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静岡LSW勉強会の管理人によるコラム集

【第78回】「育成の可視化」で見えた"日本的"組織の課題

メンバーの皆さま
 
こんにちは。管理人です。
 
いよいよ今年6月に行われるサッカーW杯ロシア大会まであと3ヶ月を切りました。
 
親善試合のマリ戦、ウクライナ戦は散々でしたね。あの内容なら不安を煽るニュースが多いのは当然ですが、一部ではハリルホジッチが本戦に向けて手の内を隠しているのでは、という説も出ています。
 
「敵を欺くには、まず味方から」と言いますが、監督の意図は選手にも隠されている?ようで。「戦術の浸透が…」「連携構築が…」と言う声もありますが、歴史をたどればメンバー固定して連携を高めてスカウティングで丸裸にされて玉砕したのがザックJAPANの2014年ブラジルW杯。
 
そのブラジルW杯でアルジェリアを率いて、毎試合メンバーや戦術を変える「カメレオン戦法」でベスト16で優勝国ドイツをギリギリまで追い詰めたのが現日本代表監督ハリルホジッチ
 
確かに、海外クラブに所属する日本人選手は増えましたが、世界トップリーグ目線で見れば中位〜2部チームの「並」の選手の集まり。客観的には決して個人のクオリティーで他国を圧倒できるメンバーが揃っているわけではありません。
 
実力的には出場国ほとんどが日本より格上ですから、まともにやり合っても勝算は低いわけで。もしかしたら水面下で「弱者の兵法」としての戦略が着々と進んでいるのかもしれません。
 
果たして。いったい3ヶ月後にどのような結果と報道になっているのか。
 
まぁ監督目線で考えれば、代表チームはどうしたって練習時間や活動時間が限られますから、クラブのような「戦術や連携を深める」アプローチより、限られた手持ちの「駒」を活かしてどう最大限の成果に繋げるか、といった将棋的・軍師的なアプローチになるのは当然かと思います。
 
実際に、ロシアW杯出場を逃した強豪国イタリアのある代表選手は解任された前べンドゥーラ代表監督について、こんな発言を残しています。
「ベントゥーラが持っていたのは(高度に)戦術的なビジョンだった。クラブチームであればうまくいったとしても、時間が限られた代表チームでは戦術的な概念を(しっかり)落とし込むのが難しい。時折、ボールを持った局面で、(ピッチ上の)全員が混乱した。たしかに組織は重要だが、代表チームでは戦術がすべてではない」(2018年3月19日『ガゼッタ・デッロ・スポルト』電子版より。カッコ内は筆者が補足)【引用】http://number.bunshun.jp/articles/-/830304
 
同じサッカーと言えども、クラブにはクラブの、代表チームには代表チームの持ち時間に合わせたアプローチが必要なようです。そして、代表選手「個」の育成は、その国の育成アカデミーの仕事であって、代表監督の仕事は「その素材をどう活かすか」だと思うんですよね。
 
アイルランドみたいに人口33万人の国なら、市内選抜レベルなので同じメンバーでずっとやってますから連携も抜群なんでしょうけど。
 
今回コラムは、そんな個を育てる「育成システム」に焦点を当てた記事から。
 

村井チェアマンが語る育成の可視化

『フットパス』で見えたJの現在地

https://www.footballista.jp/interview/43046

 
2015年からJリーグで導入されている『フットパス』とは、ベルギーのベンチャー企業が独自に開発した「クラブの育成組織を評価するシステム」このこと。簡単に言うと第三者評価です。
 
いま児童福祉の施設に盛んに入ってきているアレですが、サッカー界の第三者評価『フットパス』システムと日本に対する評価が面白いんです。
 
まず記事で紹介されているのが前回2014年W杯ブラジル大会の優勝国ドイツ。今でこそ現代的なサッカーを展開していますが、過去には「ゲルマン魂」という名の根性や屈強なフィジカルを、武器に戦っていた時代がありました。
 
しかし、2000年EURO(ヨーロッパ選手権で1勝もできずグループステージで敗退。どん底まで落ちた時に始めた育成改革の一つとしてドイツ・ブンデスリーガで広く採用された仕組みが『フットパス』。
 
