LSWのちょっとかゆいところに手が届く「まごのてblog」

静岡LSW勉強会の管理人によるコラム集

【第21回】レジリエンスの「多様性」と「柔軟性」

メンバーの皆さま

こんにちは。管理人です。

それにしても暑いですね。今日は夏休みを取って、各種申請手続きで市内を巡回してます。

休憩中に、コラムを一つ。

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●目次
はじめにー喪失とあいまいさ

第I部   あいまいな喪失の理論の構築
第1章  心の家族
第2章  トラウマとストレス
第3章  レジリエンスと健康

第II部   あいまいな喪失の治療・援助の目標
第4章  意味を見つける
第5章  支配感を調整する
第6章  アイデンティティーの再構築
第7章  両価的な感情を正常なものと見なす
第8章  新しい愛着の形を見つける
第9章  希望を見出す

エピローグーセラピスト自身について


●内容
今回でようやく第I部終わりです。第3章「レジリエンスと健康」。まずは本書における言葉の定義から。

◆言葉の定義
『健康』
・個人が身体的、情緒的かつ社会的に満たされた状態

『個人のレジリエンス
・ストレスの観点では、人生のプレッシャーや重圧に対する伸びたり、または曲がったりする能力
・危機が生じた場合、危機の前と同等もしくはそれ以上の機能レベルまで回復する能力
・あいまいな喪失がある時、個人のレジリエンスは、あいまいさと共に安定して暮らせる能力に依存します。そしてこの安定して暮らす力は、あいまいさに耐えるだけでなく、現在と将来にわたりあいまいさとうまく付き合って生きること力に依存します。

『家族のレジリエンス
・新しい用語であり、家族のストレス・マネジメントと予防に根ざしています。
・「今現在、そして時間の経過のなかで、家族がストレスに直面した時にそれに適応し、成長する時にたどる道筋で有り、レジリエンスのある家族は、独自の方法で状況にうまく反応する。その方法は、文脈や、発達段階、リスク要因と防御要因の相互作用、家族が共有している見解などによって異なる」(ハーレイ、デハーン、1996)

~すべての人が同じ方法でレジリエンスを獲得するわけではない

~研究のなかでは、レジリエンスは個人と家族の両方の現象であると提唱されています。こうした理由から、私は、個人およびその家族に注意を払うようにしてきました。


続けて、レジリエンスの「重要なポイント」と「注意点」について

◆重要なポイント(ボナーノ、2004)
1. 『レジリエンスは回復以上のものである』
レジリエンスがあるということは、単に精神の病理がないという以上のもの~レジリエンスは危機後の回復の一部ではありません。それよりむしろ、レジリエンスの大部分は、再生していく成長や肯定的な感情を伴った連続性のある健康の機能だと言えます。
~このような様々定義が臨床家にとって意味することは、すべて人が、あいまいな喪失の後に、同じ介入を必要としているわけではないということです。

2.『 レジリエンスは私たちが考えていたよりももっと一般的なものである』
~悲嘆に対応するセラピストは伝統的に、喪失後の悲嘆の過小反応と、過剰反応の両方を病理と見なして治療するトレーニングを受けてきました。一方、トラウマの相談・治療を行うセラピストは、反応が軽度か極端にかかわらず、否定的な反応にのみ焦点をあてるといトレーニングを受けてきました。どちらの場合も、レジリエンスは見過ごされてきました(もちろん例外はあります)
~病理を焦点化するという古典的なやり方は、恐らくボウルビィ(1980)の影響であろうと思われます。ボウルビィは喪失後に見られる肯定的な感情表出を防衛的否認と定義しました。
~実証研究からは、以下のことが明らかにされています。「対人喪失による動揺に対してレジリエンスを示されることは稀ではなく、一般的に見られることである。このようなレジリエンスが存在することは、病理性を示すのではなく、むしろ健康的な適応を示すものと考えられ、レジリエンスがあることで遅延した悲嘆反応が引き起こされるのではない」(ボナーノ、2004)
(色々な説明)~このことから、喪失やトラウマを経験しても否定的な感情を示さない人についてボウルビィの考えが間違っていたことが分かります。

3. 『レジリエンスへの道筋は多数あり、予測できないものである』


◆注意点
レジリエンスを維持していることが、いつも望ましいわけではな
~例えば、虐待や不法行為の場合には、反撃することや、根本的な変革を主張すること、危機に踏み込むことが我慢し続けるよりもよい時があります。そのような場合には、順応し続けることを否定するよう促さなければなりません。

