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静岡LSW勉強会の管理人によるコラム集

【第30回】あいまいな喪失とトラウマからの回復13

メンバーの皆さま
 
おはようございます。管理人です。
 
9月に入り、静岡は朝晩少し涼しくなって過ごしやすくなってきました。まだまだ昼は暑いですが、季節の変わり目ですので、体調管理にお気をつけ下さい。
 
長く続いた『あいまいな喪失とトラウマからの回復』のコラムも、今回でいよいよ最終回です。
 
今朝、この本をカバンから本棚に移して家を出たのですが、改めて暑い夏に分厚い本を持ち歩いていたんだなぁ、と思いました。
 
それでは、コラム本文をどうぞ。
 

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●目次
はじめにー喪失とあいまいさ

第I部   あいまいな喪失の理論の構築
第1章  心の家族
第2章  トラウマとストレス
第3章  レジリエンスと健康

第II部   あいまいな喪失の治療・援助の目標
第4章  意味を見つける
第5章  支配感を調整する
第6章  アイデンティティーの再構築
第7章  両価的な感情を正常なものと見なす
第8章  新しい愛着の形を見つける
第9章  希望を見出す
 
エピローグーセラピスト自身について


●内容
いよいよ第9章「希望を見出す」です。

~私たちは今、円を一巡して始まりに戻りました。意味を見つけること、人生の支配感を調節すること、アイデンティティーを再構築すること、両価的な感情を正常と見なすこと、そして新しい愛着の形を見つけることが、理想的には希望を見出すという最高地点に到達し、この円のプロセスを一巡し、また意味を見つけるところに戻って繋がるのです。意味がないところに希望はありません。そしてまた、希望がないところには意味もないのです。


◆対話療法
~あいまいな喪失というトラウマのなかに、何らかの新しい希望を見出すことがなければ人生に意味はなく、人生に意味がないのであれば、新しい希望を発見する可能性もありません。

~希望は意味と密接に結びついているので、第4章で述べた社会構成主義の理論が、この章でも有効なものとなります。感情に焦点を当てたセラピーや、認知的介入、心理教育的な介入もまた適切な介入方法と言えます。

~特に感情に焦点を当てたセラピーは、希望を見つけるうえで重要です。なぜなら、いなくなっている人に対して抱いていた古い希望を手放せるくらい十分に安心感が得られるようになるためには、人との繋がりが必要なのですが、この感情に焦点を当てたセラピーはまたに人との繋がりに中核を置いているからです。

~米国の管理型医療システムでは、保険適応となるセラピーの種類に制約があるにもかかわらず、感情に焦点を置いた対話療法(talk therapy)が見直されてきています。

~しかし、私たちは、対話療法を行うセラピストが、クライアントが親のことについて治療的な話し合いをするよりも、むしろ親と子を含む合同面接をセッションに取り入れていることを確認しなければなりません。

~合同面接は、実際に同席できなければ、原家族をふりかえるワークを通して、心理的に同席した形で行うことも可能です。クライアント個人とセラピーを行う時でも、心の家族は同席できるのです。


◆希望と治療・援助
~希望は、自分の意思で作り出すものではありません。それは、望みがかなうことや、再び幸せになること、もっと大きな望ましい目標に到達できるような可能性のある時に、そのわくわくする感じのなかから現れ出るものです。セラピーの務めは、希望のない人々が希望を見つけられるよう援助することです。

~希望は、その人の内的な感情に基づいて見出されます。したがって、この段階でのセラピーのプロセスでは、認知的な手法や心理教育を伴った精神力動的なアプローチをまず用います。セラピーの目標は、自分自身を、信じる気持ちや、個人の力を育むことです(たとえば、人生の支配感を和らげること)。

~信頼している人々からのサポートは、「私にはそれができる!」という感覚の後ろ盾になります。自分の物語を語ることを通して、希望が見出され、再構成さらるようになります。

~私たちはこのプロセスで、創造することと探求していくことを奨励し、実際に、様々な活動の中でも特に、絵画、音楽、ダンス、イメージ、即興劇の技法を使ってきました。動くことが重要なのです。

