LSWのちょっとかゆいところに手が届く「まごのてblog」

静岡LSW勉強会の管理人によるコラム集

【第5回】喪失に関する神話

メンバーの皆さん

おつかれさまです。管理人です。

実は明日に新居への引っ越しを控えていまして、電気屋さんにエアコンを3台取り付けしてもらっています。結構、時間かかりますね。

ということで、その隙間時間を使ってコラムです。

今回で
「子どもの悲しみによりそう 喪失体験の適切なサポート法」
の本文にようやく触れます。紹介内容はパート1。

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●目次
パート1  喪失に関する神話を見つめる
   第1章  問題はなにか?それはだれの問題か?
   第2章  神話I    泣いてはいけない
   第3章  神話II   悲しみを置き換える
   第4章  神話III  一人で悲しみに浸れ
   第5章  神話Ⅳ 強くあれ
   第6章  神話Ⅴ  忙しくせよ
   第7章  神話Ⅵ 時間がすべてを癒す

●コメント
『こどもは大人のまねをする』
パート1冒頭の文章です。支援者がすべき事をシンプルかつ本質的に気づかせてくれる言葉ですよね。

そして、本書では悲しみをこう定義しています。
『悲しみとは、身につき、なじんだ行動パターンが変化し、または終わることによって生ずる感情的な葛藤』
さらに、
『悲しみは、喪失に対する正常で自然な反応である』
『悲しみそのものは、病理的な状態でもパーソナリティ障害でもない』

正直、「悲しみ=感情の葛藤」の捉え方は目から鱗でした。例えば「引越し」って生活環境が変わってどうなるかなという「期待」だけじゃなくて「不安」も入り混じってますよね。葛藤いう表現なら、喪失に対するあの何とも言いようのない複雑な感情にしっくりきます。
   
そして、僕たちは子どもの頃から
「幸せな感情は良いもの。表現すれば褒められる」
「悲しみの感情は悪いもの。表現すれば叱られる」
という誤った常識の中で育ち、知らず知らずのうちに神話を信じて他の人に対しても使ってきたんだ!という気付きも目から鱗でした。

「良識を持って、常識を疑う」

誰の言葉か忘れちゃいましたが、そういうことですよね。

皆さんも神話I~Ⅶのセリフを過去に使ったことありませんか?僕なんてこれまで「すぐに彼女(彼氏)できるよ」と何回失恋した友人に言ったり、何回自分も言われてきたかわかりません(笑)

そして、そんな言葉やアドバイスよりも、ただ黙って話を聞いてくれる友人や、お酒やカラオケにひたすら付き合ってくれる友人の存在にどれだけ助けられたことか。

「ペットが死んだなら、週末に新しいペット買ってやるよ」って問題じゃないわけです。関係性は唯一無二ですから、代わりになるものなんてないわけです。

それを別の物や人で代替したり、忙しくしたり強がって忘れたフリしても、心にポッカリ空いた穴が埋まったり、モヤモヤが晴れることはないのです。

でも、人のもの盗ったり、新しいパートナーを次々見つけて心の穴を埋めようとする人は、幼い頃からそうやって悲しみに対処するように聞かされ見続けてきたのではないですか?

そうする大人たちの言葉や姿を。 

では、

『第1章  問題はなにか?それはだれの問題か?』

そう、大人自身の問題です。

しかし、悲しみという正常な葛藤の苦しみを無視して、
「アイツは異常だ」「発達障害だから仕方がない」
と片付けていることって結構ある気がします。

子どもにとっての一時保護や施設入所、措置変更って、大人の世界に例えたら、いきなり
「県外に転勤して、家も職場も言葉も文化も違うけど、明日から一人で頑張って」
と言われる位のインパクトだと思うんですよ。

行った先でケロッと元気でいる子の方が、シクシク泣いてる子より手間がかからないし適応的に見えるのですが、はたしてどちらの方が健康的で子どもらしい子どもなんでしょうか?

