LSWのちょっとかゆいところに手が届く「まごのてblog」

静岡LSW勉強会の管理人によるコラム集

【第11回】あいまいな喪失とトラウマからの回復①

メンバーの皆さま

おはようございます。管理人です。

九州の雨は酷いですが、静岡はもうすっかり夏ですね。今日も暑くなりそうです。

今回から、また長期連載になりそうな本を紹介します。

本書は「あいまいな喪失」について書かれたもので、東日本大震災が起こってから東北で頻繁に紹介されたり、トラウマ研修でも取り上げられるようになっている話題です。

簡単に言うと、大事な物や人を喪失しても
「なぜそれが起こったのか?」
「いなくなった人や物が今どうなっているのか?」
「そもそも生きているのか死んでいるのか?」
さえハッキリと説明がつかない"あいまいな"喪失体験の理解と援助についてです。

ご察しの通り、社会的養護で家族と離れて暮らす子どもたちにドンピシャな話題なので、おそらく今後、LSWに限らない範囲で重要概念になってくるだろうと、僕は思っています。

ちょっと今回も長いので、そのつもりでお願いします。

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●目次
はじめにー喪失とあいまいさ

第I部   あいまいな喪失の理論の構築
第1章  心の家族
第2章  トラウマとストレス
第3章  レジリエンスと健康

第II部   あいまいな喪失の治療・援助の目標
第4章  意味を見つける
第5章  支配感を調整する
第6章  アイデンティティーの再構築
第7章  両価的な感情を正常なものと見なす
第8章  新しい愛着の形を見つける
第9章  希望を見出す

エピローグーセラピスト自身について


●内容&コメント
目次には、LSWのキーワードがてんこ盛りですよね。その一つ一つが重要概念なので、次回以降に詳しく取り上げていきます。

今回は「木を見て森を見ず」とならないよう、まず全体像を捉えるために
「エピローグーセラピスト自身について」
から取り上げます。

以下は、エピローグの一部を僕なりに順番をアレンジして抜粋したものです。

~専門家としてのレジリエンスがトレーニングの目標である場合、技術の練習だけでは十分でないのは明らかです。他の人をアセスメントする技術に長けていても不十分です。むしろ私たちは、内省し、自分自身についての知識を深めなければなりません。

~これが、セルフケアと呼ばれるのか、セラピスト自身の自己への取り組みと呼ばれるのかはともかく、このセラピーを行ううえで自分自身のレジリエンスを高め、私たち自身があいまいさとともに安心感を持っていられる力をつける、極めて重要な出発点です。

~逆説的ですが、本当のところを知らないまま生きていけることと知っていることが、私たちがあいまいな喪失で効果を上げるのに必要なレジリエンスをもらたしてくれるのです。

~クライエントにとって、セラピスト同様に、不確実さの中でも健康とレジリエンスをもつことが目標になります。レジリエンスは、疑心やあいまいさの耐性から成長するものであり、絶対に確実なものを頑なに固守することから成長するのではないのです。


本書のキーワードは「レジリエンス」かなと思います。詳細は第3章で扱いますが、
「あいまいさとともに安心感を持っていられる力」
これが本書でのレジリエンスを端的に表現しているかなと。

皆さんもご存知の通り、自閉スペクトラム症ASD)や人格障害系の方って、まぁ曖昧さに弱いですよね。0か100、白黒ハッキリしないと気が済まない極端なアノ感じです。

社会的養護の子ども親ってかなりの確率でこんな感じですから、援助者は支援対象がレジリエンスが非常に低いことを前提に準備しなければ対応が難しい、ということです。

さらに、児童福祉の対応って、曖昧なグレーゾーンが結構多い気がします。明確な答えがあるわけでなく、目に見える理屈だけでなく、目に見えない感性直観的な情報も判断に求められますし。なので、援助者はより高いレジリエンスを築いておかないと、援助者自身が健康と安心感を維持してグレーゾーンの問題に対応することはできない、のではないかと。

しかし、特に虐待対応において、援助者自身が曖昧さを抱えきれなかったり、グレーに耐えられずに「法律にある」とか「虐待・暴力はダメに決まってる」で杓子定規というか、理屈ゴリゴリの「えぃ!やぁ!」対応になってることって、結構あるなぁと思います。

そこで、読んでいただきたいことが以下です。


~伝統的に、私たちが受けるトレーニングは、物事を支配し、修復し、うまく対処や管理をし、癒すということです。しかし、これらの目標は、あいまいな喪失では達成できないのです。

~専門職の文化では、コントロールすることが、臨床的介入に暗黙のうちに必要とされる特質です。なかなかコントロールできない問題があると、不快な気持ちが生じます。

~その場合、コントロールしたいというと私たちの欲求を和らげることが重要な課題となり、それには自己について学び、自分を見つめ、成長させることが必要です。

~臨床家は、支配しコントロールしなければという自分自身の欲求について、より深く見つめる必要があります。

~優れた専門家であるためには、常にすべての答えを持っていなければならないという(敢えて言えば)傲慢さを手放すためには、私たち臨床家は自分自身の外にある何かを信じなくてはなりません。

