【第89回】脳は未来をどう考えているのか
メンバーの皆さま
お久しぶりです。管理人です。
本題の前に、更新が滞っていた期間のW杯の話を少し。
今回は強豪が苦戦する番狂わせが多くて面白い大会ですね。 なかなか全試合は観きれないのですが、 日本戦は4試合リアルタイムで観ました。
惜しくも日本はベスト16敗退でしたが、 相手のベルギーは次のブラジルにも普通に勝ってますし、 日本の躍進が今大会一番のサプライズかもしれません。
また「ベルギー」については、 ちょうど一年前にblogのネタにさせてもらってますし、 そんな育成のアプローチや歴史・ 文化差の観点からも興味深い試合でした。
参考)【第13回】日本文化と即興性、育成論
ちなみに、日本のW杯の歴史をさかのぼると、
(※西野監督)
1998 フランス大会 初出場 【GL敗退】
2002 日韓大会 【ベスト16】
2006 ドイツ大会 【GL敗退】
2010 南アフリカ大会 【ベスト16】
2014 ブラジル大会 【GL敗退】
2018 ロシア大会 【ベスト16】
と「8年周期」でベスト16に3回進出しているわけですけど、 20年前のフランス大会までは「W杯出場が悲願」 だった国ですからね、日本は。
僕が印象的だったのは、2人の選手のコメント。
■原口選手
「これまで積み上げて来たものを信じる。最後は個の勝負」( 試合中の選手紹介コメント)
■柴崎選手
「『知識』『経験』『感覚』をさらに磨かなくては」( 大会終了後コメント)
20年前には6〜7歳だった少年は、 日本がW杯に出るのは当たり前という環境下で育ち、W杯で「 戦う」「勝つ」ために海外で何を積み上げてきたのか、 その一端を垣間見れるコメントですよね。
正直、今大会のチームの戦いは中堅〜 ベテラン選手がこれまで海外のクラブで積み重ねた『経験』と『 知識』(=戦術眼) に助けられた部分が大きいなと個人的には感じました。
(本当に個々の選手達は逞しかったですよね)
2022年カタール大会以降は、 代表メンバーも大きく変わるわけですし、 全体を取り仕切るサッカー協会には今回の大会で結果オーライでは なく、これまでの歴史やプロセスを踏まえて4年後だけではなく、 2026年、 2030年さらにその先を見据えたチームの強化計画を立てて欲し いです。
こういう長期スパンで成長を考える視点は、 児童福祉の世界にもかなり参考になるし、 課題も非常に似たものがあるよなぁと、個人的には感じます。
ということで、ようやく本題。今回の紹介はコチラ。
脳は未来をどう考えているのかー忙しい人のための"脳手帳"を目 指してー
(京都産業大学HPより)
コンピュータ理工学部・インテリジェントシステム学科・奥田次郎 准教授の論文記事なんですけど、この研究は「LSW的に」 すごく興味深い。
さらに興味深い研究結果として、「遠い未来」 について考える課題で強く活動する脳部位は「遠い過去」 を想い出す課題でも強く活動し、逆に「近い未来」と「近い過去」 とで共通する脳部位も存在することがわかってきた、と。
言うなれば「4年先」を考えるには、少なくとも「4年前」 のことを、「8年先」なら「8年前」 のことを扱える脳の使い方が出来ないと、と言うことでしょうか。
そして、サラッと脚注に「 幼児が未来の計画を立てられるようになるのは、 過去の経験を語れるようになる時期と一致することも最近の研究か らわかってきている」と書かれているのも実に興味深い。
「将来の事が考えられない」「過去ー現在ー未来の連続性がない」 なんてよくLSW実施を想定する児童が言われる状態は、 先のことを予見する「脳の使い方」(=過去を思い出す) 練習が足りないという捉え方もこれらの研究からできると思います 。
まぁ「過去」を語れるから「未来」も考えられるのか、「未来」 が考えられるから「過去」を語れるのか、どちらが先なのか、 そのニワトリ卵の関係はこれだけだと定かではないですけど。
少なくともLSW的アプローチは「過去⇆現在」 を想起する脳の使い方をする体験になるので、結果として「現在⇆ 未来」を考えるような脳の使い方の練習・リハーサル・ ウォーミングアップになっているんだろうと思います。
逆に「未来」を考えることから入る「CCP(キャリア・ カウンセリング・プロジェクト)」や「未来語りのダイアローグ」 と言ったアプローチは、 過酷な生い立ちの子どもが過去を振り返ることの脳の使い方の練習 ・リハーサルになっているんだろうと想像します。
やはり大事なことは、 その人の状態に合わせてバランスを整える感覚なのかな、 と思います。