『こどもは大人のまねをする』

大人として、一人の人間として、自分の「幸せな気持ち」「楽しい気持ち」「悲しい気持ち」「悔しい気持ち」にそれぞれ正直で嘘をつかない心で、子どもたちに関わっていきたいものですね。
 
じゃあ、喪失の悲しみ=「感情の葛藤」をどう解消していくのかは、また次回パートⅡ以降で。

ではでは。


【第4回】勝てるチームとそうでないチームの差

こんにちは。管理人です。


今日のコラムは図書紹介ではなく、インターネット記事からの番外編です。

言わずと知れたJリーグの名門クラブであり、昨年のクラブワールドカップ決勝では、あのレアルマドリードとあわやの勝負を演じて世界を驚かせた興奮は今も記憶に新しいです。

インターネット記事は元鹿島アントラーズDFで元日本代表の岩政大樹氏が、鹿島アントラーズを例に、

"勝てるチームとそうでないチームの差"

について語っているものです。LSWがチームアプローチと考えると結構考えさせられる内容です。

(一部抜粋)
岩政氏は鹿島の戦いぶりを「勝つことからブレない。具体的にはダメなら変えるということ」振り返り、さらにこう力説する。

「強いチームには、相手や試合の状況によって、勝つための選択肢がいくつかあります。負けるチームというのは、一度傾いてしまうと、そこから戻ってこようとはしません。選択肢が始めからないわけではありません。ただ、なんとなくあやふやになって、極端に振り切って可能性を狭めてしまうのです。『当たって砕けろ』ではなく、当たってダメだと思ったら、当たり方を変えてみたり、タイミングを変えてみたり…目の前の相手に勝つ方法を考えねばなりません。要するに勝負事は一択になってしまったら勝てません。考えることをやめてしまったら、勝負に勝つことはできません。勝てるチームとそうでないチームの差は、選択肢があるか、ないかです」〜

何も考えていないのは「二流」のDF
読みでプレーするのは「並」のDF
判断して対応するのは「一流」のDF

●コメント
   対人援助は「勝ち負け」ではありませんが、児童福祉の現場においても「負けるチーム」の状況って結構ありませんか?
   一度方針を決めると、相手や自分、その周りの状況に関わらず、極端に振り切って「それしかない」「当たって砕けろ」で思考停止して1つのアプローチをゴリゴリ押していく「二流」の状況が。
   サッカーも対人援助も、常に相手チームと自分チームの相互作用から成り立っていて、さらにメンバー構成や各自のコンディション、環境や流れの変化等の要因の組み合わせは無限大、その時その時の状況は唯一無二で一回限りのものだと思います。
    そう考えると、プレーを読みながら状況に応じて準備していた選択肢を選んでいく「並」の対応から、さらにLiveで起こっている様々なことを感じ取り、自分の判断で選択肢をさらに微調整しながら試行錯誤する「一流」の対応というのは、対人支援にも通じるなと思うのです。

   さらに「考えることをやめてしまったら、勝負に勝つことはできません」の言葉に、僕は「感じることもやめてしまったら」を加えたいと思います。
    日本の部活やスポーツの指導者の中には「言われたことをつべこべ言わずにとりあえずやれ」的な発想が未だに残ってる人もいるし、そうではないだろうU-20サッカーワールドカップの日本代表監督でさえ「状況判断において世界と差を感じた」と認めています。今の日本社会はスポーツに限らず、判断力や感受性、思考や感性は「センスだから」と個人の資質に丸投げで、トレーニングしたりさらに磨いたりする発想やその価値が一般的に低いかなと、僕は思います。

    ただ、余裕がなくなって視野が狭まることは人間なら誰にでも起こることと思います。なので、その状況でも一定ラインの判断力や感受性を保ち続けるトレーニングは必要と思うのです。例えば、

