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静岡LSW勉強会の管理人によるコラム集

【第49回】「セラピスト」と「カウンセラー」の違い

メンバーの皆さま

こんにちは。管理人です。
 
最近、色々な発表資料の作成に追われておりまして。隙あらば出来るようにカバンにPCを入れているので、コラムで紹介する本を入れるスペースも読む時間も弾き出されています。
 
ということで、今回もネットで見つけた論文からです。
 
 

心理学の歴史に学ぶ

欧米諸国における臨床心理学資格の実際とその歴史

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臨床人間科学オープンリサーチセンターhttp://www.ritsumeihuman.com/hsrc/resource/10/open_research10.html

なぜ、この論文集を取り上げたかの理由は、表題「セラピストとカウンセラーの違いとは?」という問い。

僕自身は臨床心理士ですが、児相の面接記録の中で書く児童心理司の略称は「Th.」。これはTherapist=「セラピスト」のことなんですが記録を書きながら、ふと「Th.と書いてるけど、俺って何かセラピーやっているのかなぁ」と素朴に思うんです。

一方、面接を「カウンセリング」とよく呼びますが、「Co.」=Counseler:カウンセラー、とは記録に書かないわけで…

そして、臨床心理士はClinlcal psychologist:「CP」と略されるけど、そもそも「セラピスト」「カウンセラー」と「心理士」って何が違うのか?

職業アイデンティティーに関わる根本的なことだけど、これって結構難しい。正直、僕自身これまで曖昧に適当に流していたわけですが、この特集を読むと、臨床心理士(クリニカル・サイコロジスト)や臨床心理学/心理療法カウンセリングの捉え方や歴史文化的な違いについて、非常に整理がつきました。

これは心理士でなくても、LSWに携わる人の支援観、治療観の違いについてのルーツを考える上で参考になるので紹介します。

以下にイギリス、ドイツ、フランス、アメリカの臨床心理学等の特徴を簡単にまとめますが、詳しくは元原稿を読んでください。

 

【内容】

   

▪️イギリス

イギリスは実証的、科学的心理学を臨床心理学の基本としている。それは、生物ー心理ー社会(バイオサイコソーシャル)モデルを基本としたエビデンスベース臨床心理学。なので学術的(Academic)な心理学の大きな括りの中に臨床心理学(Clinlcal psychology)が入っている。

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(イギリスの臨床心理学の歴史ー日本との比較を通してー 下山 2007より)

で、心理療法(サイコセラピー)は左上に外れている別物で、ある特定の心理療法の理論や技法を身につけていれば心理療法士(サイコセラピスト)=心理士(サイコロジスト)である必要は全然ない。

さらに、カウンセリングはまた別物。先生や看護師、ソーシャルワーカーなどで行われるもので学術的なものではないが、最近「カウンセリング心理学」というものが出てきて臨床心理学とカウンセリングの間に入って、自分たちも心理専門職に入れてくれと主張しているのがイギリスの状態だそう。

 

◾️ドイツ

ドイツでは職能意識が強く、資格制度も非常にきっちりとしている。1980年代から学問としての「臨床心理学」と実践活動に対した専門職としての「心理療法」の違いが盛んに議論され、1998年の法制化により心理療法士」「青少年心理療法士」 が国家資格化。

これは名称独占ではなく業務独占の資格で、法制化以降、心理療法士の資格(免許)のない人は「心理療法と名の付いた活動業務は行えないし、もし無免許で心理療法を行えば、法的に罰せられる。

ちなみに、二つの資格の違いは端的にいうと対象者の年齢制限で、「青少年心理療法士」は21歳までの患者に心理療法を行えるのに対して、「心理療法士」は年齢制限なし。ただ、それ以外にも色々な権限の内容に関して細かい違いはある。

 

◾️フランス

フランスは、哲学や芸術を含ませた独自の発想や「自由」を重視する価値観とか生き方がある。臨床心理学に関しても独自な歴史があり、アメリカの実証主義的やり方(例えばDSMが世界において支配的になるということへの警戒感がある。知的階層では特にその傾向が伝統的に強い。

今や何でもデジタル化して、標準化して、尺度を決めて、点数化すれば何でもできるような、アカウンタビリティになり、説明責任が達成されるという考え方、そういうのをフランス人は一番嫌うと。

臨床心理士の資格とは別に、心理療法家や精神分析家がフランス全土で約5,000〜6,000人。人口比率でいうと、世界最高。個人主義の国で開業も相当数いる。そして、フランスでは精神分析ラカン派が圧倒的に人気。

