LSWのちょっとかゆいところに手が届く「まごのてblog」

静岡LSW勉強会の管理人によるコラム集

【第79回】LSWと「ソリューション・フォーカスト・アプローチ」

こんにちは。管理人です。
 
新年度のスタートです。皆さま、いかがお過ごしでしょうか。
 
平成30年度。平成生まれが30歳ですよ。時の流れは早くて恐ろしいですね。そして平成31年4月30日には、ついに「平成」の時代が終わり2019年5月1日から「新年号」が始まります。
 
つまり今年が「平成」年度の"ラストイヤー"なんです。思えば、この平成30年間のPC・スマホの普及で、暮らし方・働き方はホント様変わりしましたね。
 
昭和世代の人間からすると、今後、AIの進化が著しい時代の変化の"波"にドンドン乗り遅れていくのではないかと、いささか不安になります。
 
新年度最初のコラムは、そんなように不安が募り、ポジティブな将来や明るい未来がなかなか描けない相談者へのアプローチの紹介。
 
 
それは、

『ソリューション・フォーカスト・アプローチ』

 
英語だとSolution Fouced Approach(SFA)。
 
1978年にミルウォーキーに設立されたBFTC(Brief Family Therapy Center)で開発された短期療法(ブリーフセラピー)の一つ。
 
日本語では「解決志向アプローチ」と呼ばれているもので、ご存知の方も多いですよね。
 
Wikipediaの説明を借りると、
「従来の心理療法諸派とは異なり、原因の追究をせず、未来の解決像を構築していく点に特徴があり、結果的に短期間で望ましい変化が得られるとされている」
 
という特徴があって、僕はこのSFAの考え方や質問の仕方は、とてもLSW的で重なる点が多いと思っています。
 
実は以前【第25回】あいまいな喪失とトラウマから回復⑨http://lswshizuoka.hatenadiary.jp/entry/2017/08/16/081320
で紹介されている質問や考え方、
 
〜「問題解決に固執しすぎたりしているなら、人々に、もし違う対処法が可能ならどのようにしたいと思うか、将来どんな風に同じ状況に際して対処できると思うかなどを質問して」
 
まさにコレなんです。SFAというのは。【第25回】からだいぶ時間は経ってしまいましたが、今回はそんなSFAの僕なりの解釈をまとめます。(ちゃんとした話は書籍を参照ください)
 
 
まず「解決志向アプローチ」を辞書的に整理からすると、デジタル大辞泉には、
 
 
【解決】
  1. 問題のある事柄や、ごたごたした事件などを、うまく処理すること。また、かたづくこと。「紛争を解決する」
  2. 疑問のあるところを解きほぐして、納得のいくようにすること。また、納得のいくようになること。「疑問が解決する」
 
【志向】
考えや気持ちがある方向を目指すこと。
 
ちなみに、
・【指向】も志向とほぼ同義で使われるますが、志向の方がより「気持ち(志)が向く」の意。
・【思考】考えること。経験や知識をもとにあれこれと頭を働かせること。
 
 
とあります。なので「解決志向」を噛み砕くと、「問題や疑問がうまく処理されたり納得のいく状態に考えや気持ちが向いて目指すこと」なんて感じでしょうか。
 
当たり前と言えば当たり前のことなんですが、注目すべきは【解決】の説明の中に「原因」という言葉は一つもないこと。
 
そうなんです。問題解決=問題や原因を取り除く的なイメージをどうしても浮かべがちですが【解決】のそもそもの意味自体「原因特定&原因除去」にアプローチを限定していないんです。
 
もちろん原因を特定して取り除くアプローチが有効な場合もあります。例えば品質管理やウィルス疾患など、医学モデルの治療的(cure)な、直線因果で捉えられる現象の場合です。
 
しかし、人生や人間関係における問題はそんなに単純ではありません。児童福祉の分野もそうです。貧困、親子関係、発達障害知的な問題などなど色んな要因が秘伝のタレのように継ぎ足し継ぎ足し家族何代も連鎖して複雑に絡み合って現在の形に至っているケースが多いですよね。
 
じゃあ、原因が特定せずに何をサポートするのか?
 
それは【第18回】「cure」と「care」の違いhttp://lswshizuoka.hatenadiary.jp/entry/2017/07/25/200117
で触れたcare[ケア]の部分かと思います。人生や生活全体を見て、出来るケアを考えるわけです。
 
じゃあ何が必要という話しですが、SFAの基本姿勢は、相談者こそが自分の解決の方法を知っているハズ、カウンセラーは知らない方法を教えてもらう not knowing(知らない)の姿勢です。
 
なので僕の中でケアやSFAに共通するイメージは、相談者の自分自身をケアする力を引き出す(エンパワメント)する感じです。
 
 
例えば、頭の中が「問題」でいっぱいの相談者がいるとします。
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だけど、それまで何とか人生やってきたわけですから、人生の中で「マシな時期」「そこまで悩まない時期」もあるハズなんです。
 
