LSWのちょっとかゆいところに手が届く「まごのてblog」

静岡LSW勉強会の管理人によるコラム集

【第86回】対人援助と「左脳右脳の使い方」

メンバーの皆さま

こんにちは。管理人です。

昨日、36歳の誕生日を迎えたのですが、驚くほど自分が40歳になるという実感が無いです…。気が付いたら、20後半の後輩が「え?8コ下⁉︎」という感じです。

今回紹介するのは、そんな僕にピッタリの記事から。

会話が弾まない原因は「脳の使い方」にある!

記事の内容は、歳を取ると若い人の話が聞けなくなる、と言うもの。

実感がないと言いながら、40近くになって来ると偉そうに物をいう機会も時々あって、内心では自分のことを「何様だ」と思うことがあります。(話を聞いてもらえない反面教師的な体験からの「気づき」かもしれません)

ホント、いつまでも子どもや若い人の話しを興味を持って耳を傾けられるオトナでいたいものです。

本題は、そんなボヤキではなくてですね。話が聞けなくなるのは[脳の使い方]にあると言うのが今回の話しです。

著者の加藤先生によると、学校教育やら受験やら就活やらで現代人の8割は左脳を使いすぎていて、論理や言語に偏ったアンバランスな「左脳グセ」「脳のゆがみ」が生じている、と。

詳しくは記事を参照いただいて、ざっくり言うと、人間の脳は[左脳]と[右脳]に分かれていて、主に、
[左脳]言語・論理的な処理
[右脳]感覚的なこと、映像系の処理
をするときに活発になると言われています。


記事内のエピソードで言うと、こんな感じ。

〜私は小児科医をしていました。診察で子どもと接する際にはそれ用のモードになります。「先生大大大好き!」「いい子ちゃんだねー」という会話が続くわけです。すると、診察後の看護師(成人女性)との会話にとても苦労します。そんなテンションで何時間も診察しているので、ナースセンターに戻って、モードを切り替えるのに時間がかかるわけです。脳が子どもと接する仕様になっているので、元に戻りにくくなっているのです。

〜その後、小児科の臨床を辞めて渡米しました。子どもと接する時間がなくなり、同世代の研究者と長時間過ごしました。あるとき突然子どもたちと接する機会があったのですが、なかなか、「いい子ちゃんだね~」というモードの言葉が出てきませんでした。前できていたことがまったくできなくなったわけです。


このエピソードは「右脳」と「左脳」の使い方やバランスの切り替えをわかりやすく説明してくれているなぁ、と思います。

「右脳」は感覚的なチャンネル。子どもとのコミュニケーションは感覚的なもの中心。非言語的な[表情][手振り・身振り]などを通じた感情・感覚的なやりとり。特に言葉が話せない赤ちゃんとのコミュニケーションはこの傾向が一層強くなる。愛着行動もそうですし、言葉が通じない外国人・赤ちゃん・ペットとの意思疎通のアレです。

一方、「左脳」は思考・論理的なチャンネル。大人のやりとり、特にビジネスの世界は思考・論理のやりとり中心と思います。文字情報の羅列を解読して理解することや合理的の説明がつくロジックに従った客観的判断が求められます。

しかし、実生活では、
「頭ではわかってるんだけど…」
「言葉じゃなくて誠意を見せろ」
なんて、論理と感情がつながらないと納得して行動に移せないなんて事は良くあります。

この[左脳]と[右脳]の使い方の偏り、つながり、二刀流は、これまでのコラム注目記事で触れている内容を[脳の使い方]という切り口で説明したものかな、と思います。

例えば、
【第48回】神田橋処方とLSW、より
・精神療法でいろいろ難しいことをいうのは全部、根本の外なんです。ちょっとマニアの世界。やはり精神療法というものも本当に治療である限りは、犬や猫にもできる部分が本質。人間にしかできないのは趣味の世界でしょう。


【第31回】雀鬼 桜井章一 × 羽生善治 「負けない生き方」より
・考えすぎると、怪我が多くなるんです。心の怪我、考え方の怪我が。考えるのにも怪我があると僕は思うんです。
・僕が見てて、こいつ考え過ぎて怪我してやがるなって人がいっぱいいる。自分は頭がいいとか、考えることはすべていいことだと思い込んで、精神や肉体をおかしくしてしまっているんです。


【第18回】「cure」と「care」の違い、より
・「治療」「癒す」と訳される言葉に【heal】があります。語源はギリシャ語の【holos】「完全な姿(本来のあるべき姿に戻る)」だそうで、healに状態を表すthを付けて【health】「健康」になる、と。 
・一つに繋がっている心身のバランスや流れの「偏り」や「滞り」を整えて、心身が本来の持っている健康的な状態に「調整」するのが、僕の【heal】イメージです。


