【第28回】両価的感情を正常なものとみなす
メンバーの皆さま
こんにちは。管理人です。
気がつけば8月最後の週末ですね。皆さまいかがお過ごしでしょうか?
僕は昨夜、スシローweb注文とやらに初チャレンジしてみました。今の技術はすごいですね、スマホ画面が完全に「注文タッチパネル」になって、お持ち帰りの時間指定まで出来るんです。
お店に着いたら、週末恒例、子ども連れ家族の長蛇の列。店の外まで並んでいて、ホント回転寿司屋の人気はエゲツないですよね。待ち時間は1時間では済まないでしょう。
その列を颯爽とかき分けて、自宅注文から約20分でお寿司GET。並んでる子ども達には申し訳ないですが、非常に爽快な気分に浸れました。
おそらく、これが今年の夏、最後の思い出になりそうです。ちなみに回転寿司なら僕は断然スシロー派。どうでもいい情報ですね。
それでは、本題のコラムです。
●目次
はじめにー喪失とあいまいさ
第I部 あいまいな喪失の理論の構築
第1章 心の家族
第2章 トラウマとストレス
第3章 レジリエンスと健康
第II部 あいまいな喪失の治療・援助の目標
第4章 意味を見つける
第5章 支配感を調整する
第6章 アイデンティティーの再構築
第7章 両価的な感情を正常なものと見なす
第8章 新しい愛着の形を見つける
第9章 希望を見出す
●内容
第7章「 両価的な感情を正常なものと見なす」より、「両価的な感情」「セラピー」「役立つこと」の3つについて紹介。
◆「両価的な感情」とは
~両価性は、…葛藤する感情や情動を示しています。あいまいな喪失の場合、相反する感情が、同時に、あるいは、揺れ動きながら表出してきますが、どちらの場合においても、その感情は相矛盾しています。二つの極端な感情に引き裂かれて、人々は不安に駆られます。そして、その不安感にうまく対処できない時、トラウマとなるほどのストレスに苦しむことになります。
~私たちが注目するのは、個人のなかに起きる心理的な両価性を作り出してしまう、あいまいさの外部の状況です。もし「あいまいさ」が認識されない場合、葛藤する感情は個人において、(配偶者、友達、そして家族との)関係生において、人々のレジリエンスをむしばんでいくのです。結果として起きる罪悪感や優柔不断さは、悲嘆を凍結し、対処していくプロセスや人間関係の動きなどを止めてしまうのです。
~私たちの愛する誰かが、身体的に、あるいは心理的にいなくなってしまう時、それに続いて起こる両価的感情は、当人を圧倒し、時として怒りの爆発や、不適切な行動につながる可能性があります。
~レジリエンスがあるということは、このような相反する感情を認識することであり、そうすることにより、両価的感情を適切に扱うことができ、後になって後悔するような有害な行為を避けることができます。
~もし、両価的感情の負の側面が正しく認識されずに、扱われないままであれば、不安感は抗いがたく高くなり、問題を引き起こす状態になってしまいます。そのなかには、全般性不安障害、パニック障害、強迫障害、PTSD、そして恐怖症が含まれます。
~両価性それ自体は病的ではありませんが、それに対処できない時、レジリエンスは崩れ、病的な兆候を表わすことがあります。愛と憎しみを同時に感じることこと、悲嘆から怒りへと行ったり来たりする状態は、もし、その二つの両極性が引き起こす緊張感を認め、うまく対処できなければ、人々にトラウマをもたらしてしまうことがあります。
◆セラピーで行うこと
~両価的な感情を正常と見なすことができるかどうかは、本質的には、人々が自分の中にある葛藤を認められるよう、治療的援助を提供できるかどうかに関わってきます。
~問題となっている現象に「あいまいな喪失」と名前を付けてみること、そして原因と思われることを外在化してみることは、両価性を正常なものとして捉えるプロセスの始まりです。
~認知療法と精神力動療法(たとえば、関係精神分析)の両方によって、このプロセスを続けていくために必要な方法・手段が提供されます。信頼できる人と自主的に語り合うナラティヴ・アプローチは、意識れていないことや象徴的なものを意識化させていくのに特に効果があります。
