LSWのちょっとかゆいところに手が届く「まごのてblog」

静岡LSW勉強会の管理人によるコラム集

【第66回】君たちはどう生きるか

メンバーの皆さま
 
こんにちは。管理人です。
 
平昌オリンピック盛り上がってますね!そして名勝負には名セリフあり。
 
例えば、
スピードスケート1000mの銀の小平奈緒選手。
前の選手がオリンピックレコードで走破しているプレッシャーのかかる状況でのレースについて、
今日は氷と対話することに集中しました」
「最後の方は少し乱れてしまいましたけど」
と語っていたり、
 
惜しくもハーフパイプ銀メダルだった平野歩夢選手に、最終滑走のプレッシャーがかかる場面で完璧な滑りで逆転したスノーボード界のレジェンド、ショーン・ホワイト選手は、平野選手と同じ1440二連続を試合で始めて成功させたことについて、
「過去に自分を病院送りにした技(4回転:1440に挑むのは簡単なことではなかった」
 
「(1440を)自分が出来ることはわかっていた。ただ恐怖心を克服するのに少し時間がかかったね」
 
やはり、一流は「内省力」「自己内対話」に長けていると言うか、4年という長い年月をかけて自分と向き合い、自分の弱さから逃げずに努力し続けた人が世界トップ3になるんだろうな、とインタビューを聞いていて思いました。
 
 
そんな自己内対話を深めるために、僕がたまにやることは、本屋さんをブラブラすること。
 
サーっと色んな本の表紙を眺めていると、直感的に「これは!」と惹かれて目に留まる本が出てくるんですね。自分の中でまだ整理されたり意識化されていない興味関心や気になっていることを本が教えてくれるんです。
 
今回は、そんな一冊を紹介。

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【参考】ついに100万部突破『君たちはどう生きるか』若き漫画家が描き切った「人生で大切なこと」
 
はい。話題のコレ。前々から気にはなっていましたが、このタイミングで手に取るには、やはり意味があるんだなぁ、と思いました。
 
 
簡単に作品を紹介すると、戦後民主主義をリードした名物編集者の吉野源三郎原作、1937年に刊行された『君たちはどう生きるかを漫画化したもの。それが80年の時を超えて、現代の多くの人々から強く共感されている。
 
物語設定も1937年。父親が3年前に他界して、母子家庭で暮らす地味な中学生が主人公。母の実弟で、大学を出たばかりの「おじさん」と仲が良く、2人で遊んだり、出かけたりしている。
 
このおじさんが主人公に「コペル君」というあだ名をつける。コペル君というあだ名はコペルニクスにちなんでいる。
 
物語は、コペル君の学校や友人関係という狭い世界の出来事で起こるいじめ・貧困・人の強さと弱さを通じて、人や社会について考える作り。
 
マンガも原作も、こうしたコペル君の体験と、おじさんのノート(コペル君への手紙的な内容)が交互に登場する作りになっている。
 
で、コペル君におじさんが一貫して言い続けるのが、
 
「自分で考えるんだ」
 
ということ。
 
漫画作者の羽賀翔一氏もこう言っています。
 
《この小説のタイトルは『君たちはどう生きるか』ですが、どう生きろというのは書いていないんですよね。つまり「こう生きろ」と答えをだす本じゃないんです。むしろ対極で、どう生きるかを、自分で考え続けること。抱え続けること。それを放棄しないということが書かれている本なんです。》
 
 
と。一話完結の短編集で、一話一話の前半はコペル君の体験漫画、後半がおじさんからの手紙という構成なんですけど、このプレゼンの仕方が絶妙で、おじさんのノート(手紙)の内容がスーッと身体に染み込んで入ってくる。
 
ネタバレになっちゃいますが、おじさんのノートの一部を紹介します。
 
 
ものの見方について
 
コペルニクスの地動説は…当時、教会の威張っている頃だったから、教会で教えていることをひっくり返すこの学説は、危険思想と考えられて、この学説に味方する学者が牢屋に入れられたり、その書物が焼かれたり、散々な迫害を受けた。
 
世の中の人たちは、もちろん、そんな説をうっかり信じてひどい目にあうのは馬鹿らしいと考えていたし、そうでなくとも、自分たちが安心して住んでいる大地が、広い宇宙を動き回っているなどという考えは、薄気味悪くて信じる気にならなかった。
 
今日のように、小学生さえ知っているほど、一般にこの学説が信奉されるまでには、何百年という年月がかかったんだ。 
 
人間が自分を中心としてものを見たり、考えたりしたがる性質というものは、これほどまで根深く、頑固なものなのだ。
 
〜いや、君が大人になるとわかるけれど、こういう自分中心の考え方から抜け切っているという人は、広い世の中にも、実にまれなのだ。
 
殊に、損得にかかわることになると、自分を離れて正しく判断してゆくということは、非常に難しいことで、こういうことについてすら、コペルニクス風の考え方のできる人は、非常に偉い人といっていい。
 
たいがいの人が、手前勝手な考え方におちいって、ものの真相がわからなくなり、自分に都合のよいことだけをみてゆこうとするものなんだ。
 
〜今日君が感じたこと、今日君が考えた考え方は、どうして、なかなか深い意味をもっているのだ。
 
それは、天動説が地動説に変わったようなものなのだから。
 
 
 
真実の経験
 
〜だから、こういうことについつまず肝心なことは、いつでも自分が本当に感じたことや、真実心を動かされたことから出発して、その意味を考えてゆくことだと思う。君が何かしみじみと感じたり、心の底から思ったりしたことを、少しもゴマ化してはいけない。そうして、どういう場合に、どういう事について、どんな感じを受けたか、空をよく考えてみるのだ。
 
 
 
人間の悩みと、過ちと、偉大さとについて
 
〜人間は、自分自身をあわれなものだと認めることによってその偉大さがあらわれるほど、それほど偉大である。
 
〜からだの痛みは、誰だって御免こうむりたいものに相違ないけれど、この意味では、僕達とってありがたいもの、なくてはならないものなんだ。
 
ーそれによって僕たちは、自分のからだに故障の生じたのことを知り、同時にまた、人間のからだが、本来どういう状態にあるのが本当か、そのことをはっきりと知る。
 
〜人間が本来、人間同志調和して生きてゆくべきものでないならば、どうして人間は自分たちの不調和を苦しいものと感じることができよう。
 
〜およそ人間が自分をみじめだと思い、それをつらく感じるということは、人間が本来そんなみじめなものであってはならないからなんだ。
 
 
 
こんな感じ。コレは内容の一部ですが、漫画を読んだ後にコレを読むと味わい方が全然違う。で、漫画作者の羽賀翔一氏もただ原作をそのまま漫画にするだけじゃなくて、この本に書かれている本質は何か、それを伝えるには、どの順番でどう構成するのがいいのか「自分で感じて考えて悩んで作っているから、わかりやすい。
 
そんな羽賀翔一氏はこう語っています。
物語の核に、バトンを受け取るというのがあると思ったんです。お父さんの生き様や意志をおじさんが受け取る。人の生き方や意志が少しずつ影響しあっていくんです。》
 
《僕は、この物語の本質は「成長」と「自分の意志」にあると思うんです。成長というのは、自分の意志を持って考え続けるということ。
コペル君の成長だけじゃない。おじさんもまた、コペル君にバトンを渡そうとするなかで、自分の役割を引き受けて成長する。》
 
 
これはLSWや児童福祉の支援者にとって最も大事な[心構え]そのものですよね。もう指定教科書にしてもいいんじゃないでしょうか(笑)
 
そして、この本を読んでいると、6〜7年前に職場でLSWを普及させようと奮闘していた時期の自分を思い出します。正しいことへの理解が得られないことへの苦しみや歯がゆい記憶です。
 
そして、いまでは職場でLSWが当たり前に語られるようになっているので報われるわけですが、最近また別のことで似たような葛藤を抱きつつある自分がいます。
 
偉そうに天狗になりつつある自分にも気づきますし、いくら口では歩調を合わせて「待つ」ことの大切さも周囲には説きながらも、実際は「また5〜10年の歳月をかけた、あの普及の日々が始まるのか」と思うと苦しさや苛立ちを感じることがあります。
 
でも、おそらく、これは多くの子育て相談に来る保護者が感じているだろう感覚に近いと思うのですが、とにかく苦しい。
 
そんなタイミングで本書を手に取ると、最終話のおじさんからのノートにこんな言葉が書いてありました。
 
 
コペル君
いま君は、大きな苦しみを感じている。
なぜそれほど苦しまなければいけないのか。
それはね、コペル君、
君が正しい道に向かおうとしているからなんだ。
 
 
思わず「おじさん!」と叫びたくなりました。
 
確かに、このフツフツとした気持ち悪い感覚・感情に眼を背けてなかったフリをして過ごすこともできます。だけど、それは被虐児が感覚・感情の麻痺を起こしていたり、臭い物に蓋をしている対処をしているだけ。
 
支援者として「気持ちいい」支援をしている時は、一種の万能感に酔いしれている危険性があって、目の前の人のサービストークに騙されて、本当は言えてない側面や大事な部分を見落としていたり、何か落とし穴があるという感覚は必要なんだと気付かされる出来事が最近何度か続きました。
 
少し話が逸れるかもしれませんが、以前使ったこの図のように、

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世の中「良いことだけ」「悪いことだけ」なんて単純なものではなく、見方によってはどうとも見れる色々なことが複雑に混在しているのが、むしろ普通なんだと思います。
 
なので、自分の都合の良い部分ばかり見るのではなく、物事を正しく色んな方向から見て、感じて何かを変えようと動かそうすれば、それ相応の負荷や無理は生じる。
 
なぜそれほど苦しまなければいけないのか。
それはね、コペル君、
君が正しい道に向かおうとしているからなんだ。
 
僕が進もうとする方向が正しいのかなんて、わかりませんが、その言葉に、今の僕はだいぶ救われたような気持ちになりました。という話です。
 
中二病みたいな話でスミマセン。
 
ではでは。

【第65回】DQ的"職業"で考えるOJTとチームワーク

メンバーの皆さま
 
こんにちは。管理人です。
 
DQという文字を見て、まず「発達指数」を思い浮かべた人は、かなり児童福祉の世界に浸かっていると思います。
 
世間一般でDQと言えば、唯一無二のRPGゲームドラゴンクエストDragonQuest、通称「ドラクエのことですよね。Google検索してもトップにくるので間違いと思います。
 
で、今回なんで「ドラクエ」なのかと言うと、僕がドラクエがめちゃくちゃ好きだから。もちろんそれだけではなくて、これまでのコラムでご察しの通り、僕は心理職としてケースワーカーや別の心理司、施設ケアワーカーさんと合同で面接に入ったり施設・学校にガンガン訪問して打ち合わせや面接もしますけど、これは「心理」=「伝統的な病院での週一カウンセリング」をイメージしてる人からしたら、かなり異質な事みたいです。
 
あえて、やっている事を心理の言葉で言うなら「家族療法」とか「アウトリーチ」になるんでしょうけど。別に、いち職場のいち職員として、クライエントの願う姿や現在のニーズに合わせた最善のお手伝いをしようとすれば、自然とそうなってしまっていまうだけなのですが、「心理としての専門性が…」と葛藤を抱いたり思い悩んでしまう方は結構いるようです。
 
一昨夜の情熱大陸で「八戸ER(救命救急センター)」が特集されていましたが、番組を観ていて児相2年目にワーカー上司との雑談で「最近どう?」的に聞かれた時に、自分で、
 
「一年働いてみて、児相は福祉の救命救急のイメージです。応急処置して、どこかにつなぐ。なので、その辺、教育相談とかともっと棲み分けとか連携上手くできないんですかね…」
 
と言ったのを思い出しました。懐かしいですね。また、八戸ERの今Drが、
 
「救命救急はキツくて若いDrがやりたがらない。ちょっとでもブランド化してやりたい人を増やさないと。自分に出来ることなら何でもやるよ」
 
と言うのを聞くと、救命救急って何でも屋だし、アセスメントから処置から瞬時の判断が求められるので、やっぱり児童福祉の心理職と似てるよなぁ〜なんて改めて思いました。
 
と言うように、ただでさえ「心理って何やるの?」と得体の知れない職業にも関わらず、さらに亜流的なことをやっているので、役割や出来ることを説明してイメージしてもらうことが難しいし、逆にこれ(ソーシャルワーク+心理)が心理職スタンダードだと思って周囲が求めても、普通の心理士は困ってしまうんだろうと思います。
 
ということで、ちょっとでも児童心理司としてやっているお仕事のイメージを共有してもらうために、ドラクエの職業に例えて紹介したいなと思いまして、今回こんなお題にしました。
 
ドラクエ」をご存知ない方は、もしかしたら伝わりにくいかも知れませんが、最近のサッカーネタよりはマシだと思いますで、お付き合い下さい。
 
 
ドラクエの職業
 
細かい説明は省きますが、歴史を辿るとファミコンソフト「ドラゴンクエスト」が1986年に発売。当時は勇者ロトが1人、常に画面の正面向いたカニ歩きで冒険していたのは、ファミコン世代の方は懐かしいですよね。
 