レジリエンスに焦点を当てるにしても、私たちは、医療的ケアや精神科での治療を必要とする症状にも注意を払わなくてはいけない

レジリエンスを築くセラピーは「強みに基盤を置いたアプローチ」と呼ばれますが、それは解決志向的セラピーとは同義ではありません。あいまいな喪失がある時、私たちのセラピーの目標が解決(solutions)を生み出すことであるべきことだと、私には思えません。


●コメント
レジリエンスって、その人が持っている固有の資質的なイメージがあったのですが、家族のレジリエンスで「ストレスに直面した時にそれに適応し、成長する時にたどる道筋」とあって、思わずそうそうと頷いてしまいました。

仕事でもスポーツでも、集団が困難を乗り越える時って、全体の空気感というか意識や流れが「やるしかない」みたいに何かのスイッチでガラッと変わる瞬間ってありますよね。

それって、その集団が困難を抱えながらやっていけるレジリエンスを持ちはじめた瞬間だと思うんです。一致団結してて、粘り強くて、諦めない集団。そんな雰囲気の時って他のメンバーも頼もしく感じるし、そんな一員でいられる時が僕は楽しいんですよね。

話は大きくなりますが、生物学的に生き残る種って環境変化に合わせて進化適応しています。個体レベルでも生物学に「動的平衡と言う見方があって、生命維持は一見何も変わってないように見えて、細胞レベルで耐えず自らを分解しつつ、同時に再構築するという危ういバランスと流れが必要なんだそうです。生物学者福岡伸一氏によると「生命はつくることより、壊すことを一生懸命やっている」と。

僕は対人援助、面接、LSWでも似たようなことが起こっているのではと思っています。信頼感のある安定した関係性とは、対話やノンバーバルのやりとりを通じて、相手の価値観を受け入れ、自分の価値観の破壊と再構築をお互いに繰り返しながらバランスを取っている「動的平衡」の状態なのではないかと。

大人の考え方はなかなか変わらないよ、なんてよく耳にしますが、頑固オヤジでも「お前さんがそこまで言うなら」みたいなことありますね。大事なのは何を伝えるかじゃなく、誰に言われるか。それまでにその人と安心できる関係性が築けているか。今までの自分を変えたり手放して新しいものを受け入れるのって不安ですから。

そして、重要なポイント1にも
レジリエンスの大部分は、再生していく成長や肯定的な感情を伴った連続性のある健康の機能」

とありますが、仮にコンクリートでガチガチに固めれば短期的な安定は得られますが、実は破壊と再生いう一見不安定な均衡状態の中で起こる変化や成長を楽しめる発想や柔軟なプロセスこそ、長期的な安定や健康的な状態をもたらすのでは、と思います。

あと、レジリエンスは「一般的なものである」が「レジリエンス維持していることが、いつも望ましいわけではない」とか、病理を焦点化する考え方を否定しながら、医療的治療ケアが必要な症状にも目を向けなければいけない、と言うところに著者の絶妙なバランス感覚を感じます。

当たり前に持っているけど、それに偏りすぎるな、頼りすぎるなというのは、日本人の即興性でも触れましたね。

なんとなく著者の考え方が陰と陽のどちらも必要と言うような、森羅万象的、東洋的なものを僕は感じていて、個人的にはとてもしっくりくるものがあります。

最後に、注意点③「解決志向的セラピーとは同義ではありません」について。解決志向アプローチ(Solution Focused  Approach:SFA)は僕も使うのですが、例外探しやリフレイミングのやりとりを繰り返す中で「100%解決じゃなくてもこんな形もありか」的な思考や発想の転換って自然と起こる気がします。おそらく著者は「問題は解決できる」という価値観ではあいまいな喪失には対応できないということを言っているのだと思いますが、必ずしもSFAはそこに固執しない気がするし、切り口や道筋は違うかも知れないけど、結果としてたどり着く状態は似ているんじゃないかな、と思いました。こればかりは著者に直接尋ねてみないとわかりませんが。

そもそも「SFA:ソリューションフォーカストアプローチとは?」とか「Focusedの訳は焦点?志向?」とか「志向と指向と思考の違いは?」とか触れ出すとキリがないので、今回は割愛します。気になる方はGoogle検索してみて下さい。

次回以降はII部に入りますが、さらに先は長くて飽きてしまいそうなので、ちょいちょい番外編で挟みながら続けていきたいと思います。

ではでは。