【第29回】新しい愛着の形を見つける
メンバーの皆さま
こんにちは。管理人です。
昨夜、サッカー日本代表が2-0の快勝でロシアW杯出場を決めてくれまして、晴れ晴れとした気分で9月を迎えられました。
それにしても、井手口選手(21歳)素晴らしかったですね。後半37分のゴールはもちろんですが、90分間あれだけの守備に走りながら、セットプレーのキッカーも務め、終盤の苦しい時間帯に何度も攻撃に絡み、まさに神出鬼没の働きだったと思います。
乾選手を筆頭にFW陣の前線からの守備も良かったですし、「攻撃の選手」「守備の選手」という時代から、守備も攻撃も高いレベルをポジションに関係なく90分間維持できるハイブリッドな選手が求められる時代だな、と改めて感じました。
その攻守における質量の高レベルの状態が、僕の中ではコラムで扱っている「両価的感情」や「AでもありBでもある」という相反するものを同時に扱うようなイメージと非常にリンクしました。
日本の児童福祉の虐待対応システムは「支援と介入」の役割を分離していく方向に進んでいると思いますが、サッカーで言うとチーム内でフォーメンションのポジションを整理して割り当てて行くような作業に思えて、それ自体に異論はないです。
しかし、強いチームにはFWでもDFでも攻守両方おいて貢献できる選手が多く必要で、虐待対応的に言えば「支援もわかりながら介入する」「介入も見据えながら支援する」と言った本来のポジション外の部分でも、 指示的/支持的アプローチ両方駆使してチームの支援や連携に貢献できるハイブリッドな人材が求められる時代に突入しているだろうし、そういうことを体現している21歳の若者にとても刺激を受けました。
前段が長くてすみません。そろそろコラム本編に入ります。
●目次
はじめにー喪失とあいまいさ
第I部 あいまいな喪失の理論の構築
第1章 心の家族
第2章 トラウマとストレス
第3章 レジリエンスと健康
第II部 あいまいな喪失の治療・援助の目標
第4章 意味を見つける
第5章 支配感を調整する
第6章 アイデンティティーの再構築
第7章 両価的な感情を正常なものと見なす
第8章 新しい愛着の形を見つける
第9章 希望を見出す
●内容
今回は第8章「新しい愛着の形を見つける」より。言葉の定義、
◆言葉の定義
~本書で私は、
~愛着は、伝統的には、
~本書では、愛着をもっと一般的な観点で、夫婦や家族、
◆新しい愛着の形を見つけることとレジリエンス
~失われた人を見つけることができない時に、
~そのような融通のきかない極端な反応は、不適応な状態であり、
~あいまいな喪失から生じる不安は、
~悲惨な状況でのあいまいな喪失においても、
◆セラピーの方法と治療的関係
~多くの人は、自分自身の力で、
~外的な状況が愛着や喪失を複雑にしている時には、
~重要なことは、私たちが、文脈や環境の観点からそのようなアプローチを行なうべきだということです、社会構成主義や現象学を基礎とするナラティヴの技法は、前述したように、これらの視点やアプローチと両立できるものです。
~より明確にすると、関係性へのアプローチや深層心理学は、あいまいな喪失から人々を切り離すうえで役に立ちます。しかし、関係性や外的な文脈を含む、より広いシステム的な視点が不可欠です。
~たとえば、夫婦や家族とのセラピーでは、彼らの生活の拡大されたシステム、たとえば拡大家族や近隣
学校、クリニック、職場、宗教的なコミュニティのなかで情緒的な関係性を理解したりする改善したりするする方向にエネルギーが注がれます。より広いシステム的アプローチを用いることで、家族や地域社会のルールがその状況に十分には合っていないことが見えてするかもしれません(Imber-Black & Robert,1912; Lueqnitz,2002)
~より明確にすると、関係性へのアプローチや深層心理学は、
~たとえば、夫婦や家族とのセラピーでは、
学校、クリニック、職場、
●コメント
まず「愛着」について。この言葉に触れるとドロ沼にハマる危険性がありますが、ほんの少し整理します。
まず「愛着」について。
愛着はアタッチメント(attachment)の訳語なわけですが、もともと
動詞》at-tach アタッチ
〔小さな物が大きな物に〕付着する、付随する
〔小さな物を大きな物に〕取り付ける、添付する
