LSWのちょっとかゆいところに手が届く「まごのてblog」

静岡LSW勉強会の管理人によるコラム集

【第59回】セロトニン・ドーパミン・ノルアドレナリン

メンバーの皆さま
 
こんにちは。管理人です。
 
段々とインフルエンザ、流行ってきました。
 
また来週から冷えるみたいですし、気がつけば「冬季オリンピック」まで2週間ちょっと。
 
いよいよ真冬到来って感じですね。寝不足と体調にはお気をつけ下さい。
 
 
で、今回は、
                 「バイオ(生物)」
                   /                          
「サイコ(心理)」ー「ソーシャル(社会)」
 
モデルでいう生物学的な話を。
 
以前から、オキシトシンなどホルモン系の話で、ちょろちょろ「セロトニン」とか「ドーパミンの名前が出ていましたが、特に触れてなかったな、と。
 
まぁ、それぞれはGoogle先生に聞けば詳しく教えてくれますので、LSWをイメージした中で簡単にまとめたいと思います。(以下の図は管理人作)
 
 
まず、表題の「セロトニンドーパミンノルアドレナリン」は【三大神経伝達物質】と呼ばれているそう。
 
ホルモン系の話は、横文字ばかりで細かすぎて覚えきれませんが、よく日本三大庭園とか、日本三大〇〇(「マツコ&有吉の怒り新党」より)って言いますから、とりあえず「三大」は押さえておくのが良いかな、と。
 
で、それぞれの関係のイメージはこんな感じ。

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まず、セロトニンは別名「幸せホルモン」と呼ばれ、ストレスを緩和させたり、ドーパミンノルアドレナリンの調整役でもあります。
 
ドーパミンは「快楽ホルモン」。言うなら「肉食系」、何かgetして嬉しい感じ。それは、やる気やモチベーションにも繋がる。
 
ノルアドレナリンは、覚醒系でよく聞く「アドレナリン」の前段階のやつ。肉体的・精神的苦痛つまりストレス時に、心拍数をあげて心身を興奮・覚醒させます。
 
心身の覚醒って、薬になるとヤバイ感じになっちゃいますけど、悪い事ばかりじゃなくて、例えば、勝負がかかったスポーツとか、他には「火事場の馬鹿力」なんて言いますけど、危機場面で脳のリミッターを外して身体能力UPするなんてことにも繋がりますし、「頭が冴える」「頭の回転が良い」状態というのもある程度の脳の覚醒は必要です。
 
なんでもそうですが、大事なのは「ほどほど」の加減。しかし、セロトニンが足りないと…

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ドーパミンノルアドレナリンの分泌が安定せず、過剰に出すぎたり、逆に過少分泌だったり、極端に振り切りやすくなります。
 
簡単に言うと「ハイな状態」と「ローな状態」。イメージ的は「躁」と「うつ」とも重なりますし、実際にうつ病の人はセロトニンドーパミンが過少分泌らしいですね。
 
なので、僕が声を大にして訴えたいのは、まだまだセロトニンの補充が十分じゃなくて、ドーパミンノルアドレナリンも全然安定的じゃない状態で、過酷な過去を扱うようなLSWをやったら、そりゃ荒れたまま落ち着かなくても仕方ないでしょう、という事。
 
じゃあ、セロトニンを補充するためには、どうすれば良いかと言うと、

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はい、いわゆる「規則正しい生活」を送る事なんです。運動は「リズム運動」と言うのがポイントで、激しく心拍数上がっちゃうヤツはダメだそう。散歩とか軽い体操とか、出来ればトントン左右交互に刺激が入るヤツが良い。
 
そういう左右刺激の心理療法ありますよね。コレってそんなに特別な事じゃなく、人間が歩行を始めた時から続いている自然なストレス解消法なわけです。
 
で、時々耳にして気になるのは、ドーパミンノルアドレナリンが過剰過少分泌しているような状態を落ち着かせたいという理由でLSWが検討される場合です。
 
もちろん「何か支援の突破口を」という気持ちはわかりますが、いきなり過去を扱うんじゃなくて、そんな大変な喪失体験をしてきたんだから症状が出る(落ち着かない)のは当たり前だ、という現在の自分の心身に起こっている事をしっかり説明してあげる方が(いわゆる「心理教育」)、安心感や落ち着きを与えてあげられると、僕は思います。
 
そして、まず日々の規則正しい生活で「セロトニンを貯金できた状態でLSWに取り組んだら、多少ショックな内容があってもストレスに耐え切れる可能性が高くなると思います。
 
さらに、LSW実施前に言われる「支援者との信頼関係」の効能については、オキシトシンでも説明できるなぁ、と思いまして。詳細は、
 
【第46回】愛着形成とオキシトシン
 
を見ていただくとして、要約すると、こんな感じ。

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不安な時に「よしよし〜してもらって安心」と言うのは、もともと日常的なスキンシップや非言語の応答・同調行動で「オキシトシン」が分泌されて「幸せ」という事が繰り返されて生理学的にもそのシステムが獲得されているから、触れられて安心するわけです。
 
しかし、

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「情緒的交流」って良く言いますけど、スキンシップや視線の応答など非言語のペースを合わせてもらった経験が過去に乏しい(もしくは発達凸凹で刺激の受け取り上手くなく結果として応答が合わない)ので、オキシトシン分泌されない→なかなかイライラが収まらない、という子が社会的養護ではゴロゴロいますよね。
 
なので、乳幼児期にオキシトシンシステムを獲得出来ていない子への支援は、不快のイライラ場面でヨシヨシなだめる以前に、日常生活で視線合わせて挨拶するとか、微笑み返すとかの応答で、普段からオキシトシンが出るような関係性が築けているかで、ほぼ勝負は付いているわけです。
 
よく話題に上がる「子どものアタッチメント(愛着)」問題は、僕はこのように理解しています。
 
なので、児相職員として家庭分離や措置変更時に、リアルタイムで喪失体験を支える立場とすれば、現実にそうなる限られた時間の中で、その子が元々どの程度オキシトシンシステムを獲得できていそうなのかを見積もり、いかに自分との面接や検査のやり取りでペースを合わせオキシトシンが出る(安心感を醸し出す)関係性を構築できるか、の勝負になるわけです。
 
 
つい先日、僕が数年、担当している在宅の子が交通事故が骨折して入院したんですね。で、今年度から担当替わった10年選手の福祉司さんから「お見舞いに行こうと思うんだかど、管理人さん一緒に行ける?」と聞かれたんです。
 
入院は術後二日だけだって言うんで、さすがに調整できなくて「さすがマメですね。助かります」ってお願いしたら、「いやいや昔、心理に面接お願いしてて全然会ったことない子を一時保護しに行ったら1日で逃げられたことあってさ。恩を売るわけじゃないけど、いま会っておかんと自分が後々困るだけだから」ってサラッと言うんです。
 
関係づくりってこう言うことですよね。毎日顔会わせなくても「あの時、来てくれた」「苦しい時に側に居てくれた」と言う、小さい積み重ねが結局、物を言うんです。
 
昔、知り合いの女の子が恋愛トークで「女子には絶対外しちゃいけないポイントがある。そこさえ押さえてくれれば、普段ある程度いい加減でも女子は大丈夫」と語っていたことがあって、その子が日本の女子代表ではないですけど、当時は随分肩の荷が下りたと言うか、目から鱗だったことを思い出しました。
 
サプライズとかギャップを作ろうとして、空回りする男子は後を絶たないと思うんですけど、流れやポイントを押さえているか外しているかどうかは「関係づくり」だなぁ、とふと思いました。
 
 
ちょっと話を本題に戻すと、LSW実施時の不安って、過去の喪失体験を思い出す「揺れ」をどう見立てて、どう支えるかということになると思うのですが、本人自身が心の揺れを抱えられる程度や耐性的なものは、もしかすると日常生活の「セロトニン」、関係性での「オキシトシン」という切り口で整理できるかもしれませんね。
 
ただし、過去の喪失体験に関係して「トラウマ」があるのか、もしあるなら今の安全感をどの程度脅かすのか、という事も重要なポイントになるので、
 
LSW実施時の揺れと収まり具合は、
 
「喪失体験のインパクト」×「本人の受ける器」
さらに、×「それを支える支援者チームの器」
 
マグニチュード〇〇、なんてイメージを持っています。あくまでイメージです。
 
ここ数回のコラムは「チーム」の話しが多めになっていましたが、やはりLSWの本人アプローチを考える上では「アタッチメント」「トラウマ」は外せない要素だと思うので、今後も少しずつ取り上げていきたいなぁ、とは思っています。
 
ではでは。
 
 

【第58回】奇跡のレッスン「答えは "波" が知っている」

メンバーの皆さま
 

「奇跡のレッスン」と言うNHK(BS)番組、ご存知でしょうか?

 
結構前からやってる番組で、様々な世界の「最強コーチ」が、一見奇抜にも思えるレッスンで子どもたちを見事に成長させ、そのスポーツの楽しさや醍醐味を体験を通じて伝えていくというのが、王道のパターン。
 
興味ある分野の時に時々観るんですけど、今回は正月気分抜け切らない成人の日(1/8祝)に「いよいよ明日から仕事かぁ〜」「面白いTVないなぁ〜」と夕飯食べながらボンヤリ眺めていたコレ。

「答えは"波"が知っている サーフィン」
 
まず番組内容を紹介すると、今回のレッスン対象は、弱小チームじゃなくて、日本トップの中高生たち。みな「プロになるのは通過点」「目標はワールドツアーチャンピオン」と意識も技術も高い子どもたち。
 
今回の「最強コーチ」は、南アフリカのクレイトン・ニーナバー氏。クレイトン氏は、サーフィンの技術を「理論化」し、トッププロのジョーディ・スミスを育てたことで知られている、と。
 
日本の重鎮プロサーファーがインタビューで言うんですね、
「ボクらの時代は、上手い人を観て、ひたすら波にのるしかトレーニング方法がなかった」と。
 
で、まず面白かったのが、クレイトン氏がサーフィンの技術を「理論化」するために取った方法。それは一流サーファーの技術を分析すること。特に参考にしたのは
Kelly Slater(ケリー・スレーター)】だと。
 
11度ワールドチャンピオンになっているサーフ界のレジェンドです。ネタが細か過ぎて伝わりにくいと思うんですが、何が言いたいかと言うと、以前コラム
 
【第24回】多職種連携に必要な能力
 
で、『多職種連携コンピテンシー』というものを紹介しましたが、そもそも「コンピテンシー」は1970年代で米国で生まれた、仕事のできる人(ハイパフォーマー)の行動特性を分析して、人事評価や人材育成に活かすマネジメント用語なんですよね。
 
