LSWのちょっとかゆいところに手が届く「まごのてblog」

静岡LSW勉強会の管理人によるコラム集

【第34回】フィッシュボール

メンバーの皆さま

こんにちは。管理人です。

今回は、先日の静岡LSW勉強会で試みた「フィッシュボール」いう対話形式の紹介です。

ちなみに「フィッシュボーイ」は大ヒット曲「PERFECT HUMAN」でお馴染み、ダンス&ボーカルグループRADIO FISHのダンサーで、芸人のオリラジ田中あっちゃんの弟FISHBOYですね。完全にどうでもいい脱線です、すみません。

で、話題を「フィッシュボール」に戻しますと、アメリカで生まれファシリテーションの手法で、「フィッシュボール(金魚鉢)」の中の魚たちと、それを外から眺めている(観察している)人たちとの姿からの連想で、このような名前になっているそうです。

イメージ的には、こんな感じです。

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二重の円のような形で座り、まず内側の円の人たち(参加者)が話して、外側の人たち(観察者)は黙って聞いている。その後、内側外側で交代し、外側から聞いていて感じたことを話し合い、これを相互に繰り返します。


静岡LSW勉強会で「フィッシュボール」形式を取り入れた理由ですが、ひとつは単純に参加人数が10人を超えてくると、話し合い時の一人一人の顔の距離が遠くなってきた、ということ。

そして、フィッシュボールの特徴と効果として、

  • グループの気風・規範や、それを形成しているメンバーの態度・行動についての「気づき(自覚、洞察)」を深めることにある。

  • グループ同士で相互にフィードバックしあうことによって、他者の言動に対して率直にフィードバック(指摘)するときの効果的なやり方、および他者からフィードバックされたときに、謙虚にそれを受け止めるやり方を学習することも大きなねらいである。
能力開発データベースよりhttp://noukai.tetras.uitec.jeed.or.jp/giho/58.shtml

と、当勉強会で大切にしている「内的対話」「気づき」「オープンに話す誠実さ」「違う視点に耳を傾ける謙虚さ」とマッチしている点。

さらに加えて、LSWの疑似体験としての狙いを含んでいます。具体的な勉強会の形式と、内側、外側、全体それぞれのメンバーの感想と共に、その場で起こった体験や狙いを振り返りながら説明します。

今回の勉強会参加者は12~14名(途中の入退室あり)。内側は6~7名で、まず管理人がLSWの研修トピックを報告し、内側メンバーで感想を語り合い、その後に内外で交代して話し合う形式です。

まず内側として「人数が少ないから話さないといけない圧を感じた」という感想をいただいたのですが、これは非常に意味のある「気づき」だと思うんです。例えば1対1の面接でも、面を合わせていると相手の言った内容に何か返さなきゃなんて焦るような思いになった体験ってありませんか?

日本のLSW場面で考えると、児童福祉司が家庭や親の状況等を伝えて、施設担当者、児童心理司が子どもと一緒にその話を聞くなんて役割分担の場面があると思います。そこでは、子どもの内面で様々な想いが巡っているはずで沈黙が続くような場合もあるでしょう。その時、周りの大人が「どう?どう思った?」と語らずとも無言のプレッシャーを与えてしまっていることってあると思うんです。


また外側の感想として「この流れ、この話題で話しに入りたい!」という感覚になった方もいたようで、これも大切な「気づき」ですよね。外側の人は観察者であって、良くも悪くも発言権がありません。すると、目の前の対話とは距離を置いた第三者として「自分の思考や感覚」と向き合う体験をせざるを得ません。

まさに、それこそが観察者であることの狙いで、そこで自分の中で起こった体験に「気づく」ことが、自分の興味関心についてより理解を深める内省へと繋がります。また内側の「話さないといけない圧」から完全に解放されるので、誰にも邪魔されない安全安心な状態で自分の世界に入ることができます。

ちなみに前回コラム「Action Inquary(行動探求)」的に言うと、内側だと(人数が少ない程)自分の意識が外の世界で起こっている対話に対して何を言おうかの対応に追われる「第一領域」メインになってしまいがちですが、外側の観察者になると、自分がどう感じているのかの「第二領域」、さらに自分が何故そう感じたり考えるのかの「第三領域」にまで意識が及んでいると言うことなんだと思います。そして、内側にいながら複数領域に同時に意識を向ける状態を「第四領域」だと行動探求的には言っていましたね。

そして、話したいけど話せない、聞いてもらえない「ジレンマ」を体験することにも大きな意味があると僕は思います。例えば、普段の面接場面でも、明らかにクライエントが話したがっているのに、支援者がダラダラ話し続けている場面って、支援者は気付いてないだけで結構あると思います。

LSWも同様に、支援者のとりあえず伝えなきゃが先行して、相手のペースに合わせた対話ではなく一方的な告知になることは珍しいことではないと思います。もちろん内容を伝えきることは大事ですが、もっと大事なことは、聞いた当人が話を聞きながら何を感じ、何を想像し、何に想いを巡らせたのか共に味わうことですよね。

その意味では、勉強会と言う性質上、時間を区切らざるを得ないので、体験を共に味わうような無言の時間をたっぷり取れなかったのが心残りであり、今後の課題でありジレンマですね。

また視点を変えると、支援者や大人がどう感じたのかを子どもが客観的に知るという事も、非常に内省を促す体感になると思います。例えば、LSWで「お母さんは〇〇という気持ちだったかもしれない」等と状況からの支援者の推測を伝える場面ってありますよね。その時、子どもに面と向かって伝えると、その関係性や大人の人数次第では、心の底では「そう思えない」感情の部分を表現しにくくなったり、逆に「そんなはずない!」と反発の水掛け論になる可能性もあると思います。

そこで、面と向かって伝えるのではなく、●支援者、〇子ども、とすると

● ⇄ ●
    〇

支援者同士で「私は〇〇と思ったんですけど、どう思いました?」「僕は話を聞いて〇〇な気持ちになりました」みたいなフィッシュボールの内側のような会話を、子どもに第三者(観察者)として見せると言う手法を意図的に使うのも有効かと思います。複数の視点や当たり前の葛藤を目の前で見せて「こう思う大人もいるけど、聞いててどう思った?」と聞いちゃうんです。どっちもありだし、その他もありというスタンスで。

大事なのは、事前の打ち合わせなしで、支援者がその場で感じことを正直に誠実に話しているかどうか。嘘臭い猿芝居はすぐにバレますし、かえって何か企んでいる意図を感じて不安感や不信感を募らせます。しかし、支援者の感覚をオープンに、そして間接的に聞いてもらうことで、その人とは違った視点を押し付けがましくなく伝えることが可能になります。

これは家族療法分野で注目されている「オープンダイアローグ」という支援方法の考え方や手法の一部ですが、LSWに応用できるなぁと思って注目しています。

また、参加メンバーから「あの場に家族も一緒になって話して欲しいですね」という全体に対しての感想もいただいたのですが、まさにその通りで、当事者、家族、関係者を巻き込んだ率直でオープンな対話(dialogue)は「オープンダイアローグ」そのものになります。

すると、オープンダイアローグについて気になってくるとは思いますが、今回のお題は「フィッシュボール」なので、またの機会にじっくり取り上げたいと思います。

ではでは。