~両価的な感情については、「このこととそのことの間で、気持ちが引き裂かれてしまうように感じますか」(Pillemer & Suitor,2002)と聞くことによって、直接アセスメントをすることができます。または、間接的に、質的な、あるいは精神力動的なインタビューを通して、アセスメントをすることもできます。
~しかし、どちらかというと私は、家族面接のなかでお互いに話されている物語を聞くことによって、両価的な感情の有無を見る方法を取りたいと思います(Boss et al.,2003)。
~様々なタイプのあいまいな喪失に関わる援助を数多く経験するなかで、トラウマ化しやすい両価的感情を適切に扱うには、個人セラピーや個人を中心としたアプローチを超えて治療方法を拡げる必要がある、という確信をますます強くしています。
~既に述べたように、感情焦点化セラピー、認知療法はどちらも役立ちます。それに加えて、心理教育的、認知的、精神力動的、そしてトラウマ・セラピーを組み合わせながら、家族と地域社会を基盤とした介入を加える必要があります。一人では、これらすべてをやりこなすことはできません。
~そのような訳で私は、ソーシャルワーカー、医師、心理士、精神科医との協働を勧めるだけでなく、聖職者や緊急事態に対処する職種の人たち(警察官や消防士)、地域の教育関係者などを含む、地域社会の重要な指導と共に、協働的な作業を構築していくことを勧めたいと思います。
~地域社会の準専門家たちも重要な存在であり、その人々が、行方不明者の家族支援の訓練を災害のない時に受けているのが望ましいでしょう。そうすれば、いざ災害が起きた時にすぐ支援に入ることができます。
◆両価的な感情を正常なものと見なすのに「役に立つこと」
罪悪感や否定的な感情を、普通に起こることだと捉える。危害を及ぼす好意に関しては、正常なものと見なさない/芸術やアートなどを使って、相反する感情に対する理解を深める/個人の行為主体性を取り戻す/
心の家族を、もう一度見直し再構築する/コミュニティを家族だと見なす/毎日の役割や日課の割り当てを見直す/置かれている状況や環境について、質問してみる/両価的な感情について聞いてみる/隠れた、意識されていない両価性を明らかにしてみる/いったん意識できたら、その両価的な感情に対処してみる/葛藤を肯定的に捉える/いろいろなやり方で、両価的な感情を扱うのをよしとする/終結は両価的な感情を軽減したりしないということを知る/緊張に耐える力を育てる/認知的対処の方法を用いる
●コメント
「相反する2つの感情を同時に持つ葛藤状態は正常なものである」という理解は、まずセラピーで相手に求める前に、支援者自身が自分の事として受け入れる必要があると思いました。
前々回コラムで、判断決断とは相反する2つの事象を天秤にかけて最適バランスを取ることではないか、という内容を書きましたが、葛藤を抱え続けられないので、自分のネガティヴな感情に目を伏せて、迷ったり考えることを停止して「スパッと答えを出すこと」が仕事であると思い込んでいる人って対人援助職に限らず少なくないと思います。
もちろん判断決断が必要な場面はありますし、最終的な「結論」は同じかもしれませんが、そこに至る検討プロセスが片手落ちであれば、当然その後の「対応力」つまりレジリエンスが全然違ってくることは言うまでもありません。
視点は変わりますが、アマチュア時代はただ楽しいだけでやれていたのが、プロや仕事になった瞬間、厳しさや様々な葛藤を抱えながらやっていかざるを得ないのはどの世界でも同じだと思います。でも、元々の正の側面を感じられなくなった人はきっと長続きしないと思いますし、両価的感情や葛藤を抱えながら進めることも専門性やプロフェッショナリズムの一つのような気がします。
しかしながら、
