LSWのちょっとかゆいところに手が届く「まごのてblog」

静岡LSW勉強会の管理人によるコラム集

【第83回】「乳幼児期からの子供の教育支援プロジェクト」と「愛着行動」

メンバーの皆さま
 
こんにちは。管理人です。
 
あっという間にGWも終わり、また日常の日々がやってきました。雨続きですし、もう海の日まで祝日は無いんですよね。長いですね…。
 
前回コラムでは、下の図の根っこ部分、

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アタッチメント形成の基礎となる「脳の発達」について、わかりやすくかつ1300円とは思えない半端ないコスパである図書「しつけと脳育」(成田奈緒子先生監修)を紹介しました。
 
で今回は「アタッチメント(愛着)」と少し「発達障害について扱おうと思うのですが、前段は今回のネタとなるウェブサイトの紹介です。
 
それがコレ。
「乳幼児期からの子供の教育支援プロジェクト」
 
 
東京都教育委員会が平成20年度から行なっているプロジェクトで詳しくはウェブサイトにキレイにまとまっているので参照してもらいたいのですが、概要はこんな感じ。

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(プログラム事例集 ~地域プログラムの試行的取組、第1章より)

 
赤枠は管理人的注目ポイントで、左の施策に、
【乳幼児期からの発達の重要性】
が挙げられていて、真ん中の施策の柱の1つが、
【乳児期から子供の教育の重要性について全ての保護者に伝える(広域的事業)】
となっていて、右の具体的事業の1つとして、
【ウェブサイトの開設〜若い親にとって身近な情報入手の手段を活用した普及啓発】
となっています。
 
上のリンクは、それに当たるのかなと思いますが、このサイトの凄いのは[保護者向け資料]だけではなくて、[指導者向け資料]に加えて、[指導者用スライド教材]まで準備されていて、保護者に説明する時に必要なところを部分的に使ってください(教育委員会に連絡入れて)という手厚さ。
 
で、そのスライド教材のラインナップがコチラ。
◆乳幼児期を大切に ~心と体の基礎を育てるとき~ 
  1. 脳と心の発達メカニズム ~五感の刺激の大切さ
  2. 生活リズムの確立のために 
  3. 運動能力の発達と『遊び』の大切さ ~運動遊びを通して育つもの~ 
  4. ふれあって、親子の絆を 
  5. 乳幼児期からの「食」を育む ~食文化と、体の中の食べ物の通り道~ 
  6. 豊かな心と社会性の成長・発達のために ~子供の自立・自律を目指して~
 
となっていて、題名でご察しの通り1.脳と心の発達メカニ ~五感の刺激の大切さは、前回紹介した「しつけと脳育」の成田奈緒子先生が監修で、内容的にはほぼ同じ(汗)
 
これが7年前の平成23年にすでにウェブ上でオープンに公開されていたなんて…。「タダより高いものはない」なんて言いますが、ここまで親切が突き抜けるとコスパうんぬんを超えて何かあるんじゃないかと思ってしまうレベルです。
 
それだけ東京では、就学時には既に手に負えない状態の子どもが多いということなのか、とにかく東京都教育委員会の本気度が伝わるプロジェクト。
 
東京は人口1000万超えですし経済格差も広く、親族が近くにいる層は地方に比べて少ないですし、経済的余裕がある層は私立の幼稚園や学校に入る傾向がありますから、「経済的に苦しい層」「共働きの中間層」ら公立小学校が受け入れることになる。
 
そうなると、地区によっては愛情不足で「かまってかまって」の落ち着きがない児童がドバーッと入学してくる可能性があって、すぐに支援員を追加することも難しいし、支援級に移るのも教育委員会の調査+親の同意がいるし、とても学校だけではカバーしきれない状況が想像がつきます。
 
その辺の「子育ての支援の地域体制づくり」が施策の柱(2)になると思うですが、10年以上前から始動しているこのプロジェクトは「先見の明がある」とも言えますし、見方によっては当時から「要支援状態」で就学してくる児童・保護者の数が相当深刻だったことを物語っているのかもしれませんね。
 
図下にある「連携協力」先も医療・福祉・民間と幅広くて、この音頭取りが「教育委員会という地域事情も個人的には興味深いです。
 
 
そんな勝手な推測・想像はここまでにして、ようやく本題のウェブサイト資料について触れます。「まごのてblog」的に注目はこの3つの章。
 
1.脳と心の発達メカニズム ~五感の刺激の大切さ
【前回コラム】
4.ふれあって、親子の絆を 【愛着】
6.豊かな心と社会性の成長・発達のために ~子供の自立・自律を目指して~ 【まとめ的】
 
[第1章]には、前回取り上げたように脳の発達の順番、それを促す五感の刺激の話や、これまでにコラムで扱ったセロトニンドーパミンノルアドレナリンの話も解説されています。
 
 
で、今回紹介するのは、
[第4章]ふれあって、親子の絆を
ここには愛着(アタッチメント)の説明がコンパクトにまとまっていて本当にわかりやすい。是非、子育てに関わる全ての方にチェックして欲しい内容です。
 
これにある【指導者向けメモ】というコラムから
(1)愛着行動の4段階 (p.6)
(2)人見知りと分離不安 (p.7)
(3)言葉の発達のすがた (p.20)
の3つをピックアップします。
 
 

(1)愛着行動の4段階

まず乳児の人に対する愛着行動として現れる行動は「定位」「信号」「接近」などであると。
 
「定位」:目で養育者の姿を追ったり、養育者の声を耳で聞こうとする行動
「信号」:人に注意を向けたことのしるしとして、微笑する、声を上げる、手を上げて合図するなどの行動
「接近」:人に近づく、しがみつく、 後追いするなどの行動
 
そして、これらの愛着行動は、4つの段階を経過して発達していくと。
● 1段階(出生~12週):愛着の相手は不特定であり、生得的な反応傾向によって人に注意を向けたり、働きかけを行ったりする。
● 2段階(12~6か月):接触頻度の高い人や、乳児と社会的やりとりをしてくれる相手に対して結びつきができる。
● 3段階(6か月~23歳)見知った人と見知らぬ人に対して明らかに識別して反応するようになる。いわゆる「人見知り」が出る。また、母親がいなくなるとパニック状態に陥り「ママ」と叫んだり、泣いたりすねたりなど混乱状態になる。
● 4段階(3歳頃~):子供の認知能力や言語能力が発達して、母親の設定目標を推測し、「目標修正的パートナーシップ」が成立するようになる。この段階の最初の頃は、子供は母親との関係を「安全基地」として外に向かって出ていき、すぐに不安になり、母親のところに戻ってきて安心する「行って帰ってくる遊び」を繰り返す。この遊びが見られなくなる頃、いよいよ子供は自律・自立への道を進んでいく。
 
 
この4段階の内容は「子育て支援」に関わる仕事をしていれば、どこかで聞いたことある話しかなぁと思います。不特定への無差別愛着とか、人見知り、安全基地とか。
 
しかし今回の注目は、その前にある愛着行動そのもの「定位行動・信号行動・接近行動」の3つ。愛着はこれら非言語的なやりとり、コミュニケーションの積み重ねで形成され発達していく、と。
 
なるほど乳児が微笑したり声をあげたりというのは、単なる反射ではなくて、目や耳で注意を向けたしるしとしての応答なんですね。この行動内容は、以前コラムで取り上げたこれ、

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オキシトシンシステムの獲得プロセスで行われる非言語的コミュニケーション(スキンシップや視線、表情の応答)と同じですよね。この辺からも愛着がバイオ的視点では「オキシトシンで説明できることがわかります。
 
そこに前回の「脳育」的な話しを踏まえると、「愛着形成」をするための定位行動・信号行動・接近行動(見たり聞いたり思った通りに動いたり)のベースとなる、感覚凸凹や発達凸凹・五感で刺激を感じたり発信する癖が、「愛着形成」のプロセスに大きく影響するだろうと思います。
 
例えば、自閉スペクトラムASD)によくある「視線が合いにくい」や「感覚過敏」など受け側のアンテナの凸凹によって、仮に他の子と同じ環境で同じように育てていたとしても、本人が受信する刺激や身体に染み込む体験は千差万別ですよね(たとえ同じ家庭であっても、その時の兄弟の数によって親の経験値も違えば、家族システム人数が違うので全く同じ環境なんて、そもそもあり得ないわけですけど)。
 
感覚過敏であるがゆえに、通常なら心地よい強さの刺激も、触られて痛いとか、楽しい歌がうるさいとか、臭いが我慢できないとか刺激の弱さによってイライラを経験しやすかったり。また逆に鈍感な部分では、他の子が感じる体験がスルーされてしまったり、一般では強すぎる刺激を求めたり
なんてことが起きやすい。
 
なので、感覚凸凹や発達凸凹があると「体験」の積み上げに偏りが出やすいので同年代より愛着形成が遅れがちになる。けど、通常より積み重ねが不器用だったり時間がかかるだけで、愛着が獲得できないわけじゃない。安定した家庭環境で愛されて育っていると、仮に発達障害の診断があっても(診断なしの発達凸凹でも)可愛らしく安定的なお子さんはたくさんいますよね。
 
そして個人特性と環境のマッチング相性の問題は結構大きくて、例えば、テニスだって片方がド素人でも、もう片方が上手くて打ちやすい返しをすればラリーは続くわけです。コミュニケーションも同じように、子ども側に多少の癖があっても大人側が合わせてあげれば、情緒的な応答やりとりは可能なわけです。
 
しかし、応答する大人側があまりに余裕が無かったり、親も感覚凸凹発達凸凹持っていると、その鈍感さで子ども発信をスルーしたり、過敏さ(こだわりもそう)でお互いに譲れずイライラしあうと関係構築不全が起こる。すると、オキシトシンシステムも獲得されないのでイライラが収まりにくい。

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乳幼児期にこれが積み重なると[愛着障害と呼ばれる状態になる。つまり、愛着障害とは非言語的コミュニケーションの不具合による関係構築不全やオキシトシン・システム獲得の問題で、それは信号の出し手と受け手のお互い様の関係、相互作用によって作られるんですよね。
 
だから、子ども自身が一般的からハズれた感覚凸凹を持っていると、大人が子どもの体験を想像して関わっても「ちょうどいい加減」にズレが起きやすかったり、発信や反応が薄くて何考えてるか掴みにくくペースを合わせる難易度が高かったり、愛着形成に手間と時間がかかるということ。
 
愛着形成に限らず、その人の「主観的な体験」って五感・感覚の個体差の影響をものすごく受ける。特に感覚機能が育つ胎児期から0〜2歳代の脳育が「LSW的」にも大事と思う理由はそこにあります。
 
その人が自身の人生をどのような「主観的な体験」と共に歩んでいたのか。それは客観的情報が、その人の特性フィルターを通して、その人の感覚的・感情的・認識的にどのように染み渡り蓄積する体験だったのかを想像することだと思います。
 
その積み重ねの歴史の結果が「愛着」であり、その人が持っている「価値観」になると思うのですが、積み重ねのベースとなる0〜2歳の時期は、感情も未分化でもちろん言語獲得もしていない非常に感覚的な体験の積み重ねなので、何で今現在の「愛着パターン」や「価値観」になっているかなんて自分では説明できない部分であると思います
 
LSWはそんな本人が上手く言語化できない感覚的な[過去]も扱うわけですが、まず大事なことは[現在]上手く言語化できない本人の中で起こっている感覚的なものを支援者がキャッチして応答して扱えることだと思います。
 
それは、その場で本人の中で起こっている「主観的な体験」を想像して、視線や表情といった愛着行動に応答すること。オキシトシン分泌して安心感を持てたところで、気持ちを言語化できるのを待つがいいのか、気持ちの代弁が必要なのか、それも今ここの「主観的な体験」を想像して対応する。
 
それは、日々の関わりの中で当たり前に行われる愛着形成・関係構築のプロセスではありますが、LSWの場で起こる体験共有や関係性が深まるプロセスは、言葉のやりとりだけではなくて愛着形成と同様の非言語的な応答による要素が非常に大きいし、そこを支援者は意識して疎かにしないことが大事だよな、と愛着行動の内容を見て連想しました。
 
長くなったので、残りふたつ、
(2)人見知りと分離不安 (p.7)
(3)言葉の発達のすがた (p.20)
 
は次回コラムで。
 
ではでは。

【第82回】はじめてママ&パパの「しつけと脳育」

メンバーの皆さま
 
こんにちは。管理人です。
 
前回コラムでは、

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こんなイメージ図を使って、子どものアセスメントについて書きました。
 
僕の頭の中では、次回は「自分の気持ちを言語的に表現できるようになる」まで、そもそもどんな発達段階があるのか(樹の絵でいうアタッチメントの上矢印部)について、こんな表を使ってのイメージ共有や整理がいいのかな、となんとなく考えていたんです。