①余裕がない自分に気づける意識を作る
(自分の状態をみつめる「内的視点」と自分を客観的にみつける「外的視点」)
②自分の思考と逆に振れた他人の意見にも素直に耳を傾ける(自分は万能ではないという自覚)、
③普段から多角的な意見を言いやすい空気を作る
(立場キャリアに関係なくアイデアの価値は平等であり尊重される雰囲気)

これらのことを感受性、柔軟性、ユーモアを持って普段から取り組み、ブレない事(児童福祉なら子どもの利益・権利・成長といったところでしょうか)を共有しながら正直で誠実な対話を活発にできるチームは、それぞれのメンバーが思考停止せずに感じて考えて、困難な状況に陥っても乗り越えられる「強いチーム」なのかなと。

すると「変えるもの」と「変えないもの」について、きちんとチーム内で考えたり議論しておくことは、チームの土台(信念)作りであり、それもトレーニングの一部なのかもしれません。

土台(信念)やトレーニングがあるからこそ、危険なな時間帯は耐え忍び、チャンスと見るやリスクを負ってでもチャレンジする判断の意思統一、以心伝心がチーム全体ではかられるのかなと、コラムを書きながら連想しました。

僕も過去に「負けるチーム」のまま知らず知らずにうちに勝負に挑むような状況になり、結果として子どもに負担を背負わせてしまった苦い思い出があります。

過酷な生い立ちを扱う際どいLSWを実施する場合、実施前に支援者同士が「強いチーム」になれているかどうかで、かなり勝負は決まっている、かもしれませんね。

以上、番外編コラムでした。

ではでは。



【第3回】グリーフの自己覚知、自覚のスキル

管理人

おはようございます。

気がつけば3日連続の投稿…このまま続くと迷惑メールのようになってしまいそうですが、安心してください。絶対このペースは続きません(笑)

ただ、僕自身のこの覚醒してる感じって何かなと考えるとと、昨日紹介した大河原先生の研修にかなり触発・インスパイアされたんだなと思います。

今まで考えてたことと、講義で聞いた内容が、脳の中で、ニューロンシナプスみたいにバババーっと繋がったみたいな。

やっぱり直接話を聞くことで受ける刺激って大きいんだなと、改めて感じています。

じきに頭は冷えると思いますので、今だけのスタートダッシュと思ってお付き合いください。

ということで、今回のコラムは前回に引き続き、
「子どもの悲しみによりそう 喪失体験の適切なサポート法」の続きです。

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●目次
パート1  喪失に関する神話を見つめる
パート2  未完の感情を知る
パート3  未完から完結への道
パート4  発見から完結へ
パート5  その他の喪失
パート6  子どもと死を考える

●コメント
   読み進めれば進むほど、この本の内容の深さ、核心をつく鋭さはちょっと鳥肌ものでした。
   今回は、本の全体像を掴んでいただくために「訳者あとがき」(一部抜粋)を紹介したいと思います。

「本文にもありますが~、否定的な出来事が生じた場合~、それらを知った周囲の人たちは、本人の悲しみなどの感情をそのまま受け入れようとしないのです。泣くのは男らしくない、誰でも経験すること、もっと辛い思いをしている人はいくらでもいる、かわりになるものを手に入れなさい、時間がたてば自然に忘れる、などと言って感情を「善意で」封じ込めようとするのです。あるいは、ほかの人の例を持ち出して、そういう人と比べたら、あなたが悲しむのはおかしい、とまで言うことがあります。
~こうしたことは、じつは私たちが子ども時代から経験していることで、すでに1つの文化、習慣となっています。その結果、私たちの心の深い部分に、子ども時代からつい最近まで辛い体験に基づく否定的な感情が抑圧されたままに蓄積されています。
~表現することを抑圧してしまった感情は、いつのまにか、ちょうどエレベーターに大勢の人たちが乗るような状態になり、次に新たな喪失体験が積み重なるとブザーが警告音を鳴らします。抑圧した否定的な感情は、決して時間の経過で消滅することはありません。
~こうした、いわゆる未完の悲しみを癒す方法として、本文にあるように食べ物で気分を変えようとしたり、アルコールや薬物の摂取で心の痛みを麻痺させることは、いつしか摂食障害や薬物依存症となり、また新たな苦しみを私たちに与えます。なかには、うつ病で苦しむ人や、耐えきれないの心の痛みによる自殺も数多く起きているのです。エレベーターは、過積載になれば警告ブザーを鳴らしてくれますが、人間の場合には、ブザーはうつであり、依存症、摂食障害なのでしょう。
~東北地方を中心とした大きな震災により~すらできない方々の喪失感の大きさと悲しみには、ただただ圧倒されるばかりです~特に子どもたちの周囲にいる親や親戚の方々、援助者や治療者は、自分たちが自分自身の悲しみを癒すプロセスを踏んだうえで子どもたちに関わってほしいと思います。著者が言っているように、スキューバダイビングを習う時に、一度もスキューバダイビングをしたことのない人に習うのは危険です。これもまた著者が言っているように、セルフケアと言ってもかまいませんが、大人自身がセルフケアをしたうえで子どもたちに関わってほしいものです~」