「両価的感情の負の側面が正しく認識されずに、扱われないままであれば、不安感は抗いがたく高くなり、問題を引き起こす状態になってしまいます」
の状態だろう支援者の方に出会う事って本当に珍しいことではありません。それは「こうあるべき」の正論をゴリ押しする人や白黒ハッキリしたい人、もしくは「いい子ちゃんでいること」「ダメな自分を認められない」人にこの傾向は強いと思います。
「両価性それ自体は病的ではありませんが、それに対処できない時、レジリエンスは崩れ、病的な兆候を表わすことがあります」
は、子どもやクライエントではなく、まず対人援助職のバーンアウト状況(落ちるだけでなく攻撃的になる状態にも含めて)を思い浮かべていただくと、他人事ではなくリアリティを持って想像できるのではないでしょうか。
そして、子どもに対するあいまいな喪失やLSWの扱いに関しては、大人側の「悲しいことを思い出させるのは可哀想」とか「ケロッとしているから、もう大丈夫」という一般的見解によって、子どもに両価的感情の負の側面が正しく認識させることへの抵抗が起こることは珍しくありません。
しかし、現実社会では「本音と建前」で言った言葉と思ってる感情は異なるなんて皆体験しているはずです。それなのに、なぜか対人援助になると「あの人はこう言ってますから」という言葉尻りや表面的な様子ばかり執われて、言動の裏に隠された心情に目を向けようとしない人が時々います。きっとそのような人は、自身の両価的で複雑な感情を正常に扱えない状態なんだと思います。
なので、支援や実践云々の前に「セルフケア」「自己覚知」が大切だと何度もコラムで取り上げているのは、今読んでいただいている方はご存知の通りです。
また、
「芸術やアートなどを使って、相反する感情に対する理解を深める」方法は"なるほど"と思いました。綺麗事では済まない人間のドロドロした部分を扱った芸術作品は多いですよね。
有る意味、芸術家は自身の複雑な感情や葛藤にトコトン向き合うスペシャリストで、その一般人とは外れた感覚感性をアートという形で解放し、理解や評価される機会を得ていると言えると思います。
しかし、芸術家と呼ばれる人たちは異才の中で光が当たったごく一部に過ぎませんし、芸術家や孤高の天才でも異才な感受性を持つがゆえの孤独感に苦しみ、悲惨な最期を迎えてしまう天才も少なくありません。
そして、我われ児童福祉分野で出会う子どもは常識の枠では収まらない感覚感性の持ち主が本当に多いと思います。対人援助職である僕らは、彼らの独特な奇抜な表現をアート作品を嗜むような枠に囚われない自由な感受性でもって、そこに含まれる複雑な感情をキャッチすることが求められるんだろうなぁ、と思います。
なので、絵画、音楽、映像その他ジャンルに囚われずに色んな芸術作品に触れて、自分の感性を磨く、感情への感受性を耕やすことって、とても臨床力を上げるんだと思いますが、なんでもかんでも仕事のため義務感だと苦しくなるので、「楽しいけど芸の肥やしにもなってる」「AでもありBでもある」といったリフレイミングによるお得感、自分の変化や成長を楽しめるマインドをいつまでも持っていたいですね。
おそらく「最終的には人間力だ」という話はこういう事を言わんとしていて、決して根性とか精神論ではなく、「理性と感性」「脳と身体」の両方を統合して駆使する生身の人間全体として感受性と対応の総合力みたいな話しなんだろうと思います。
そして、統合とは両極の中間バランスを取るという事ではなくて、中庸(どちらに偏りすぎるわけではなく、状況に応じて最適な位置を見いだす)という言葉で表されるような、どちらにも揺れ動きながら戻ってくる振り子になって両極を検討しながら最適ポイントを見つけるイメージを僕は持っています。
まぁ、ご察しの通り、こんなことをぐでぐで考えてblog発信してる僕も相当変な部類かと思いますので、皆さんの豊かな感受性でキャッチしていただけたら幸いです。
セラピーに関する部分も非常に興味深いですが、長くなったので、今回はこの辺で止めておきます。
ではでは。
【第27回】「チームを整える」長谷部誠