で、翌年1987年に「ドラクエII 悪霊の神々」が発売。前作から100年後の設定で、ロトに血を引く勇者3人でパーティーとなって冒険する話です。
 
そして、その翌年1988年「ドラクエIII そして伝説へ…」が発売。懐かしの映像で、学校や会社を休んだユーザーが発売日にお店の前に並ぶ長蛇の列を見たことある方も多いと思います。あの社会現象のように文字通り「伝説」となった作品です。
 
ドラクエIII」最大の特徴は、4人パーティーをプレイヤー自身が自由に選び、名前をつけ、育てることができる点。
はじめに設定されているパーティは「勇者、戦士、魔法使い、僧侶」の4人。ちなみに、 一般的な隊列順に並べて特徴に触れると、

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【戦士】
攻撃力や守備力、体力に優れ、パーティの最前線で体を張る役目。強い武器防具も装備できるが、素早さに欠け、魔法が使えない。
 
【勇者】
攻撃、守備、魔法とバランスが取れたオールラウンダー。勇者専用の装備や魔法も使える。
 
【僧侶】
回復・補助魔法に長けている。魔法使いよりは、装備できる物に幅があり、体力、攻撃力、守備力も魔法使いに比べれば、そこそこ。
 
【魔法使い】
強力な攻撃魔法を使える。一方で、体力、攻撃力、守備力が弱く大抵はパーティ最後尾に配置。
 
こんな感じですかね。前衛2人が物理攻撃、後衛2人が魔法中心のサポート役みたいな。他には、僕がよく組んでいたパーティー編成はこの4人。

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【武闘家】
素早さ、攻撃力に長け、先制攻撃や「会心の一撃」が出やすい。戦士より体力、守備力が劣り、装備も限られるが、装備品にお金がかからない。
 
【賢者】
魔法使い・僧侶の魔法を両方覚えて使えるスーパーな職業。ドラクエIIIでは「悟りの書」を使うか「遊び人Lv20以上」でしか転職できない。
 
つまり、前衛後衛のバランスが大事で、

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こんな風に、単体物理攻撃メインのパーティー編成も残りMPを気にしなくてアリなんですけど、たまに守備力が異常に高いモンスターや、大量のモンスターが一度に出てきた時に、弱点を突く魔法、全体攻撃魔法を使える【魔法使い】が重宝するわけです。
 
また他の職業はファミコン版だと「遊び人」「商人」だけなんですが、続編版ドラクエIIIだと「盗賊」という職業も増えてるみたいですね。
 
で、さらに面白いのが、「戦士」や「魔法使い」と言った職業を途中で転職できる(Lv20以上で可)。その能力は転職時に半分になるんですけど、覚えた魔法は転職後にも使えるという異例の自由度。このシステムによって、一度クリアしても、次は違うパーティーや育成方法が取ったり、パーティーを3人→2人→1人と減らしてゲーム難易度を自分で高めたり、繰り返し何度も何度も楽しめる作品、それが「ドラクエⅢ」なんです。
 
ちなみに「ドラクエ6 」以降、最新の「ドラクエ11」まで、基本職を2つマスターすると上級職に転職できるというシステムになっています。

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でも、やっぱり僕が好きなのは「ドラクエIII」。かつてファミコンでやり込んだ、あの感じが良いんですよね。
 
 
■CWと心理職の役割分担
 
あえて、CWと書いたのは児童福祉司ケースワーカー)」施設職員(ケアワーカー)」の両方をイメージしてるからです。その共通点は、どちらも児童福祉現場の最前線にいること。
 
親でも子でも、ケースから直接のトラブルや圧力を受けることもあるキツイ立場、それがCWだと僕は思います。なので、ドラクエのパーティーで言えば、確実に前衛ポジション。
 
どっしり安定感があり罵倒されても粘り強く何度も何度も話をするCWさんは【戦士】のように見えますし、またフットワークが軽く、マメに電話や訪問、声かけをして相手の懐にすっと入り込んで「心に響く言葉」を言える関係性を構築するのが上手いCWさんは、素早さに長ける【武闘家】イメージがあります。もしかしたら戦士タイプより、多少打たれ弱い面もあるかもしれませんが。
 
で、心理職は後衛ポジションのイメージ。
例えば、回復・補助魔法を使う【僧侶】タイプは、普段から味方の話を聞いて回復魔法(ホイミ)を掛けたり、こころの毒を抜いたり(キアリー)、こころの麻痺を直したり(キアリク)、思考の凝り固まりを目覚めさせたり(ザメハ)状態を回復させる。また、話を整理して理解思考スピードを高めたり(ピオリム)、いま出来ていることや強みを膨らませて自信や肯定感を上げたり(スカラ)、心理教育と言って事前に起きる起きている事を一般化して説明して心の距離を取れるようにして耐性を高めたり(フバーハ)。
 
さらに、クライエントに対しては、話し手の状態や特性に合わせた声かけで安心感を与えて心のガードを解したり(ルカニ)、話を聞いて興奮したペースを落ち着かせる(ボミオス)、そんなことに長けている。もちろん心理職でなくても、これらのことを自然にやってい方はたくさんいますよね。
 
一方【魔法使い】タイプは、トラウマや症状への攻撃魔法を操るイメージです。例えば、特定のトラウマをピンポイントにフォーカスして扱う単体魔法「メラ系」の◯◯療法もあれば、もっと全体的な症状を緩和させる全体魔法「ギラ系・イオ系」もある。大事なことはモンスター特性に合わせた魔法を使うことで、炎属性モンスターにはメラ・ギラ系は効かなくても、氷属性の「ヒャド系」が弱点で効いたりするわけです。
 
【第57回】心理療法の系統的選択 
で、世界中の1000もの心理療法を知り尽くしたラリー・E・ビュートラ博士が、STSアプローチの基本として、
   (a)すべての間者で良好に機能すること
                                   治療法またはモデルはなく、
   (b)ほとんどの治療法は
                        一部のクライエントでうまくいく、
と言っているのは、まさにそういうことですよね。相手の状態や特性に合わせた治療法を選択するのがベストで、◯◯療法や◯◯プログラムに固執していては、それに適応できる人にしか支援できない、お前がこっちに合わせろ、と言っているようなもの。
 
しかも、魔法って「メラ→メラミ→メラゾーマ」「ホイミベホイミベホマみたいに同系でも習熟度によって威力が変わるんですよ。なので、自分が使い慣れてない魔法は、結局、絶大な効果は望めない。なので、新しい技法を手当たり次第何でも学べばいいってもんでもない。使いこなせる様にならないと、技法を使ってるつもりが技法に踊らされてる状態になりがち。
 
で、なんででしょうね…、心理の方には【魔法使い】タイプへの憧れというか、こだわりが強い人が割といてですね。理想は回復魔法も攻撃魔法もできる「賢者」ですけど、両方でハイレベルを求められるのはキツイので「7:3」せめて「8:2」くらいで両方やれるといい。腕の良い人は、いきなりトラウマを扱うでなくて、関係性築いてストレスマネジメントして緊張感を緩和させてから、核心部分に迫っていきますよね。
 
だけど、この回復・攻撃のバランスが極端に「10:0」になって「私これやりません」とか、相手に全然効かない攻撃魔法ばっかり発動したり、しまいには「パルプンテ」(何が起こるかわからない魔法)で周囲を混乱せたりすると「やっぱ心理わけわんねぇし、話通じないし使えねー」ということになってしまう。
 
しかも、「メタルスライム」「はぐれメタルみたいにもう魔法は効かん、地道に打撃(声かけ・訪問)を与えるしかないという敵も出てくるんです。なので僕は魔法だけじゃなくて、自分の基礎的な攻撃力や守備力も上げておきたい。
 
ということで「ソーシャルワーク+心理」=「戦士/武闘家+僧侶」みたいな働き方になってくるわけです。例えば、一緒に面接に入るCWさんの、HPや守備力が低ければ、経験値が高い心理職が盾になりながら、自分や周りにホイミかけてフォローしながらみたいな面接状況は起こるわけですが、HPもMPもガンガン使ってシンドイし、健康的な役割分担ではない。
 
で、やり過ぎると面接後も保護者から指名で電話かかってくるようになって、クライエントがCWの悪口を言って繋がろうなみたいな依存対象として巻き込んで来ようとしてくるので、それを意識してCWさんの愚痴を聞きながら、今起きている関係性についてもオープンに共有して、状態リセットやエンパワメントとしながら、本来の役割分担の割合に徐々にスライドしていく。
 
逆に、こころの体力や忍耐力、安定感の高い人と面接に入れる時は、そこまで回復魔法にMPを使う必要がないですから、思う存分、目の前の人の話に集中できる。「ドラクエⅢ」的に言えば、2人パーティーを「勇者+賢者」で組めている時は強いですよね。お互いに回復魔法も使えるし、打撃も攻撃魔法もいける。
 
で、そういうベテラン2人+新人[Lv.1]の3人パーティーで冒険に出れば、多少の敵は新人を守りながら倒せるので、自分だけでは乗り切れない経験を新人がドンドン積んでLv.アップする。これがOJT(オンザジョブトレーニング)ですよね。たらたら指示するより「百聞は一見に如かず」です。
 
僕も若かりし頃は、先輩CWさんに随分助けれて経験値を積ませてもらいました。特に、先輩に【戦士】【武闘家】要素はもちろん、かなり【僧侶】的な心理知識も豊富なCWさんがいて、上級職で言うなら
バトルマスター(戦士+武闘家】と
パラディン(武闘家+僧侶)】を
さらに足した【ゴッドハンド】的な働きをしていて、今思えばペアで一緒に動きながら随分上質なOJTを受けさせてもらっていたなぁ、と思います。
 
自分もそんな存在になりたいものです。
 
 
 
職場のバーンアウト
 
今までの「敵・モンスターの強さ」の例えは、相談者が抱えるこころの痛み・辛さ・トラウマ」の大きさや深さです。
 
決して相談者である本人をやっつけるわけではありません。虐待者である保護者、暴れまくっている子どもであっても、支援者にとっての相談者は、相談者の「願う姿」に向かって共に悩み考え歩む仲間・パーティーだと僕は思います。相談関係を「パートナーシップ」とも言いますし。
 
で、僕の中では、HPは「こころの体力」、MPは「思考・志向のエネルギー」みたいなイメージ。HPが0になるとドラクエでは「死亡」ですが、臨床だと「バーンアウト」。

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つまり相談者は、HP(こころの体力)が少なく、身体は動くが、こころは瀕死か死亡状態。自身のコントロールが効かなくて、「ドーパミン」や「ノルアドレナリンが上下に振り切っているので、依存・怒り攻撃・無気力など、もはや通常の健康的な状態ではいられなくなっている。
 
ついつい相談者に攻撃的に来られると、コチラもカチンと来て敵対関係になってしまいがちですが、相談者の24時間365日の生活を想像すれば、たいてい仕事も学校も上手くいかず、友達関係・ご近所付き合い・親族関係・家族関係も上手くいかず、経済的にも精神的にも苦しい八方塞がりのことが多いですよね、児童福祉の世界では。そりゃマトモな状態ではいられるわけがありません。
 
なので、相談者の変化・成長を望むなら、まずHP(こころの体力)を回復させる為に、まず安全安心な生活や休息の場(宿屋)を整えて、こころに生き返ってもらって、ようやく成長の旅(=冒険してLvアップ)に出られるようになる。
 
アタッチメントで言う「安全基地」の話しです。旅の途中でエネルギー補給(ホイミ)するために、来所訪問面接はしますが、あくまでHP(こころの体力)が残っているからホイミが効くのであって、心が死んでいたらまず生き返らせないと(教会orザオリク)自主的に動けるわけない。
 
バーンアウトした同僚に再び元気に働いてもらう」という気持ちと同じように、相談者に対しても同じ県民・市民として、元気で健康的な社会生活、日常生活を送って欲しいという視点で関われば、敵である必要はないし、自治体職員って別に福祉に限らず本来そうであるハズですよね。
 
だけど、そんなこと言ってられないくらい大変な事態が起こるのは、自分のLv.と不相応なモンスターが現れた時。ドラクエだと新しいエリアに足を踏み入れた最初の敵が強過ぎて面喰らう(最悪全滅)ことがあります。
 
ドラクエなら新しいエリアに踏み込むのは、Lv.上げして装備を整えて自分のタイミングで入れますが、全国のだいたいの児相は地区担当制を敷いているので、配属・異動してきてすぐ、ド偉いLv.のモンスターに突如遭遇することがあります。
 
ドラクエⅢで言えば、担当CWは序盤のLv.一桁なのに、いきなりラスボス級のモンスターが出てきちゃうみたいな状況が時に起こります。
 

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ちなみに、ドラクエⅢの最後のボスは「ゾーマと言うんですけど、1ターンに2回攻撃するうえ、内容は「イオナズン」という140前後のダメージを喰らう全体魔法に、「かがやくいき」という全員150前後のダメージ喰らう攻撃に、単体攻撃も普通に強い。
 
さらに、守備力も高くて、ただ攻撃しても通用しないので、相手の守備を下げたり(ルカニ)味方のせ攻撃力を上げたり(バイキルト)する補助魔法をかけるんですけど、「いてつくはどうというせっかく積み上げた補助魔法を無効化する攻撃もしてくる。
 