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自分の気持ちを言語的に表現できるようになるのは、通常に育って[3歳]くらいだから、そもそも3歳以前の発達課題が残っている子どもは、LSWで過去や生い立ちについての感情表現うんぬんの以前に、全般的に自分の気持ちを語れる力が未熟ないわけで、まずそこを育てないといけない。
 
そして、社会的養護の子どもって、そもそも0〜2歳の時期に受けるべきお世話、ニーズを十分満たされていない子が本当に多い。身体的には中学生だけど、感覚や情緒の発達段階は1歳前の[快/不快]レベルなんて子が、社会的養護じゃゴロゴロいます。これは大げさでも冗談でなく本当に。
 
なので、社会的養護の仕事は「育て直し」なんて言われることもあるわけですが、そもそも一般的な0〜2歳はどう育ち、親はどう育てているの?というベースラインを知らない大人に、「身体は大きいですけど、こころ(情緒)は2〜3歳児だと思って接してください」と言う子育てアドバイスは何の意味も持たない訳です。そもそもを知らないわけなので。
 
しかし、社会的養護の関わる子どもの保護者は、その生い立ちを聴くと、その保護者自身が0歳〜2歳までに当たり前に受けるお世話を受けていない、育てられていない、なんてことはよくありますよね。だから、相談に乗る側としては、具体的な行動レベルで保護者に伝えられないと「結局どうしたらいいんですか?」と言うところに戻ってきてしまう。
 
それは、新米里親や現場の若手ケアワーカーに対しても同様なのですが、実は相談乗る側も実際の子育て経験がないなんてことはよくあるし、実際に子育て経験があったとしても「気持ちの言語化を獲得させるためにコレやってました!」なんてことは恐らく少なくて、何か意識する訳でもなく普通に子どもに接していたら、いつのまにか育っていたというのが通常の子育てかと思います。
 
なので、よくある言って聞かせるペアトレや躾うんぬん以前の、もっともっと小さい0歳〜2歳くらいの言語獲得前の養育、言葉のやりとり以前の情緒を育てるプロセスって?いう感覚的なところをどうわかりやすく伝えるか、と言うところに支援者は四苦八苦していると思うんです。
 
なんてことを前回コラムを書きながらムニャムニャ考えながら自宅に帰ったところ、家に何気なく置いてあった本に衝撃を受けました。
 
それはコレ。

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主婦の友社の「はじめてパパ&ママ」シリーズは写真が多くてわかりやすくて、一歳の息子がいる我が家でも「離乳食」や「病気」編はお世話になっているんですよね。
 
その「しつけと脳育」編がコレなんですが、そのコスパたるや半端無いんです。ちなみに内容はこんな感じ。
 
 

内容紹介(Amazonより)

大ヒットシリーズの最新刊。 
子どもの“脳力"を最大限伸ばすために、0~3才でできることをまとめた、一家に一冊の保存版! 
 
●巻頭特集 
「0~5才まで見通せる! 心と体の発達カレンダー」 
「実例・脳を育てる 1日の過ごし方」 
 
●第1章 0才からの脳育てルール 
●第2章 時期別 発達と脳育てのコツ 
●第3章 もう迷わないしつけの方法 
  早寝早起き/公共マナー/イヤイヤ期の困った! /正しいおはしの持ち方/ 
  歯みがき/手洗い/着替え/トイレトレーニング 
●第4章 頭のいい子が育つ食事 
●第5章 カンタン! 親子遊びで脳育て 
●第6章 家庭教育と習い事 
英語教育/習い事人気ランキング/手作り知育おもちゃ/入園までにやっておくこと 
 
【専門家のスペシャルインタビュー】 
佐々木正美先生(児童精神科医)/高濱正伸先生(花まる学習会)/菅原裕子先生(コーチング) 
 
 
2017年3月初版なんですけど、これまで専門書を何冊も読んで勉強したのが馬鹿らしくなる程のわかりやすさ。写真や図解がふんだんに使われて、ここまで広範囲をカバーして、このクオリティーで1300円は正直、破格だと思います。
 
Amazonで初めの数ページ無料で見れますし、レビューのコメントも是非見ていただきたいんですけど、通常のお母さん視点からすると、子育てで何気なくやっていたことがこんなに脳を育てることにつながっていたんだという「整理」「確認」「安心」につながるみたいです。
 
具体的な本編の内容的には、そもそも脳の作りは、
 
(2階)おりこうさん脳(大脳皮質、小脳)
(階段)こころの脳(大脳皮質の前頭葉
(1階)からだの脳(大脳辺縁系、脳幹)
 
という2階建てなのだから、まず育てるのは1階の生命維持に必要な「からだの脳」。1階が不安定な家に重厚な2階は作れませんよ。脳の発達には段階や順番があって育脳の目的は「バランス脳」ですよと、よくある早期のお勉強的な知育に警鐘を鳴らすような内容が、専門用語を使わず図解と写真をふんだんに使って説明されています
 
そして、どの時期に子どもとどんな遊びをして、どんな刺激を脳に与えてあげることが必要なのか、現実場面の「しつけ、遊び、食事、TV、習い事」の取り扱いや困り感に対してどのように考えればいいのか、本当にわかりやすく説明されていて勉強になります。
 
これらの内容って、前回コラムで小難しい理論を大した説明なくサラっと載せたコレ、

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の話しですけど、こんな難しい言葉で覚えなくたって、この本1冊が手元にあれば全て解決!というレベルなんです。
 
脳育的には、3歳までは五感【視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚】を使って脳に刺激を与える「体験型」の育てが必要だと。見て・聴いて・触れて・嗅いで・舐めてという感覚や蓄積体験です。習い事や脳トレとか言って机の前に座ってお勉強はソノサキの段階であると、わかりやすく明確に説明されていますし。
 
また、専門家のインタビューと名を打って、
〇何よりまず親が笑顔で楽しんで生活すること。
〇親は見守る、転びそうになったらサポート。
〇0〜3歳までに手をかけなくても、実はすぐには困らない。困るのは大きくなってから。
〇子育ての目的は「自立」させること。
 
等々、子育てやアタッチメント形成で一番大事な親の心構えや精神状態、子育ての長期的展望などの本質的で大事な要素が、実例も合わせてわかりやすく書かれています。
 
子育て中のパパママが参考になるのはもちろん、社会的養護の現場にいる支援者にとっても非常に参考になるし、支援者チームで押さえておきたい共通理解しておきたい根っこになる内容がふんだんに散りばめられています。
 
 
ちなみに2018年6月には、本書を監修している成田奈緒子先生の最新書、
「子どもの脳を育てるペアレンティング・トレーニング育てにくい子ほどよく育つ」
が発売されるそうです。どのような内容になっているのか要チェックですね。
 
つまり何が言いたいかというと、LSWにおいて感情を表出を伴う幼児期の語りが出来ることが治療的なわけですが、そもそも「気持ちを言語化できるようになる」以前の段階の子どもたちには、五感全ての感覚的な刺激による「からだの脳」の育成、そして非言語的な視線や表情の応答による「こころの脳」の育成ステップや支援が必要ということ。
 
それが仮に小学生でも中学生であったとしても、この土台づくりのステップをすっ飛ばして、2階にある認知的な「おりこうさん脳」を大きくしようとしたって、そりゃ頭でっかちでバランスが悪い不安定な感じになっちゃうし、やっても積み上げに限界があるから効率が悪いんです結局。
 
例えるなら、昔の古いバージョンのスマホに最新アプリを入れようとするようなもの。スマホの性能に対してアプリの容量が大きすぎて、逆に動きが悪くなりますよね。「身の丈(1階の土台)」に合わない「頭(2階)」でっかちの脳トレはそんな感じかなと。なので、やはり大事なことは脳の育ちのバランスなんだろうと思います。
 
だから社会的養護に来る理由はさまざまですが、0歳〜2歳の間にネグレクトであった子は、脳のネットワークが爆発的に増える時期に刺激不足にあるわけですから、後々に本人や周囲を悩ませる「自己コントロールの問題への影響は本当に大きい。
 
社会的養護で代理養育を担う施設現場の方々は、たくさんの子どもを見る中でこのことを日々実感していると思いますが、委託率を増やせ増やせと言われている里親の多くは一般的な順調な子育てイメージを持っていて、子育ての比較対象が地域に住む一般家庭の子ども達になってしまいますから、子育て上手くいかないのは自分たちの対応が悪いからだと思い込みやすい。
 
実は、胎児期から0歳〜1歳のあいだ育っていて欲しい脳の部分が十分に育っていないがための影響の可能性が多分にあるにもかかわらずです。育てる側は残っている発達課題の「育てなおし」の視点をどこまで受け入れられるかですし、お願いする側はきちんと説明できるほど子どもの状態をアセスメントできるか。
 
何より一番は社会的養護を必要としないで家庭で子育て出来ることがいいわけですから、子どもへの早期支援、そして乳幼児期に子どもを育てる養育者への支援が大切。それは産まれてからだけでなく胎児期からの母胎内での育てを含むので、産前産後ケア、産前のパパママ教育、もっと言うとパパママになる前の教育もそう。「そもそも人ってこう育つんだ」の共通理解は、中高生くらいでやって全然いいと個人的には思います。テレビやスマホの脳の影響なんて、全然考えていないと思いますし。
 
この時代、テレビやスマホ抜きには生活できませんが、どうしたって視覚や聴覚に刺激が偏ることをソレを使い与える大人側は承知しておかないといけないですよね。
 
本書では「子どもの"ボンヤリ時間"をキープ」と説明がありますが、暇そうだからとTVをつけると、頭の中で空想したり思考をつなげたり前頭葉(創造性・こころの脳)を活性化する時間を奪うことになることが書かれています。
 
大人の世界の「効率第一・コスト削減」世知辛い時代流れですが、大人になったら困るだろうと時期尚早にアレコレ忙しく詰め込むのは、かえって脳育的には逆効果ということです。
 
だから、子どもにとって「暇な時間、ボーッとする時間」ってとても意味があることだし、それを奪ってしまうと自分で何も考えない、想像力が乏しい、好きなこともやりたい事もわからない人間に育っていくんだろうな、と思います。
 
対人援助の専門家として以上に、いち父親として、とても勉強になる一冊でした。
 
ではでは。

【第81回】LSW実施前の「ダビスタ風」アセスメント

メンバーの皆さま

こんにちは。管理人です。

気づけば、もうGW直前ですが、皆さまの新年度スタートはいかがでしょうか?

僕は、年度当初のバタバタ具合から、ようやく徐々に日常業務のペースに戻ってきたかなぁ、というところです。

そんなこんなで、コラム更新も滞っていたわけですが、忙しくて書けない間にも[書きたいネタ]はどんどん増え続けるので、次のコラムで何を書くのか正直迷っていまして…。

色々迷った結論としては、年度始めですし、今後のコラムの目次・総論的(になるといいなぁ)な内容を今回は書くことにしました。

それは「LSW実施前のアセスメント」について。

前回コラムでは、幼児期の語りの中で「感情を扱える」のが治療的だし理想形はあるけれど、

〜今回は記憶イメージと感情体験の変化を主に扱ったが、語りの重要な要素であるストーリー性やまとまりという観点からの分析も、今後検討されるべきであろう。
 
〜今回の結果はあくまで一般大学生で行ったものであって、そのまま臨床群を理解する手だてとして用いるのは危険である。 しかし、幼児期記憶の危険な側面も十分踏まえつつ 、今まで肯定的に扱われることの少なかった幼児期記憶を、その人の生き方を支える方向で臨床に活かす何らかの手がかりを探っていくことへとつなげていきたい 。

と、2005年にすでにLSWの大切さと難しさが指摘されているのですが、「で、危険な側面って何を踏まえたらいいの?」という所はいまだに未整理でみんな苦労している所ではないか、ということを綴りました。

で、前回コラムで、管理人的な臨床感覚での「LSW実施アセスメントpoint(情報収集と査定)」を木の絵のイメージにのせて簡単に紹介したのですが、今回はそれについて、もう少し詳しく。

それがコチラの5点。ちょっとキレイに描き直してみました。

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要約すると、「子どもの状態」についてのアセスメント。何がその子の感情体験の語りを難しくしているか、生い立ちと現状から考える、ということ。

例えば「気持ちの言語化が難しい子ども」がいたとして、感情を感じたり言語化する力がそもそも育っていないのかそれとも感情を語れる力が育っているけど一時的に持っている力を発揮できない「状態」や「環境下」にあるだけなのか当然その違いによって、全然フォローの仕方が異なりますよね。

もっと言うと、LSWで一番心配するのが実施後に荒れないかということだと思うのですが、ソレが何から来そうなのか予測や仮説がいくつ想定されるか。

例えば、蓋をしていた侵入的なトラウマ体験を想起することで「安全感」が損なわれてしまいそうなのか、過去の喪失やネグレクトに対する「怒り」の感情がフツフツと沸いてきそうなのか、それとも現在の状況(家族交流が無いとか)に対する不満・寂しさ・イライラと言ったフラストレーションを自分だけでは抱えきれなそうなのか。