メンバーの皆さま
【第26回】アイデンティティーの再構築
メンバーの皆さま
おつかれさまです。管理人です。
それにしても今年はゲリラ豪雨が多いですね。まだ静岡県は晴れ間
「タイ米、備蓄米」と言うワードをニュースで久しぶり耳にしまし
当時、今思えばちょっとアスペっぽい小学校の同級生が、僕の顔が
ふとした所に過去を思い出すキッカケがあるもんです。まさか約四
それでは、コラム本題です。
●目次
はじめにー喪失とあいまいさ
第I部 あいまいな喪失の理論の構築
第1章 心の家族
第2章 トラウマとストレス
第3章 レジリエンスと健康
第II部 あいまいな喪失の治療・援助の目標
第4章 意味を見つける
第5章 支配感を調整する
第6章 アイデンティティーの再構築
第7章 両価的な感情を正常なものと見なす
第8章 新しい愛着の形を見つける
第9章 希望を見出す
●内容
今回は第6章「アイデンティティー再構築」より。言葉の定義、役
◆定義
~エリック・エリクソン(1968)は、個人のアイデンティティ
~この定義づけにより、アイデンティティーは自己についての理論
~ここでのアイデンティティーとは、家族やコミュニティでの対人
~あいまいさから生じるトラウマは、自分は何者なのか、自分に何
~このような混乱はクライエントに責任があるわけではなく、むし
◆アイデンティティーの再構築に役立つこと(3つ)
①家族の境界線を明確にする
~家族とは誰のことを示すのか明確にする。誰が家族の一員で誰が
ジェンダーや世代別による役割には柔軟に対応する/
以前のアイデンティティーを認識する/個人や家族が持つ多様な文
②主要な発達上のテーマを選ぶ
~ジェノグラム(家系図)を通して、レジリエンスに関する家族の
③共通の価値観と物の見方を育む
~苛酷で不明確な条件下でも、スピリチュアルなアイデンティティ
◆あいまいな喪失によるトラウマの後に行われるアイデンティティ
1)差別と烙印
~最も有害となるのは、人種や肌の色、性的志向、身体あるいは精
~頭の悪いやつ、人気者、尻軽女、麻薬中毒者、おたくなどと、学
~このような烙印を押された人たちは、自分に対する周囲の見方、
2)強制的な移住
~人々が住み慣れた土地を後にする移住を強いられ、自分のふるさ
~ハーディーとラゾロフィー(1995)は、奴隷制度という長期
3)孤立と断絶
~人との繋がりは、レジリエンスのあるアイデンティティーを形成
~理想を言えば、人とのつながりには歴史と未来があり、それゆえ
~他者との肯定的な相互交流によって、私たちは自分の在りように
4)一つだけの絶対的なアイデンティティーを手放さないこと
~アイデンティティーの再構築プロセスは、その人や集団の歴史に
~このことは、1つだけの絶対的なアイデンティティーという発想
~自分や家族の絶対的なアイデンティティーに強く固執しすぎると
5)変化に抵抗すること
~あいまいな喪失をなかったことにするような、ほとんど不可能な
~あいまいな喪失後にアイデンティティーを立て直すためには、そ
~多くの人が、スポーツや金融市場といった分野において、喪失(
●コメント
最終的な「援助方法」については、これまで扱った「ナラティヴ」
それにしても、この章は「なぜ社会的養護の児童にLSWが必要な
まず、アイデンティティーについて。有名なエリクソンの理論は「
アイデンティティーについて、
「家族やコミュニティでの対人関係において、自分は何者なのか、
という説明は、人間が圧倒的に社会的動物であって、他者という「
周囲に合わせすぎて「本当の自分がわからなくなる」なんて言葉を
逆に、一度その集団の中で〇〇キャラみたいな「烙印(スティグマ
また、
「アイデンティティーの再構築に役立つこと①②③」は、羅列した
その中から一つ挙げるとすると、「②主要な発達上のテーマを選ぶ
目的はLSWをするからではなく、正しい血縁関係を子どもに教え
さらに、楽しげになったり口が重たくなる語りの様子で、その子の
