LSWのちょっとかゆいところに手が届く「まごのてblog」

静岡LSW勉強会の管理人によるコラム集

【第68回】喪失体験と「もしもしコーナー」

メンバーの皆さま
 
こんにちは。管理人です。
 
いや〜、宮崎県はいいところでした。気候が暖かいと、人柄も温かくなるんですかね。
 
みんな親切。
 
「人とのつながり」を大切にする県民性は、空港にも滲み出ていて、
ちょっと分かりにくいですけど、ガラスの手前と奥にそれぞれ内線の電話機📞がついてるんです。

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で、荷物検査ゲートを通った後に、出発する人とお見送りする人とが、お別れ前の最後の会話ができるシステム。
 
この数々の宮崎県民の別れの涙が流れてきた「もしもしコーナー」は、今のように携帯電話が普及する、ずーっと前からあるんですって。
 
披露宴もそうでしたけど、嬉しいこと楽しいことも、苦しいこと悲しいことも、正直な気持ちを伝えることを大切にしたり、その気持ちを皆の優しさ温かさで包み込むような地域性や県民性に触れられた週末でした。
 
 
前回コラムでは、行きの飛行機で見た阿部寛のインタビュー記事に触れて「他の俳優さんの話も気になるなぁ」と書きましたが、今回コラムはそんな宮崎タイムを満喫していた時に、ネット上で話題になっていた俳優さんの話しを。
 
2/16放送、中居くんの金スマのゲスト
保阪尚希」さんです。
 
ちょっと若い世代の方はあんまり俳優イメージないかもしれないですが、僕の中では「速見もこみちが出る前の元祖料理がうまいイケメン俳優。90年代は人気ドラマに出演してましたよね。「家なき子」とか「サラリーマン金太郎」とか。
 
確かに、その当時から、中学生からイタ飯屋でバイトして料理を身につけたとか、「僕には怖いものはない」と言ってお化け屋敷に入っても瞬き1つせず瞳孔も開きっぱなしで何が起こってもまるで動じないみたいな紹介された番組を記憶しています。
 
しかも、今回初めて知りましたが、僕が住んでる静岡県静岡市出身なんですね。出身の小中学校も静岡駅からすぐそこ。なんだか勝手に親近感が湧いてきます。
 
金スマで紹介された通り、現在、保阪尚希氏は通販王として、現在はコンサルタント業や「保坂流」という会社も立ち上げて、健康につながる商品開発なんかにも携わっていると。http://www.hosakaryu.com/SHOP/freepage.php?id=1
 
で、ネットで話題になっているのが保阪流HPでも触れられている保阪尚希氏の生い立ち。
 
 
要約すると…、
 
サラリーマンの父親、主婦の母親、4歳下の妹、祖母の5人家族。「すごい教育ママ」のもと、英語・ピアノ・エレクトーン・そろばん・習字・器械体操など多くの習い事をしながら幸せな幼少期を暮らしていた
 
しかし、7歳の誕生日の2日後、なぜか父親から「今日はおばあちゃんの所で寝なさい」と言われ、両親と同じ2階の寝室ではなく1階の祖母の部屋で寝る。翌朝、目が覚めると、玄関に「同じ革靴がぶわーっと」あって刑事ドラマの世界で、祖母が警官が質問攻めにあっててて、訳もわからず親戚に連れていかれたと。
 
で、親戚の家で付いていたTVニュースに自分の家が映っている。夫婦で無理心中か、と。当時「心中」という言葉は知らなかったが、そこで何が起こったかは理解したと。
 
保坂氏は、当時について、
「何も分からない。急すぎて。(当初の)記憶がないんです」
「割となんでも覚えている方だけど、記憶を消したのか覚えてないのか、そこだけ記憶が断片的なんです」
 
と。その後、祖母との3人暮らしが始まり、極力、祖母に迷惑をかけまいと、料理、家事を自分でしていたが、両親の死から2年後、9歳の時に祖母が脳いっ血で倒れ、半身不随に。
 
で、いち早く駆けつけた叔母が発した言葉は、あんたが迷惑かけるからよ」と。この時、9歳のナオキ少年は「1日でも早く自立する、1円でも稼ぐ仕事をする」と誓い、当時小学生ながら色んなビジネスで貯金をため、中学卒業時に家を出て上京した…
 