にment(すること)をつけた名詞です。語源はフランス語らしいですが、英語の音節で分けるとat(点に)tach(触れる)ment(事)なんだと思います。
ちなみにカメラの部品なんかを「アタッチメント」と言うみたいですね。要は付属品です。小さなものが大きなものにくっつくイメージです。
〔小さな物が大きな物に〕付着する、付随する
〔小さな物を大きな物に〕取り付ける、添付する
にment(すること)をつけた名詞です。
ちなみにカメラの部品なんかを「アタッチメント」
で、愛着理論の専門用語のアタッチメントは、赤ちゃんが親にピタ~っとくっついて落ち着く、肌感覚を通じた感覚感情の調整システムのことを言います。
一方、世間一般的な「愛着」の意味はと言うと、
①日本語の辞書では、
「なれ親しんだものに深く心が引かれること」
②本書では、
「夫婦や家族、親しい他者との関係性のなかで、個々人がそれぞれの間に感じる深い絆と定義します」
となっていて、アタッチメント〈小さな物が大きな物に〉at(点に)tach(触れる)ment(事)の意味から少し広がった印象を受けます。どちらかと言うと漢字の「愛着」の意味に近い感じがします。
ちなみに、attachmentの意味を英英辞典で引くと、
「 a feeling that you like or love someone or something and that you would be unhappy without them」(あなたが好きな人や何かが好きで、あなたがそれらなしで不幸になる気持ち )
となっていて、①とも②とも似ている様で違う様なという感じです。英語は英語で理解、言語が違うと思考法が違うと言いますが、やはり「愛/着」と「at/tach/ment」では、もともとの文字の表す意味や成り立ちが全然違いますし、異言語の一般的な翻訳って単語単語の意味やイメージが一対一でピッタリ当てはまる言葉があるわけではなくて、その文脈や背景を加味して言葉を加えたり微調整したりしますよね。
しかし、おそらく愛着理論の話の中で使われる専門用語としての「愛着」と「アタッチメント」は全く同じ意味を表す同義語という前提で使われているというのが、まず特殊なんだと思います。これが理論を輸入する時の難しさですよね。
そして話題を現場に移して考えると、例えば「別れ際の寂しがる様子から母への愛着はあると思われる」という表現があるとすると、一般的な意味の愛着なら「◯」の使い方なんだと思います、きっと。
しかし、専門用語の愛着として使っているのなら「?」で、「別れた時の感情表出→別れた後の感覚感情が収まり方→再会後にどう反応するか」そこまで見てようやく愛着のA~Dタイプ(回避型、安定型、アンビバレント型、無秩序型)のどれかな、と言う話しになるわけです。専門用語の愛着を語るなら、別れ際や欲求不満時の状態だけでなく、その後の調整回復プロセスまで見ないと情報不足と思います。
という、ややこしい違いがあるので、「アタッチメント」と言えば専門用語の話しをしているのだとすぐにわかるし、いっそのこと児童福祉現場で言う「愛着」は全て専門用語のアタッチメントのこと!なんて縛りがあればわかりやすいんですけど、現場の様々な場面の会話を聴いていると「ん?一般的な愛着イメージだよな文脈的に」と感じることが結構あります。
日本語を使っていても受け手側の解釈によって、「え?そんな話でしたっけ?」という理解の違いや誤解って頻繁に起こるなと最近思いますし、それはクライエントだけでなくて支援者同士でも本当に多いですよね。対人援助者でも 「相手がどう言ったのか」と「自分がどう受け取ったのか」の違いがあまりに無自覚に混同して話されることって少なくありません。
そんな現場の状況なのに、同じ言葉で一般的用法と専門的用法で意味が(しかも微妙に)違うなんて、もう誤解の元以外の何物でもなくて、僕の中ではなるべく使用を避けて通りたい言葉です、愛着は。
そういう愛着の理解にまつわる混乱が日本の福祉現場で起こっている中で、第8章「新しい愛着の形を見つける」で言う「愛着」は、伝統的なボウルビィやエインズワースの愛着と違います、もっと一般的な愛着の意味ですよ、と本書では言っているわけです。