この本では、支援者自身の喪失体験や子ども時代からの感情抑圧の歴史を自覚し、誤った常識や自分の経験を見直し、自らの価値観や信念を変えて子どもに接することの大切さ、また自分の感情に正直でない大人の前では、子どもも安心して自分の感情に正直にはなれない、ことが繰り返し書かれています。

第1回コラムで紹介した「自覚のスキル」と言わんとしていることはきっと同じですよね。

「ポジティブな体験・感情」も「ネガティヴな体験・感情」も抑圧してなかったことにせず、痛みを伴わない形で想起できて認められる(感情が未完から完結)ようになって、自我が統合されるというか、ポジティブもネガティヴな自分もOKで自分の気持ちに正直な状態に、まず自分がなってその晴れ晴れした景色や自由な感覚を知ること、そして、その景色や感覚を子どもにモデルとなって示し伝えることが支援の本質なんだろう、と思いました。

よくLSW支援者に必要な「覚悟」という言葉を耳にしますが、たぶん「気合い」とか「苦しくても耐える我慢」みたいな誤解的なイメージを浮かべる人って多いんじゃないかと思うんです。日本社会の一般常識的レベルの「覚悟」の理解はそうですから。
でも、言葉を足してその本質を紐解いていくと、きっとこんな感じの説明になるんだろうなと、ここ数日で整理できました。

●最後に
   次回③以降は、ようやく本文内容に触れていきます。もったいぶってるようで申し訳ないですが、こんな感じで僕がその時に感じたままを書くスタイルでいかせて下さい。

ではでは。





【第2回】子どもの感情コントロールと解離

管理人


メンバーの皆さま

おはようございます。

昨日、静岡県主催の「児童相談所児童心理司等研修会」に参加したところ、同研修に参加していた複数のメンバーさんから「コラム見ました」「コラム楽しみにしてます」「時間大丈夫?」などなど声をかけていただきました。ありがとうございます。

ちなみに研修テーマは「子どもの感情コントロールと心理臨床」講師:東京学芸大学の大河原美以先生だったのですが、講義を聞けば聞くほど、

「あれ⁉︎今読んでいる悲嘆の本と似たような事言ってるぞ」

という感覚に陥りました。不思議なものですね。

というわけで、講義を忘れないうちに、コラム2冊目の紹介だけさせてくだい。本はコチラです。


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●著者について(Amazonより)
ジョン・ジェームス、ラッセル・フリードマンレスリー・ランドン
アメリカとカナダの「Grief Recovery Instetute」で子どもたちを悲しみから回復させるプログラムを作成、実践し高い評価を得ている。 

●内容(Amazonより)
子どもの喪失体験(親しい人の死、ペットの死、親の離婚、引越)を、大人はどのように援助したらよいか。新しく開発された効果的なプログラムに沿って、実例を示して解説する。子どもの人生に希望をとりもどすために必読の書。