 
と言う話しです。
 
 
 
で、ネット上では「生い立ちが壮絶すぎ」「能力が優秀すぎ」「叔母さん酷すぎ」とか、頑張って下さいという励ましのコメント、自分は普通の家庭で育ったんだと言う気づきのコメントが多数寄せられています。
 
あんまり有名人のことを断片的な情報からの推測でアレコレ書くのは良くないと思いますし、誤解の無いように今回この話しをあえて取り上げた理由を単刀直入に言います。
 
それは「喪失、悲嘆に対する一般的な反応」過酷な過去があった人が現在、活躍している」ことの2点です。
 
まず「急すぎて。記憶がないです」と言う台詞。まさに長いあいだ施設入所している子が、成長した後に当時を振り返って同じように語ってくれることが時々あります。
 
一時保護や施設入所理由について、大人は〇〇と伝えましたなんて言って、子どもも理由を尋ねられれば一応そのセリフ通り言うもんだから、状況は理解できてるんだろうと周囲の大人が思い込んでいることって多いと思います。
 
ただ、子どもからしたら寝耳に水の話しです。その言葉を本当の意味で理解したり飲み込めているのか、そこに自分の感情は伴っているのか(受け止めきれないから感情を凍らせておくなんてこともよく起こる)は、よく観察して状態を見定めないといけない。これは本当に思います。
 
しかし、一般的には説明はおろか「まだ、あの年齢じゃ分からないから」と、大人にって都合の悪い事は、何も子どもに話さずに済ませることは珍しいことではありません。
 
確かに、何でも全て包み隠さず話せばいいってものではないですが、「気持ちを言語化できない」=「何かを感じたり何かを思ったり全くしてない」ではないハズです。子どもの理解力を侮ってはいけないと思います。驚く程、大人の様子を観察して色んなことを感じ取っています。
 
当たり前ですが、言葉にできることが、その人の内面の全てじゃないですよね。もしそうなら、赤ちゃんやペットは何も感じ取ったり考えたりしてないことになるし、それは身体障がいや知的障がいの方にも同じことが言えるし、誰だって自分の内面で湧き起こり感じていることを言葉に変換して相手に正確に伝えるのは、実はとても難しいことだと僕は思います。
 
自分の大切な人やあるはずのモノが、突然目の前から無くなり、その理由はよくわからないまま時が過ぎていく。それが以前から取り上げている「あいまいな喪失」です。その衝撃とモヤモヤをずっと放って置かれて癒されなければ、シコリになって残っていきます。
 
なので、児童福祉に携わる人は、一時保護や施設入所、措置変更が起こる際、その前後に何度も重ねて状況説明をしたり、子どもの疑問や思っている気持ちを受け止めるフォローが必要なハズです。慣れ親しんだ家・地域・家族から離れて新しい所で暮らすことは「安全な場所に避難できたね良かったね」なんて単純な話しではありません。
 
 
そして、もちろん番組はナオキ少年視点で作られているので、一般の人がネット上で「なんて叔母さん酷い」となるのは仕方ありません。ただ、対人援助職として関わるなら、事態を家族システム全体として俯瞰的に一歩引いて捉えなくてはいけない。
 
冷静に考えてください。叔母さん視点に立てば、2年前に実のきょうだいを自死で亡くした「自死遺族」の当事者です。実際のところはわかりませんが、衝撃の大きさ、寂しさ、無力感、助けてあげられなかった自責の念を抱えながら生活を続ける遺族の方は本当に多いです。
 
そう言った心の整理がついていないかもしれない状況で、実の母親が倒れて半身麻痺になる。
「なぜ、こんな事になってしまうんだ」
「これからウチの家族はどうなってしまうんだ」
人間はそんなに強くありませんから、大人だって怒りや不安に押しつぶされそうになってしまうことがむしろ当たり前と思います。
 
だからと言って、その不安を親戚の子どもにブチまけていいと言うことにはもちろんなりませんが、叔母さんもケアされるべき存在であったという視点は必要かと思います。つまり、当事者に当事者のケアは難しいということ。
 
以前に、紹介した「喪失に関する神話」ですが、
   神話I    泣いてはいけない
   神話II   悲しみを置き換える
   神話III  一人で悲しみに浸れ
   神話Ⅳ 強くあれ
   神話Ⅴ  忙しくせよ
   神話Ⅵ 時間がすべてを癒す
 
