LSWのちょっとかゆいところに手が届く「まごのてblog」

静岡LSW勉強会の管理人によるコラム集

【第38回】状況判断能力とコンセプトの融合

メンバーの皆さま

こんにちは。管理人です。

前回は雑談が長引いてしまいましたが、本当はこちらが本題でした。

以前、日本とベルギー、オランダとの文化差について【第13回】日本文化と即興性、育成論
http://lswshizuoka.hatenadiary.jp/entry/2017/07/14/074307で触れましたが、

「社会環境×心理(メンタリティ)」の相互作用を考えるのに、今回もサッカーコラムから
【1】アルゼンチン人から見た日本の特徴
【2】アルゼンチン人監督の育成
について紹介したいと思います。

まず前半はコチラ。

戦術理解は早いが、状況解決能力が低い
エスナイデルが感じた日本の特徴<後編>
https://sports.yahoo.co.jp/m/column/detail/201709170006-spnavi

エスナイデル氏は、アルゼンチン出身のサッカー選手で、スペインのレアルマドリードアトレチコマドリード等でプレーした後、スペインで指導者のキャリアを積み、2016年11月からJ2ジェフユナイテッド市原・千葉の監督をしている人物です。

●インタビューより
【サッカーでは、時に選手自身が決断する必要がある】
――シーズン始動初期の選手の戦術レベルはいかがでしたか? あなたの戦術に素早くフィットできましたか?

 はい、日本の選手は本当に理解するスピードが早いと感じました。監督の指示をよく聞きますし、基本的には従順な選手が多いです。監督としてそういうパーソナリティーを持った選手が多いことは喜ばしいことなのですが、サッカー的には悪いこともあります。サッカーというスポーツにおいては、時に選手自身がイニシアチブを握ってプレーを決断していく必要があります。戦術というのはある一定のラインまでは有効ですが、サッカーで大切なことは相手が何をしてくるかであり、相手に合わせて柔軟にプレーを変えていくことです。

 いくら事前に戦術を準備し、相手のプレーを分析していても、いざプレーした時には相手が予想と異なるプレーをしてくることがあります。そうした時に、選手は監督が試合前に指示した戦術を忘れ、状況を解決するプレーを選択しなければいけません。その点に関して言うと、私の選手もまだ苦労しています。とはいえ、戦術面については理解が早いですし、何も問題はないと思います。議論すべきテーマは、監督が話したこと以外の状況が発生した時に解決する手段を持つことです。

――従順な日本人選手を指導することは欧州、特にスペイン人を指導するよりも簡単なことですか?

 考え方によりますね。ある一定のことに関して言うと、そうかもしれません。日本で指導する方がやりやすい面はあるでしょう。ただ、私がプレーをしたスペインやアルゼンチン、イタリアといった国では選手自身の状況解決能力が高く、それは日本人選手に足りないところですので、その面では物足りない部分もあります。

――日本人選手の状況解決能力の低さは育成年代における戦術指導不足によるものだとお考えですか?

 戦術ではなく教育の問題です。日常生活からも感じますが、日本人はとても模範的で教育された民族です。そうした国で生活することはとても心地良いもので、私は日本という国をとても気に入っています。私自身も日本人に近い性格を持っていますし、ルールや規則を遵守する社会は素晴らしいと考えています。
 ただし、サッカーはそうではありません。ルールはありますが、オーガナイズされていないカオスな状況が多々発生するスポーツです。時に選手というのはイマジネーションを発揮しなければいけませんし、自分1人の力で困難な状況を解決しなければいけません。ですので、日本人がサッカーに適応するのは簡単なことではないと思います。

【コンセプトの融合で、日本サッカーは発展する】
――ということは、日本の社会から欧州で通用するコンペティティブな選手を輩出することは難しいことなのでしょうか?

 近年、海外でプレーする日本人選手が増加しているので、その点については彼らが大いに貢献してくれるでしょう。海外に行って異なるコンセプトのサッカーに出会った時、日本人選手は素早くそれを理解し、習得します。そうした選手たちが代表で他の選手に異なるコンセプトを伝え、さまざまなコンセプトが融合することで日本のサッカーは発展していく。それはとても重要なことです。

――できる限り若い年齢で海外挑戦した方がいいという考えはお持ちですか?

