LSWのちょっとかゆいところに手が届く「まごのてblog」

静岡LSW勉強会の管理人によるコラム集

【第13回】日本文化と即興性、育成論

メンバーの皆さま


おはようございます。管理人です。

今回もコラム番外編です。

実は次回コラムで触れる予定の内容が、著者のお国柄(アメリカ)文化的背景に関わる話しです。

なので、その前に我々の「日本文化」について考えるいいニュースを見つけましたので、今回はそこから。


Jリーグからのベルギー派遣コーチに聞く
『欧州の育成は何が違うのか』
『日本人が10代後半で伸びなくなる理由』

ベルギー。人口約1100万人ながら、2016年にはFIFAランキング1位になるなど、近年サッカーの若手育成に定評のあるヨーロッパの国です。ちなみに僕の好きなビールも有名なところです。

そこに派遣されたコーチが語る前半は、日本とベルギーの文化の違い。面白いのが、14歳年代において、20にいたら、日本なら斜に構えていうこと聞かないのが3〜4人だけど、ベルギーでは言うこと聞くのが3〜4人だと。

そして、ベルギーでは『この技術でコントロールしたら、こっちに走れ、なぜならここから斜めにボールが受けれるだろう』という判断を奪うような練習も多く、細かいセオリーを徹底的に叩き込むらしいんです。

でも、ベルギーの子ども達は、徹底的に叩き込んでも、自分のやりたいことを積極的にやるんだ、と。

すると、しっかりと理論が整理されているし、子ども達も年齢が低いからどんどん吸収していく。そして、年齢が上がっていくにつれて、それを使ってどうプレーしていくか考えるようになっていく、と。

一方、日本だと、自分でチャレンジして気づいていくのが望ましくて、基本技術もこういうのが大事だよ、だからやろうというスタンスであると。

「理論」と「判断」を教える順番が、日本とベルギーでは逆らしいです。

でも、もしベルギーと同じテンションで日本で指導したら、それはそれで問題が出てくると思う、と。言われたことしかやらない選手も出てきそうだし、その傾向はサッカーだけじゃないと思う。どれくらいのさじ加減がいいのか、個人によっても違うと思うし、答えが出ない、と。


後半は「日本人が10代後半で伸び悩む理由」。
オランダの名門クラブ・アヤックスのオランダ人指導者とユース年代アナリストの日本人の話し。

Jリーグ選抜vsアヤックスの試合を観た時、アヤックスの指導者が「いつも思うだけど、どうして日本人は即興の連続でプレーできるんだ?」と尋ねるんだと。

アヤックスのユース年代アナリストの白井氏によれば、「日本人の良さとして、〜隣の人を気にかける習慣ができているから、隣の人を気にしながらやるということはすぐにできる」

「オランダのサッカーはある程度『型』があって、その中でプレーしているから15.16歳で、それと全く違うことをされると対応できない。速くて捕まえきれないと感じる」

「でも18歳くらいを過ぎると、トップに残る選手はインテリジェンスもある選手だから、だんだん対応できてくる。そうなってくると日本は打つ手がない。即興性が消されたら、何で勝負するか。体もスピードも、決定的な強みがない」

「即興性の良いところは相手が読めないこと。デメリットは同じことをもう一度やることができないこと」

と。それを受けてJリーグのベルギー派遣コーチは、

「僕も指導中に、相手を見なさい、味方を見なさい、スペース、流れを見なさい、と言います。日本の教え方は気にすることが多いんですね。ベルギーでも気にすることはありますが、少なくとも味方のことは気にしなくていいくらい、ステマティックに、こうすればここにいるはずというのが各チームにあるんです。『日本も即興性だけに頼らなくなったら、あっという間に強くなるのではないか』と白井さんに言われたんです」

と。


僕にとっての日本人イメージは、
「監督の言われたことをやろうとしすぎる」
昔は中田英寿が、今は本田圭佑が、歴代の日本代表外国人監督がしきりに言っている日本人像です。