その仕組みの中で育成された「フットパス申し子」たちが、見事2014年W杯優勝の原動力となったと言う話しです。
 
以下は村井チェアマンのインタビューの一部。
〜「フィジカルで戦うチームというイメージだったドイツが、あの細かいパス回しをやるわけです。私はDFB(ドイツサッカー連盟)がしばらく開示していたユースのサイトを見ていましたが、それが面白いんですよ。U-17ドイツ代表の合宿中、宿舎で普通なら『明日の試合はこうだ』というミーティングをやると思いきや、ですよ。こっちの部屋は数学の授業で先生が関数を教えている。またこっちの部屋では地理の授業をやっている。落ちこぼれの子に向けた補習かと思ったら、そうじゃないんです。自分で観察し、“考える力”が最後には大事になるから、選手たちみんなにそれらを行っている、と。片や我われが何をしていたかというと、シュート練習やフィジカルトレーニング、つまりテクニカルな部分が主軸でした。もちろんそれらも大切なことですが、ワールドカップ優勝国の育成はそれだけではなかった、ということです」
――ドイツでは育成年代から「考える力」がより重要と捉えているんですね。
「考える力、自分で判断する力、ゲームのオーナーシップを持つ力は、前提として絶対必要なものなんです。『フットパス』の指標でもそこは大きく求められるし、ドイツは以前からそれをやっている。『フットパス』の評価で欧州が『100』とすれば我われはまだ『40』くらいという自分たちの現在地をつかんだので、ようやくそこに着手し始めたところです。育成の課題にいち早く気づいた勘のいいJクラブは、どんどんエンジンがかかっていますよ」
 
足元の技術だけでなく『自分で考える力、自分で判断する力、ゲームへの影響を与える力』の育成も必要である、と。
 
現代サッカーにおける判断スピードの重要性は、以前に【第64回】コラムhttp://lswshizuoka.hatenadiary.jp/entry/2018/02/09/104303
で「脳内インテンシティ」というトピックで扱いましたが、
 
日本のシステムが個人の「考える力」や「判断する力」の育成することについては、欧州の半分以下の評価であると。
 
これは果たして、Jリーグクラブに限られた話しでしょうか。
 
 
話を続けます。
 
 
で、フットパスはどのような観点でクラブの育成システムを評価するかと言うと、
・各クラブから提出された資料
・訪問してのヒアリング
・練習や試合の分析
を通じてクラブの「フィロソフィー」「カリキュラム」「メソッド」「ミーティング」「選手評価」「情報共有」「戦略」「構造」「HRM(人事管理)」「運営管理」「チーム強化」「個の育成」「タレント発掘(リクルート)」「スタッフ」「施設」「生産性」など幅広い項目からトータル5000点満点で査定すると。
 
クラブへの質問項目は300件くらいあって「とにかく細かい」ことが特徴で、指導者のことから経営者のことまでホント根掘り葉掘り聞かれるということです。で、そのフィードバックは感情抜きで、課題をズバッと指摘してくるんだそう。
 
評価基準の明確化と客観化ですよね。
 
特に日本は"外圧"への抵抗が強いと言われていて、児童福祉施設でも第三者評価の話題が上がった時は相当の反発があったと聞きます。
 
どうやら評価と聞くと「出来ないことを責められる」「粗探しをされる」そんな心理が働くようです。僕はこれは日本の文化・教育で積み重ねられた価値観の影響が多分にあるのではないか、と思ってしまいます。
 
声をかけられるとには注意される時、怒られる時。「自分を見つめる=反省」、自己理解は自己成長のためではなく、弱点を修正するため周囲に合わせて迷惑をかけないための叱責。
 
そんな思考パターンが染み付いたような、日本社会は子どもの頃からそんな体験を繰り返して育った大人たちの集まりなのかもしれません。
 
だって第三者評価なんて、組織のトップが「われわれの組織の成長のために、自分たちで気づけない点を教えてもらおう」とポジティブ変換して説明すれば済む話ですよね。
 
三者評価は「受験本番」ではなく謂わば「模試」ですから、評価をもらうことがゴール目的ではなくて、監視されることが目的ではなくて、その結果をどう解釈して自己成長にどう活かすか、より良いパフォーマンスにどう繋げるかが大事なハズだし、それが本来の目的なわけですから。
 
 
で、「日本の評価は?」というのが次の記事。
 
Jクラブのアカデミーを世界基準で査定すると? 育成評価システム「フットパス」が指摘した"日本的"組織の問題
 
フットパスが指摘した日本的組織の問題とは、
「属人的な指導」と「指導者の育成計画」。
 
つまり、指導者個人に委ねられる裁量の幅が大きく
ー「クラブとしてどういうチームを目指すのか」
ー「どういう選手を育てたいのか」
の共有が曖昧であると。
 
チームの哲学(フィロソフィー)や方向性(ビジョン)の話しですよね。
 
選手評価やコーチングの手法が現場に委ねすぎている点が問題視されていて、監督が代わればサッカーも変わる、個人に対する評価やアプローチも変わるといったことを「当たり前」にすべきではないと。
 