まさに大人だから悲しい事があってもちゃんとして当たり前、乗り越えられて当たり前と、皆で気持ちや感情を抑圧する方向に突き進んでいくことは一般的によく起こります。
(参考【第5回】子どもの喪失によりそう 喪失体験の適切なサポート法③
 
 
さらに、祖母の視点に立てば、実の子どもが自分の家で自殺したと言う状況で、その後もそこに住み続けながら、3歳に満たない妹となおき少年の養育を担っていかないといけないという状況は、単に年齢的・経済的問題だけでなく、精神的にあまりに過酷です。
 
もしかしたら、おばあちゃんは、
「なぜ、息子(娘)は自殺しなければいけなかったのか」
「一緒に住んでいながら、なぜ気づいてあげられなかったんだ」
「私のせいで、死なせてしまったのではないか」
 
と悶々と考え、自責の念に駆られていたかもしれないし、そんな大人の姿を見た子どもが「自分のことは全て自分でしなきゃ」と思うのは無理はありません。
 
それで、祖母が倒れた時に、なおき少年は、
「僕がおばあちゃんに負担をかけたせいだ」
 
と思い、一刻も早い自立を決意したと金スマで紹介されていましたが、こう思うのは、決して叔母から言われたからだけでなく、家族全体で喪失体験が癒される機会がなく、自責と感情抑圧の連鎖が続いているようにしか僕には思えませんでした。
 
そして、このようなことは決して自死遺族だけではなく、親の離婚再婚、突然の転居が繰り返される家庭にあっても、
「お父さん(お母さん)はどこに行ったの?」
「なんで、お引越しをしないといけないの?」
というようなあいまいな喪失体験による感情抑圧の連鎖は、繰り返されているという事。
 
さらには、身体的虐待(殴る蹴る)まではなくても、自分を守ってくれるハズの実の親から、
「あんたなんか生まれて来なければよかったのに」
あんたさえ居なければみんな幸せなのに」
と存在を否定されながら暮らしている子どもが社会的養護に来ることは珍しいことではありません。
 
決してケアされるべきは、殴る蹴るだけの身体的ダメージだけではないことは明らかですよね。
 
 
また、さらに金スマでは取り上げられていないストーリーを補足すると、その後、保阪尚希氏は2007年から約1年間、芸能活動を続けながら出家します。
 
僕も当時のニュースを見て「どうした⁉︎保阪尚希と思った記憶があります。女優の高岡早紀と離婚した後でしたし、よく報道されていました。しかし、今になって、その理由に納得です。
 
それは、両親が死んだ理由を知るため。毎月、月命日になると静岡の両親の墓を訪れ手をあわせていたがその年は両親の33回忌で、仏教では33回忌が過ぎればどんな魂も天に召されるという教えがあるよう。
 
ずっと、その真実を知りたいと思っていたが、おばあちゃんにその理由を聞くことはおばあちゃんを悲しませると思い聞けなかった。だから出家して、両親と対話をすることでそのことを聞きたいと思った、と。
 
 
もちろん、LSWにも子どもの準備性がとても重要で、生い立ちや喪失の「真実」を子どもの時代に包み隠さず知ることが必ずしもプラスにならない(受け止めきれない)場合もあると思います。
 
しかし、施設入所する子で施設入所の理由がわからないために、「自分が悪いから」家族がいなくなった、捨てられたんだと思うことで、家族と離れて暮らす疑問に思う自分を納得させて、日々の生活を送っている子どもは実際にいます。
 
こんな状況下の子どもが、現在〜未来の自分を大切にしながら歩めるように、支援者として関わる大人は、いつどんな声をかけるべきなのか、それを考えるのが児童福祉に携わる支援者に求められるケアの1つ、専門性の1つだろうと思います。
 
そして、はっきり真実がわからないまでも、親や家族に直接聞いたり伝えることの出来ない気持ちを、少しでも受け止め橋渡しする役目、それが離れ離れになった家族に対してできるケアなんだろう、と。
 
 
そう思うと、普段やっている支援というのは、
宮崎空港「もしもしコーナー」の電話機のような気持ちを「つなぐ」役割なんだよなぁ、なんて思いながら飛行機に乗って帰ってきました。

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今日から仕事という「現実」に戻れるか不安です。
 
ではでは。