LSWのちょっとかゆいところに手が届く「まごのてblog」

静岡LSW勉強会の管理人によるコラム集

【第26回】アイデンティティーの再構築

メンバーの皆さま

おつかれさまです。管理人です。

それにしても今年はゲリラ豪雨が多いですね。まだ静岡県は晴れ間がありますが、東日本は雨続きで作物は冷害だそうです。

タイ米、備蓄米」と言うワードをニュースで久しぶり耳にしました。1993年、今から24年前だそうです。懐かしいですね。

当時、今思えばちょっとアスペっぽい小学校の同級生が、僕の顔が細長いから「タイ米タイ米」と1人でしつこく言っていたなぁ、というライフストーリーを思い出しました。

ふとした所に過去を思い出すキッカケがあるもんです。まさか約四半世紀の時を超えて、コラムのネタになるとは、人生どう繋がるかわかりませんね。

それでは、コラム本題です。

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●目次
はじめにー喪失とあいまいさ

第I部   あいまいな喪失の理論の構築
第1章  心の家族
第2章  トラウマとストレス
第3章  レジリエンスと健康

第II部   あいまいな喪失の治療・援助の目標
第4章  意味を見つける
第5章  支配感を調整する
第6章  アイデンティティーの再構築
第7章  両価的な感情を正常なものと見なす
第8章  新しい愛着の形を見つける
第9章  希望を見出す


●内容
今回は第6章「アイデンティティー再構築」より。言葉の定義、役立つこと、妨げるもの、の3つについて紹介。

◆定義
~エリック・エリクソン(1968)は、個人のアイデンティティーを、変化の渦中における自己の内面的連続性に対する明確な確信である、と定義しました。

~この定義づけにより、アイデンティティーは自己についての理論となりました(Elkind,1998)。しかし、あいまいな喪失の観点から見れば、アイデンティティーは関係性の概念と言えます。

~ここでのアイデンティティーとは、家族やコミュニティでの対人関係において、自分は何者なのか、自分の役割は何なのかについて、分かっていることだと定義できます。また、人は他者が自分をどう見ているのかをも踏まえて、自分を定義すると言えます。

~あいまいさから生じるトラウマは、自分は何者なのか、自分に何が求められているのかについて、明確に考える能力を阻害します。

~このような混乱はクライエントに責任があるわけではなく、むしろあいまいな状況によって発生していると言えます。


アイデンティティーの再構築に役立つこと(3つ)
①家族の境界線を明確にする
~家族とは誰のことを示すのか明確にする。誰が家族の一員で誰がそうでないのか/役割を再構築する/
ジェンダーや世代別による役割には柔軟に対応する/
以前のアイデンティティーを認識する/個人や家族が持つ多様な文化やアイデンティティーをもっと意識する/問題解決のために、家族のルールを拡大する/儀式やお祝い事に必要になる家族の役割や課題を見直す/再構築したアイデンティティーを示すために、シンボル(象徴)を使用する/追加された新しいアイデンティティーを表現するために、あたらしい言語を学ぶ/宗教上のアイデンテティーに起因する憎しみが世代間で継承されないようにする/家族内のアイデンティティー関わる隠し事を明らかにする。

②主要な発達上のテーマを選ぶ
~ジェノグラム(家系図)を通して、レジリエンスに関する家族の肯定的なテーマをはっきりさせる/不在の人がいても、これまで祝ってきた儀式を今いる人と共同で構築する/ジェンダーに関するテーマを探索する/人は時には安全のために自分のアイデンティティーを隠すということを知っておく。

③共通の価値観と物の見方を育む
~苛酷で不明確な条件下でも、スピリチュアルなアイデンティティーを育てる/家族内の価値観やアイデンティティーについて選択肢をみつける/この世の中は、常に公正公平にはいかないことを前提とする/絶対的な考えを持つのではなく、弁証法的な考え(AでもありBでもある)を手本にする。


◆あいまいな喪失によるトラウマの後に行われるアイデンティティー再構築を妨げるもの(5つ)
1)差別と烙印
~最も有害となるのは、人種や肌の色、性的志向、身体あるいは精神的障害、性、年齢、宗教、文化によって、烙印(スティグマを押され差別を受けている状態です。
~頭の悪いやつ、人気者、尻軽女、麻薬中毒者、おたくなどと、学友が決めつけて悪口を叫んだり、あだ名をつけたりすることで、その子のアイデンティティーを固定化しようとするかもしれません。
~このような烙印を押された人たちは、自分に対する周囲の見方、扱い方によって、自分自身のアイデンティティーを形成するにつれ、事態は悪化します。

2)強制的な移住
~人々が住み慣れた土地を後にする移住を強いられ、自分のふるさとや親戚縁者を置き去りにせざるを得ないような場合にも、アイデンティティーが試されることになります。
~ハーディーとラゾロフィー(1995)は、奴隷制度という長期間の支配により、自分のふるさとがどこなのか、だれが家族なのか調べていく中で遭遇した混乱や文化的アイデンティティーの喪失について執筆しています。