あ、これって、クレイトン氏がやった「理論化」のプロセスと同じじゃん、と。日本の◯◯道における「型」も本質は同じですよね。優れた先人たちの良いところを集約して洗練していったものが「型」のイメージです。
 
さらに「ひたすら波に乗るしか練習方法がなかった」なんて、大した研修もなく新人が荒波(現場)に放り込まれる児童福祉とまさに同じじゃないかと。
 
…ってことをグルグル考えながら「まだ、これ観るの?」という声ニモマケズ、圧ニモマケズ、番組にのめり込んでいく僕。
 
 
さらに、クレイトン氏が言うんです。
「サーフィンは難しい、魔法の様に思われるかもしれないけど、そうではない」
 
「ケリーは、さぞかし凄い道具を使っているのではないかと思って、板を見せてもらったことがあるんです」
 
「しかし、予想と反して、ケリーの使っている板は、どこにでも売っている普通の板でした」
 
「足で波をきちんと掴めていれば、サーフィンは出来るということです」
 
「大事なことは、それを誰もが知っている感覚に置き換えて伝えること。そうすれば誰だって簡単にサーフィンが出来る様になります」
 
 
そこでクレイトン氏が課した練習は、まずサーフボードの後ろに付いているヒレみたいな板を取って波に乗ること。
 
きっと船で言うと「舵」みたいな役割の板ですから、当然少年たち「え⁉︎どうやって波の上でボード動かすんですか」的な反応。
 
クレイトン氏「足の裏で波を掴めていれば板と一緒に動けるはずだ。その感覚を掴む練習だ」と。
 
で、ジュニアで日本一になってるプロ予備軍の少年たちが四苦八苦しているわけです。
 
 
さらに翌日には陸地へ。リンクのHPにも写真あります「スケボー場」で練習。クレイトン氏によるとスケボーは、サーファー達が海に出れない時の遊びから始まったと。
 
それで、自転車で曲がる時は、曲がる方向に身体を斜めに傾けるでしょ(極端に言うとバイクでコーナーを攻めている格好)、サーフィンも一緒。身体を傾けて重心を移動させれば勝手にその方向に動いていくんだ、と。
 
で、スケボーに乗りながら自転車のハンドル持った格好で上半身は前を向いて、身体を斜めに傾けると…。足の力や身体をネジらなくても勝手にUターンしていきます。
 
クレイトン氏が言います「普段、道具を使って波の上で無理矢理に板を動かすことに慣れすぎている。もっと波を見て、波を感じて、波を掴まえて」
 
 
「主役はキミじゃない。主役は "波" だ」
 
 
目から鱗とは、まさにこのことで、別のシーンでは映像を使って波の分析をし、いかにイイ波に出会うか、その見極め観察ポイントを細かく教えられていきます。
 
日本トップの少年たちが「こんな事教えてもらった事がない」と口ぐちに言って、意識がみるみる変わっていきます。
 
 
これで冒頭20分くらいですかね。内容濃すぎるでしょ。頭もお腹もいっぱいになってきたのと、少年個別の話になってきたし、空気読んで(ニマケテ?)、この辺でTV番組を変えました。
 
察しのいい方はピンと来ているかもしれません。児童福祉分野は、法律や制度、養育ビジョン改正で結構ゴリゴリ素早く施設入所・里親委託を進められる整備が進んでいます。
 
確かに無理矢理に舵を切れることも緊急事態では必要です。しかし、舵を切れる事に慣れすぎて、目の前の人との対話の"波"に乗ること、また子どもや家族の想いを「主役」にする感覚やスキルの大切さが忘れ去られ失われていくのではないか、という心配や危機感が僕の中ではあります。
 
まさにLSWって、子どもの過酷な人生という荒波を振り返ってきちんと捉えて一緒にライドオンしていく感じですよね。
 
さらに施設入所や措置変更にリアルタイムに関わる児相職員の立場や経験を、サーフィンに例えると、子どもやその周辺のざわざわっとした雰囲気を「これは大きな波が来そうだ」と事前に察知して、乗り遅れない様に準備するなんて事を普段からしているな、と思いました。
 
コレって、波の分析の話と似てて、どんな措置変更に関わる波が来そうか見極めるポイントって、結構「なんとなく」の感覚感性的な経験則のもので、どこを見ろみたいな「理論化」はされていないなと。
 
 
話のシーンを変えると…
僕自身7〜8年前に、一度だけ先輩に連れられてサーフィンをしたことがあるんです。
 
で、一応「あの辺が動いたら、数秒後に波が来るから、パドリング始めて…」とは教えてもらうんですけど、タイミングがいまいち掴めないんです。
 
先輩と同じタイミングで動き始めても、僕のパドリングは全然前に進まないので、結局、波に追い越されて乗るトライすらできずに終わっちゃう。
 
そもそも、サーフポイントに行くまでに結構な波をくぐって行かなくちゃいけなくて、そこで波にボードごと飲まれて押し戻されちゃって、海水飲んで…なんてやってるので、だいぶ体力も持っていかれます。
 
たぶん2〜3時間、海に入っててトライできたのは、片手の指程度の回数。一回だけ立ち膝で少し進めましたが、最終的には先輩も波乗りに夢中になってるうちに僕は沖の方まで流されていて、足も釣っちゃって、先輩に助けてもらいながら上半身でなんとかかんとか必死で泳いで砂浜に戻るみたいな。
 
今、冷静に考えたら、割と笑えない状況で、先輩も
「管理人くんみたいに、普段から運動してない人だったらヤバかった」
 
と言ってました…。
 
 
でも、普段から児童福祉の現場では、こんな感じでとりあえず波乗りさせられて、知らず知らずに自力で帰ってこれないヤバイ所まで引きずりこまれてる職員さんはたくさんいるのではないか、と思います。ホントに。
 
なので、LSWに限らず児童福祉分野の研修は、「最強コーチ」クレイトン氏のように、
 
①上手な人の行動分析をして「理論化」
〉②日常の中の「体験」に落として感覚を掴む
〉〉③本番に即した形で「練習」
 
という具合に、伝え方とトレーニング方法を整理して磨いて行く必要があると思うんですよね。
 
ちなみに静岡県では随分前から「面接スキル研修」という①の講義だけじゃなくて③の練習をセットにする研修スタイルの歴史があります。そこに加えて最近、浜松の仲間と自主開催している面接スキルの研修会で、さらに②「体験」要素も取り入れた研修にチャレンジし、ある程度の手応えを感じています。
 
LSWに関しては実践の蓄積が少なすぎて①の段階がまだまだ足りないかな、と思いますが、将来的には①②③が揃って、
 
「児童福祉臨床でやることは、そんなに難しいことではないです。皆さん普段やっているコノ感覚と同じなんで。じゃあ練習しましょう」
 
なんて言える理論化+トレーニングが構築ができたら「奇跡のレッスン」になるんでしょうね。
 
私の知り合いで、LSWについての①のような研究に取り組んでいる方もいらっしゃるので、結果がとても楽しみです。
 
 
最後に、個人的な話を。
 
ケリー・スレーターは、素人目でも凄いとわかる技術の持ち主で凄くカッコいいんですけど
 
僕的には、先輩から事あるたびに「人生で尊敬してやまない人物はケリー」と聞かされ、先輩の車に乗せてもらうとケリーの波乗り映像がエンドレスリピートされている刺激にさらされ、かなり印象に残ってたんですね。
 
なので今回の番組の中で「ケリー」の名前が出ただけで、「お!」とサーフィンと先輩との思い出が色々蘇ってきて、知らず知らず「ケリー」好きになっていたかも、と。
 
で、改めてケリー・スレーターのことを調べて思ったことは…
 
 
先輩の顔と髪型が"ケリー・スレーター"そっくり

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(ケリー本人。ウィキペディアより)
 
日本人ですよ、先輩は。
 
耳で聞かされた話より、観させられた映像より、
「そうか。先輩が好きだから、ケリーも気になるのか」
と、コラムを書きながら改めて気づかされました。
 
人生どんな気づきがどこであるかわかりませんね。
 
先輩…、元気にしてるかなぁ。
 
ではでは。

【第57回】心理療法の系統的選択

メンバーの皆さま

こんにちは。管理人です。

たまには、ちゃんと(?)臨床に近い話題でも書かないとなぁ、と思いまして。

で、今回は少し前に読んだコレから。

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なぜそれぞれのクライエントに最も適合する心理介入を選択するのか』

ラリー・E・ビュートラ博士は、国際臨床心理学会2期に渡る元会長で、米国心理学会心理臨床部門と臨床心理研究部門の元会長で、長い間アメリカの臨床心理研究誌の編集長も務めていた方のようです。

で、紹介されているのが、ビュートラ博士が40年以上臨床心理研究をモニタリングし、様々な臨床研究を統合して開発した方法。

【Systematic Treatment Selection:STS
                                    (心理療法の系統的選択)


例えば、世界には1000種類以上の心理療法があるが、うつ病には認知療法というように、診断名と心理療法を一致させた治療効果がきわめて低いことがわかっている、と。

そして、治療効果を高めるのは、心理療法のブランド名より、セラピストとクライエントの治療関係要因やクライエントの特性や性格に適合した心理的介入である、と。

STSはその治療原則を表したもので、エビデンス的に治療効果のないものを除き、200以上の心理療法をクライエントに最も適合した形で選択することができる、と。


ここまで紹介されたらメッチャ気になりますよね。
だけどSTSの邦訳書はないようで…。

さすがに英語の原書は値段がちょっとお高いですし、買っても読み切るまでに心折れそうなので、webにアップされている本の一部らしきやつを、少し前に頑張って読んでみました。

で。まぁ概要は上の通りなんですが、わかりやすくて興味深いのが、こんな内容。

STSは、経験的に開発された手順である。

このアプローチには、2つの基本的なもの仮定がある。(a)すべての間者で良好に機能すること治療法またはモデルはなく、(b)ほとんどの治療法は一部のクライエントでうまくいく。

〜厳密には、STSは「統合的心理療法」ではない。つまり、理念的な概念を組み合わせたり、統一的な理論的アプローチを導き出しすことを試みてはいない。

〜"技術的な折衷的"アプローチというラベルは不正確である。STSは特定の技術セットを決めていないので、むしろセラピストの変化と影響の横断的な原則(例えば、治療的変化が起こりやすい、治療法がクライエントの抵抗を引き起こさない)と一致する特定のアプローチを手順に使用することを可能にする。

