【第128回】(あとがき)トラウマを抱えた児童へのLSW
おつかれさまです。管理人です。
前回『トラウマを抱えた児童へのLSW』(後編)を綴ってみました。
まぁ、個人的に思うところをツラツラと述べている訳ではあるんですけど自分で読み返してみて、正直ですね、
「じゃあ、どうすりゃあ良いの?」
と感想を持たれる方も少なくないかなと思いました。
絶対的な一つの答えはないです、というのが前回も書いたことなんですが、そうは言っても手がかりは欲しい、と思うのが人間なので、「あとがき」です。
以下に書く内容は、以前から紹介している『トラウマと身体』の後半(治療編)のまとめというか感想に当たるので、詳しくはそちらの書籍を参照いただきたいと思います。
で、ですね、本書の表現を借りると、トラウマを持つクライエントは、
「身体的・情動的・認知的に、過去と現在が混乱している」状態であり、
「フロイトの時代から、たいていのセラピーのアプローチは、感覚運動よりも、認知と情動のプロセスに焦点づけ」されてきたが、
「身体表現性の症状が特にトラウマを抱えた人に顕著に見られるので、感覚運動プロセスを促進するような介入が加わることで治療はいっそう効果的になる」
「つまり、感覚運動的処理だけでは充分ではありません。感覚運動、情動、認知という3レベルでの処理の統合がトラウマからの回復には不可欠」
「こうした(=治療的な)身体行動は、クライエントが意識的、無意識的に抱え込んでいた過去のトラウマ関連の身体的、精神的なやり方を変容させます。今の生活において、反応する方法(認知的、情動的、身体的に)や、将来を心に描く方法も変容させます」
「こうしたボトムアップの介入とトップダウンのアプローチを統合させて、両方の一番よいものを組み合わせることで、長年トラウマに苦しんできたクライエントは、過去と現在、情動と意味、身体と信念、を統合し問題の解決を見出します」
かなり中間の治療プロセスを省いてますが、前回コラムの内容を書籍の文章に照らし合わせるとこんな感じです。
ずっーと以前のコラムで、過去想起時に使う脳部位が未来想像時に使う脳部位と一致していて、過去を遡れる年数分、未来想像も可能という論文を紹介したことを思い出しました。
上記に紹介した状態は、LSWを検討する児にしばし見られる「過去ー現在ー未来」の時間的展望や連続性がない状態例だと思います。
トラウマ反応、つまり無意識的な過去の身体的記憶の侵入によって、意識的な過去への認知的なアクセスを閉じている状態。
そう言った状態が、特定の脳部位を使う事を少なくするので、その部位を使う「未来想像」する力も衰える育たない、という連鎖。
これはごくごく自然な事で、例えばピアノやサッカーとか身体性を伴うことって、経験者でも毎日やらないと感覚的なものは鈍っていきますし、でも修練して一度身につけた神経系の動きは少しリハビリ的に練習すれば感覚的に戻ってくる。
まぁ運動に限って言えば、頭と神経的には昔の感覚で動いているけど筋肉的には衰えているので、イメージに身体がついてこられず怪我、ということが段々増えてきますね、加齢とともに。
何を隠そう、僕も少し前に小学生高学年との鬼ごっこでガチの肉離れ起こしました(苦笑)オシム前サッカー日本代表監督が「兎はライオンから逃げる時に肉離れなんてしないでしょう。準備が足りない」と言う言葉がホント身に染みました。
そんな感じでですね(どんな感じだよ!とツッコミが入りそう)、LSW的な過去想起や未来想像にも、そのような精神的運動に慣れていない人には、やはり準備が必要だと思うんです。普段運動してない人にいきなり激しい運動求めたら、そりゃ怪我のリスク高いですよ。
それじゃあ、トラウマ体験によって、そういう「過去ー現在ー未来」を認知的に行き来する精神的運動みたいな事をしばらくお休みしている人にへの身体的アプローチの一つが、『トラウマと身体』で紹介されているセンサリーモーター・サイコセラピーになるわけです。
治療の3段階をざっくり書くと、
①リソースを増やす
②トラウマ反応の処理
③日常生活との統合
となるのですが、大きく捉えるとこの3段階はトラウマ治療の大御所ハーマンやジャネも他治療者も表現こそ違えど似たような段階で説明しているので、身体的認知的というアプローチ法の違いを超えたトラウマ治療の基本的原則なんだろうと、僕は理解しています。
