LSWのちょっとかゆいところに手が届く「まごのてblog」

静岡LSW勉強会の管理人によるコラム集

【第87回】オープンダイアローグ対話実践ガイドライン

メンバーの皆さま

こんにちは。管理人です。

突然ですが、
【第34回】「フィッシュボール」
で紹介した「金魚鉢」のような二重の輪になる話し合い形式を覚えているでしょうか?

そのコラムでは「リフレクティング」と言う対話技法の紹介や、最後に「オープンダイアローグについてはまたの機会に紹介します」なんて書いたのが昨年9月でした…。月日が流れるのは早いですね。

そんなこんなしているうちに、こんないい冊子が公開されるようになっていました。

それが表題のコレ、

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(第1版 2018.3)

オープンダイアローグを広く普及するために作られた冊子で、「オープンダイアローグ・ネットワーク・ジャパンHP」からダウンロード可能です。


ここには、オープンダイアローグの基本的な考え方、そして対話技法である「リフレクティング」「フィッシュボール」等についての説明と練習ワークについて書かれています。

コレ本当にわかりやすいですし、何が良いって、文字が少なくて冊子が薄い!

すぐに読めちゃいます。

ちゃんと広い普及を考えてる方は、読み手に最後まで読んでもらう配慮に富んでいて流石だなぁ、と思います。


「そもそもオープンダイアローグって何?」と思った方は是非ガイドラインを見ていただきたいのですが、創始者のひとり、ビルギッタ・アラカレさんの言葉を借りると、

「理解を共有すること、『これが答えだ』というものはなく、答えを一緒に作り上げていくこと、それが一つのプロセスにしか過ぎないということ」

ということで、この言葉だけでもLSWの考え方や実践と重なっていることが伝わるかと思います。

そして、オープンダイアローグは単なる技法ではなくて、「サービス提供システム」であり、その背景にある「世界観」でもあると。

世界観とか言われると、ちょっと仰々しく聞こえるかもしれませんが、ガイドラインに書かれていることは支援者としての基本的な心構えというか、対人援助とは、目の前の人との関わりの中で、何のために誰に何を提供しようとしているものなのか?そんな根本的な問いへの整理とそのトレーニング方法を示してくれている、そんな風に僕は受け取りました。

また、
〜オープンダイアローグの対話実践は医療機関に限らず、福祉や教育など、あらゆる対人支援の現場で応用することが可能です

ということで、もちろんLSWにおける対話において参考になる点が非常に多いですので、今回はガイドラインを感想メインに紹介したいと思います。
(詳細は是非ガイドラインを参照ください)


具体的なところで見ると、例えば、
[オープンダイアローグの7つの原則]
  1. 即時対応 
  2. 社会的ネットワークの視点を持つ 
  3. 柔軟性と機動性 
  4. 責任を持つこと 
  5. 心理的連続性 
  6. 不確実性に耐える 
  7. 対話主義

について、それぞれの項目の「考え方」だけでなく「まず目指すこと」という補足を合わせて書いてあります。それも、わずか数行でまとまっていて、初めて見る人でも明日からでも出来ること、やってみようと思える配慮を感じます。

ちなみに「まず目指すこと」の一部はこんな感じ。
〜ニーズに合わせてできるだけ即座に対応する
〜大切なつながりのある人はなるべく招く
〜今ある制度の中でできる工夫を何でも試す
〜異動等があっても、可能な限り誰か 1 人はチームに残って橋渡し役となる

これらはまさにLSW実践でも必要だし、実際にしていることかな、と思います。

また、最後の2つ「不確実性に耐える 」「対話主義」については、オープンダイアローグの根幹をなすものだから“当面の目標”を示すことはしなかったというメリハリのつけ方で、その内容は、

〜答えのない不確かな状況に耐える。
〜すぐに解決したくなる気持ちを手放す。
〜葛藤や相違があったとしても、その場にいる人々の多様な声を共存させ続ける。 
〜対話を続ける中でこそ、そのクライアントと家族ならではの独自の道筋が見えてくる。
〜対話を続けることを目的とし、多様な声に耳を傾け続ける。解決はその先に現われるものである。