それを予想するには、まずその子の生育歴をなるべく丁寧に追える情報を集める。そして、現在の子どもの状態・特徴・価値観から、その子が生い立ちの中でどんな体験を、どのような受け取りで積み重ねて、現在まで育ってきたのかを想像してみる。

つまり[客観的な情報]と[現在の子どもの状態・特性]と現時点で語りうる[主観的な情報]を集める。そして、それらの「点」在する情報の隙間をつなぐ[体験・想い]を、本人が語りきれない「線・面・立体」的につながるストーリーを、まず支援者が想像してみる。

そして、あたかも本人になりきって追体験するように主観的なストーリーを想像してみる「手がかり」として僕が重要視しているのが、上の5つのpoint

・アタッチメント
・忠誠葛藤(家族関係、人間関係)
・喪失体験
・トラウマ

です。物事をまとめる時には「3つまで」が原則なのですが、現時点での僕の力では「5つ」に絞るのが限界でした。

ちなみに、これまでのコラムでは主に扱ってきたのは[喪失体験][アタッチメント]についてですが、気持ちの自由な表現を阻害する[忠誠葛藤]にはこれまで触れてこなかったですし、感情コントロールや感情抑圧を扱うには、やはり[発達障害][トラウマ]は外せない。

一つ一つのトピックについては、今後のコラムで少しずつ扱っていきたいと思います。しかし、冒頭に触れたように5点に絞ったのは「子どもの状態」についてのみですが、LSWで気をつけるのはそれだけではないですよね。

個人的な印象としては、これまでコラムは「子ども自身」のことよりも、子どもを支える【支援者】や【チーム】のあり方・心構えという内容が結構多かったかな、と思います。これも外せない大事な要素の一つ。

話題を広げて申し訳ないですが、「個人内/担当者内/組織内」の抱える中身と器のバランスや関係性について

[扱う話題]×[子どもの抱える力・準備性]
[子どもの状態]×[担当者の準備性]
[子ども・担当者の関係性]×[組織の支援体制]

と言った重層的な掛け算のアセスメントをして、
「=LSWが実施可能かどうか」を判断している、
というのが実際のところかと思います。簡単に言うと、子ども・支援者・組織それぞれのアセスメントが必要ということです。

ちなみに今回は、その全体的で感覚的な判断プロセスを、表題の「ダビスタ風」に例えて言語化することを試みてみます。ちょっとした遊び心ですが、競馬に興味がない方には、かえって分かりにくい説明になったらスミマセン。


ダビスタとは =「ダービースタリオン🏇」のこと。ご存知の方も多いと思いますが、1991年にファミコン版が発売されて以来、25年以上経った今でもシリーズ新作がリリースされる超有名な競馬シュミレーションゲームです。

僕も中学生の頃、スーパーファミコン版「ダビスタ3」にかなりハマり込んでいました。その頃は、三冠馬ナリタブライアンが現役で走っていたり、サンデーサイレンス産駒が日本競馬界を席巻していた時期でダビスタや競馬界が随分盛り上がっていたなぁ、と携帯アプリ版のダビスタが出てきた時は懐かしい気持ちになりました。

PS版とかアプリ版とかやってみましたけど、やっぱりスーパーファミコン的な昔ながらのの画面が僕は好きで、3DSで出てる「ダビスタゴールド」 はそんなオジサン層に合わせてくれた感じになってるんですね。

ちなみに、こんな感じです。

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で、こんな競馬の予想表がLSWにどう例えられるかと言うと、まず予想印。先程の5つの点を、

ア=アタッチメント
忠=忠誠葛藤(人間関係)
喪=喪失体験
ト=トラウマ

として、その健康度や資質やストレングス(強み)を予想印で表すイメージ。大事なことは減点法ではく、加点法で「健康的な部分」があれば良い印をつけていく感じです。

で、出走レースが「LSWの場」だと思ってください。生活場面でも面接セッションでも構いません。単なる例えなので。しいて言えば、レースグレード(新馬→条件→オープン→GⅢ→GⅡ→GⅠ)が上がるほど取り扱う話題の内容がグレードアップして重くなるイメージでしょうか。


例えば、圧倒的1番人気の【10】オルフェーブル

ア発忠喪ト
◎◎◎◎◎

[アタッチメント]は獲得できている、[発達障害]はない、生い立ち上の[忠誠葛藤]もない、[喪失体験]もない、[トラウマ]もない。そんな人はLSWなんて必要なく、普通に過去を感情をともなって語れるでしょ、GⅡくらいの話題なら余裕ですかね、という感じ。


2番人気は微妙ですが、【6カレンミロティック

ア発忠喪ト
▲▲

[アタッチメント]や[忠誠葛藤]はまぁ普通にOK、[発達障害]そこそこ、[喪失体験][トラウマ]もそこそこ。わりと社会的養護の子どもで、比較的安定していてLSW実施の検討にあがりやすいタイプかもしれません。[トラウマ]の内容が気掛かりですけど。


そして、おそらく2番人気を分け合っているのは、

ア発忠喪ト
  ◯◯

発達障害]はなく、[喪失体験][トラウマ]の影響も少ない。[アタッチメント]形成はやや。◯が多いので大丈夫そうに見えるですけど、実は[忠誠葛藤]を物凄く抱えている。ずっと同じ家庭で暮らして大きな喪失や被害体験はないけど、実の親子関係が在宅でうまくいっていないケースがこんなイメージですかね。家族内で味方になっていただろう▲の資源を活用しながら、現在の家族関係を調整していく感じでしょうか。


人気が落ちてくると、【9】トウカイパラダイス

ア発忠喪ト
△△

だいぶ使える資質が限られてきましたね。[アタッチメント]そこそこで、[発達障害]もややアリ。誰かに可愛がられたり守られたりした経験はありそうだけど、[トラウマ][喪失体験][忠誠葛藤]の影響やダメージが全然ある。穴馬というか、勝算は少なそうな買うには勇気がいる、GⅡ挑戦はちょっと早いかも?という感じ。この内容のLSW実施以前に、まずは現在の忠誠葛藤はないのか、トラウマ症状を服薬で緩和できないか、そんなアプローチかな、と。


最後は、【3ヒットザターゲット

ア発忠喪ト
△△

う〜ん、苦しいですね。[発達障害][トラウマ]はそこそこ。そして[アタッチメント][忠誠葛藤][喪失体験]の問題が大アリ。イメージ的には、生活場所や養育者が転々として、措置変更も繰り返しているようなケースがこんなイメージですかね。アプローチとしては、まずは現在の養育者との信頼関係、アタッチメント修復に全力を注ぐことから、みたいな感じになろかと思います。

こんな具合に、予想印があるほど個人のストレングスや資質が増えていき、実施後も良い経過イメージが湧いてきます。


そして、ここからは養育環境の話しです。競馬の予想印は「ポテンシャル+トレーニング+コンディション」によって左右されるわけですが、競走馬は牧場で産まれて、デビュー前に特定の調教師がいる厩舎に預けるんですね。

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厩舎ごとに特徴があって、例えば、仕上げが早く若いうちからビシビシ鍛えてレースに出走させながら育てる厩舎もあれば、じっくり育てながら大事にレースに使うタイプの厩舎もある。また短距離馬育てるのが得意、長距離馬を育てるのが得意といった違いもある。

もちろん、脚元の疲労を考えながら、鍛える育てることとレース間のコンディション調整を、その時の馬の様子を見極めて怪我をしないように同時並行してメニューを組み立てていく。それは調教師だけじゃなくて、実際に馬に乗ってトレーニングをつける調教助手や日常のお世話をする厩務員と話し合いながら進めるチームプレーです。

なのでデビュー前に、その馬の資質(血統)や特性に合わせて、どの厩舎に預けるかというは相性があって結構大事な作業になるわけですが、これは社会的養護が必要な子どもをどの施設どの里親に預けるかの作業と似ていると思うんです。やっぱり子どもと養育者(里親・施設)それぞれに特徴やクセはあるので、お互いうまくハマるかの相性ってありますから。

そして、競走馬は疲労が溜まったら「生まれ故郷」である牧場に放牧します。

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そして英気を養ってから、また厩舎に戻ってくるわけですが、これがホッとできるアタッチメント対象のイメージ。本来、慣れ親しんだ地元があって、家族の中でこのような存在がいてエネルギーを養えるのが理想ですが、生活場所を転々としていてLSWを検討するような子どもは身近な家族でこのようなアタッチメント対象がいないことも多いので、そこから作りあげていく支援となる。

なので、支援の順番は、予想印の左から右に向かうイメージ、

ア発忠喪ト
→→→→→

最初の図で言うと、こんなイメージ。

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まずはポジティブ体験を増やす作業。安心できる[11の関係を作り、発達特性に合わせた対応や環境調整で[集団]で褒められる体験を増やし、肯定的な対人関係や成功体験を広げていく。その対人関係のやりとりの中で、感情を豊かに表現したり調節する力が育っていく。

そして、環境への安心感や自己肯定感が高まってきた段階に応じて、徐々にネガティブ体験の緩和に手をつけていく。それは、過去の[忠誠葛藤][喪失体験]で抱え込んでいた「未完の感情」「心のシコリ」の解放を試みたり、過去の[トラウマ]の「身体感覚」「恐怖反応」解放を試みる作業です。

この順番イメージはLSWに限らないんですけど、下の図のように、「バイオ・サイコ・ソーシャル」の視点で、

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脳の進化・心理社会的な発達・欲求階層を並べて比べて見ても、原則的な順番は「感覚→感情→理性(認知)」で[1対1]→[集団]というのは共通していると思うんです。

なので、ポジティブ体験の積み重ねは生理的・感覚的な根っこの部分から上の方に向かって、
→感覚(アタッチメント・オキシトシン
→→感情(褒められる体験、自己肯定感)
→→→理性(認知的に「これでいい」自信を強化)

の順番で扱い、逆にネガティブ体験は慎重に枝葉から徐々に根っこに近づいていく感じで
→理性(心理教育。「心身反応」の頭での理解)
→→感情(悲しい・寂しい、危険でない気持ち)
→→→感覚(痛い・怖い、恐怖体験、身体反応)

こんなイメージ。そして、疲れたりしんどくなったらアタッチメント対象(ホッとできる人や場所)に戻って英気を養う。これは全然新しい内容ではなくて、普段、現場で何気なく支援の中で行われ語られている内容を[理性・感情・感覚]で整理しただけです。

そして、予想印が豊富なほど引っかかりが少なく、この支援プロセスがスムーズだったり手のかかる部分が少なくなるイメージ。順番に完璧◎にならないと次に進まないわけではなくて、大事なことはバランスを整えること。例えば、まずは少なくとも全てに△が付くようにするとか、△→◯にするとか。原因追及・原因除去ではなくて、使える資源・資質を増やしてキャパシティ・抱える器を広げていくイメージ。

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このようにアセスメントpoint(点)をつないで、資質を色が付いた「面」や「立体」で捉える感じでしょうか。

どうしても現れが激しい子だと「生育歴に問題がある/ない」の二者択一で評価してしまいがちですけど、生育歴に問題なかったら社会的養護にまで来ていないでしょ(苦笑)と。大事なことは、ハッキリとした境目がないグラデーションや濃淡の程度をどう評価(アセスメント)するのか。

僕は心理職なので、面接・観察・周辺情報と心理検査でそれらを査定するのが仕事だと思っていますが、当然、心理検査や面接といった[非日常場面]で見せる顔、生活の場や学校などの集団の場たいった[日常場面]で見せる顔は違うのは当たり前で、どの情報もその子の全体像を表すパズルピースの一部ですから、自分が直接見て聞いて収集できる以外の情報とのバランスを大切にしているつもりです。

そして競走馬もそうですが、関われる時間と年齢に限りがありますから、限られた時間内でポテンシャルをいかに引き出して、レースの勝率をいかに高めることができるか。しかも競馬は5着までは賞金が出ますから、勝つか負けるかの二者択一ではなくて、結果も段階的に異なり少しでも着順をあげることに意味がある点も、人生的な例えとして面白いなと思います。


そして、最後にLSW実施について。競馬の本番のレースは、当たり前ですが予想通りの結果になるとは限らなくて、そこに大きく影響してくるなのが騎手の存在。一般的には「馬7:騎手3」なんて言われますけど、騎手の大事な役割はレース展開をリアルタイムで判断し、人馬一体となって息を合わせて馬のポテンシャルを最大限に引き出せるか。

デビュー当時から同じ騎手に乗ってもらって特徴を把握してながら信頼関係を深めていくことが理想ですが、もちろん騎手には腕の差がありますので、大事なレースには腕のいい外国人ジョッキーに任せたり、でも人気騎手は依頼も多いので乗り代わりになる可能性もあるわけです。また、この騎手は牝馬に強い、この競馬場ならこの騎手なんて得意分野もあったり、いい意味で騎手の乗り替わりが、その馬の別の一面が引き出すきっかけになったり。

