LSWのちょっとかゆいところに手が届く「まごのてblog」

静岡LSW勉強会の管理人によるコラム集

【第32回】現役目線「プロとしての成長とは」

メンバーの皆さま

おはようございます。管理人です。

コラム開始から早3ヶ月。気がつけば、すでに30回オーバー。我ながら良くこのペースで更新が続いているなぁと思います。

コラムと言えば最近、元鹿島アントラーズ岩政大樹氏の「現役目線」というコラムを見つけたんですが、これが面白くてですね。

現役選手を続けながらサッカー選手のトレーニングから試合における思考や精神状態を綴っているコラムなのですが、「現役選手にここまで言語化されちゃうと我々の仕事なくなったちゃうよ」とライター泣かせのクオリティーなんです。岩政氏の記事は本コラムの【第4回】「勝てるチームとそうでないチームの差」でも取り上げているので印象に残っている方もいるのではないでしょうか。

そして、偶然にもプロフィールを見たら、僕と同じ1982年生まれの35歳。

分野は違えど、僕も現役の児相職員としてコラム配信をする身として、勝手に「僕もがんばんなきゃ」みたいな気持ちになりましたし、「まごのてblog」も現役目線であることに価値があるのかな、なんて思いました。

で、今回はその「現役目線」コラムの一つから。一流選手に見られる普遍的な姿勢について語られているのですが、「専門家の成長」という観点でサッカー選手に限らず非常に参考になります。


岡崎慎司内田篤人の共通点「サッカー選手の成長」とは  http://best-times.jp/articles/-/2036

【内容】(一部抜粋)
〜彼(岡崎慎司)のもっとも優れている点と言えば、僕はバランス感覚だと思います。今自分にできることと、できないこと。今自分がやるべきことと、やらないでおくべきこと。そのバランスをその時々の自分と向き合いながら、常に調節しているように見えます。

プロに入ると「成長」の意味合いが少し変わります。プロに入るまでの「成長」が、自分が持っているものを増やしていくことだったのに対し、プロに入ってからの「成長」とは、それに加え、自分が持っているものを試合の中で表現できるようになることに変わります。
   それはより詳しく言えば、「今できることの整理」と「“具体的に”できることを増やすこと」になります。つまり、ただ漠然とサッカーを頑張っていればサッカーがうまくなる時代は終わり、より具体的に、自分のプレーの表現の仕方を考えていかなくてはいけないということです。

〜印象深いのは、内田篤人です…当時は、僕も加減を知らず指示を出していた頃です。その頃のアントラーズのスタメンに歳下が入ることはあまりなかったので、今思うと彼には随分厳しく当たった気がします。特に、守備のポジショニングや考え方については口うるさく指示していました。
    それに対して、内田選手は、いつも大体左手をそっと挙げながら、「分かりました」というジェスチャーはしていました。頭のいい選手なので、僕が言っていることは理解していたと思います。しかし、試合では、自分の中で(理解はしていても)今できないと判断したことはしないのです。しっかりと今の自分にできることとできないことを区別した上で、自分のリズムを崩さない程度に、少しずつ取り入れているように見えました。
   結果、2年間コンビを組んだあたりでしょうか。僕が彼に言うことは何もなくなっていました。たとえ問題があっても、二人で目線を合わせたり、一言交わせば全てを分かりあえる関係だったと思います。後にも先にも、あそこまで僕の守備の考え方を理解して実践できた選手はいませんでした。

〜こうした選手たちと接してきて思うのは、プロになってからの差とは、自分にできることの表現の仕方を知り、できないことの隠し方を知っているかどうか、ということです。何かを持っているとか、持っていないとかではないのです。

〜ピッチの中で自分を表現するために、それぞれがその時々で考え、取り組む「成長」の形に、その選手の生き方や考え方が表れているように思います。


●コメント
このコラムを読みながら、児童福祉に置き換えると「プロ」って何年目くらいの立場を言うのかなと漠然と考えていました。

プロサッカー選手は、小さい頃からサッカーが好きで途方も無い練習に打ち込んで、その中のごくごく一部の人達がプロになって行きます。

しかし、現在の児童福祉では、職に就く前の練習トレーニングはほぼ皆無、その仕事をしたいモチベーションも大してない状態で、新人がいきなり試合のピッチに送り込まれるイメージが僕にはあります。そりゃ、ミスや怪我が起きて当然ですよね。

そして、大方の研修体系を見て気になるのは、いつの段階になっても「新しい知識や技術を身につけること」だけが「成長」と捉えられていないか、ということです。

確かに講義形式の研修を受けて、知識を増やすことは無駄ではないですが、大事なのは、それを自分なりに噛み砕いて整理できるか。自分が置かれている立場や体験と結びつけてどう使える(表現できる)のか考えること。そして実際にやってみて腕に馴染んできて、考えなくてもぎこちなく手足が動くようになって、ようやく実践で役に立つものになるんだと思います。

ここ数回のコラムで、

    (脳)知識       -      モチベーション(感情) 
                  \                 /
                    体験(身体)