と言った感じ。記録って、どうしても文字のやりとり中心になってしまうのですが、人間同士のやり取りは、その行間や文字に乗せた[非言語のやり取り]が同時進行で行われている。表情、言い方、雰囲気、間といった要素です。これらの読み取りや発信する時に使う脳は、感覚的なものを扱う[右脳]メインとなるわけです。

しかし、現実的な人とのやりとりの中では「右脳・左脳」は同時進行で稼働しているということ。当たり前といえば当たり前ですが。

そして、僕が思うこととして、対人援助の支援者に求められるスキルは「右脳」「左脳」のコミュニケーションの割合を、相手のニーズ(チャンネル)に合わせて調整・調律することだろうと思っています。

言葉にならない、言語化できないけど、相手が求めている応答・ニーズをいかに汲み取れるか。期待している応答が「知識・理解」を深める左脳的やりとりなのか、それとも赤ちゃんとの情動調律と呼ばれる「関係性・安心感」を深めるような非言語的よしよし、相手の状況を察して表情や音リズムで応答する右脳的で感覚的なやりとりなのか。一対一の関係構築、リアルな最前線の対人支援はこの使い分けに尽きると思います。


ただし、左右の脳をバランスよく使うって、そんなに簡単ではなさそうです。例えば、

自閉症に男子が多いのは?
(国立特別支援教育総合研究所HPより)

を参照いただきたいのですが、

〜脳の構造や機能に関する男女差については、まだ十分に確立された所見とはいえないものも多いので、留意することが必要

との但し書きがある上での話としてお読みください。

左右の大脳をつなぐ「脳梁」という部分があるのですが、この脳梁が男性より女性の方が大きいことは各研究で言われます。

で仮説的にですが、自閉症は男性の方が多い(確か女性の3倍くらい?)のは、この脳梁の大きさが関係しているのではと言われています。

女性が男性より共感能力(EQ)が高いと言われていますが、それは女性が言語機能(左脳)を使う際に左右両方の脳を活動させるのに対して、男性は左半球を主に活動させることと関連しているのでは、という事です。

個人的には、女性が男性より感情豊かで、ある意味で感情に左右されやすい側面がある(感受性の諸刃の剣)と思っていますが、それは子育てに纏わる生物的機能の差なのでは、と思っています。赤ちゃんのアタッチメント形成、情緒的な成長には非言語的な感情的なやりとりは欠かせないものなので。

一般的に友人関係も、男子は単純なのでサッパリしているけど、女子はドロドロめんどくさいなんて言われますけど、コミュニケーションの優位なチャンネルの男女差による影響もあるんだろうなと。超頑固者アスペでも男性オジサンなら「まぁ、そう言うオヤジもいるよね」で済まされることもありますが、「女子」だとより際立つし、当の本人も苦労が多いのではと感じる事があります。相対的な周りとの比較から来る許容度の違いと言うか。

またASDや被虐待児は、この「脳梁が縮小していると報告している研究もあります。これは現場感覚だと非常に腑に落ちて、ASD的な「文字通りの受け取り」「理屈へのこだわり」なんかは、被虐待経験があると、感情感覚をまともに「右脳」で受けたら身がもたないので、脳のつながりをシャットダウンして精神を守っていたんじゃないかと酷いケースでは感じる事があります。

逆に、支援者はこの状態を「利用」する事もあって、例えば「ブロークンレコード」と呼ばれる壊れたレコードのように同じ言葉を淡々と繰り返すという対応がありますが、あれは敢えて「右脳(非言語)」を切り離して「左脳(言葉)」のみで対応する事で、情緒的な刺激を加えない、相手の怒りに巻き込まれない事をしていると思うんです。

共感には「認知的共感」と「情動的共感」があると言われていますが、ブロークンレコードは表情模倣などによる身体レベルでの共感はせず、頭による状況把握はしている。状況把握は視覚による「観察」を伴いますから全く右脳を使ってない訳ではないんですけど、身体的な応答を切ることで感情リンクを制限している。

激おこプンプン丸に対峙すると、こちらの心臓もバクバクして来ますから、それまともに受けてたらコチラも怒れて攻撃的な対応になってしまうので。

大事なのは、それを意図的に「技」として選択しているのか、無意識に日常化してしまっているのか。そこに「主体性」があるのかです。

もし後者となると、日常的な脳の使い方は、左脳だけが活性化して、感覚的な右脳が全然働いておらずに、相手の表情や雰囲気と言ったものを察することが出来ていない状態。冒頭で述べた、

