【第99回】ゴールキーパーと児童相談所の特殊性
【第98回】職種による「チームワーク」の認識差
【第97回】心理的安全性とLSW
メンバーの皆さま
おひさしぶりです。管理人です。
気がつけば11月。はやいですね。
もう年末に向けて師走が始まると思うと恐ろしい…。
という事で、なかなかブログ更新にまで手がつかないのですが、 最近注目していることについて手短に。
(※と書き始めは思っていましたが、 結果的にすごく長くなってます)
ここ数年、 もっぱらニュース確認はネット記事がメインになっちゃってるんで すが、Yahooのトップ画面って、 自分がよく見るニュースの関連記事を集めてくれるんですよね、 親切に。
でも、便利な反面ありがた迷惑な所もあって、 それが興味を狭める方向に、 似たような記事何回も見ちゃう側面もあるよなー、 と思いつつ元々興味はあるもんだから、 やっぱりついつい見てしまう。
そんなこんなで、 この数ヶ月やたらに読んでしまっているのが組織における「心理的安全性」についての記事。
詳しい話はググって調べて欲しいのですが、 まさにそのGoogleの本社が2012〜 2016の4年間かけて「チームの生産性」 を向上させる要因を調べた研究(プロジェクト・アリストテレス) についての話題。
参考)Google【re:Work】「 効果的なチームとは何か」を知る
https://rework.withgoogle.com/jp/guides/understanding-team-effectiveness/steps/introduction/
上記はGoogleが会社やチームのあり方の研究結果を丁寧にも 発信してくれている「re:Work」というサイトなんですが、 この内容の解説みたいな記事や本を目にする事がこの1〜 2年ホント増えました。ご覧になったことがある方も多いのでは。
内容を簡単にまとまめると、 生産性が高いチームの共通点の仮説として、
「 どれくらいの頻度でチームメイトとオフィス以外で交流しているか 」
「同じ趣味をもっているか」
「学歴が似ているか」
「全員の性格が似ているか」
等々を検証してみたが共通性は見いだせず、驚くことに「 メンバーの優秀さ」さえもチームの生産性には関係しなかった、 と。
唯一見出せたチームの共通点は、
・メンバーの発言量がだいたい同じ。
・メンバーの人の気持ちへの感受性の平均値が高い。
の2点のみ。ということから「心理的安全性」 が効果的なチームを作るのに一番重要というのが調査結果と概ねの記事の内容です。
これ、非常に心当たりがありまして、 あんまり機能してないケース会議とかチームって、 だいたい一人がバーっと喋ってるんですよね。 聞いている人が他人事のお客様状態だったり、 話す人が周囲から責められるのではないかという不安から防衛的になっていたり。矢印は常に「やるか→/やられるか←」 の一方的な感じ。勝ち負けやパワーゲームみたいな。
逆に、 いい連携いいチームワークが取れている場の雰囲気ってメンバーから自然と質問が出たり、それについて真摯に受け答えしたりと、 矢印は「やりとり⇄」の双方的な感じ。 メンバー間の対話的なコミュニケーションが生まれているなと、 体験的に思っています。
Googleって半年で集まって解散するプロジェクトチームの同時並行の連続。いわば「バンド掛け持ち」 みたいな働き方のようですが、 児童福祉ってそれに似てる気がするんです。
多問題を抱える「ひと家族」「ひとケース」 って単独の職種や機関で扱える課題は限られていて、 それぞれに得意分野を持った多職種多機関を集めたプロジェクトチーム(音楽で言えばバンド) を発足しているものだと僕は思います。
バンドにいいボーカルが一人いればいい音楽を作れるかと言えばそんなに単純なものではなくて、 音楽性の一致やメンバー間のバランスや役割分担が揃って、 はじめていいバンドになりますよね。
Googleの調査結果である、
・メンバーの発言量がだいたい同じ。
・メンバーの人の気持ちへの感受性の平均値が高い。
って僕のイメージでは、その場において「音を出していない」 メンバーがいない、 発言内容ではなく音やエネルギーが飛び交う場の空気感がハーモニー的であるか、相互作用・化学反応が起こっているか、 それぞれのメンバーが他の人の音や息遣いを感じながらも話し合いに参加しているか、 という非常に感覚的だった指標を表してくれているよなぁ、 と初めて見た時は思ったんですよね。