そんな騎手のように、その場の流れを読んで対応したり、その子のポテンシャル(気持ちの言語化)を引き出せるかどうか、どれだけ安心して語れる場を作れるかどうかの手綱引きは、まさにLSW実施の場にいる担当者やファシリテーターの役割と重なるなぁ、と思います。騎手の乗り替わりの話は、施設や児相の担当者が変わることのメリット・デメリットとも似てますし。


そんな感じで僕がただダビスタ好きだからかもしれませんが、[デビュー前の入厩→トレーニング→レース出走→レース後の調整→次のレース]というプロセスと、一頭の競走馬に関わる人たちや想いは、社会的養護の集団養育やチームアプローチはとても重なるイメージを持っています。まぁ、子育ても馬育ても「育て」は共通なので。

今回の話しは、
・アタッチメント
・忠誠葛藤(家族関係、人間関係)
・喪失体験
・トラウマ

って、そもそも何?という方には、分かりにくかったかもしれませんが、これまでのコラムでも触れてきた部分も多いですし、インターネットでもたくさん説明がありますので参照ください。

また別コラムで掘り下げていこうと思います。

ではでは。

【第80回】タイプ別「幼児期記憶の語りと再構成」

メンバーの皆さま
 
おはようございます。管理人です。
 
今日は、担当児童の入学式に出るため「スーツ&ネクタイ」で出勤しています。
 
いつも「ノーネクタイ・ノージャケット」でいることが多いので、カチッとした格好をすると、改めて「新たなスタートだな」と身も心も引き締まるような気持ちになります。
 
そんな初心の大切さ、今やっていることの大事さを改めて振り返させてくれた論文を今回は紹介します。

 

 

幼児期記憶を再構成する語りの一分析例 

ー記憶イメージと感情体験を探る一

(林 2005)
 
この研究の目的を要約すると、
・これまで自伝的記憶の一部とされてきた「幼児期記憶」に焦点を当て、「自分の特殊と思われる体験を話すことで長い間抱えていた不安が軽減する」等の先行研究を踏まえ、静的な記憶の想起にとどまらず、動的な語りによる再構成の視点も取り入れ、青年にとっての幼児期の持つ意味を考察する。
 
というもの。表現こそ違うものの、まさにLSWの臨床で行なっている事"そのもの"なんですよ。また内容や考察も「まさにLSW」という感じで、非常に参考になる点が多いですので、『考察』にコメントを挟みながらを紹介したいと思います。興味ある方は是非原文も参照下さい。
 
では、さっそく。

 

 

考察1)幼児期記憶の語り分析から

〜研究では、幼児期記憶について語ることで生じる再構成の視点を取り入れた。 そして語りの特徴から3群に分けてその様相を比較検討した。 
 
3群とは、
①知的理解群、②感情表現群、③象徴化表現群この分類は質問紙調査(131名)→インタビュー調査(13名:全て女性)を元に、下図のような分類をしたということです。

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なるほど。確かに、過去の記憶を「客観的に・知的に語れることと、「主観的な体験・感情を表現した語りができるかどうか、またその気持ちを具体的かつ整理を持って想起する感情に巻き込まれずに語れるかどうかによって、語りの"質"はかなり異なりますよね。
 
それは、あいまい喪失で触れた「未完の感情」が扱えているかどうかにも大きく関わってくる話かなと思いますがこういったフローチャートによる視覚化や分類はとてもわかりやすく、語り手の状態像がよく整理されますよね。
 
ちなみに、この3分類は、
■記憶想起のパターン4類型 (林,2004)
①知的な理解の優位な群
ー感情表現も見られるが、知的な理解が先行し、認識の改めや理解したことが語られる
②直接的な感情表現群
ー感情語を用いてストレートに表現する 
③感情の言語化が困難な群
ー何らかの感情を体験していると思われるが,言語での表現が伴わない
④記憶想起の困難な群 
ー記憶の正確さにこだわる、記憶のなさについて語る
 
などの先行研究を参考にしたという事ですが、この研究調査では④に該当する人がいなかったため分類から除外した、ということなんです。
 
興味深いですね。おそらく社会的養護でLSWを検討する児童は結構④がいると思うんですが、一般大学生を対象にした本研究では記憶のなさについて語る④はいないと。
 
これこそ措置変更を重ねたり生活環境を転々する社会的養護の子と一般家庭の子との根本的な状態の違いを表していると思います。そして、以下の研究内容は、社会的養護の児童に対して過去を語れるように[情報整理][施設訪問]などのLSW的サポートをした後の話しになろうかと思います。
 
 
 
〜その結果、感情表現群が知的理解群・象徴化表現群と比較して、より自身の感情に根ざした体験が語られていたように思われる。 また他の群よりも、今後も続いていく人生の一時期として、時間的な展望の元に自己の体験を位置づけることも可能であった。
 
まぁ、そういうことで、この辺はLSW臨床の感覚と一致します。最終的にそうなることが理想的に思い描く子どもの姿なんですが、社会的養護でLSWを検討する児童は、とにかく記憶もないし、感情表現や感情コントロールも苦手だしみたいな、何段階か前の状態であることが実際は多いですよね。
 
それは、愛着・トラウマ・グリーフ・発達凸凹・家族関係のなかの忠誠葛藤(三角関係)などの影響が混在しているケースが多いのかな、という感じが僕の臨床感覚としてはあります。
 
さらに、
〜知的理解群は、記憶の鮮明さや映像の面では記憶の質が最も良いようにも思えるが、語りの質と必ずしも一致しているとは言えないのは興味深い点である。 感情を伴った衝撃的な出来事、個人的な意味を持つ出来事ほど正確に鮮明に記憶される (大矢,1999)のであれば,知的理解群の想起した記憶はかなりの正確度・鮮明度を維持しており、個人にとっても何らかの感情を喚起される、本人にとっての意味深いものであろう。 さらに、この群のみ幼い自分の視点から見た風景が報告されたことからも,あたかも「今ここで」の出来事のように体験されている可能性がある。したがって、知的な理解は,生々しい記憶に巻き込まれずに距離を置くための方策と言えるかもしれない。 
 
 
まぁ、そういうことなんだと思います。知的水準がある程度高い子は、トラウマ体験による恐怖の身体感覚」、グリーフの「未完の感情」そして複雑な家族関係の中で起こる「忠誠葛藤」を認知的に距離を置いて防衛できちゃうんですよね。
 
でも、それは地雷(未完の感情)と距離を置いてとりあえず放置したに過ぎない。地雷撤去出来ないから、結局、危険地帯に踏み込んで地雷に当たってしまうと、感情爆発に巻き込まれすぎてコントロール効かなくなる。
 
でも、知的に高くなかったり発達凸凹である部分の感受性が高すぎる子は、「未完の感情」と上手く距離取れなくて無自覚に危険地帯に踏み込んじゃうから、苦しさや葛藤を感じ過ぎちゃって我慢できず暴れちゃうんだと思います。
 
 
〜あたかも「今ここで」の出来事のように体験されている可能性がある。
 
 
なんて"フラッシュバック"ですものね。ただトラウマのように恐怖を感じるような体験でなければ、とりあえず「現在の安全感」は損なわれないですが、
 
 
〜知的な理解は,生々しい記憶に巻き込まれずに距離を置くための方策と言えるかもしれない。
 
 
という記述は、乖離とまでは言わないまでも「認知ー感情」のつながりが薄いような状態を想像させますよね。
 
そういう意味では、
 
 
〜以上のことを踏まえると、知的洞察よりも情感を伴った情緒的洞察の方が治療的で あるという精神分析の見解 (小此木,2002)と類似した結果が得られたと考えられよう。
 
 
は、記憶と感情が一致して語れているというか、「認知ー感情」のつながり、アクセスが良い状態を想像します。
 
なのでLSWでも過去を大人から一方的に伝えるだけではなくて、その情報を知って「何を感じたのか?」「どんな想いが湧き起こってきたのか?」という現在の感情に加えて、未完の感情も扱える方が確かにより治療的だと感じますし、僕はLSWに限らずソレを意識しています。
 
 
〜さらに、象徴化表現群の擬態語使用が功を奏しないという、従来の比喩研究とは異なる結果となったが、一因として比喩の使用が的確に行われなかった可能性が推測される。一方で、過度の象徴化・抽象化は語り手側の拡散や混乱を招く恐れがあるとも言え、注意を要するかもしれない。この点については今後の研究で明確にしていく必要があると考えられる。
 
この辺りは、トラウマとグリーフの扱いの違い(=身体的な恐怖反応があるかどうか、語りの想起が安全安心の感覚を脅かすかどうか)に関わってくることかなと思います。また別のコラムで詳しく触れていきますね。
 
やはり大事なことは、LSW実施前にその人の状態・心情を把握するための情報収集の正確さとキメ細かさ(=アセスメント)、そしてその情報から「こう支援したらこうなるだろう」という予後を予測する想像力(=見立て)なんだと思います。
 
 
 

考察2)再構成する幼児期

 

〜青年期にある者から想起した幼児の姿としては、自己中心性 、大人びた子ども像 、人見知りす る子どもが特徴であるとの結果を得た。これは、幼児期という時期が、自我が芽生え、第一反抗期と呼ばれる時期を経験するなど、自分への意識が強まる時期であり、自分でできることが重要な意味を持つため、このような幼児像が報告されたと考えられる。 
 
これは言葉変えると「アタッチメント(分離ー個体化)」の話しなのかな、と。全ておんぶに抱っこの時期を過ぎて、1歳児が少しずつ歩けるようになって、いつでもエネルギー補給できる安全基地があって、外への探索に意識が向いて色々経験して、でも不安になったら戻ってきて、なんてことを繰り返してお母さんと自分の区別がついてくるような時期の話しと重なるなぁ、と思います。
 
この春から新生活を送っている学生や新社会人も多いと思いますが、親離れ子離れ・一人暮らしは分かりやすい「分離体験」ですよね。期待と不安が入り混じった"葛藤"を多かれ少なかれ誰もが感じているハズです。
 
しかし、社会的養護に関わる子どもも保護者も「自分が望まない」「仕方なく」「無理やり」の分離体験をたくさん経験している場合が多く、本対象の一般大学生が抱える葛藤とは、その"質や量"が圧倒的に違うということは想像に難くありません。
 
その葛藤する気持ち、自分の中のポジティブ・ネガティブ感情の両方を素直に認めて語れるか。感情表現群は「語り」のプロセスの中でそのような気持ちの整理、まさにストーリーの再構成が進んだということなんだと思います。
 
 
〜また、両親や家庭が記憶物語に登場しないケースや、登場したとしても関与の度合いの低いケースも多く、一見したところ、青年の想起する内容は先行研究で言われているほど肯定的な意味を持ったものとは言えないようにも見受けられる。
 
〜しかし、わがままで怖いもの知らずだった自分、今から考えると恥ずかしくなるような自分の姿を抵抗なく、初対面の調査者に対して口にできるという点は注目すべきである。それは、幼児期にその人がわがままを許され、そのままでいいと受け入れられてきた証拠であろうと推察される。中には、「そんな自分だったけど小さい頃のことだから別にいいと思う」と語ることのできる被験者もいた。なかなか本人の口からは話題に上らないが、その背後には許し、見守り続けてくれた環境の存在が感じられ、本人たちにも意識されていたのではないだろうか。
 
なので、結局のところ、そのような深い語りが他人にできるかどうかは、幼い頃のアタッチメント形成や基本的信頼感の獲得がどうか、ありのままの自分を受け入れられた原体験があるかどうかが大きく影響するということですよね。
 
そして、そのような他者への基本的信頼感が薄い人は、この研究のように初対面の人にここまで自己開示して内省できないわけです。信頼できないし、安心できないので。
 
結局LSWでも違うアプローチでも、われわれ支援者は、生育歴を丁寧に追って原体験をアセスメントし、まずは安心して話せる関係性を構築すること、それが支援やケアの第一歩という事になるということだと思います
 
 
 

考察3)今後の検討課題および臨床場面との接点

 

〜記憶とは現在の気分や心理状態を反映するものであり、過去の記憶も現在の視点から読み解かれるものである (仲,1994)ため、現在にも注目して行う必要があったが、本研究ではその点が十分に考慮されていなかったと思われる。
 
まさにこれは、LSWにおける「現在」の支援の話で、まず今の生活、今の人間関係、今の信頼関係によって想起できる質が変わってくるという話し。前回SFAで扱った話しと重なっていて、現在のポジティブが何にも無ければ、過去のポジティブも思い浮かばないでしょう、ということなんだと思います。
 
