LSWのちょっとかゆいところに手が届く「まごのてblog」

静岡LSW勉強会の管理人によるコラム集

【第51回】すぐに役立つことは、すぐに役に立たなくなります

メンバーの皆さま

一気に冷えましたね。管理人です。

各地の豪雪ニュースが流れる中、今日の静岡の最高気温は、沖縄以外では全国トップでした。

寒いは寒いですけど、やはり静岡は温暖ですよね。


ところで、前回の【目次】コラムで「これから題名には気をつけます」なんて書いたものだから、しばらく「いい題名になるネタないかな〜」なんて題名ありきの思考に陥っている自分がいました。

そして「とらわれ過ぎは良くない」と気づいて思考の硬さや肩の力が抜けると、視野が広がってふとアイデアが浮かんできたり、良いものに出会ったりするものです。

はい、思わぬところで出会いました。


「すぐに役立つことは、すぐに役に立たなくなります」


ある会報誌で紹介されていて、最近のモヤモヤした気持ちのど真ん中を射抜かれました。

この言葉は、わかりやすいニュース解説でおなじみの池上彰さんや東大総長など名だたる方が引用しています。

が、もともとは超進学校灘校」で"伝説の国語教師"と呼ばれ、教え子から数々の著名人を輩出していることで有名な橋本武(1912-2013)」先生の言葉だそうです。

で、少し調べてみると、その伝説の橋本先生の授業というのが、

「小説『銀の匙』を3年間かけて読み込む」

というもの。

現代で『銀の匙』と言ったら、週刊少年サンデーで連載中の漫画『銀の匙 Silver Spoon』を連想してしまいます。

僕は小説『銀の匙』も漫画『銀の匙も読んだことがないのですが、どうやら小説『銀の匙』は、

夏目漱石が「きれいな日本語」と認める美しさ
・新聞連載小説で、長からず短すぎない
子どもが成長していく過程の自伝物語

というのが橋本先生が数ある図書から教材に選んだ理由のようで、ときには2週間で1ページしか進まないということもあったそう。

で、さすがに「早く進めて欲しい」と言う生徒に対して橋本先生が生徒に諭した言葉が、

「すぐ役立つことは、すぐ役立たなくなります。自分で興味をもって調べて見つけたことは一生の財産になります」

であると。また橋本先生はこんな言葉も残しているそうです。

「子供たちは、自分で体感し発見したことだから、自然と興味をもち、楽しみながら学んでいきました。遊びの感覚でやるから楽しい。“遊ぶ”と“学ぶ”は同じこと」

【参考】明治の人ご紹介 第31回 橋本武さん


これらの言葉やエピソードは「灘校に行く程のレベルの子だから通用するんだよ〜」では片付けられない奥深さがあると、僕は思います。

最近の僕のモヤモヤは、対人援助の支援者がすぐに答えを教えたがること、待てないこと、葛藤を抱えられないこと。

相談業務、対人援助における結果の「善し悪し」なんて簡単には評価できないし、人生という長いスパンの中で何かの糧になったか、極論を言うなら、その人が死ぬ瞬間にようやく下される位のものだと僕は思います。

しかし、仕事の効率化、時間短縮、説明責任、エビデンスと叫ばれる時代。特に児童福祉では、危機的な状況を脱して安全を確保するためタイムリミットの中で判断の瞬発力が求められる分野かと思います。

早く決めることの必要性があることは「認知」では理解しつつも、理屈だけでは動かないし追いつかない「感情・感覚」があることも理解して、大事なものを失わないようにギリギリのラインでせめぎ合いバランス取りをするのが、現場の臨床家であり専門家なんだろうと思います。

一般世間とは違う感覚や視点を持っているから専門家なわけで。しかし、専門家も社会の一員ですので世間的な感覚を持ち合わせつつ、流されない部分も持ち合わせると言う、「遊びと軸」「柔軟性と安定性」の両方を持っていなければいけないと思うんですけど…

