がさすがに上手いなぁと。「ソーシャルワーク」と「カウンセリング」が近接しているのも、アメリカの歴史を見て、さらに納得しました。

なるほど、カウンセリングとソーシャルワークは非常に近しい関係なんだと。だから、セラピーや治療をベースとした考え方と噛み合わないことがあるのは当然です。各国の「心理療法家=心理士である必要はない」とハッキリ区別しているのは歴史的に見れば当然だなぁと思いつつ、日本の臨床心理士の認識からすると目から鱗でした。

日本の「心理士」の未整備さに気付くと共に、逆にある意味で融通が効くんだろうなぁとも思います。欧米と違い、日本の臨床心理士は活動領域も「医療、教育、福祉、司法、産業など」広く、イギリスの図で言うと全範囲を網羅したような資格になっているんだと思います。

イギリスの図を参考にすると、そりゃ理想的には「臨床心理学/心理療法/カウンセリング/ソーシャルワークなど全部に精通できれば素晴らしいですが、○○療法だけでも星の数ほどあるわけで、全領域をマスターしているスーパーマンなんて限られるわけです。

とは言え、どれか一つしかやらないというのは多様性の時代にあまりに即さない硬い考え方なので、現実的には軸をどこかに置きながら、他の要素も取り入れる折衷や統合的な実践や考え方が、実際の現場では求められることなのかな、と思います。

例えば手元に10ある時間やエネルギーを「6:3:1」と分散するように。その割合が違う人たちがチームを組めば、パズルの凸凹がハマるような相互作用や化学反応が起こると思うのですが、「10:0:0」みたいな極端で他の考えを受け入れない噛み合う余地なしみたいな感じだと、コラボしたり良い化学反応が起こるのは難しい気がします。

そう思うと「まごのてblog」は、LSWがソーシャルワークをベースしていることを前提としながら(なのでコラム内容では取り上げていません)、あえて「喪失体験のケア」「生物ー心理ー社会アプローチ」「時間精神医学」というソーシャルワークからちょっと外れた実証的な考え方やセラピー的考え方に触れて、LSWをより多角的に統合的に考える、そんな感じなのかな、と書きながら整理がつきました。

というのは少し格好つけの後付け説明で、実際はその時々の気になるトピックに、思ったことをくっ付けてアウトプット(出力)しているだけなので、話題は飛び飛びでお世辞にもまとまりはなく、統合とは程遠いですけど…。

以前にも書きましたが、そんな僕の考えをまとめたり整理するプロセスを今後もつらつらとコラムにしますので、「こんなことを考えている人もいるのかぁ」程度に読んでいただいて、何かLSW実践やご自身の思考・価値観について考えるネタや参考になれば、ありがたいです。

ではでは。

 

【第48回】神田橋処方とLSW

メンバーの皆さま
 
前回コラムで漢方薬に触れたので、児童福祉分野に関係が深い漢方薬のお話をもうひとつ。
 
それは有名な「神田橋処方」と呼ばれるPTSDのフラッシュバックに対する漢方薬の処方について。
 
具体的には、
「四物湯(シモツトウ)」
「桂枝加芍薬湯(ケイシカシャクヤクトウ)」
を合わせた処方で、神田橋條治先生が考えたから「神田橋処方」という名前だそうです。僕の地域では、被虐待児の治療で処方してもらうことはごくごく日常的になっています。
 
で今回、神田橋先生による神田橋処方についての10年前の講演録を偶然見つけたのですが、これが冒頭から最後までLSWと重なる話ばかりで非常に興味深かったので紹介します。
 
品川心療内科ー日録ーSMAPG-Panalion 
「神田橋 PTSD
 
全文はちょっと長いですが、時間があれば是非、原文で読んでみてください。コラムでは内容に触れながら簡単に感想を綴ります。
 
まず、
『この講演がペーパーになるころには、「~としゃべったけどもウソだった」とかいって、あとで書くかもしれません』
 
と講演の中でおっしゃっていますが、10年経った今でも「神田橋処方」は現役バリバリなので、講演内容の賞味期限は過ぎていないかなと思います。
 
で、内容で面白いのが、神田橋先生がDSM精神分析も「嫌い」とハッキリ言いながら、神田橋流の「PTSDの理解」や「記憶をつなぐ」ことの精神分析的な視点がわかりやすく解説されている点。
 