その要因のひとつには、 統一や画一化に警戒心がある国民性もあるよう。ラカンは「精神分析は医学ではない」とはっきり言い、臨床心理学には初めから相当批判的で、根本は哲学的。だから医学で心理学もやっていなくても、精神分析に入門することに何ら問題もない。実際にラカン派の分析家には、元経済学者や音楽家がいたりする。

 

◾️アメリカ

アメリカの場合、50の州の統一モデルが必要で、臨床心理学の大学院訓練モデルの樹立に向けて、1948年に科学者―実践家モデル(ボールダーモデル)をまとめあげた。しかし、時代による文化社会的変遷を余儀なくされてきた。

もともとアメリカ精神医学の主流は精神力動学で、psychotherapyは精神分析を意味していたが、当時のアメリカは神経症(ヒステリー)ではなく、統合失調症などの患者群や第二次大戦後のサバイバーへの対応が迫られ、従来の精神分析では対応困難だった。

しかし、1952年に抗精神病薬が発見されたことで精神分析が衰退。疾患分類のための国家的体系を作る試み『DSM-Ⅰ 精神障害の診断と統計のためのマニュアル』が作られる。当時は精神分析の理念や言葉などが盛り込まれたが、1978年刊行DSM-Ⅲでは、精神力動的な理論や用語が排除され、評定を一致させるような診断基準に方向づけられる。

そして薬物療法の導入などにより、統合失調症の患者の早期退院が可能になり、今度は受け入れる家族への対応に迫られた。これにより家族療法が発展したが、1980年代フェミニスト運動で女性の権利が主張される中で、家族療法も男性を基準とした認識と誤解され批判された。その中で社会構成主義(1985)が提唱され、ナラティブセラピーの流れが作られる。
 

 また2005年アメリカ心理学会の会長Levant博士が、Evidence-based practiceに関する定義を           

「心理学におけるエビデンスベースの実践とは、患者の特徴、文化、および志向の枠組みの中で得られる最高度の研究と臨床的専門知識を統合することである」

と提案し、心理学を実践するにあたりすべてにおいてエビデンス重視するという基本的な方針を打ち出す。

資格的には、アメリカのクリニカル・サイコロジスト(Clinlcal psychologist:CP)は、基本的に「精神病理を持つ患者の診断・治療・教育」に活動領域が特化し、心理アセスメントと精神療法に従事する専門家としての色彩が濃い。そしてCPになるには高度な専門的訓練と博士号取得が必須で、使用されるDSMの診断システムは上記のような医療モデルの歴史がある。

また、アメリカのカウンセリング制度には、精神障害を有する病理水準の高い患者(クライエント)を取り扱う「クリニカル・サイコロジスト」と病理性のあまりない心理的な悩みや人間関係の問題を取り扱う「カウンセリング・サイコロジスト」がいるが、カウンセリング・サイコロジストは修士過程を終了して修士号を取得すればなることができる。

でカウンセリングの歴史で見ると、を1950年後半〜60年前半にClient-centered Counselingを提唱した非医師のロジャーズは、1928年からニューヨーク州児童相談所で医師やソーシャルワーカーなど他領域の臨床家たちと共に活動していた。
 

精神分析は動機づけの高い中流階級の成人クライエントを対象として行われていたが、ロジャーズが対象としたのは面接に対する動機づけが低かったり、子どもの問題で来談する母親であったり、勉学が思うようにできない大学生であった。

ロジャーズの「非指示的non-directiveアプローチ」は、ある特定の問題を解決することを目的とするのではなく、個人が現在の問題に対してもより統合された仕方で対処できるように、その個人が成長することを援助すること、知的な面よりも情緒的な要素や状況に対する感情的な側面が強調されている。

そして、このロジャーズのカウンセリングの考え方は、日本の教育分野で広く発展して行くこととなる。

参考:システムズアプローチのトレーニングに関する研究(赤津、2013)

http://repo.lib.ryukoku.ac.jp/jspui/bitstream/10519/5181/1/dk_172_001.pdf

 

 

【コメント】

以前コラム(第2回〜第8回)で取り上げた『子どもの悲しみによりそう 喪失体験の適切なサポート法』で「キューバダイビングを習う時に、一度もスキューバダイビングをしたことのない人に習うのは危険」という比喩がありました。