実際は、社会情勢に大きく影響され流されていることに自覚がなかったり、専門家の世界の難しい言葉や理論をゴリ押しし過ぎて世間から浮いていたり。

「一般性⇆専門性」に極端に振り切って固まっちゃう支援者が少なくないことへの切なさを最近(に限ったことでないですが)感じることが良くあります。

どう伝えたらいいものか…とモヤモヤが続いていたところに、


「すぐ役立つことは、すぐ役立たなくなります」


一発KO、ど真ん中のどストライクです。やはり賢人というのは本質的なことを、実に簡潔で色褪せない言葉で伝える術に長けているよなぁ、としみじみ。


そして、
「自分で体感し発見したことだから、自然と興味をもち、楽しみながら学んでいきました。遊びの感覚でやるから楽しい。“遊ぶ”と“学ぶ”は同じこと」

これは子どもに限らず、大人にとっても同じだと思います。

最近、企画して話し合っている研修方法(楽しく学ぶ、体験→知識→練習)と実にシンクロする内容で、確かに仲間とあれこれ考えたり話し合っている時間はワクワクして楽しい。

「静岡LSW勉強会」「まごのてblog」も理由づけとして「学び」の体はとっているけど、言われてみれば感覚は「遊び」に近いなぁ、と。


自分で体感し発見した時って、おそらく感情・感覚が活発にポジティブに動いている時で、知識を認知的に「覚える」だけでなく、身体全体で「身につく」ことに繋がるんだろうな、と思います。

逆に、やる気のない時は、感情・感覚もエネルギー低下していて身体全体で感じ方や染み込み方が薄かったり、虐待や暴力のようにネガティヴ感情・感覚に染み付いたトラウマ記憶もやはり「身について」なかなか取れなかったり。

食リポのように、自分の感覚を研ぎ澄ませて味わって、よく咀嚼して、自分の言葉で表現する。

勉強会でも研修会でも「覚える」のではなく、「身につける」には、インプットとアウトプットの繰り返しで、身体全体に染み込ませる必要があって、それは日々のコツコツした積み重ね。

そう表現すると受験勉強や部活のシゴキように、嫌々苦しいことに耐えるみたいなイメージを持つ方もいると思いますが、それは「認知ー感覚ー感情」全体での学びには繋がらない。

ただし仕事は楽しい事ばかりじゃないのも分かっていますし、楽しいばかりで興奮し過ぎても、かえって感覚を鈍らせてしまうと思います。

出来れば自分の感情感覚をフラットな状態で、新しい刺激(知識・体験)に触れてみる。そこで感じる感覚や感情を味わってみる。言葉を変えれば「マインドフルネス」に近いかもしれません。

すぐに役立つことが「ずっと役に立つ」ことになるには、使ってみてどのように感じたのか、なぜ役になったのか、しっかりと自分自身で味わって咀嚼して「身につける」過程が大事なんだと思うわけです。


話は逸れますが、格言と言えば、僕と同じ新潟県長岡市出身で、高校の大先輩である山本五十六の言葉にこんなものがあります。


やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、
ほめてやらねば、人は動かじ。


僕の体験の中で、高校の廊下に「山本五十六」の肖像画がバーン!と飾られていて、いつも衝撃で未だに記憶に残っています。

ただ、高校生当時はこの言葉すら知らずに「偉かった軍人さん」位で通り過ぎつつも体験としては刻まれていたわけです。

そして卒業から10〜15年の時を経て「山本五十六と言う名前を聞けば反応し、この言葉にたどり着き、自分の積み重ねた人生経験や臨床経験の中で、まだまだヒヨッコなりに深みのある言葉として咀嚼できるようになっているわけです。

このように自分の体験を伴わない「借り物の」知識や方法は、すぐに役に立たなくなる、おそらくすぐに忘れるし応用が効かない、ということを実にシンプルに的確に射抜かれた言葉でした。


「すぐに役立つことは、すぐに役に立たなくなります」


座右の銘とかで言ってみたいですね。

ではでは。