3)孤立と断絶
~人との繋がりは、レジリエンスのあるアイデンティティーを形成する手段となります。
~理想を言えば、人とのつながりには歴史と未来があり、それゆえ、若い時から年を取るまで、アイデンティティーの構築と再構築のプロセスを継続するなかで、自分自身を支えていくことができるのです。
~他者との肯定的な相互交流によって、私たちは自分の在りように自信を得ます。

4)一つだけの絶対的なアイデンティティーを手放さないこと
アイデンティティーの再構築プロセスは、その人や集団の歴史における連続性を保ちながら、変化を受け入れることを必要とします
~このことは、1つだけの絶対的なアイデンティティーという発想をあきらめることを意味しています。パズルのピースが全体を作るように、過去から現在までの自分に対する多数の見方を保つことは、レジリエンスを強めます。
~自分や家族の絶対的なアイデンティティーに強く固執しすぎると、その柔軟性の欠如がレジリエンスを妨害することになります。

5)変化に抵抗すること
~あいまいな喪失をなかったことにするような、ほとんど不可能な夢にしがみつくことは、変化を妨げることになり、その結果、レジリエンスが弱まります。
~あいまいな喪失後にアイデンティティーを立て直すためには、そのままの状態が続くことよりも、変化によって生じるストレスの方が、むしろ苦しみが少ないのだと信じる必要があります。
~多くの人が、スポーツや金融市場といった分野において、喪失(損失)と変化の秤にかける経験をしているのに、不明確な喪失の渦中で、役割やアイデンティティーをどのように変換すればよいかについて知っていると人はずっと少ないのです。


●コメント
最終的な「援助方法」については、これまで扱った「ナラティヴ」の繰り返しになるので内容紹介は割愛しますね。

それにしても、この章は「なぜ社会的養護の児童にLSWが必要なのか」その理由と方法について示唆が明確に書かれていて非常に参考になります。

まず、アイデンティティーについて。有名なエリクソンの理論は「自己について」であるが、あいまいな喪失の観点では「関係性の概念」だという指摘は、灯台下暗しと言うか「ハッ!」とさせられました。

アイデンティティーについて、
「家族やコミュニティでの対人関係において、自分は何者なのか、自分の役割は何なのかについて、分かっていること」「また、人は他者が自分をどう見ているのかをも踏まえて、自分を定義する」

という説明は、人間が圧倒的に社会的動物であって、他者という「映し鏡」があって自分を認識できるという、当たり前すぎて忘れていたことを久しぶりに思い出させてくれた気がしました。

周囲に合わせすぎて「本当の自分がわからなくなる」なんて言葉を聞きますが「立場・役割が人を育てる」という言葉もあって、結局、人間は周囲との相互関係の中で生きているので、「適応力」の観点からすると、場面や環境に応じて役割を演じている自分を含めて自分なんだと思います。意志を持って拒否する、周りに合わせない選択肢だってあるわけですから。

逆に、一度その集団の中で〇〇キャラみたいな「烙印(スティグマ)」が押されると、どんなに本人が頑張って変化しても、周囲の見方や評価が変わらず、その場にハマるためにはキャラ(役割)を演じざるを得ないという状況って現実ありますよね。ですから、環境を選ぶ変える事も、アイデンティティー再構築には非常に大事なファクター(要素)だろうと思いました。


また、
アイデンティティーの再構築に役立つこと①②③」は、羅列した項目1つ1つについて本書ではさらに詳しく書かれているので、興味ある方には是非直接みていただくことをオススメします。

その中から一つ挙げるとすると、「②主要な発達上のテーマを選ぶ」でジェノグラム(家系図)について触れられていますが、僕自身、子どもと一緒にジェノグラムを作成する面接を、割と関わりの初期に実施することが多く、その役に立つ効果を実感しています。

目的はLSWをするからではなく、正しい血縁関係を子どもに教えるためでもなく、その子自身の家族や親族についての認識、家族同士の関係性の認識、そして、いつから何人で暮らしている?その前は?引越は?と尋ねると、家族変遷に対する理解と認識、言語性や説明能力、状況把握能力が概ね分かるからです。

さらに、楽しげになったり口が重たくなる語りの様子で、その子のレジリエンスに関する家族の肯定的なテーマ」と「(積み残した課題がありそうな)主要な発達上のテーマ」のあたりが何となく付きます。

それらの情報は、その後の心理検査をどう進めるか、支援をどうコーディネートしていくかを考えるのに非常に役に立つし、ただ聞かれるよりも視覚情報があった方が子どもも想起しやすいのか、丁寧に聞けば例え知的能力が平均域以下であっても結構みんな昔話しを語ってくれるなぁ、という印象を持っています。


最後に、
「あいまいな喪失後にアイデンティティーを立て直すためには、そのままの状態が続くことよりも、変化によって生じるストレスの方が、むしろ苦しみが少ないのだと信じる必要があります」