次は、そんな「心理的安全性」 についての数ある記事の中でも面白いものをひとつ紹介。
グーグル 成長のカギは「弱さを見せ合えるチーム」
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO35776860W8A920C1000000?channel=DF070420172353&n_cid=LMNST011
これはGoogleのピープル・ アナリティクスのチームのシニアマネージャーへ直接インタビュー した「生のやりとり」が書いてある記事。
面白いのは、心理的安全性は「少し高めの目標設定」 とセットでなければ生産性に寄与する効果は出ない、と説明されているところ。
Googleでは、従業員に対して常に「少し高めの目標」 を設定していて、当然、 目標に到達するまでには時間がかかることもあって、 途中で進捗状況を報告してもらう時に「心理的安全性」が高いことが非常に重要になってくると。
つまり、
"進捗状況を、 うまく行っていない部分も含めて正直に伝えられるか。 そういった課題が早く共有されることが、結果として、 組織としての成果に結びつく"
と。これホント児童福祉でも同じですよね。 もう少し早めに相談してくれれば… いきなりそんな事言われても困る!なんて「抱え込み」 状況ってケース対応でも関係機関同士の連携でも実によく起こります。
でも、思うんですよね。 現実に起こっている難しい状況と目標設定がかけ離れればかけ離れる程、うまくいかない事が増えるのは当たり前。それが、これまで自分の慣れ親しんできた方法とは別の新しい方法に取り組んでいるのなら尚更。
うまくいかない時って、相手を責めたい気持ち( 自分は悪くないと思いたい気持ち)になりがちですが、 ひとつ俯瞰的な視点で考えると、果たして「うまく行っていない部分も含めて正直に話せる関係性づくり・ チームづくり」をどこまで意識して準備できていたのかは、 考える必要があると思います。
「相手も忙しいから、 こんな些細な事で相談しても迷惑をかけるに違いない」
「 こんなに事を伝えたら怒られたり責められたりするんじゃないか」
「こんな事も出来ない親として(専門職・上司として) 無能と思われるのではないか」
「どうせ聞いてくれないから、言ってもムダ」
そんな遠慮・不安・恐れ・ 諦めの感情がチーム内に渦巻いていないか。 相談関係やチーム内に本音を言っても大丈夫な「心理的安全性」はあるのか。
よくある「何か困ったら連絡してください」 というお決まりのフレーズで、 本当に連絡できるような関係性なのか?
そんなことが、ケースの家族の中で、自分の組織の中で、 関係機関との連携の中で、ありとあらゆる場面で起こっているし、 その関係性や葛藤を調整することが仕事のほとんどになっていると日々感じます。
そんな心理的安全性を実現するために「弱さを見せ合える関係性」をつくることが必要で、 それは難しいことなんだと記事では扱われています。
そして、
"心理的安全性が低いという問題は個人のせいではなく、 チーム全体の問題である場合がほとんどです。 一人ひとりの能力は豊かであっても、 社会的なパワーバランスがうまくいっていないことが原因です。 そういったときに、 チームの関係性を再構築するサポートはしています"
という事で、 深い問題を抱えているチームを発見した場合には人事部門が介入し 、特に関係性づくりの個人トレーニングは実施していないと。
最終的な記事のまとめは、日米の文化差に触れながら、 どちらが良いではなく「お互いに学び合う」という姿勢が大切で、 「心理的安全性があるからこそ、チャレンジができ、 意見の対立や失敗を次の成果に生かすことができる」 という事になっているのですが、これってまさにOJT( オンザジョブトレーニング)そのものだなと。
上手く機能しないチームが出てくることを前提としてサポート体制 を整えておく。その調整されていく体験を通じてチームの中で「 お互いに学び合う姿勢」「チャレンジをして、 意見の対立や失敗を次に生かすこと」 が実務の中で積み重ね鍛えられていく。