と、かなり本質的なもの。この内容は以前のコラムで取り上げた「あいまいな喪失」の話とかなり重なる部分が多いよなぁ、なんて読みながら思いました。
※【第11回〜第30回】あたりを参照ください。

それにしても「対話を続けることが目的」という言葉には心を射抜かれました。そうなんですよ。対話を続けられる=関係が途切れない、ということが本当に意味があることなんですよね。

特に、LSWを検討するような社会的養護に関わる児童は、生い立ちの中で居住地や養育者がコロコロ変わるような喪失体験を繰り返していますから
「特定の人との関係やりとりが続いていく」
そんな体験が人生に与える意味の大きさは言うまでもないと思います。

また、やりとりが続く中で、その人の考え方や価値観、またお互いの価値観の相違も見えてくる。それが対話だと思います。そのお互いが分かち合える部分もそうでない部分も両方あることを理解する、それを丁寧に聞いて共有していく相互理解のプロセスが信頼関係構築の第一歩だと、僕は思います。

そして、それは安全な場における安心感に包まれたオープンな対話の中で、言葉や表情のやりとりや空気感の共有があって、たとえ言葉にならないとしても相手の本音や真のニーズを感じ取ることができるんだと思います。

よく「アレが心配、コレが心配」と言って何とかしようと動きたがる人は少なくありませんが、最終的に当事者の意見や価値観が盛り込まれていない支援計画は一方的な支援の押し付けだと思うし、それは相手の主体性や問題解決のために考える力を育む経験を削いでいる可能性だってあります。

じゃあ、相手の「言いなり」になればいいのかということではなくて、考え方や価値観の違いを尊重した「対話を続けること」が大事。それは一方が一方を一方的な価値観で説得するのでなくて、双方向のコミュニケーション。

相手の考え方や心情を相互理解する「対話」のやりとりの中で、お互いが目標を共にした1つのチームとなり、チームとしての考え方や価値観を共に作っていくプロセスなんだと思います。

ということで、
「研修や指導のためのガイドラインp.17)」
というページには、中堅〜ベテランには耳が痛い話が書かれています。

例えば、
■教える者と学ぶ者は対等の関係を保つべき。
■教える者が場の主導権を取り上げて、自分自身の専門的なやり方で「正解」を指し示したいという誘惑を感じたらそれは治療においても研修においても、つまり対話主義にとって危機的状況であるということを意識する。
■教える者が「重要なこと」や「正しいと思われること」を学ぶ者にそのまま「教え」たいという誘惑に対しては、禁欲的であることが望ましい。
■あるメンバーの発言に不適切な傾向がある、あるいはミーティング全体が行きづまり停滞していると感じられた場合は、メタコミュニケーション、すなわち「対話についての対話」を試みる。

端的にいうと「教える側が偉そうに正論や知識をダラダラ語ることをやめろ」と言うことなんだろうと思います。概ね、その場の安全感や安心感が損なわれる時、だいたい相手の非言語的反応を無視して話し過ぎている、それは不安の表れか自己陶酔している場合が多いかと思います。

相手が話しをしたそうにしているのに一方的に長々話を続けたり、聞きたいのはその話ではないと表情で訴えている(場合によってはストレートに言葉で伝えても)のに、話し手が話しを辞めないことって思っている以上に多いし、ついついやってしまいがち。

そうではなくて、あくまで教える者と教わる者であっても双方向の対話が大切なんだと。僕はこれを「関係性の連鎖」とよく言うのですが、最終的には「保護者ー子」の間でして欲しいコミュニケーションを、まずは「支援者ー保護者」でその体験を提供して欲しいし、そうなるためには職場内や関係機関同士の「支援者ー支援者」関係でその体験を提供して欲しい。

相手の考え方や価値観を尊重した安全な対話です。支援者自身がそのような原体験がなければ、現場の最善の担当者が家族の大変さに寄り添って安全な対話の場を提供することなんて出来るわけないと思います。

特に「子ども」に接する時は注意が必要で、概ね子どもを教えたりコントロールしようとする関わりに大人は慣れ過ぎています。これは、前回コラムで言うと、理屈的な[左脳]での関わりです。