~ただ発見したことについて話すだけではありません。私たちは行動的に希望を探し求めなくてはなりません。慣れ親しんだ状況と様々な状況の両方で、新しい経験をすることがこのプロセスに役立つのです。


◆まとめ
~(意味と希望の)二つは、メビウスの輪のような繋がっています。意味と希望はお互いがなくては存在できないものです。

~意味と希望の両方がレジリエンスと健康には必要です。意味を見つけることと希望を発見することの間には、人生の支配感を調節し、アイデンティティーを再構築し、両価的な感情を正常なものと見なし、新しい愛着の形を見つけるというプロセスが含まれています。

~セラピーのプロセスは円環的であり、直線的に段階を経て進むものではありません。ストレスやレジリエンスに焦点を置きますが、医療的な治療が必要な症状を見過ごすということではありません。全体としての目標はスキルを協働して動員することであり、これはクライアントとセラピストだけでなく、個人、夫婦、家族の援助をする専門家たちの間の協働でもあります。

~内省は、希望と意味を見つける複雑な弁証法的プロセスのなかの非常に重要な部分です。このことは、クライアントと同じように、セラピストにも当てはまることなので、この後のエピローグではセラピストの自己に焦点を当てます。

~あいまいな喪失をセラピーで扱う時、セラピストとして有用でありたいという私たちの希望は、セラピストがあいまいさにどれだけ耐えれるのかということと、答えのない問いがあっても安定していられることにかかっているのです。


●コメント
特にこの章では「感情に焦点を当てたセラピー」が繰り返し紹介されるんですが、読んでいて途中から、
 
「そもそも感情を扱わないセラピーなんてあるの?」
 
という違和感がフツフツと湧いてきました。が、何度も出てる「感情焦点化セラピー」について、少し調べてみると合点がいきました。
 

『エモーション・フォーカスト・セラピーによるうつへのアプローチ -恥の変容に注目して- 』(山内、2015)より一部抜粋。

http://klibredb.lib.kanagawa-u.ac.jp/dspace/bitstream/10487/14218/1/06-4.pdf

~1990年代以降,思考や認知,行動に注目する心理療法とは異なり,クライエント(以下 Cl.)の感情に注目する心理療法が北米を中心に発展している(Barlow et al., 2011/2012;Fosha, 2000;Greenberg, 2011/2013, Linehan, 1993/2007)。

~中でも,エモーション・フォーカスト・セラピー(以下,EFT)は,現代の認知科学と感情理論に基づき、…感情と体験を重視する統合的心理療法である(Greenberg, 2011/2013)。

EFT のセラピーは,治療関係の原則と治療課題促進の原則に基づいている。創始者の Greenberg 氏はこの 2 つの原則を「共感の海に浮かぶ,治療介入の小島」と表現した。つまり,EFT の立場をとるセラピスト(以下Th.)の役割は,Cl. が共感や肯定によるあたたかい治療関係を拠り所としながら,Th. との協同的な相互作用の中で感情体験を深め, 治療課題へ取り組めるよう援助することである。

~さらに,EFT のもう一つの特徴は,単に感情を体験することを目指すのではなく,感情体験がどのように自己を作り出し,自己によって感情体験がどのように作り出されるかという循環的なプロセスを重視する点にある(Greenberg, 2011/2013)。

EFT の Th. は,瞬時ごとの Cl. の感情状態の変化に注目し,そこ で Cl. が示す主要なプロセス指標に応じたいくつかの介入課題を提案する(Greenberg et al., 1993/2006)。 

 

冒頭の説明から察すると、2017年の今でこそ脳科学や身体志向の心理アプローチにスポットが当たっているので、

(脳)認知  ー  感情(こころ)

                \         /

                  行動 (身体)

を円環的な繋がりで考えることが自然となってますが、1980~90年代では認知と感情と行動を統合して考えるなんて革新的だったというこということですよね。

その状況は、

「米国の管理型医療システムでは、保険適応となるセラピーの種類に制約があるにもかかわらず、感情に焦点を置いた対話療法(talk therapy)が見直されてきています」

からも読み取れて、保険適応のセラピーの制約って、システムが作られた当時の時代背景に影響されていると思うんです。「思考や認知、行動に注目する」1990年代以前の。客観的にわかりやすく測定しやすい「行動」が、制度や法律と相性が良いという側面もあるとは思いますが。