ただゲームなんで、ちょっと頭は弱いと言うか、無意味なタイミングで「いてつくはどうをしてくれたりお茶目な部分があるんで何とかなりますけど、ガチで「かがやくいき」2回連投を毎ターン毎ターンされたら、あっという間に全滅してしまう強さです。まぁ、ラスボスなんで強いのは当然なんですけど。
 
もう一度確認しておきますが、「敵・モンスターの強さ」とは、大人や子どもが生育歴上で抱えている「こころの痛み・辛さ・トラウマ」の大きさや深さの例えです。かなり重い人格障害愛着障害の人がソレです。
 
で、数年に一度「ゾーマ級」のトラウマを抱えた保護者や子どもがやってくるんですけど、とても担当2人なんかじゃ抱えきれないので、一度ゾーマ級の敵を経験している人は「やべぇの来た!」と仲間をドンドン呼べるんです。
 
でも、小林幸子みたいに見た目「ザ・ラスボス」の衣装姿で現れてはくれないので、経験値やアセスメントや見立て力が足りないと、中ボスくらいかな〜なんて見誤って戦い始めて、周囲が気づいた時には担当が全滅(バーンアウトしてるなんて事態が起きます。
 
で、厄介なのは、HP(こころの体力)が0で死亡(バーンアウト)しちゃうと、少し前の図で言う[無気力]に落ちる、休職する人は分かりやすい。でも実は職場にダメージが大きいのは、ハイに上がる系の人で、
[依存]ギャンブル・酒・ゲーム・異性関係
[攻撃]怒りっぽくなる、支配-被支配の再現
依存と攻撃は重なってる部分もありますけど、とにかく周囲のHPを奪っていっちゃう。俗に言う「ミイラ取りがミイラになる」状態です。
 
そうなると、ゾンビ系映画(バイオハザードとかバタリアンとか)みたいに、噛まれた人がゾンビになって味方を攻撃する、それがねずみ算式に増えてくみたいな状況に陥るので、一人で味方に何度もベホマラースクルトをかけても焼け石に水。
 
敵が強すぎて、エンパワメントして積み上げてきた担当者の自信も一瞬で吹き飛ばされて無効化されるし、ザオリクかけてベホマしても、またすぐ死亡の繰り返し。味方を守るのに精一杯で、とてもモンスターにダメージを与えて倒すところにまで、MP(思考のエネルギー)が回っていかない。
 
施設に状態が重い子が一人来ると、割とすぐにこういう壊滅状態になると思います。それだけ、その子がそれまでの人生で抱えて来たものが[重い]ということなんですけど。
 
なので、いざという時に全滅しないように、普段から面倒くさいかもですけど地道な、
[Lv.上げ]=人材育成、OJT
[宿屋]=職場内外でのリフレッシュ
が必要なんだと思います。
 
愚痴を聞いてもらったり、仕事外で落ち着いたプライベート生活、ホッとできる瞬間、心から楽しめる事があることは、HP・MP回復につながると思います。
 
やはり、こう考えると自分一人で全職業をマスターして役割を担うのは不可能で、戦いの場では活躍が低いと思われがちな職業であっても、
[商人]=事務・経理
[遊び人]=盛り上げ役・ムードメーカー
 
組織の中では必要不可欠ですし、知らず知らずに助けられていることは意外に多いです。そのような役割分担チームワークの元に、弱点を補い合いながら、長所を活かし合える組織は、素晴らしいチーム・パーティだと思います。
 
そう考えると、「ドラクエ6 」以降の基本職を2つマスターすると上級職に転職できるというシステムはなかなか面白くてですね、民間と比べて異動が多い「地方公務員の人事システム」の人材育成やチームワークの参考になるなぁ、と思います。
 
こんなこと書いてると、久しぶり「ドラクエやりたくなってきますね。
 
ではでは。

【第64回】「脳内インテンシティ」と「プレー原則」

メンバーの皆さま

おはようございます。管理人です。

今日は、静岡県で18年続いている「社会福祉研究会」で、LSWではない内容を発表予定なんですが、

所内リハーサル2〜3週間前にやってから、長野に視察に行って、他の視察報告も作って報告会して、明日の研修講師の準備もあって、コラムも書いて…なんて色々やり過ぎまして。

僕の中では、今日の発表はすでに過去のこととして完了しているのか、内容がよく思い出せません…は言い過ぎですが、発表スライドのコピーや使おうと思ったストップウォッチも忘れる始末で、興味の移変わりの早さに(ただの不注意)自分ながらに呆れますね。

ただ、そういう不測の事態や不安定な状態は起こるものとして、いかに立て直し切り抜けるか、そんなことが大事かな、今回はそんな内容です。


脳内インテンシティ

今ベルギーで活躍している元ヴィッセル神戸森岡亮太選手をご存知でしょうか。今シーズン、ポーランドからベルギーのベフェレン移籍後の半シーズンでゴール・アシストを量産し、つい先日ベルギーの強豪「アンデルレヒトの背番号10番」としてステップアップ移籍。デビュー戦でアシストを記録。ベルギーリーグのトッププレイヤーの一人としての地位を確立しつつあります。

で、この森岡選手は典型的なトップ下の選手で「絶滅危惧種の10番」タイプと呼ぶ人もいます。それは背番号ではなくて得意とするポジションやプレーのこと。一言で言えば、華麗なテクニックと意表をつくプレーで攻撃に違いを生み出す「ファンタジスタ」タイプです。

で、このポジションが「絶滅危惧種になっているのは世界的な戦術の進化の流れ(トレンド)が関係しています。


ポジショナルプレーの背景にある脳内(=戦術的)インテンシティ

インテンシティとは、もともと「強度」「凝縮度」「激しさ」を表す言葉で、サッカー日本代表監督ザッケローニがよく使って有名になりましたよね。

で、この記事が紹介しているのが「脳内(戦術)インテンシティ」という考え方。つまり認知思考の切り替えの速さ。

詳細は記事で確認して欲しいのですが、香川選手がドルトムントに移籍した当時のクロップ監督(現リパプール)のもと世界を席巻した「ゲーゲンプレッシング」という、ボールを失った瞬間に相手を囲んで激しくプレッシャーをかけてボールを奪い返す戦術があります。

これは、当時ベップ・グラウディオラ監督のもとボール支配率70〜80%というバルセロナのサッカーが全盛期を迎えてた時に、あえてガチガチに守る相手を細かいパスで崩そうとするより、相手がボールを保持して攻めようと陣形を変えた瞬間を狙ってボールを奪い、守備陣形が整う前に攻めきってしまう方が簡単だし効率的でカウンターのリスクも低い、というボールを奪われることを前提として利用した戦術ポゼッションサッカーが持てはやされた当時はかなり奇抜な逆転の発想」だったわけです。

しかし、今やその戦術は目新しいものではなく、むしろ当たり前、ヨーロッパではスタンダードになっています。現日本代表監督ハリルホジッチの縦に速い堅守速攻のサッカーはまさにそれです。

ハリルホジッチは報道レベルでは「フィジカル」を重要視している印象ですが、確かに激しい切り替えの連続を維持するにはフィジカルは必要不可欠です。

で、この記事の面白いところは、純粋なフィジカル(身体)のレベルでのインテンシティ(アクションの速度、強度、頻度)と同じかそれ以上に、目の前の状況の認識~解釈~判断~遂行というプロセスをめぐる「脳内(=戦術的)インテンシティの高さ」の重要性という視点が紹介されているところ。

攻撃視点で言うと、一昔前ならトラップして周囲を確認したり考えたりする時間があったが、今は相手のプレスが早いので、特に真ん中のエリアはプレッシャーが激しいので、もうワンテンポ早く判断実行しないと、ボールを奪われてしまう。

以前、「14ゾーン」については触れましたが、

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真ん中の時に危ないゾーンは当然相手もそこを潰しにくるわけなので、初めからあえてトップ下を置かずにポジションを空けておいて、FWやサイド、ハーフから14ゾーンに瞬時に飛び込んでボールを受けてという戦術が主流になる。なので、森岡選手のような「トップ下」の選手が絶滅危惧種になりつつあると。

また守備視点で言うと、一昔前ならボールを奪われたらまず戻って陣形整えてという所、ハイプレスはボール奪われた瞬間に、全てのメンバーが頭を切り替えて連動してプレッシャーかけて相手の自由を奪ってボールを取り戻さないといけない。そこには事前予測と瞬時に味方のポジショニングを把握して判断して動くことが求められます。

もちろんグラウディオラ監督のバルセロナも常に波状攻撃し続けるために、ボールを奪われた瞬間に奪い返すというハイプレスを徹底していました。圧倒的なポゼッション裏に圧倒的ハイプレスありです。


ただポゼッション主体の攻撃では、すぐにボールを奪い返しても、敵も味方もコート半分にわんさかいますので、突破すべきDFは多く、使えるスペースは少なく、パスの難易度は上がる。

で、ポゼッションを放棄したハイプレス戦術は、攻撃にあまり手数をかけないので、シュートで終わっても途中でボールを奪われても、とにかく相手の守備陣形は整っていない。相手の守備が「不安定な状態」をボールを渡してあえて攻撃させることで作り出す。


なので奪った瞬間のスペースはあるし、味方は後ろに残っているし、アタックしたミスが攻撃的守備の始まりなので、むしろチャレンジして攻撃を仕掛けないデメリットの方が高い。ただ身体と頭の素早い切り替えが求められるので、消耗も激しいし、当時のドルトムント香川選手も「身体より頭が疲れる」と言っていたのを思い出しました。

なので、「7、8年前まで戦術トレーニングの主流だった11対0の反復トレーニングは…戦術ボードの内容をピッチ上で再現しているようなもので認識と遂行が直結していて解釈と判断というプロセスが脱落しているので、試合で直面する現実に対応するという点ではベストのアプローチとは言えません」

そして、いまの練習の主流は、11対0のフォーメーションと言った「型」練習ではなく、【プレー原則】に基づくシチュエーショントレーニング」であると。試合と同じ敵味方がいる状態で、ボールロスト直後のプレッシングとか、数的不利での守備といった特定のシチュエーションを再現するミニゲームを行うわけですが、実戦では11回プレー状況は違ってくるので、それを正しく解釈して判断する練習を繰り返す。それを通して、認識~解釈~判断~遂行というアクションの精度とスピードを高めていくことがトレーニングの狙い、であると。


僕がこれを読んだ時に思ったのが、児童福祉現場と全く同じ状況なと。児童福祉法改正によって、特に児童相談所はよりスピーディーな判断が求められるようになります。そして、一度ミスが起きれば、烈火の如くマスコミに叩かれますから、その時間的精神的プレッシャーは10年前の比ではないです。

しかし世の中の全体流れはコスト削減、人員削減、予算削減ですから、法律の枠組みを変えてくれないと、どの自治体もどの施設法人も福祉だけ増員するという選択をなかなか取れない。突っ込まれた時に理由を説明する術を持っていないから。日本は察する文化のせいか、アピール下手だと思います。特に福祉分野は。

なので「虐待するヤツはけしからん」子どもが可哀想」虐待をゼロにすればいい」という単純な世論やマスコミに対して、ちゃんと説明しつづけないといけない。虐待相談件数の増加=虐待数増加ですか?虐待さえなくなれば、子育て問題全て解決ですか?と。虐待は子育ての苦しさ困り感アピールの「氷山の一角」に過ぎないわけです。本質的な子育て支援養育支援をしないと、モグラ叩きのように他の問題が現れるだけですよね。それが無意味とまでは言いませんが。

という事で、大した増員もない中でこれまでの何倍もの仕事を押し付けられて、世論からマスコミから児童福祉法改正から、常にハイプレスをかけられ、考える時間や余裕を無くしているのが現状の日本児童福祉の現場だと思います。

また、一時保護期間も司法のチェックが厳しく入るようになるので、介入支援の正当性を訴えるために「◯◯アセスメントシートを使った」「◯◯プログラムを実施した」と客観的ツール「型」を実施する流れが今後ますます強くなると予想します。

余裕が無いと「自分を守る」「ミスしない」ことに精一杯になるので、サッカーで言えば、点数を取るための攻撃のハズが、いつのまにか「ボールを失わない」ことが目的になっちゃう。日本代表が今まで叩かれてきたパターンのヤツです。リスクを冒してチャレンジする人がいない。「ミスしちゃいけない」「チームに迷惑かけたら呼んでもらえなくなる」と思ってるから。

しかし、現場の職員さん、特に日々子どもに関わるケアワーカーさんはお分かりの通り、やりたくもないプログラムを嫌々やらされたところで、子どもや保護者の自主的な行動に良い変化が起こることはまずないと思います。まぁ「また大人の都合でやりたくないことを押し付けられた」経験を積むだけです。

本質は、何かを使用することではなくて、それを使って何を一緒に考えて話あったか、そのやりとりの過程で、相手が何かに気づき自分の役に立つと思えたかですよね。前述との違いは、主語が「自分」か「相手」なのか。コチラがやりたいことではなく、相手の気持ちや願いをきちんと聞く姿勢があるか。自分の都合中心の支援は、相手が言わないだけで、だいたいその姿勢は見透かされています。

