LSWのちょっとかゆいところに手が届く「まごのてblog」

静岡LSW勉強会の管理人によるコラム集

【第8回】子どもの悲しみによりそう 喪失体験の適切なサポート法⑤

メンバーの皆さま

おつかれさまです。管理人です。

前回の予告通り、
「未完の感情」の表現を助ける4つの基本カテゴリー

"謝罪/許し/情緒的な言葉/楽しい記憶"

について書いたのですが、僕自身の整理が追いつかず、かなりの長文になってしまいました。

普通に読むと「どこまで続くの?」となると思うので、全体をサッと見渡し、お時間に余裕があるときに、所々読んで見てください。

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●目次
パート1   喪失に関する神話を見つめる
パート2  未完の感情を知る
パート3  未完から完結への道
パート4  発見から完結へ
パート5  その他の喪失
パート6  子どもと死を考

●内容&コメント
まず4つの基本カテゴリーの前に「関係の見直し」について触れます。

「関係の見直し」は、
未完の感情を完結へと導く、最初の行動。

私たちの考え方や感情、意見はつねに変わるので、関係のどの要素が未完であるかを探し出すには、関係を見直すことが必要。

と説明されています。さらに、こう続きます。

・ただし、関係の見直しは、完結ではない。完結するためには行動が必要。
・喪失や悲しみからの回復は、悲しんでいる人によって選択される、小さな、積み重なった行動の連続でなされるもの。
・関係性の見直し(振り返り)は、自分の思ってのとは違う形で終わってしまったこと、よりよくあってほしかったこと、あるいはもっと多くあってほしかったことを思い起こし、子どもたちが本当に望んでいることを発見するのに役立つ。
・見直しはまた、将来についての実現しなかった夢や希望、そして期待を明らかにする。子どもたちは、彼らが言ったことやしたこと、あるいは、言わなかったことやしなかったことで、今こうしたいと思っていることを見つけられる。
・しかしながら、伝えられなかったことや言えなかったことに気づくだけでは、子どもたちの感情は完結までは行きつけない。

僕的には、ここまでの内容は、LSWで自分や家族の過去を知るプロセスで起こる、本人のこころの中での「発見」「気づき」の解説かな、と思いました。

そして、支援者が「感情の完結」のためにサポートする行動が「語り」です。

語りは以下の「4つのカテゴリー」
①謝罪(Apologies : A)
②許し(Forgiveness : F)
③情緒的に重要な言葉
(Significant emotional statments : SES)
④楽しい記憶(Fond Memories : FM)

について「言語化したのしたものを他の人に聞いてもらうことが必要」とされています。

少し長くなりますが、カテゴリーごとに紹介します。


①謝罪(Apologies : A)
「ごめんなさい」
人を操作するのでなく、自分の感情を完結する
・子たちたちがしたこと、あるいはしなかったことでだれかを傷つけてしまったことに対してなされる。
・謝罪の目的は、子どもたちがしてしまったこと、あるいはしなかったことを、情緒的に完結するのを助けること。
・生存している人に直接お詫びをすることが不適切で、相手を傷つける危険がある場合には、間接的な謝罪をする。その場合、声に出して言い、誰かがそれを聞いていることが必要。
・誰かが亡くなってしまったとしても、その事実が未完のコミュニケーションを完結する必要性をなくすわけではない。
・謝罪をした相手の反応は、その人によるものであり、謝罪をした自分のためのものではない。


  上記の内容は、違和感を持つ方も多いのではないでしょうか?相手の許しがない謝罪はどうなのかと。しかし、逆説的に考えると、もし相手が亡くなったり、物理的に直接会えない状況におかれたら、謝罪はなくてもいいのか、ということです。
  僕の理解としては、謝罪は「したこと」「しなかったこと」に対する自分の中の「心残り」や「後悔」を表現したり整理する言葉なのかな、と思いました。
  例えば、一般のLSWのお話では「自分が悪い子だから施設に預けられた」と思い込んでいる子どもに事実を明らかにして、あなたは悪くないと伝える、ということはよく耳にします。
  もちろん事実無根であったり幻想であれば訂正される必要があると思います。でも、もし親と一緒に暮らした記憶があって、仮に親の要求水準が年齢や能力不相応だったとしても、当の本人が「僕が言うこと聞かなくてごめんなさい」と思う気持ち自体は否定されるのもではないだろう、と思うのです。それは、自分の感情の整理(完結)のためだから。
  幼い子どもは自己中心性が強く、過度に自分のせいだと思う傾向があるので、それをニュートラルに戻すサポートは必要と思います。ただ極端に振り切って、親の事情を無視して何でもかんでも「全部、親が悪い」とすると、親への怒りをむやみに増幅させたり、「今が悪いのは親のせい」で片付けて自分の行動への責任を放棄する方向に向かわせる危険性もあると思うのです。
 そこで重要なポイントが次のカテゴリーかなと思います。


