LSWのちょっとかゆいところに手が届く「まごのてblog」

静岡LSW勉強会の管理人によるコラム集

【第102回】原則に基づく「判断」と「技術」

メンバーの皆さま


こんにちは。管理人です。

気がつけば2月も最終日。

先日、仕事で車を走らせていたら、田舎の川沿いに大量のピンク色の樹と「さくらまつり」というノボリを発見。

どうやら「河津桜という早咲きの桜を植えた場所が浜松にもあるようで、平日の夕方にも関わらず、そこそこの人が賑わっていました。

早咲きの桜とは言え「もう春間近だな」という感じがしました。



で、今回取り上げる話題は、またしてもサッカーに…。

サッカー談義は、なぜいつも結果論なのか?

たびたび引用させてもらっている元サッカー日本代表鹿島アントラーズ岩政大樹氏の記事。

上の記事は、2月6日発売「フットボール批評issue23」の一部抜粋だそうですが、やはり、この人の言語化の能力はハンパないですね。

本質的なことを、よくここまで短くシンプルに、かつ的確にわかりやすく言語化できるなと。

ホントに短い記事なので、是非読んでほしいのですが、内容はピッチにおけるサッカー選手のプレーを構成する要素は、原則・判断・技術の3つに分類できる」という話しです。

これ、サッカーだけではなく、臨床場面にとても似てるなぁと思います。「原則・判断・技術」の記事の部分を順番に見ていきます。


1.「原則」
〜プレーを構成する一番深いところにあるのは「原則」です。サッカーで同じ場面は二度とありませんが、実際には「こういう場面では基本的にこうすべき」と定められたいくつかの決まりごとがあります。

〜攻撃の優先順位であれば、“まず前”を目指していくのが「原則」であり、決して横や後ろの選択を先に探してはなりません。

〜この括りの中には、チームの「約束事」や個人の「セオリー」、あるいは局面における「判断基準」なんかも含まれます。ボールを大事にするスタイルなのかどうか。自分なりに「こうなったらこうなるはず」と考えたもの。迷った時に選択するのはリスクか、リスク回避か。様々な要素が各チーム、あるいは選手には設定されています。

●コメント
ここまででも随分、頭の整理が進みました。「二度と同じ場面はない」というのは臨床場面でも本当にそうですし、「ケースバイケース」ってよく耳にする言葉ですけど、それは「判断」の話であって、まずは「原則」の共通理解があった先のことだと思うんですよね。

最近、一緒にペアを組む担当ケースワーカーに、

「この●●という状況の場合、▲▲という対応をするのが一般的と言うかセオリーだとは思うんだけど、このケースの場合はどう思います?」

なんて形で質問をすることが僕自身増えたなぁと、ぼんやり自覚していたんですが、そういうことを伝えようとしていたのかと、この記事を読んで気づかされました。

この場合に気をつけている事は「それって普通(セオリー)なんですか?こう言う風に思ってたんですけど」みたいな、異なる考えを持っていることを伝えてOKな対話的な雰囲気にしておくこと。

「あ、そういう考え方や価値観でこの人は考えてるんだ」という"両方ありだよね"という相互理解を大切にしたい。これ管理人的「多職種連携の原則」です。(この時、私は違う!というツッコミはOKという感じですかね)

というのも、原則と呼ばれる考え方や価値観って、職種や立場、教育課程によって認識が異なる事って結構あると思います。

その違いを扱わず、なんとなくで話が進んでいくと、どんどん"ボタンの掛け違い"が進んで行って、後々気付いた時には「そんなはずじゃなかった」「先に言ってよ」となんて事が起こる事は珍しくないからです。


僕の中での原則って「軸」とか「芯」とか「型」とかいうイメージ。対応の幅や遊びは持たせるけど、真ん中にしっかり持っている基本的なもので基準となるもの。

そのモノサシの共通理解があって、「で、このケースの場合、あえてセオリーを外します?」「その意図や理由は?」という議論が初めて成り立つと思うんです。

でも、その原則の共通理解がないと、「この場合は、あえてセオリーを外す」という判断に繋がらないので、いつまでたっても「一か八か」の"運まかせ"みたいな対応が繰り返されます。

そうなると、いつまでも判断力が磨かれない対応になるので、現場経験をどれだけ積んでも、自信がなかったり、経験年数ほど伸びしろが見られないということが現実起こると思います。

セオリーや基本軸なしの「自由」は、ただの無茶苦茶に過ぎないわけで、セオリーから外れている自覚があるからこそ、一見無秩序と思える対応でも、本当に危なくなったら戻ってこれる感覚を確認しながら、ギリギリの所まで攻めれるわけです。

逆に、セオリーなしに突っ込めるのは、若さゆえいうか命知らずというか、それで大成功することもあるかもしれませんが、プロとして仕事を続ける以上、年間のリーグ戦をしているようなものですから、大怪我してシーズン全体を棒に振るような勝負はしたくないわけです。

しかも相手や同僚も巻き込んだ話になるわけですから、プロとして成功率をなるべく高い選択肢を選ぶ準備や責任があると思いますし、「共に死なない」というリスク回避、時には撤退する勇気も必要だと思います。


ですから。生きていれば(臨床においては誰かがつながっていれば)挽回・リカバリーのチャンスはやってきますので。

そうなると次に大事なのは「判断」になると思いますので、記事の続きを見てみます。


2.判断
〜大元となる「原則」の上に「判断」があります。

〜サッカーの試合は、原則を基にプレーをし続けていれば必ず勝てるわけではありません。原則とは「そうした方が一番成功する確率が高い」と言えるようなものですが、サッカーの場合、そもそも攻撃が成功する確率が低いため、成功する確率が低い選択をした方が勝ってしまうことだって往々にしてあるのです。