自分にとって大きな買い物した時の「店員さん」を思い浮かべてください。この人なら安心できるとか信頼できるとか、なんかうさん臭くて怪しいとか、だいたい感じますよね。


なので、児童福祉でも必要なのはシチュエーショントレーニング、つまり「ロールプレイ」だと思います。言語非言語含めて実戦では同じやりとりは2度と起こりませんから、「型」を言われた通りこなす練習ではなくて、【プレー原則】に従った1回1回のやり取りで何を伝えようとし、何を感じ、何を調整したか、相手と自分との間で起こっていることを感じ取る感性を磨くトレーニング。

しかし、相手の反応なしに、何をやるのかの説明に終始して110というのは、戦術ボードの内容をピッチ上で再現しているようなもので、認識と遂行が直結していて解釈と判断というプロセスが脱落しているので試合で直面する現実に対応するという点ではベストのアプローチとは言えません」という研修は決して少なくありません。

でも児童福祉の現場で直面する現実では役に立たないと思うことがある。なぜなら求められる思考判断のスピードと置かれている状況があまりに違うから。

毎週決まった時間に会って、その間に色々思いを巡らせて、またじっくり考えてという古典的なクリニックベースの枠を守れる人相手の支援が成り立つならいいですが、その状況は現代児童福祉では「絶滅危惧種」と言わざるを得ない

もちろん「クライエント・ファースト」のような【プレー原則】は同じなんでしょうけど、認知・解釈・判断・遂行に求められるスピード感がまるで違う。それは安全度が違うから。「また来週考えましょう」というわけにはいかない、その場で判断して事態を収めることがめられるから。

なので、児相なら虐待通告、施設なら暴力等のトラブルなんて事態は突発的に起きますから、サッカーで言うなら自陣でふとした瞬間にボール奪われてピンチみたいな感じですよね陣形なんか整っていないけど、とにかく失点を防がなければいけない。

なので解釈と判断のない反復練習が「全く意味のない」とまで言うつもりはありませんが、児童福祉の最前線である児相や施設は、常に不測の事態が降りかかり、予定通りにならないですから、むしろある材料をヒントにして、その状況における解釈判断の瞬発力を鍛えるシチュエーショントレーニングが必要なんだと思います。


参加したことある方はイメージできると思いますが、「静岡LSW勉強会」は常にLSWのシチュエーショントレーニングです。ある材料を元に、コンセプトを共有して、安全安心に自由に感じ語り合える場を一緒に作ることを行う場なので。

いつか「約束事相手を非難しない)は無くても大丈夫なんですか?」質問いただいたことがありますが、そうならないような安全安心を高めるアナウンス、アイスブレイク、雰囲気づくりしていますが、そうなっちゃったら、それを皆んなでどう収めるかのシチュエーショントレーニングにしてしまえばいい

ただ、参加メンバーの様子から、自分が安心できなければ、安心でる程度に枠付けしたらいい。臨床と同じです。なので、全員初対面だとキツイですが、はじめの自己紹介の感じでだいたいのその場の雰囲気はわかります。有志の勉強会で集まる方にコンセプトを無視して相手を非難するような方はあまりいないですし、対人援助職がそんな人ばかりになったら世も末かなぁと思います。



プレー原則

じゃあ、児童福祉の【プレー原則】って何なんだ?と言う話です。これはそんなに単純な話ではないですが、ある切り口を紹介。

ポジショナルプレーの実践編。選手の認知を助ける5レーン理論

5レーン理論とは、マンチェスターC監督で元バルセロナ監督のベップことグラウディオラ監督が提唱している考え方。

サッカーは通常、ゴールを真ん中に見立てて、サイド攻撃とか

[左サイド]・[センター]・[右サイド]

と3分割でコートを考えるところ、グラウディオラ監督はサイドとセンターの間に[harf space]というエリアを設定して、

サイド[harf ]センター[harf ]サイド

という縦5分割で選手の位置、ポジションを整理。で、ボールポゼッション(パス回し・鳥カゴ)が出来る適切な選手間のトライアングルを作り続ける【プレー原則】がこちら。

条件①
1列前の選手が同じレーンに並ぶのは禁止」
条件②
2列前の選手は同じレーンにいる」
条件③
1列前の選手は適切な距離感を保つために隣のレーンに位置することが望ましい」

図にすると、

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左側の赤ポジションは「条件①」を満たしていない。一方、右側の青ポジションは全ての条件を揃えています。パスコースや動けるポジションに大きな差がありますよね。

このプレー原則に従って、ピッチ上の11人がディフェンダーの位置を確認しながら、臨機応変に、でも原則はそのままに、ポジションを流動的に移動し続けてパスコースを作り続けるわけです。

相手もボールを奪おうと判断の時間を与えまいと激しいプレッシャーをかけてきますから、当然、想定したフォーメーションではない味方のポジションやシチュエーションは実際によく起こるわけで、この【プレー原則】さえ共有しておけば、臨機応変なチームプレーが可能になる。

マンチェスターCの選手もグラウディオラの前の所属バイエルン選手も、すでに世界の一流と認められていた選手達が、グラウディオラの元でさらに成長進化したと言う声が選手自身と評論家ともに上がることが少なくありません。

おそらく【プレー原則】を頭の中で整理し、シチュエーショントレーニングを重ねたことで脳内インテンシティ」が飛躍的にUPして、実行するパフォーマンスの質や精度が上がったということなんだろうと推測します。

はい。フットボーラーなら、こんな自分を成長させてくれる監督のもとでプレーしてみたいですよね。

児童福祉は、サッカーのよりルールが複雑なので単純には言えないですけど、僕のイメージは年末に書いたコレ。

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僕は児童心理司の立場で、ケースワーカーと一緒に子ども面接や親面接に入りますが、気をつけているは、同じポジション同じ視点にいないこと。

よくありがちなのが、子どもや親を相手に2対1で複数対応することってよくあると思うんですけど、相手は大人2人から圧迫面接のごとく圧力かけられて責められているように感じること。ボール持ってるけどハイプレスかけられているような心情です。

ではなくて、僕は常にトライアングルを作ってパスコースや視野を確保するポジショニングを意識しています。場合によっては、本当に身体や椅子の向きから斜めにしてポゼッションを三角形にしますし。


目の前のやり取りを観察しながら、「へい!こっちにもパスくれ」とやり取りの角度(アングル)を変えたり、ワーカーとも「あれって、どうなってましたっけ?」とかパス交換をしたり、とにかく皆んなでボールポゼッション(パス回し・鳥カゴ)する感じ。みんな仲間ですから。

ただセンターラインのやり取りって、本当にプレッシャーを受けたり一発触発的な場面は現実にあるのでいつも福祉司さんには盾や防波堤になってもらっていると僕は思っていて、ちょっとキツイ時に「一旦サイドにボール散らして、展開を立て直しましょう」なんて感じの時もあります。

具体的な声かけとしては「これはあくまでいち担当心理司の見方として聞いて欲しいんですけど、…どう思われますか?」みたいな。ガチガチに焦点が固まったやりとりから、ふと距離を取れるように促します。

こういう視点や流れの切り替えの役割分担ができるのが、多職種で同時に面接に入る利点だと僕は思います。


さらに欲張って、少し前回からの五感の流れを、あえて5レーンで言うとこんなイメージです。

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僕の中では、人の感情は[体感覚]とより結びつきやすく、日常の外部情報的なメッセージは[視覚・聴覚]からの出入力が多いなという感覚があります。

一応、それを[ことば]で表現しようとするわけなんですけど、結構複雑な情報処理インプット・アウトプット作業をしているので、とても全部を正確に言語化できているとは、僕はそもそも思っていません。

この「まごのてblog」でさえ、何日かけて考えている事をまとめても、僕が感じ考えていることが正確に伝わるようにアウトプット出来ているのか、それは相手に確認しないとわからないわけで。ちなみに、「まごのてblog」は、どんな受け取り方してもらってもOKです。あくまで「コラムは考え内省し対話する材料。あとの調理はご自由に」というスタンスなので。

あえて、やりとりのイメージを描くならこんな感じ。

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大人の認知に偏った頭デッカチの考え方だと「何を言った/言わない」の議論になりがちですが、実際のコミュニケーション、特に情緒的な部分、気持ちの部分は、もっと非言語情報でのやり取りがメインで、ことば以上に、その表情やモノの言い方によって伝わっているメッセージは多いですよね。(ここの部分は別コラムでしっかり書きます)

やはりここでもトライアングルを保つことが大事だなと思っていて、文字ばかりに気を取られないで、もっとピッチを広く使って幅広いコミュニケーション、パス回しをして問題(困りごと)へのアプローチや崩し方を考えましょう、と。

なので、あえて相手が表現してない感覚にアプローチする質問、例えば、

「あの時、どんな感じだった?」(体感覚)
「何が起こってた?」(視覚or体感覚)
「どんな言い方だった?」(聴覚)

とか無意識にしてるな、と前回コラム書いてて思いました。その人の五感で感じている世界や人生観を、自分が映画監督や俳優となって再現できるレベルで理解しようと思うと、おのずとそうなります。じゃないと、内面や感性の役作りまで出来ないので。

プレー原則については、
【第57回】心理療法の系統的選択

で書かれていたことも結構近いかなと思いますし、きっと対人援助全般の【プレー原則】となると、根本的な人に関わる姿勢・考え方になるのかな、となんとなく思います。

そして、その姿勢や考え方の多くは、文字ことばではなく、何気ない表情やジェスチャーといった非言語メッセージによってほとんど伝わっているだろうと思います。

いつか紹介したいと思って温めていた「5レーン」の話が、前回コラムとリンクして自分の中で整理が進んだ感じがします。

考えを一回寝かせて、発酵させると違う味になるし、そんな時間もやはり必要だなぁ、と思いました。

ではでは。

【第63回】「アンカリング」で考えるLSW

メンバーの皆さま
 
こんにちは。管理人です。
 
前回コラムで扱った【視線】と【脳のつながり】について、一晩寝たら、
「もっと、シンプルに考えたらいいんじゃない」
と思いました。
 
つまり、今までコラムで扱ったり僕が知っている内容とリンクさせて考えれば、そんなに目新しいことでもなかったかも、と。そんな整理プロセスを今回コラムで少しまとめてみます。内容は、
 
①時間志向性
NLPの「アンカリング」
③トラウマのフラッシュバック
④感覚統合
 
あくまで管理人イメージなので、「全然シンプルじゃない」「むしろややこしい」ということもあり得ますので、ご了承を。
 
 
時間志向性
時間志向性は【第19回】ジンバルド時間志向テストhttp://lswshizuoka.hatenadiary.jp/entry/2017/07/27/080618で取り上げた過去ー現在ー未来]のどこに思考が向かいやすいか、その割合やバランスの話しでした。
 
僕の中では、こんなイメージ。

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どこに意識や興味が向いているか。そして、[過去ー現在ー未来]の間に重なりやつながりがある状態が、僕の中での「時間的展望がある」「時間の連続性がある」イメージ。
 
しかし、LSWを想定するような児童は、生い立ちや過去にあいまいな喪失があって、昔のことが気になってモヤモヤしている状態。うまく言葉にする記憶、手がかり、言語化する力も乏しい。

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時間を志向するエネルギーの総量が決まっていると仮定して、バランス的に過去志向に注意が持っていかれているイメージ。なので、現在に集中したり、未来まで考えるエネルギーが残っていない感じ。なので、昔のことでスッキリさせることが安全で問題ないことはスッキリさせて、現在や未来に向けるエネルギー割合を増やすのが、喪失体験の悲嘆(グリーフ)を癒すことを狙ったLSWイメージです。
 
まず、この考えが僕の中ではあります。
 
 
アンカリング
NLP神経言語プログラミング)の中で、アンカリングというものがあります。
 
アンカーとは、船の「碇(いかり)⚓︎」のことですが、NLPでは、特定の感情や反応を引き起こす、引き金となる五感情報をアンカーと言うそうです。
 
例えば、昔に流行ってた懐メロを聴いて、当時のことを思い出すみたいな。これが聴覚アンカー。
 
アンカリングとは、船がどこかにフラフラ〜と行かないように重石となる「アンカー」を置くように、気分や調子が良い時のアンカーを見つけて、安定的な状態を保ったり調子を整えるのに利用するもの。良いアンカーにリンク(つながる)って感じでしょうか。
 
例えば、スポーツ選手が本番直前に平常心を保つためにお気に入りの音楽を聴くとか。
 
ちょっと古いですが、ラソン金メダリストのQちゃんこと高橋尚子選手が、hitomiの「LOVE2000」という曲を試合直前に聴いていたのは一時期かなり有名になりましたよね。
(♬愛はど〜こからやってくるのでしょう…ですね。いや懐かしすぎる。もう18年も前なのか)
 
僕のイメージを図にすると、こんな感じです。

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アンカー(緑のかたまり)にアクセスすることで、調子のいい時の身体感覚やイメージとリンクさせて、その時の状態を思い出して、今の状態を近づけるようにする。
 
他には[視覚アンカー]で言うなら、首にかけたペンダントを見たり、タトゥーや道具に刺繍された名前を見て家族を思い浮かべて、自分の身体や気持ちの状態を落ち着かせるみたいな。
 
