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静岡LSW勉強会の管理人によるコラム集

【第47回】漢方医が語る西洋医学と東洋医学

メンバーの皆さま

おつかれさまです。管理人です。

昼間は暖かい日が続いていますね。予定帳を見ると「もう今年も終わっちゃうな…」なんてしみじみした気分にもなりますが、つかの間の「過ごしやすい秋」を味わいたいですね。

前回、西洋東洋の文化差やマインドフルネスなんて話題に触れたら、ちょうど関連するような記事(『命の繋がりを自覚して生きる』致知2017.11月号)を見たので、今回はそこから。

以下の紹介は、日本では珍しい漢方医、桜井竜生氏のインタビューを所々抜粋したものです。外科医から方専門の漢方医に転身した体験から西洋医学と東洋医学の違いを語っています。


■健康の本質を見ていない医者

~病気や死が怖かったんですが、私の場合は、これを克服するには医学を学んだらいいと思ったんです。

~ところが、これまで長生きできると思っていたのに、医者はどんどん早死にするんですよ。

~理由はいろいろありますが、やっぱり健康の本質を見ていないんだと思います。

~毎年忘年会シーズンになると、「食べる前に飲む!」という胃薬のコマーシャルが盛んに流れたりしますけど、あれは、これを飲んだら暴飲暴食してもいいときう発想でしょう。薬があるから病気になってもいいという発想が西洋医学のベースにはあるんです。

~これに対して東洋医学は「体に悪いから、暴飲暴食はするな」と言う。至極真っ当でしょう。本来健康というものは、食事を腹八分で抑えるとか、よく運動するとか、ごく常識的なことで実現するものなんです。

~けれども西洋医学は、傷を覆ったり、がんを取ったりという治療法があるから、人はそういう物理的な要素で健康を維持できると思い込んでる。ですから、私が外科医をしていた頃の医者の多くは、煙草は吸うし、運動もしないし、それで人の健康を語ってるんですよ(笑)。



■文字にできない技能をいかに習得するか

~外科と漢方というのは、実はよく似ているんですよ。

~言語化できる客観的な知識のことを「客観知」といい、言語化できない主観的な知識のことを「暗黙知といいますけれども、外科のメスの入れ方は、書かれたものを読んだだけでは習得できなくて、先輩の手術を見て、自分で修練を重ねてつかんでいくしかない暗黙知の世界なんです。ゴッドハンドと呼ばれるような手術の名手が本を書いても、弟子に伝わるとは限らないんですが漢方でも同じことが言えるんです。

~漢方には「証」というものがあります。その時の体の状態のパターンや、特定の漢方薬が効く状態のパターンのことですが、客観的なデータで判別されるものではなく、言語化できない雰囲気や何となくの感じが大事にされるんです。


■自分の体の声をよく聴くこと

~まずご理解いただきたいのが、全員に効く健康法というのはないということです。

~その上で大事なことは、自分の体をよく観察することではないでしょうか。単純に季節が変わって涼しくなった、厚着しなければと感じることを「自覚」するだけでもだいぶ違います。

~体というのは、病気になる前に必ず何らかのサインを発しているはずですから、自分の体の声をよく聴くことが大切です。

~漢方の何がいいかというと、自分の体の変化を感じる訓練になるんです。いまの食欲はどうか、体が冷えてないか、体重はどうかと、普段なら何も考えずに放置してしまう変化を意識することで、センサーが働くようになるんです。ですから漢方というのは、薬効以上にセンサーを発達させる効果が大きいと思うんです。


●コメント
僕の知り合いで「飲み会前にウコン飲むと調子良くなって呑みすぎちゃうから」と言ってウコンの力を飲まない人がいます。ウコン飲んでるし大丈夫かぁ」と限界以上に呑んじゃうことに歯止めをかけてるそうです。確かに、身体のためにウコンを飲むなら、そもそも暴飲しないのがいいわけです。その人はそれで結構なハイペースで呑みますけど(笑)

薬があるから病気になってもいいという発想が西洋医学のベースにはあるんです。

は極端な表現かもしれませんが、桜井氏が言う「健康の本質を見ていない」とは、おそらく「木を見て森を見ず」の状態。西洋医学は局部としての「病気」は見ているが、身体全体や生活全体のつながりとしての「健康」を見ていない、ということかなと。