自分で判断できない、融通が利かない、みたいな。

なので「日本人は即興性がある」という切り口が、僕にって非常に新鮮でした。そういう見方もあるかと。

確かに日本文化は「空気を読む」「雰囲気を察する」話題の「忖度(そんたく)」など、非言語的な情報を読み取って相手に合わることが非常に求められる社会だな、と。

先日6/25の静岡県知事選挙のポスターになった内田篤人清水東高出身、シャルケ所属)のメッセージ、

「海外で意思表示の大切さを強く感じた」

これって、海外の人は察してくれないから、ハッキリ言葉にしないと理解してもらえないってことですよね。

おそらく、日本人の細かい非言語情報の読み取り能力って平均的に高くって、海外の人からしたら、「YOUはどこかで専門的なトレーニングを受けたのかい?」というレベルの人が日本にはゴロゴロしてると思うんですよ。生まれ育った環境で自然にトレーニングされて身についていると言ったような。

一方で、白井氏の「日本人は即興性に頼りすぎている」という指摘もまた新鮮ですね。

僕が思うに日本文化的に「他人との即興性」には優れているが「自分との即興性」は弱いのかな、と。

自分の感覚や直感に合わせて、自由に表現をしたり、身体でリズムを取ってみたり。忍耐とか献身性って日本人の価値観にとって「美徳」なので。

言いたいことは、どっちが良い悪いではなくて、なんでも偏り過ぎは良くないだろうと。自分も相手も感じる感性が両方大事だろうと思うのです。

そして、両方扱えるようになるには、意識的にトレーニングでは、得意な方、今偏ってる方とあえて逆をやってみる必要がある、ということをベルギーの育成は言っているような気がします。

持っている長所を活かすために、あえて逆の事に取り組むんです。サッカーなら、細かい技術に優れるファンタジスタに、運動量やハードワークを求める。激しさの中でしなやかさを発揮したら鬼に金棒ですから。

でも常に100%発揮では、すぐエネルギー切れちゃいますから、ある意味長所を「奥の手」で残しながら、発揮する割合を状況に応じてギアを調整する。それだけで戦い方の幅がグッと広がるし、ここぞでアクセル全開にする長所はより活きますよね。

しかし、慣れるまでは一時的に長所も発揮できなくなる落とし穴はあるので、いきなり本番じゃなくて練習で長所と「逆」を繰り返して慣らすんですよね。長所に頼りすぎないように。

なので僕は、コラムでこれでもかと「セルフケア」を取り上げるし、勉強会では「自由なオープンな」を繰り返すのかなと、この記事で気付かされました。


また、
ベルギーでも気にすることはありますが、少なくとも味方のことは気にしなくていいくらい、ステマティックに、こうすればここにいるはずというのが各チームにあるんです」

これもその通りだなと。LSWでも、
「そろそろ〇〇を伝えていい時期だと思うんで、何歳の〇〇と情報欲しいですよね」
くらいまでは、何にも考えなくても関係者内外の味方同士は分かっていて準備されていて、

「じゃ足りない情報どうしましょうか?説明の仕方はどうしましょうか?」

という相手に合わせる部分で、ようやく自分の持ってる大事なエネルギーと時間を費やしたいですよね。

すると、やっぱり再現性を高めるためには、理論的に整理して共有するということは必要で、今の日本のLSWはそこを作ることを模索している段階なのかな、と。

ただ理論的に整理されたものは、大事なことにエネルギー使うための「手法」「戦略」であって、それで完了じゃないですよ、目の前の人に集中して下さい、ということは常に意識しておきたいですよね。

そして、目の前の人の機微を「察する力」は、おそらく多くの日本人の長所に関わらず、謙遜して無自覚なので、「当たり前」ではなく、自身の長所を意識して上手に活かす思考になったら、支援の質がまた一段階変わってくるんじゃないかなぁ、と思います。

また、それを際立たせるのが「理論的な理解、整理」で、その両輪を意識してトレーニングすれば相乗効果が生まれて、きっとお得だよなぁ、と思っています。


次回は、あいまいな喪失の援助者のトレーニングについて触れます。

ではでは。