また[体感覚アンカー]なら、五郎丸選手やイチロー選手のルーティンとかですかね。いつも決まった身体動作を繰り返すことで、プレッシャーが掛かった状況下でも、常に同じパフォーマンスを発揮できるように身体面からアプローチして心身の状態を整える。
 
シンプルに考えたら、LSWで写真を見たり、施設訪問するってコレに近いな、と。視覚・聴覚・体感覚を利用して身体記憶にアクセスして、ポジティブ情報が少ない人に対して、今後プラスのアンカーになりえる資源(リソース)を膨らませたりまず探す感じでしょうか。
 
 
また、この考え方に前回の[視線]を組み合わせて、ネガティヴな情報からの切り替え、切り離しを行うことがあります。
 
例えば、プロのゴルファーがミスショットをしてしまった場合。次はミスできない状況で、何度も素振りをして練習通りのフォームを再現しようとするわけなんですが、どうしても、さっきのミスショットのイメージが頭に残って、そちらに意識や身体が引きずられてしまう。
 
なので、プロゴルファーは、ネガティヴイメージから離れるため視線を下に落として深呼吸して、身体感覚にフォーカスして、身体が覚えているハズのフォームを再現できるように意識志向のバランスを整えるそうです。
 
また座禅は、まず視線を少し先の斜め下におきますけど、普段の雑念やイメージから、身体感覚に意識の志向を向けるための視線誘導にも思えます。
 
ルーティンでも、五郎丸の[両手を合わせるポーズ]イチローの[バットを持った右手をピッチャーの方に伸ばしているポーズ]が印象に残りますが、ルーティンはボールをセットする時、バッターボックスの中から始まる一連の動作であって、よく見ると動作と一緒に視線も動かす順番や位置も決まっています。
 
 
つまり、前回こんな表を作りましたが、
 
     【過去】       【現在】      【未来】

視覚

↖︎           ↗︎

視覚

聴覚

←  👀   →

聴覚

身体感覚

↙︎           ↘︎

身体感覚

 
ポジティブな状態を膨らませたい時には、それを想起しやすい刺激(アンカー)にアクセスしやすい状態に脳を動かすために視線を動かし、
 
逆に忘れたい情報にアクセスしてしまっているときは意図的にその方向から視線を外すと、切り替え易くなる、ということが言えるのでは、と。
 
もっと単純にすると、
・イメージを浮かべたい時は[上]
・耳をすませたい時は[横]
・身体の感覚を感じたい時は[下]
を向くと、脳の状態もそっちに向けられるみたいな。
 
位置を覚えられない人は、左下の図を大きな顔と身体と思ってください。
 
    目     目     →[視覚]
耳 (鼻) 耳 →[聴覚]
     (口)                           ・嗅覚
       身体       →[体感覚]・味覚
                                           ・触覚
 
ちょっとブサイクですが、方向のイメージはこんな感じ。自分の眼球、耳、身体の方向(上、横、下)に意識だけでなく目も向ければいいだけ。身体とこころの方向を一致させるように。
 
視線の話を除けば決して特別なことではなくて、例えば、会社の上司に、めっちゃムカつくこと言われて、顔を思い出すだけでも腹が立つなんて時があったとします。とりあえず美味しいもの食べて忘れよう、なんてこと日常生活であると思います。
 
これだって、ある意味、怒られたイメージ(視覚情報)とか、その時の言葉(聴覚情報)が残っているチャンネルから、注意を体感覚チャンネルにズラして切り替えをしている、と言えると思うんです。水を飲んで、気分を切り替えて落ち着くやつです。
 
しかし、いつも手元に食べられる物があったり、仕事を終えて別の事ができるわけではないですから、例えば、落ち着くための深呼吸する時に、視線も意識して下げることで、より効果を高めるということに応用できるのでは、と。
 
 
 
トラウマのフラッシュバック
 
この怒られる状況は、最近、全国的に警察通告で急増しているDV目撃などの「心理的虐待の状態に当たります。直接、殴られてなくても、大人同士が殴ったり怒鳴り合ったりすることを見たり聞いたりする[視覚情報][聴覚情報]が怖い感情とリンクして残ってしまう。なので、その場から離れて映像と音を遮断して、[体感覚]に注意をそらす深呼吸して安全、大丈夫、落ち着きましょう、という切り替えです。
 
しかし、「身体的虐待」「性的虐待の場合は、直接、触られたり殴られたりするわけなので、[体感覚]と怖い感情がリンクして残ってしまう。なので、トラウマ治療では、トラウマを扱って処理をする前に「安全な場所のイメージを作る」ワークで、もし過去を思い出して怖い感情感覚が湧き起こっても、その人がほっとできる安全な場所を想像して練習をしますよね。想像しやすいように、イメージカードを作ったりなんかもして。これも恐怖の[体感覚]が出てきた時に、[視覚情報・イメージ]にチャンネルを切り替えている、とも捉えることもできます。
 
でも、そもそも「安全な場所」が全然思い浮かばない、想像できない人もいるんですね。
 

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例えば、[図上]の丸が[過去→現在→未来]を志向した時の全体イメージだとして、現在や過去において、ポジティブ体験(喜・楽)とネガティヴ体験(怒・哀)の天気予報で言う「晴れときどき雨」くらいの割合であれば、将来も「悪い事もあるけど良いこともあるさ」と思えます。
 
しかし、[図下]今も昔も「雨ときどき曇り」みたいな主観的な楽しい体験、うれいし体験が相対的に少ない状況ならば、当然[未来イメージ]も似たような状況を予想しますし、過去が気になって仕方ない状況で、そんな悲観的な未来のことを考えることにエネルギーは向かないですよね。
 
安全な場所すら思い浮かばない場合の多くは、現在の資源(リソース)が乏しい状態。つまり、今の生活の中で「安全感」を十分に感じることが出来ていないと想定されるので、[過去]を扱う前に、まず[現在]の安全安心を高めて、せめて現在は、
 
ポジティブ体験>ネガティブ体験
 
の割合になるような支援を考えましょう、ということになるわけです。
 
僕の中でのLSWは[現在]→[過去]→[未来]の順で主観的体験のポジティブ割合を増やすプロセスのイメージですが、それはトラウマ治療の前のリソースを増やす作業にも通じるな、と。
 
僕のイメージだと、アンカーが過去の[良い身体状態・感情・感覚]を引き起こす刺激だとすれば、トラウマのフラッシュバックは、ある刺激によって過去の[怖い身体状態・感情・感覚]が引き出されている状況。
 
アンカー⚓️が「安定した」イメージから名付けられているのだとしたら、逆にトラウマを想起させる刺激は「不安定」を引き起こすもの。"地雷"的な感じですかね、踏んだり触れたりしたらマズイみたいな。
 
しかし、恐怖場面の[映像の想起]をすること全てをフラッシュバックと言うわけではなくて、たとえ怖い出来事を思い出しても「これは昔のこと」「現実ではない」とイメージの中で一定の距離が置ければ大丈夫なわけです。夢の中で「これは夢だ」と気づくみたいな。
 

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しかし、被害体験とリンクする視覚・聴覚・体感覚のどこかの刺激スイッチによって恐怖感情が想起され、心拍数が上がりアドレナリンが分泌されるなど、現在の体感覚に直接入り込んできて影響すると、あたかも[現在]起こっているかのような感覚に陥って、過去か現在かの区別つかなくなる。頭で思い出そうとしてないのに身体が勝手にアクセスして反応しちゃうから。
 
想起される出来事で感じるインパクトや恐怖感、自分自身のコントロールの喪失感の程度(不安、主導権の喪失はストレスを招く要因でした)が重要なのです。
 
トラウマ治療の前に、まずリソース(資源、つまりポジティブ体験)を増やす作業が必要な理由は、揺れた時の安定感、起き上がりコブシの重しの部分を作ること。その上で安全安心を思い出して[安全な場所]や[アンカー]を準備しておいて、たとえフラッシュバックでドキドキして多少揺れたとしても、「それは昔の出来事」「今は大丈夫」と距離を取ってコントロール出来る感覚を回復させていく。
 
で、ようやく前回の内容につながるわけですが、このフラッシュバック感覚と距離を取るときに、アンカーを思い出したり、視線で感覚への注意をそらす感じが応用できるだろう、と。
 
   【過去】        【現在】       【未来】

視覚

↖︎           ↗︎

視覚

聴覚

←  👀   →

聴覚

身体感覚

↙︎           ↘︎

身体感覚

 
前回の表、まさにこの感じだよな、と。
 
僕はEMDRもブレインスポッティングの研修も受けてないので、知識レベルの想像ですけど、脳が何処かでフリーズして滞っている処理を、身体でいうストレッチやリンパマッサージ、鍼灸のように、脳の回路がスムーズに流れるように視線を動かしたり固定したりして、ほぐすイメージなんだろうと僕は思っています。
 
【第18回】「cure」と「care」の違い
で触れた「heal」のイメージです。
 
 
発達障害と感覚統合
 
なので、健康的な状態イメージを図にすると、僕の中ではこんなイメージ。

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LSWで意図しているのは、イメージの[横]つながり・循環が滞りない状態にする感じ。頭の中で過去や未来をイメージしたり自由に想起想像したり現実に戻ったりアクセスのいい感じ。
(時間志向性のバランス、時間的展望)
 
[縦]のつながりは、視覚・聴覚・体感覚が適度なバランスで働いてリンクして物事を統合的に感じられている感じ。マインドフルネスのイメージに近いのかなぁ…普段、意識しない感覚にもフォーカスにて感覚を呼び起こすみたいな。
 
で、[縦]の五感の循環が良いと、ちょっと怪しげな話になりますが、地に足が着いて、「元気玉作るみたいに地球からのエネルギーとか気をもらえてグルグル循環できているイメージ。あくまで僕のイメージですが。
 
一般人だと、縦の[視覚・聴覚・体感覚]の割合は、得意不得の違いはあってもだいたい[5:3:2]くらいで情報を同時処理しているところ、
 
発達凸凹系はどこかが突出して[7:2:1]とか、ゼロってことはないんでしょうけど、割合的にどこか突出し過ぎて、強いこだわりや突っかかりが出来ちゃって、流れが悪いイメージ。
 
LSWで扱おうとしている[過去ー現在ー未来]の連続性って、目に見えない内的なイメージの世界ですから、やっぱりイメージのチャンネルが弱い人は厳しい。
 
ASD自閉スペクトラム症)が強くて、あまりに感覚の感度に差があり過ぎると、五感がつながって統合している感じ、エネルギーや気が身体全体に循環している感じに乏しいので、良くも悪くも浮世離れしてるというか、一般人とは違うなんとも言えない独特のフワっとした雰囲気を持っている人はいるな、と言うのが僕の感覚。
 
で、酷いトラウマだと[解離]と言って感情・感覚がどこか麻痺しちゃって、本当にどこかがゼロで、ブツッと流れが止まってるイメージ。五感の流れがないので現実感や地に足がついて[エネルギーや気が循環している]感覚が持てない。
 
なので、トラウマ治療は安全感を高めて、服薬やワークを使いながらトラウマ症状を和らげて、トラウマ処理をして感覚統合を目指しましょう、ということになる。
 
そこで、EMDRとかブレインスポッティングとかで視線を利用するということだと思うんですけど、発達障害の感覚統合や脳の使い方のアンバランスを整えて流れ良くしましょうみたいな感じが「ビジョントレーニング」なのかな、と。あくまで想像ですけど。
 
例えば、最近「アイトラッキングという視線を可視化して色んな分野に応用する研究が進んでいますけど、自閉スペクトラムの人は、相手の顔や目ではなくて、口元や身体などに視線を向けやすいことが、まだ有意差までは出ないみたいですけど言われています。
 
これを見ても、ASD自閉スペクトラム症の人はやっぱり視線が動きにくかったり、うつむき気味で視線が下に向きがちだなぁと思うのですが、「視線の動き」と「脳の機能」が下向きという事と、想像力が乏しいとか、身体感覚に過敏さがあるとか、表情や雰囲気を読めずに文字通りに受け取るとかは、視覚・聴覚・体感覚を司る脳の使い方のバランスや繋がりの悪さ・不器用さと、僕的には重なるんですよね。
 
この図で言うと、下向きのチャンネルばかりにアクセスしてるイメージです。
 
   【過去】        【現在】        【未来】

視覚

↖︎           ↗︎

視覚

聴覚

←  👀   →

聴覚

身体感覚

↙︎           ↘︎

身体感覚

 
 
まとめ
 
ということで、NLP神経言語プログラミング)の【視線】と【脳のつながり】の話の中で、こんな表を頭の中でグルグル思い描いていたら、
 
[横]のつながり(時間志向性・時間的展望)と
[縦]のつながり(視覚・聴覚・体感覚の統合)
 
という整理で、これまでバラバラにイメージはしていた「LSW」「トラウマ」「発達障害」の話しが、NLPが料理で言う「つなぎ」の部分となって、ピタッと繋がったんですよね。
 