そして事例を絡めて、クライエントの
・機能レベルの評価
・コーピングスタイル
・抵抗のレベル
・動機づけと主観的苦痛

の解説が続きます。英語の論文読むなんて、院生以来10年ぶりですが、Google翻訳がホント優秀で、思ったよりスイスイ読めました。

まぁ単純化すると、万能な方法なんてないから、しっかり相手を見て、相手に合ってる方法で支援してね。本質は、それだけの事と思いました。

しかし、世界中の心理療法を把握している人物が真面目に35年〜40年間研究したプロセスの結果、この結論にたどり着き、公に発表してくれていると言う意味を考えなければいけません。

これは心理だけではないと思いますが、きっと心理療法の世界では長らく(今も)「どの心理療法が優れているか」なんて背比べ的な議論が絶えないのではないでしょうか。

アプローチの切り口がたくさんあるのは良い事だと思います。しかし、もっと大事なのは「本質を捉える力」。特定のアプローチは何を扱うのに長けていて逆に何が弱いのか。そして、クライエントの内面外面では何が起こっていて問題の本質を見抜く。そして、

                本質
              /         \
     支援者    ー    クライエント

特定の手法は、本質をクライエントと問題や世界観を共有する「手段」に過ぎないわけなので。

良いマッチングのためには、まず自分を知り、相手を知り、方法を知っていること。心理療法を1000もマスターして選ぶ必要はありません。要は、自分も相手も「安心してわかりやすく問題を扱える」ことだと僕は思います。

なので、アプローチの数というより、切り口の角度のバリエーションがあると相手に合わせられる幅が広がるし、知識や技術を補完するような組み合わせの支援も可能になりますよね。例えば、


「生物ー心理ー社会」

「認知ーこころー身体」

「生活臨床(日常)ー面接臨床(非日常)」


みたいな。もしかしたら、STSはこの辺をわかりやすく整理されているのかも知れません。ただし、

〜厳密には、STSは「統合的心理療法」ではない。つまり、理念的な概念を組み合わせたり、統一的な理論的アプローチを導き出しすことを試みてはいない。

特定のアプローチに固執しない考え方は、LSWと非常に近いのではないかと思います。どうしても、人は困ると藁をもすがる気持ちになってしまいますが、誰もが幸せになる万能な方法なんてないわけです。そもそも「幸せ」の意味や価値観自体が多様なので。

つまり、目の前の人と考えたり悩んだりして「支援者とクライエントが一緒に変化する」プロセスは、LSWに限らず対人援助全般に言える原則的なものだと思うんです


で、【セラピストに最も大切な資質】についても雑誌の中でビュートラ博士があげているのがコレ、

(1)セラピストの柔軟性
(2)セラピストのスキル
(受け答えの円滑さと治療介入による有効な手助けを提供する力)
(3)よりよい治療関係を築けること
(4)共感や感情移入、温かさ

そして「セラピストがクライエントに対してより知識を持ち、より気にかけることができるようになると、より効果的にクライエントを助けることができると思います」と。


え?


これって、別に「心理療法」「セラピスト」に限らず、もしかして人と接すること全般、例えば「営業」「経営」「教育」「保育」「子育て」などなどに共通することだし、各分野で語られていることのような気がします。

つまり、本質を捉えれば、異分野、異業種から学ぶことは沢山あるという事。

その道を極めようとする人は、他分野の超一流ともすぐに意気投合しますよね。おそらく本質的なところで分かり合えるからだと思うんです、きっと。

そんな感じの理由付けで(本当は興味の赴くままに)、今年もなるべく他分野の話に触れていきたいと思います。


ではでは。

【第56回】ジャパネット流「企業再生術」

メンバーの皆さま
 
こんばんわ。管理人です。
 
今回は経営マネジメント分野の記事から。
『新時代に勝ち残る企業のあり方』(致知2018.2)
 
"あの"ジャパネットたかた創業者の
×
神田昌典氏(アルマクリエイションズ社長)

の対談です。内容は企業経営ですが、LSW的な取り組みを展開しようとする時の話とあまりに重なっていてビックリしたので一部紹介します。
 
トピックは、
Vファーレン長崎、奇跡のJ1昇格の裏側
②企業のブランド力を高めるには
③フューチャーマッピング
 
の3つです。少し長いですのでご容赦ください。
 

V・ファーレン長崎、奇跡のJ1昇格の裏側
 
長崎は2013年からJ2に参戦して以来、累積赤字が3億円超で、選手に給与が払えない経営状況。
 
そこで、高田社長が「長崎から元気印をなくすのは損失だ」と、V・ファーレンの株式買い取って、自らが社長となり再建に乗り出した、と。
 
で、その再建方法が、海外リーグによくある石油王がチーム買い取ってじゃぶじゃぶ金使って有名選手を集めて…という手法とは全く異なるもの。
 
監督コーチ陣の交代、選手の大型補強は行わず、職場環境の改善に重きを置いた改革。具体的には、スタッフの増員、試合前の家電チャリティーオークション、選手を社長の自宅に呼んでカラオケやBBQなどなど。とにかく社員が働く安心感とモチベーションを高める取り組みの数々。
 
【参考】J2長崎、ジャパネット参画後の劇的変化。人員増加、職場環境の改善…着実に進められる改革
 
この記事の時点では、シーズン真っ只中でもちろんJ1昇格なんて決まってないわけですが、約4ヶ月後の11月11日高田社長就任から約7ヶ月あまりで見事、J1自動昇格を決めたわけです。
 
チーム主将はこの環境改善に関して「この人のためにも戦おうという雰囲気になった」と。
 
一方、高田社長はこう語っています。
「私がやったことは本当に大したことないんです」
 
「ただ一つ言えるのは、やっぱり人の心が変わると不可能が可能になる。…私の意思とか情熱が監督やスタッフ、選手、長崎県民にも伝播し、『J1になろう。再建しなきゃいけないんだ』と」
 
「もちろん精神論だけではなくて、監督が素地をしっかり作ってくれ、いろんな人の助けや偶然が重なったからこその結果です。だから、昇格を決めた日にも言いましたが本当に『長崎の奇跡』だと思います」
 
 
ちなみに監督は「ドーハの悲劇」世代には懐かしいあの"アジアの大砲"こと元日本代表FWの高木琢也氏。2013年から高木監督に就任し、数年かけて地道にチームを成熟させてきた素地なしにはJ1昇格はなかったでしょう。
 
しかし、2013年から6位→14位→6位→昨年なんて15位です。ちなみに、プレーオフの末に一年出戻りJ1昇格を決めた「3位名古屋グランパス」とは戦力や資金ともに雲泥の差なわけで。
 
長崎が「シーズン2位」で自動昇格するなんて、シーズン当初に誰が予想したでしょうか?
 
高木監督が作ってきた素地はもちろん、プラスして高田社長の皆の力を一つに集める」経営手腕がなかったらいろんな人の助けや偶然を重ねた奇跡は起こらなかったと思います
 
そして、高田社長は語りをこう続けます。
 
「商売って、売り上げとか利益ばかり求めていても面白くないですし、スポーツも勝った、負けただけでは長くは続かない。その先に何をもたらすかという方向に進んだ時、すごいエネルギーが出てくるんじゃないかと思います。つまり、それはミッションです」
 
「…V・ファーレン長崎の社長になってから、企業を再生しなきゃきけないってことで、一つひとつ課題を潰していった結果として、J1に昇格しただけ」
 
「…J1になることも、試合に勝つことも、目標じゃないんです。やっぱりサッカーというスポーツを通じて、世の中の人たちに元気と生きがい、夢、感動を伝えていく。さらに今掲げているのは、長崎は広島と共に被曝した県ですから、『平和を発信するクラブである』と。だから、あくまで勝つことやJ1昇格は手段なんです」
 
「…私は結果論者みたいに言われることがあるんですけど、そうじゃない。結果は重視しません。一番はプロセスです。プロセスで手を抜いている人や組織は絶対に目標を達成できない。いま目の前にある一つひとつのプロセスに集中する。それを重ねていくことで、最終的な人生の目標に到達できるのではないでしょうか」
 
こんなことを社長から語られて「力になりたい」「がんばろう」と思わない方が無理ですよね。しかも、たぶん高田社長はゴリゴリ押し付けるのではなく、ワイワイした雰囲気の中でやんわりじんわり、あの甲高い声で語るんです、きっと。
 
 
●LSWに置き換えると…
この高田社長の経営プロセスは、僕のLSW導入プロセスのイメージとピタリと重なるんです。
 
LSWって現在の子どもの適応うんぬんじゃなくて、子どもの未来や将来の投資的な意味合いが大きいと思うんです。つまり、それは直後に子どもが「荒れた/落ち着いた」先にある組織の「ミッション」なんだと思うんです。
 
ただし、忙しく余裕がない組織にゴリ押ししても反発が起きるだけなので、まずは人の話を聞く余裕が持てる職場の環境作り、モチベーションを高められる仲間作り、そして一致団結できるビジョンや未来を語り合う「ステップ/プロセス」が必要だと思います。
 
やっかいなのは『子どもの最善利益』と言う言葉で、見てる時間スパンが「今」と「10年先」の人では、まるでビジョンは異なるんですよね。もちろん必要なのは"両方"なんですけど、まず展望する時間の幅が共有できないと対話がずっと噛み合わないなぁ、と思います。
 
将来こうなって欲しいから、高卒までには、中卒までには、今はこれが必要なのではと言う話です。今と先の姿がきちんと繋がるようなイメージや語りの共有が支援者同士でされないと、僕の中では「LSW実施」はあり得ないです。
 
そこで手を抜くとロクな事にならないですし、悪気なくても回り回って「子どもの不利益」になります。それは、大人同士が内部分裂して、悪者を作って協力せず、結果的に一箇所に過剰な負荷がかかり子どもの揺れを抱えきれなくなる負のスパイラル、行き着く先は「望まない措置変更」です。
 
でも、その子の将来を考えるなんて、仮に親なら当然のことで、子どもの育ちを支える身としては「大したこと」ではないと思いますが、実際はそういうマインドになれない人もいる。だいたい自分自身に余裕がなくてフォローもあまりなくて、視野が狭くなっている場合が多いと思います。
 
そして児童福祉の専門家であるなら、社会的養護という一般家庭とは異なる状況下で育った子どもの自立後の理解、知見やフォローの緻密さにおいて、人とは違いを出せないと、とは思います。
 
 
で、対談が進むと、さらにLSWに重なった話になっていきます。
 
■企業のブランド力を磨き高めるには
 
さらに、高田社長は、変化を乗り越えて発展する会社の条件について、こう語っています。
 
「やっぱり時代がどんどん変化しても、ブレないミッションを持つことでしょうね。誰のために、何のためには企業は存続するのかというミッションがしっかりしていれば、時代が変化してもお客様の心に届くんじゃないかと思います」
 
これは時代の変化によって、役割や方針がどんどん変化する、率直には現場が振り回されていると言っても過言ではない【児童福祉】にピッタリの言葉ではないでしょうか?
 