これは東洋医学が西洋医学よりも優れていると言うことではなくて西洋医学はよりピンポイントに、東洋医学は全体の流れを俯瞰的に、アプローチの仕方が違うということなんだと思います。

僕の中では、西洋医学はキュア(cure)、東洋医学はヒール(heal)のイメージ。どちらも万能というわけではなく、状態に合わせてより効果的な方を選択したり併用すればいいんだと思います。

木(部分)を見るのか森(全体)を見るか、何を撮りたいかの構図によってカメラズームが変わるように、状態に合わせて何に焦点を当ててアプローチするのがいいのか、両方検討しながらベストな形を探して行くことが大切なんだろうと思います。

※参照:【第18回】「cure」と「care」の違い

また、第18回コラムで【heal】の語源が、ギリシャ語の【holos】「完全な姿(本来のあるべき姿に戻る)」で、healに状態を表すthを付けて【health】「健康」であることに触れましたが、東洋医学の考え方は、人間がもともと持っている治癒能力を活かしたり高めたりする【heal】のイメージが僕の中にはあります。

(もちろんhealの語源がギリシャ語ですから、東洋医学に限った考え方ではないと思います)

きっと東洋的に言う「気の流れ」って、人が本来あるべき状態かどうか、本来持っている維持機能が正常に動いているかどうかの「流れ」を指して言っているのではないかと思うんです。僕は気功師ではないので推測ですが、あくまで。

僕自身、数年前までは、漢方とか気功って根拠はないし、気の持ちようじゃないかなぁ、なんて懐疑的な思いが正直ありました。しかし、これって、一般の多くの人の感覚なのではないかと思います。

ところが、気功の施術によってホルモンバランスが整えられたり、ドーパミン分泌や脳の部位の活性化が確認されているみたいですから、まさに「気のおかげ」で生理学的な変化が起こっている説明は付くようです。

また言葉を替えれば「気の流れが悪い」「邪気がある」というのは、おそらく生理学的にはホルモンバランスの崩れや機能不全を「気」察知して言っているんだろうなと思います。

じゃあ、それをどう察知するのかという話になるわけですがそれは言葉にできない「暗黙知」であり、感覚感性的なものということになると。

処方箋にあたる漢方の「証」も「その時の体の状態のパターンや、特定の漢方薬が効く状態のパターンのことですが、客観的なデータで判別されるものではなく、言語化できない雰囲気や何となくの感じが大事にされるんです」

と言うように、ブルース・リーの「Don't think. Feel」の世界ということ。

しかし、これは東洋医学に限った話じゃなくて、外科医の世界でも、音楽や料理でも同じことが言えます。同じレシピや楽譜があったとしても、「腕」や「道具」の違いで、味や音色は全く違うし、全体の仕上がりは他の人が簡単に真似ができるものではない「暗黙知」ですよね。そして、芸術や表現の世界では、独特な感性が希少価値として重宝されることも珍しいことではありません。

人の特性で言いかえれば、どちらかと言うと西洋文化は言語(理屈)優位、東洋文化は感覚(感性)優位な発展を遂げてきたのかなと思います。しかし、西洋文化が感覚的な部分を否定しているわけではないし、東洋文化が言語や理屈を軽視していたわけではないはずです。

ただ【第42回】コラムで、
〜母親の影響を受けにくいセロトニントランスポーターの長いタイプの多型を持つ子どもは、白人は6割だが、アジア人種は1/3にとどまる
とあったように、集団の感度の違いによって、より良い伝え方に、歴史文化的な変遷があった結果の違いなのかもしれないなと思うんです。

そして、今日の「マインドフルネス」ブームは、おそらく東洋文化や職人の世界では当たり前に行われてきた感覚感性を磨く作業やその必要性が、西洋文化の一般で広まってきたという事なんだと思います。

誤解をおそれず単純化すると、おそらく欧米人の多くは「頭で理解→実践→感覚感性を磨く」の順がわかりやすいし、日常生活もそういう思考で動いているし、そのような説明を作るのも得意。