あ、そうか、このことか、と。

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以前【第56回】ジャパネット流「企業再生術」
http://lswshizuoka.hatenadiary.jp/entry/2018/01/10/231141で取り上げた「フューチャーマッピング」も「未来語りのダイアローグ」も、また福祉の世界では有名になった「SoSA(サインズオブセーフティ)」も「3つの家」も、共通してみ〜んな右上が未来の理想の姿左が過去の位置づけになっている。確か描画テストの解釈も右側が未来ではなかったでしたっけ?(心理司のくせに、そこが一番自信がない…)
 
これらが初めから視線や脳のつながりまで意図して作られているかは定かでは無いですが、おそらくケースを積み重ねると概ねの人が話しやすい位置というのが自然と位置に共通して収束していった、自然の摂理の結果なのではないか、と。
 
ただし、NLP神経言語プログラミング)の視線解析では、左利きだと全て左右逆で考えるらしいのですが、その辺は「3つの家」のように、
 
「話しやすい所に自由に位置(左右)変えてもいいよ」
 
と相手の反応と主体性によって、こちらが相手の話しやすい形に合わせられる柔軟性を持っていれば済む話かな、と。
 
対人支援の本質は、たとえ話しの題材が「生い立ち」「トラウマ症状」「困り事」と変わったとしても、それを一緒に眺めて一緒に考える、いま目の前にいる相手との「やりとり」の過程だと僕は思っています。
 
まず相手のペースに合わせ、その後に共同作業するという原則を考えれば、脳の部位とか難しいこと考えて「視線誘導せねば!」なんてとらわれを捨てて、相手とスムーズなやりとりが出来る流れに身を任せれば自ずと視線の位置もそうなっているだろう、と。
 
ただ健康度が落ちていたり、元々のバランスや循環が良くない人相手だと、多少の枠付けがあった方がスムーズに健康的なやりとりが出来るので、今回つらつらと綴った配慮が必要なのですが、例えば、健康度が高い大学生のキャリアカウンセリングとかなら、きっと視線やマッピングは概ね、
 
   【過去】        【現在】         【未来】

視覚

↖︎           ↗︎

視覚

聴覚

←  👀   →

聴覚

身体感覚

↙︎           ↘︎

身体感覚

 
こうなっているんだろうな、と。
 
はじめにも断りましたが、これは根拠まで突き詰めていない、あくまで僕の臨床感覚と知識を重ねたイメージなので、そのつもりで。
 
【第48回】の神田橋先生のセリフみたいに、もう数年したら「あの話はやっぱりウソでした」なんてこともありえますから、いち現場職員のつぶやき(にしては長いですが)と思って下さい。
 
ではでは。

【第62回】視線と脳のつながりとLSW

メンバーの皆さま
 
こんにちは。管理人です。
 
2/2(金)から長野に仕事で来てまして、現在、帰りの電車に揺られています。
 
名古屋まで「特急ワイドビューしなの」で約3時間。長野県北部にある
長野市から山の中をズンズン南に下って進んでいくのですが、天気も良くて雪景色が見事です。
 
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新幹線には毎日通勤で乗っているのですが、さすが「特急ワイドビューしなの」だけあって窓も大きく視界が開けてますし、走るスピードも景色を眺めるのに早過ぎずちょうど良く、たまには特急電車の旅も良いものですね。
 
そして縁あって、今日の午前には、長野県の現場の方々とLSWについて語り合う勉強会を設定してもらったのですが、やはり現場でコツコツ何気なく素晴らしい実践をされている方はたくさんいますね。
 
昨日今日と、長野の方々とキレイな景色に癒され、新たなアイデアと元気エネルギーをもらえた感じがします。
 
 
で、今回コラムの本題はここから。
 
まず前フリなのですが、心理学の中のNLP神経言語プログラミング)」というものがあります。ご存知の方もいると思います。
 
簡単言うと、人は情報処理に使っている感覚やチャンネルの感度・優先度が違うという話です。
 
 
例えば、
 
 
 
 
「浜辺に遊びに来たところを想像してください」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
はい、実際に想像してみて下さい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
現在、真冬ですからね…
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
想像できましたか?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この時、どんな情報から想像したかで、ご自身の優位な感覚がわかります。
 
 
 
 
 
例えば「明るい日差しが…」「白い砂浜が…」
という【視覚的】イメージがまず思い浮かべる人もいます。
 
また「波の音が…」「カモメの鳴き声が…」
という【聴覚的】な情報から入る人もいます。
 
はたまた「爽やかな風が…」「足裏の沈む感覚」
といった【身体感覚】から想像する人もいます。
 
まとめると、こんな感じです。

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人間五感が働いてますから、どの感覚だけという事ではありません。五感が同時に働く中で、得意な感覚、不得意な感覚のバランスは人それぞれという事です。なので、同じ現象を共有しても、感じ方や主観的体験が異なることが起こります。
 
特に発達凸凹のある子は、どこかの感覚が凡人の平均枠を超えて敏感だったり鈍感だったりするので、他の人に体験を理解してもらったり共感してもらいにくく、「なんか私がおかしいんじゃないか」なんて思いやすいわけです。
 
また、感覚が尖っていると受けるインパクも大きくなってしまうので、凡人なら忘れてしまう事でも大衝撃で、変にこだわったり忘れられなかったりして、周囲から変な目で見られるみたいな。
 
トラウマ体験のダメージの受け方や忘れにくさも、このような感覚の違いは大きく影響していると思います。
 
 
という事を対人支援に応用して、目の動きのパターンを観察することで、どのように情報処理しているのかを読み取ることをNLP神経言語プログラミング)では「視線解析」と呼ぶそうです。
 
具体的には、上下左右目線の動きによって、
 
右上 ⇒ 視覚的創造
右  ⇒ 聴覚的創造
右下 ⇒ 身体感覚
 
左上 ⇒ 視覚的記憶
左  ⇒ 聴覚的記憶
左下 ⇒ 内部対話
 
こんな情報にアクセスしていると。
 
表にすると、こんな感じ。

視覚的記憶

↖︎        ↗︎

視覚的創造

聴覚的記憶

←  👀  →

聴覚的創造

内部対話

↙︎        ↘︎

身体感覚

 
 
で、本題の本編はここからなんですけど、この前、ある障害型障害児入所施設(つまり知的障害の子どもの施設)で、来年度の高等部卒業を控えた子に、LSW的な取り組みをした時のこと。
 
施設職員さんと打ち合わせの中で、退所後の本人の社会生活を見据えて、あと残り1年ちょっとの施設入所期間で取り組んだ方がいいだろう課題(異性関係の心配)への動機付けとして、
 
「そもそも施設に入所した理由」
「入所前の生活変遷、家族イメージ」
「卒業後の生活の希望」
 
等を本人がどれくらい認識して語れるのか語れないのか、また気になっているけど聞けなくてモヤモヤしていることはないのか確認しよう、ということになりまして。
 
で、僕がホワイトボードに図を描きながら、
 
「一般的に、施設で暮らす子はいろんな家族の事情(お金、病気、死亡、失踪、虐待など)で施設入所するけど、施設で暮らす理由を知らない子や知りたいけど聞けない子は結構いるんだよ」
 
「この施設にいて職員さんや児童相談所が関われる間に、もし気になっている事があれば、調べてわかることは伝えたいし、(課題について)退所する前に知っておいて欲しい事の話もしたいよ」
 
というような事を、担当の職員さんと一緒にホワイトを眺めながら聞いてもらったんです。
 
すると、
 
「ちょっといいですか?」
 
と、子ども自ら手を挙げて、
 
入所の日付から、入所時に連れ添った児相職員のこと、
施設に来る前こんな事があってコレは覚えてる、
コレはわかんない、けど気にならない、とか
この先こんな生活をしたい、とか
 
ベラベラ喋るんです。
 
その語りをホワイトボードにメモしながら、流れに乗りつつ質問したりする中で、そんなに言語化が上手い子ではないので、その時は「思ったより良く語れるなぁ」くらいな感覚だったんです。
 
で、終わった後にホワイトボードを眺めると、
 
 
右上 ⇒ 卒業後で生活する場所の図
右  ⇒ そこでの生活の希望
 
真ん中⇒ 今の施設の図
 
左上 ⇒ 入所前の生活の変遷図
左  ⇒ 家族や入所時について語り
 
 
になってるんです。これ見て「あれ?もしや」と思いまして。
 
       【過去】          【現在】          【未来】

視覚的記憶

↖︎         ↗︎

視覚的創造

聴覚的記憶

←  👀   

聴覚的創造

内部対話

↙︎         ↘︎

身体感覚

 
 
そう、この表と時間の流れ[左右]だけじゃなくて、感覚のチャンネル[上下]とも何となく場所が一致している…。
 
 
ここからは、僕の根拠のない感覚的仮説なので、そのつもりで。
 
「視線の動き」と「脳」のつながりの話は、最近よく耳にして、
 
例えば、発達障害系の子は、視線が合わなかったりしますが、そもそも目の動かし方が上手くないということで、「ビジョントレーニング」という視線の動きのトレーニングから情報処理の不具合にアプローチする方法が出てきています。
【参考】LITALCO発達ナビ
 
また、トラウマ治療の中では「ブレインスポッティング(BSP)」という視線と脳のつながりを利用したトラウマ処理の方法が徐々に知られてきています。
【参考】ブレインスポッティグ・トレーニング・インスティチュート 日本
 
 
僕はどちらの研修も受けれてないので、あくまで推測ですが、NLP神経言語プログラミング)では「視線解析」でその時に情報処理に使ってる脳のチャンネル(部位)を知るという文脈でした。
 
しかし逆に、ビジョントレーニングやBSPでやっていることは、視線誘導することで意図的に使用する脳バランスにアプローチできる、ということだと思うんです。
 
もう言わんとすることは察していただいていると思うのですが、BSPもエビデンスが十分でないと書いてありましたので、あくまで仮説です。
 
もしかしたら、自分でも知らず知らずのうちに、ホワイトボードによる視線誘導によって記憶や創造のアクセスを促していたのでは、という事です。
 
もちろん、使い方を間違えると、引き出したくない記憶にもアクセスしてしまう可能性もあるので、きちんとした勉強や訓練が必要です。が、視線を応用すれば、より安全かつスムーズなLSWでの語りを促すことが可能になるのでは、という気づきです。
 
ビジョントレーニングやBSP研修を受けたり勉強すれば、確信に変わるんでしょうけど、こういう研修代って高いんですよね…。まぁクライエントの脳のバランスを整える前に、日程と家計と家族のバランスを整える方が大事(これが難しい…)なので仕方がないですね。
 
と思ったら、最近「ビジョントレーニング」の研修を受けたと言っていた同僚がいる事を今思い出しました!
 
その時は「へ〜」って位の薄いリアクションで、今思えば申し訳ない感じの反応だったと思うんですけど、改めて詳しく話を聞いてみようと思います。
 
まぁ、今回たまたま面接室が大きく、ワイドビューできる大きなホワイトボードもある部屋だったので偶然にも起きた体験だったとは思うんですけど、実体験での「気づき」を伴わなうか伴わないかで、同じ情報提示でも感じ方って全然違うし、やっぱりタイミングって大事だなぁ、とつくづく思います。
 
ホント、どこでどんな気づきが起こるかなんて、わからないものですね。
 
ではでは。
 
 
 

【第61回】喪失体験のストレスとシコリ

メンバーの皆さま


こんにちは。管理人です。

気がつけば、もう2月。早いですねぇ。

と自分で書きながら、月が変わる度に「もう◯月、早いですねぇ」と言ってるような…。

いつもiPhoneで書いているんですけど、先日、「メモ」アプリ機能で、太字や表が簡単に入れられることに、今更ながら気付きました。

こうやって段々と、世の中の進化のスピードについて行けなくなるんだろうなぁ、なんて感じます。

なので、今回から時々、文字が太くなったり「メモ機能」を発動させますが、まぁオモチャ買いたての子どもがはしゃいで遊んでると思って、優しい眼差しでご覧ください。


■ストレスの要素

今回扱うのは前回に引き続き「ストレス」
そんなメモ機能を眺めていたら、偶然、一年程前に自分で書き残していた「ストレス」の内容。

ハッキリ言って何度も読み返しても、いつ、何の本を見てメモしたのか、全く思い出せません。たぶん、いつか見直したいと思って書き残したんでしょうけど…。

まぁ「まごのてblog」の過去の記事見ても「当時の俺ってこんなこと考えてたんだぁ」って感じなので大して変わらないですけどね(笑)


で、本題ですが、心理学で「ストレス」と言えば必ず教科書に出てくるのがセリエ。そのセリエが、一般にストレスを招く要素として、

「不安」「情報の欠如」「主導権の喪失」

を挙げているようです。お、これはなんだか「LSW」や「あいまいな喪失」と重なりますね。

また、
「不安、葛藤、無力感、情報不足などの精神的要素は最大のストレス刺激であり、視床下部ー下垂体ー副腎の軸を強力に活性化させる。自分がコントロールできるという気持ちと完了行動は、その軸における活動を即座に抑制する」
(Rajesh K.Naz 1997)

であると。さらに加えると、ストレスとは必ずしも危害を受ける可能性など外部からの客観的な脅威だけじゃなくて、自分が絶対必要だと思うものがないという内的な認識もストレス刺激になりうる、と。