さらに、
「私はテレビ番組を長年やってきましたけれど、最後まで見ていただくのは大変なんですよ。毎回闘いでした。そこで一番大事なのは、最初の10秒なんです。面白いなという誘導ラインが最初になければ、なかなか見てもらえません」
 
「30分の番組でポーランド産の羽毛布団を販売した時、私はスタジオでただ商品を説明するのではなく、ポーランドまでスタッフを12名連れて行きまして、卵が孵化するところから親鳥になって羽毛を刈るところまで、全部の工程を見てきました。そして、30分の中に現地で働く人の苦労、羽毛布団づくりに懸ける思いを表現して伝えたら、何十億円と爆発的に売れたんです。
   一つの商品に込められた努力や思いを伝えていく。それがブランド力を高めるのだと思います」
 
 
もちろん、それで品質の悪い物が届けば、ブランド力も信頼も失います。品質には絶対の自信がある、あとはそれをどう伝えるかプレゼンテーションだ!という話しですが、高田社長は小手先の喋くりスキルじゃなくて、多少不器用でもお客様に思いが伝わる「人柄」重視でTVショッピング販売員を選んで来たと。
 
おそらく、それは「自分自身の言葉」で語れるかどうか。そして「人柄」も「言葉の重み」も一つひとつの実体験の積み重ねによって形作られるものではないかな、と僕は思います。
 
児童福祉で相手にするのは、人への不信感で支援を受ける気なんてサラサラない大人や子どもたちです。「なんか今までの大人とは違うぞ」と思ってもらえないとコチラの話は聞いてもらえない。「人柄」って重要な要素ですよね。TVショッピングと違う点は、自分が話す前に、まずは相手の話を十分に聞く必要があるということ。
 
そして、安心感や信頼関係が作れてきたら、客観的なアセスメント(情報収集+心理検査結果)から、これまでの生い立ちから子どもが感じて来ただろう気持ち(=見立て)、そして我々が心配していること、今後お願いしたいことを丁寧に伝えていく。
 
ケース会議、施設入所の説明、家庭引き取り等々場面で、関係機関や家族とそれぞれの場面でやる、上記の「やりとり」とそれに至る準備「プロセス」は、どれも本質は同じだなぁと思っていましたが、高田社長の語るブランド力を高める方法とも共通点がこんなにあるものかとビックリしました。
 
 
さらに、共通点の極めつけは次の話。
 
■フューチャーマッピング
 
対談相手の神田氏が、経営コンサルタントを始めて10年くらい経った時に、自分の仕事を振り返り、今までやったプロジェクトのうち、うまくいったものとそうでなかったものを全部棚卸しして、必ず上手くいっていた手法があると。
 
それが「フューチャーマッピング」という手法。
 
ポイントだけの説明を引用すると、
「120%幸せで満ちたユーザーさんの顔を想像し、詳細に思い浮かべて、そこから逆算してどのような行動をしてくかを考える思考プロセスです」
 
「自分事で考えてしまうと、目先の選択肢しか出てきませんのでぶれるんです。ですから、自分とは関係のない他の誰かを思う、利他の気持ちを抱いて、そちらの方向にゴールを設定していくと、選択肢が広がりますし、短期間で結果が出やすくなります」
 
高田社長は「まさに私と同じ考え方です」と述べ、現在フューチャーマッピングは学校のキャリア教育で導入され、高校生20万人に配られている手帳の1番初めに掲載されている、と。
 
で、このマッピングの形を見てびっくりしました。
Googleの画像検索で「フューチャーマッピング 」見てみてください。
 
LSWや将来展望の面接でよく利用される
「人生曲線(ライフライン)」とグラフの形
※管理人作のイメージ図

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に、そっくりなんです。人生曲線の場合は左側から書き始めて、今まで主観的人生をどの様に捉えているか、そして将来の希望や展望を聞くのに役立つ手法かなと思います。
 
一方、フューチャーマッピングは考える順番が逆で、まず右側の「望む未来の姿」を具体的に想像し→「その間、自分がやったこと、周りにしてもらったこと」を現在(左)に戻る様に考えるという事ですが、これは、
 
【第34回】フィッシュボール
 
で紹介した[オープンダイアローグ]の中で使われる[未来語りのダイアローグ]で話題を取り上げてホワイトボードに書く順番と全く同じなんです
※管理人作のイメージ図

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からしたら、「フューチャーマッピング」は、ピコ太郎のPPAPばりに、
 
「人生曲せ〜ん」と「未来語りのダイアロ〜グ」を「ヴン!」と合体させた様なものに見えます。
 
フューチャーマッピングは、まず未来の理想の姿を想像するので、当然グラフは右肩上がり、右上には笑顔も書いてあるので、確かに未来の具体的な楽しい姿や、それに至る紆余曲折のプロセスを想像したり表現しやすい仕掛けが多く、参考になる点もあります。
 
ただし情報量が多いので、社会的養護の子の境界域レベルの知的能力や、過去〜現在も繋がらず肯定的な未来の姿イメージが全く描けない子には、ハードルが高い手法かな、というのが僕の一見の印象です。
(ちゃんと講習会を受ければ、そうではないと言われるのかもしれませんが)
 
だけど、将来の希望、なりたい姿をきちんと言語化するというのは非常に大切はプロセスで、言霊とかピグマリオン効果に表されるように「言葉には力がある」と僕は思います。
 
それは、人間の可塑性で「こうなる」と思えば、脳もそのように適応していくし、どうせ無理と限界設定した時点でそれ以上のことは起こらないし、良くも悪くも頭で思い描いたイメージに脳が近づこうと適応しようとする部分はあるだろうと。
 
そういう意味では分野を超えて、今自分がやっている実践と似たことを同時期にやっている人が居るというのは興味深いです。
 
■さいごに
今回言いたいことは、社長も経営コンサルタントも児童福祉とやってることはたいして変わらない、って言うか本質は全く同じじゃん!ということです。
 
そして、神田氏が大切にしている事として、
コンサルタントとして一番重要なのは、いま抱えている痛みをどうやって和らげ、それを幸せの方向にどう転換していくか。なので、人の痛みを理解する力、ここに尽きると思います」
 
と語る、心構えや志が、まさに児童福祉マインドそのものと重なっている所に驚きを隠せませんでした。
 
LSWは、まずはライフストーリーを整える「過去〜現在志向」の作業イメージが強いですが、本来はその先にある「未来志向」のフューチャーマッピングのような取り組みまでセットになるべきなんだろうし、その方法や手法は他分野からも学べるのではと思います。
 
経営コンサルタント分野の考え方や手法が、もっともっと他にもLSWに応用できたり、ヒントになることがあるのではと、好奇心を掻き立てられる対談でした。
 
V・ファーレン長崎、少しずつ補強を始めましたが、まだまだ戦力的には降格一番手。新シーズンJ1での戦いに注目です。
 
あ、またサッカーの話題になってしまいました。
 
ではでは。

【第55回】藤井四段にみる「守破離」

メンバーの皆さま
 
あけましておめでとうございます。管理人です。
 
今年も「まごのてblog」をよろしくお願いします。
2018年はじめの一手は、元旦の読売新聞に掲載のコレから。(読売新聞、取ってないですけど)
 
羽生竜王と藤井四段が特別対談、「2018年の一手」を語る
(動画公開は1/7までみたいです)
 
昨年は藤井聡太四段の「公式戦デビュー29連勝」から、羽生善治竜王の史上初「永世7冠」獲得と、一年通じて将棋界が盛り上がってましたよね。
 
そんな旬な2人の対談。新年から豪華だなと。
 
すでに動画をご覧になった方も多いと思いますが、羽生さんがテンション高めのはしゃぎ気味なのに対して、藤井くんが「はぁ…。まぁ…。」と合わせてる感じのコントラストが笑えました。もちろん羽生さんリップサービスもあるとは思うんですけど。
 
で、取り上げたいのはソコではなくて、対談の内容で「おっ」と思う部分がありましたので少し紹介します。
 
 
■対談(中盤)
コンピューター導入によって格段に将棋研究のスピードが上がったという話題】
 
羽生「彼(藤井四段)は最近の将棋の定石セオリーを作り始めている側面もある。(最新型の将棋を)もう覚えうる段階は終わっているんじゃないかなと。覚えてるのかもしれないけど(笑)」
 
藤井「そうですね…。最新型の研究は、たまにはしてますね。(羽生:え⁉︎してるんだ)それよりもどのような局面でも通用しうる判断とか感覚を付けるのが大事かなと思っています」


●コメント①
文字起こしのために何度か動画を見直しましたが、やっぱり羽生さんがほぼ喋ってますね(笑)
 
で、面白いのが藤井四段の言葉。コレって、
 
【第50回】「文化づくり」は「言葉づくり」
の岡田メソッドの所で触れた「型」と「守破離」の話しですよね。簡単にまとめると、
 
守:既知のセオリー(型)どおりにやってみる。忠実に教えを守る。 【真似る段階】
破:あえてセオリーに逆らってみる。他も研究してアレンジしてみる。【考える段階】
離:既知のセオリーとは違う独自のセオリーを見つける。【独自の世界を創造】
 
PC将棋ソフトって、感情も恐怖心もプレッシャーも全くない、冷静沈着・冷徹無比の何億手先を読んだガッチガチの理詰め100%なんで、古くから脈々と受け継がれてきた将棋の「セオリー」では考えられない一手を打ってくる、言わば「破」なわけです。
 
この「破」を小さい頃から当たり前に触れられる世代で育った藤井四段。確か、師匠の助言で小3〜4くらいからAI将棋を研究材料に取り入れた始めた(それまでは触れないでいた)と言っていたような。
 
