LSWのちょっとかゆいところに手が届く「まごのてblog」

静岡LSW勉強会の管理人によるコラム集

【第16回】「心の家族」と文化的家族観の違い

メンバーの皆さま


おはようございます。管理人です。

先日、三重の山本さんにLSWの全国メーリングリストで当コラム集「まごのてblog」

を紹介していただいた所、24時間で100アクセスを突破していました。

自分でblogにしておいて何なんですが、たくさんの知らない人に見られると思うと、コラムの言い回しや文面に多少迷ってる自分がいることに気づきまして。

思ってる以上に、自分は気にしいでビビリだなぁと再確認しました(笑)

なので、もしかすると今までより多少文章が固めになってるかもしれませんが、すぐに戻ると思いますので、気にせずにお願いします。

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●目次
はじめにー喪失とあいまいさ

第I部   あいまいな喪失の理論の構築
第1章  心の家族
第2章  トラウマとストレス
第3章  レジリエンスと健康

第II部   あいまいな喪失の治療・援助の目標
第4章  意味を見つける
第5章  支配感を調整する
第6章  アイデンティティーの再構築
第7章  両価的な感情を正常なものと見なす
第8章  新しい愛着の形を見つける
第9章  希望を見出す

エピローグーセラピスト自身について


●内容
第1章からトピックを2つ取り上げます。それは、「心の家族」「支配感・コントロール感」について。

【心の家族】(一部抜粋)
~人間の心のなかに本質的に存在しているもの。

~セラピーの観点から見て、その人が誰を家族と見なしているかは重要です。

~つまり誰を援助している時でも、家族をどのように定義し、家族構成には誰がいて誰がいないのか、セラピストとして私たちは、柔軟に見ていく必要があります。

「あなたにとって家族とは誰ですか」
「そのなかに入っていないのは誰ですか」
「あなたにとっての故郷はどこですか」

~このような質問に対して返ってくる答えにはよく驚かされます。

~多くの場合、セラピストは関係性の物理的な構造を見るように訓練されており、自分たちがきちんと仕事をしていれば、クライエントは喪失体験を克服し、ある程度すぐに、目の前にいる誰かに愛着を持つようになると考えています。世の中には、健康的な人間は、喪失に終結を見出すという神話が存在しています。

~大切な人が、肉体的にも情緒的にもいなくなってしまった時、終結を探し求めるより、あいまいさに耐えれられるような臨床的アプローチが重要です。


●コメント
これを読んだ時、心にグサッと突き刺さるものがありました。家族状況を尋ねる時、
「お家には誰がいるの?」と「家族は誰がいるの?」の使い分けの意識ってなんとなくだったなぁ、と。  

児相にいると、虐待防止法もあるし住基システムもあるし戸籍も取れるし、当人に直接聞く前に、家族構成や転居歴、離婚再婚歴などの客観的な基本情報は事前に知れちゃうんですよ。ホント至れり尽くせりです。

なので「実は事実は知ってるんけど、認識や想いはどうなのよ?」という状態から面接スタートできちゃうんです。

だけど、民間の相談機関なら、情報は来所した人が語ってくれた事のみです。すると、得られる情報の幅や精度は、語り手のインプット(認知)とアウトプット(言語化)の傾向、そして聞き手の面接技術に左右される具合が非常に大きくなると思います。

そうなったら当然、面接者の聞き方や言葉選びの感度は鋭くなりますよね。この感覚を忘れてたんだな、と。システムというぬるま湯に浸かって、その恩恵を当たり前に感じていた自分を反省しました。

あと話題をトピックに戻すと、体験的には、なるほど家族の中に「ペット」を入れる子どもって時々いるなぁ、と。これも「心の家族」なんですよね、きっと。

日本では「家族は一緒に暮らすもの」という価値観が一般的に強い気がしますが、家族や故郷の定義は人それぞれである、ということですよね。

僕が仕事をしている浜松市は外国人(ブラジル・フィリピン・中国・ペルー等)が多くて、保護者と話していると本当に国それぞれで基本的な家族観や養育観って違うなぁ、と感じることがあります。

そして、最近はハーフのタレントやスポーツ選手の活躍が注目されますが、見た目バリバリの外国人でも、浜松生まれ浜松育ち中身浜松人って子どもが割と普通に学校にいます。あえて言うなら母国語は遠州弁です。

すると、相談に来る家庭の子どもは、保護者の母国的価値観と、友だちやTVネットから影響受ける日本的価値観の間で板挟みにあったり衝突して苦しんでいるケースが多々あるな、と思います。

そして、施設入所して親と離れて過ごす期間が長くなるほど、その文化のギャップはどんどん広がっていきます。そういう子どもが、将来どう自立し、どう家族と折り合いをつけ、何を拠り所にどのコミュニティで生きていくことが幸せなのか、本当に答えが出ません。

もちろん日本人同士でも結婚や再婚で文化の衝突は少なからず起こると思いますが、異国文化の相違や衝突を目の当たりにする体験は、自分が当たり前と思ってる常識や価値観を「日本文化」と言う枠組みで客観的に見直したり、疑問に思う機会になっているなぁ、と思います。

児童福祉では「家族再統合」なんて言葉がよく話題にあがりますが、『そもそも家族って何?』という根本的な問いを冒頭の章で突きつけられた気がしました。


長くなったので、一旦終わりにして、
「支配感・コントロール感」はまた次回に。

ではでは。