〜現代人の8割は左脳を使いすぎていて、論理や言語に偏ったアンバランスな「左脳グセ」「脳のゆがみ」が生じている

のさらに極端な状態かなと思うんです。もちろん「生物×育ち」のかけ算だとは思うんですが、LSWに限らず児童福祉の現場で出会うような、相手の気持ちを察するのが苦手な子どもや大人たちは、脳の左右の使い方やつながりはどうか?ということです。

そう考えると、左右両方(言葉・感覚)を同時にバランス良く使えている人たちは本当に少数派のように思います。


さらに、LSW的に言えば「過去ー現在ー未来」の時制を扱う時、左脳と右脳とどちらがより活性化しているのかな、と。

例えば、まず支援者(聞き手)の視点。

言葉が話せない赤ちゃんとのやりとりは基本的に「今ここ」で起きている感覚的な現象ですよね。お腹減ったとか眠いとかあれ触っちゃダメとか。その瞬間、子どもの内面で起こっている感覚や体験は、言葉ではなく大人側の視覚・聴覚・触覚・嗅覚・味覚といった五感で感じ取るものだと思います。これは、かなり「右脳的」な作業。

大人同士で言えば、食事をして「何これ⁉︎メッチャ美味い」と感動したり、スポーツやゲームをして一緒に驚いたり楽しんだりした気持ちは、言葉を使わなくたって表情や雰囲気で伝わるものですよね。しかし、ここに長々とウンチクが入ると脳の使い方が「左脳的」になってしまうわけです。


一方、「過去」や「未来」を題材にやりとりをする場合、それは目の前では起こっていない現象についての「会話」になりますから、言葉抜きにはイメージ共有が難しい。

現実では「あの時はこんなことがあって」「将来はこうなってたらいいな」など言葉での説明を試みますよね。聞き手がこの時、状況を理解するために使っているのは認知言語をメインで扱う「左脳」中心。


視点を変えて、当事者側に立つと…。

これまでLSWで感情面の語りも扱えたら治療的ということは何度か触れていますが、左脳と右脳のつながりが薄い人は、言語(左脳)によるやり取りだけでは、感覚(右脳)とつながりが強い「感情」にはリンクしにくい、ということが起こるだろうと。

と考えると、アルバムとか場所訪問は「感覚(右脳)」を刺激する方法だとは思うのですが、左脳と右脳のつながりが薄い人は、今度はその湧き起こる感覚を上手く言葉に変換できないという事が、LSW実施の現場で起こっていると思います。

その時、当事者は湧き起こっている感情は表情や音声などの非言語で表現されます(これすら薄い反応かもしれない)から、支援者は「右脳」でその変化を感じ取り、表情や声のトーンなどを相手に合わせ、非言語での「右脳的リターン」と共に、その感覚・感情を言語化ような「左脳的リターン」も必要に応じて行う。

LSWに限らないんですが、その人の感情を扱うという事はどっちかに偏っている左脳(言葉)と右脳(感覚)のバランスを整えて統合するような支援イメージを僕は持っています。

バランスを整えるという事は、支援側は左脳も右脳も両方使えないといけない。相手の得意なチャンネルを活用しつつ、相手の苦手な凝り固まったチャンネルを地道にほぐして耕していく微細な反応をキャッチして相手が痛くない程度にやりとりしながら凝りをほぐしていく、高い感受性と細かい応答のアクセルワークが求められると思います。

左脳右脳なんて切り口にすると小難しい話に感じますが、非言語的なやりとりは情緒的交流と言われているもので、実は普通の子育て、普通のコミュニケーションで私たちが何気なく日常的に行なっていること。

それを、非言語的な応答・ラリーが苦手な人に対して、不器用なテニス初心者を相手にするように、乱暴な球でも追いついて、相手が打ちやすく返球をフォア・バック(右打ち・左打ち)バランス良くなるように丁寧に繰り返す。

そんな非言語的な応答やりとりが、オキシトシン分泌による身体レベルでの安心感につながり、右脳による感情・感覚の扱いや、左脳による理解・認知を促して、左脳右脳の使い方のバランスを整えたり、機能を回復したり、育てたりすることつながると思っています。

LSWで感情を扱うには、支援者自身が相手に合わせた脳の右打ち左打ちをバランス良くできないといけないと思いますし、そのためには自身の右脳⇆左脳のつながりが統合的に使える必要があるだろうと思います。

右脳による「なんとなくの感覚」を感じる感性を大事にしながら、「なんとなくで済まさず」左脳で意識的に言語化する。カメラの焦点を広くしたり絞ったりするように、右脳と左脳の機能を調節する。

「まごのてblog」は臨床感覚(右脳)→言語(左脳)に変換したり、本の内容(左脳)→日常感覚(右脳)に例えたりする自主練みたいな感じかなと書きながら、ふと思いました。

ではでは。