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静岡LSW勉強会の管理人によるコラム集

【第84回】愛着のコミュニケーション理論

メンバーの皆さま
 
こんにちは。管理人です。
 
前回コラムでは、東京都教育委員会による、
「乳幼児期からの子供の教育支援プロジェクト」
の[指導者向けスライド教材]のラインナップから、[愛着]をメインテーマとして扱っている
4.ふれあって、親子の絆を」
について紹介しました。
 
今回は取り上げたい3つのうちの後半ふたつ
(1)愛着行動の4段階 (p.6)
(2)人見知りと分離不安 p.7
(3)言葉の発達のすがた p.20
について見ていきます。
 
ちょっと長くなったので要点を先に言うと、
「愛着形成」「安心感の獲得」「言語の発達」そして「LSW」いずれにおいても非言語的な応答・コミュニケーションがベースになるということ。
 
あとは、その理由や説明がダラダラ書いてありますので、今回はそのつもりでお付き合いお願いします。
 
 
 

◆(2)人見知りと分離不安 ◆

 
次に資料から紹介するのは、Bower (1977)の
「愛着形成のコミュニケーション理論」です。
 
従来「人見知り」という現象は、他の人を見ることで母親のいないことを思い出すことで起こるとされてきました。言い換えると「母親がいる=快」だから「母親が離れる=快がなくなる」。それを予期する不安から派生したものが「人見知り」と思われてきたが、それを否定したのがBowerによる「愛着形成のコミュニケーション理論」ということ。
 
例えば、お母さんに抱かれた状態で他の大人を見た時、もしかしたら「ハイ」と渡されてしまうのではないか、それが従来考えられてきた人見知り。けど、1歳くらいの双子の赤ちゃんは、お母さんの代わりに世話をするハズのない双子の片割れにも人見知りするんだそう。また、分離不安の対象は、必ずしも身体的な世話をしてくれる人に限らず、しばしば乳児とよく遊んでくれる人であることも分かってきた、と。
 
つまり、分離不安は「母親限定」ではないと言うこと。乳児は生後1ヶ月頃には見知らぬ人と馴染みのある人を区別するようになり、生後7、8か月頃にはやりとりの機会の多い相手(たいてい母親であることが多い)と意思疎通のための「コミュニケーション・ルーティン(決まりきった手順)」を形成するんだと。
 
しかし、このルーティンは、その慣れた人にしか通じない“個人的な”砕けた言い方をすれば"内輪ネタ"ですから、見知らぬ人にはそれが通じず意思疎通ができない。そのように「人見知り」とは、馴染みのやり方(身振りや声)でわかってもらえない、“応じてもらえるはず”なの に応じてもらえない、期待が外れることが乳児に恐怖や不安を引き起こしている現象である、いうことなんです。
 
つまり、人見知りの源泉は「コミュニケーションの不成立」だから誰にでも通じる「言葉」を獲得すると分離不安は減っていくハズ、そう考えたバウワーが先行研究の知見を調べたところ、グラフように語彙が増えて文を話せるようになる2歳代で分離不安は減少し、5歳では分離不安がほとんどなくなることがわかった、と言うことなんですね。

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正直、今まで「人見知り」について、ここまで突き詰めて考えたことはなかったです。乳児は目新しい人を見て「何を」「どんな状況を」不安がっているか、ということです。この情報は目から鱗でした。
 
 
そして、
〜分離不安の対象は、必ずしも身体的な世話をしてくれる人に限らず、しばしば乳児とよく遊んでくれる人であることも分かってきた。
 
これは愛着対象は決して母親だけではないこと、「三歳児神話」の否定の理由になりますよね。乳児の些細な発信ニーズに合わせた応答ができれば、たとえ母親が働いていたって家族や集団養育の複数の担い手で健全な愛着形成は可能ということです。
 
また同時に、子どもにとっての「遊ぶこと」の重要性、愛着形成に果たすスゴさやパワーに改めて気づかされます。
 
 
それと、先日TVを観ていたら、人見知りの源泉である「コミュニケーションの不成立」「応じてもらえるはずなのに応じてもらえない」ことの恐怖や不安って、大人に例えたらこんな状況かもと言うものを見かけました。
 
それは日曜夜の「イッテQ」スペシャル番組。ANZEN漫才みやぞんがアメリカでお使いするみたいなコーナーで、スタッフからお題の紙が渡されて、全く英語を話せないみやぞんが、アメリカ現地の通行人とコミュニケーションして、お題の答えや目的地まで辿り着くというもの。
 