 確かにそうなのですが、一方で日本で成長するチャンスを捨てて無謀に海外へ行く必要はないと思います。世界のサッカーを見渡した時に、強国というのは必ず多くの選手が海外でプレーし、異なるコンセプトを持ち帰り、内外のコンセプトを融合させています。

 今、日本代表でプレーする選手の多くが海外でプレーしていることは、日本のサッカーにとってとても重要なことです。その国のサッカーを成長させていくためには外に出ていって学び、異なるコンセプトを持ち帰ってくる選手が必要ですし、同時にそうしたコンセプトを持ち込むことのできる優秀な外国人選手も必要です。


●コメント
サッカーは、ストリート的カオス、チームプレーと個の対応の相互性、求められる柔軟性と困難状況の解決等々、児童福祉現場と共通点が多くて参考になるので、ついついサッカーコラムを多用してしまいます。

しかしながら、役所で勤める身として感じるのは、ホント日本の伝統的な社会組織の多くは上下伝達、指揮命令系統を重んじる「野球型組織」だなぁ、と。
(参考)サッカー型組織と野球型組織
https://jinjibu.jp/smp/keyword/index.php?act=detl&id=598

ちょっと古いですが所謂「事件は会議室で起きてるんじゃない。現場で起きてるんだ!」(踊る大捜査線the movie、1998より)に象徴されるような、判断は現場ではなく上司が行うし、その責任も上司が取る組織です。ある意味、部下は守られていますが、余計ことはせず言われた通りのことをこなすだけ。

「戦術理解は早いが、状況判断能力が低い」

なるほどな、と。これまでの日本文化や教育が、規律をきちんと守って言われたことを守れる大人になることを求めてきたし、未だに日本社会では他と違いを生み出すような結果を残すより、規律を守ったり上司に気に入られる方が評価されやすいという現実はあると思います。

エスナイデル氏も言うように、僕も日本は安全で規律が守られて、文化的にも素晴らしいものがたくさんある国だと思っています。ただ「サッカーには合わない」というだけのことです。

時々思うのですが、ストリートチルドレンもいないし、問題を先延ばししても周りが何とか助けてくれるし、それでも別に食べていける社会システムが日本は構築されているよな、と。

すると、社会システム信者といいますか「安全安心の手段としてのシステム」だったはずが、いつの間にか「システムから外れたり、システム自体が壊れることへの恐怖」にすり替わっているのか、そもそもシステムが機能して目的を果たしているのかは思考停止で、「決まりだから」とシステムを守ることに頑なに縛られている人に出会うことが時々あります。

なんとなく最近、日本世間一般の「失敗」という言葉に対する過剰なアレルギー反応ようなものを感じます。それは文化的に、輪を乱すと周りから忌避されやすい環境、「出る杭は打たれる」くらいならリスクを取ることを避ける「社会環境×メンタリティー」の相互作用の積み重ねがあるのかもしれませんが、それだけかなぁ、と。

TV番組のコンプライアンスに象徴されるように、感覚的に80~90年代はもう少し失敗に対する許容度があった気がするんですよね。やっぱりバブル以降ですかね。世の中全体の将来に対する悲壮感というか悲観的な雰囲気。

【第35回】コラムで、
~思春期以前は「安全のために保護する時期」、思春期以降は「失敗を担保する時期」

という紹介をしましたが、大人が不安だから子どもにチャレンジさせない→必要な経験が教育・育成段階で足りない→成功体験もなく不確実性に耐えられないので次の世代にもチャレンジさせない
という悪循環ループに突入していないかな、と。

ただ社会状況を変えられるわけではないので、状況を打破するためにどうするかと言うと、やはりエスナイデル氏も全く異なるコンセプトを融合するという「異文化交流」的な事を言っていますね。

では、エスナイデル氏が言う「私がプレーをしたスペインやアルゼンチン、イタリアといった国では選手自身の状況解決能力が高く」とは、どのようにして培われているのか。

また南米一を決めるコパアメリカ2015ではベスト4の国全部がアルゼンチン人監督という事態が起きている程、アルゼンチン人のサッカー監督が評価されているのは何故か。

その一端が垣間見れる記事がありましたので、それがコラム後半です。


シメオネら名将を次々と輩出“アルゼンチンの松下村塾”に潜入
https://www.footballista.jp/interview/38186

~やはり、欧州で選手としての経験を積んだ者が指導者に転身していることが大きな理由の1つでしょう。アルゼンチン人特有の情熱と勝利へのこだわり、自信、説得力とリーダーシップに、欧州のトレーニングメソッドや戦術を取り込むことによって、多彩で優秀な監督が生まれます。それ以外にも、秩序、責任、相手に対する敬意など、欧州に渡った選手でなければ習得できないピッチ内外での基本的な要素が取り入れられていることも大事なポイントです。特にアルゼンチン代表でマルセロ・ビエルサ監督の指導を受けた世代から、欧州式メソッドとの融合が目立つ傾向を感じますね。