②許し(Forgiveness : F)
「私はあなたを許します」「悪いことでしたが、もういいです」
許しとは、過ぎ去ったことについて、もっと違っていたら、あるいは、もっとマシだったら、という思いを諦めること。
・ほとんどの人がforgive(許す)をcondone(大目にみる)という意味に置き換えて理解しています。
●forgive
自分を傷付けた人に対する憤りを感じるのをやめること
●condone
ささいな、害のないような、あるいは重要ではないように、扱うこと。大目に見ること。
※「憤り」とは、間違った、侮辱された、傷付けられたと感ずる持続した悪意に対する憤慨した不快な感じ

許しは行動であり、感覚ではない。
・許しは記憶を取り去りはしませんが、痛みを取り去る。「許すことはできますが、しかし、忘れることはできない」なら、忘れなければ許せないのか?
・求められていない許しは、常に攻撃と考えられる。許される人は、じぶんが許されると知る必要はない。
・相手が亡くなっているなら、その人に自分を許すように頼むことは、亡くなった人に行動を頼むことで不可能。
・許しの価値という新しい気づきを、子どもたちの生活を向上させるために使いましょう~、もし子どもが許しを得たいと願ったら、自分が言ってしまったことやしてしまったことを謝罪するのです。直接相手に許しを願うより、自分が謝罪をすることの方が、はるかに子どもたちにとってはいいことです。


ここには、LSWに重要な示唆があると思うんです。

僕の理解だと、許しは、
過去をありのまま、過大過小評価することなく受け入れ、過去からの思いを良い意味で「諦め」、憤りや痛みから自由になる(解放される)こと、なのかなと。

「許しは行動であり、感覚ではない」

行動を起こすためには、十分な情報を知ること、そこから沸き起こる自分の気持ちに向き合うこと、そして「語る」こと、ここまでセットで必要だろうなと思います。


そして、もう一つ。「許し」を読み進めると僕の「こころ」の中で、怒りに似た気持ちが湧いてきました。
「加害者は直接相手に謝らなくていいってこと?」
「犯罪者に酷いされても許せってこと?」

そんな自分を客観視して理性で考えて見ると「頭」の中にこのような構図が浮かびました。
「社会的要請・全体の利益」vs「個の成長や幸せ」
「多数・メジャー」vs「少数・マイナー」

すると、はじめに僕の「こころ」の中で湧いた怒りに似た感情は「社会的、多数的」な思考からきているのでは、と思いました。知らず知らずのうちに、社会の常識的な価値観や、もしくは個人的な経験の感情を大きくかぶせた思考になっているのでは、と。

今一度、思い出していただきたいのは、この本は「喪失体験の適切なサポート法」がテーマです。つまり焦点は「個」のサポートなんです。

原点の「個」の支援の視点に戻ると、被害者視点では「求められていない許しは常に攻撃とみなされる」は正にその通りですし、憎しみを抱え続けて生きることの苦しみや悲劇を扱った映画やドラマは数えきれません。

改めて「喪失体験をした個人をサポートする」ことは、慣れ親しんだ社会的常識に縛られず、そして自分の過去の痛みや憤りにも縛られず、その「個」に寄り添いニュートラルにまず聞くことなんだな、と思いました。


そして、三つ目のカテゴリー。
これは四つの中でも本当に重要なものとされています。

③情緒的に重要な言葉
(Significant emotional statments : SES)
謝罪や許しではなく、言う必要のあること。亡くなったペットへの手紙を例に。

その人が死別離別など何らかの理由により引き離されて、関係性が終了してしまう前に、伝えられたor伝えられなかった言葉(感情)。
「もっと遊びたかった」「大好きだよ、それに、きみも僕のことを大好きだったのも知っているよ」

情緒的に重要な言葉には、許しが必要。否定的な言葉を述べることは問題ないが、その後に許しの言葉があって完結される。
「きみが僕を噛んだから、僕は怒った。でも、もういいよ」


そして、最後のカテゴリーは、

④楽しい記憶(Fond Memories : FM)
子どもが幸福感を持った体験として記憶していること。肯定的なことに関する喜びや、人に対する感謝を含む。
「ありがとう」「感謝しています」



ここまで読んだ皆さんはどんな感想を持ったでしょうか?きっと色々な想いが浮かんできたと思います。

もしかしたら、親と過ごした経験や記憶が全くない子どもは、4つのカテゴリーについて何も語れないと思った方もいるかもしれません。

でも僕は、LSWに取り組む中で、
「姿を一目見てみたい」「声を聞いてみたい」
「なんで私を施設に預けたのか知りたい」
「親も大変だったんだね」
「もういいよ」
「ここで元気に暮らしているし」

等々の子どもの声を聞いて来ました。そして、これまでの養育者支援者への感謝や楽しい思い出もたくさん聞いてきました。

LSWで大切なことは(面接全般ですが)
「気持ちを聞くこと、感情を完結、整理すること」

で、そこには喜怒哀楽すべての感情が表現されて良いこと、自分のありのまま感情や人生を認め、憤りや痛みから解放されること。

そして、情報を収集したり伝えたりするのは、その手段やきっかけに過ぎないこと。

現在の僕はこんな風に思っています。
 
 
長くなりましたが、ここまでです。
 
ではでは。