想像してみて下さい。もし自分が全く言葉が通じない外国に1人きりで放り込まれたら…。相当不安な状況ですよね。けど、言語獲得していない乳児が人見知りで示す、馴染みのやり方が通じなさそう、どうしよう、困ったといった不安感ってそんな感じかもしれないな、と。
 
けど、みやぞんは満遍の笑顔がスゴイから通行人にとりあえず話しを聞いてもらえるし、相当メチャクチャな英語なんですけど、想いが通じた時は本当に嬉しそうに感謝のリアクションをするんですよね。そうすると親切な人なんかは目的地まで案内してくれりなんかして、ありがとうみたいなコミュニケーションが成立している。
 
みやぞんが人気なのは、赤ちゃん的な無条件の可愛らしさピュアさ無垢さで、見てて癒される的な要素は大きいと思うんです。赤ちゃんがみんなに声かけられて可愛がられて、言葉通じないけど助けてもらっての感じって「あ、コレかも」と。
 
一寸先は闇みたいな本当に困り果てた状況で、誰かが助けてくれた時の嬉しさ、不安で重苦しい感じから解消された解放感、身がホッと軽くなったような安堵感や安心感って、なんとも言えない感覚がありますよね。
 
乳児は基本的生活の全てを大人に依存していますから、相手と意思疎通が取れないのは死活問題です。仮に大人で例えるなら、見知らぬ外国で一人きり、お金も持たず頼れる人もいない、飲み水やトイレの確保すらままならない、少し先の自分の行く末の見通しが全然立たない、そんな状況下の精神状態に近いのかもしれません。その不安感や焦燥感はハンパないですよね。
 
バウワーの調査によると、言葉や文法を獲得するに従って、子どもの「分離不安」が減っていくという事ですが、確かに、上記のような一人きりの状況であったとしても、その場所が英語も通じない外国であるのと、言葉が通じる日本であるのとでは「誰かに何とか助けてもらえるだろう」という希望的観測や見通しは全然違うと思います。
 
私たちは、いかに社会的動物であるか、いかに普段「言語によるコミュニケーション」に頼って生活しているかを再認識させられます。
 
日常生活ではあたかも「言葉だけ」でやりとりしているように思いがちですが、「非言語的」な身振り手振り、表情や視線の向き、目や口の形、声のリズム大きさトーン等々の情報を、五感をフルに使って受信して、相手の状況を総合的に判断しています。普段は無意識的に。
 
言葉が話せない赤ちゃんやペットとのコミュニケーション、そして海外に行った時だって、言葉が通じない相手にもカタコト単語と身振り手振りでなんとかコミュニケーションを取ろうとしますよね。
 
それは前回コラムで扱った愛着形成の発達プロセスで行われている言葉のやりとり以前の、非言語的なやり取りコミュニケーション。これが原始的な意思疎通の形ですし、この言語的ではなく五感による感覚的・音楽的コミュニケーションが、ゴリラとか類人猿・原始人もしているコミュニケーションの形。
 
「言葉」という便利なツールを身につけても、原点的なコミュニケーションは人間という生き物らしく成長する以上は必要なことなんです。しかしながらPCやスマホの普及は、画面上の文字・画像以外の情報(微妙な表情変化や声のトーンなど)はカットされますから、ホント文字通りのやりとりになる。
 
そもそも人間は自分の気持ちを正確にピタリと当てはまる文字に落として言語化できるわけではないですよね。それが成長過程の子どもであれば尚更ですし、生身の人間とのやり取りする経験が減れば減るほど、五感をフルに使って非言語的情報を送受信するコミュニケーション力を鍛え成長させる機会をどんどん失っていきます。そのように育った子ども達がやがて親となり、子育てをしたら乳児期のコミュニケーションや愛着形成は…ということです。
 
 
原点に戻ると「人見知り」とは、
・馴染みのやり方(身振りや声)でわかってもらえない、“応じてもらえるはず”なの に応じてもらえない、期待が外れる「コミュニケーション不全」が恐怖や不安を引き起こしている現象
 
なので、逆に言えば、特定の大人と意思疎通の「馴染みのやり方」が確立していなければ人見知りは起こらない。児童福祉で見られるような幼児期以降に無差別的な愛着行動が見られる子どもは、目が悪くて顔の区別がつかないわけではなくて、「馴染みのやり方」を構築する経験が欠如しているということ。そもそも「特定のわかってくれるパターン」獲得がなければ「期待が外れる不安」なんて起きないわけで。
 