LSWって、その人自身の「自分って何者?」という疑問から始まると思うんです。すると、支援する側が「自分は何者で、自分の職業職種の役割や考え方の根底は何なのか」という自身の支援観、価値観について考え悩んだことがなければ、目の前の人が悩むプロセスに共感的に寄り添うことは難しいのでは?と思います。

そういう意味では、僕自身これまで児童相談所や児童心理司とは何をする組織や職種なのか随分と悩まされてきましたし、その模索や葛藤は今なお続いています。

最近になって、これは対人援助に携わる以上は抱えないといけない感情で、これを放棄したら自己成長は止まり、自己満足の援助に成り下がるんだろうという境地にようやく至れるようになりました。

今回の各国の考えを見て、改めて、やはり児童相談所やLSWは「ソーシャルワーク」の考え方がベースにあって、医療の歴史や考え方とは違うよなぁ、と思いました。

最近「成長を促すアプローチ」と「治療的アプローチ」は重なるけど軸は違うと僕は感じるのですが、1928年当時の児童相談所でロジャーズが精神分析の「治療」でないアプローチを悩み考え、たどり着いたプロセスは、約100年後の現代の児童相談所の悩みと実は全然変わらないのかなと。福祉と医療の発想ベースや支援対象の質の違いです。

ただ、フランス人が毛嫌いしているアメリカ式実証主義何でもデジタル化して、標準化して、尺度を決めて、点数化すれば何でもできるような、アカウンタビリティになり、説明責任が達成されるという考え方」に日本も侵されてきている感じに危機感がある僕は、考え方はフランス人っぽいのかなぁとか思ってみたり。

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ただやっぱり、イギリス式の図は非常にわかりやすい。エビデンスベース臨床心理学の世界的リーダーということだけあって整理説明がさすがに上手いなぁと。「ソーシャルワーク」と「カウンセリング」が近接しているのも、アメリカの歴史を見て、さらに納得しました。

なるほど、カウンセリングとソーシャルワークは非常に近しい関係なんだと。だから、セラピーや治療をベースとした考え方と噛み合わないことがあるのは当然です。各国の「心理療法家=心理士である必要はない」とハッキリ区別しているのは歴史的に見れば当然だなぁと思いつつ、日本の臨床心理士の認識からすると目から鱗でした。

日本の「心理士」の未整備さに気付くと共に、逆にある意味で融通が効くんだろうなぁとも思います。欧米と違い、日本の臨床心理士は活動領域も「医療、教育、福祉、司法、産業など」広く、イギリスの図で言うと全範囲を網羅したような資格になっているんだと思います。

イギリスの図を参考にすると、そりゃ理想的には「臨床心理学/心理療法/カウンセリング/ソーシャルワークなど全部に精通できれば素晴らしいですが、○○療法だけでも星の数ほどあるわけで、全領域をマスターしているスーパーマンなんて限られるわけです。

とは言え、どれか一つしかやらないというのは多様性の時代にあまりに即さない硬い考え方なので、現実的には軸をどこかに置きながら、他の要素も取り入れる折衷や統合的な実践や考え方が、実際の現場では求められることなのかな、と思います。

例えば手元に10ある時間やエネルギーを「6:3:1」と分散するように。その割合が違う人たちがチームを組めば、パズルの凸凹がハマるような相互作用や化学反応が起こると思うのですが、「10:0:0」みたいな極端で他の考えを受け入れない噛み合う余地なしみたいな感じだと、コラボしたり良い化学反応が起こるのは難しい気がします。

そう思うと「まごのてblog」は、LSWがソーシャルワークをベースしていることを前提としながら(なのでコラム内容では取り上げていません)、あえて「喪失体験のケア」「生物ー心理ー社会アプローチ」「時間精神医学」というソーシャルワークからちょっと外れた実証的な考え方やセラピー的考え方に触れて、LSWをより多角的に統合的に考える、そんな感じなのかな、と書きながら整理がつきました。

というのは少し格好つけの後付け説明で、実際はその時々の気になるトピックに、思ったことをくっ付けてアウトプット(出力)しているだけなので、話題は飛び飛びでお世辞にもまとまりはなく、統合とは程遠いですけど…。

以前にも書きましたが、そんな僕の考えをまとめたり整理するプロセスを今後もつらつらとコラムにしますので、「こんなことを考えている人もいるのかぁ」程度に読んでいただいて、何かLSW実践やご自身の思考・価値観について考えるネタや参考になれば、ありがたいです。

ではでは。