LSWのちょっとかゆいところに手が届く「まごのてblog」

静岡LSW勉強会の管理人によるコラム集

【第107回】支援者の健康と安全からはじまる子どものケア

メンバーの皆さま


ご無沙汰してます。管理人です。


ブログ更新も滞っていましたが、公認心理士試験も終わり、ようやくひと段落しました。


さすがに第2回公認心理士試験にも「ライフストーリーワーク」は出ませんでしたが、出題問題はなんとなく児童虐待やトラウマ・神経系が多かった気がしまして、世の中(問題作成者?)の関心を掴むいい経験になりました。


と言うことで、ブログ更新もがんばるぞー!と言いたところですが、この蒸し暑さとこの半年程の忙しさで少しバテ気味


今年度のバタツキ感はなんとなく例年と質が違う気がします。ニュース報道の影響なのか、令和とはそういう時代なのか、働き方改革がそうさせているのか、よくわからないですれど


試験のせいではないことが、試験が終わって分かりました(苦笑)


全体的に疲弊感が漂っているというか、やる気や活気、エネルギーが湧いてこないというか、忙しすぎて頭がスッキリ働かない感じというか、もやっとした嫌な感覚にハマりつつある感じがします。



そんなようにお疲れ気味な支援者の方がいれば、支援者こそ積極的にセルフケアが必要ですよ、という話題を今回以降のコラムでは取り上げたいと思います。


具体的にはトラウマインフォームド・ケアについて。今まで取り上げたくて、なかなか手が出せていなかったトピックなんですが、一回ではとても扱え切れないので、小刻みに何回かに分けて取り上げます。



百聞は一見にしかず、まずは参考サイトの紹介。


「性的搾取からの子どもの安全」サイト

http://csh-lab.com/3sc/document/



この研究サイトのページでは、トラウマインフォームド・ケアのリーフレット・資料が紹介されています。[支援者向け][子ども向け]とそれぞれあるんですが、内容がまた秀逸なんです。


トラウマインフォームド・ケアとは、このサイトの言葉を借りると「トラウマとその影響を理解しながらの支援」。


ちなみに、これは[支援者向け]リーフレット表紙ですが、

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「トラウマとその影響を理解しながらの支援」とは、相談者のトラウマを専門的に治療をすることではなくてですね。


トラウマを抱える人に関わった時、支援者自身に起こる影響についての知識を持っておくことが、防護服を着るように支援者自身や周りの人を守ることにつながりますよ、という意味での理解。


「あ、これってトラウマの影響かも」ってセルフモニタリングできることが、自分を積極的にケアして良い状態を維持することにつながり、また良い支援が提供できる、という循環を生みます。


逆にいうと、虐待ケースの保護者や子どもの支援って、支援者自身が「こころのケガ」をしてしまうことがある程度避けられない危険業務なので、常にケアし続けないと、どんどんこころが痛んできます。



例えば、虐待ケースの対応って、いきなり罵声を浴びせてきたり、イライラを爆発させてくることって珍しいことではありませんよね


そんな対応ばかり続くと、支援者だって人間なので怒れて当然だし、「あの人に関わりたくないな」「連絡とりたくないな」という思うのは当たり前の反応です。


しかし、そのような大変さへの労いや共感もなしに、「あなたが悪い」「よくある事だから」「そういう経験も必要」と我慢を強いられたり、周りから放っておかれることって、割と起こりがちだと思います。


そうやって「こころのケガ」が放置されていくと、支援者自身がイライラしやすく切れやすくなったり、被害的に受け取りやすくなったりします。また、どんどん自信がなくなって、また何か責められるんじゃないかと周囲に相談できずに孤立し、一人で大変さを抱えやすくなります。


この悪循環サイクルは、虐待を受けて適切なケアがされてこなかった子どもたち、また虐待を受けながら年齢を重ねて親になった大人が体験している事そのものなのですが、支援者自身が虐待ケース対応をすればする程、相手が経験してきた気持ちや精神状態を再体験するようなことが起きます。


すると「ミイラ取りがミイラになる」ように、相手を支援に行ったつもりが、支援者自身が傷ついてトラウマを受けて帰ってきて、その傷が癒されないと、知らず知らずのうちに支援者自身が周囲の人(同僚や家族)を傷つけてしまう側になっているなんてことは珍しくないんですよね。