それらの情報は、その後の心理検査をどう進めるか、支援をどうコ
最後に、
「あいまいな喪失後にアイデンティティーを立て直すためには、そ
の部分は、LSWにとって重要な指摘と思います。それは「現状維
このことについては経営から学べることが多いなぁ、と常々思って
それを、変化を求めて失敗したらどうするんだ、責任は誰が取るん
そこには、日本のチャレンジして成功することよりも、失敗や間違
「多くの人が、スポーツや金融市場といった分野において、喪失(
とわざわざ愚痴っぽく書いているところを見ると、あいまいな喪失
言いたいことは、あえて「動かない」ことも「方針継続」すること
難しいのは、短期的な結果を求めつつ、長期的な成長への投資も見
さらに、優秀な経営者について、日本証券業協会会長の鈴木茂晴氏
~「この人の判断はすごい。絶対間違わない」と言われるわけ。だ
これは、当たり前だけど鋭い指摘ですよね。衝動性の高いADHD
ただのリスク回避ではなくで、リスクと共存しながら進んでいくこ
「Don't think. Feel!」(考えるな、感じろ)
ブルース・リーの有名なセリフがありますが、変化のリスクを取れ
思考停止して「何もしない」のは「恐怖でフリーズ」とも言えるわ
こう色々と考えると、
「あいまいな喪失後にアイデンティティーを立て直すためには、そ
のは、言われればその通りかもしれないけど、誰でもすぐに出来る
本書で繰り返されるように、支援者個人が専門家として、自分自身
全てのことに対応できる支援者はいませんし、誰でも初めてのこと
ではでは。
【第25回】支配感と無力感
メンバーの皆さま
●目次
はじめにー喪失とあいまいさ
第I部 あいまいな喪失の理論の構築
第1章 心の家族
第2章 トラウマとストレス
第3章 レジリエンスと健康
第II部 あいまいな喪失の治療・援助の目標
第4章 意味を見つける
第5章 支配感を調整する
第6章 アイデンティティーの再構築
第7章 両価的な感情を正常なものと見なす
第8章 新しい愛着の形を見つける
第9章 希望を見出す
エピローグーセラピスト自身について
●内容
今回は第5章「支配感を調節する」です。まずは言葉の定義から。
◆「支配」と「自己効力感、統制の所在」の違い
【支配】人生に対するコントロールの感覚。支配の表すコントロー
【自己効力感】何らかの課題を遂行するために人が行なっているコ
【統制の所在】(locus of control)
◆支配感とあいまいな喪失のレジリエンス
~この章における大切な点は、人々の持つ標準的な、
~支配感を過大評価、または過小評価してしまうこと、あるいは、
~この本で主眼を置いているのは、無力感という危険な状態は、
~セリグマンは、心身症的疾患が形成される要因の中でも、「
~
◆支配感を調節するためのセラピー
~トラウマを経験している人々にとって、自分が話したい相手、
~あいまいな喪失後の支配感を調節するには、
~物語を通して認知の再構成を行うことは、喪失後の問題解決、
~それだけでなく、ナラティヴの技法は、
~ディッカーソンはナラティヴ・アプローチを用いる時に、
~私たちは、人々が語る物語のなかに、
~物語や会話をしながら、
~語られる物語が、時機に適っていない支配への努力だったり、
~ここでの主な目標は、適切な支配感を提示することであり、
◆離別よりも、人との繋がりを増やす
~トラウマや喪失の後、愛する人と繋がっているという感覚は、
~危機介入や悲嘆専門とするカウンセラーは、
◆援助的関係
~臨床家にとって大切なのは、クライエントが持つ見方、
~すべてを知ることができない、
~むしろ、私たちの訓練は治すことや癒やすことにあります。
~私たち自身についての学びこそ、
●コメント
キーワードは「無力感」ですよね。「意志を放棄する」とか「
前回触れた第4章「意味を見つける」のアプローチ
【第24回】多職種連携に必要な能力
メンバーの皆さま
おはようございます。管理人です。
お盆休み、いかがお過ごしでしょうか?