なるほど、これは実に現実的なOJTであり、 コストパフォーマンスも結果的に非常に高いとは思います。 しかし「ただ背中を見て学べ」 というだけでは学ぶまで時間がかかり過ぎてしまうので、 全く個人の資質を高めるトレーニングなしという割切りまで僕の中では出来ないんですよね。きっと、それはどこまでいっても十分なフォロー体制を整えることが難しい現実を思い知らされているから。
身近に相談サポートを受けられる第三者的な立場から「研修体系+ フォロー体制」を整えるのが現実的かつ効果的、 おそらく新しい養育ビジョンで乳児院や児童養護施設が地域の子育てサポート・ 里親支援を行うイメージはこういうことなんだと思います。
しかし、現実は人様の家庭をサポートする前に、 自分の組織はどうなんだという感じで、人員も時間も足りず、 専門性を期待されながらも経験が浅い職員(3年未満)ばかりで、 その日その日をギリギリの所でしのいでいる現場はホントに多い。
バーンアウトで人が辞めちゃうことも珍しくありませんし、 将来に向けた「人材育成」なんかより、今をまわす「人材確保」 もままならない大人の状況や悲鳴はどの対人支援の現場からも聞こえてくる気がします。
LSWって過去を整理しながら気持ちを未来に向けて考えていくプロセスだと僕は思っているのですが、 それを支える大人や支援者が未来を考える余裕がない程に今の現実に追われていれば、 やはりその姿勢や心の状態は子どもに伝わってしまうものではないかなと感じます。
子どもの「育ちの環境」はもちろん、子育てをする保護者・ 養育者の「育ての環境」、それを支える支援者の「支えの環境」 それぞれを整えていかないと。 1つのチームのようにどこかがどこかに影響を及ぼすように結局は 繋がっているので。 システム論を現場目線で平たくいうとこういう事かなと。
「お互いに学び合うという姿勢が大切」
「心理的安全性があるからこそ、チャレンジができ、 意見の対立や失敗を次の成果に生かすことができる」
ホントその通りですが、 それを組織として地域として実現し維持していくことは簡単ではなく、 情熱やエネルギーを持ち続けないととても続けていける事ではないなぁ、と。
組織論を学べば学ぶ程、 現実に起こっている事がスッキリ整理されて認識できる反面、 それを実行実現していくことの大変さに頭を抱える今日この頃です 。
モヤモヤした感じの終わり方ですみません。
モヤモヤしています。
まぁ、これが「弱みを見せる」ということですかね。
ではでは。
【第96回】語りの「場の設計」と「エンパワメントの獲得過程」
(栄、2015より)
(栄、2017より)
【第95回】ライフストーリーの「戦略的な共有」
【第94回】レイルロードスイッチ RAILROAD SWITCH
【第93回】東北での夏休み 〜LSW的に思う「日常」と「非日常」〜
メンバーの皆さま
お久しぶりです。管理人です。
気がつけば8月も最終週。
学校の夏休みは今週で終わるところが多いようですが、夏の暑さはしばらく続きそうですね。
blog更新もしばらく「夏休み」みたいな感じになっちゃいましたが、今後もぼちぼち書いていきますので、よろしくお願いします。
ということで休み明けの今回は、リハビリを兼ねてLSW的な「夏休み日記」的なものを少し。
東北といえば「カナノウ」こと秋田県の金足農業が甲子園で旋風を起こしていましたが、ちょうどその頃、1歳4ヶ月の息子を連れて、妻の実家の気仙沼市(宮城)に帰省していました。
里帰り出産で産まれた息子にとっては、一年ぶりの気仙沼かつ初帰省。LSW的にいえば、生後3ヶ月半まで暮らした場所への「初訪問」なわけです。
ちなみに、静岡と気仙沼(宮城の先っちょ、ほぼ岩手です)の距離感はこんな感じ。
真面目に「徒歩5日」とか表示されるのが笑えます。
実際の移動は車だったのですが、それでも休憩も入れながら、行きは10時間半、帰りは渋滞にも捕まって結局、片道14時間の大移動💦
まぁ、東名→外環→東北道→三陸道と上の図とは違って東京を避けてずっと高速道路で行けちゃうので、運転はそこまで大変という程でもないんですけどね。
初めて車で行った時はさすがに疲れましたが、何回か往復していると、
「あと200km、もう少しだ」
「栃木まで350kmか意外に近いな」
なんて距離感覚が若干おかしくなってくるなと自分でも思いますが、色んなSAに寄ってご当地の物を食べるのも、それはそれで結構楽しい。経験と見通しが余裕を生む事を体験的に気付かされます。