しかし、「いま」に余裕がなくなると…。

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ですよね。問題が無い状態は「当たりまえ」。アノ問題コノ問題さえなければ「上手くいく」のにと、自分を苦しめている"原因"や"問題"を取り除くことで頭がいっぱいです。
 
僕はこれまで相談の中で幾度となく、
「この子が私を苦しめる」「この子さなければ」
という台詞を聞いてきました。
 
よく親なんだから「もっとこうして」「我慢して」なんて更なる苦行を強いるような支援者の言葉を耳にする事があるのですが、これは目の前の相談者の気持ちに寄り添えて無いと思うんです。
 
だって、子育てシンドイですもん。身体は疲弊しきって、自分の時間もロクに取れやしない。家族からは協力どころか「ちゃんと躾けろ」と責められたり、おまけに学校や地域から「あなたのお子さんは◯◯で困るんですよ。どういう教育してるんですか⁉︎」なんて責められたら、もうやってられない、やってられない、「てられな」(引用:ブラマヨ吉田)って感じになりますよね。言うまでもなく、まず必要なのは、その人自身が余裕を持てるようにケアされることだとおもいます。
 
そして、そんな余裕のない状態で「今後どうしていきたいですか?」なんて聞かれても、

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そりゃ、明るい未来なんて想像できないし、この先だって上手くいきっこないと思いますよね。とりあえず「ラク」になれれば、それでいいと思うのは当然です。
 
なので、まずは大変な話しを共感的に聞いて、「この人なら話してみよう」と思う安心感を持ってもらう事がまず支援・ケアの第一歩かなと。
 
そして、そう言った「いま」の安心やポジティブな感覚がある中であれば、「過去」の安心やポジティブにもアクセス想起しやすくしやすくなります。
 
例えば、いま相談に来られるくらいの生活は送れているわけですから、1日の中で「少しマシな時間」や「誰かの支え」がきっとあるハズ。
 
そして、意識からは逸れているけど、もっと長いスパンで見たら「よく分からないが上手くいった時期」「良くも悪くもない時間」もあるハズ。
 
そんな「例外さがし」を相手ペースに合わせながら少しずつ繰り返して、影の部分に少しずつスポットライトを当てて行く作業をしていきます。

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もちろん「でも…」「そうは言っても…」とネガティヴトークに戻ることは多々ありますが、そんな苦しい気持ちにまず寄り添って「いま」の安心感の中で、少しずつ「過去」の安心を掘り起こしていく。
 
別に初めからポジティブトークにならなくていいんです。「なんでもない」「どうでもいい」トークで、とりあえず頭の中の「問題志向」「問題への意識」が薄れていけばいい。
 
視野を広く、頭の中の柔軟性を高めるイメージ。「問題問題問題」で凝り固まった志向や思考をストレッチして徐々にほぐしていく感じ。
 
そして【志向】が「過去ー現在ー未来」の横軸と「プラス・マイナス」の縦軸を動く自由度が高まっていくと、だんだん連想が広がって「あ、そう言えば」と芋づる式にエピソードが出てきます。
 
そうやって「現在」も「過去」のポジティブな事もあればネガティヴな事も受け入れて、「人生山あり谷あり」だから「未来」だって大変で辛いこともあるけど良いことや楽しいことだってあるはず、とバランスを取れた将来を展望できるようになると思うんですよね
 
こんな感じで、その人の人生に対する「プラス・マイナス」「過去ー現在ー未来」のマッピングのバランスを整えていく、そんな支援やLSWのイメージを僕は持っています。
 
当然、相談はじめに持っている【志向】のバランスや傾向は人それぞれで、そのタイプは、
『【第19回】ジンバルド時間志向テスト』
でも扱っていますので参考にしてください。
 
そして、そのバランスを整えたり[過去ー現在ー未来][ポジティブ・ネガティヴ]それぞれをつなぐには、まず未開の部分に意識を向けられることから始めないといけない。
 
それは今までの慣れたモノの見方から、少し慣れない方法で物事を見る作業をすることになるので、考え方の「柔軟性」が必要になってきます。
 
そのプロセスを最近ニュースが多い野球で例えると、いきなりポジティブな未来を想像させるのは、いきなり[遠投]したり[速球]を求めるようなもの。投げようとしても上手く動かないし肩を壊してしまいます。
 
なので、ウォーミングアップのジョギングやストレッチをして身体全体を温めて可動域も広げて、ボール握った感触確かめて、軽いキャッチボールのやりとりから初めて、ちょっとずつ投げる距離やスピードを伸ばしていきますよね。
 
凝り固まった「思考」「志向」にも、そんな柔軟性を段階的高めるアプローチは必要だと思うんです。
 
ただし、発達障害みたいに認知や感覚に偏りがあると、そもそもの柔軟性が低いのでそれは特徴に合わせたストレッチが必要。
 
そしてトラウマ症状が出ている人は、炎症を起こしているので、まずは炎症を押さえることが必要。また炎症が治まっていても「古傷」がある状態ですから、固定して痛くないからOKではなくて再発予防のために可動域や柔軟性をある程度取り戻すリハビリはしておたい。
 