 
〜また、今回は記憶イメージと感情体験の変化を主に扱ったが、語りの重要な要素であるストーリー性やまとまりという観点からの分析も、今後検討されるべきであろう。
 
〜今回の結果はあくまで一般大学生で行ったものであって、そのまま臨床群を理解する手だてとして用いるのは危険である。 しかし、幼児期記憶の危険な側面も十分踏まえつつ 、今まで肯定的に扱われることの少なかった幼児期記憶を、その人の生き方を支える方向で臨床に活かす何らかの手がかりを探っていくことへとつなげていきたい 。
 
 
この論文は2005年の13年前のものですから、当時の情報でここまで詳細に分析されているは驚きでもあり、ある意味「やっぱり昔から気づいている人は気づいているし、大事なことって普遍的だよなぁ」と確認できたことに安心もしました。
 
現在ではLSWの認識が広まったことで、幼児期記憶を臨床に活かす認識は随分進んでいるとは思いますが、「危険な側面も十分踏まえつつ」の点については「何を踏まえたらいいんだろう?」とまだまだ手探りでLSWに取り組んでいる方が多いのではないか、と思います。
 
ちなみに、僕は過去の情報や心理検査から、こんな5点にポイントを置いて、LSW実施前の状態をアセスメントしています。

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詳しくは別コラムでじっくり書きますが、簡単にまとめると、
【アタッチメント(愛着)】が対人経験を積むベースになっていて、安心感のある人と関わりの中でどれだけ情緒的なやりとりの重ねてきたかで、自分の感情を出したり納めたり言語化する力の育ち・基礎が違ってくるイメージ。
 
ただし、そんな感情体験を通して情緒的に成長する過程が色んな要因によって妨げられることがあって、例えば【発達障害のような感受性凸凹があると同じ刺激でも人より「痛み」を敏感に感じやすかったり、逆に「感情」が動くほどの刺激をキャッチできなかったり。
 
また【忠誠葛藤】と言って三角関係に挟まれて自分の気持ちを押し殺すようなことが続く環境下にあったり、【喪失体験】の悲嘆(グリーフ)の感情を表出する場や機会が与えられずモヤモヤを抱えたまま放って置かれていたり、【トラウマ】の恐怖体験から心身を守るために感情を麻痺させて対処していたり
 
そんなこんなで、感情を豊かに表現したり、感情のアクセルとブレーキを細かく使い分ける経験値を年齢相応に積めていないから「情緒的に未熟」なままの状態になるイメージ。こころの運動不足、こころの運動神経、こころの怪我・リハビリみたいな感じでしょうか。
 
なので僕は【愛着・発達障害・忠誠葛藤・喪失体験・トラウマ】の生育歴上の掛け算で、現在の状態と今後の支援の優先順位を考えるようにしています。
 
 
そして、最後にはやっぱりコレ。
〜その際に、援助者の側に焦点を当てることも、一つの方法として有効ではないだろうか。臨床場面で出会うのは不幸な記憶を背負ってきた人々であることが多いが、そのような彼らを取り巻く援助者側の幼児期記憶観が、クライエントに何らかの影響を及ぼすであろうことは十分考えうることである。多くの先人による文献や臨床経験でも、こころの糧はその個人の子ども時代と深い関連を持ち、子ども時代に根ざすものと言われている(村瀬,2003)。そこで、広く対人援助に関わる人々の子ども時代、記憶観についての検討も視野に入れておく必要があるだろう。
 
 
鋭い指摘ですよね。苦しい時にその人の本性が現れると言いますが、苦しい時に踏ん張れるかどうかは、これまでの不安な時にどのような支えがあったかの原体験、つまり支援者自身の獲得しているアタッチメントパターンが如実に現れます。
 
これは他人事ではなくて、この論文で扱われている内容は、そっくりそのまま支援者自身に適応できると僕は思っています。
 
支援者自身が自分の幼児期記憶をどのように思い出し、感情を伴う語りとして、葛藤も含めて自覚してこころの整理をつけて語ることができているのかどうか。つまり、自己覚知とセルフケアの重要性です。
 
しかし、原体験の親との関係が悪いとアタッチメントパターンは変われないのかと言えばそうでは無くて、LSWのように信頼できる人に寄り添ってもらった経験とこのような自己物語の再構成によって、幼児期に獲得したアタッチメントパターンも成人期には変化できると言われています。
 
また成人になると愛着の対象は親から別の人(恋人・パートナーなど)に移行するということですから、【第46回】で触れた「オキシトシン・システム」で考えると、オキシトシンが分泌されるような同調行動をしてくれる存在、つまり自分の味方になってくれて「癒し」を与えてくれる存在が今の生活にいれば、支援者自身がストレス負荷を抱えても「現在」の安全基地に戻ってエネルギー補給して、また仕事に戻ればいいわけです。
 
やっぱり相談者の苦しみを一緒に抱えるのは、支援者にとってもシンドイこと。それを「そんなこと思ってはいけない」と否定してしまうのは、感情抑圧や自己否定そのものだと思います。そして、その「苦しい感じ」や「いっぱいいっぱい」のサインは、そんなに隠し切れるものではないし細かい言動の端々に現れてしまうので、実は結構バレていると思った方がいいです。本当に相手の顔色に敏感な相談者は多いですから。
 
だからこそ、支援者も支えてくれる人が必要で、支援者がすでに経験しているそのような支え合い助け合いの「関係性の連鎖」を相談者に体験として伝えていく。そして、いずれ相談者がそんな体験を身近な人に与える側になっていく。そういう「体験のバトン」を渡して広げていく、僕のイメージする対人援助ってそんな感じです。
 
 
〜こころの糧はその個人の子ども時代と深い関連を持ち、子ども時代に根ざすものと言われている(村瀬,2003)。そこで、広く対人援助に関わる人々の子ども時代、記憶観についての検討も視野に入れておく必要があるだろう。
 
本当にそう思います。
 
もちろん支援者にも、それぞれの過去があり、それぞれの今がある。もちろん良い事もあれば悪い事もある。そして、対人援助は生身の人と人とのぶつかり合いになりますから、どうしたって自分の価値観や人生観が現れる。それは否定がしょうもない現実で、隠し切れないことだと思います。
 
だから、そう言った自分の人生経験を、どのように解釈し、自分の資質として上手く利用したり、苦手を意識してコントロールに努めたり、そのような事にLSW実施者は向き合わなくてはいけない。なぜなら、LSWはそのようなことを相手に求めることになるから。
 
LSWに限らず、実際にやったことない人にやったことない事を勧められたり、大丈夫なんて言われても、信じられないし「本当に大丈夫?」ってなりますよね。
 
やっぱり、なんの苦労も経験していない人の言葉より、自分がやってみた失敗や後悔を糧にして上手くいかない葛藤や劣等感も理解しながら、よりよい経験を相手にしてもらうためにサポートしようとしてくれる、そんな人の言葉やアドバイスというのは、やはり重みや渋さが違うなと思います。
 
そして、その軽さや重みの違いは、言葉でなく非言語的な雰囲気で相手に伝わるもの。
 
もしかしたら、LSWにおける支援者の"覚悟"とは、支援者自身が「ありのままの自分」を受け入れて、自身の人生経験を仕事の糧にできるか。
 
そのようなことを言うのかもしれませんね。
 
 
ではでは。
 

【第79回】LSWと「ソリューション・フォーカスト・アプローチ」

こんにちは。管理人です。
 
新年度のスタートです。皆さま、いかがお過ごしでしょうか。
 
平成30年度。平成生まれが30歳ですよ。時の流れは早くて恐ろしいですね。そして平成31年4月30日には、ついに「平成」の時代が終わり2019年5月1日から「新年号」が始まります。
 
つまり今年が「平成」年度の"ラストイヤー"なんです。思えば、この平成30年間のPC・スマホの普及で、暮らし方・働き方はホント様変わりしましたね。
 
昭和世代の人間からすると、今後、AIの進化が著しい時代の変化の"波"にドンドン乗り遅れていくのではないかと、いささか不安になります。
 
新年度最初のコラムは、そんなように不安が募り、ポジティブな将来や明るい未来がなかなか描けない相談者へのアプローチの紹介。
 
 
それは、

『ソリューション・フォーカスト・アプローチ』

 
英語だとSolution Fouced Approach(SFA)。
 
1978年にミルウォーキーに設立されたBFTC(Brief Family Therapy Center)で開発された短期療法(ブリーフセラピー)の一つ。
 
日本語では「解決志向アプローチ」と呼ばれているもので、ご存知の方も多いですよね。
 
Wikipediaの説明を借りると、
「従来の心理療法諸派とは異なり、原因の追究をせず、未来の解決像を構築していく点に特徴があり、結果的に短期間で望ましい変化が得られるとされている」
 
という特徴があって、僕はこのSFAの考え方や質問の仕方は、とてもLSW的で重なる点が多いと思っています。
 
実は以前【第25回】あいまいな喪失とトラウマから回復⑨http://lswshizuoka.hatenadiary.jp/entry/2017/08/16/081320
で紹介されている質問や考え方、
 
〜「問題解決に固執しすぎたりしているなら、人々に、もし違う対処法が可能ならどのようにしたいと思うか、将来どんな風に同じ状況に際して対処できると思うかなどを質問して」
 
まさにコレなんです。SFAというのは。【第25回】からだいぶ時間は経ってしまいましたが、今回はそんなSFAの僕なりの解釈をまとめます。(ちゃんとした話は書籍を参照ください)
 
 
まず「解決志向アプローチ」を辞書的に整理からすると、デジタル大辞泉には、
 
 
【解決】
  1. 問題のある事柄や、ごたごたした事件などを、うまく処理すること。また、かたづくこと。「紛争を解決する」
  2. 疑問のあるところを解きほぐして、納得のいくようにすること。また、納得のいくようになること。「疑問が解決する」
 
【志向】
考えや気持ちがある方向を目指すこと。
 
ちなみに、
・【指向】も志向とほぼ同義で使われるますが、志向の方がより「気持ち(志)が向く」の意。
・【思考】考えること。経験や知識をもとにあれこれと頭を働かせること。
 
 
とあります。なので「解決志向」を噛み砕くと、「問題や疑問がうまく処理されたり納得のいく状態に考えや気持ちが向いて目指すこと」なんて感じでしょうか。
 
当たり前と言えば当たり前のことなんですが、注目すべきは【解決】の説明の中に「原因」という言葉は一つもないこと。
 
そうなんです。問題解決=問題や原因を取り除く的なイメージをどうしても浮かべがちですが【解決】のそもそもの意味自体「原因特定&原因除去」にアプローチを限定していないんです。
 
もちろん原因を特定して取り除くアプローチが有効な場合もあります。例えば品質管理やウィルス疾患など、医学モデルの治療的(cure)な、直線因果で捉えられる現象の場合です。
 
しかし、人生や人間関係における問題はそんなに単純ではありません。児童福祉の分野もそうです。貧困、親子関係、発達障害知的な問題などなど色んな要因が秘伝のタレのように継ぎ足し継ぎ足し家族何代も連鎖して複雑に絡み合って現在の形に至っているケースが多いですよね。
 
じゃあ、原因が特定せずに何をサポートするのか?
 