なので、これまでの将棋の棋譜も踏まえた上で、感覚が柔軟なうちからAI的な感覚も取り入れた新旧融合の「新セオリー」を作り始めている「離」の世界に足を踏み入れつつあるのでは、というのが羽生さんのコメント。
 
それに対する藤井四段の返しが、
「それ(セオリー)よりもどのような局面でも通用しうる判断とか感覚を付けるのが大事かなと思っています」
 
実は、かつて羽生さんは著書「直感力」(2012)で、研究され尽くしたセオリーを超えて自身の直感を信じることの大事さを説いているんですよね。
 
藤井四段はそれをわかっているのか「いえいえ、セオリーを作るなんてそんな大層なことはしてません」というような謙遜の雰囲気を纏いながらも、内容的には仙人が羽生くん、大事なのはセオリーじゃない。感覚だよ」と諭すようなコメント。
 
末恐ろしい15歳ですよね。
 
ちなみに、藤井くんは小6の時、プロ棋士を抑えて「詰将棋解答選手権」で史上最年少優勝を果たしている、まさに理"詰め"の日本一の実力の持ち主。
 
理論(セオリー)理屈(ロジック)を極めた後に鍛えるのは「感覚」なんだと。
 
もちろん羽生さんもそれは理解していて、1/3のBS番組で藤井四段について「詰将棋と将棋は少し求められるものが違うんですけど、上手にミックスさせて、すごく成長しているなと思います」と語っていましたが、まさに「破・離」の話だな、と。
 
おそらく将棋にあって詰将棋にない部分は、相手との駆け引きや流れを読むこと。
(参考【第31回】雀鬼 桜井章一×羽生善治「負けない生き方」)
 
言いたいことは、決して藤井くんの方が羽生さんより優れていると言うことではなくて、コンピュータ将棋の実力向上によって、足りない物を補う、学ぶ順番が逆になってきているのではないかと言う感じ。
 
はい。これは以前、
【第13回】日本文化と即興性、育成論
で触れた、ベルギーと日本の学ばせる順番の違いから連想した話しです。欧米は理論理屈(セオリー・ロジック)をゴリゴリ教え込んで、それでも言うことを聞かない人が多い。でも日本人だと…?という話。
 
AI将棋がトッププロ棋士を倒すようになったのが2010年前後。個々のライフストーリーで見たら、羽生さんは完全に地位を確立してからの話、藤井四段はまだ7〜8歳の時。
 
なので、おそらく羽生さんが言わんとしていることは、「藤井くんの成長過程」そのものが、既存の将棋界の価値観にAI将棋の理論をうまく取り入れて成長していく「学び方・育ち方のセオリー」を形作っているという事なのかな、と思いました。
 
で、これが後半のAIの話しと重なってきます。


■対談(終盤)
【人間社会がAIをどう活用していくかという話題】

羽生「人間の持っている感性や認識がAI的になっている。つまり、そういうものに触れ続けているので、より人間の感受性がAI的になっている」

「本当は逆なんじゃないかな、という気がするんですけど。AIの持っているものが人間の感受性に近づくのが本来の姿なんじゃないかと思うんですが(笑)」

「ただ、こっち(人間がAI的になる)の方が簡単なんで、そっちの方向に進んでいるんですけど。そっちに行き過ぎた時は、AIの感性を人間の感性に寄せていくというのがあるべき姿だとは思います」

「でも、これは難しいんですよ。なので、これから先の課題というか…。」
 
 
●コメント②
AIはゴリゴリの「ロジック押し」で「感情なし」。
一方、人間はロジック(理屈)こそAIに敵わないが「感情」や「感覚」がある。
 
この話題は、昨年コラムで何度か触れた、
 
 
             認知・理論(あたま)
               /                \
気持ち・感情      ー     感覚・感性
(こころ)                  (からだ)
 
この三角形のバランスの話しに似てるな、と。
 
【第47回】漢方医が語る西洋医学と東洋医学
で、どちらかと西洋文化は「認知・理論」重視、東洋文化は「感覚・感性」重視だったけど、インターネットで情報交換が自由になった時代においては、西洋は東洋に、東洋は西洋にお互いに感覚を寄せてきているのではないか、という話に触れました。
 
この西洋・東洋の軸とは全く違う「AI文化」と言うような軸が出てきている、という話しです。
 
これは本当にその通りだなと思いまして。例えば、遊び一つにしたって、小さい頃からyoutube画面を見て育ち公園に集まって3DSの画面を見て通信して遊び、大人だって皆小さい画面とにらめっこしている時代。
 
極端に言うとTVがない世代とは、使っている感覚感性が明らかに違うはず。欲しい情報は即Google先生が教えてくれますし、直接顔を合わせなくてもテンポ良い短文やスタンプ(イメージ)のやり取りがLINEやチャットで可能になりました。現代の日常生活において、じっくり文章の行間を読んだり、考え悩みながら返答する機会は、意図して作らないと失われつつあると思います。
 
でも、対人援助という「人」を相手にする仕事をする以上、このように育ってきた人が持っている感覚を前提として、支援者の関わり方も適応して寄せていく必要があると思うんですよね。
 
時代の変化に逆らわず、時代の波に乗りながら、いまのニーズに合わせて柔軟に支援の形、切り口、提供の仕方を変えていく。老舗料理店も現代の素材と現代人の味覚に合わせた調理法や味付けの微調整や進化は必要です。
 
このような「時代」「環境」の違いによる、人間の「感覚・感性」の変化が、AI将棋から学ぶ時代の棋士にも起きているのではないか、ということです。
 
で、藤井四段が只者でないのは、単に冷静無比に打てるAIっぽくなることを目指しているのではなく、AIを学ぶ「手段」として活用するだけで、きちんと「感覚」を磨いて「理論ー感覚ー感情」の統合的なバランスを高次元で整えようとしている。
 
何にでも柔軟に対応できる「脳ーこころー身体」の自然体のバランス。あいまいな喪失で「両価的な価値観(AでもありBでもある)」「専門家の支配感に気づく」等で扱った支援者側の準備・心構えのやつです。
 
15歳でこの境地に達するかと。もはや中学生の着ぐるみを被った仙人ですよね。
 
 
そして、もし羽生さんの言う、
AIの持っているものが人間の感受性に近づくのが本来の姿なんじゃないか」
の世界を臨床で考えるなら、こんな感じ。
 
AIが人間の感情・感覚を学習する時代。現在すでにAIの会話はディープラーニング(神経回路のプログラミング)によって記憶や自己学習が可能になっていますよね。なので、さらに脳科学、生理学のデータ解析が進んで、何億人のビックデータから、リアルタイムで
→「脳のあの部分が活性化している」
→「心拍数はわずかに上昇」
→「表情は一見笑顔であるが、あれは作り笑い」
→「何か場を和ませる言葉をかけなくては。汗汗」
なんて人造人間(アンドロイド)が解析判断して、表情や口調を調整しながら会話する時代が遠くない未来に訪れるかもしれません。
 
なんなら、AIの感情・感覚の感じ方についても、例えば緊張感でドキドキした時の「脳の活性部位」「心拍数」「体温」「発汗」などのあらゆる感情・感覚をデータ化すれば、人間が感じるドキドキ感を体感で再現して、AIが体験を積んで学べる時代が来るかもしれません。
 
究極は、漫画「ドラゴンボール」で、クリリン人造人間18号が結婚するような世界です。
AIがより人間らしく進化する感じ。
 
 
じゃあ、そもそも「人間らしく」「人間らしさ」って何なんだろう?って話ですが、臨床で考えた時に僕がしっくりくるのが【不完全さ】という言葉かな、と。
 
それは、良く言えば「可塑性」「柔軟性」、悪く言えば人間の「いい加減さ」「だらし無さ」。そして、そこには「感情」が大きく関わってきます。
 
いい加減な機械はただの不良品ですが、人間の不完全でだらし無い「遊び」部分って、ある意味「まったくしょうがねぇ〜なぁ〜」という愛らしさ・人間味・個性を感じる所に繋がると思うんですよね。
 
また不完全だからこそ「変化」「進化」が可能で、環境に応じて体温やら方言やら気持ちやら何でも「微調整」してフィットさせてしまう融通さ・あいまいさが、機械に真似できない人間の長所であり短所でもある「人間らしい」所かな、と。
 
実際の現実世界は、将棋のようにフィールドも駒の動きも決まっているわけではありません。どんなフィールドかはその場次第、駒の数や動き方だってその場で感じて予測しないといけない。不測の事態や理不尽な出来事だっていくらでも起こります。
 
PCやAIのように理論セオリーを突き詰めていけば、ミスは減ると思うし、ミスを減らす事は大切だと思います。でも、理屈を追求し過ぎると「遊び」が無くなって、何もかも完璧を求めるようになります。そんな世界に、他人の失敗や不測の事態が起きた時に寛容に許したり柔軟にリカバリーする懐の深さははあるでしょうか?
 
完璧主義過ぎる、融通が効かない、理屈っぽくて情が通じない、だわりが強い。人間の感受性を極端にAIに寄せると、こんな感じになりそうです。
 
はい。これって対人援助で骨の折れるタイプのケースの傾向そのものですよね。でも、一番困っているのはきっと本人。環境にうまく適応できないんですから、生きにくいと思います。
 
不完全な世界で生きる、不完全な人間を相手に支援を行うなら、あいまいで不完全なことを抱えられないといけない。でもそれは、ただ我慢して耐えるのではなくて生物学でいう「動的平衡の状態。見た目上は変わっていないように見えて、実は古い細胞を捨て、新しい細胞を取り入れる交替が絶えずあって平衡状態が維持できます。
 
どちらかに極端に振り切るんじゃなくて、両極の間で揺れる感じ。
 
相談においても、対話の中で絶えず新しい「気づき」を取り入れて、「理論ー感覚ー感情」の新たなバランスが取れるまで試行錯誤する。適当なバランスが見つかるまでは多少グチャグチャしますが、全く固まって動かないよりは大いに進化する余地がありますよね。完全に固まらないからこそ成長変化の可能性があります。
 
そして、どんなグチャグチャ状況にも、ある程度の安全性を保って対応できるような「理論ー感覚ー感情」の可塑性なあるバランス状態が、無駄な力が入っていない、でも軸や筋はしっかり通っている自然体の状態なのかな、と。
 
安全かつ成長的な変化が起こるには、揺れる余地のある「不安定性」と、揺れた後もあるべき軸に戻ってこれる「安定性」という、一見すると矛盾するような相反するものが同居することが必要なんだと思います。
 