僕は昨日、朝から休日出勤だったのですが、電車の混み具合が凄かったです。久しぶりに静岡〜浜松の1時間15分オール立ちっぱなしでした…帰省ラッシュ恐るべしです。
帰りは帰りで、電車中に袋井花火大会行きの楽しげな浴衣姿で溢れてますし…そんな僕はコラムに現実逃避を求め、サクサク執筆が進んでしまったというわけです。
で今回は、仕事関連で「多職種連携」について調べていたら偶然見つけた、こんな報告から。
『医療保健福祉分野の多職種連携コンピテンシー』(2016)http://www.hosp.tsukuba.ac.jp/mirai_iryo/pdf/Interprofessional_Competency_in_Japan_ver15.pdf
序文に「この資料は、日本における医療保健福祉分野の多職種連携教育および実践における、職種を超えた共通コンピテンシーについて包括的に記載している」とあり、児童福祉やLSWのチームアプローチや多職種連携を考える上でも非常に参考になります。
そして「この資料は無料で、その一部ないしは全体を査読、要約、複製、翻訳してよいが、商業目的で用いたり、販売したりしてはならない。使用時には適切に引用を行うこととし、改変した場合にはその旨がわかるように記載を行う…」とあるので、遠慮なく引用して紹介しようと思います。
◆日本における多職種連携の教育
まず「本邦での多職種連携教育は、未だ黎明期にある」とのこと。現状説明として「医療保健福祉の各専門職は、各自の専門性の確立と社会化に力点を置いた教育を受け、連携に関する教育内容や方法は軽視されてきた」「大学ではセクショナリズムが浸透し、他の学部と協働の学習機会を作ることは難しい状況が続いた」と単一の職業アイデンティティを高める(◯◯士の立場や地位を高める)教育や縦割り教育の弊害的状況が説明されています。
また「日本は高コンテクスト文化であり、 阿吽の呼吸が重視されるなど、チームと連携という概念の違いが顕在化していない」と本コラム的に言えば日本人の即興性に頼った日本の連携状況も指摘しています。
「そこで本プロジェクトでは、専門職の連携協働を円滑に進めるための能力のなかでも、特に協働的能力に焦点を当て多職種連携コンピテンシーを開発した」ということです。以下に説明を加えていきます。
◆コンピテンシーとは
コンピテンシー(Competency)とは「専門職業人がある状況で専門職業人として業務を行う能力」。「知識、態度、技能全てを含む包括的かつ永続的な能力」で、それは「もって生まれた能力ではなく、学習により修得し、第三者が測定可能」なもの。
また似た言葉コンピテンス(Competence)は「特定の文脈で、複数の領域あるいは行動(パフォーマンス)の側面を統合した能力」とのこと。
◆多職種連携能力のコア・コンピテンシー
Hugh Barr によると、多職種連携能力には 3 つの基盤となるコア・コンピテンシーがある 。(図は原文を参照)
①他の専門職と区別できる専門職能力(Complementary)。例:医師にとって診断や治療選択する専門能力。
②全ての専門職が必要とする共通能力 (Common) 。例:医療保健福祉に共通する価値観。患者や利用者へのコミュニケーション能力。
③他の専門職種と協働するために必要な協働的能力 (Collaborative) 。
Hugh Barrは「これらの3つの能力が備わることで、専門職間の連携協働が円滑に機能する」と。
そして今回の「多職種連携コンピテンシー」は、この中でも特に③に焦点を当てて、以下に説明する文化的背景を考慮して作成した、とのことです。
◆コンピテンシーの国際比較
・多職種連携コンピテンシーは「保健医療システムや文化的背景から国によって記載が異なる」とあります。つまり、文化的背景によりコンピテンシーで重要視される要素(言葉)の重み付けが違いがあると。
例えば、
〜カナダでは「協働的リーダーシップ」を一つの領域として用いており、患者/利用者中心の領域ではパートナーという言葉も使用され、英国ではパートナーシップという言葉が頻出する。一方、米国・オーストラリアではリーダーシップやパートナーシップという言葉はあまり使用されない。
〜「リフレクション (省察)」は英国とオーストラリアではみられるが、他国のコンピテンシーではみられない。
〜「患者・利用者中心」という言葉は国によって位置づけが異なっており、カナダやオーストラリアでは多職種連携の中核として位置づけられているが、それ以外の国ではコンピテンシーには含まれていない。「患者・利用者中心」をコンピテンシーに含まない国では、価値観や倫理という言葉で代用している可能性がある。
