LSWのちょっとかゆいところに手が届く「まごのてblog」

静岡LSW勉強会の管理人によるコラム集

【第135回】LSWとパーツ心理学

こんにちは。管理人です。

 


この数日、blogのアクセス数が右肩上がりに増えています。

 


注目記事ランキングで、ランク外→2位に突如躍り出た【第9回】コラムが読まれている影響だろうと思うのですが、実はこのコラムは5年前のものなんですよ。

 


誰かが、インフルエンサーとなって拡散してくださっているんだと思うんですけど、何かのきっかけで注目していただいて、5年前の記事が誰かの何かのお役に立っているとしたら、本当にありがたい限りです。

 


そして過去に残した記録が、数年後に誰かの役に立つって(←僕の勝手な脳内変換)、LSWの支援プロセスで起こる現象とにてるなぁ、と思うんです。

 


実際のケースでは、自分が残した記録がその後のどのようや役に立ったかどうかわからないことがほとんどですが、アクセス数というフィードバックがあるだけで、書き手は励まされますね。

 


改めて、読者の皆さまに感謝です。ありがとうございます。

 

 

 

 


前段はこのへんにしておきまして、今回の本題はここから。

 


前回コラムで「訳あって2冊の本を並行読みしています」と勿体ぶったことを書きました。↓がその本になります。

 

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http://www.iwasaki-ap.co.jp/smp/book/b585744.html

 

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http://www.iwasaki-ap.co.jp/smp/book/b599325.html

 


どちらも岩崎学術出版HPに概要が紹介されているので、ご参照ください。

 

 

 

で、この2冊を並行読みする訳はですね、

 


知り合いに本の訳者がいまして、勧められて買ったはいいけど、なかなか手を付けられず…という怠け者な自分にケツを叩く的な意味もあります。

 


それは半分冗談で、本当の訳(理由)としては、

 


「パーツ心理学」という考え方が、内的家族システム療法も自我状態療法も共通していて、実際に行うアプローチ(自分の中にいる自分達同士の対話を促す)もほぼ同じと言われていること、その内容自体はLSWと親和性が高くて参考になると思うから。

 


ただ、いかんせん専門的すぎると言うか、敷居の高さを感じさせると言いますか、心理職でさえこれらの療法を学んでいる人は少数派かなと思うんです。

 


このブログはLSWをテーマにしてますので、社会的養護の子どもに関わる施設の職員さんや児童相談所ケースワーカーさんに、まともに紹介するのはちょっとマニアック過ぎるというか、カロリー高すぎてつまんだだけでお腹いっぱい的になってもおかしく無いとも思いまして。

 


なので、ほぼ似たものと言われているものをあえて読み比べて、説明の引き出しを増やしたかったと言うか、多職種の方に面白そうだ、しっくりくるなと思ってもらえそうな表現を探したかった、というのが2冊同時読みの理由です。

 

 

 

 


僕自身がそう思うんですけど、自我状態とかパーツとか初耳の難しそうな用語が出てくると、説明を聞く前から、もう無理わからないみたいな拒否感が出てるくことって、ありません?

 


前段で5年前の記事の話題を出しましたけど、少なくとも当時の記事を書いていた頃の僕は「自我状態療法まではちょっとできません」と思ってたし、実際に口に出して言ってました。

 


日本では自我状態療法の方が早く広まっているらしく、僕もちょこっと話しを聞いたり研修を受けたことがあって、これはLSWにメチャクチャ関係するなとは思ってはいました。

 


その上で、

「今の自分は手をつけない方がいい」

と思ってたんです、5年前は。

 


もっと正確に言うと、

 


僕の中に、

「心理士として最新の知識技術を学ばなくていいのか?」と問いかける自分と、

 


「研修にかける時間とお金をかける余裕がどこにある?今より支援範囲を広げて何がしたい?」と問いかける自分と、

 


その両方の自分がせめぎ合ってたんですね。で当時は「やめとけ」と言う結論になってたんですよ、僕の中で。

 


こんな風に、自分の頭や心の中で、天使と悪魔が囁き合うと言いますか、例えば、欲望的な自分と規律的な自分、チャレンジしたい自分と保守的な自分が意見をぶつけ合うような「葛藤」を抱えることって、そんなに珍しい事ではないですよね。

 

 

 

パーツ心理学とは、そういう考え方です。

 


