【第88回】ベビザらスで見つけた「男の育児」
メンバーの皆さま
こんにちは。管理人です。
この前の日曜日、はじめて「ベビザらス」に行きました。 1歳3ヶ月の息子を連れて。
「ベビザらス」は、その名の通り「トイザらス」の赤ちゃん版・ 拡張版って感じで、普通のトイザらスのフロアに併設されている、 オムツとかベビーカーとかアンパンマンラーメンという謎のメニュ ー(笑)とか、とにかく0歳以降の乳幼児用品なら何でも揃うぜ! 的な感じのお店です。
オモチャ屋さんなんて何年振り?いや何十年振り? 最後に行ったの何歳と時かな? というくらい久しぶりだったのですが、
いや〜、面白かったです!
最新のオモチャとか幼児イスとか、こんな感じになってるのかと。 シーズン推しの家庭用プールなんて、 屋根付きの家みたいなやつとかスベリ台付きのやつとか、 知らないうちにビニールプールがめちゃめちゃ進化してる。
やはり実物を見て、触って、感じると全然違いますね。
実際にそんなプールは大きすぎるので買わないんですけど、 想像しただけでワクワク楽しい気持ちになりましたし。
そして、気を付けないといけないのは、 実際に足を運ぶって渋滞とかあるし面倒くさいんですけど、 ネットやTVで生活が便利になる世界で生きていると、この様な「 五感」を使って感じる場は、 どんどん減っていってしまいますよね。
なんて思ってたら、 出口付近で面白そうなフリーペーパーを見つけたので、 本題はソレから。
「村田諒太選手」好きなんですよね。フリーマガジンだし、 ついつい手に取ってしまいました。
雑誌の8〜9割は抱っこ紐とかベビーカーの宣伝なんですけど、 合間合間に入っているインタビュー記事がなかなか面白い。
今回は紹介する記事は、この3つ(タイトルは管理人アレンジ)。
①村田諒太のコーチ体験と子育て観
②育休リアル語り人「うがえり」さん
③子どもとの対話とアクティブラーニング
話題を欲張って3つも書くもんだから、 少々長くなってしまいました。時間がある時に眺めてください。
■村田諒太(プロボクサー)
「子供の夢に親の口出し無用」
で、 現役引退後も母校の東洋大学の大学職員をしながら大学ボクシング 部のコーチを続けるわけなんですけど、 2009年に不祥事で部が活動停止になったと。 今のレスリングやアメフトみたいな報道のはされてないですけど、 そうだったようです。
その時、 自分でやると決めてボクシングをやっている子は大学外で練習でき る道をなんとか探したと。一方、親にやらされていたり、 親の口出しが多い子はチャンスとばかりに「部を辞めよう」 としたと。
そういう子が何か失敗した時の言い訳は、
「俺はこんな人生を歩みたくなかった」
ですからね、と。
そんな経験もあり、村田選手は子育てにおいて、
・物事を嫌いならないようにサポートすること
・親が子どもの世界に入り過ぎないようにすること
この2つは常に意識している、と。
これはLSW的にかなり考えさせられる話しですよね。
そして、この不祥事を機に現役復帰した村田選手にとっても「 自身の在り方」 について深く考えさせられる出来事だったのではないでしょうか。
その後の金メダル獲得、プロ転向、 世界チャンピオンと駆け上がる村田選手の活躍は皆さん、 ご存知の通りですが、 数々のインタビューで見られる自分を飾らない姿勢、 自分の弱さを隠さずに向き合う姿勢、 ブレないメンタルの一端を垣間見たインタビューでした。
次に紹介するのは、この人。
■魚返洋平(電通コピーライター)
「うがえり」さん、と読むそうです。珍しい苗字ですよね。 あの過労死ニュースで記憶に新しい広告会社「電通」 のコピーライターさんで、「育休リアル語り人」として、 半年間の育児休業についてのこんなコラムを連載されている方です 。
電通報「男コピーライター、育休を取る。」
雑誌はこのコラムの短縮版・ ダイジェスト版という感じでなんですが、 さすがコピーライターだけあって言葉遣いがキャッチーで面白い。
例えば、「いきなり結論!」と吹き出しがついたタイトル
『育児は当たり前にできない!