というような円環的なバランスをあげていますが、成長においても、この3つのバランスって大事なんじゃないかなと思うんです。

例えば、現場対応はガンガンするけど研修や振り返りそして労いもなく働いているサバイバーみたいな人って福祉現場に結構いると思うんです。そうすると「体験」だけが飛び出て、「前はこうだったから」と過去のいち体験に囚われ過ぎてバランスを欠いた状態に陥っているようなことって少なくないのではと思います。同時に「未完の感情」が残っていることも多いのでモチベーションも上がりにくい状態と思います。(第7回あたりのコラムhttp://lswshizuoka.hatenadiary.jp/entry/2017/06/22/210429参照)

逆に「知識」は豊富で、言ってることは確かに間違ってないんだけど、なんだか説得力に欠けるというか話し手自身の言葉になってなくて結局何が伝えたいんだかイマイチわからない事ってありますよね。それって、上の図で言えば、知識に伴う「体験」が足りてなくて知識が上滑りしているような感じなのかなと。

そして、「体験」を十分に積んでいるはずなのに、研修による「知識」を入れても全然結びつかなかったり整理に繋がらない場合は「モチベーション」が追いついてない状態なのかな、と思います。

「知っている」のと「出来ること」は全然違うことはもはや言うまでもないと思いますが、ただ「知識」や「体験」を積み重ねるだけでなく、この「心技体」ならぬ「心知体」のバランスを整えることも、パフォーマンスを十分に発揮するための重要な「成長プロセス」と僕は思うんです。

確かに何にも知らない人は「体験」を積んだり「知識」を入れるだけで乾いたスポンジのように吸収するとは思います。しかし、いつか水が吸えない状態、壁にぶち当たる時期が訪れるわけで、詰め込みすぎると容量一杯のPCやスマホのように処理速度が遅くなることって人間でもありますよね。そういう時には中身を整理したり、状況に応じて入れ替えることも必要なんだと思います。

"〜プロに入ると「成長」の意味合いが少し変わります…それはより詳しく言えば、「今できることの整理」と「“具体的に”できることを増やすこと」になります。つまり、ただ漠然とサッカーを頑張っていればサッカーがうまくなる時代は終わり、より具体的に、自分のプレーの表現の仕方を考えていかなくてはいけないということです"

それは、まさにこの段階のような気がしました。現役目線の別コラムで、

「経験とは、断片的に見ていたものを、複合的に見られるようになること」

という言葉があって僕もなるほどと思ったのですが、断片的な知識や体験はまだ素材のままで、その素材を活かすも殺すも、その後の調理、味付け次第なんだと思います。

料理であれば「塩味、甘み、苦味、酸味、うま味」それぞれ単体では味気ないですが、それを絶妙なバランスで合わせることでお互いの味を引き立てる相乗効果が生まれます。そのように複合的に見られることって、ただ認知的に知識を増やして視点を増やすことじゃなくて、もっと「脳ー心ー身体」の複合的な視点を加えて、断片的な体験を他の場面にも応用できる経験という形に調理(再構築)するようなことを言うのかなと。


岡崎慎司は、清水エスパルス入団当時からダントツで足が遅かったのは有名ですし、FWからDFへのコンバートの話もあったそうです。

でも彼はFWで勝負することにこだわり、チームでスタメンを掴み、日本代表FW、プレミアリーグ優勝チームのスタメンFWまで上り詰めたわけです。それは日本→ドイツ→イギリスそれぞれの環境下で、

「〜彼(岡崎慎司)のもっとも優れている点と言えば、僕はバランス感覚だと思います。今自分にできることと、できないこと。今自分がやるべきことと、やらないでおくべきこと。そのバランスをその時々の自分と向き合いながら、常に調節しているように見えます」

今の自分には、何が求められていて、実際には何ができて何が出来ないのか、今まで何を積み重ねて何が足りないのか。児童福祉の現場に限らず「知識ー体験ーモチベーション」のどれが一つが低下した状態だと、発揮できる全体のパフォーマンスは一番低い部分に引っ張られるんじゃないかと思うんです。

なので、大雑把に「成長」と捉えると全部足りない全部伸ばさなきゃって話になっちゃいますが、プロとして現場に出る以上、現段階でのベストパフォーマンスを発揮して結果を出すことが仕事では求められます。そして、その結果がどうあれ、その後の成長の糧になるかどうかは、その人がプロセスから結果までの一連の体験をどう意味付けるか次第なんだと思います。

"〜こうした選手たちと接してきて思うのは、プロになってからの差とは、自分にできることの表現の仕方を知り、できないことの隠し方を知っているかどうか、ということです。何かを持っているとか、持っていないとかではないのです。

〜ピッチの中で自分を表現するために、それぞれがその時々で考え、取り組む「成長」の形に、その選手の生き方や考え方が表れているように思います。"


我々は毎日リーグ戦をしているようなものですから、結果が出ない時もあるし、調子やモチベーションに波があって当然だと思います。なので、もちろん大一番で発揮するマックス値を上げる事も大事ですか、一つ一つの結果に一喜一憂することなくパフォーマンスをなるべく安定させること、状態が悪い時なりにも崩れ切らずアベレージを維持するための思考や準備を整えておく事も必要な成長であり、大事な結果ですよね。

児童福祉分野に限らず「仕事をする」ということを考えた時に、プロフェッショナル達の生き方は非常に参考になるし、やはりバランス感覚って重要だよな、と再確認できて安心しました。

ではでは。