LSWのちょっとかゆいところに手が届く「まごのてblog」

静岡LSW勉強会の管理人によるコラム集

【第126回】トラウマを抱える児童のLSW(中編)

こんにちは。管理人です。

 


前回の続き「トラウマを抱える児童のLSW(中編)」。

 


実は全体像を描かぬまま、たぶんあと一回じゃ話は終わらないだろうと、なんとなくの据え置き中編です(苦笑)

 


前回は、LSWで過去を扱う際に、トラウマを思い出すトリガー(きっかけ)となる刺激を意図的に避けるような質問をして、喪失体験(グリーフ)に焦点化しましょう、という話しをしました。

 


これは基本的に、トラウマインフォームドケアの考え方と同じです。現実生活において、トリガー刺激を避けるように生活する。これは、フラッシュバックが起きているだろう児童への対応とすれば、ごくごく自然な流れかと思います。

 


これを、過去を振り返る、という行為において同様にすればいい、ということ。

 

 

「いやいや、過去を振り返ったら過去の嫌な事に触れちゃうかもしれないじゃないですか」と思われる方も多いと思います。LSWが避けられる理由は、概ねこのあたりの不安によるところが大きいので、珍しいことではありません。

 

 

 

大は小を兼ねる、と言いますが、小を避けるために大を避けるという考え方。間違ってはないと思います。

 

 

 

身体的なことに例えて言えば、急に倒れた人や大怪我をした人に対して、素人が下手に動かしてはいけない、せめて声かけでの励ましはするものの、救急隊員が来るまで安静にしておく、というのは感覚的な判断。

 


外側から目に見えて起きていることを把握できないので、仮に肋骨が折れていたりすると、変に動かすことで内臓を傷つけて二次受傷的な致命傷を負うかもしれません。

 


その辺の判断は、素人では全然わからないので、とても手出しできない。

 

トラウマを抱えた児童へのLSWは、この状態に近いと言えるかもしれません。

 

 

 

外側からハッキリとした心の傷の程度や箇所はわからない。でも、何か地雷的なものがどこかにあることだけはわかっている。確かに、そんな状態で手を出したくはありませんね。

 

 

 

じゃあ、何をするかと言うと、それがトラウマについての「アセスメント」です。

 


アセスメントとは、客観的な評価と日本語では訳されますが、児童福祉領域で言えば、過去から現在の流れの中で現在起きていることを把握することです。

 


トラウマの例で言えば、どのようなトラウマ体験を、どのような頻度で経験し、どの程度のケアを受けていて、どれくらいのダメージが蓄積されており、どの程度いまの生活に影響が出ているのか、と言ったことです。

 


まぁ、当たり前と言えば当たり前のことなんですが、日常生活において豹変的にキレる、感情コントロールがおぼつかない等といった現れが児童にある時、「どう暴力を止めるか」という対応ばかりが焦点化され、上のような背景要因、トラウマ体験の情報整理は意外と抜け落ちていることが多いです。

 


今までこういうことが起きているから、きっとこんな事が起きているのではないかという予測です。

 

 

 

「現象」→「アセスメント」→「対応」

 

 

 

この真ん中が抜けて、事が起きてどうしようどうしよう、の絆創膏貼りが繰り返される。そうすると、どうして上手くいったのか、どうして上手くいかなかったのかがわからないまま、経験として次に何も活かされない。

 


実は「発達障害」の理解は世間的に随分進みましたから、この枠組みでの話しが普通にされるんですが(しばしラベリングという別の問題は起きますが)、トラウマに関する共通理解はまだまだ低いと思います。

 


こどもの「落ち着きがない」状態があったとしても、落ち着かないがない=ADHDと単純なものではなくて、アタッチメントやトラウマの影響の可能性もありますから、生育歴や現在の環境を丁寧に確認しますね。

 


これも、過去から現在の流れと、遺伝的要因と環境的要因の影響を見極める「アセスメント」を行なっていると言えます。

 


なので、現代の社会的養護に関わる支援者は職種に関わらず「トラウマ」の基礎知識は必要になってきてしまったんだと思います。トラウマの基礎的な知識がないと、何を確認した方がいいかもわからないですから。

 


ちなみに、トラウマの知識と言っても「治療法」を身につけなくてはいけないわけではありません。治療=cureと手当て=careの違い。トラウマ治療は研修で専門技術を学んだ専門家が行うことかもしれませんが、トラウマケアは日常的に関わる人すべてができます。

 

 

 

 


そして対応は、アセスメントに基づいて考えられるもので、未来の予測(今後こうなるだろうから、こんな支援をしたら、こう変化するだろう)をすることを「見立て」と言いますね。

 


なので、「このケースのアセスメントはどうなってる?」「見立ては?」という会話は、

 


「過去〜現在の流れはどうなってる?」

「じゃあ今後の未来はどうなりそうだ?」

 


という内容に変換できるかと。

 

 

 

話題を戻すと、LSWって、子どもの中で「過去〜現在〜未来」がぶつ切りでつながっていない、その連続性をつなげる支援を、という文脈で検討されることが多いと思うんです。

 


じゃあ支援する大人は、ぶつ切りになっている子どもの「過去〜現在〜未来」の人生をどれくらい分かってる? ということです。

 


その人生の過酷さがどれくらいのものであったと査定して、どのような支援が必要と想定しているか。

 


虐待を受けたきた児童は、刹那的に現在を生きている、すぐ先のことなんて考えずに、と言うのは現場で支援をしている方は何度も見聞きしている事だと思います。

 


その子たちは、今までの人生をサバイバルしてきた過程で、そうすることが一番適応的な方法だったから、そうしているだけのこと。

 


昨日や明日のことを考えていたら、身が持たないし、その事に何のメリットもなかった人生であり、人間の生存本能、防衛反応として本人の意思や意向とは関係なしにそのように生きてきた、ということ。

 

 

 

これは前回取り扱った「喪失」にも同じ事が言えますね。転居や離婚といった一言で説明される出来事の前後で、子ども視点では、好きだった親や親しい友達との突然の別れ、新しい環境への適応、もしかすると新しい親のパートナーとの生活の始まり、それに伴う感情抑圧などなど様々な出来事と内的体験が起きているはずです。

 


そのひとつひとつが、その人の人生にどのような影響を与えているのか、ケアの必要性はどうなのかを、まずは支援者が子どもの体験や気持ちに想い馳せながら想像してみること。LSW実施の前に行わなくてはいけないことは、そのアセスメントの作業です。

 

 

 

そろそろ長くなってきたので、いったん切りにしましょう。やはり話しは全然終わりませんね。

 


今回言いたいことは、子どもに人生を振り返らせる前に、支援する大人がしっかりと子どもの人生を振り返りましょう、ということ。

 


もちろん全てのことが事前把握できるわけではありませんが、考えられることは可能な限り考えておきましょう。

 


その確認事項の1つが「トラウマ」、

 


と言う感じでしょうか。

 

 

次回は、子ども視点でトラウマについて、もう少しツッコミます。

 

 

ではでは。