LSWのちょっとかゆいところに手が届く「まごのてblog」

静岡LSW勉強会の管理人によるコラム集

【第3回】グリーフの自己覚知、自覚のスキル

管理人

おはようございます。

気がつけば3日連続の投稿…このまま続くと迷惑メールのようになってしまいそうですが、安心してください。絶対このペースは続きません(笑)

ただ、僕自身のこの覚醒してる感じって何かなと考えるとと、昨日紹介した大河原先生の研修にかなり触発・インスパイアされたんだなと思います。

今まで考えてたことと、講義で聞いた内容が、脳の中で、ニューロンシナプスみたいにバババーっと繋がったみたいな。

やっぱり直接話を聞くことで受ける刺激って大きいんだなと、改めて感じています。

じきに頭は冷えると思いますので、今だけのスタートダッシュと思ってお付き合いください。

ということで、今回のコラムは前回に引き続き、
「子どもの悲しみによりそう 喪失体験の適切なサポート法」の続きです。

f:id:lswshizuoka:20170617084858j:plain


●目次
パート1  喪失に関する神話を見つめる
パート2  未完の感情を知る
パート3  未完から完結への道
パート4  発見から完結へ
パート5  その他の喪失
パート6  子どもと死を考える

●コメント
   読み進めれば進むほど、この本の内容の深さ、核心をつく鋭さはちょっと鳥肌ものでした。
   今回は、本の全体像を掴んでいただくために「訳者あとがき」(一部抜粋)を紹介したいと思います。

「本文にもありますが~、否定的な出来事が生じた場合~、それらを知った周囲の人たちは、本人の悲しみなどの感情をそのまま受け入れようとしないのです。泣くのは男らしくない、誰でも経験すること、もっと辛い思いをしている人はいくらでもいる、かわりになるものを手に入れなさい、時間がたてば自然に忘れる、などと言って感情を「善意で」封じ込めようとするのです。あるいは、ほかの人の例を持ち出して、そういう人と比べたら、あなたが悲しむのはおかしい、とまで言うことがあります。
~こうしたことは、じつは私たちが子ども時代から経験していることで、すでに1つの文化、習慣となっています。その結果、私たちの心の深い部分に、子ども時代からつい最近まで辛い体験に基づく否定的な感情が抑圧されたままに蓄積されています。
~表現することを抑圧してしまった感情は、いつのまにか、ちょうどエレベーターに大勢の人たちが乗るような状態になり、次に新たな喪失体験が積み重なるとブザーが警告音を鳴らします。抑圧した否定的な感情は、決して時間の経過で消滅することはありません。
~こうした、いわゆる未完の悲しみを癒す方法として、本文にあるように食べ物で気分を変えようとしたり、アルコールや薬物の摂取で心の痛みを麻痺させることは、いつしか摂食障害や薬物依存症となり、また新たな苦しみを私たちに与えます。なかには、うつ病で苦しむ人や、耐えきれないの心の痛みによる自殺も数多く起きているのです。エレベーターは、過積載になれば警告ブザーを鳴らしてくれますが、人間の場合には、ブザーはうつであり、依存症、摂食障害なのでしょう。
~東北地方を中心とした大きな震災により~すらできない方々の喪失感の大きさと悲しみには、ただただ圧倒されるばかりです~特に子どもたちの周囲にいる親や親戚の方々、援助者や治療者は、自分たちが自分自身の悲しみを癒すプロセスを踏んだうえで子どもたちに関わってほしいと思います。著者が言っているように、スキューバダイビングを習う時に、一度もスキューバダイビングをしたことのない人に習うのは危険です。これもまた著者が言っているように、セルフケアと言ってもかまいませんが、大人自身がセルフケアをしたうえで子どもたちに関わってほしいものです~」

この本では、支援者自身の喪失体験や子ども時代からの感情抑圧の歴史を自覚し、誤った常識や自分の経験を見直し、自らの価値観や信念を変えて子どもに接することの大切さ、また自分の感情に正直でない大人の前では、子どもも安心して自分の感情に正直にはなれない、ことが繰り返し書かれています。

第1回コラムで紹介した「自覚のスキル」と言わんとしていることはきっと同じですよね。

「ポジティブな体験・感情」も「ネガティヴな体験・感情」も抑圧してなかったことにせず、痛みを伴わない形で想起できて認められる(感情が未完から完結)ようになって、自我が統合されるというか、ポジティブもネガティヴな自分もOKで自分の気持ちに正直な状態に、まず自分がなってその晴れ晴れした景色や自由な感覚を知ること、そして、その景色や感覚を子どもにモデルとなって示し伝えることが支援の本質なんだろう、と思いました。

よくLSW支援者に必要な「覚悟」という言葉を耳にしますが、たぶん「気合い」とか「苦しくても耐える我慢」みたいな誤解的なイメージを浮かべる人って多いんじゃないかと思うんです。日本社会の一般常識的レベルの「覚悟」の理解はそうですから。
でも、言葉を足してその本質を紐解いていくと、きっとこんな感じの説明になるんだろうなと、ここ数日で整理できました。

●最後に
   次回③以降は、ようやく本文内容に触れていきます。もったいぶってるようで申し訳ないですが、こんな感じで僕がその時に感じたままを書くスタイルでいかせて下さい。

ではでは。