センサリーモーター・サイコセラピー的なことで言うと、①は身体的リソースを増やすこと。つまり、自己調整=相互調整+自動調整をうまく使えるようになること。
相互調整は、安心できるセラピストと安定的な関係性を築いてお互いが安全な形で頼れるようになる愛着システムの獲得的なこと。
自動調整は、自律神経系の調整力で、信頼できるセラピストと例えばマインドフルネスとかグラウンディングとか自分の身体性への気づきを高めていく的なこと。
もちろん、心理教育的な事前案内は常にしますよ。
で、ある程度の安定性を獲得したら、②トラウマ反応の処理に向かう訳ですが、処理方法は治療法によって様々です。センサリーモーター・セラピーでは「未完の行動の完結」させることをするみたいですね。
例えば、ある人との場面想起で、本当は逃げ出したかったけど逃げることが出来なかったら、そんな時に起こる身体的反応、脚が緊張して固まるとか、そんな感覚運動を俯瞰的に認知的に把握して、とは言っても情動的には揺れ動きますから信頼するセラピストとの相互調整で落ち着かせてもらいながら、本当は逃げたかった「行動」を実際にやってもらって、身体的に閉じ込めていたエネルギーを解放する。
本当にざっくりですが、そんな感じ。上記のトラウマ体験の例は文字通り「未完の逃避行動」ですが、「イヤ」「やめて」という拒否が出来なかったというのも「行動」と捉えられるので、実際に声に出して気持ちと行動を一致させて統合させるなんてこともあります。
喪失体験を扱うセラピーで故人に言いたかった言葉を実際に言葉に出して言うなんていうのは「未完の感情の完結」とも言えるかもしれないし、そもそも声に出すことを「行動」と捉えれば身体的完結とも言えるかもしれません。きっと手紙に書くだけじゃなくて、実際に声帯を震わせて音として出すというエネルギー発散は必要なので、やっぱり身体的完結、身体的エネルギーの解放かなと思います。
そうやって、身体ー感情ー認識、感覚運動ー情動ー認知はそれぞれが影響し合いますし、そのような三位が一致する、統合される喜びや心地よさが、
「身体的、精神的なやり方を変容させます。今の生活において、反応する方法(認知的、情動的、身体的に)や、将来を心に描く方法も変容させます」
と言う事なんですよね。これ、LSWと関連ない訳ないですよね。
逆に、過去より未来を先に志向するアプローチもあります。例えば、養護施設等で行われているCCP(キャリアカウンセリングプログラム)であるとか、面接技法のSFA(ソリューションフォーカストアプローチ)やAD(未来語りのダイアローグ)とか。
やはり、その過程でも「ポジティブな未来が想像できない」と言って過去のネガティブイメージに戻っていくことは珍しくなくて、トラウマ治療において、身体志向のボトムアップと認知志向のトップダウンアプローチを組み合わせるように、「過去ー現在ー未来」の連続性を扱うものは、過去志向と未来志向を組み合わせながら、その人に合ったものを提供していくことになるんだろうと思います。
振り子のように、行ったり来たり、また戻ったりしながら、揺れながら落ち着きどころを見つけていくんですよね。
なんて色々書くと、LSWの敷居がメチャクチャあがって、誰も手をつけたがらなくなると言う草創期と似た状況が起こりそうな気もしますが、それだけ難しいことを扱おうとしているというのは逃れられない現実なんだろうとも思います。
知れば知るほど難しさを実感すると言うか、どこまで行っても完璧な支援などなく必ずもっと何かはできたはず、と思える奥深さ。
だからこそ、一人で抱え込まず色んな人と相談して知恵を出し合って進むチームアプローチ、それもLSWの難しさでもあり醍醐味でもあるかなと思います。
ホント語り出すと切りがないですね。
まさに沼。
でも、そんな奥深さが、社会的養護の子どもたちが感じている世界について、あれやこれやと考えるキッカケにもなっています。
また僕自身LSWを通じて各地の色んな方との出会いや繋がりを持てたし、成長できているは間違いないです。
そんなプロセスの一部をまたblogを通じて、皆さんと共有できたらと思っています。
今後もお付き合いよろしくお願いします。
ではでは。