児童虐待ケースで言えば、

「親子関係」「支援関係」「職場関係」

こんな感じで次から次へとトラウマ関係の再演が起こっていきます


この関係性の連鎖は「並行プロセス」と呼ばれているものですが、こんなことがよく起きることを各々が理解して気をつけておかないと、あっという間に殺伐とした雰囲気が職場に蔓延しちゃいます。


さらには、関係機関同士で責め合いになって連携が上手くいかない場合も、そのような「並行プロセス」が起こっている事って結構あると思います。トラウマ関係の再演で、みんな再トラウマ受けちゃうみたいな。



じゃあ、どうすればいいかということのヒントがトラウマインフォームド・ケア。僕の理解では、


「こころが傷ついていることに皆んなで気づき」

「傷口をさらに広げるような再被害を減らして」

「傷が浅く、傷が新しいうちにケアし合う」


負ってしまったケガに対しての、適切な早期ケアを行うための共通理解、基礎知識なんて感じかなと思っています。



あえて、「足首のねんざ」で例えると、


歩いて足をくじいたり、スポーツをしていて足首がグキッとねんざした後って、足首がジンジンして腫れてきます。(症状の理解)


そんな時は、まず患部を冷やしたり湿布を貼ったり、固定してなるべく動かさないでおく、みたいな応急処置ってほとんどの人が知っているし、実行してますよね。(早期ケアの理解)


それでも痛みが引かなければ、病院に行ってレントゲン撮って、骨折に異常がないのか、サポーターやリハビリが必要なのか等々、さらに個別的な症状に合わせたケアや再発予防策を検討することになります。(相談先の理解)


こんな感じで、

①自分に何が起こっていて、

②応急処置はどうすればいいか、

③それ以上ケアが必要な場合はどういう時か、

④それをどこに相談すればいいか、


について事前に知って見通しが立っているかどうかは、いざケガをした時に慌てず冷静に対応できる具合を随分と左右しますよね。


また足首のねんざに限らず、ケガを負った時に適切な「早期ケア」がなされるか否かによって、完治までの期間が長引くか、古傷が痛む的な後遺症が残ってしまうかは、「からだのケガ」も「こころのケガ」も同じかなと。


仮に虐待を受けていたとしても、その時に守ってくれる人がそばにいたのか、ただただ一人で我慢するしかなかったのかのフォロー状況の違いによって、先々の影響はだいぶ変わってくるんですよね。


虐待を受けた人が、虐待を世代間連鎖で行なってしまう割合は約3割と言われていて、昔それを聞いた時は「7割もの人が連鎖を断ち切れるんだ」と驚いたのを覚えています。


色々な要素はあるのでしょうが、きっと虐待を受けたとしても、その時にフォローしてくれたり、理解して支えてくれた人がいた、ということが大きいのではないでしょうか。


確かに、虐待の通告件数はうなぎ登りですが、一度言えば、気をつけて再虐待をしない保護者の割合の方が圧倒的に多いのは事実。


逆に言えば、わかっていても止められない、虐待の連鎖を繰り返してしまう3割の方々は、自分のこころやからだが傷ついても、フォローもされず、ただただ自分が頑張ってサバイバルするしかなかったって、そういうことをお話しされる方たくさんおられます。「自分が子どもの時は誰も助けてくれなかった」と。


傷は古く、重なり、もはや何の傷だかわからないような状態。本当は痛んでいるけど、なんなら変形しちゃってるけど「もう慣れちゃって痛みは感じなくなりました」という状態です。


そこまでいってしまうとかなり専門的な治療が必要になっちゃいますが、本来はそうなってしまわないように、傷ついた時は早めに手当てして早めに治しましょうというサイクルにしたいですよね。


もちろん重症化するまで支援につながらない人が一定数いるのは現実としてあるんですけど、予防的にそういう人を減らす取り組み、そして重症化した人をケアする人が重症化しないようにする取り組み、それがトラウマインフォームド・ケアが言わんとするところではないかな、と思っています。


まさに「支援の土台づくり」ですよね。



これ以上の再トラウマを防ぐ手立てとして、支援のいいサイクルを作っていくために、リーフレットの副題である


支援者の健康と安全からはじまる子どものケア


忘れないでおきたいコトバだなと思いました。



ではでは。