●目次
パート1  喪失に関する神話を見つめる
パート2  未完の感情を知る
パート3  未完から完結への道
パート4  発見から完結へ
パート5  その他の喪失
パート6  子どもと死を考える

●コメント
   まだ全部読み切ってないので、詳しい本の内容紹介は次回以降に回して、ちょっと昨日の研修内容に触れます。
  「ネガティヴな感情が社会化されない」という言葉が印象的でした。例を挙げると、

外で歩いている時に、お母さんの前で子どもが転んだ。すると、すぐにお母さんは「痛くない!泣かない!」と子どもに声をかける。結構、日常的にある光景ですよね。
その時、子どもの中では、身体感覚や内的感覚に「痛い!」と感じているのに、論理的認知的には「痛くない!」という逆のメッセージを、さらには「痛がるのは悪い子、泣く子は愛さない」というメッセージを与えることになる。
結果として、子どもはネガティヴな感情を感じないような対処方法(一時的解離)を身に付けたり、ネガティヴ感情を適切に表現する言葉を身につけることができずに、感情に不相応な言葉や行動でイライラを表現するようになる。
特に日本社会は、早期に大人社会に適応したり我慢することが「良い子」である認識があるが、そこには自身の感情の否定や抑圧があり、そのツケが思春期や子育て世代になった時に爆発すると。
なので、子ども自身にネガティヴな感情があることを大人が認めて、子どもが葛藤を抱えながら感情を収めていくまで大人は安全を確保しながら待ちましょう。子どもに自分で感情コントロールする力をつけさせてあげるのが「しつけ」でしょう、と。

ここまで書くと、本の内容のネタバレみたいな気持ちになってきました。目次を見返すだけでも、内容がかぶっているのがお分りいただけると思います。

ただ切り口が違うとまた面白いので、本の内容も随時コラム紹介していきますね。


ではでは。

【第1回】子どものグリーフを支えるワークブック~場づくりに向けて

管理人


おはようございます。

朝から長文すみません。勢いでコラム書ききってしまいました。お時間のある時に眺めてください。


コラム第1回で紹介する本はこちらです。

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●目次
1 子どもにとっての死別体験
2 ファシリテーションというよりそい方
3 ファシリテーションを支えるスキル
4 グリーフプログラムの実際
5 スタッフのケア
6 グリーフプログラムにおけるディレクターの役割
7 保護者のサポート


●内容紹介とコメント
この本の注目点は、2つです。
①喪失、グリーフについて
まず喪失体験を「死別だけでなく、離別や失恋、引っ越しや卒業などに伴う別れ」「また、虐待やいじめなどを受けた子どもは自尊心や自信といった自身の尊厳に関わる喪失」としている点です。

ここまで支援対象が広いと、我々が児童福祉関係で接する子どもたち全てが何かしらの喪失体験を経験して今に至るといっても過言ではないですよね。

あと、グリーフに対するサポートについて、日本では「グリーフケア」と言う言葉が主流になっているが、英語では「ビリーブメントサポート」と言うそうです。そして支援カウンセリングや医療などだけではなく、ピアサポートやソーシャルサポートも必要なことから編著の「NPO子どもグリーフサポートステーション」では「グリーフサポート」という言葉を使うようにしている、と。

単純にへぇ〜と思ったのと同時に、根本的な支援の考え方は児童福祉分野の支援と重なるなぁ、と思いました。
確かに「ケア」というと専門家しか出来ないとか、白衣的なイメージが頭に浮かびがちですが、「サポート」といわれると色んな立場の人が日常の何気ない中で様々なことや役割を担えるのかな〜という印象を僕は受けました。

※ちなみに本書の用語の定義
「グリーフ」
:喪失体験に伴う愛惜や悲しみなど様々な感情
「グリーフ反応」
:喪失体験に伴う身体的・精神的・社会的反応
「グリーフサポート」
:日常的なサポート、わかちあいなどのサポート、専門家によるサポートを含め、喪失体験後の心理的、社会的総合的なサポート
(本によって定義は多少異なります。また別の本を紹介する時には、定義の違いも注目ポイント)