それは【第18回】「cure」と「care」の違いhttp://lswshizuoka.hatenadiary.jp/entry/2017/07/25/200117
で触れたcare[ケア]の部分かと思います。人生や生活全体を見て、出来るケアを考えるわけです。
 
じゃあ何が必要という話しですが、SFAの基本姿勢は、相談者こそが自分の解決の方法を知っているハズ、カウンセラーは知らない方法を教えてもらう not knowing(知らない)の姿勢です。
 
なので僕の中でケアやSFAに共通するイメージは、相談者の自分自身をケアする力を引き出す(エンパワメント)する感じです。
 
 
例えば、頭の中が「問題」でいっぱいの相談者がいるとします。
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だけど、それまで何とか人生やってきたわけですから、人生の中で「マシな時期」「そこまで悩まない時期」もあるハズなんです。
 
しかし、「いま」に余裕がなくなると…。

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ですよね。問題が無い状態は「当たりまえ」。アノ問題コノ問題さえなければ「上手くいく」のにと、自分を苦しめている"原因"や"問題"を取り除くことで頭がいっぱいです。
 
僕はこれまで相談の中で幾度となく、
「この子が私を苦しめる」「この子さなければ」
という台詞を聞いてきました。
 
よく親なんだから「もっとこうして」「我慢して」なんて更なる苦行を強いるような支援者の言葉を耳にする事があるのですが、これは目の前の相談者の気持ちに寄り添えて無いと思うんです。
 
だって、子育てシンドイですもん。身体は疲弊しきって、自分の時間もロクに取れやしない。家族からは協力どころか「ちゃんと躾けろ」と責められたり、おまけに学校や地域から「あなたのお子さんは◯◯で困るんですよ。どういう教育してるんですか⁉︎」なんて責められたら、もうやってられない、やってられない、「てられな」(引用:ブラマヨ吉田)って感じになりますよね。言うまでもなく、まず必要なのは、その人自身が余裕を持てるようにケアされることだとおもいます。
 
そして、そんな余裕のない状態で「今後どうしていきたいですか?」なんて聞かれても、

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そりゃ、明るい未来なんて想像できないし、この先だって上手くいきっこないと思いますよね。とりあえず「ラク」になれれば、それでいいと思うのは当然です。
 
なので、まずは大変な話しを共感的に聞いて、「この人なら話してみよう」と思う安心感を持ってもらう事がまず支援・ケアの第一歩かなと。
 
そして、そう言った「いま」の安心やポジティブな感覚がある中であれば、「過去」の安心やポジティブにもアクセス想起しやすくしやすくなります。
 
例えば、いま相談に来られるくらいの生活は送れているわけですから、1日の中で「少しマシな時間」や「誰かの支え」がきっとあるハズ。
 
そして、意識からは逸れているけど、もっと長いスパンで見たら「よく分からないが上手くいった時期」「良くも悪くもない時間」もあるハズ。
 
そんな「例外さがし」を相手ペースに合わせながら少しずつ繰り返して、影の部分に少しずつスポットライトを当てて行く作業をしていきます。

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もちろん「でも…」「そうは言っても…」とネガティヴトークに戻ることは多々ありますが、そんな苦しい気持ちにまず寄り添って「いま」の安心感の中で、少しずつ「過去」の安心を掘り起こしていく。
 
別に初めからポジティブトークにならなくていいんです。「なんでもない」「どうでもいい」トークで、とりあえず頭の中の「問題志向」「問題への意識」が薄れていけばいい。
 
視野を広く、頭の中の柔軟性を高めるイメージ。「問題問題問題」で凝り固まった志向や思考をストレッチして徐々にほぐしていく感じ。
 
そして【志向】が「過去ー現在ー未来」の横軸と「プラス・マイナス」の縦軸を動く自由度が高まっていくと、だんだん連想が広がって「あ、そう言えば」と芋づる式にエピソードが出てきます。
 
そうやって「現在」も「過去」のポジティブな事もあればネガティヴな事も受け入れて、「人生山あり谷あり」だから「未来」だって大変で辛いこともあるけど良いことや楽しいことだってあるはず、とバランスを取れた将来を展望できるようになると思うんですよね
 
こんな感じで、その人の人生に対する「プラス・マイナス」「過去ー現在ー未来」のマッピングのバランスを整えていく、そんな支援やLSWのイメージを僕は持っています。
 
当然、相談はじめに持っている【志向】のバランスや傾向は人それぞれで、そのタイプは、
『【第19回】ジンバルド時間志向テスト』
でも扱っていますので参考にしてください。
 
そして、そのバランスを整えたり[過去ー現在ー未来][ポジティブ・ネガティヴ]それぞれをつなぐには、まず未開の部分に意識を向けられることから始めないといけない。
 
それは今までの慣れたモノの見方から、少し慣れない方法で物事を見る作業をすることになるので、考え方の「柔軟性」が必要になってきます。
 
そのプロセスを最近ニュースが多い野球で例えると、いきなりポジティブな未来を想像させるのは、いきなり[遠投]したり[速球]を求めるようなもの。投げようとしても上手く動かないし肩を壊してしまいます。
 
なので、ウォーミングアップのジョギングやストレッチをして身体全体を温めて可動域も広げて、ボール握った感触確かめて、軽いキャッチボールのやりとりから初めて、ちょっとずつ投げる距離やスピードを伸ばしていきますよね。
 
凝り固まった「思考」「志向」にも、そんな柔軟性を段階的高めるアプローチは必要だと思うんです。
 
ただし、発達障害みたいに認知や感覚に偏りがあると、そもそもの柔軟性が低いのでそれは特徴に合わせたストレッチが必要。
 
そしてトラウマ症状が出ている人は、炎症を起こしているので、まずは炎症を押さえることが必要。また炎症が治まっていても「古傷」がある状態ですから、固定して痛くないからOKではなくて再発予防のために可動域や柔軟性をある程度取り戻すリハビリはしておたい。
 
また喪失体験が放置されている人は「未完の感情」が凝り固まっているので、動かす前に温めたりマッサージしたり徐々にほぐしていくことが必要。
 
という感じで、それぞれの状態によって【志向】や【思考】をほぐす方法や段階は違ってくるだろうと思います。
 
また「人生、山あり谷あり」といっても、児童福祉に関わる親も子も過酷な生い立ちを辿っている場合は珍しくありませんから、

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確かに似たような[悩み]を抱えていても、使える資源や過去のプラス体験の量に"個人差"があるのは否定しようの無い現実だと思います。
 
さらにLSWを検討する子どもというのは、生活場所や身近な人の変遷が多すぎて、そもそも過去を想起する手がかりが乏しいがゆえに、自分の人生そのものがイメージできない状態と思います。
 
もちろん家庭で暮らせない原因・理由だけを辿っていけばネガティヴな情報で溢れていくとは思います。しかし、生い立ちを丁寧に追っていけば、その子にとっての大切な人の存在や、その子に関わってきた大人たちの「主観的な想い」は必ずあると思います。たとえ思い出せなくても、その人がアクセスできる意識や記憶にない「例外」の情報はきっとあるはず。
 
そんな情報収集からLSWは始まりますが、その情報収集そのものが「その子」を深く理解するプロセスになります。
 
で、収集した情報をどんな範囲や順番で本人と扱っていくかというアプローチのイメージは、SFAと似ていると思います。
 
それは、SFAの「原因の追究をせず、未来の解決像を構築していく」基本的な考え方が、
LSW後の支援者が期待する子どものイメージ
将来に向かって前向きになれること
と重っていると思うから。
 
よくLSWについて、こんな質問を受けます。
「どんな情報を集めたら良いですか?」
「どこから整理をしたらいいんですか?」
「親の事をどう伝えたらいいんですか?」
 
その時の僕の応答はだいたい同じ気がします。
「本人は何を知りたいと思っているの?」
「知ることで子どもにどうなって欲しいの?」
 
そして、子どもの想い・大人の想い、それぞれを確認して大切にしながら、あとは本人と何をどこまでどう扱っていくのか相談して決めたらいいんじゃないの?、と。
 
でも、これはLSWに限らない相談援助の全般に言えることだと思うんです。相手の状態やニーズに合わせて、それこそ答えは相談者こそが知っている、支援者の姿勢はnot knowingが基本だと思うんですよね。
 
なので、まずは相談者が落ち着いて話せること、さらには表現された気持ち感覚をそのまま受け止めてもらえる安心感が重要で、それが信頼関係や関係性構築ということにつながるんだと思います
 
他人から気持ちや存在を大切にされて、自分の気持ちや存在を大切する感覚を体感して掴んで、それから少しずつ自分で自分自身を認める大切するセルフケアができるようになっていく。
 
そして、そういう自分自身の感覚や気持ちの尊重があって、ようやく他人の感覚や気持ち尊重できるようになっていく。
 
虐待の世代間連鎖、支配ー被支配と言った悪い意味で「関係性の連鎖」はよく扱われますが、その連鎖は悪い環境から一刀両断で切り離せば解決ではなくて、断ち切られた痛みも癒されながら、少しずつオセロの黒を白に変えていくように地道に「良い関係性」を積み重ねて全体の割合バランスを変えていく支援が必要と思います。
 
その良い関係性とは、自分の気持ちも相手の気持ちも大切にする「協働」の姿勢、これが関係構築だと思います。
 
なので「親だから」「お兄ちゃんだから」「支援者だから」何でも受け入れなさい我慢しなさいという関係は、無理や不満が積もるので、結局は長い目で見ると安心で安定的な関係にならないと僕は思います。
 
なので、支援者もセルフケアが必要だし、安全や安心感を守るための限界「枠」の設定も必要。支援者ひとりで相談者の人生を抱えることは出来ませんから、多職種で多機関で手を取り合って、協働でその人を支える体制を作る。
 
そんな家族関係や機関連携の話も、家族・チーム全体の「バランス取り」で考えることができます。
 
LSWが「特定のプログラム」でない理由は、その支援や目指す姿が「バランスを取る」ということであることで説明がつくかな、と思っています。
 
元々のバランスが違えば、支援やアプローチの仕方も当然異なるから。
 
そういったアプローチや考え方のヒントになりそうなトピックを、今年度も引き続き紹介していきたいと思っています。
 
 
でも、どんな支援でも共通することは、
 
「答えのないことだから、一緒に考える姿勢」
「落ち着いて・安心して・協働して」
 
このような体験の連鎖を提供する関わりなんだろうな、と思っています。
 
この「まごのてblog」がそんなLSWについて考えるプロセスの手助けになれば幸いです。
 
ということで、今年度もお付き合いよろしくお願いします。
 
ではでは。

【第78回】「育成の可視化」で見えた"日本的"組織の課題

メンバーの皆さま
 
こんにちは。管理人です。
 
いよいよ今年6月に行われるサッカーW杯ロシア大会まであと3ヶ月を切りました。
 
親善試合のマリ戦、ウクライナ戦は散々でしたね。あの内容なら不安を煽るニュースが多いのは当然ですが、一部ではハリルホジッチが本戦に向けて手の内を隠しているのでは、という説も出ています。
 
「敵を欺くには、まず味方から」と言いますが、監督の意図は選手にも隠されている?ようで。「戦術の浸透が…」「連携構築が…」と言う声もありますが、歴史をたどればメンバー固定して連携を高めてスカウティングで丸裸にされて玉砕したのがザックJAPANの2014年ブラジルW杯。
 
そのブラジルW杯でアルジェリアを率いて、毎試合メンバーや戦術を変える「カメレオン戦法」でベスト16で優勝国ドイツをギリギリまで追い詰めたのが現日本代表監督ハリルホジッチ
 
確かに、海外クラブに所属する日本人選手は増えましたが、世界トップリーグ目線で見れば中位〜2部チームの「並」の選手の集まり。客観的には決して個人のクオリティーで他国を圧倒できるメンバーが揃っているわけではありません。
 
実力的には出場国ほとんどが日本より格上ですから、まともにやり合っても勝算は低いわけで。もしかしたら水面下で「弱者の兵法」としての戦略が着々と進んでいるのかもしれません。
 
果たして。いったい3ヶ月後にどのような結果と報道になっているのか。
 
まぁ監督目線で考えれば、代表チームはどうしたって練習時間や活動時間が限られますから、クラブのような「戦術や連携を深める」アプローチより、限られた手持ちの「駒」を活かしてどう最大限の成果に繋げるか、といった将棋的・軍師的なアプローチになるのは当然かと思います。
 
実際に、ロシアW杯出場を逃した強豪国イタリアのある代表選手は解任された前べンドゥーラ代表監督について、こんな発言を残しています。
「ベントゥーラが持っていたのは(高度に)戦術的なビジョンだった。クラブチームであればうまくいったとしても、時間が限られた代表チームでは戦術的な概念を(しっかり)落とし込むのが難しい。時折、ボールを持った局面で、(ピッチ上の)全員が混乱した。たしかに組織は重要だが、代表チームでは戦術がすべてではない」(2018年3月19日『ガゼッタ・デッロ・スポルト』電子版より。カッコ内は筆者が補足)【引用】http://number.bunshun.jp/articles/-/830304
 
同じサッカーと言えども、クラブにはクラブの、代表チームには代表チームの持ち時間に合わせたアプローチが必要なようです。そして、代表選手「個」の育成は、その国の育成アカデミーの仕事であって、代表監督の仕事は「その素材をどう活かすか」だと思うんですよね。
 
アイルランドみたいに人口33万人の国なら、市内選抜レベルなので同じメンバーでずっとやってますから連携も抜群なんでしょうけど。
 
今回コラムは、そんな個を育てる「育成システム」に焦点を当てた記事から。
 

村井チェアマンが語る育成の可視化

『フットパス』で見えたJの現在地

https://www.footballista.jp/interview/43046

 
2015年からJリーグで導入されている『フットパス』とは、ベルギーのベンチャー企業が独自に開発した「クラブの育成組織を評価するシステム」このこと。簡単に言うと第三者評価です。
 
いま児童福祉の施設に盛んに入ってきているアレですが、サッカー界の第三者評価『フットパス』システムと日本に対する評価が面白いんです。
 
まず記事で紹介されているのが前回2014年W杯ブラジル大会の優勝国ドイツ。今でこそ現代的なサッカーを展開していますが、過去には「ゲルマン魂」という名の根性や屈強なフィジカルを、武器に戦っていた時代がありました。
 
しかし、2000年EURO(ヨーロッパ選手権で1勝もできずグループステージで敗退。どん底まで落ちた時に始めた育成改革の一つとしてドイツ・ブンデスリーガで広く採用された仕組みが『フットパス』。
 