LSWの最中の子どもの状態にも通じるかもしれませんね。
 
そして、藤井四段のように本質をわかった上で、AIを成長進化するための「手段」として活用することと、何も考えずにAIの型を真似をすることが「目的」となっていることでは、そのプロセスも結果の「理論ー感覚ー感情」のバランスはまるで違ってくると思います。
 
支援者のトレーニングという点で考えると、人それぞれ得意不得意はありますので、長所をどう伸ばし短所をどう補うか、やはりまず自己覚知なのかな、と。
 
LSWに限らず、対人援助では色々な揺れを抱えることになりますから、頭を整理し、感覚を磨き、モチベーションを維持するバランスを常に整えて全体的に底上げしていきたいですね。
 
これまで「まごのてblog」で扱った話をざっくり分類すると、
 
ロジック(理論)→ 総論「生物ー心理ー社会」
                           各論「トラウマ」「グリーフ」
                                  「 アタッチメント」等々
センス(感覚)→ 場の流れを読む、感じる系
                         「ファシリテーション
                         「マインドフルネス」 等々
モチベーション(感情)→ 経営・マネジメント論
                                  「組織文化づくり」
                                  「サッカーの組織論」等々
 
こんな感じでしょうか。ロジックは洗練された一つの「型」に近いイメージですが、「型」通りばかりに実践が進むわけではありません。空手のキレイな正拳突きがケンカで常に決まるわけではないですよね。もっと複雑な技の連続なので。
 
しかしながら、「型」を繰り返すことで「感覚」を研ぎ澄ませたり身体に染み込ませることに繋がるんだと思います。そして「型」の繰り返しの質を上げるのが「集中力」や「継続力」で、これを維持させためにはモチベーション(意欲)やパッション(情熱)が必要で、さらに個人ではなく集団でこれを維持する仕組み作りが「マネジメント」に当たるのかな、と。
 
もちろん各分野にまたがる話ばかりでスパッと綺麗に分かれるものでもないですが、コラム内容は大体ロジック/センス/モチベーションの三分野に分けられるかな、と思います。
 
とは言え、毎回思い付きでコラムを書き始めるので、初めから分類を意識していませんが、後々見返すとこんな整理が出来るかなと思いましたので、また一年後にはロジック/センス/モチベーションを磨いたりする引き出しが増えたり、深みが出ているといいなぁと言う願いも込めて、新年の書き初め的に綴ってみました。
 
2018年はじめの一手から長くてスミマセン。
 
こんな感じで今年もお付き合いよろしくお願いします。
 
ではでは。
 

【第54回】14ゾーンで考える「2017年まとめ」

メンバーの皆さま
 
 
こんにちは。管理人です。
 
プライベートではようやく「年賀状」作りも終わり、昨日、無事に今年の仕事納めの一日を終えました。
 
今年を振り返ると、我ながら半年間よくコラム続けたなぁ、と。まぁ道楽的な作業ではありますが、このペースを維持できたのは自分でもビックリです。
 
で【第50回】あたりから、これまでのまとめ的コラムを書きたいなぁと考えていまして。おそらく、これが2017年最後のコラムになろうかと思うので、そんな内容を、
 
■「14ゾーン」とは?
■ LSW前の「子どもの見立て」
■親子関係再構築の「安全度」と「自由度」
■ 児相と施設の「連携フォーメーション」
 
4つのトピックで綴ってみます。
 
 
■「14ゾーン」とは?
表題の「14ゾーン」ですが、クリスマス12/25にサッカー喩えネタを書いた翌日にこんな記事を見つけたんです。
 
富山第一・大塚監督の革新的戦術。攻撃的5バックと"14ゾーン"とは?』
 
ちなみに「富一」は2014冬の高校サッカー選手権で富山県初の「優勝」を果たしていて、同じ雪国の北信越(新潟)出身の僕としては衝撃的だったのを覚えています。
 
エル・クラシコのおかげで「サッカー脳」になっちゃってるところに、見事に今年考えていた事とリンクしてしまいましたので、今回も多少のサッカー話しにお付き合いください。あとで、LSWの話に戻りますので。
 
で記事の内容は、元プロ選手の高校サッカー監督がイングランドの最新のサッカー戦術を取り入れているというもの。
 
で「14ゾーン」とは、サッカーコート半分を9つ、合計18個のゾーン分ける線を引きます。

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左から右(→)に攻めるとして、14番目にあたるペルナティエリア前を「フォーティーン(14)ゾーン」と呼ぶんだそうです。日本サッカーでは「バイタルエリア」なんて言われるエリアです。
 
そして統計的には、ほとんどの得点シーンはこの「14ゾーン」を経由していると。決定的なスルーパスにしても、サイドへの展開にしても、ミドルシュートにしても。
 
なので攻撃はいかに「14ゾーンを攻略」するか、守備はいかに「14ゾーンを閉じる」かというせめぎ合いになるんだと。
 
フットボール」と「統計学」の融合ですね。以前のコラムで、英国は、実証的・科学的なエビデンスを重視するという話に触れましたが、それはフットボールにおいても似たスタンスがあるようで面白いです。
(【第49回】セラピストとカウンセラーの違い
 
 
さらに「14ゾーン」を知りたい方は、以前に紹介したアルゼンチン人のシメオネ監督(参照【第38回】状況判断能力とコンセプトの融合)が率いる、ヨーロッパ随一の堅守「アトレティコ・マドリードのトレーニングが動画で見れます。ミニコートを縦4分割した練習面白いです。
 
ゾーン14を閉じるゾーンディフェンスとトレーニングセッション
 
 
 
■ LSW前の「子どもの見立て」
 
前回コラムでは「支援体制」をポジショニングに例えましたが、今回は「子どもの内面」の例えです。
 
で、前回書いたこの図、と「14ゾーン」を照らし合わせると、左右は逆ですが、

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「14歳(中2)のアイデンティティが揺れる時期」
と数字も時期も位置もピタリと一致します。
 
また、児童福祉で関われる年齢「18歳」とゾーン数18が同じ所もそうですし、中盤のナンバー(7〜12)が小学校年齢と一致するのは、ただの偶然だけではもはや言い表せません。
 
さらに、相手にとっての「14ゾーン」は、自分にとっての「乳幼児期=5ゾーン」に当たります。ここの守備を厚くするのって、乳幼児期の情緒的関わり(アタッチメント形成)がしっかりしていると、安定性やレジリエンスが高いイメージと一致します。
 
もっと言うと、僕の中では、コートを縦にして、

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要になる、生活場所を支えるセンターラインが「家族」、脇を固めるのが「支援者」のイメージです。
 
なので、例えば、14歳を迎えるにあたって、在宅で比較的安定的な生い立ちを過ごせている子は、こんなイメージです。

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思春期で「ウゼー!」「うるせぇークソババア!」とか多少荒れたって、土台となる「5ゾーン(相手にとっての14ゾーン)」の守備もしっかりしていて、周りのサポートもある状態ですから、まぁ放っておいても自分で得点(成長)をして、じきに落ち着いていきます。
 
もちろん各時期の脇には、支援者(黄丸)がたくさんいて、安全安心に囲まれて14歳までも育っています(ボールが幅広く繋がっているイメージ)。
 
そして、社会的養護にいる子であっても、乳幼児期までに可愛がられた経験のある子(単純な養護ケースに多いかも)は、こんなイメージ。

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主な養育者(色塗り)が変わったとしても大事なところの安定感はありますし、会えないにしても家族の情報が入って自分の中で重なって繋がっていて、時間的展望や連続性も繋がる。そして脇も固まっているので、予後が比較的安定しているイメージです。
 
なんか段々「バ」で始まる心理テストに見えてきましたが、解釈法が同じわけでもないので、誤解のないようにコートを横に戻します。
 
それで「施設入所・措置変更を繰り返し」かつ「家族情報や家族交流が乏しい」ケースのイメージはこんな感じです。

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施設間の連携・引継ぎが上手くいかないと、カバーエリアがバラバラで繋がっていない。おまけにセンターラインもスカスカで強度も弱く、一番やられたらマズイ「5ゾーン(相手にとっての14ゾーン)」に誰もいない。
 
こんなチームは、安定感、安心感がまるで無いですし、危なっかしいですよね。
 
僕の中では、コート全体は本人の心の中の「ライフストーリー」のイメージで、色や範囲が濃い所が(過去ー現在ー未来の)時間志向性」が強くなっている場所のイメージです。技術的な問題で図では濃淡まで表現しきれませんが、カバーされたゾーンがある濃かったり薄かったりするのが志向性の濃さのイメージです。そして、
 
【第19回】ジンバルド時間志向テスト
 
でも触れましたが、時間志向性は単に強ければいいと言うわけではなく、大切なのは全体のバランス。時間志向性が「過去ー現在ー未来」のどこかに過剰になっている時の精神状態は「時間精神医学」の例で挙げた通りです。
【第40回】バイオサイコソーシャルアプローチ④
 
また、色の薄い囲いもなくカバーされていない「空白」の部分に「未完の喪失体験」が埋まっている可能性があります。それは単に知る機会が無かっただけかもしれないし、トラウマ体験を「解離」させて心を維持するために記憶から飛ばしている部分かもしれません。
〜参考〜
【第7回】子どもの悲しみによりそう 適切な喪失体験のサポート法④ など
【第48回】神田橋処方とLSW
 
 
なので、まず何が起きているのか可能な限り相手をよく見極め、それでもハッキリしない部分はあるので助けを呼べる周辺ゾーンの安全を整えて、何かあってもカバーしてもらえる状態にしてから、アプローチを開始する。
 
こんなサッカーコートのバランスを「心の中/記憶」と「支援体制(前回コラム参照)」の両面で整え、リスクマネジメントを高める作業して、相手もやられまいと閉めてくる「14ゾーン(思春期の揺れ)」にアタックし、仮にボールを失ってもカウンターからの失点リスクを最小限にしておく攻守のバランス管理や状況判断による戦術選択。
〜参考〜
【第27回】「チームを整える」長谷部誠
【第53回】エル・クラシコで考える「連携とファシリテーション
 
 
ちょっと最後はゴチャゴチャしましたが、LSWを点滴のように少しずつ行うイメージをあえて「サッカー」「14ゾーン」に喩えると僕はこんなイメージを持っています。
 
思春期は、ただでさえ親離れの時期で「親子関係」に葛藤を抱え不安定になりやすいと思います。その「14ゾーン」を攻略する(支援者が揺れを抱える)には、「乳幼児期=5ゾーン」の安定度や整理具合が非常に重要だなぁ、と実際のケースに触れて感じています。
 
 
■親子関係再構築の「安全度」と「自由度」
最近「親がいない場合のLSWってどうすればいいんですか?」と聞かれる機会が増えました。
 
あくまで僕の考えですが「親に会える頻度」の差が、
①「在宅」で親と暮らしている
>②親と別居しているが家族交流はある
>>③家族交流はないがコンタクト出来る
>>>④家族交流はなくコンタクトも取れない
 
状況に応じてあるだけで、基本的な考え方や視点は「親子関係再構築」で同じなのかな、と思います。
 
在宅ケースで親子関係を修復するケースは、どの機関でもやっていることですよね。その時していることは「お互いの話を聞いて、お互いの気持ちを擦り合わせて、家族の形やシステムをどう再構築するか考える」ことではないでしょうか?
 