だいたい自分が他人から受けてきた扱いを、他の相手にしてしまう「関係性の連鎖」「関係性の再演」は起きてしまうもの、そのつもりが当人になくても。じゃあ、逆にそれを利用して「良い体験の伝言(シェア)ゲーム」にすればいいと言うのが僕の発想です。

良い体験とは、もちろん相手を尊重した安心な対話の[快]の体験はもちろんですが、実際に起きる不確実な事態や葛藤場面を抱えてながら安全を維持した対話を続けて相互理解やお互いのニーズを深める体験を共に作るという[不快→快]や安心のリカバリー体験も含みます。


ですので「リフレクティング・ワーク」(p.19
の説明として、例えば、

▼話し手は 「今この瞬間に、心の中にある思いや身体に起きてきた反応」について話します。
▼聞き手は「話を聞いてどんな感覚が自分の中に生じたか」に注意を向けながら聞きます。
(その感覚をたよりに相手に応答するので、とても重要な作業になります)

▼お互いに「今この瞬間の自分自身」に注目しながら、話すと聞くを繰り返して思いをシェアしていきます。自分の思いが十分に受け止められたか、そのときにどんな感覚が生じたかについても後でお互いにシェアしてみてください。受け止めてもらうことで安心・安全な感覚が生まれると理想的です。

なんてことが書かれています。受け止めてもらうことで生まれる安心・安全な感覚って、以前コラムで触れた、子育てにおける非言語的な応答や同調行動によってオキシトシン泌が起こっている感覚に近いと思うんですよね。

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そうなると、ワークで鍛えようとしていることは、相手の様子を伺って、非言語的な応答をするスキル。それは泣いている子どもを見て「何を感じているかな?」と察して、ニーズを満たしてあやすような応答、つまり情動調律(よしよし)に近い感覚。

それは[左脳]の理屈でアレコレ何を言おうと考えるのではなくて、その場や相手の「安全な感覚、安心感の揺れ・ズレ」を[右脳]つまり自分のこころや身体感覚の変化で感じ取って、それに適切に応答しながら、お互いの言語と非言語の対話によって場の安全、こころの安心のコントロールを取り戻していく敏感かつ繊細な感覚的共同作業だろう、と思います。

あと、オープンダイアローグにおいて場の安全を維持するシステムとして役立つなぁと実感していることとしては、「リフレクティング」ワークに象徴されるような三項関係を維持する、必ず三者の中立的立場のファシリテーターがいるというのも。

◯⇆◯
◯↗︎

二項関係では対立した時に「責められている」と感じやすいし、就職面接みたいに複数人と対面していたら余計にそうです。視線も固定化しがちで感情を切り替えようと思っても、脳が切り替わらないのでコミュニケーションパターンを変化させるのってホント難しいと思うんです。

それを「ちょっと相談するので、聞いててください」と一旦ブレイクして、相談者の目の前で支援者同士が話し合う。

◯     ◯

そうすると、相談者は一旦会話から離れて距離ができるし、[左脳]優位で視野が狭まっていた状態から、全体的な把握をする[右脳]が働いたり(カメラのズームを引くような感じ)、なんなら左右の会話の行き来を眺めるので、それが視線誘導につながって脳の偏りをほぐすような効果もあると思います。

そして、重要なのは、リフレクティングで話している内容も[左脳]的な理論や知識による解釈ではなくて、[右脳]的に感じたこと自分の中で起こった感覚・感情について語ること。その事によって、場の雰囲気やチャンネル全体が、あたまの思考中心ではなくて、自分のこころや身体の内側に注意が向いて内省を促すものに変化していくと思います。

そして、自身のこころや身体感覚の語りというのは、非常にオープンで包み隠していない印象を受けるというか、正直で誠実な語り、そこまで思ってる事を語っていいんだという安心感につながっているんだろうなと実体験から思います。

そんなオープンな感覚的なやりとりを磨く練習方法について、このガイドラインはわかりやすく説明してくれていますが、実は静岡LSW勉強会でコンセプトにしていて、「場の体験」で狙っていることはまさにこんな事だったりします。

なので、このようなガイドラインが出てくれると、非常に説明の参考になるし、正直助かりますね。

是非、ガイドライン参考にしてみてください。

ではでは。