~今日のセラピストには、外からのはかりしれないほどのプレッシャーがかかっています。「セラピストの自己」のためにしっかりと注目する時間がある人はほとんどいないでしょう。

~専門家のプレッシャーを楽にするよりもむしろ、サービス提供者の要求に応える技術や方略が強調されています。

~解決のない状況にトラウマをうけて犠牲になっている人々と仕事をすることが、専門家にとって非常に骨の折れることであるという事実を、私たちはもっと話し合う必要があるのです。


本書では、セルフケアや内省に加えて、専門職としての"凝り固まった常識"に鋭くメスを入れている点が痛快で面白いところだな、と思います。

最近、専門家自身のケアや感情の取り扱いは脇に置いて、プログラム偏重的な効率主義的な考えって、ずいぶん蔓延してるなと僕は感じています。それは支援者の不安を和らげるための選択なんじゃないかな、と。

それは現在の専門家へのプレッシャーの強さや精神的時間的余裕のなさの現れかな、とも思うんですけどね。

よく聞く地域援助者の「心配だから施設入所させてくれ」もそうです。それは誰の心配、誰の不安なのか、ということです。

エビデンスがあるから、これやっておけば大丈夫」
「もう施設入所したから大丈夫」的な。

確かにプログラムや施設入所という「枠」を使うことは安心感を作る「手段」としてはありだと思います。

ただ本質的なことは、プログラム実施や施設入所が「目的」はなくて、プログラムや施設入所を介して何をしようとしているのか、細かく言うと自分と相手が何を感じ、どのようなことを考えたのかを「やり取り」することが大事なんだと思うんです。

専門家自身が、何故その選択肢を選んだかに始まり、その理由をクライエントがどう思って始めたかを含めて。

「コントロールしたいというと欲求を和らげることが重要な課題」とありますが、正直コントロール出来ない、予測していない事態って不安だし、怖いです。自分がきちんと対処できるのか、そして失敗した時に、専門家としてのメンツやプライドが保てるのか。

ただ、専門家自身がそのような恐怖や雑念があることも真摯に受け止め、目の前のクライエントに対して今の自分にできる精一杯のことに集中して、はじめてクライエントの不安や怖さを受け止めて抱えられるのかな、と思います。

その意味では、自分自身を見つめる「質」が、対人援助で提供できるサービスの「質」そのものに直結する、と言っても過言でないだろうと思います。


そして、エピローグの「訳注」に、大事なことがサラッと書かれているので、最後に紹介。

~家族療法では援助者が専門家としての振り返りをするだけでなく、1人の人間として自分自身が心のなかでどう反応しているのかということに気づくことの大切さを重視している。その機会はスーパーヴィジョンやコンサルテーション、ピア・グループに参加することで得られるのはもちろんであるが、クライエントやその家族との対話の中においてもそのような機会を作ることの重要性が強調されている。
(H&I.ゴールデンバーグ2008)

~この新しいポストモダンの流れでは、専門家は自分の気持ちを超越して治療を進めるというそれまでの考え方に対して、専門家も自分の気持ちの動きに気づきながら、クライエント家族と協働でセラピーを進めると言う考え方に基づいている。ボス博士は特にあいまいな喪失を体験している人々に援助するには、専門家自身が自分自身の振り返りをしながら、クライエントと対等な立場に立って進めることによる効果の大きさを強調している。
(私信、2014)


専門家は「理論的な専門的知識」や「経験」はあるかもしれませんが、あくまでそれは方向性を決める材料に過ぎないし、「専門家は正しい、間違わない」なんて傲慢だと思います。

専門家が正しい判断ができるなら、世の中の問題は全て解決しているはずですし。専門家って言い方を変えれば「オタク」なので、良くも悪くも一般からみて「偏りのある人」って自覚も必要なんだと思います。僕も含めて。

現実問題はもっと複雑で、世の中には100年前まで科学で証明できなかったことや覆ったことなんて山ほどあって、専門家が見ていることなんて、所詮その時代のある側面からのいち視点に過ぎない、と思います。

なので専門家なんて偉くもなんともないし、クライエントという「プレーヤー」を支える「サポーター」「仲間」のほんの一部に過ぎないし、その声援が届くかもプラスの力に変わるかも「関係性次第」なんだと思います。

最近、僕も家族面接でクライエントと対等な立場に立って、率直にオープンに感じたことやり取りする手法(オープンダイアローグ)を取り入れることが増えてきたのですが、その場で起こる効果や化学反応は本当に大きいなぁ、と実感しています。

なんてことはありません、勉強会の雰囲気そのままに面接してるだけです。

なので、LSW勉強会でも今後、そんなフラットな関係性の交流や対話が継続して、安心して大変な話しや失敗した話しを語る中で、結果として参加する支援者自身のレジリエンスが高まっていく「場」になったらいいなー、と思いました。

長くなったので、この辺で止めておきます。

ではでは。