だから「人見知り」は子どもの生育歴を聞く時にものすごく重要なPointになります。危ないのは、人見知りがなく誰にでもニコニコして、構って構ってもなかったし小さい頃はホント手がかからなかったです、というパターン。親が関わっても子ども側の受信が弱かったのか、そもそも子どもの愛着行動を親が察知せずスルーしていたのか、子どもが諦めて発信しなくなったのか。
 
愛着形成を見る上では、乳児期の何気ないやり取りのエピソード、こんな時よく喜んだとか、嬉しそうにしてたとか、親が子どもの様子から気持ちを察していたのかの「応答」が伺えるエピソードの有無はとても重要な情報です。
 
 
最近コラムでよく使う「この図」で言うと、「基本的信頼感」が心理社会的発達の一番根っこにありますよね。

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やはり自分の言葉にならない信号を相手に察してもらって期待した応答をしてもらった経験の積み重ねが大切だと言うことなんだと思います。【個別】的な関わり、馴染みのやり方で気持ちが通じる経験です。
 
しかしながら、マズローの欲求階層説を参考にすると【社会・集団】に世界が広がるベースには、[生理的欲求]や[安全的欲求]があります。つまり、個別的なコミュニケーションが取れることで生活の根本である[生理的欲求]や[安全的欲求]が満たされる見通しが持てて安心できる。その安心感があって、個別的関係から社会・集団の世界に対人関係を広げることができる。
 
前回紹介した愛着行動でいうと、[第3段階]までは個別的関係で、[第4段階]が社会・集団的関係の世界に踏み出すタイミングかと思います。
【参考】
● 1段階(出生~12週):愛着の相手は不特定であり、生得的な反応傾向によって人に注意を向けたり、働きかけを行ったりする。
● 2段階(12~6か月):接触頻度の高い人や、乳児と社会的やりとりをしてくれる相手に対して結びつきができる。
● 3段階(6か月~23歳)見知った人と見知らぬ人に対して明らかに識別して反応するようになる。いわゆる「人見知り」が出る。また、母親がいなくなるとパニック状態に陥り「ママ」と叫んだり、泣いたりすねたりなど混乱状態になる。
● 4段階(3歳頃~):子供の認知能力や言語能力が発達して、母親の設定目標を推測し、「目標修正的パートナーシップ」が成立するようになる。この段階の最初の頃は、子供は母親との関係を「安全基地」として外に向かって出ていき、すぐに不安になり、母親のところに戻ってきて安心する「行って帰ってくる遊び」を繰り返す。この遊びが見られなくなる頃、いよいよ子供は自律・自立への道を進んでいく。
 
つまり、自分の気持ちを言葉にできるようになる3歳くらいまでの成長過程では[生理的欲求][安全的欲求]を満たすと同時に[脳育][愛着形成][基本的信頼感・自律性の獲得][言語獲得]と言った、
 
自分の内側の感覚
自分の外側の他者との関係性
自分の内側と外側をつなぐ五感や言語
 
成長が同時並行的に起こっている。
 
ざっくり言うと[身体が満たされること]こころが満たされること]。そのどちらも人間には重要で、一般的な子育ての中では、身体的なお世話をしながら非言語的な愛着行動への応答(声かけ・スキンシップ・アイコンタクト)をする、同時に身体的な反応としてホルモン分泌がされるというサイクル自然と行われています。

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通常と思われている子育てや成長過程も、実は色んな理論で色んな言葉で説明すると、とても複雑なことを色々同時に行っていると思います。そして、各理論もそれぞれ独立しているわけではなくて【心理ー生物ー社会】(バイオサイコソーシャル)の範囲が違うだけで重なったり繋がっている部分も結構ありますよね。
 
しかしながら、児童福祉が関わるような家庭は、同時並行どころか、その片方すらも難しい状況のことが多い。つまり[基本的生活リズム]も崩れているし[親子関係も希薄]な子ども。それじゃあオキシトシン分泌もセロトニン分泌も少ないでしょうから、それは意欲や集中力も低かったり、情緒は安定しにくい。

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この状態が乳幼児期からの子供の教育支援プロジェクト「1.子ども親の問題」であげられている内容そのもので、そりゃその両方を学校教育だけでカバーしきれるわけがなく、各分野と連携して就学前から地域で段階的にフォローして行きましょう、となるのは当然の流れです。
 
そして、どこから立て直すかというと、脳の構造レベルやマズローの欲求階層説の順番で考えて、①[身の安全]カエル脳の生命維持の欲求を満たしてから②[心の安心]ネコ脳の感情レベル、人間関係の良い体験によって情緒的な成長に必要な心の栄養を蓄える、③[頭の理解]ニンゲン脳の言葉・認知という順番になる。
 