〜「コンフリクト解決」は、カナダおよびオーストラリアでは一つの領域として使用している。
そこで、日本では文化的背景を考慮してどのような言葉を使ったら良いか検討したというのが以下です。
◆日本におけるコンピテンシー
〜各国で共通して用いられている「職種理解」「コミュニケーション」は本邦のコンピテンシー領域でも中核を占める可能性がある。
〜プロフェッショナリズムの議論が進行中の日本で「専門職の価値観や倫理」という言葉を用いるか、「患者・利用者中心」という言葉を明示的に使用し、その中に連携の価値観や倫理を含めることにするかは議論が必要。
〜「チーム」という言葉は、大病院や在宅医療では、特定のメンバーからなる「チーム」より、専門職との流動的な連携が必要となる場面も多い。「チーム」と連携との相違が顕在化されていない日本では、そのまま「チーム」という言葉を用いてよいか、慎重な議論が必要。
〜「リーダーシップ」「パートナーシップ」「リフレクション (省察)」は、英語とその日本語訳とで意味やイメージが異なる可能性があるため、英語あるいはカタカナで表現するか、日本語表記を用いるか、 特にコンピテンシーの活用が期待される現場からの意見が求められる。
〜英国で用いられている「異文化理解能力」をコンピテンシーの一つとして用いることは、異文化理解という言葉が国際理解と同義で使用している場合もあるため、国際的な異文化理解だけを取り扱う能力のように誤解されてしまい、混乱を招く可能性がある。また、比較的単一⺠族と意識している日本の医療保健福祉職の中で職種の文化の違いで「異文化理解能力」を使用することの違和感も予想される。
そのような検討の上で出来たモデルがこちら。
協働的能力としての多職種連携コンピテンシーモデル(図は原文を参照)
● コア・ドメイン(中心・核となる領域)
患者・利用者・家族・コミュニティ中心: Patient-/Client-/Family-/Community-Centered
患者・サービス利用者・家族・コミュニティのために、協働する職種で患者や利用者、家族、地域にとっての重要な関心事/課題に焦点を当て、共通の目標を設定することができる。
職種間コミュニケーション:Interprofessional Communication
患者・サービス利用者・家族・コミュニティのために、職種背景が異なることに配慮し、互いに、互いについて、互いから職 種としての役割、知識、意見、価値観を伝え合うことができる。
職種としての役割を全うする:Role Contribution
互いの役割を理解し、互いの知識・技術を活かし合い、職種としての役割を全うする。
関係性に働きかける:Facilitation Relationship
複数の職種との関係性の構築・維持・成⻑を支援・調整することができる。また、時に生じる職種間の葛藤に、適切に対応することができる。
自職種を省みる:Reflection
自職種の思考、行為、感情、価値観を振り返り、複数の職種との連携協働の経験をより深く理解し、連携協働に活 かすことができる。
他職種を理解する:Understanding for Others
他の職種の思考、行為、感情、価値観を理解し、連携協働に活かすことができる。
【第23回】「意味を見つけること」と「少数派」
メンバーの皆さま
おはようございます。管理人です。
台風も過ぎて、昨日から陽射しが痛いですね。
熱中症や日焼け過ぎにお気をつけください。
いよいよ第II部のコラムです。
●目次
はじめにー喪失とあいまいさ
第I部 あいまいな喪失の理論の構築
第1章 心の家族
第2章 トラウマとストレス
第3章 レジリエンスと健康
第II部 あいまいな喪失の治療・援助の目標
第4章 意味を見つける
第5章 支配感を調整する
第6章 アイデンティティーの再構築
第7章 両価的な感情を正常なものと見なす
第8章 新しい愛着の形を見つける
第9章 希望を見出す
エピローグーセラピスト自身について
●内容
今回は第4章「意味を見つける」。この章は、人生を扱うLSWを
〜意味があるとは、出来事や状況を理解できるということです 〜自分が体験しているものを理解できている時に、人間の体験は意
〜あいまいな喪失では、問題はあいまいなものとしてラベルづけさ
〜個人の持つ意味を理解するためには、内と外の両方の文脈を理解
〜客観的真実がすべてであるというような独断的な姿勢を取るので