その仕組みの中で育成された「フットパス申し子」たちが、見事2014年W杯優勝の原動力となったと言う話しです。
 
以下は村井チェアマンのインタビューの一部。
〜「フィジカルで戦うチームというイメージだったドイツが、あの細かいパス回しをやるわけです。私はDFB(ドイツサッカー連盟)がしばらく開示していたユースのサイトを見ていましたが、それが面白いんですよ。U-17ドイツ代表の合宿中、宿舎で普通なら『明日の試合はこうだ』というミーティングをやると思いきや、ですよ。こっちの部屋は数学の授業で先生が関数を教えている。またこっちの部屋では地理の授業をやっている。落ちこぼれの子に向けた補習かと思ったら、そうじゃないんです。自分で観察し、“考える力”が最後には大事になるから、選手たちみんなにそれらを行っている、と。片や我われが何をしていたかというと、シュート練習やフィジカルトレーニング、つまりテクニカルな部分が主軸でした。もちろんそれらも大切なことですが、ワールドカップ優勝国の育成はそれだけではなかった、ということです」
――ドイツでは育成年代から「考える力」がより重要と捉えているんですね。
「考える力、自分で判断する力、ゲームのオーナーシップを持つ力は、前提として絶対必要なものなんです。『フットパス』の指標でもそこは大きく求められるし、ドイツは以前からそれをやっている。『フットパス』の評価で欧州が『100』とすれば我われはまだ『40』くらいという自分たちの現在地をつかんだので、ようやくそこに着手し始めたところです。育成の課題にいち早く気づいた勘のいいJクラブは、どんどんエンジンがかかっていますよ」
 
足元の技術だけでなく『自分で考える力、自分で判断する力、ゲームへの影響を与える力』の育成も必要である、と。
 
現代サッカーにおける判断スピードの重要性は、以前に【第64回】コラムhttp://lswshizuoka.hatenadiary.jp/entry/2018/02/09/104303
で「脳内インテンシティ」というトピックで扱いましたが、
 
日本のシステムが個人の「考える力」や「判断する力」の育成することについては、欧州の半分以下の評価であると。
 
これは果たして、Jリーグクラブに限られた話しでしょうか。
 
 
話を続けます。
 
 
で、フットパスはどのような観点でクラブの育成システムを評価するかと言うと、
・各クラブから提出された資料
・訪問してのヒアリング
・練習や試合の分析
を通じてクラブの「フィロソフィー」「カリキュラム」「メソッド」「ミーティング」「選手評価」「情報共有」「戦略」「構造」「HRM(人事管理)」「運営管理」「チーム強化」「個の育成」「タレント発掘(リクルート)」「スタッフ」「施設」「生産性」など幅広い項目からトータル5000点満点で査定すると。
 
クラブへの質問項目は300件くらいあって「とにかく細かい」ことが特徴で、指導者のことから経営者のことまでホント根掘り葉掘り聞かれるということです。で、そのフィードバックは感情抜きで、課題をズバッと指摘してくるんだそう。
 
評価基準の明確化と客観化ですよね。
 
特に日本は"外圧"への抵抗が強いと言われていて、児童福祉施設でも第三者評価の話題が上がった時は相当の反発があったと聞きます。
 
どうやら評価と聞くと「出来ないことを責められる」「粗探しをされる」そんな心理が働くようです。僕はこれは日本の文化・教育で積み重ねられた価値観の影響が多分にあるのではないか、と思ってしまいます。
 
声をかけられるとには注意される時、怒られる時。「自分を見つめる=反省」、自己理解は自己成長のためではなく、弱点を修正するため周囲に合わせて迷惑をかけないための叱責。
 
そんな思考パターンが染み付いたような、日本社会は子どもの頃からそんな体験を繰り返して育った大人たちの集まりなのかもしれません。
 
だって第三者評価なんて、組織のトップが「われわれの組織の成長のために、自分たちで気づけない点を教えてもらおう」とポジティブ変換して説明すれば済む話ですよね。
 
三者評価は「受験本番」ではなく謂わば「模試」ですから、評価をもらうことがゴール目的ではなくて、監視されることが目的ではなくて、その結果をどう解釈して自己成長にどう活かすか、より良いパフォーマンスにどう繋げるかが大事なハズだし、それが本来の目的なわけですから。
 
 
で、「日本の評価は?」というのが次の記事。
 
Jクラブのアカデミーを世界基準で査定すると? 育成評価システム「フットパス」が指摘した"日本的"組織の問題
 
フットパスが指摘した日本的組織の問題とは、
「属人的な指導」と「指導者の育成計画」。
 
つまり、指導者個人に委ねられる裁量の幅が大きく
ー「クラブとしてどういうチームを目指すのか」
ー「どういう選手を育てたいのか」
の共有が曖昧であると。
 
チームの哲学(フィロソフィー)や方向性(ビジョン)の話しですよね。
 
選手評価やコーチングの手法が現場に委ねすぎている点が問題視されていて、監督が代わればサッカーも変わる、個人に対する評価やアプローチも変わるといったことを「当たり前」にすべきではないと。
 
まさに、サッカー日本代表が陥っているのがこんな感じですよね。W杯終わって監督が変われば、目指すサッカーもガラッと変わる。監督の人選が強化ビジョンや育成フィロソフィーと連動したものとは思えないし、そもそもの考え方の軸もあるようには外からは見えない。
 
しかし、これもサッカーに限った話しでしょうか。
 
よくあるのは私立強豪校は、1人の指導者が20年も30年も同じチームをみることで、組織としての一貫性をカバーしているのですが、それこそ「属人的な指導」の象徴です。
 
個人に頼った組織運営です。
 
しかし、組織の哲学を共有した複数の目が入ることで「あいつはこっちのポジションのほうが生きるんじゃないか?」なんて議論が、異なる視点や感性を持った指導者同士で自然と成立するようになると。
 
あれ?
 
これは「多職種・多機関連携」におけるオープンな対話そのものですよね。
 
このようにフットパスで指摘されている状況は決してサッカーに限った話しではなくて、日本的組織の課題を象徴しているような気がするんです。理念や哲学を抜きにした「なんとなく空気を読んだ場当たり的な」組織運営が当たり前に行われている。
 
逆に言えば、日本人は「気が効き過ぎる」ので、なんとなくマネジメントでなんとかなっちゃう。でも、そういう組織は「気が効く個人」が抜けた瞬間に一気にバランスを失って崩壊します。
 
こんな危うい組織で、安心して個のポテンシャルを発揮したり能力開発に力を注ぐことができるわけがありませんよね。個の役割ミッションに向けるべきエネルギーが、組織維持や安定のために持っていかれるわけなので。
 
フットパスが指摘する、
ー「組織としてどういうチームを目指すのか」
ー「どういう人材を育てたいのか」
ー その共有が曖昧。
 
言葉を少し変えれば、日本の多くの組織や多機関連携、子育て方針等々に広く当てはまることのような気がします。
 
 
さらに、もう一つフットパスがJクラブの指導に関して疑問視したのは「IDP(インディビジュアル・ディベロップメント・プラン)がない」ということ。
 
つまり「個別の育成計画」です。
 
〜Aという選手がいたときに彼個人のどこをどう強化し、心理的にどう導いて、最終的にどういう選手にしていくのか(場合によっては、そしてどう売るのか)という計画がそもそもない。…そして、チーム全体の練習が重視されるなか、個別的なトレーニングがなされていない。
 
〜全クラブの平均で最低評価が「個の育成」であったのはこのためと言っていい。
 
いかにも日本的な組織の「なんとなく周りに合わせて見て学べないやつが悪い的な」「空気を読んで右へならえ的な」の問題点のど真ん中をズバリ指摘していますよね。
 
そして「IDPがない」と指摘されたのは選手の育成だけでなく、実は"指導者の"育成計画についても。
 
〜その指導者はどういう部分に強みがあって何を苦手としていて、これからどう育てていくべきなのか。そうした個別的なファイルや計画がない点についてもフットパスでは疑問が示された。
 
逆に言えば、海外サッカークラブには指導者の特性に合わせた指導者の育成計画や個別ファイルが存在して当たり前、ということですよね。
 
この情報は斬新でした。
 
もうすぐ新年度が始まりますが、この4月から採用や異動してくる職員は、子どもの社会的養育を担う大人たちです。職員はどういう部分に強みがあって何を苦手としていて、これからどう育てていくべきなのか。
 
さすがに、これに異論はないと思いますし、チューターや先輩指導員と呼ばれる人は、全体的な育成計画はあっても、その人の特徴を掴みながら、個性に合わせて個別フォローをしているハズです。
 
がしかし、これが明文化されていたり形に残っていなければ、そんなスペシャルな個別的な育成支援は「個人のサービス」として扱われて適切な評価もされないし、組織でそのノウハウは伝承されていかない。そんなことをフットパスは指摘してくれていると思います。
 
また新人の個別育成計画はあったとしても、新人を育成する中堅ベテランをどう育てていくのかの個別の育成計画やファイルまでは聞いたことがありません。
 
これこそ組織のフィロソフィーやビジョン
ー「組織としてどういうチームを目指すのか」
ー「どういう人材を育てたいのか」
の共有が不可欠ですよね。その大枠が示された中で、個性を発揮して、職種別の多様な視点を活かして対話して、一つの組織として成長発展を目指していく。確かにその通りですし、多職種連携や地域連携の形そのものだと思います。
 
でも村井チェアマンが、
「育成の課題にいち早く気づいた勘のいいJクラブは、どんどんエンジンがかかっていますよ」
 
と言うように、日本の児童福祉分野でもこのような育成の課題にいち早く気づき、エンジンかけている人たちはもちろんいます。
 
例えば、施設の小規模化ユニット化の議論はここ数年間続いていますが、国乳児福祉協議会HP

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乳児院における小規模化あり方検討委員会」の報告書(H26.9)より
 
このように理念に基づいた組織運営の必要性が掲げられていますし、「改訂 乳児院の研修体系― 小規模化にも対応するための 人材育成の指針 ―」(H27.3)には、人材育成の必要性についてかなり熱く書かれていて、かつスッキリまとめられています。

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「初任職員にむけた研修小冊子 ~乳児院の養育を担うスタートをきるために~」より
 
 
成長に必要な項目も分かりやすしい、全ての項目について同時並行で学んでいくというもの現実に即していますよね。これを作成するだけでもすごいエネルギーですし、かなりわかりやすく整理されていると思います。是非、原本をHPにて確認してみてください。
 
しかし、『フットパス』はこのような組織理念や人材育成の体系の有無は言うまでもなく、これがどう浸透し、どう実行されているのか細かく査定し、さらにJリーグは「個別の育成計画」「指導者の育成計画」がないと指摘しているわけですから、たしかに手厳しい。
 
いったい児童福祉分野の組織が、フットパスで査定されたら5000満点で何点の評価が下されるのか、という感じですよね。
 
しかし、よく考えたら欧州の伝統的なサッカークラブは創設100年を超えていますが、Jリーグは発足1993年発足でその歴史はわずか25年。
 
そして、児童福祉の歴史をたどると、日本が「子どもの権利条約に批准したのが1994年と、偶然にもJリーグ発足とほぼ重なるんですよね。
 
なので、もしかしたら日本のJリーグ児童虐待も似たような段階で、てんやわんや試行錯誤でとりあえず一周やってみましたくらいの時期と言えるのかもしれません。
 
"キングカズ"というレジェンドはバリバリの現役ですが、多くのJリーグ初代の選手は引退して監督や指導者となっています。そこでようやく二代目三代目と組織を発展させることが必要と勘付くいた人達が、本腰を入れて組織の理念や継続的な人材育成計画が取り組み始めた、「計画作って→普及して実践して→チェックして→改定して」PDCAサイクルで言えばようやく「P」が出来つつある、そんな段階ではないでしょうか。
 
組織的な発展や成熟は、まだまだこれからと言うことですかね。まぁ人材確保の観点でいうと、Jリーグと児童福祉は雲泥の差がある気がしますが、街クラブが各地に散らばっている点も似ているし、結局は各クラブの運営努力なしには組織の発展はないと思います。
 
ー『自分で考える力、自分で判断する力、ゲームへの影響を与える力』を育成する点において、日本のシステムは、欧州の半分以下の評価である。
 
いま児童福祉ではしきりに「専門性の向上」と叫ばれていますが、何が専門性なのか、その専門性を使って何を目指すのかの共有がイマイチだと個人的には思います。
 
確かにサッカーでいう足元の技術も大事ですが、それ以上に「自分で考える力、状況把握、状況判断の力」が大切で、相手のペースと支援や関わりのタイミングが合って、はじめて持っている技術が活きてくると僕は思います。
 
そして、それら「個」を伸ばす「組織」の発展・成長も同時に考えていかなければいけない。
 
そう思うと現場に求められている力も、人材育成の課題も、Jリーグ・児童福祉ともに共通している点は多いよなぁ、と感じます。
 
各コラムで海外のやり方をそのまま輸入して「考えなし」に日本に当てはめることへの警鐘は鳴らしていますが、このフットパスは「多職種連携コンピテンシー」(参考【第24回】コラム)の組織版のような印象で、個人ではなく組織の「自己理解」や「自己内省」を深めるシステムとして、他分野でも応用できる面白い取り組みだなぁと思いました。
 