②実践者養成の視点
   そして本書の最大の注目点は、このワークブックが、喪失体験をした子どもたちを支える実践者養成のために作成されたもの、という点です。
   目次で言う2章3章それぞれを詳しく紹介します。

2 ファシリテーションというよりそい方
   1)ファシリテーター(手助けする人)の役割
   2)安全な場をつくる
   3)子どもとのコミュニケーションを阻害する要因

この中でいくつか印象的な部分をピックアップすると
◼︎何がファシリテーターで、何がファシリテーターでないのか
※聞き手であり、話し手ではない。
※リードしない、サポートする。
※気付きは強要しないが、相互作用(一緒に遊ぶ、お互いに話し聞く)というプロセスの中で気付きを促す。
※「場」のルールを徹底し、安心安全な「場」をつくる。

◼︎事前にしておきたいファシリテーターのこころの準備
※自分の喪失体験も自覚をしておく。
※自分の体験と子どもの体験を混同しないで聞くこと。焦点を当てて聞くのは子どもの話しという自覚。子どもの体験を聞きながら「自分の体験と比較する」などすぐさま自分の体験を持ち出さないこと。
※思いがけない、びっくりするような自分自身の体験がでてきたら、自分のための時間をつくり、自分を大事にする。

◼︎子どもをコントロールする(コミュニケーションを阻害する)言葉と態度
※やりたいことをさせない。
※子どもが言いたいことを、「それはこう言うこと?」と確かめずに、「きっとこうだろう」と思い込むこと。
※ルール以外のことで、自分の価値観を押し付け、そうさなくてはならないとせまる。
※話を聞いているつもりが、いつの間にか自分の体験談や持論を延々と話している。


メンバーの皆さんはすでにお気付きと思いますが、上記の内容は静岡LSW勉強会で大切にしていること、まさにそのものですよね。LSWがチームアプローチであり、勉強会が話し合いの「場」であることを考えると、ファシリテーターの視点は非常に重要と僕は思っています。
そして、喪失体験のサポートに関するグループアプローチのファシリテーター養成について、ここまで特化して具体的に書かれた本は、僕は初めて出会いました。


さらに、3章について

3 ファシリテーションを支えるスキル
   1)自覚のスキル
   2)リフレクション(反映)スキル
   3)会話のスキル
   4)セルフケア(自覚のスキル再び)

この章で強調されているのは、プログラムに関わるスタッフとして、最も大切なスキルは「自覚のスキル」であるということ。相手を理解したりサポートする前に、まず「己を知る」ことが重要ということですよね。

さらに「リフレクション」「会話のスキル」は、静岡県で行われている「面接スキル」の内容そのものです。相手の感じ方を尊重し、相手の言葉やオープンクエスチョンを使いながら、表情などの非言語メッセージ、さらに相手のエネルギー量についてペースを合わせ「どんなあなたでもOK」「存在そのものを受け入れていること」を実感してもらうこと、とされています。

そして最後に立ち戻るのは「自分自身を大切にすること(セルフケア)」。

やはり、どんな種類の対人援助においても、ベースになるのは、目の前の人も自分自身の存在も尊重し大切にするマインド、そして謙虚にしっかり話しを聞く姿勢、その聞く姿勢を適切に表現する面接スキル、なんだなと。基礎がしっかりしてこその応用だなと。


●最後に
  この本は、LSWに臨む支援者の基本的な姿勢と、自分も含め静岡LSW勉強会のメンバー全員が忘れてはいけないことが詰まっている気がします。これが第1回コラムに本書を取り上げた理由です。
   薄っぺらくて絵も可愛くて写真も多くて読みやすい点もgoodです。初心を忘れないために時々ペラペラめくりたい本です。
   もし興味あれば、一読ください。


しばらくは「喪失」「グリーフ」関連の書を紹介していく予定です。

ではでは。

【はじめに】まごのてblogとは?