〜日常の知(everyday knowledge)はセラピストとクライエントにおいて同じく
〜クライエントが私と異なった見解を持っている場合には、私の信
意味を見つけるためのセラピーの3手法と指針
【手法】
①ナラティヴ・アプローチ
・心理教育的アプローチは、出来事の受け止め方を変えることを促
②弁証法的アプローチ
・あいまいな喪失に直面している家族と治療的に取り組む際には、
・「AでもありBでもある」の思考によって、脳死状態で人工呼吸
③家族と地域社会のシステム的アプローチ
・困難な時には、家族やその成員が日常の活動を続け、問題解決を
・地域社会の枠組みは、家族と個人の出来事の捉え方に影響を与え
【指針のごく一部】
▶︎苦しみを避けられないものとして捉える
〜この方法には注意が必要です。〜治療可能かもしれない疾病であ
【まとめ】
〜レジリエンスにとって最も重要な鍵は、二つの反対の考え方を同
〜臨床家として、私たちは個人的体験からだけでなく、自分の専門
●コメント
レジリエンスの指標や鍵として、
「二つの反対の考え方を同時に持つ能力」
「日常の知(everyday knowledge)」
が挙げられていますが、これってLSWに限らず対人援助に携わる
「セラピストの信念や価値観よりも、クライエントやスーパーヴァ
この言葉が全てを言い表している気がします。
偏り過ぎず中立的に、中庸な精神で、自分と相手の中で起こってい
静岡LSW勉強会の対話のコンセプトそのものです。
この章を読んで、今までのコラムでこねくり回して表現していたも
あと、
「改善される可能性のある状況においては、クライエントの苦しみ
は非常に重要な指摘です。
これには僕も痛い経験がありまして、かつて遠方にいる疎遠な親が
当時、手続き的に親の同意を取るような事案もなく空ぶる可能性が
すると、施設職員が県外研修で近くに行った際に、たまたま住所地
本文の繰り返しになりますが、やる事は何でもやって手を尽くした
そして、その状況が変容可能かどうかの判断が十分になされている
しかし、プロセスを共有するためには、まずプロセスを踏むことを
「AでもありBでもある」考え方で見れば、「空ぶる可能性が極め
税金とは「全体の利益」で、社会的養護の支援は「個人のマイノリ
正直、当時の僕は、多数派の立場や理屈をわかった上で、少数派の
ちなみにLSWがどのくらい少数派マイノリティかというと、H2
・日本の18歳以下の児童数は約2000万人(総務省)
・社会的養護の対象児童は約4万5千人(厚労省)
なので、社会的養護児童は日本のこどもの約0.2%、さらに日本
在宅児も考えて虐待通告が日本で年間10万件、さらに通告に至ら
残念ながら少数派マイノリティの体験や不遇は、大多数の人は経験
地域に児童養護施設がある学校の「1/2成人式」への配慮ですら
しかし、少数派に寄り添う支援者の「分かってもらえない体験」な
ですから、普通と呼ばれる多数派の人に理解してもらうためには、
「臨床家として、私たちは個人的体験からだけでなく、自分の専門
マイノリティに寄り添うということは、マイノリティと「共に」意
また、マイノリティは多様性の象徴であり、マイノリティがマイノ
公務という全体に奉仕する立場にありながら、マイノリティの支援
長くなりました。
ではでは。
【第22回】主観的な時間感覚の違い
メンバーの皆さま
この番組では色んな学者から「時間」の紹介があったのですが、
よく「歳を取ると時間が経つのが早くなる」なんて言いますけど、
具体的な数字にすると、
√2=1.414…、√3=1.732…、√4=2、…
√9=3、…、√16=4、…、√25=5、…
こんな感じです。
例えば、4歳を1とすると、
8歳→1.4倍、16歳→2倍、36歳→3倍、56歳→4倍、
時間の過ぎるスピードが速くなる、と。
児童福祉に置き換えると、月1で定期面接しても、
なんとなくを具体的数字にされると、リアリティが増します。
そして番組で、これを科学的に説明していたのが、脳神経科学者の
詳しくは、いいサイトがありましたので、
https://www.lifehacker.jp/
を参照いただきたいのですが、
要約すると、主観的な時間感覚は、脳が様々な情報を処理するプロ
なんとなく一流アスリートが体験する「ゾーン」、
逆に、苦しい時間は、
この事から思うのは、
そして、年齢が低ければ低いほど体感的に感じる時間が長い→
LSWで過去を振り返る場合でも、
しかし、当人の体感時間の長さはむしろ逆で、
箸休め的な番外編コラムでした。
ではでは。