しかし、本書は訳書ですから本来「もっと一般的なattachmentの意味ですよ」という意図で著者は書いているはずなんです。すると、そもそも一般的な日本語の「愛着」と英語の「attachment」の意味って同じなの?という疑問が湧いてくるわけで、わざわざ英英辞典を引いたわけです。
そのような面倒くさいことを全部カットして、
「本書では、愛着をもっと一般的な観点で、夫婦や家族、親しい他者との関係性のなかで、個々人がそれぞれの間に感じる深い絆と定義します」
と宣言してくれているので、あいまいな喪失を考える上では「そういうもんだ」の理解でいいんですが、そもそも本文はアタッチメントの専門的理解や整理がある前提で進んでいく感じで、もはや専門知識の向こう側の話というか、常々書いてますがサラッと書いてあるけど超高度な内容だよなぁ、と思います。まぁ専門書ってそういう物なのかもしれませんけど。
ちなみに超高度と言うと、前章あたりから「そもそも、それがよくわからないんですけど」と言われそうな◯◯主義◯◯療法◯◯学という言葉が使われている部分をたくさん引用しました、意図的に。
お伝えしたかったのは、もちろん僕自身も全部に精通しているわけでないし、支援者のバックボーンはそれぞれ違うので得意不得意はあって当然だということです。そして、◯◯療法をやること自体が目的じゃなくて、大事なのは自分の選択できる◯◯療法の中でクライエントとどんな対話が行われるか、「あいまいな喪失」の理解があれば、いろんな方法論があってOKむしろ多様性が必要という著者のスタンスに非常に共感した、ということです。
LSWに限らず、どのような方法論を用いるかは、常に自分と相手の相互関係、つまり支援者が使える方法の中で相手にとって一番有益な方法を一緒に考えて選んでいく、そのやりとり自体が治療的なプロセスなんだと思っています。◯◯療法の違いはあっても最大の治療効果の要因は共通して「信頼関係」であることは研究でも示されていますし、本質は「いかに安心で正直なやりとりができるか」であって◯◯療法はその「方法」に過ぎないと僕は思います。
なのでLSWの本質も「生い立ちを題材にした両価的感情(未完の感情)について、いかに安全で安心で正直なやりとりができるか」だと思いますし、どの本や研修でも強調されているはずですが、どうしても方法論ばかりに話題の興味関心が向きがちですよね。
これはおそらく、世間一般の「これをやればこれが治る」という直線因果的な単純効率的な思考の傾向の現れのような気がします。また、負の側面を発信することのリスクが大き過ぎて、皆正論しか言えないような雰囲気の蔓延ってありませんか?でも、現実の家族や対人関係の問題はいろんなドロドロした要素が複雑に絡み合っていて、スパッと答えや解決法が出る事の方が少ないと思います。
なので、凝り固まったものがスッキリ取れないにしても、ストレッチのように少し緩めて柔軟性(レジリエンス)を持たせる支援も意味があると認識すること、「原因除去の治療できなくても人生が生きやすくなるケアには意味がある」という発想の転換や思考の柔軟性を支援者がまず持つことが、より良い支援の第一歩ではないかなぁ、と僕は思います。
最後に、イレギュラーではありますが、本書の引用で終えたいと思います。内容は、新しい愛着の形を見つける治療関係の「留意点」の項目です。対人援助の心構えや適切なバランスについて「そうだよなぁ」と思うことばかりですので、ちょっと長いですが是非参考にしていただけたらと思います。
ではでは。
◆治療関係の留意点
☆セラピーの目標は、今はいない対象との愛着に新しい形を見つけることであるため、クライエントもセラピストの間に肯定的な絆や陽性転移が生じることが重要である…複数の家族成員に会うときの目標は、転移ではなく、セラピストとそれぞれの同席者同士の間に信頼を築くことであり、システムとしての関係性のプロセスに積極的なつながりを形成することです
☆セラピーの目標は、
☆セラピストが多様性を安定した気持ちで迎え、様々な文化に対応する能力を持っている時には、絆と信頼がより容易に築かれる
☆安定で支持的な環境と、
☆あいまいな喪失によってトラウマを受けた人々の援助には、
☆個人、夫婦、家族を対象としたグループワークが、
☆規模の大きなあいまいな喪失やトラウマが起こった場合、
☆セラピストが、自分のオフィスから出て、
☆
☆もしトラウマのために生活が脅かされていたり、
☆あいまいな喪失のセラピーでは、
☆倫理的な理由から、