LSWのちょっとかゆいところに手が届く「まごのてblog」

静岡LSW勉強会の管理人によるコラム集

【第48回】神田橋処方とLSW

メンバーの皆さま
 
前回コラムで漢方薬に触れたので、児童福祉分野に関係が深い漢方薬のお話をもうひとつ。
 
それは有名な「神田橋処方」と呼ばれるPTSDのフラッシュバックに対する漢方薬の処方について。
 
具体的には、
「四物湯(シモツトウ)」
「桂枝加芍薬湯(ケイシカシャクヤクトウ)」
を合わせた処方で、神田橋條治先生が考えたから「神田橋処方」という名前だそうです。僕の地域では、被虐待児の治療で処方してもらうことはごくごく日常的になっています。
 
で今回、神田橋先生による神田橋処方についての10年前の講演録を偶然見つけたのですが、これが冒頭から最後までLSWと重なる話ばかりで非常に興味深かったので紹介します。
 
品川心療内科ー日録ーSMAPG-Panalion 
「神田橋 PTSD
 
全文はちょっと長いですが、時間があれば是非、原文で読んでみてください。コラムでは内容に触れながら簡単に感想を綴ります。
 
まず、
『この講演がペーパーになるころには、「~としゃべったけどもウソだった」とかいって、あとで書くかもしれません』
 
と講演の中でおっしゃっていますが、10年経った今でも「神田橋処方」は現役バリバリなので、講演内容の賞味期限は過ぎていないかなと思います。
 
で、内容で面白いのが、神田橋先生がDSM精神分析も「嫌い」とハッキリ言いながら、神田橋流の「PTSDの理解」や「記憶をつなぐ」ことの精神分析的な視点がわかりやすく解説されている点。
 
神田橋流の「PTSDの理解」は、DSMからもう少し概念を広げて、自身の体験談を交えつつ健康度が高めな人にも起りうる「過去の記憶が現在の精神活動の阻害的に働くことすべて」ということで、かなりLSWと守備範囲が重なる話だな、と読んでる途中で思いました。
 
また『記憶の面から考えたときの精神分析の治療』という点において、忘れ去られた記憶が意識された自分の歴史の中に組み込まれることの重要性、フラッシュバックの症状を含めた今の状態をきちんとストーリーとして説明してあげることが治療になる、と語られています。
 
この辺りからもLSWとの親和性を感じますし、それだけに留まらず、もっと読み進めて行くと、
 
『この「わからない」ということは、人間が知的な生物ゆえに特別に有害なんです』

 

ふむふむ。

 

『話は変わりますが、3歳、4歳ぐらいの外傷体験で一番多いのは、両親の仲が悪いとかそういうことじゃない。一番多い外傷体験は引っ越し。それを覚えておいてください』

 

むむむ?

 

『対策としていいのは子ども部屋に地図を置いて、「ここからここへ行くのよ」とか、「ここを汽車と車でこうやって行くのよ」と。そして、前の世界は失われたんじゃなくてちゃんとあるということを確かめるために、お休みのときにでも、また同じルートを通って行ってみる。やはりなくなっていないということ、自分が動いたということがわかれば、そうするとそれで外傷体験は、幼い時だったらすぐに治ります。そうやって連続性が断ち切れないようにしてあげてください』

 
おやおや?
 
ここまで行くと、もはやLSWで言ったりやったりしている事そのものですよね。これを田橋先生は「歴史上の邪気を取る」と表現していますが。
 
「気の流れ」について触れられているのも前回コラムと通じるところがありますし、冒頭にあるPTSDの治療も「まずは安全な環境」「治療者との安心できる信頼関係」いうはLSWの話とほぼ重なります。
 
つまり、過去の記憶を扱うことにおいて、その切り口をPTSD精神分析としながら、その分野の大御所の先生が語る支援内容が、LSWと似たところに集約していっているのです。面白いですね。
 
つまり、PTSDを安全に扱う方法を学ぶことは、実際にトラウマを直接扱う「ライフストーリーセラピー」的なものを直接やらないにしても、LSWを開始する際の安全性の準備や検討において、非常に役立ち応用できる情報が学べるということ。
 
特に、精神分析をしてはいけない人はどういう人か』という部分は必見です。
 
簡単に言うと、過去を忘れておくこと、またはフラッシュバックでさえも「取り除くべき症状」とは限らないということ。少なくともそれまでは、その人自身や脳を守るために必要なコーピングであったもの、もしそれが今も必要な状態なのに取り除いたらどうなっちゃうか?と言うことです。
 
では、どういう人にはしてはいけないか。答えは『忘れてしまう能力がない人』なのですが、詳細は原文で見つけてみて下さい。
 
確かにLSWの文脈で真っ先に話題に上がるのが「知りたいのに知れないこと」の権利やマイナス面なのですが、忘れてならないのが「知りたくないのに知らされる」「聞きたくないのに聞かされる」「思い出したくないのに思い出させれれる」ことの負荷やストレスの高さです。
 
神田橋先生のコーピングにまつわる話は、本人の意向や状態、準備性を無視して、大人の都合や思い込み(知る=良い事)で即効性を求めるようなLSWや症状治療をやって、さらに荒れちゃうパターンの内面を見事に解説してくれていると思います。
 
また最終的には、
『精神療法でいろいろ難しいことをいうのは全部、根本の外なんです。ちょっとマニアの世界。やはり精神療法というものも本当に治療である限りは、犬や猫にもできる部分が本質。人間にしかできないのは趣味の世界でしょう』
 
と、認知でゴチャゴチャやることを一刀両断。体験でもって治療せよ、という点に着地するあたりもLSWに通じるし、それって生物的・生理学的・ホルモン的話と重なるなぁ、僕は思ってしまいます。
 
LSWの「知る権利」「権利擁護」は、どちらかと言うと「ソーシャルワーク」や「社会」的な文脈や視点に寄った切り口なのかな、と感じます。
 
僕が何でもかんでもLSWに結び付けて考えてしまうからかもしれませんが、この講演の視点はLSWでやっていることを「生物ー心理ー社会」で言う「心理」側、特に「精神分析」「精神医学」の切り口で解説したようにも読めて面白いなぁ、と思います。
 
ではでは。