ではでは。
 
 

【第77回】人生のバランスを整える仕事

メンバーの皆さま
 
こんにちは。管理人です。
 
いよいよ今年度も今週で終わりです。早いですね。
 
来年度に向けた準備で、バタバタ忙しくしている方も多いのではないでしょうか。
 
そして「まごのてblog」も気がつけば【第77回】。
次にラッキーセブンが並ぶには、あと700回更新が必要ですから…何年後ですかね。
 
こんなくだらない事を言うような、全体的に落ち着かずフワフワした雰囲気が、毎年この時期から5月くらいまではあるなぁと思います。
 
そんな感じも春らしいなぁ、と。
 
 
で、今回はアメリカの大学スポーツの記事からの話なのですが、バスケ歴25年の僕からすると、嬉しい日本人の話題を少し。
 
アメリカの大学スポーツは人気面、興行面ともにプロスポーツ顔負けの規模をほこりますが、その中で今シーズンはかつてないほど「NCAAアメリカ大学バスケ)」のニュースが日本で取り上げられていました。
 
その理由は、この2人の存在。
 
渡邊 雄太(わたなべ ゆうた、22歳、206cm)
八村塁(はちむら るい、20歳、203cm)
 
2人ともこのサイズでありながら身体能力も高く、ドライブ有り3ポイントシュート有りの日本規格外オールラウンダーで、高校時代の無双っぷりは日本バスケ界では有名でした。そんな若者が今アメリカの大学一部リーグNCAAで注目される存在に。
 
現在、渡邊 雄太はジョージ・ワシントン大の4年。このサイズに加えて長い腕、俊敏性で相手のガードからインサイドまで抑えられる「ディフェンダー」として評価が高く、3年時からはチームのエースとして活躍。惜しくもNCAAトーナメント本戦出場ならずしてシーズン終了してしまいましたが、来年以降の活躍の場が楽しみな選手。
 
ちなみに、ジョージ・ワシントン大は2016年8月に来日し、日本代表と琉球ゴールデンキングスと親善試合をしていますが、日本代表もキングスも主力抜きのジョージ・ワシントン大にボコボコにされています。
【参考】
 
 
そして、八村塁の活躍とポテンシャルはさらに上をいっています。現在ゴンザガ大の2年ですが、すでにU-17世界選手権で得点王、昨年U-19世界選手権でも日本を過去最高10位に導く得点ランク2位の実績。さらにゴンザガ大1年目は出場時間こそ少ないもののNCAAトーナメント準優勝を経験し、2年生の今年は本戦ベスト16で敗れはしましたが、シックスマンながらチームの得点源としてチームを牽引。
 
ベナン人(父)と日本人(母)のハーフである八村は、アメリカ人の中に混ざってもトップクラスの身体能力を示していて、すでに来年3年生のシーズン終了時の「2019年NBAドラフト」で全体5位指名を予測するサイトもあるほど全米から注目される選手に成長しつつあります。
 
そんな2人に当然メディアや国民の期待が膨らむものですが、しきりにゴンザガ大のHC(ヘッドコーチ)は「日本の皆さんが期待するのは分かるが経験を積む必要がある」「塁には、まだ時間が必要」とじっくり育てる必要性を訴えています。
 
確かに、英語もわからず文化も違う異国の地での生活は、想像以上にストレスフルなはず。世界中から有望なアスリートの金の卵が集まるアメリカの大学ではその環境適応や競技に集中するためのメンタルサポートへの意識に余念がありません。
 
競技でのハイパフォーマンスを維持し続けるには、技術だけはなくメンタル面の安定、さらにはベースとなる私生活での安定が必要であるということです
 
前置きが長くなりましたが、今回コラムはこのような選手への「メンタルサポート」はプロだけでなく大学レベルでも浸透しつつある、という記事の紹介から。
 
そして、この4月から新しい職場に異動する方も、新任さんを受け入れる先輩たちにも、是非ぜひ気にかけて欲しい内容です。
 
 
米スポーツ界とメンタルセラピー。
恋人と別れる時期が競技成績に影響?
 
この記事は「プロチーム、五輪代表チーム、そして大学レベルでもスポーツ心理学者やセラピストが常駐するのをご存知だろうか」という問いから始まります。
 
スポーツ大国アメリカの4大スポーツ(NBAMLBNFLNHL)やゴルフ、五輪チームでは早くからスポーツ心理学がパフォーマンスに取り入れられていて、ここ10年程でスポーツ強豪大学でも専属の心理学者やセラピストが雇れるようになっていると。
 
ご存知の方も多いと思いますが、アメリカだけでなく、ヨーロッパや南米の各団体球技の代表チームには専属のメンタルコーチやセラピストが帯同するのは割とメジャーになってきてますよね。
 
日本では、ラグビーW杯で「五郎丸」ブームが沸き起こった時、あの "ルーティン" をメンタルコーチと一緒に作り上げていった話しは何度もTVで取り上げられていました。
 
メンタルコーチとは、どんな仕事なのか?その内容は浸透しておらず、一般的イメージは、悩む選手と共に密室にこもって何やらコソコソ話を混むような得体の知れない仕事ではないでしょうか。
 
その点、この記事で紹介されているセラピストの仕事の説明は非常に簡潔で分かりやすい。
 
「人生というのはバランスによって成り立っていて、1つが乱れれば、ほかの部分にも影響してきます。悩みがあれば練習や勉強にも集中できないし、食欲や睡眠にも問題がでますから」
 
これは決してトップアスリートに限った話ではないですよね。我々のような一般社会人でもそうですし、社会的養護で暮らす子どもたちだって誰だって、人間誰しも当てはまると思います。
 
そしてセラピストの仕事は「人生のバランスを整える仕事」だと、この記事では紹介されています。
 
 
なるほど。
 
 
僕はLSWに関わる児童福祉の心理職として10年働いていますが、僕が普段から考えて実践している仕事の感覚やイメージに、この紹介文はピタリとハマると言うか、とてもしっくりくるんです。
 
自分の普段の仕事について、一般の人にもこのように説明すれば、わかりやすいのかもしれませんね。
 
 
そして、
〜学生の悩みは多岐にわたる。スポーツで成功したい本人のプレッシャー、成功してほしいと願う家族からのプレッシャー、怪我による焦り、学業との両立、コーチ、チームメイト、教授、友人との人間関係など。こういった事がパフォーマンスに影響してくるという。
 
こんな状態って、日本の部活やスポーツ少年団に所属する子どもでも普通にありますよね。このような様々なプレッシャーや焦りの中で子どもが日々生活しているという事を、子どもに関わる援助職の大人はしっかり想い巡らせて想像できなくてはいけないと思います。
 
しかし日本の部活だと「メンタルが弱い」→「根性が足りない」→「メンタルと根性を鍛え直す」と休みもなしに過酷な練習を課すアプローチしか頭にない"スポ根"コーチも未だにいるようです。
 
児童福祉に携わる人なら、いやいや学校の先生でも、スポーツのコーチでも「その子」「その人」全体をしっかり見ている人は、自身のポテンシャルや集中力を発揮できない理由の1つに、愛着や家族関係の葛藤、日常的な心のモヤモヤがある事を肌感覚として知っていますよね。
 
そして、社会的養護の子どものモヤモヤのうちの1つに「自分の家族・過去を知らない」という"曖昧な喪失"があるということ。もちろん在宅の子どもだって、急にお母さんがいなくなったり、新しいお母さんがやってきたり、いきなり引越しがあったりしたら当然混乱はするし、何があったのと疑問に思います。
 
しかし「子どもだから」とろくな説明もされず、戸惑いや悲しみ等の感情が適切なタイミングで扱われなかったり、「知りたい」と言う機会も与えられずモヤモヤした状態が放置されているケースが実際はたくさんあるという事。
 
 
〜「あるバスケットの選手は、子供の頃の問題が心に刺さっていて、それが解決できていなかった。家族を呼んで話し合いをしたところ心が軽くなったようで、プレーが見違えるようによくなり、得点率が高くなったケースもありますよ」
 
〜「五輪の年に、新しいことへの挑戦は基本的に勧めません。大きな飛躍を求めてコーチを代えたり、練習環境を変えたりする選手がいるけれど、成功例はとても少ないです。今までやってきたことを続ける方が効果があります」
 
人生のバランスとは、こういう事ですよね。スポーツをしている数時間だけでなく、24時間365日、人生◯年の生活をトータルで考えて、何が必要な支援かを考える。
 
僕はこれが「見立て」であって、スポーツや児童福祉といった分野を問わず"その人"を支える対人援助として共通した姿勢や考え方のような気がします
 
そして、その延長線上の支援の選択肢1つとして「LSW」があるに過ぎない、僕の感覚はそんな感じです。
 
 
そして、LSW実施のタイミングについても参考になりそうな話が続きます
 
〜「もしどうしても変えなければならない部分があるなら、シーズンインする前に解決しなさい、とアドバイスします。コーチとどうしてもソリがあわず変えたい場合は冬季練習の前に変えなさい、と。恋人やパートナーとうまくいっていなくて、『そのうち別れたい』と思っていたら、今すぐ別れなさい、と伝えます。五輪選考会の前にもめて別れるなんてことになったら、目も当てられない状態になります。今別れられないなら、五輪が終わってから別れなさい、と言いますね」
 
〜競技外での人間関係は競技には直接関係ないけれど、競技に集中する環境を作るためには、「確かに」と納得してしまうアドバイスだ。
 
LSWも似たようなことだと思うんですよね。一年や人生トータルで考えて、LSWで過去や現在の家族関係についてどの程度の内容を扱うのが良いのか。例えば、高校受験とかシーズンインしちゃってからガチャガチャやることが人生トータルで考えて、その人のプラスになるのか。
 
場合によっては、あえて今はステイ。人生にとって大事なことだから、現実のこれがひと段落してから、焦らずじっくり取り組もうという話し合いや決断も時として必要だと思います。
 
「人生のバランスを整える仕事」ですから、当然大事なことは、物事を捉えるバランス感覚。細かい部分に気を配りながらも全体的なバランス配分にも気をつける、一つの見方に凝り固まらないように「ミクロとマクロ」「主観と客観」の視点の切り替えを左右に揺れる振り子のように何度も何度も僕は繰り返します。
 
 
前置きでも触れましたが、生活環境や家族関係、友人関係、恋人関係が変わる時というのは、その人の人生にとっての転機、大きなライフイベントであるはずで、他人が思う以上にその精神的負荷や疲労プレッシャーは重いと思っておいた方がいい。
 
「安全第一」と言いながら、そんな大事なコトが何の前触れもなく起こるのは、子どもにとって相当な負担であるということを、里親委託や施設入所を勧める立場の人は、絶対にわかっていないといけない。
 
社会的養護(里親・施設)関係者は、たとえ善かれと思って里親委託したり施設入所させたとしても、子どもにとっての大切な家族や友達、慣れ親しんだ家や地域を喪失しているし、それをケアする(=悲しむ・惜しむ)必要もある意識を常に持っていて欲しい。
 
そして、これは児童福祉関係者だけでなく、阪神中越・東日本・熊本とあれだけの大地震を立て続いて経験し、今でも仮設住宅で住み続け、家族や自分たちの街を喪失した人を抱えている日本の社会全体で、もっともっと共有していかなけばいけないことだと僕は思います。
 
もちろん話した時には理解を示してくれる方も多いのですが、やはり自分自身に余裕がないと相手を想いやりケアすることは難しい。なので、まずは自分が安全で安心で癒されていること、頑張るためには頑張らない時間も必要、オンオフの切り替え、セルフケアの重要性がもっと強調されていいハズ。
 
自分自身に安全安心の感覚や適切なバランス感覚がない人が、人に安心感を与えたり、他人の人生のバランスを整える仕事が出来るとは、僕には思えません。
 
人に安心感を与える仕事をするのなら、まず自分自身、そして自分の仲間に安心感を与えたり維持すること、つまりは自分自身を大切にすることの重要性がもっともっと強調されていいと、僕は思います。
 
こう言う話をすると、どうも[自己犠牲的な考え方]と[自己中心的な考え方]のどちらかに極端に振り切ってしまう人が少なくないよなぁ、と感じることがあります。
 
最近なんだか社会全体が色々と窮屈で寛容性が乏しくなりつつある気がしてしまいますが、知っていても出来る余裕がない事と、全く念頭になくて何の配慮しない事では、個人の細かい所作やその積み重ねによる全体の雰囲気や空気感は全然違ってきますので、今後も来年度も地道に発信を続けていこうと思います。
 
 
人生のバランスを整える仕事。
 
 
来年度も継続します。
 
ではでは。