まさに、サッカー日本代表が陥っているのがこんな感じですよね。W杯終わって監督が変われば、目指すサッカーもガラッと変わる。監督の人選が強化ビジョンや育成フィロソフィーと連動したものとは思えないし、そもそもの考え方の軸もあるようには外からは見えない。
 
しかし、これもサッカーに限った話しでしょうか。
 
よくあるのは私立強豪校は、1人の指導者が20年も30年も同じチームをみることで、組織としての一貫性をカバーしているのですが、それこそ「属人的な指導」の象徴です。
 
個人に頼った組織運営です。
 
しかし、組織の哲学を共有した複数の目が入ることで「あいつはこっちのポジションのほうが生きるんじゃないか?」なんて議論が、異なる視点や感性を持った指導者同士で自然と成立するようになると。
 
あれ?
 
これは「多職種・多機関連携」におけるオープンな対話そのものですよね。
 
このようにフットパスで指摘されている状況は決してサッカーに限った話しではなくて、日本的組織の課題を象徴しているような気がするんです。理念や哲学を抜きにした「なんとなく空気を読んだ場当たり的な」組織運営が当たり前に行われている。
 
逆に言えば、日本人は「気が効き過ぎる」ので、なんとなくマネジメントでなんとかなっちゃう。でも、そういう組織は「気が効く個人」が抜けた瞬間に一気にバランスを失って崩壊します。
 
こんな危うい組織で、安心して個のポテンシャルを発揮したり能力開発に力を注ぐことができるわけがありませんよね。個の役割ミッションに向けるべきエネルギーが、組織維持や安定のために持っていかれるわけなので。
 
フットパスが指摘する、
ー「組織としてどういうチームを目指すのか」
ー「どういう人材を育てたいのか」
ー その共有が曖昧。
 
言葉を少し変えれば、日本の多くの組織や多機関連携、子育て方針等々に広く当てはまることのような気がします。
 
 
さらに、もう一つフットパスがJクラブの指導に関して疑問視したのは「IDP(インディビジュアル・ディベロップメント・プラン)がない」ということ。
 
つまり「個別の育成計画」です。
 
〜Aという選手がいたときに彼個人のどこをどう強化し、心理的にどう導いて、最終的にどういう選手にしていくのか(場合によっては、そしてどう売るのか)という計画がそもそもない。…そして、チーム全体の練習が重視されるなか、個別的なトレーニングがなされていない。
 
〜全クラブの平均で最低評価が「個の育成」であったのはこのためと言っていい。
 
いかにも日本的な組織の「なんとなく周りに合わせて見て学べないやつが悪い的な」「空気を読んで右へならえ的な」の問題点のど真ん中をズバリ指摘していますよね。
 
そして「IDPがない」と指摘されたのは選手の育成だけでなく、実は"指導者の"育成計画についても。
 
〜その指導者はどういう部分に強みがあって何を苦手としていて、これからどう育てていくべきなのか。そうした個別的なファイルや計画がない点についてもフットパスでは疑問が示された。
 
逆に言えば、海外サッカークラブには指導者の特性に合わせた指導者の育成計画や個別ファイルが存在して当たり前、ということですよね。
 
この情報は斬新でした。
 
もうすぐ新年度が始まりますが、この4月から採用や異動してくる職員は、子どもの社会的養育を担う大人たちです。職員はどういう部分に強みがあって何を苦手としていて、これからどう育てていくべきなのか。
 
さすがに、これに異論はないと思いますし、チューターや先輩指導員と呼ばれる人は、全体的な育成計画はあっても、その人の特徴を掴みながら、個性に合わせて個別フォローをしているハズです。
 
がしかし、これが明文化されていたり形に残っていなければ、そんなスペシャルな個別的な育成支援は「個人のサービス」として扱われて適切な評価もされないし、組織でそのノウハウは伝承されていかない。そんなことをフットパスは指摘してくれていると思います。
 