~とにかくビエルサの指導法そのものが、従来のアルゼンチンにおける典型的なトレーニングメソッドとは大きく異なります。一昔前までのアルゼンチンでは体力作りとゲーム式練習が基本で、夏季キャンプでも最初の1週間はとにかく走り、その後はとにかく試合に試合を重ねるというやり方でしたが、ビエルサは細かく具体的な戦術練習に力を入れます。代表でビエルサの指導を受けた選手たちは、あのやり方が非常に効果的だったことを身をもって知らされているわけです。でも気をつけてもらいたいのは、ビエルサの指導法をそっくりそのまま真似している者はいないということです。シメオネポチェッティーノも、それぞれが異なる条件下で独自の判断をもってチームを作っています。いかなる環境に置かれても優れた問題解決能力を発揮するのが、これまたアルゼンチン人の特性なんですよ。

~アルゼンチンは社会的・経済的な問題が絶えない国ですが、そのために国民は無意識のうちに即興で解決策を見出す力を養われていて、その場にあるものを使ってトラブルを克服することに慣れているのです。『さあ困った』と腕を組んで考え込んでいたら、問題は山積みになる一方ですからね。決断も早いですよ。この特性こそ、アルゼンチン人監督が国外でも活躍できる理由と言えるでしょう。


●コメント
やはり、異文化交流。まずアルゼンチンには、状況解決能力が養われやすい不安定な環境があり、そのメンタリティのベースを持った人物が、欧州的な戦術やトレーニング理論を取り入れつつ、さらに自身の解決能力によって独自のメソッドに進化させている、ということですよね。

どちらが良い悪いではなく、Aを持ったものがBを取り入れる、足りなかった視点を補い、多角的視点を融合してるという事かと。じゃあ本家の欧州人監督はアルゼンチン人監督より優れているのかと言えばそうではないんでしょう。

アルゼンチン人の元一流選手にとって「認知ー体験ー感情」の足りない「認知」を補うものが欧州的メソッドであり、監督養成学校で他の生徒が元一流選手と共に学びながら話を聞くことで「体験」を補足する相互作用を生むサッカー監督養成システムをアルゼンチンは作っている、ということみたいですね。

じゃあ、このシステムをそのまま日本に当てはめて上手くいくのかと言うと、そうではないと思います。状況解決能力って「たくましさ」と通じる気がしまして、放任主義というかネグレクトで育った子の中には、良くも悪くも生きてくための「たくましさ」を身につけている子っていますよね。

社会的・経済的状況から真似る必要があるのかと言ったらやはり違うし、日本には日本の文化と歴史の良さがあります。アルゼンチンはアルゼンチンの発展のプロセスがあるし、日本は日本の発展のプロセスがある。それは、組織や個の発展成長にも同じことが言えて、「〇〇だから」という固定概念ではなく、国も組織も家族も個人もそれぞれが時代の影響を受けて変化し、その変化にそれぞれ影響され合う相互作用で考える必要がありますよね。

今のアルゼンチンの監督育成メソッドだって、進化がなければ10年後には時代遅れのものになっている可能性だってあります。その支援対象ごとに今どんな力が必要とされ、これまでの環境(家族、地域)で培われている資質は何で、さらに何を積み上げていく必要があるのか、その人の強みと弱みをきちんと把握しながら、常にオリジナル版の個別支援をアップデートし続けるしか成長進化の道はないんだろうと思います。

始めに言いましたが、サッカーと児童福祉(=社会的養護、集団養育)は似ている点が多いなと思います。今回のサッカー選手や監督を育てる視点は、児童福祉の子どもや支援者の育成を考える上で、そっくりそのまま真似る意味ではなく、異分野の視点を取り入れると言った意味で、とても参考になるなぁ、と思います。

個人的には、日本の児童福祉現場において、ざっくり言うと、80年代後半~90年代前半に「不登校→虐待」問題に焦点が当たり始め、阪神大震災があった辺り90年代半ばから後半以降10年間で「トラウマ・発達障害」が広く認知され始め、さらに2000年代半ば以降のこの10年間「LSW」的ナラティブの再考が起こったという、約10年サイクルで新しい波、パラダイムシフトが起こっているんじゃないかと思っています。

そして、これらが時代遅れになる訳でなくて、認識されてから、どう実践に繋げるのかで10年、どうシステム化するのかで10年、という積み上げのバージョンアップが必要なんだろう、と。

「平成」もいつまで続くかわかりませんが、来年度以降、平成30年代の今後10年は、最近の児童福祉司の研修整備、公認心理師の国家資格化、法改正による司法関与や学齢期前の里親委託推進の流れ等々、日本の児童福祉にとって変革の10年になりそうな予感がします。

なんか話が大きくなっちゃいましたが、常に揺れながら変化していく時代の波に、LSWが何とどう融合し、どういう発展を遂げていくのか興味深いですし、僕もいち実践者として色んな分野とアイデアを取り入れながら考えていきたいなぁ、と思います。

ではでは。