人はいくつかの部分の集合体でできている。前回コラムで脳は集合体という内容を扱いましたが、臓器にしてもそうですし、細胞レベルでもそう。人間は色んな部分(パーツ)が集まって構成されている。

 


パーソナリティ(人格)もそうだよね、というのがパーツ心理学で、フロイドやユングの意識と無意識や、交流分析エゴグラム)で使われる5つの状態の考え方もパーツ心理学に含まれるそう。

 


生活レベルで言うと、「会社モード」の自分と、「家でくつろぐモード」の自分は、肉体的存在としては同じ自分ですが、言動や振る舞いは違いますよね。

 


家であっても、子どもに接する「親モード」の自分もいれば、実家から電話がかかってきたらどれだけ歳を重ねても自分の親は親ですから「子ども」として親に接する部分はありますし、学生時代の友人から電話がかかってきたら「当時の学生モード」で話しますね。

 


そんな風に、自分の中には色んな自分の部分が存在していて、知らず知らずのうちに無意識に使い分けてる、それってごくごく自然なことかと思います。

 


ちなみに、上記の本によると、

〉平均的な人は、1週間を通じて普通に使用される自我状態をおおよそ5〜15個くらいは持っている

 


だそう。15とは結構あるなぁと思うのですが、それが普通だと。

 


LSWに絡めると、例えば、施設で暮らす児童の中では、家モードの自分と、施設モードの自分がいてもおかしくないし、むしろそれが普通なんだと思います。

 


社会的養護に限らず、「学校でやれていることを、家では全然やらないんです」なんて話しはよく聞きますが、学校と家では他の人の目も違うし、状況が全然違いますから、オンオフ具合に差はありますよね。

 


そして通常は、この部分(パーツ)同士のコミュニケーションを取れているから、お互いにやった事を覚えているし、ひとりの存在としての連続性を感じられる。

 


しかし、お互いのパーツ同士のコミュニケーションが取れなった時に記憶の断絶が起きる。これが解離(多重人格)の状態で、複数のパーツが存在する事自体は、多重人格とは全然違う。

 


そんな説明が、名称や表現の違いはあるものの、2つの本では丁寧に書かれています。

 


LSWでは「過去を扱った後に荒れる」「パンドラの箱が開く」という話題がたびたび出るのですが、これらの現象は、自我状態療法や内的家族システム療法の文脈で変換すると、

 


自分の中の「傷ついているパーツさん」を守ろうとする「防衛パーツさん」が出てきている

 


そんな風に言えるんだろうと思います。そして、上記の本にはそのようなクライエントに対して、どのような支援方法があるのか、パーツさんと話をする時にどんな配慮をするのか等々、色んなことが具体的に書かれています。

 


僕の場合、ちゃんとした自我状態療法を行う機会はないんですけど、LSWに限らず児童福祉の現場で出会う子どもや保護者の状態理解にパーツ心理学の考え方がとても役に立ってます。

 


他には、上記のような話しを心理教育として子どもや保護者に伝えて病院受診を勧めてみたり(身近な病院でやってくれるんで)、病院で受けた自我状態療法と自分の状態について子どもから教えてもらったり、なんてことも。

 


「身近にそんな病院ないよ」という方も多いかと思うんですが、児童福祉の現実は面接室で「自我状態療法をやっていきましょう」という枠組みを取れないだけで、突発的に起こる出来事に対応する中で、むしろ緊急的な状況だからこそ、明らかに普段とは別パーツの人格が実行的になっているよねという子どもや保護者にゲリラ的に対応せざるを得ない場合は少なくないかな、と思います。

 


もちろん治療的な関わりではなく、火消し的な対応になってしまいますが。

 


児童福祉でよく遭遇する、喉元過ぎれば的にコロコロ意見が変わったり、ちょっと考えればこんな風になることわかるでしょ的な言動をする人は、パーツ間のディスコミュニケーションが起きている可能性って結構あるかなと思います。

 

 

 

 


つまり何が言いたいかと言うと、

 

 

 

児童福祉で「パーツ心理学」は役立ちそう

 

 

 

ということ。

 

 

 

 


今回のblogで、パーツ心理学に拒否感出てしまったら、僕の文才不足で申し訳ですが、上記の本はホント良い内容です。

 

 

 

しばらく、この話題は続けていきますので、よかったら次回以降もお付き合いください。

 


ではでは。