②の場合は、経済的理由とか虐待とかだ、親と一緒にいると【安全度】が保てないので、仕方なく離れて暮らしているけれど「親子関係再構築」でやる事は変わらないですよね。生活場所を分離するという手法は児童福祉独特かもしれませんが、お互いが望む家族の形をしっかり聞いて安全な形で調整する、という部分では共通かなと。それがなかなか難しく骨の折れる作業なんですけれど。
 
③は【安全度】か【物理的】に交流ができない場合。物理的とは例えば、親が遠方で暮らしている、すでに別家庭を構えている、刑務に収監されているとか。
 
で【安全度】とは「A:親が再び虐待行為をしないか」×「B:子どもがトラウマ再体験(フラッシュバック)しないか」の両方の掛け算。
 
もし、子どもが親に会うことを猛烈に拒否していたり、会った後に生活が脅かされる程に激しく荒れる(=フラッシュバックの可能性大)場合は、家族交流をストップしたり、安全な形に【自由度】を制限しますよね。
 
【自由度】とは、交流する人・場所・方法の幅です。お母さんだけならOKとか、まずは手紙からにしましょうとか。
 
基本的に交流ステップは、【安全度】によって面会・外出・外泊などの交流の【自由度】をどれくらい緩めるかという判断が求められるということなんだろう、と。
 
気を付けないといけないのは、違うことに慣れるということは「多少の揺れ」を伴うということ。その揺れを「抱える器」の範囲内で安全に交流を図ると言うのがポイントで、よく起こるのは少しでも揺れると「子どもが可哀想」と大人側が不安を抱えられず変化の余地を妨げるパターン。
 
なので、支援者のレジリエンスを高めましょう、と「あいまいな喪失」の部分で「AでもありBでもある」という両価的な価値観や「自身の喪失体験を癒やす」大切さはコラムの各所でかなり取り上げてきたつもりです。
 
で、LSW本題の「④家族交流はなくコンタクトも取れない」場合ですが、①〜③なら親がどう考えているか、何をしているか直接聞くわけですけど聞けないので仕方なく、過去に残っている情報を元に「心の中の家族」と対話してもらうわけです。
 
この事は特別な事でなく、親と一緒に住んでいる場合だって関係調整の間に入る支援者が「本当はこんな風な気持ちがあんな言葉になってたみたいよ」という気持ちの通訳をしてあげることって良くありますよね?
 
それを「目の前にいない家族」と行うだけです。ただ当然ポンポンと対話のキャッチボールができるわけでないですし、さらに過去に癒されていない「未完の喪失体験」が伴いますから、一つ一つを噛み締め思いを巡らせた時に湧き出てくる本人の気持ちを丁寧に聞いて受け止める必要があります。
 
例えば、虐待者と直接会わせる時は【安全度】に細心の注意を払いますよね?それと同様にLSWで扱う過去の情報も「その時、何が起こっていて、本人にとってどんな体験だったのか」を支援者が理解した上で「会わせ方」「扱い方」を検討する、と言う日常的に行なっていることをブレずにやるだけかな、と思います。(そもそも親子面会における「それ」がされていないという話も耳にしますが…)
 
具体的な方法論については、喪失やトラウマを扱った各コラムを参照いただければヒントは載っているかと思います。でも、安心感をもたらすために大切なことは、まず目の前の養育者が一生懸命に考えてくれている姿を見せること、その時々で丁寧な事前説明(施設入所や措置変更、グリーフ、トラウマ反応についてのガイダンス「これからこうなりそうなんだけど、こんな風になる子もいるもんだから心配だよ〜」)を年齢や関係性に合わせてわかりやすく誠実にする事なんだろうと思います。 
 
仮に最終的に行き着く選択・場所が同じであっても、どのようなプロセスを経て(丁寧な連携とパス交換を経由してきたのか、一か八かの思いやりに欠けるロングパス一本なのか)、その子自身が納得してその決定選択に至っているかどうかが、その後の人生選択においても大事なんだと思います。
 
なので、まず判断やガイドをする大人自身が「安全を守るため」だけで思考停止しないで、子どもにとって家庭を離れるということが、どういう体験でどのような影響があるのか、様々な角度から考えて理解を深めようとし続けることが必要なんだと思います。
 
その上で、【安全度】を守るという守備の軸と、【関係性構築】を促す攻撃(交流・ファシリテーション)の軸と、そんな2軸があって、さらに全体を引いたり押し上げたりする状況判断能力やチームワークも磨く。
 
どこかに偏るではなく、万遍なくトレーニングして、総合力を上げることが良い支援につながる。結局「急がば回れ」なのかなと思います。
 
 
■児相と施設の「連携フォーメーション」
 
最後は余談です。前回コラムと似た話ですが、LSWの職種役割の連携イメージについてです。
 
僕のイメージはこんな感じ。

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社会的養護で家庭復帰が難しい子は、軸となるセンターライン(生活の場)を「家族」ではなく「支援者」が支えなくてはいけません。
 
CF(センターフォワード子どもの生活の最前線
→「施設ケアワーカー:CW」
CB(センターバック生活場所を探し確保する
GK(ゴールキーパー)最終ラインの砦・責任者
→「児童福祉司の上司(グループ長:GL)」
MF(ミッドフィルダー)児相と施設のつなぎ役
→「ファミリーソーシャルワーカーFSW
 
文字もなんか重なりますし、こんなイメージ。
 
で、心理はその脇を上下動しながらサポートする。児童心理司は「安全第一」で守備を固めながら時々攻撃参加。施設心理は、前線の生活場面にいながらも時々現実からあえて「外れて」心の休息、整理、成長を促す多様な役割。もちろん児相と施設の調整のサポートもする。
 
心理がサイドから参加することで、支援(パス回し攻撃、守備ライン)の視野、角度、幅、バリエーションを増やすイメージ。ただし、SBにもスピードが売りの選手、展開力・クロスの精度・運動量・守備の堅さなど色んな特徴を持った選手がいるように、心理職も色んな特徴や得意分野を持った"癖"のある人の方が多いと思います。
 
また、学校の先生は子どもの日中の生活を支えてくれますし、病院は子どものトラウマ等をピンポイントで治療してくれる等の役割があると思います。
 
サッカーでも単独プレーが得意な人、連携プレーが得意な人がいるように、他連携も巻き込んで攻守のバランスと強度を上げていく、周りと相乗効果を発揮できる「連携力」も児童福祉では重要な能力の一つかなと。
 
もちろん、各児相や施設によって、ベテランもいれば若手もいるわけで、各人の持ち味はそれぞれです。若手の熱意や運動量と、ベテランの落ち着きと、まさにチームのバランスや融合が大事かなと思います。 
 
現実問題、各機関の職種人員が豊富ないわけではないですので、サポートはお互い様ですし、持ち味はそれぞれです。例えば、一流サッカークラブにはフィジカルコーチ、技術コーチ、戦術コーチがいるように、福祉分野のSV(スーパーバイザー)だって決して万能ではなく得意不得意分野はあるわけです。
 
さらに、流れを変えたい時には前線のメンバー交代(措置変更)することだってありますが、これも戦況な流れに合わせて適切なメンバーやタイミングで投入できるか否かで効果的な変化があるのか、むしろ全体のバランスを崩して悪化してしまうのか変わってくると思います。そして連携や安定感を考えるとあまり交代枠をあまり最終ライン(児相職員)に使いたくはないですよね。
 
「流れを読む」に関しては、いつも注目記事の一位になっている
【第31回】雀鬼 桜井章一×羽生善治「負けない生き方」
を参照下さい。(もしや皆さん麻雀好き?)
 
 
そんな現場メンバーを決めるのは監督(機関長)ですし、そもそものチームメンバーを確保したりリクルートするのはオーナー(人事担当、理事長クラス)の仕事です。
 
こんな感じで考えると、各ケースでどのポジションも万全なチームというのはまずないので、誰かが誰かをフォローながら若手を育て、その時その時のチームとしての形を作っていく、と言うのが現実だと思います。
 
大事なのはチームの「多様性」で、ハマった時は強いが脆いチーム、誰かに依存しし過ぎたチーム作りではなく、どんな場面でも怪我人が出ても切り抜けられるタフさ柔軟性があるチームを作りたいものです。
 
それを継続的に維持するには「多様性」を持てる職員の育成システム、その時の戦況を判断できる確かな戦術眼が必要だなと思います。
 
今後「まごのてblog」がそんなことの役に立てば、非常に嬉しい限りです。
 
 
■最後に
長くなりましたが今年の半年間、本blogにお付き合いいただいて本当にありがとうございました
 
まだまだ紹介したい図書や記事は山積みなので、2018年中には【第100回】に到達できることを目指して更新し続けたいと思います。
 
僕は年末年始、故郷の新潟に帰り、雪の中で英気を養ってきたいと思います。皆さまもよいお年をお過ごし下さい。
 
ではでは、また来年。
 
 

【第53回】エル・クラシコで考える「連携とファシリテーション」

メンバーの皆さま

メリークリスマス。いかがお過ごしでしょうか。管理人です。

僕は12/23夜、リーガエスパニョーラで「エル・クラシコ(伝統の一戦)」と呼ばれる注目カード、

レアル・マドリードバルセロナ

を観てしまったせいで、もともとサッカーネタが多いのに、さらに思考が「サッカー脳」になっています。

ちなみに、僕はもともとNBA(米バスケ)の方が好きで「マイケジョーダン」の時代からBS放送NBA(米バスケ)を観てるんです。

しかし、今年からあの「楽天」がチャンピオンチーム(GSウォーリアーズ)のスポンサーになったせいで「楽天TV:RakutenTV」ばっかで放映して、NBABS放送が全くなくなっちゃったんですね。