また喪失体験が放置されている人は「未完の感情」が凝り固まっているので、動かす前に温めたりマッサージしたり徐々にほぐしていくことが必要。
 
という感じで、それぞれの状態によって【志向】や【思考】をほぐす方法や段階は違ってくるだろうと思います。
 
また「人生、山あり谷あり」といっても、児童福祉に関わる親も子も過酷な生い立ちを辿っている場合は珍しくありませんから、

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確かに似たような[悩み]を抱えていても、使える資源や過去のプラス体験の量に"個人差"があるのは否定しようの無い現実だと思います。
 
さらにLSWを検討する子どもというのは、生活場所や身近な人の変遷が多すぎて、そもそも過去を想起する手がかりが乏しいがゆえに、自分の人生そのものがイメージできない状態と思います。
 
もちろん家庭で暮らせない原因・理由だけを辿っていけばネガティヴな情報で溢れていくとは思います。しかし、生い立ちを丁寧に追っていけば、その子にとっての大切な人の存在や、その子に関わってきた大人たちの「主観的な想い」は必ずあると思います。たとえ思い出せなくても、その人がアクセスできる意識や記憶にない「例外」の情報はきっとあるはず。
 
そんな情報収集からLSWは始まりますが、その情報収集そのものが「その子」を深く理解するプロセスになります。
 
で、収集した情報をどんな範囲や順番で本人と扱っていくかというアプローチのイメージは、SFAと似ていると思います。
 
それは、SFAの「原因の追究をせず、未来の解決像を構築していく」基本的な考え方が、
LSW後の支援者が期待する子どものイメージ
将来に向かって前向きになれること
と重っていると思うから。
 
よくLSWについて、こんな質問を受けます。
「どんな情報を集めたら良いですか?」
「どこから整理をしたらいいんですか?」
「親の事をどう伝えたらいいんですか?」
 
その時の僕の応答はだいたい同じ気がします。
「本人は何を知りたいと思っているの?」
「知ることで子どもにどうなって欲しいの?」
 
そして、子どもの想い・大人の想い、それぞれを確認して大切にしながら、あとは本人と何をどこまでどう扱っていくのか相談して決めたらいいんじゃないの?、と。
 
でも、これはLSWに限らない相談援助の全般に言えることだと思うんです。相手の状態やニーズに合わせて、それこそ答えは相談者こそが知っている、支援者の姿勢はnot knowingが基本だと思うんですよね。
 
なので、まずは相談者が落ち着いて話せること、さらには表現された気持ち感覚をそのまま受け止めてもらえる安心感が重要で、それが信頼関係や関係性構築ということにつながるんだと思います
 
他人から気持ちや存在を大切にされて、自分の気持ちや存在を大切する感覚を体感して掴んで、それから少しずつ自分で自分自身を認める大切するセルフケアができるようになっていく。
 
そして、そういう自分自身の感覚や気持ちの尊重があって、ようやく他人の感覚や気持ち尊重できるようになっていく。
 
虐待の世代間連鎖、支配ー被支配と言った悪い意味で「関係性の連鎖」はよく扱われますが、その連鎖は悪い環境から一刀両断で切り離せば解決ではなくて、断ち切られた痛みも癒されながら、少しずつオセロの黒を白に変えていくように地道に「良い関係性」を積み重ねて全体の割合バランスを変えていく支援が必要と思います。
 
その良い関係性とは、自分の気持ちも相手の気持ちも大切にする「協働」の姿勢、これが関係構築だと思います。
 
なので「親だから」「お兄ちゃんだから」「支援者だから」何でも受け入れなさい我慢しなさいという関係は、無理や不満が積もるので、結局は長い目で見ると安心で安定的な関係にならないと僕は思います。
 
なので、支援者もセルフケアが必要だし、安全や安心感を守るための限界「枠」の設定も必要。支援者ひとりで相談者の人生を抱えることは出来ませんから、多職種で多機関で手を取り合って、協働でその人を支える体制を作る。
 
そんな家族関係や機関連携の話も、家族・チーム全体の「バランス取り」で考えることができます。
 
LSWが「特定のプログラム」でない理由は、その支援や目指す姿が「バランスを取る」ということであることで説明がつくかな、と思っています。
 
元々のバランスが違えば、支援やアプローチの仕方も当然異なるから。
 
そういったアプローチや考え方のヒントになりそうなトピックを、今年度も引き続き紹介していきたいと思っています。
 
 
でも、どんな支援でも共通することは、
 
「答えのないことだから、一緒に考える姿勢」
「落ち着いて・安心して・協働して」
 
このような体験の連鎖を提供する関わりなんだろうな、と思っています。
 
この「まごのてblog」がそんなLSWについて考えるプロセスの手助けになれば幸いです。
 
ということで、今年度もお付き合いよろしくお願いします。
 
ではでは。