これが[身の安全]が第一で、それが家庭で確保されなければ、一時保護や社会的養護(施設や里親)を理由になるわけです。が実際の支援はそれがスタートであって、安全確保のための物理的な環境調整はもちろん、その後の生活において[心の安心][人間関係の良い体験]を子どもが積めるのかを確認して家族関係の調整や再構築を行わないと、[心が満たされること][身体が満たされること]の両立、つまり、子どもの健全な成長を支える支援としては片手落ちだと思うんです。
 
それは、このベースがない中での、日常的な「気持ちの言語化」と気持ちやりとりを通じた情緒的成長、心の成長が望めないから。
 
 

◆(3)言葉の発達のすがた ◆

 
じゃあ、そもそも言葉を獲得する前の[0〜2歳]の時期に「どう関わったらいいの?」というのが、スライドp.20に具体的に書かれているまので、その一部を紹介します。
 
おっぱいのリズムは会話のリズム
・赤ちゃんがおっぱいを吸い、 休むとそれに応えるようにお母さんが声をかける。この繰り返しこそ、赤ちゃんとお母さんとで作る会話のリズムなのです。このリズムは、赤ちゃんが話せるようになった時に自然と受け継がれていきます
 
話せる前は「アイコンタクト」で以心伝心 
・何も話さない赤ちゃんに不安になった時は、ぜひ赤ちゃんの顔を見ながら「べー」と舌を出してみてください。繰り返しているうちに、赤ちゃんもしだいに口もとをもぞもぞと動かし始め、かわいい下をちょろりと出します。コミュニケーションとは、話しかけるだけではなく、こうした表情のやりとりからも生まれるものです。
 
言葉を覚えるには「やりとり」は必要不可欠 
喃語はたいてい赤ちゃんがごきげんなときに出てきます。このとき「そうだね」「ごきげんだね」とどんどん話しかけてあげると、赤ちゃんは喜んで「アー」「ダー」と答えます。赤ちゃんの、言葉になる前の「言葉」に答えてあげてください。
・話しても分からないから、と話すのをあきらめるのでなく、世話をしながらどんどん話かけましょう。赤ちゃんは周りの大人とやりとりをしながら言葉を覚えていくのです。
 
 
わかりやすいですよね。言語獲得の前段階では非言語的コミュニケーションや応答遊びの積み重ねが大切ということ。そして、これは言語獲得のプロセスであると同時に、愛着形成の応答プロセスでもあるわけです。
 
この内容こそ、この図で、

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下から伸びている「矢印」で表現しようとしたことなんです。
 
物の名前とかアニメのキャラクターでさえも、指差して一緒に同じもの見て「アンパンマン!」とか大人が言葉をかけて物と名前が結びついて覚えていくもの。ましてや、自分の気持ちの言語化については、今まさに身体で起こっている子どものリアルタイムな感覚を、その様子から大人が「ネムネムだね〜」「嬉しいね〜」と察して+非言語で応答しながら+言葉で伝える]をセットにした体験を繰り返さないと、「感覚ー気持ちー言語」の結び付きができてこない。
 
しかしながら、児童福祉で関わる人は、この[察して+非言語で応答しながら+言葉で伝える]関わりをしてもらえず、気持ちの成長が伴わずに身体だけが大きくなっているような人が珍しくない。子どもだけでなく、親自身も。
 
だから、自分の気持ちをうまく言葉にできないし、そもそも自分の中で起こっている感覚が上手く掴めていないし、それで自分の意図がうまく伝わらないと感情コントロール出来ずに怒ったり拗ねたり、担当変更になると赤ちゃんの「人見知り」のように泣いて喚いて不安と怒りを露わにすることが、小学生でも中学生でも成人になっても普通に見られます。
 
何歳どころか何ヶ月レベルの発達課題が満たされていない、そういう愛着形成に課題がある大人が子どもを育てるとどのようになっていくのか、下図はわかりやすく整理されています。改めて1歳くらいまで愛着形成は重要だなと思います。

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ポイントは安定型の親に[求める以上抱かない]と言う内容がある点。これが単なる関わりではなく[応答]が重要ということを端的に表していると思います。オッパイも食事も際限なく与えてブクブク太らせればいいってもんでもなくて、その子の様子から「主観的世界」を想像して、必要なものを必要な分だけ与える「程よい加減」が大事。子どものニーズを無視して、抱き続けたり関わり過ぎるのは、大人の自己満足のための過干渉だったり、大人が子どもに癒しを求めて「依存」したり「乱用」だったりする。
 
子どもを育てるハズの親自身がある程度満たされていないと、子どものニーズを充分に満たす存在にならないどころか、負荷がかかった時に親自身の課題を子どもにぶつけるようなことが起きると思います。これは支援者も同様です。
 