で、話題を気仙沼と息子に戻すと、現在の息子は「人見知り」真っ盛りで、じいちゃんばあちゃんの姿を見かけただけで、ガシーッとママorパパにしがみ付いてくる。そして、じっーと様子を伺っている。
いや、あなた生後3ヶ月半まで一緒に暮らしてましたよ。なんなら、毎日じいちゃんとお風呂はいってましたよ。
なんて、当たり前ですけど、やっぱり覚えていないんですよね。1歳4ヶ月の息子とっての1年という月日の長さは、人生のサンブンノニの期間なわけですから、1年前なんて主観的にははるか昔。
そのくせ、ウチの息子はペットの猫には警戒心なくて、ガンガン触ろうとして割と猫の方に煙たがられてる(笑)。一年前は、猫の方が先輩風吹かせて泣いてる赤ちゃんを心配そうに見てたのに。
面白いです。
流石に滞在3~4日目は多少は慣れてきますけど、静岡の家に帰って来たら水を得た魚のように元気全開。やっぱり気を遣っていたのは明らかで、のびのび具合が全然違う。
以前の息子にとって「日常」であった気仙沼での生活は、いまや「非日常」なんだよな、と。今はイベント的な非日常より、安定した日常的な楽しみ関わりを求める時期なんだよなと、しみじみ。
乳幼児期の環境変化、特に養育者の変更が与える子どもへの不安や負荷ってこういう事ですし、慣らし保育などの「移行期間」の意味について、大人の都合だけでなく、もっともっと子ども視点での議論が広まっていく必要はあるよな、と。
また帰って来て思うのは、それでも一年前は数時間おきに授乳して、寝返りもロクにうてなかったのに…だいぶ成長したねなんて、年一回の「非日常」的なイベントは子どもの「日常」の成長を実感する良い契機になりますね。
やっぱり今回の帰省だって、息子の記憶には残らないと思うんです。それでも、数年後に大人が「あの時は」「この年は」なんてアレコレ語ることで、本人の記憶として形作られていく。
それは「こんな昔の自分に、こんな人たちが、こんな想いで関わっていたんだ」というエピソードの記憶。
そして、その物語には「帰省した」という事実だけでなく、関わった大人それぞれの想いやストーリーが必ず乗っかってくる。
帰省は「物語の舞台」でしかなくて、そこでそれぞれが何を感じて、どんなストーリーを皆で共有したのか。そういう誰かと一緒に過ごした、一緒に何かしたというプロセスが財産なのかなと思います。特に子ども時代にとっては。
社会的養護で暮らしたり措置変更を繰り返す子どもたちは、現在ばかりに焦点が当てられ、過去を共有するような経験をせずに大人になる可能性があるわけで、そこをカバーするのがLSW的な支援になろうかと思います。
なので、少なくとも一年に一回は、この地に戻ってこないとなと思うわけです。
そんな縁もあって、気仙沼には2011東日本大震災からほぼ毎年訪れているのですが、実は震災前の気仙沼の景色を僕は知らない。
確かに震災直後と比べたら、瓦礫はほとんど片づいているし、新しい復興住宅(団地)が建ってたり、海岸にはスーパー堤防という4~5mの壁が出来上がりつつある。
その一方で、津波で柵が曲がった橋がそのまま残っていたり、古い建物とまっさらな更地と真新しい建物が混在する景色は、僕からすればかなり不思議な空間。ですが、昔の景色を知り、今を暮らす地元の方々はこの「日常」をどう捉えているのか。
一見、新興住宅地を思わせるオシャレな団地と公園が並ぶ景色には、子育て世代がピッタリなのですが、実際は高齢者しか住んでおらず、団地の約半分は空室のままだそう。
仕方なく気仙沼市外の人にも入室希望を解放したとのことですが、「20年後には、今入ってる人もいなくなるし、誰も入ってないだろうな…」というお義父さんの言葉は現実を物語ってますよね。
また、どこかの堤防なんて業者が間違って基準より20~30cm高く作ってしまったもんだから、「もう一度作り直せ」(景観が違いますからね)という地元の声と、「周りの土地を盛り土で上げるからそのままで」なんて押し問答もあるそうで…。
「復興」
とは、元通りに戻すことではなく、もはや新しいものを一緒に作るプロセスだよな、と毎年毎年変わっていく気仙沼市内を見て思います。
息子の成長と、気仙沼の復興。
東北での「非日常」な時間の過ごし方を通して、改めて「静岡での日常」と「気仙沼での日常」がそれぞれ確実に流れていることに気づかされる。
あと、やっぱり東北は涼しい。
そんな体験をした気仙沼での夏休みでした。
ではでは。