「静岡ライフストーリーワーク勉強会」メーリングリストで、平成29年6月から配信を開始した「コラム」のバックナンバーを集めたもので、


そのコラムの内容は

「題名にはLSWはないが、LSWに関連しそうな本」を紹介するものです。


LSWを学ぼうとする人は、「LSWと題名にある本」は自ら手にとると思うのですが、さらに関連領域の書籍までは手に取る時間がないし、何を学んだらいいかわからないという方も多いと思います。


そこで、


ちょっとそこまでは自分の手では届かないけど、便利な道具があれば触れたいよ、知りたいよ。


という方に「まごのて」的に活用してもらえればと言う願いを込めて「まごのてblog」と命名しました。


なんとな〜く「b」「l」「g」の形も「まごのて」っぽいところもこだわりポイントです。

 

メール内容は勉強会メンバーに向けたものですが、ライフストーリーワーク(LSW)を学ぶ方に広くお役に立てたら幸いです。


以下は、勉強会メンバーに向けたコラム企画の説明メールです。ご参考にしてください。



管理人

おつかれさまです。

梅雨入りして、じめじめした日が続いていますが、皆さま調子はいかがでしょうか?

先日メール報告させてもらいましたが、改めて6/3静岡LSW勉強会の場(14名)を思い返して、色々と考えさせられました。

率直に、良くも悪くも「次のステージ」に入った(入ってしまった)、さらなる人数増が予想されるので、一回の勉強会で参加者全員の話をたっぷり満遍なく聞くスタイルの維持は難しいな、と。

勉強会の短期、中期、長期の重点目標として、
【短期】ネットワーク、つながり作り(1〜2年)
【中期】尊重し合う相互体験の積み重ね(3〜5年)
【長期】専門性を共有する「共進化」(5〜10年)

を掲げていましたが、支援者としての基本的な意識の高い皆さんが集まっていただいたおかげで【短期】【中期】目標に関しては、勉強会の場さえあれば、もはや特別なことをしなくても自然発生的に広がるだろう、というのが僕の正直な見解です。

ということで、少し欲を出し、当初より予定を早めて、試しに【長期】目標の部分に少し手をつけてみようか、というのが「新企画」の意図です。

具体的には、メール題名に【コラム】とつけて、「LSWと題名にはないんだけど、内容的にはLSWと関連ありそうな本」の内容を管理人が紹介するメールマガジン的な企画です。

まぁ平たく言えば「人数増えると勉強会で管理人が話す時間が減るから良かったらメールで聞いて」ということなんですが、この企画を宣言することで、常に勉強して進化成長していくというプレッシャーを自分自身のために課す、という意味もあります。


なので読み流してもらって全然構いませんし、逆にメールで質問いただいてもいいです。基本的には直接読んだ本しか紹介するつもりはないので興味ある本は勉強会で貸し出しもします。

コラム配信の頻度は僕の「時間」と「予算」によりますが、月1〜2くらいは維持したいですね。

この企画のミソは、
題名に「ライフストーリーワーク」の文字はない、
近接領域なんだけど、そこまで手をつける時間がない、
LSWの痒いところに手が届く、

そんな本や内容を皆さんと共有できたら楽しいかな、と思っています。


これを2〜3年続ければ、知らず知らずのうちにLSWにマニアックに…いやいや専門的知識の共通理解が生まれるので、将来的な専門的な話し合いのベースになるだろう、つまり将来の種蒔きが狙いです。

もちろんメンバーの皆さんからの図書紹介(コラム)やコラム感想の投稿も大歓迎です。

勝手な企画ですが、月一冊程度の予定(一冊で回数を稼ぐ可能性はおおあり)なので、お付き合いください。

ちなみに、僕の朝晩の通勤時間を利用した配信になりますので、皆さんとの生活時間帯の多少のズレはお許し下さい。なるべく、一般的に快眠を妨げないだろう時間帯にメールするようにしますので。

それでは、よろしくお願いします。