なので、アタッチメント(愛着)が十分に育ってない親子のニーズに合わせた支援は、親子それぞれ[基本的信頼感][生理的欲求][安全的欲求]レベルになるし、その応答は0〜2歳の時期に必要な[スキンシップ・呼吸リズム合わせ・アイコンタクト・表情のやりとり]と言った非言語的コミュニケーションによる関係構築の経験の積み直しになるわけです。
 
そして、そのようなクライエント内面の育っていない赤ちゃん部分を扱い、赤ちゃんの相手をするかのように激しく揺さぶられる児童福祉の現場の職員のメンタルヘルスは、職員自身の[基本的信頼感][生理的欲求][安全的欲求]を守るところがベースになります。
 
一般的な社会生活を送りお仕事を営める人達は、[基本的信頼感][生理的欲求][安全的欲求]が満たされて社会・集団に世界を広げられた人たちがほとんどですから、一般的なビジネスシーンではお互いそこはクリアされてる前提でやりとりコミュニケーションが展開されていきます。
 
しかし、[基本的信頼感][生理的欲求][安全的欲求]が満たされていない人が生きる世界は、個別的な関係構築のレベルですから、もちろん社会集団のルールに適応するのは難しいし、赤ちゃんのように特定人に身の回りのお世話を頼ったり、思った通りにならないと泣いたり叫んだりするような行動が現れるし、その愛着行動に応答するような個別的支援が必要なんです。
 
子育ても臨床もそうですが、このような相手の愛着行動を扱うということは、ただでさえ自身の愛着パターンを無意識レベルで想起しやすい状況です。さらに負荷が高くなって余裕がなくなる程、認知的なコントロールが効かなくなるので、自身のもともとの愛着パターンが表出しやすい。支援者が自身の生い立ちの整理、原家族を含んだ自己覚知が必要な理由はコレです。
 
 
【第80回】タイプ別「幼児期記憶の語りと再構成」で、以下のような類型を紹介をしましたが、幼児期記憶を感情を伴って話せるということは、その辺の気持ちに整理がついていて適切な距離を取りながらコントロールできるという事。
 
■記憶想起のパターン4類型 (林,2004)
①知的な理解の優位な群
ー感情表現も見られるが、知的な理解が先行し、認識の改めや理解したことが語られる
②直接的な感情表現群
ー感情語を用いてストレートに表現する 
③感情の言語化が困難な群
ー何らかの感情を体験していると思われるが,言語での表現が伴わない
④記憶想起の困難な群 
ー記憶の正確さにこだわる、記憶のなさについて語る
 
しかし、[トラウマ×喪失体験×忠誠葛藤×発達障害が混在していると、①感情体験に蓋をして距離を取っている状態、②あまり激しいなら過去の感情体験と距離が近すぎる場合や、③その場の安心感が十分でなく感情を語れない場合or感覚を上手く感情に言語化できない場合、等があると思います。
 
さらに、④は記憶のある無しもさることながら、そもそも幼児期のその時に感情的体験があったのか、そして、その幼児期までに自身の感情体験を言葉で認識できるほど言語獲得や愛着形成プロセスを踏んでいたのか、ということも影響していると思うんですよね。
 
そう考えると、当たり前ですが[過去]の感情体験を想起して語るという前段には、[現在]の感情体験を扱う体験の積み重ねが必要で、その積み重ねがなかったり難しかった場合と、[ある時]から感情が凍結して積み重ねが難しくなてしまっている場合など、色々なパターンがあり得るわけです。
 
それが、LSWで気持ちの言語化が難しいだろう場合に、まず検討していく点だと思います。そして、気持ちの言語化する力が未熟であっても、感情が凍結していたとしても、どちらにせよ安心して話せるかどうかは本人の主観的・感覚的な安心感ですから、やはり支援は[基本的信頼感][生理的欲求][安全的欲求]をまず満たすことになるんでしょうし、関係構築でまず行うことは前回今回で扱ったような非言語的な応答・コミュニケーションで相手とペースを合わせる、二人の世界だから通じるコミュニケーションのやり方や体験を積み上げるというということになると思います。
 
乳幼児期愛着(アタッチメント)形成に課題を抱えた人を支援する児童福祉の現場では、特に。
 
言語ではなく非言語、理屈ではなく感覚を扱う大切さを、これだけダラダラ言葉で綴るのも矛盾しているよな、と途中から思いながらの今回のコラムでした。
 
お付き合いありがとうございました。これで終わりです。
 
ではでは。