夫婦ですることでより絆が深まる』
が一番に目に付くところあって、0〜 3ヶ月の育児のリアル24時間の細切れタイムスケジュールが表に してあったり、想定外の反射的な対応に追われてばかり「き、 キツすぎる…」 と無力感にさいなまれる日々がセキララに綴られています。
そんな過酷さの中、夫婦で同じ景色を見られたことで、 部活でハードな練習を共に耐えたような強い仲間意識や絆がうまれ 、感覚を共有できる夫婦の共通言語がたくさんできた、と。
これってリアルな生活場面での「プロセスの共有」や「 共に変化にすること」についてのわかりやすい例だと思います。 対話は言葉のやりとりだけではなくて、 非言語のやりとりや体験の共有によって深まることの実例かと思い ます。
内容もさる事ながら、その表現力や言葉選び、 HPのデザインといった「見せる工夫・伝える工夫」 も非常に勉強になるなと思いました。
最後は、この人。
■宝槻泰伸(探求学舎代表)
「対話とは、未来のビジョンを一緒につくっていくプロセス」
「対話」「ビジョン」「プロセス」という言葉は、 この数年の僕のテーマ的なワードなので「お⁉︎」 となるわけです。
下の宣伝で、
〜FQ JAPAN雑誌版(500円)では、夢を見つける力の大切さや、 話題の「アクティブラーニング」について特集。 目からウロコの宝槻先生のインタビューは必見!
と書いてあるんですけど、貧乏性で500円が惜しいので、 ネットに上がっている別の対談を読ませていただきました。
【宝槻泰伸×矢萩邦彦】対談1「これからの教育を考える」~ 興味開発で想像力を育む探究型学習の可能性
最近コラムでも取り上げている「アクティブラーニング」は、 2020年に変わる学習指導要領の軸の1つになっていると思いま すが、そもそも「アクティブラーニングって何?」 という根本的な疑問について議論を深める対談になってます。
で、読み進めていくと、LSW的に「おやおや〜?」 と言う内容のオンパレードなんです。
インタビューの一部を抜粋すると、こんな感じ。
〜要は子どもに自分の人生を自分で決めて欲しいと思っているし、 自分の好きなことを見つけてチャレンジして欲しい
〜 好きなこと見つけてチャレンジするっていう子どもの将来に寄り添 おうとしたら、能力だけじゃ無理で、 その能力を何に使いたいかっていう、 自分がやりたいことを見つけるってプロセスが必要
〜つまり自分が何を知りたいのか、 何をやってみたいのかっていう興味の的を一緒に考えてあげる。 今まででいうと進路創造みたいな感じですね。そういう役割・ 機能をこれからの教育って持つ必要があると思ってるんです
〜自分が何者なのかをまず知ることが大事。「何がやりたいの?」 「分かりません」っていう子が多いんですよね。
〜まず何を学んでもらいたいかというと、「自分を知る」 ということと、「他者を理解する」ということ。話を聞いて、 理解して、共感して、「仲間を増やしていく」ということ。 その力が今後すごく大事になって行くだろうと思っているんですね 。
〜やっぱり「ワクワク」ってキーワードはすごく大事で、 学校がつまんないとか塾がつまんない子って、 すごくいっぱいいるわけじゃないですか。 それはすごく残念なことで、なんでつまんないのかっていうと、 絶対に教えてる方が面白くないと思ってることを教えてるんですよ 。
〜面白いドラマやストーリーっていうのを見つけてきて、 それを子どもたちにシェアするっていう。「どう、コレ。 ヤバくない?」みたいな。要するに映画見たときに、 興奮して友達に語りかけるような、 あんな感覚で自分は授業している。
あれ?