その「楽天」は今年から「バルセロナ」のスポンサーにもなっていて、全世界が注目する一戦で「Rakuten」の文字がメッシをはじめ様々なスター選手の胸で踊っていました。すごい時代になったもんです。

で、取り上げたいネタは「楽天」ではなくて。

エル・クラシコ」のハイレベルな応酬を観ていると、対人援助の「連携」「ファシリーテション」って、やっぱりサッカーと似ているなぁ、とつくづく思いまして。

と言うことで、サッカーで考える(児童福祉の)「連携・ファシリテーション」のお題でコラムを一つ。


■まず、サッカーのお話し

あるブログで「相手の状況に応じて、3つのタクティクス(戦術)を持つ」「それはポゼッション、カウンターとかいう類のものではなく、3つの守備の設定位置を使い分けるという事」「高い位置、低い位置、そして、その中間の位置という3つ」という説明があり、僕の中ではすごく腑に落ちました。

以下は、あくまで僕の解釈ですが、

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イメージ的には、右からFW攻撃(白)、MF中盤(黄)、DF守備(赤)、GK砦(黒)の選手がそれぞれいると思って下さい。

そして、上の感じが【中間の位置】のスタンダードな守備バランスと仮定します。
(図はiPhoneで作ってますので、丸の形や位置のガタガタは気にしないでください)

基本的には「現代サッカーは11人全員で守る必要がある」(クラシコ直前の宮本恒靖ハリルホジッチ対談)ので、

①ファーストディフェンダー(白)が、ボールにプレッシャーをかけてプレーの幅・方向を限定する。
セカンドディフェンダー(黄)は展開を予測して連動してポジションを取り、ボール奪取を試みる。
③最終ライン(赤)は、放り込まれるロングボールを確実に跳ね返す、ゴール付近に飛び込んでくる相手を確実に捕まえてフリーにさせない。

と、組織として役割が連動することが必要で、前線からの守備が機能すれば次でボールが楽に奪えるし、逆にどこかで穴があると、余裕を持ってボールを運ばれてしまうので、後ろにかかる対応の負担やシワ寄せが増えていきます。

で、状況に応じた【守備の位置】の設定ですが、まず【高い位置】について。

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イメージは「バルセロナ」的なボール保持率(ポゼッション)の高いサッカーですが、それを実現するにはパスを繋げる技術だけでなく「ボールを失わない攻め」&「失ってもすぐに奪い返す守り」という攻守の両輪があって成立します。

いわゆる「ハイプレス」で、全体を前に寄せてボールの奪い所を【高い位置】に置いています。

これが機能すればずっと攻撃できるわけですが、もし「ハイプレス」が突破されたら、自陣の広いスペースでGKと1対1の場面を作られるリスクもあります。なので、GKは攻撃では「ボール回しに参加する足元の技術」を求められますが、守備では「1対1でもストップする」高い能力が求められるわけです。


で、逆に【低い位置】の守備はこんな感じです。

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自陣に構えて相手のスペースを消します。すると相手は中央突破ではなくサイドから崩してクロスを放り込んでくるので、DFやGKはハイボールを弾き返す「高さ&パワー」が求められます。

さらに、攻撃はボールを拾った後の「カウンター」なので、前の選手(白)には「相手を振り切るスピード」と「一人で得点を決めきる」高い能力が必要で、それを兼ね備えた代表格がクリスティアーノ・ロナウド

もちろん「エル・クラシコ」では、お互いの持ち味は十分に知り尽くしていますから、相手の長所を消すような戦術を取りつつ、一瞬のスキを伺う戦いが繰り広げられるわけです。


■ようやく児童福祉のお話し

そういう視点で試合を観ると、守備の「戦術の浸透具合」とか「連動性」って、対人援助で言うところの「方針の共有」とか「多職種の連携」と似てるなぁ〜、と思うわけです。

また、攻撃におけるテンポの良い正確なパス回しは、対人援助で言う「グループによる対話」や「ファシリテーション」の形だよなぁ、と。

例えば、子どもにアプローチして関わる時期を、

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こんな感じで右から順に見立てると、長期に施設入所している子は乳児院児童福祉施設(場合によっては施設変更も)〜自立まで、各ステージで多機関の関わり(例:母子保健、施設、学校など)はあるものの、時代を通じて継続してアプローチできるのは「児童相談所かなと。

最近なんだか担当の子の「自立」に立ち会う機会が多いのですが、同じ児相に約10年いるので、幼児や小学校低学年から知っている子たちなんです。

そうすると、中にはファーストアプローチ(=一時保護)から知っている子もいるわけで、始めから将来の布石となる声かけや記録を残し、中盤でもLSW的なアプローチして、思春期にフォローして、自立期には整えて送り出すことが出来ます

しかし、これは我ながら「ズルい」パターンかなと思います。言わば、前線FW〜中盤MF〜最終ラインDF〜GKまで全部自分でやってるわけですから、戦術理解も意思統一も出来てて当然だし、情報だって記録だけじゃなく記憶にも残っているわけです。

しかし日本の多くの現実は、10年の間に職員異動サイクルが3〜4年前後でも担当は3人目、ケースワーカーは毎年変わる事も珍しくないですから7〜8人目なんてこともあり得るわけです。余程しっかり記録するか引き継ぎが行われ、また引き継ぎを受ける側も意図を理解できる経験者でないと、意思統一はなかなか難しいですよね。

またサッカーで言う状況判断は「見立て」に近くて、例えば、思春期前後に初めて関わるケースは、

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もうファーストアプローチが遅れてるので、無理せず全体の支援を戦略的に下げるしかない訳です。その中で失点しない(安全を守る)ようにしながら、挽回できるカウンターのチャンスを伺います。

ただ、重いケースは概ね(コート右側の)幼少期以前の生い立ちに大きな「トラウマ体験」や「未完の喪失体験」を抱えていることが多いですから、その中をボール(安全安心)を失わずにドリブルで突き進んだり、前線のスペースに走り込むFWに後方からロングパスを供給するアプローチというのは、相当な訓練や専門性が必要となるわけです。

トラウマやグリーフに熟知していて、「ここなら行ける!」ところをピンポイントに通さないと行けないわけで。

なので最悪、児童福祉の枠で関われる「残り時間」や「資源」が少なければ、それ以上悪化する(今の安全も損なう)ような失点をしなければOK、スコアレスドロー(0-0)狙いの戦術がベターな場合もあるのが現実だと思います。まさに状況判断です。


で個人勝手に無理すると、こんな事態が起きます。

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守備も攻撃も、どこで勝負するのか、その方向性や意思の疎通が上手く行かずに、動きに連動性がなくバラバラになります。

(白)は「過去まで踏み込んで」支援する⇄(赤)は「思春期以降(現在)が危ない」から無理したくないという意図の相違。そうなると全体が間延びして守備も攻撃も連動性や分厚さがないので、チャレンジ後の「フォロー&カバー」ができずに、危険地域をスカスカやられ放題の状態。

 

対応が後手後手になっている、あの嫌な感じです。危機察知能力が高い人が、なんとか少し時間を遅らせたり、最悪カード覚悟で止めに入るパターンのやつです。

 
例えば、施設入所させたはいいが、その後に何も出来ず、気がつけば思春期には手がつけられない状態になっているみたいなケース。他には、始めの導入や対応(方向付け)が分かりにくかったりイマイチで、次に引き継いだ人が前の人のフォローから始めなくては行けないケースとかは、そんな感じかなと。

 

また、全体的にLSWに熱を入れると…

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過去(コート右)に支援が寄るので、前線に人数や時間をかけた状態になります。持ち時間や人員には限りがありますので、ここで全てのケースをカバーできれば良いですが、そこをすり抜けた(あまり問題のないと思われているケース)の「現在・現実」の支援が手薄になる可能性があります。思春期以降を任されたGKは、かなり広範囲を一人でカバーするスキルや懐が求められます。

なので、【守備の位置】を全体的に押し上げるのか、一旦は引くのかの判断は「全体の状況を見立てる」状況判断と全体への意思統一、役割の明確化(+スキルアップ)が必要不可欠と思います。

大切なことは、いま自分たちが何をしようとしているのか、どのポジションを取り、何の役割を求められているのかを俯瞰的に把握・理解していること。

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今は上空からの俯瞰図で全体を見ていますが、実際は現場ピッチ上の視野で、これを正確に把握し、全体でイメージ共有しないといけないわけです。これはそんなに簡単なことではないし、マネジメントや経営的な視点がかなり含まれる高度な専門性だと僕は思います。

さらに、失点やボールロストを「安全安心を失う」ことに例えるなら、攻撃の時も正確に狙った所にパスを出す、きちんとトラップ出来ることもまた「安全安心を守る」ために必要な要素かなと。

実際の「エル・クラシコ」の選手たちは、激しいプレッシャーを受けながらもボールは失わず、味方のスペースを見つけた動きのタイミングに合わせて、矢のような速さのパスを正確に繰り出し、受け手の選手も何事もなかったようにピタリとボールを止め、淀みなく次の攻撃動作に移って行きます。しかし、疲れや焦りが出てると、あのレベルの選手だって細かいミスが出てきます。


パス回しを「対話」に喩えるなら、物凄くわかりやすく正確な説明と柔らかい受け止めの面接技術、さらに効果的な流れを展開するファシリテーション技術の応酬です。美しく流れるような展開を支えているのは、「緻密さ」と「正確さ」を体現できる基礎技術の高さなんだと改めて思いました。

つまり、「安心感の高い」話し合いを実現するには、ボールの出し手も受け手も「現在地と今後のイメージ共有」が出来ていて、的確にボールを出したり受けたりする「個人の面接技術」を持ち、ミスが起きてもフォローして直ぐボールを守れる「チーム体制・戦術」が整っていることが必要なんだと。


僕の中では、

【前線から守備】
リアルタイムでの、LSWを見越した情報収集・記録作成、措置変更前後の丁寧な説明&フォロー(喪失へのケア)

【ボール奪取後のパス回し】
LSWで対話しながら安全に過去を遡っていく感じ

その全体バランスや意思統一の重要性もLSWイメージと重なりまして、色々なことを考えさせられる今年の「エル・クラシコ」でした。

正直、クリスマスイヴに何枚もサッカー図を描いて「何やってるんだろう」と思う瞬間もありましたが、色使いも何となく「クリスマス」風になりましたので、サッカーに興味がない方も管理人の「遊び」と思ってお許しください。

ではでは、よいクリスマスを🎄