LSWのちょっとかゆいところに手が届く「まごのてblog」

静岡LSW勉強会の管理人によるコラム集

【第18回】「cure」と「care」の違い

メンバーの皆さま


おはようございます。管理人です。

今回は僕の中で引っかかっていたことについて。

「治療」と「ケア」

この言葉は、書籍や会話でサラッと使われますが、これがクセ者で、同じ言葉を使っていてもお互いの頭の中のイメージがズレてることって結構あるなぁ、と感じます。

そこで、今後のコラム内容、書籍の紹介内容でそのようなズレをなるべく防ぐために、今回は、

「治療(=キュア)」と「ケア」の違い

について考えてみます。


「キュア(治療)」と「ケア」の違いは、癌などの終末期医療の分野で、時々話題になるようです。

まずは、成り立ちと辞書的な整理ですが、どちらも語源はラテン語の【curare】「治療する、世話をする」だそう。そこから、

→キュア【cure】「治療、治癒、治す」

→ケア【care】「注意する、世話をする、手当て」

と派生したみたいです。

例えば、癌治療で、癌細胞をなくす医学的処置が「キュア」、完治はしなくとも痛みや悩みを軽減して生活の質を高める取り組みが「ケア」。緩和ケアと言えば「キュア」との違いがイメージしやすいかもしれません。

ケアがたくさんでcareful=「注意深い、慎重に」と考えると、ケアは気遣い心遣いの「お世話・手当て」なんだと腑に落ちます。

僕の理解だと、

【cure】問題を解消したり、病気の原因を除去したり局部に直接アプローチして「治す」

【care】もっと心身や生活全体を俯瞰的に見て、QOL生活の質)を高めための「お世話」

というイメージです。


ここで少し体験談を。実はここ2年程、僕は鍼灸(針お灸)の「お世話」になっています。

きっかけは、久しぶりのバスケの試合後に右足の腰の辺りに突くような痛みが出まして。腰痛持ちでしたが1ヶ月も痛みがあるなんておかしいなと思っていたら足がシビれてきまして。これはヤバいとMRI撮ったら見事な「椎間板ヘルニアだったんです。

下の図を参照ください。椎間板とは、骨と骨の間のクッションみたいなやつで、それが神経を圧迫すると痛みやシビれになるんです。

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僕の腰画像も椎間板がブチューと出てまして、医者から「手術する程じゃないけど、痛みが増してきたらブロック注射(麻酔、痛み止め)しますか」と言われ、渡されたのは痛み止めの飲み薬。

困りました。すでに腰痛で目が醒める毎日だけど、手術後の生活やリハビリの大変さを考えたら手術も嫌だし、痛み止め飲んだって一時の気休めだとわかっているけど、一生こんな生活はゴメンです。

そこから色んな試行錯誤をしまして、最終的に辿り着いたのが「鍼灸」でした。どうやら針を打つことで、細胞を活性化させて自己治癒力を高めるそうなんです。

すると、2~3ヶ月で足の痺れは無くなり、1年後にはなんと腰痛は消失。ターニングポイントは、途中で「肩や背中の張りが、腰に負担を掛けている」と肩背中の鍼灸も同時に始めたこと。この時期から腰の痛みは劇的に改善し、今では腰には一切さわらず、肩背中だけの施術を継続しています。

これが良い例えかわかりませんが、直接的に原因患部や問題を取り除く【cure】的なアプローチだけが、有効かつ現実的な方法とは限らないわけです。

ちなみに肩背中の張りの原因は、おそらく仕事のストレスや電車通勤だと思っていますが、これは今の仕事をする以上、ある程度は仕方がないと思っています。なので【care】しながら長期的にうまく共存・お付き合いしていく道を選んだわけです。

福祉の現場にいると、成育歴上の問題が複雑に絡みすぎて、もはや原因の根が深過ぎて直接アプローチしようがなかったり、そもそも何が原因なのかスッキリ特定できないことの方が多い気がします。


そこで、もう1つ言葉を紹介。

「治療」「癒す」と訳される言葉に【heal】があります。語源ギリシャ語の【holos】「完全な姿(本来のあるべき姿に戻る)」だそうで、healに状態を表すthを付けて【health】「健康」になる、と。 

【healing】「ヒーリング」と聞くとスピリチュアル的なちょっと怪しいなぁと思う方もいるかもしれませんが、西欧的に言えば、競争社会で交感神経(興奮覚醒)過多になりやすい現代人の「副交感神経を優位にする」癒し系音楽とか、東洋的に言えば「気の流れが良くなる」ツボとか、一つに繋がっている心身のバランスや流れの「偏り」や「滞り」を整えて、心身が本来の持っている健康的な状態に「調整」するのが、僕の【heal】イメージです。

僕の「椎間板ヘルニア」へのアプローチもそうですし、例えば家族面接も、悪い人を見つけて正したり治すんじゃなくて、家族システムの対話交流の上手く流れていない滞ってる所をほぐす【heal】のイメージが、僕はやっててしっくり来るというか、性に合ってるんですよね。

もちろん手っ取り早く問題を【cure】する考え方もあるし、状況によっては必要です。例えば骨折してるとか。ただ治療後にリハビリできる環境の準備や、そもそも悪くなった習慣の見直しがなければ、再発したり別の所が悪くなったり、全体のバランスが崩れてかえって生活トータルは悪化する場合もありますよね。


LSWでいうと、

僕はLSWを、頭の中での「過去ー現在ー未来」の行き来のバランスや流れをスムーズにする【heal】的なイメージで考えています。

スムーズでない状態とは、全ての道が遮断されているばかりではなくて、通じる道はあるけど、どこかにこだわって動けなくなっていたり、全く行く気や見る気がなかったり、どこか一部に偏ったり流れが滞っていたりする場合もあるかな、と。

例えば、未完の感情が残っているから過去にとらわれる、トラウマの再体験の苦痛があるから想起を避ける、予期不安が高すぎるから未来のことは考えない、想起想像の情報材料がないから過去・未来にアクセスしようがない、とか。

その詰まり方や滞り方によって、どこを【care】「お世話・手当て」するのか、どこか【cure】「治療」する必要があるのか、はたまたバランスを整える【heal】なのか、その状態によって様々な戦略やアプローチがあるだろう、と。

しかし時々お話を聞いていると「LSWをやるからには過酷な過去のトラウマを扱って【cure】しなければならない」とか「振り返る生い立ちは、幸せなものでなければならない」とか、人生のネガティヴ・ポジティヴ面だけに焦点化した極端に振り切った思考に陥っていないかな、と感じるがあります。

仮に癌を取り除く手術(キュア)が出来なくても、その人の人生は続くのであって、これからの人生の質(QOLを高めるために出来る「ケア」は他にもたくさんあることは説明不要ですよね。


『三人寄れば文殊の知恵』

という「ことわざ」がありますが、1人で考えられることは高々知れているので、なるべく頭は柔らかく、色んな人の視点を柔軟に取り入れながら、常に一歩でも半歩でも良い支援を考えて行きたいですね。

長くなりました。

ではでは。