の部分は、LSWにとって重要な指摘と思います。それは「現状維持のリスク」「変化を試みないリスク」について、あまりに一般的な理解が浅いと僕は思うからです。

このことについては経営から学べることが多いなぁ、と常々思っていまして、例えば、◯◯時代から続く老舗料理店だって、時代や嗜好の変化に合わせて味を微調整をしているし、セブンイレブンのおにぎりだってパッケージは同じでも飽きられないように味を常に改良しているし季節に応じて実は微調整しています。現状維持でチャレンジしない企業は市場で生き残っていけないんです、現実は。

それを、変化を求めて失敗したらどうするんだ、責任は誰が取るんだ、と内輪の関係性と自分の出世キャリアに泥を塗らないことを優先、文字通りの現状維持志向で問題先延ばしのうちに会社全体が共倒れ、一昔前には絶対潰れないと思われていた日本の大手企業の経営困難の話しなんて、もはや珍しくありません。ニュースになるのは氷山のほんの一角であって、日本のいたる所で似たような事って起こってると思うんです。

そこには、日本のチャレンジして成功することよりも、失敗や間違いをしない選択を社会的教育的に求める文化的背景も影響しているんだろうなぁ……と思ったのですが、アメリカ人の著者が

「多くの人が、スポーツや金融市場といった分野において、喪失(損失)と変化の秤にかける経験をしているのに」

とわざわざ愚痴っぽく書いているところを見ると、あいまいな喪失の支援に関しては、どうやら日本も欧米も大して変わらないのかもしれませんね。

言いたいことは、あえて「動かない」ことも「方針継続」することも決断して選択した1つの行動ということです。経営者やプロスポーツの監督なら、その選択で結果が出なければ職を失うわけで「そこまで考えてませんでした」じゃ済まされないんですね。

難しいのは、短期的な結果を求めつつ、長期的な成長への投資も見込まないといけないこと。天秤の最適バランスは状況によって違うだろうし、常にハッキリした正解がない中で判断や決断は求められるのは、企業でも個人でも同じかなと思います。

さらに、優秀な経営者について、日本証券業協会会長の鈴木茂晴氏インタビューより、

~「この人の判断はすごい。絶対間違わない」と言われるわけ。だけど傍で見ていると結構間違ってるんですよ。でも何がすごいかと言うと、間違えた時の処理がものすごくうまい。いつの間にか正道に戻ってる。人間なんだから全部が当たるなんてことはないですし、間違えることもあるでしょう。だから、大事なのはその時にいかに早く処理するか。

これは、当たり前だけど鋭い指摘ですよね。衝動性の高いADHDや空気読まないASDの人は、一般的には躊躇うこともポンと決められちゃったりしますけど、大事なのは、決断後の変化に伴う揺れを素早い対処で落ち着かせていく微調整。決断をただの「点」ではなくて「線や面」として責任を持ってマネジメントを続けられるかどうかだろうと。

ただのリスク回避ではなくで、リスクと共存しながら進んでいくこと、それをリスクマネジメントと呼ぶのだろうし、レジリエンスも通じるなぁと思いました。

「Don't think. Feel!」(考えるな、感じろ)

ブルース・リーの有名なセリフがありますが、変化のリスクを取れない人は、直観的に自分の準備性やレジリエンスが十分でないことを感じている、と言えるかもしれません。

思考停止して「何もしない」のは「恐怖でフリーズ」とも言えるわけで、直観的に危険と感じる感性を抑圧せず正直に受け止めることが第一歩なんだと思います。そして、逆にかえって考え過ぎても「不安で動けない」こともあって、バランスの取れた勇気のある決断には、理性と感性を偏り過ぎず両極をしっかり働かせることが必要なんだろう、と思います。

こう色々と考えると、
「あいまいな喪失後にアイデンティティーを立て直すためには、そのままの状態が続くことよりも、変化によって生じるストレスの方が、むしろ苦しみが少ないのだと信じる必要がある」

のは、言われればその通りかもしれないけど、誰でもすぐに出来る簡単なことではない気がします。

本書で繰り返されるように、支援者個人が専門家として、自分自身の価値観や感性と向き合いレジリエンスを高めたり見直すことは常に必要と思いますが、加えて、LSWでは支援者1人のレジリエンスで全てを抱え込む必要がないことも最後に強調したい、と思います。

全てのことに対応できる支援者はいませんし、誰でも初めてのことには不安がつきものです。ですから、支援者チーム全員が「変化によって生じるストレスの方が苦しみが少ない」と思えるように、経験者や先輩が経験の浅い方の不安も聞きながら「AでもありBでもある」ような柔軟な思考や価値観を持てるような話し合い、チーム全体のレジリエンスで子どもを包み込むような、レジリエンスのバトンを大人同士と子どもで繋ぐような対話がされるといいなぁ、と願います。

ではでは。