だからこそ無力感情報不足精神的欲求たとえば愛情を求める気持ちなど)が満たされないことも連なる軸(視床下部ー下垂体ー副腎)を活性化させる、と。そして、そうした精神的な欲求が達成されるとストレス反応は終わると。

ちなみに、この軸が活性化されて血中に放出されるのが通称ストレスホルモンと呼ばれるコルチゾール。そして、コルチゾールは唾液を使って簡単に測定できるようです。

ただし、「ストレスホルモン」なんて名前だと何だか悪いヤツというか放出されない方がいいんじゃないか、という連想をしがちですが、逆にストレス時に身体を活性化させて身を守ろうとする役割を担っているようです。

【参考】ストレスに反応するコルチゾールは敵か味方か(毎日新聞

前回、前々回コラムの図でも、[赤エリア]の危機状態(闘争、逃走モード)時は、ノルアドレナリンが分泌されて身体能力UPするけど激しくエネルギー消費する状態であることに触れました。

喪失体験時には、コルチゾールがたくさん分泌されるようです。つまり喪失体験は、非常にストレスフルで生理的には危機状態と感じているという事。

喪失体験を「ストレス」「ホルモン」の切り口で捉えるとこんな感じになるのかな、と。


■コメント

率直に思うのは、まさに施設入所や措置変更は、
「不安」「情報の欠如」「主導権の喪失」
のストレスを招く要素の三拍子が完璧に揃っているよなぁ、と。

支援者の中には、「安全な環境で…」と家庭分離や施設変更をゴリ押しする人や、「動機付け」とか言って本人のやる気をうんぬんとか言う人がいるんですけど、基本的には施設入所や措置変更がライフイベントの中でもかなりトレスフルな出来事と言う大前提、本人目線の体験を想像することがおざなりになっていないかな、と思うことがあります。

社会的養護(里親・施設)に行く子というのは、現実状況的に「行かざるを得ない」「家には戻れない」ことが実際はほとんどだと思います。

しかし「肉を切らせて骨を断つ」ではないですけど、本人目線では喪失という痛み・ストレスを伴わない里親委託・施設入所・措置変更は有り得ないと思います。「家に帰りたくない」という子ですら、友人や地域のつながりが切れてしまうわけですし、家族全員の全てが嫌なわけではないハズなので。

なので、なるべくその時の喪失ダメージをその時に手当てしたり、傷口を最小限に留める努力が必要だろうと思うのです。

具体的に言うと、次の生活場所について、言葉だけじゃなく視覚や体験も利用した(見学や慣らし保育)丁寧な説明をしたり、「行きたくない」と言う気持ちも言ってもいい安心感やわかってくれるはずという関係作り。そして、悲しい寂しい気持ちの言語化や共有をするプロセスやりとりが出来るかどうか。

子どもが「行きたくない」と言っても施設に行かないといけない状況は現実的にありますから、タイムリミットがある中で「不安」「情報の欠如」「主導権の喪失」という要素を0%には出来ないにしろどこまで解消してあげられるか。

特に「主導権」については見解が割れる所だと思いますが、僕自身は施設入所措置変更という結論(着地点)は変えられないにしても、そこに至るプロセスやスピードは可能な限り本人の意向を確認し取り入れたいと思っています。もちろん「伸ばせても◯◯まで」なんて限界設定はしますけど。

どうしても大人側に余裕がないと「ここしか行く所がない」「とにかく頑張れ」という励まし動機付けと言う名の「押し付け」なりがちと思います。

しかしながら、勝負所は、子どもの喪失に対する(当たり前の)ネガティヴな感情を受け止めながらも、いかに大人が考える「子どもにとっての最善の利益」のストーリーを語ってあげられるか、だと思うんです。

『このままだと、こうなる事が心配』
『こんな気持ちで日々の生活を送ってほしい』
『将来こんな風になって欲しい』

など。この支援者の想い」が「重い押し付け」になるかどうかは想いを伝える前にどれだけ相手の話を聞いているか。最低でもトントン社会的養護に行くレベルの子は10倍は聞いて受け止めて、その1/10聞いてもらえれば御の字ですかね。

その時は表面上「は?何言ってんの?」的な反応だったとしても、自分の事にしっかりと関心を向けて、真剣に考え心配してしてくれた人がいた、という経験の積み重ねは、数年後に必ずジワジワ効いてきます。

この喜怒哀楽ポジティブ/ネガティヴ感情リアルタイムで満遍なく扱っておくことは、マッサージにも似てるな、と思います。


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例えば、肩でも背中でもいいんですけど「コリ」って放っておくと「シコリ」になりすよね。そして、シコリを抱えていると身体が重かったり痛かったりして、可動域が狭くなって自由が効かなくなるじゃないですか。

僕も椎間板ヘルニアで腰が悪くて鍼灸に通っているというのは以前コラム(【第18回】「cure」と「care」の違い)に書きましたが、
やっぱりシコリ」を押されると痛い。

それを、触診して状態確かめて、温タオルで温めたり針を打ったりして解(ほぐ)して、最終的には手でマッサージしてもらいます。丁寧なプロセスを経ても痛い場所は痛い

でも、「この先生がやるなら間違いない」「この後の生活は楽になる」という信頼や見通し、実感があるから通い続けるわけです。

しかし本来なら、普段から姿勢や日常生活を整えて、適度な運動とウォーミングアップ・クールダウン、そうでなくても入浴後にストレッチをして、自分で出来るセルフケアをして身体をほぐして状態をキープ出来れば、言い換えれば自分の身体を大切にする時間と習慣を作ればそもそも鍼灸に通う必要はないわけです。


個人的にはこの関係と「未完の感情」「あいまいな喪失」は似ている気がします。

その場その場で、その時に自分の中で沸き起こる「喜怒哀楽」の感情を抑え込まないといけない場面が続くと、それは感情の「コリ」となり、やがて「シコリ」となります。

シコリ」にまでなってしまうと、解すのにも痛みを伴う場合がありますが、「コリ」段階で適度に揉んでもらえば気持ちよく癒される。気持ちの共感です。

ネガティヴ感情=「何でもトラウマ」と単純に考えてしまう人もいるようですが、そうではない。トラウマは安全感が脅かされる「恐怖」体験なので、トラウマ治療は認知的身体的な恐怖反応を「もう大丈夫」と取り除いてあげるとになります。なので今が安全で大丈夫でない人にトラウマ治療やっても「焼け石に水」です。

対して、喪失の悲嘆(グリーフ)によ「怒り」「哀しみ」は、もちろん体内にはコルチゾールノルアドレナリンが分泌されているとは思いますが、安全安心な環境や関係性の中で、話を聞いてもらって共感してペースを合わせてもらって「幸福ホルモン」オキシトシンが分泌されば、赤ちゃんが泣き止むように徐々に癒され、落ち着きを取り戻せます。

例えば失恋した時に失恋ソングを聴くのも、悲嘆のプロセスや「わかってもらえる共感」に近いと思います。でも、恐怖体験した後に自ら「恐怖ソング」聴きませんよね。恐怖ソングって何だって感じですけど(苦笑)あえて言うなら、映画ジョーズのテーマとか?


イメージ的には、人生トータルの経験で、
  「自分が尊重され合わせてもらう」
                            >「自分が周囲に合わせる」
というバランスにならないと、人の話を聞いたり人の立場に立って物事考えるのは難しいかな、と。普通は、乳幼児期で「自分中心」を経験するわけですけど、社会的養護まで来る子はそうでない子が多いので。


LSWというと、どうしても[過去]の生い立ちを振り返ることに注目がいきがちですが、まずは生活場所の変更という喪失体験ストレスや変更後の生活を送る中で、まずはその時の感情を可能な限り取り扱って「シコリ」をなるべく残さない[現在]に配慮をすることが、まず大事だと思います

でも現実生活で何でもかんでも思った事を好きなように言っていたらトラブルだらけになりますから、やはり現実場面とは違い、思った事を自由に安心して語れる[非日常]的空間も用意してあげる。これがLSWに限らず、一般的な心理士・カウンセラー枠を作って果たそうとする役割なハズです

ただ、社会的養護の子どもも大人も、かなり曖昧なボーダレスな世界を生きていると思います。それは、そこにいる子どもたちが、そもそも境界(=自分のペースやスペース)を守ってもらえない生育歴を辿ってきていて、その集まりであるということです。

なので「枠を守れ/守らない」のやりとりではなく、まずは、自分のペースやスペースが尊重されて心地よい感覚を感じてもらう体験してもらうことから始めなければ「約束」は守ってもらえません。

なので、支援者はかなりの柔軟性を持ちつつブレない「軸」も持ち合わせているか試されると思います。ここで、相手をこちらの理屈に従わせるのではなく、可能な範囲で遊んで配慮できるかが、さっき触れた

自分の事にしっかりと関心を向けて、真剣に考え心配してしてくれた人がいた、という経験の積み重ねは、数年後に必ずジワジワ効いてきます」やつです。

なかなか普段、支援者たちが普段何気なくやっていることの意味意図を語り合う機会はないのではないでしょうか?

考え方は、職種や所属機関の立場によって違う事は当然で、その相手の立場に立って考える相互理解の姿勢がないばかりに連携がうまくいかない」というボヤキで終わることが多いような気がします。

子どもに「相手の立場に立って考える」ことを求める前に、まず大人たちが「相手の立場に立って考える姿」を見せる。子どもの目の前で、職員や関係機関とやりとりするわけじゃないですけど、その基本姿勢何気ない言葉の節々や非言語の仕草に知らず知らず出てしまうと思います。

いつ書いたんだか覚えてない自分メモの一部にこんな物が残ってしました。


ロス・バック
感情レベル3
自分の内部から発する主観的な体験。私たちがどう感じるか。怒り、喜び、恐れなどの心の状態と、それに伴うからだの感覚は意識れている。

感情レベル2
それを意識しているかどうかに関わらず、他者がそれを見てとった感情。ボディーランゲージによって伝えられる。言葉にならない信号、独特の行動様式、声の高低、動作、顔の表情、軽く触られること、何かをするタイミングや言葉と言葉のあいだの間の取り方によってさえ伝えられる。多くの場合、本人たちはそれを意識していない

感情レベル1
感情からの刺激によって起こる生理学的な変化。例えば、脅威に対する「闘争が逃走」反応をもたらす神経系、内分泌系、免疫系の活動。意識的にコントロールされたものではなく、外からは直接見ることができない。本人の自覚も感情の表現もなしに起こる場合もある。



子どもたちは本当に大人の姿をよく見ています。見られているな、と最近よく感じます

[感情レベル]で考えても、やはり支援者の自己知覚、自分の中で起こっていることへの「気づき」は不可欠でそれがあってようやく他者理解だな、つくづく思います。

子どもの支援順番も「まず自分を大切に」それから「相手のことも大切に」ですよね。

だから、大人も「まずは自分や家族を大切に」。その感情葛藤全てを抑圧して「相手のことも大切に」しようとしても、その苦しさ無理感が相手に伝わってしまっている。そう言う自覚は支援者として必要かな、と思います。

ではでは。


【第60回】「ストレス」と「心拍変動:HRV」

メンバーの皆さま
 
こんにちは。管理人です。
 
いや〜、それにしても関東の雪の影響はスゴイですね。コラムをご覧の方の中にも、あの電車遅延や高速道路の封鎖の混乱の煽りをモロに受けた方もいらっしゃるのではないでしょうか?
 