本来、クライアントの状態に合わせて、「認知」ー「感情」ー「行動」が過度に偏りなく、その人の無理のない最適なバランスが取れる一番効果的な支援方法が選択されるべきだし、それを話し合うのが治療関係の原則なんだと僕は思います。

しかし、経済的メリットがあるとは言え、保険適応というシステムに囚われて、目に見えやすい「行動」にばかり焦点が当たりバランスを欠いては本末転倒。

その意味では「感情に焦点を置いた対話療法(talk therapy)が見直されてきています」は非常に明るい兆しですが、はたして日本でも似たような議論の方向性になって行くでしょうか?

ちなみに日本で、医師によるうつ病に対する認知行動療法(CBT)が医療保険点数の適応となったのが2010年…統合的な支援や考え方が理解され浸透するには、もう少し時間がかかりそうな気がしますよね。

それは日本のLSWにまつわる状況でもなんとなく感じられて、過去の生い立ちに対する子どもの認識の変化「認知面」、出身施設の訪問やLSW後の行動変容等「行動面」にばかり焦点が当たり、それに伴う「感情面」の扱いや検討が軽視されたり蔑ろにされる雰囲気や危険性を感じるのは僕だけでしょうか?

大事なことは、「頭の理解」と「身体の感覚」と「内面の気持ち」が一致できる状態になるよう、どこかを強めたり弱めたりして適切なバランスになるような支援を考えること、それには目に見える事と見えない事の両方に注意を払う必要があって、それはLSWに限ったことではないだろうと僕は思います。

 

その点で、感情焦点化セラピーの特徴である、

感情体験がどのように自己を作り出し,自己によって感情体験がどのように作り出されるかという循環的なプロセスを重視する」

という部分は興味深いですね。感情体験の積み重ねが自分の価値観や自己像を作り、その価値観のフィルターや自己イメージを通して新しい体験をどう感じるかが決まる、なるほど感情体験はアイデンティティー形成の写し鏡のような存在と言えるのかなぁ、と思いました。

感情焦点化セラピー、またの機会にしっかり勉強してみたいですね。

 

最後に、希望について、

「セラピーの務めは、希望のない人々が希望を見つけられるよう援助することです」

これまで本書で色々な技法や理論に触れてきましたが、全ての手段はここに集約されるんだと思います。

そして、本書で言うように、クライアントの内側から自然に沸き起こってくる期待感や「この人となら頑張れる」と思う安心感を与えられる存在になるには、やはり支援者自身のレジリエンス

セラピストがあいまいさにどれだけ耐えれるのかということと、答えのない問いがあっても安定していられることにかかっているのです」

だよなぁ、と思いました。そこで本文は「エピローグーセラピスト自身について」に続くわけですが、コラムでエピローグを扱ったのはちょうど2ヶ月前。なんと【第11回】までさかのぼります。今回コラムが【第30回】ですから、改めて本書を通して本当に色々なことを考えさせてもらったんだなと改めて感じます。

 

本書との長い付き合いを振り返ると、最後の最後で、

「希望は、…そのわくわくする感じのなかから現れ出るものです」

という言葉が出てきたのが、これまで小難しい理論的な内容が続いていた中で、表現がスゴく丸くて際立ったというか、著者の感覚や人間味が感じられる言葉のようで印象的でした。

僕自身、本なんて夏休みの読書感想文くらいでしか読まなかった不読学生だったのですが、こんなにマニアックな専門書や論文を読み漁るようになったのは、LSWに出会ったのがきっかけです。

きっと僕自身LSWに意味や希望を見出して、LSWに役立つ新しい学びを得る事に「わくわくする感じ」を得ているんだろう、という気づきと共感を与えてもらったようで嬉しい気持ちになりました。

 

これで『あいまいな喪失とトラウマからの回復』のコラムは終了です。脱線も多い中、長い間お付き合いありがとうございました。

今後も僕が「わくわくする感じ」の本やネタを随時ご紹介していきますので、これからも「まごのてblog」をどうぞよろしくお願いします。