神田橋流の「PTSDの理解」は、DSMからもう少し概念を広げて、自身の体験談を交えつつ健康度が高めな人にも起りうる「過去の記憶が現在の精神活動の阻害的に働くことすべて」ということで、かなりLSWと守備範囲が重なる話だな、と読んでる途中で思いました。
 
また『記憶の面から考えたときの精神分析の治療』という点において、忘れ去られた記憶が意識された自分の歴史の中に組み込まれることの重要性、フラッシュバックの症状を含めた今の状態をきちんとストーリーとして説明してあげることが治療になる、と語られています。
 
この辺りからもLSWとの親和性を感じますし、それだけに留まらず、もっと読み進めて行くと、
 
『この「わからない」ということは、人間が知的な生物ゆえに特別に有害なんです』

 

ふむふむ。

 

『話は変わりますが、3歳、4歳ぐらいの外傷体験で一番多いのは、両親の仲が悪いとかそういうことじゃない。一番多い外傷体験は引っ越し。それを覚えておいてください』

 

むむむ?

 

『対策としていいのは子ども部屋に地図を置いて、「ここからここへ行くのよ」とか、「ここを汽車と車でこうやって行くのよ」と。そして、前の世界は失われたんじゃなくてちゃんとあるということを確かめるために、お休みのときにでも、また同じルートを通って行ってみる。やはりなくなっていないということ、自分が動いたということがわかれば、そうするとそれで外傷体験は、幼い時だったらすぐに治ります。そうやって連続性が断ち切れないようにしてあげてください』

 
おやおや?
 
ここまで行くと、もはやLSWで言ったりやったりしている事そのものですよね。これを田橋先生は「歴史上の邪気を取る」と表現していますが。
 
「気の流れ」について触れられているのも前回コラムと通じるところがありますし、冒頭にあるPTSDの治療も「まずは安全な環境」「治療者との安心できる信頼関係」いうはLSWの話とほぼ重なります。
 
つまり、過去の記憶を扱うことにおいて、その切り口をPTSD精神分析としながら、その分野の大御所の先生が語る支援内容が、LSWと似たところに集約していっているのです。面白いですね。
 
つまり、PTSDを安全に扱う方法を学ぶことは、実際にトラウマを直接扱う「ライフストーリーセラピー」的なものを直接やらないにしても、LSWを開始する際の安全性の準備や検討において、非常に役立ち応用できる情報が学べるということ。
 
特に、精神分析をしてはいけない人はどういう人か』という部分は必見です。
 
簡単に言うと、過去を忘れておくこと、またはフラッシュバックでさえも「取り除くべき症状」とは限らないということ。少なくともそれまでは、その人自身や脳を守るために必要なコーピングであったもの、もしそれが今も必要な状態なのに取り除いたらどうなっちゃうか?と言うことです。
 
では、どういう人にはしてはいけないか。答えは『忘れてしまう能力がない人』なのですが、詳細は原文で見つけてみて下さい。
 
確かにLSWの文脈で真っ先に話題に上がるのが「知りたいのに知れないこと」の権利やマイナス面なのですが、忘れてならないのが「知りたくないのに知らされる」「聞きたくないのに聞かされる」「思い出したくないのに思い出させれれる」ことの負荷やストレスの高さです。
 
神田橋先生のコーピングにまつわる話は、本人の意向や状態、準備性を無視して、大人の都合や思い込み(知る=良い事)で即効性を求めるようなLSWや症状治療をやって、さらに荒れちゃうパターンの内面を見事に解説してくれていると思います。
 
また最終的には、
『精神療法でいろいろ難しいことをいうのは全部、根本の外なんです。ちょっとマニアの世界。やはり精神療法というものも本当に治療である限りは、犬や猫にもできる部分が本質。人間にしかできないのは趣味の世界でしょう』
 
と、認知でゴチャゴチャやることを一刀両断。体験でもって治療せよ、という点に着地するあたりもLSWに通じるし、それって生物的・生理学的・ホルモン的話と重なるなぁ、僕は思ってしまいます。
 
LSWの「知る権利」「権利擁護」は、どちらかと言うと「ソーシャルワーク」や「社会」的な文脈や視点に寄った切り口なのかな、と感じます。
 
僕が何でもかんでもLSWに結び付けて考えてしまうからかもしれませんが、この講演の視点はLSWでやっていることを「生物ー心理ー社会」で言う「心理」側、特に「精神分析」「精神医学」の切り口で解説したようにも読めて面白いなぁ、と思います。
 
ではでは。