〜そこで選手たちにはいつも「判断」が求められます。ここでは「認知」「状況把握」という要素もあえて「判断」に含めて説明しますが、状況把握をして、できるだけその状況に即した的確な判断を下し、そして瞬時に実行に移していかなくてはならないのがサッカーです。ここはサッカー選手にとって終わりがないもの。取り組み続けて高め続けていかなければいけない、プレーする上で最も重要な要素と言っていいでしょう。


●コメント
毎回言いますが、サッカーはつくづく児童福祉、特に児童虐待に関わる分野に近いなと思います。

上にある通り、圧倒的に思い通りにならない確率が高いですし、その混沌としたやり取りの中で、セオリーを超えた偶然的な要素によって思わぬような好転をすることも少なくない。

そういう事が続くと「原則の軽視」みたいなことが起こって「なるようにしかならないから」と目の前の出来事に対処していく感じになりがちだと思うんですけど、それを永遠続けるのは、終わりの見えないマラソンというか精神的にシンドイんですよ。振り回され感がハンパないですし。

そうではなくて、こうなれば、こうなるはずというセオリーがあれば、うまくいっている時に「うまくいっている」という認識ができますし、逆にうまく進んでいない場合にも「なんかズレてる」「ヤバイ」と早めに悪い流れを察知して、大怪我になる前に修正を試みる事が可能になると思うんです。

しかも、それを瞬時に「判断」してアクションを起こすみたいか瞬発力も同時に求められる。判断の正確さもさる事ながら、その判断をスピードを磨くということも非常に大事な要素かなと。

それは、"タイミング"が命だから。どんな言葉もどんな対応も、旬を逃すと効果は激減。相手に同じ事をしたり言ったりするにも、その"タイミング"や"間"がとても重要な要素になるので、チャンスと見るやその瞬間を逃さない瞬発力というのは、どうしたって求められると思います。

そして、これは人に言われてやれるようになると言うより、自分で感覚的に掴んでいくしかないものかもしれません。判断って頭で考えてはすでに遅くて、もはや直観的にしていくものかなと。

さらに、その狙ったタイミングで、狙った通りの表現ができる、それが「判断+技術」。

サッカーで言うならイメージした所にボールを"正確に止める蹴る技術"になると思いますが、臨床だと、それはコミュニケーションになるんですかね。相手の気持ちを受け止めたり、こちらから投げ掛けたり伝えたり。その加減や範囲の調整のスキル。それが記事の最後の部分。


3.技術
〜判断と並ぶように、もう一つ「技術」という要素があります。
 
〜ここには「フィジカル」という要素も含まれます。「原則」を基にプレーをしても、それを可能にする技術やフィジカルがなければ、そのプレーは成立しません。技術を高め、フィジカルを鍛えて、プレーの精度をより高めていくことも当然、サッカーにおける大事な部分です。

〜原則(約束事、セオリー、判断基準)に基づいてプレーする中で、判断(認知、状況把握)と技術(フィジカル)が選手たちにはいつも試されています。原則は頭にありながらも、それを基に実行すべきなのか否か。それを実現する状態に自分がいるのか否か。それを瞬間的に考えて選手はプレーをしています。


●コメント
臨床場面において、上の"フィジカル"という言葉は何に置き換えるとしっくりきますかね。

僕の感覚では、技術というは「言語と非言語」を扱う力、フィジカルは技術を安定的に発揮できる「メンタル、精神力」というイメージです。

どんな素晴らしい技術を持った人でも、慣れない環境、物凄いプレッシャーのかかる状況、後半残り○分の局面といった肉体的に疲弊し、精神的にも余裕のない場面では、いつも通りのパフォーマンスを発揮できない事って分野を問わずあると思います。

逆に言えば、その勝負を決める重要なので場面において、自身の持っている「判断力」や「技術力」を発揮しながら、原則を軸にした柔軟な対応ができるためのトレーニングや準備性が自分の中に、そして組織の中にあるのか。

体力やペース配分もそう。「ここぞ!」と言う場面で、もうひとつギアを上げられる"余力"を残しながら日常の業務をこなしていけるか。決して楽しているわけじゃなくて、余力って「リスクマネジメント」の一つだと僕は思うんですよね。


そんなことを考えると「じゃあ、LSWの原則・判断・技術ってなんだろう」という話になると思うのですが、皆さんはどう思われますか?

僕的には、上の括りでも何となくこうだろうなと思うところはありますが、どちらかと言うともっと大きな括りで、

①対人支援や児童福祉の「原則」があって、
②そのために今LSW的な支援が必要なのかの「判断」があって、
③それを本人の意思を尊重しながら共有し、協働しながら実現する「技術」を持ったスタッフがいるのか。

という感じがしっくりきます。これはミクロマクロの見方の違いなので、どちらが正解ということでもないんでしょうけど。


とか何とか色々考えましたが、最終的には、

「原則を持ちながら、判断し、それを実行する技術力があってプレーの精度が向上していく」

「状況把握をして、できるだけその状況に即した的確な判断を下し、そして瞬時に実行に移していかなくてはならないのがサッカーです。ここはサッカー選手にとって終わりがないもの。取り組み続けて高め続けていかなければいけない」

は本当そうだなと。向上とは終わりがないのも。現状に満足せず、学び続け、取り組み続けないといけないな、と。

年度終わりを告げる桜を見た後、そんなことを思う二月の最終日でした。

三月は、ラストスパート頑張ります。

ではでは。