これってLSWで良く議論に上がるような、
「肯定的な未来の想像」
「自分とは何者か」
「アイデンティティの確立」
「ストーリーをシェアする」
「対話を通して関係を作る」
という話題とほぼほぼ重なってますよね。
このインタビューでは、 これまでの紋切り型の進路指導をバッサリ切っていますが、 これは決して笑えない話しで、 社会的養護における自立支援でも同じことが起こっていると思うん ですよね。
もうこうするしかないから、これで頑張れみたいな。 確かに現実はそうかもしれないけど、そこに至るまでに、 本人の自己理解や状況理解を深めて「未来のビジョン」 を共に創りあげる対話がどれほどなされてきたきたのか。
その選択・決断に至るまでの気持ちの整理、 意思決定のプロセス次第で、 その後の生活で本人が主観的に描くストーリーはまるで別物になる はず。ここまでやったなら、 そこまでやってくれたのなら仕方がないと、[過去〜 現在のプロセス]に気持ちに区切りがついて[未来] に気持ちが向けられるのか。
そして、それは「生き方」「在り方」を考えることだから、 1つの正解があるわけではないし、 答えのない不確実なものに耐えながら対話を続けることでしか自分 の納得する区切りの付け方や着地点は見えてこないと思います。
「アクティブラーニング」って、 1つ間違えると実習系の授業を増やして「あとは各々で感じろ!」 的な丸投げになる危険性も僕はあると思っています。アクティブ= 能動的ということなんでしょうけど、宝槻氏のいう「興味開発」 はされずに「興味を持つか持たないかは、あなた次第です!」 なんてことになりかねない。
そして、興味をそそるようなアプローチがあって、 その体験の後に「どう感じた?どう思う?」 という対話のやりとりを通じて自己理解や他者理解を深める作業が あって、はじめて深みが出るものだと個人的には思うし、 そうなると大人には対話を進める技術が求められるわけです。
議論や討論ではなく「対話」です。何か正しいとか、 誰が勝つ負けるではなくて、多様な価値観に気づいて認めて、 受け止め咀嚼する体験です。
こう言うような[興味を惹く力]+[聞く力」+[質問力]+[ ファシリテーション力]が、 LSWの支援者には必要だと思っていますし、 学校の先生はコレを子ども集団に対して一人でやることを求められ るわけですから、これは大変だと思います。
もちろん今までも対話を大切にしてくれている現場の先生はたくさ んいますけれど、 これまでの教育課程を受けてきた大人側のマインドと体制がいかに 変われるのか。 子どもよりも大人側が変われるかが問われていると思います。
教育界では、トップダウンで子どもも大人も一緒に変わって創り上げる対話プロセスの重要性が 打ち出されて、2020年に変革の年を迎えます。
医療では「オープンダイアローグ」が黒船のようにやってきて、服薬中心の医療にメスを入れるようなボトムアップの普及活動がじわじわ始まっています。
障害福祉では、当事者の自己決定、 意思決定が盛んに言われるようになってきています。
さて、児童福祉、社会的養護では、今後どんな文脈で「対話」 の重要性が共有されていくのでしょうか。
ニュースで取り上げられている東京の死亡事例を受けて、 さらなる虐待対応の強化、警察や他自治体との連携強化、 受け皿となる里親・施設の強化が、もともと「新しい養育ビジョン」で言われていたことを、総理から改めて打ち出され加速しそうな様相となっています。
その強化は、単なる虐待の事後対応の「取り締まり」「指導」 強化のみ方向性だけで語られるのではなく、 虐待しなくてもいい家族支援、子育て支援、 自立支援につながる十分な「相談」「支援」「対話」 ができる体制への強化につながって欲しいなと陰ながら思っています。
ではでは。