よくLSWを検討するような社会的養護の子どもは「 積み重ねができない」 なんて支援者から聞くことがよくあると思います。しかし、 それはこれまでの生い立ちの中で、 その場その場の場当たり的な対応を積み重ねざるを得ない結果とし て、出来上がった「脳の使い方」 の状態とも言えるかもしれません。
その日を暮らすことに精一杯な人に数年先のことを考えろなんて到 底無理な話で、 今の生活が落ち着いていて今その瞬間の心配なんてせず「 今日はどうだった?」「昔はこうだった」 なんて振り返りができる余裕がないと、 目の前の先の先の先までの長期計画は考えられないだろうと、 思います。
もちろん、知的能力による限界は少なからずあるとは思いますが、 知的な能力が低いからと言って将来の夢や希望が持てないというの はやはり違うと思うんです。 それは現在の負荷が高過ぎて過去や未来のことなんか考えられない 「状態」や「経験不足」である可能性はないのかと。
歴史に学ぶ、文化を築くとは、 一つ一つのつながり連続性を意識する俯瞰的な視点と、 そうは言っても目の前のことを疎かにしないで一つ一つ集中するピ ンポイント的な視点と、カメラのズームを寄せたり引いたり、 そう言う視点の切り替えをしつつ、 一つ一つを丁寧に確認しながら積み上げていく作業ではないかと、 僕は思っています。
それはそんなに高度で複雑なことではなくて、「将来、 日本代表になりたい」とかいう憧れやモデルがあったり、「これ、 また食べたい」「今度あのお店に行きたい」とか「 去年の夏休みはコレやった」なんて思い出話しであったり、 たわいもない過去や未来についての対話の積み重ねが、 大事なことを振り返ったり、 具体的で現実的な計画を立てたりする「脳の使い方」 の練習にきっとなっている。
そして、どうしても対人援助は生活の中の「目の前」 の対応に追われがちですけど、サッカーの「ハーフタイム」 に前半を踏まえた作戦会議をするような視点やタイミングが、 対人援助にも必要だと僕は思います。
1年先を考えるには、少なくとも1年前からの流れを、 5年先なら5年前からの流れを、 と言う風に全体の歴史の流れの中で、 現時点までどういうプロセスで辿り着き、 これからの後半はどう進んでいくのか。 すぐに本人がこの視点を持てなくても、 少なくともこのような体験を提供する支援者側には、 この視点を持った関わりが必要ですよね。
でもサッカーで言えば、 目の前の判断と対応にに瞬間瞬間追われる「選手」 である当事者や担当者のみんながみんな試合中にそこまで俯瞰的に なれないので(だから出来るプレーヤーは凄い)、 何かのきっかけでハーフタイムのように「一度立ち止まってみる」 機会を意図的に設ける必要性は大きいのではと思います。
よく「本人が言い出すタイミングで」とは言うのですが、 熱くなるとなかなか自分では止まると言えないのが人間です。 なので、いざ形勢が悪くなってから慌てふためくのではなくて、「 このままでOKか」「これから、どうする?」 なんて投げかけて確認する機会を意図的に、定期的に、 計画的に設けておいた方が良いだろうと個人的には思うんです。
速く走ったり突き進むエネルギーも大事ですが、いざという時に「 立ち止まれる」と言うことが安全性を高めるし、 安心感を生むので、結果として、 目の前のことに迷わず集中できることに繋がると個人的には思います。
よく「困ったら言って」「何かあったら相談して」 って何気なく言っちゃうと思うんですが、意図としては「 困ってどうしようもなくなってから相談して欲しい」 わけじゃなくて、本当は本当に困る手前、 何かヤバいことが起こりそうな時に一緒にどうするか考えたい。
しかし、そうするには、その人が少し先の「予測」「予見」 が出来て行動のブレーキをかけられなければ、 事が大きくなる前の相談はありえないわけで。
「なんでこんなになるまで言わなかったの⁉︎」と言う前に、 それ以前の前方後方確認の「見る」練習があって、 アクセルとブレーキを「踏む」力やコントロールを伸ばす、 一緒に練習するような関わりが大人側にあったのかを考えないとい けないと思います。
なので、「記憶」と「予見」 の脳活動が類似しているということを踏まえると、 いざ困った時に対話を始めるんじゃなくて、日常生活の中で
「今日は学校で何したの?」
「昔こんなことあったよね」
「去年の夏休みはあそこ行ったね」
なんて何気なく対話することの意味って、 とてつもなく大きい気がします。
【現在の話し】↔︎【過去・未来の話し】
を会話の中で行ったり来たりすることは、 過去や未来を考える「脳の使い方」「脳の素振り」 的な練習になっていると思うから。
そんな打算で日常会話をするのも嫌ですけど、 日々の関わりにそんな意味付け価値付けをしてみても「 LSW的に」面白いかなと思いました。
ではでは。