あのニュースをしてしまうと、都会の便利さと脆さは表裏一体と言いますか、当たり前に回っている日常がちょっとしたことで簡単に非日常に崩れ落ちるんだな、と感じてしまいます。
 
静岡も何十年もクルクルと言われている「東海地震」来たら、ヤバイんでしょうけど。
 
で、今朝あるニュース見ていたら「雪の上の歩き方」をフリップを使って説明してまして…。内容は、
 
・歩幅は小さく
・足の裏全体で着地
・手はポケットから出し、手袋などを装着
・自転車には乗らない
 
などなど「The雪国・新潟県出身の僕からしたら「幼稚園児か!」みたいな内容をホント大真面目に説明してるんです。でも、コレ笑えなくて、関東で雪が積もると必ず転んで骨折する人が多発するじゃないですか。
 
雪国の人は小さい頃からいかに「雪と共存する」感覚を養っているのかよく分かりますし、先人たちが過去の苦労を糧に生活に困らない知恵や生きる術を知らず知らずの内に身につけているんだなぁ、と。
 
逆に、なんの準備もないと積雪20cmで酷い被害を被るし、過去に経験した事のない大人に、当たり前の感覚を認知的視覚的に説明しようとすると、確かに「雪の上の歩き方フリップ」みたいになるよなぁ〜、と。
 
「育ち環境」×「感覚」の違いは本当にあって、年末年始は新潟に帰省してましたけど、僕の中じゃ積雪100cm以下なら「今年はあんまり積もってないね」って感覚なんです。
 
で、12月に浜松で2時間くらい瞬間的に吹雪いた時がありまして同僚に「やっぱり雪見ると懐かしい?」とか、昨日には職場の方に「管理人さん、やっぱり新潟でも雪降ると嬉しいんですか?」と聞かれました。
 
静岡はホントに雪が積もることがないので、別に僕が雪国出身でイジられているわけでなくて、真面目に聞かれるんです。しかし僕は、雪が面倒くさくて静岡に住んでる人間なので、雪を見てテンション上がったり懐かしんだりは無いんですね。降るのが当たり前のものでしたし、寒くて大変、足冷える、車出すのが面倒臭くなる(駐車場と車上の雪を払わないといけないので)って感じです。
 
こんな感覚や想いの違いも、強引かもしれませんがLSW的ですし、今回のストレス話に後に通じますので、長い前段ですが呟かせてもらいました。
 
 
で、さらに本題までが長くて申し訳ないですが、もしかすると、前回のコラムで誤解を与えてしまったかなぁと心配になったので、まず前回の補足を。
 

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それは、前回使ったこの図だと「セロトニンはあればあるほど落ち着くようなイメージも出るかもという誤解の心配です。
 
おそらく日常生活の活動の中でセロトニンが増加する範囲なら大丈夫なんですが、「うつ病セロトニン不足」という判断でセロトニンを増加させる抗うつ剤の摂取しすぎると起こる「セロトニン症候群」というものがあります。
 
具体的には、精神症状(イライラ、不安、意識障害など)や自律神経症状(発熱、発汗、心拍数増加、腹痛など)などが出るようです。
 
これは「普通のうつ病」と「非定型うつ病」の話で、次の図で言うと、
 
【普通のうつ病】は、元気が出ない、やる気が出ない、不眠で朝起きれない、食欲もなく頭の回転が鈍くぼんやり〜ぐで〜とした[下]グレーエリアのイメージなんですけど、
 
【非定型うつ病】は、ちょっと前に若者に見られる「新型うつ病と言われているやつで、憂鬱だけど好きなことは出来る、寝れるんだけど寝足りない、夕方から元気がなくなる、食欲はむしろ過食で、イライラして落ち着かない[上]赤いエリアのイメージに近いです。
 

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セロトニン症候群の症状を見ると、赤エリアの状態と重なりますから、まさに【第57回】心理療法の系統的選択http://lswshizuoka.hatenadiary.jp/entry/2018/01/16/080849)の中で、
 
うつ病には認知療法というように、診断名と心理療法を一致させた治療効果がきわめて低いことがわかっている」
 
と患者の中で起こっている本質を捉えることの重要性の指摘があった「お薬バージョン」の状態なのかな、と。
 
まごのてblog」の読者の方ならお分かりと思いますが、セロトニンも例外なく極端に振り切るのでなく、何でも「ほどほど」で「バランス」が取れている状態がやはり良いということですよね、きっと。
 
で、社会的養護の子って、どちらかと言うと「赤エリア」つまり「非定型うつ」の状態の子が比較的多い印象を受けます。もちろん施設や里親宅で安心した途端に「グレーエリア」の不登校とかになる子もいますけど。
 
虐待環境に居ると、いつもスイッチオンの敏感な戦闘モードにいないと身を守れないので、心拍数も常に上げる状態、『漫画ドラゴンボール』で例えるなら常に「ハッ〜ぁ!」ってエネルギー放出して気を上げている状態なので、1日の途中でエネルギーが切れちゃうんですね。
 
なので、120%オン状態からエネルギー切れた瞬間に一気に0%オフになって、やる気や集中力が維持できない、寝ても寝ても食べても食べてもエネルギー足りないなんて、燃費が悪い不器用な身体になっちゃってるんです、きっと。
 
だけど、ドラゴンボール界王拳とか超サイヤ人も経験を積むと、攻撃や守備のインパクト時に瞬間的に気を上げたり、抜くとこは抜くと言った「省エネ」調整を学んでいきますよね。
 
この「気」の上げ下げの調整を一般的な地球人に置き換えると、「交感神経」「副交感神経」という話しになるのかな、と。

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[赤]=交感神経(アクセル、活動アゲアゲ系)
[青]=副交感神経(ブレーキ、落ち着かせる系)
 
とすると、日中は交感神経が活発でヤル気や集中力を持って活動して、寝る頃には副交感神経が働いてリラッ〜クスして休み、また日が昇って目が覚めて活動してというのが一般的な規則正しい普通の生活ですよね。
 
ですが、交感神経と副交感神経のリズムやバランスが崩れると、例えば、お昼にテンション上がり過ぎてて、夜も何だか落ち着かないが、電池が切れたように急に眠るみたいな子っていませんか?
 
この例は交感神経が優位過ぎる場合と思いますが、バランスの崩れのイメージはこんな感じ。

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酷くなると、昼は交感神経働きすぎで、副交感神経が働くはずの夜にもテンション落ちないだけじゃなく、寝ぐずり」の赤ちゃんみたいに疲れてても眠れなくて、仕舞いにはイライラしてトラブルになるので、睡眠の質を確保するために眠剤を処方せざるをえない社会的養護の子は決して珍しくありません。
 
しかし、これら自律神経の問題は一般成人の「疲れ」「冷え」にも関係しているようで、決して被虐待児だけけの人ごとの話ではありません。
 
ちなみに、順天堂大学小林弘幸先生が自律神経のバランスを4分類でわかりやすく解説してくれています。
【参考】「疲れ」「冷え」は自律神経の乱れから⁉︎その対策には、太い血管を意識した温活を!
 
現代人は、アクセル(交感神経)もブレーキ(副交感神経)も効いていない疲れ度・冷え度ともに高い「ぐったりタイプ」が断トツに多いみたいです。
 
 
で、話は変わりますが、前回コラムからセロトニンとか色々言われても、「じゃあ、そのアンバランスな状態をどう測るの?」と思われる方もいると思います。
 
なので、実はここまでが長〜い前置きで申し訳ないのですが、その測定方法の1つを紹介、というのが今回の本題。
 
それが題名の後半にある、
 
【心拍変動:Heart Rate Variability、HRV】
 
です。心拍変動とは脈と脈の間隔が速くなったり遅くなったりすること。
 
脈拍って一定のリズムを刻んでいるように思いますが、その間隔はストレスによって変化するんだそうです。で、その間隔がバラバラで一貫性がないと言う事は、つまり交感神経と副交感神経のバランスが乱れている状態だと。
 
逆に言えば、HRV(心拍変動)が一定に保たれているということは、ストレス刺激がないか、ストレス下でも交感神経と副交感神経のバランスがちゃんとコントロールされていると言うことだそう。
 
で、そのHRVを1分くらい指先に当てるだけで、測定できちゃうのが、上のリンクで紹介されている(画面右上の三本線を押すとメニューが開けます)
 
エムウェーブ emWave】
 
という商品。別に私は業者の回し者ではないので、詳しくはHPを見てもらいたいのですが、簡単に言うと指先や耳たぶに測定器を挟んで、PCや携帯の画面でリアルタイムでHRVが分かる仕組み。
 
そうすると「呼吸法」とか「リラクゼーション」が身体に与えている影響をリアルタイムで確認できるので、きちんと正しいリラックス法を実行できているかどうか、リラックス前後の身体感覚をセットで覚えることができます。
 
この身体の生理学的変化を見て取る方法は「バイオフィードバック」と呼ばれるもので、現場の臨床家が感覚で察知していることを科学的に数値化・視覚化するものです。バイオフィードバックがいい所は、客観的な自己点検がセルフで出来るという点。
 
どういう事かと言うと、過度のストレスに侵され過ぎると、感覚が麻痺してくるので、自分がおかしくなってることに自分で気付けなくなるんですよね。
 
 
例えば、個人で言えば、僕の場合ストレス過多になると、頭が鼻水詰まった時みたいにボヤ〜ンとなったり、舌の感度が落ちて何食べても味気なく感じたり、肩甲骨あたりが誰かに掴まれたように痛くなります。
 
一応、僕は心理士なので、これはストレス反応で重いケースから被曝している反応であることも頭では理解しています。でも、頭で分かっててもモヤモヤする身体反応からなかなか抜け出せない時があるんです。
 
大概は風呂や食事で忘れられるんですが、どうしても眠る前までモヤモヤが取れず思考に入り込んでくる時はTFT(つぼをトントンするトラウマ処理)などで簡単なセルフ処理します。よっぽどのことなので、年に数回ですけど。
 
 
また集団の視点で言うと、数年前に職場のメンタルヘルスが壊滅的な時期がありまして。でも、みんな感覚が麻痺してるのか、分かってても何したらいいのかわからないのか、組織的にしばらく手立てが打たれないことが続いたことがありました。児童福祉の中でも重いケースから被曝を受けやすい児相、施設、病院などの組織には、よく起こる事態かと思います。
 
どうにも言葉だけでは理解してもらえない(もしくは余裕なさすぎて頭に入らないor否認)ので、仕方なく文章化して職場全員に周知できる形にまで根回しを重ねて持っていったことが過去にあります。健康度がある程度あれば自分の身に何が起こっているかを知る[心理教育]的アプローチだけで、問題を言語化して内面から取り出して客観視できるので随分とストレスを軽減できるんですよね。
 
幸いにも職場全体には、リアクション出来る人が何人もいて、その後に手立てが打たれるようになったので良かったのですが、もしそれでも響かない程に組織全体が麻痺してたら、いよいよバイオフィードバックを個人導入して「数値化」してプレゼンまでしないとダメだな、と本気で考えていました。
 
感覚や経験のない人には、数値化したり何か整理された理論に乗っけないと伝わらないし、そもそも話を聞いてもらえないんですよ。
 
だけど、エムウェーブ emWave】はちょっと高くてですね。iPhone用で約3万円、PC用だと何人かで使えて5万円くらい。個人で手が出せなくもないけど…という絶妙な価格設定なんです。
 
そうこうしているうちに、なんと無料アプリが配信されるようになりまして。すごい時代ですよね。ご存知の方も多いと思いますが、それがこの2つ。
 
【ストレススキャン】
【COCOLOLO(ココロ炉)】
 
 
とりあえず、この2つを数ヶ月試してみたんです。通勤の行き帰りに毎日計測。すなわち[行き]→[仕事]→[帰り]で計測で仕事をサンドイッチして、仕事によるストレス反応をチェック。
 
結果は、確かにキツイ時期にストレス度は高く、あまりに高い時はセルフ処理すると、数値が落ちます。感覚的なものと数値はそんなに違和感ない。
 
ただ一つ問題がありまして。それは【ストレススキャン】と【COCOLOLO】の結果が割と違う(笑)
 
さすがに「ストレス100%⇄絶好調」程の差はないですが、同じ時刻で「ストレスフル/普通」くらいの差は出ることもある。どちらも携帯電話のライトの所に指先当てて測定するんで、誤差は出ると思います。まぁ無料ですしワガママ言ってはいけません。さっきの[心理教育]じゃないですけど、どっちかの測定結果を確認しただけでストレス軽減したのかもしれませんし。
 
あとアプリだと測定に2分くらいかかるので、リアルタイムにリラクゼーションの効果を確認するまでは出来ない。やれてビフォー&アフターの計測。
 
まぁ、そういうことで理屈的には、LSWの前後やリアルタイムまた生活場面でHRV測定して、「なんかストレス高くなった。生活に戻る前に処理しておくか」「普通って言ってるけど数値高いぞ。何があったんじゃない」なんて会話も出来なくもないですが、絵面を想像すると、実験とかウソ発見器みたいでなんか嫌ですよね(苦笑)
 
でも、「雪の上の歩き方」と一緒で、児童福祉臨床にどっぷり浸かってる人は、そこまでしなくてもその場のやりとりで相手を見てればなんとなく感覚的にわかるでしょ、思うかもしれません。
 
しかし、これまでそういう環境や経験がない人からしたら、「雪の感覚の掴み方」なんてわからないわけで。場合によっては「大丈夫でしょ」といつもと同じ様に歩いて転んで大怪我するわけなので、経験や感覚の積み重ねのない人にとっては、数値や視覚化は非常にわかりやすいわけです。
 
だけど、現場のケアワーカーや心理士たちは、今回ツラツラ数値化できると書いた内容を、子どもの何気ない表情や雰囲気を捉えて「なんか変じゃない」と巧みに察知する感覚を持って、日々の支援・臨床を行なっているハズなんです。
 
これは、かなりの「専門的技能」なハズですが、理論化や言語化、数値化がしにくい分野なので、暗黙知というか、その重要性や専門性が注目されたり、トレーニングして磨くという話しにまで至らないな、と。
 
また、ストレスも雪も、どれだけ積もったら不便に感じるか、それは準備と慣れによる所も似てるなぁ、と思います。僕みたいに雪が嫌で新潟から出る人もいれば、その雪がいいんだという人もいるし、出たくても色んな事情で出られない人もいる。これは仕事でも同じだな、と。
 
そんな風に地元や職場のこと考えると、やっぱり大事なことは自分の状態や感覚を「自覚」して受け入れて、最終的には人から強制されるストーリーでなく、そこでやっていく「覚悟」や「意味づけ」が自分の中で出来るかかどうかなのかな、という所にやはり着地しますね。
 
今回の内容をあえて東洋文化的に言うなら「気」や「場の流れ」「雰囲気」を感じる察するという類の話だと思うのですが、そのようなことを西洋文化の「バイオ(生物)」「数値化」的な視点に振り切った切り口で説明してみました。
 
 
長々とお付き合い頂き、ありがとうございました。今回はこれで終わりです。
 
ではでは。