また新人の個別育成計画はあったとしても、新人を育成する中堅ベテランをどう育てていくのかの個別の育成計画やファイルまでは聞いたことがありません。
 
これこそ組織のフィロソフィーやビジョン
ー「組織としてどういうチームを目指すのか」
ー「どういう人材を育てたいのか」
の共有が不可欠ですよね。その大枠が示された中で、個性を発揮して、職種別の多様な視点を活かして対話して、一つの組織として成長発展を目指していく。確かにその通りですし、多職種連携や地域連携の形そのものだと思います。
 
でも村井チェアマンが、
「育成の課題にいち早く気づいた勘のいいJクラブは、どんどんエンジンがかかっていますよ」
 
と言うように、日本の児童福祉分野でもこのような育成の課題にいち早く気づき、エンジンかけている人たちはもちろんいます。
 
例えば、施設の小規模化ユニット化の議論はここ数年間続いていますが、国乳児福祉協議会HP

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乳児院における小規模化あり方検討委員会」の報告書(H26.9)より
 
このように理念に基づいた組織運営の必要性が掲げられていますし、「改訂 乳児院の研修体系― 小規模化にも対応するための 人材育成の指針 ―」(H27.3)には、人材育成の必要性についてかなり熱く書かれていて、かつスッキリまとめられています。

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「初任職員にむけた研修小冊子 ~乳児院の養育を担うスタートをきるために~」より
 
 
成長に必要な項目も分かりやすしい、全ての項目について同時並行で学んでいくというもの現実に即していますよね。これを作成するだけでもすごいエネルギーですし、かなりわかりやすく整理されていると思います。是非、原本をHPにて確認してみてください。
 
しかし、『フットパス』はこのような組織理念や人材育成の体系の有無は言うまでもなく、これがどう浸透し、どう実行されているのか細かく査定し、さらにJリーグは「個別の育成計画」「指導者の育成計画」がないと指摘しているわけですから、たしかに手厳しい。
 
いったい児童福祉分野の組織が、フットパスで査定されたら5000満点で何点の評価が下されるのか、という感じですよね。
 
しかし、よく考えたら欧州の伝統的なサッカークラブは創設100年を超えていますが、Jリーグは発足1993年発足でその歴史はわずか25年。
 
そして、児童福祉の歴史をたどると、日本が「子どもの権利条約に批准したのが1994年と、偶然にもJリーグ発足とほぼ重なるんですよね。
 
なので、もしかしたら日本のJリーグ児童虐待も似たような段階で、てんやわんや試行錯誤でとりあえず一周やってみましたくらいの時期と言えるのかもしれません。
 
"キングカズ"というレジェンドはバリバリの現役ですが、多くのJリーグ初代の選手は引退して監督や指導者となっています。そこでようやく二代目三代目と組織を発展させることが必要と勘付くいた人達が、本腰を入れて組織の理念や継続的な人材育成計画が取り組み始めた、「計画作って→普及して実践して→チェックして→改定して」PDCAサイクルで言えばようやく「P」が出来つつある、そんな段階ではないでしょうか。
 
組織的な発展や成熟は、まだまだこれからと言うことですかね。まぁ人材確保の観点でいうと、Jリーグと児童福祉は雲泥の差がある気がしますが、街クラブが各地に散らばっている点も似ているし、結局は各クラブの運営努力なしには組織の発展はないと思います。
 
ー『自分で考える力、自分で判断する力、ゲームへの影響を与える力』を育成する点において、日本のシステムは、欧州の半分以下の評価である。
 
いま児童福祉ではしきりに「専門性の向上」と叫ばれていますが、何が専門性なのか、その専門性を使って何を目指すのかの共有がイマイチだと個人的には思います。
 
確かにサッカーでいう足元の技術も大事ですが、それ以上に「自分で考える力、状況把握、状況判断の力」が大切で、相手のペースと支援や関わりのタイミングが合って、はじめて持っている技術が活きてくると僕は思います。
 
そして、それら「個」を伸ばす「組織」の発展・成長も同時に考えていかなければいけない。
 
そう思うと現場に求められている力も、人材育成の課題も、Jリーグ・児童福祉ともに共通している点は多いよなぁ、と感じます。
 
各コラムで海外のやり方をそのまま輸入して「考えなし」に日本に当てはめることへの警鐘は鳴らしていますが、このフットパスは「多職種連携コンピテンシー」(参考【第24回】コラム)の組織版のような印象で、個人ではなく組織の「自己理解」や「自己内省」を深めるシステムとして、他分野でも応用できる面白い取り組みだなぁと思いました。
 
ではでは。