一方で、多くの東洋人は感性が高く、良くも悪くも周囲に影響されやすいので、「雰囲気で感じ取る→実践→感覚的に経験を体系化して整理する」方が自然で日常的だし、「身に付く」とか「腑に落ちる」とか身体を使った言い回しが多いのは決して偶然ではなく、伝統的に学ぶとはそういうもんだと思っているので「なんとなく」「普通わかるでしょ」で済ませちゃう、

そんな傾向がある気がします。なので、ハッキリ言って言語化理論化という部分では西洋文化は優れていると思います。しかし、自分や相手の機微や雰囲気を察する感覚的なものは、東洋文化の人の方が平均的に高いと思うんです。

どちらが優れている劣っているではなく、人の能力に凸凹があるのと同じように、文化的な集団的な得意不得意はあるので、得意を伸ばし不得意をどう補うか。特性に合わせた成長・子育て支援のニーズは、個も集団も本質は変わらないよな、と思います。

~体というのは、病気になる前に必ず何らかのサインを発しているはずですから、自分の体の声をよく聴くことが大切です。
~漢方の何がいいかというと、自分の体の変化を感じる訓練になるんです。

これって、子育ても対人支援も感じるものが「相手」になっただけで似ているよなと思います。

基本的には子どもやクライエントが発信したニーズをキャッチし適切なタイミングで応答できるか。そして、その中には何か具合が悪くなりそうなサインも含まれているわけでそこを的確にキャッチして大事に至る前に早めの対処ができるかどうか。サインを見逃し放っておいて、激痛が走ってから慌てて手術するのは本来のあるべき支援やお世話の順番ではないと思います。

それでも事情があってやむなく悪化してしまった部分へのピンポイントのアプローチは「西洋医学」の得意分野、本来の健康的な心身の状態に近づける全体的なアプローチは「東洋医学」の得意分野。

視野の広いお医者さんは、この西洋東洋の特質や得意分野を踏まえた上で、西洋薬と漢方薬を併用してアプローチしてくれますよね。
【参考】健康Saiad「西洋薬と漢方薬の違い」

対人援助でも似たような整理やコンビネーションが必要だと思うんです。今の自分が担っている役割やアプローチは局部なのか大局なのか、応急処置なのか継続支援なのかをわかっていること。そして、一人で全部は担いきれないので、片方は信頼して任せることで自分は別の役割に専念できるように、チームで意思統一して役割を分担していく。それが「連携」ですよね。

ごちゃごちゃ書きましたが、LSWの発想って漢方や東洋医学に近いのかな、と最近思うんです。部分じゃなくて全体的な視点。抗生物質みたいな即効性じゃなくて漢方薬みたいにじわじわ効いて、本来持っている力を引き出すみたいな。

そしてLSWでは「時間志向」が、東洋医学でいう「気」に近いイメージかなと僕は思っています。時間志向とは「過去ー現在ー未来」のどこを考えているかということ。そのグルグル考える流れというか、頭や意識の中で過去や未来を行ったり来たりするスムーズさを、本来あるべき状態に整えたり整理するのがLSWの僕のイメージです。

なんですけど、「ライフストーリーワーク」と言う横文字の表記が西洋医学的な治療をイメージさせる誤解が起こりやすいなぁと思います。頭の中で、支援=西洋的「治療」に凝り固まっていると、即効性がないと支援に意味がなかったんではないかと不安になる人も実際には多いことは、現場で話をしていてすごく感じます。

じゃあ、上手く流れていない時間感覚をどう見立てて、どう支援するのが良いのかは、漢方薬と同じ「暗黙知的な部分が多く、僕もまだ上手く体系化したり言語化するまでには至りません。

ただ、「時間精神医学」には、時間志向の焦点化が偏っている人がどのような状態になるか、また精神障害が起こると時間感覚はどうなるか、どのように支援するか感じ取るヒントが散りばめられているな、と思って未整理のまま紹介だけしました。
(詳細は【コラム】「バイオサイコソーシャルアプローチ」を参照ください)

ある意味、まごのてblogは「暗黙知の言語化に無謀ながら挑戦して試行錯誤しているみたいなところがあります。なので話題があっちこっち行ってしまうのはお許しください。

そういう他人の混沌としてあやふやな、あーでもないこーでもないと考えるプロセスを共有いただいて、メンバーや読者の皆さまの思考や内省を深めるお手伝いに少しでもなれば幸いです。

ではでは。