【第4回】勝てるチームとそうでないチームの差
こんにちは。管理人です。
今日のコラムは図書紹介ではなく、インターネット記事からの番外編です。
"勝てるチームとそうでないチームの差"
について語っているものです。LSWがチームアプローチと考えると結構考えさせられる内容です。
(一部抜粋)
岩政氏は鹿島の戦いぶりを「勝つことからブレない。具体的にはダメなら変えるということ」振り返り、さらにこう力説する。
「強いチームには、相手や試合の状況によって、勝つための選択肢がいくつかあります。負けるチームというのは、一度傾いてしまうと、そこから戻ってこようとはしません。選択肢が始めからないわけではありません。ただ、なんとなくあやふやになって、極端に振り切って可能性を狭めてしまうのです。『当たって砕けろ』ではなく、当たってダメだと思ったら、当たり方を変えてみたり、タイミングを変えてみたり…目の前の相手に勝つ方法を考えねばなりません。要するに勝負事は一択になってしまったら勝てません。考えることをやめてしまったら、勝負に勝つことはできません。勝てるチームとそうでないチームの差は、選択肢があるか、ないかです」〜
何も考えていないのは「二流」のDF
読みでプレーするのは「並」のDF
判断して対応するのは「一流」のDF
●コメント
対人援助は「勝ち負け」ではありませんが、児童福祉の現場においても「負けるチーム」の状況って結構ありませんか?
一度方針を決めると、相手や自分、その周りの状況に関わらず、極端に振り切って「それしかない」「当たって砕けろ」で思考停止して1つのアプローチをゴリゴリ押していく「二流」の状況が。
サッカーも対人援助も、常に相手チームと自分チームの相互作用から成り立っていて、さらにメンバー構成や各自のコンディション、環境や流れの変化等の要因の組み合わせは無限大、その時その時の状況は唯一無二で一回限りのものだと思います。
そう考えると、プレーを読みながら状況に応じて準備していた選択肢を選んでいく「並」の対応から、さらにLiveで起こっている様々なことを感じ取り、自分の判断で選択肢をさらに微調整しながら試行錯誤する「一流」の対応というのは、対人支援にも通じるなと思うのです。
さらに「考えることをやめてしまったら、勝負に勝つことはできません」の言葉に、僕は「感じることもやめてしまったら」を加えたいと思います。
日本の部活やスポーツの指導者の中には「言われたことをつべこべ言わずにとりあえずやれ」的な発想が未だに残ってる人もいるし、そうではないだろうU-20サッカーワールドカップの日本代表監督でさえ「状況判断において世界と差を感じた」と認めています。今の日本社会はスポーツに限らず、判断力や感受性、思考や感性は「センスだから」と個人の資質に丸投げで、トレーニングしたりさらに磨いたりする発想やその価値が一般的に低いかなと、僕は思います。
ただ、余裕がなくなって視野が狭まることは人間なら誰にでも起こることと思います。なので、その状況でも一定ラインの判断力や感受性を保ち続けるトレーニングは必要と思うのです。例えば、
①余裕がない自分に気づける意識を作る
(自分の状態をみつめる「内的視点」と自分を客観的にみつける「外的視点」)
②自分の思考と逆に振れた他人の意見にも素直に耳を傾ける(自分は万能ではないという自覚)、
③普段から多角的な意見を言いやすい空気を作る
(立場キャリアに関係なくアイデアの価値は平等であり尊重される雰囲気)
これらのことを感受性、柔軟性、ユーモアを持って普段から取り組み、ブレない事(児童福祉なら子どもの利益・権利・成長といったところでしょうか)を共有しながら正直で誠実な対話を活発にできるチームは、それぞれのメンバーが思考停止せずに感じて考えて、困難な状況に陥っても乗り越えられる「強いチーム」なのかなと。
すると「変えるもの」と「変えないもの」について、きちんとチーム内で考えたり議論しておくことは、チームの土台(信念)作りであり、それもトレーニングの一部なのかもしれません。
土台(信念)やトレーニングがあるからこそ、危険なな時間帯は耐え忍び、チャンスと見るやリスクを負ってでもチャレンジする判断の意思統一、以心伝心がチーム全体ではかられるのかなと、コラムを書きながら連想しました。
僕も過去に「負けるチーム」のまま知らず知らずにうちに勝負に挑むような状況になり、結果として子どもに負担を背負わせてしまった苦い思い出があります。
過酷な生い立ちを扱う際どいLSWを実施する場合、実施前に支援者同士が「強いチーム」になれているかどうかで、かなり勝負は決まっている、かもしれませんね。
以上、番外編コラムでした。
ではでは。