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静岡LSW勉強会の管理人によるコラム集

【第130回】Re:日本文化と即興性

こんにちは。管理人です。

 


カタールW杯。なんだかんだ盛り上がってますね。色んな意味で。

 


日本代表にフォーカスすると、ドイツ戦はいい意味で予想を裏切られ、コスタリカ戦は予想外に高まった期待を裏切られた、そんな国民感情がネット上で吹き荒れてます。

 


世間の反応を、TVよりもネットで感じるって、時代の変化を感じますね。

 

 

 

で現在11/30、グループリーグ第3戦のスペイン戦前日ですが、この時点での感想を綴りたいと思います。

 


お断りをしておくと、これはサッカー評論blogではないので、試合の勝負や戦評について語るものではありません。

 


内容は、対人援助に関わる「人」について。

ワールドカップで各国集まると、国の特色、やはり日本の国民性について考えさせられるなぁ、そんな話しです。

 


実は5年前、このblogでサッカー選手育成について、欧州と日本の文化差について取り上げました。

【第13回】日本文化と即興性、育成論

https://lswshizuoka.hatenadiary.jp/entry/2017/07/14/074307


簡単に要約すると、欧州人から見た日本人は「即興性に頼りすぎる」と。

 


日本人はオールスターの即席チームで、驚く程のコンビネーションを見せるがそれは再現性に乏しく、即興性が消されると体もスピードも決定的な強みがない、とのこと。

 


この指摘、驚くほど今回の「ドイツ戦」「コスタリカ戦」の良し悪しと重なるんです。

 


森保監督「さほど練習してないフォーメーションでもイメージ共有できる選手が揃ってる」とのコメント、選手の主体性に任せすぎて4年間のチームの戦術的な積み上げがないという批判などなど。

 


「即効性に頼りすぎる」

 


個性や世代の差はあれど、チームの集合体としては良くも悪くも日本人らしさって出るんだなぁ、と他国との比較を通して改めて浮き彫りになると言うか気付くことができるとなぁ、と。

 


実はこれ、サッカーに限った話ではなくて、対人援助における多職種多機関連携においても、海外に比べて日本人は「阿吽の呼吸」に頼りすぎているという指摘があります。

 


日本社会では、協調性に乏しい人は「空気読めない(KY)」と罵られ、同調圧力が強く、出る杭は打たれ、偉い政治家への忖度で組織のバランスを取ろうとする国、個人差こそあれ日本人の特性として言われることです。

 


よく言えば「気がきく」ので、サッカーの話に戻すと、欧州のチームでは日本人選手は総じて勝手にチームのために献身的なプレーをするもんだから、それを評価してくれる監督やチームであれば良いですが、数字に表れない活躍を監督は求めていなかったり、他チームへのステップアップの評価には繋がらないという、主張⇔献身のジレンマはよく起こるようですね。

 


もっと感情表現して、周囲に要求にしないと海外ではわかってもらえない。むしろ、察するという特性は、自己主張できないやつという日本にいる時とは真逆の評価につながることもある。

 


環境、文化、時代によって、同じ現象でも評価が変わる価値観の違い、相性の問題です。

 


また育成に関して言うと(詳細は以前コラム)、欧州人は自己主張が強く、育成年代でもなかなかコーチの指示通りやろうとしない、素直に教えられた通りにする方が少数派だから、みっちりセオリー(理論)を教え込まれる。一方、日本人は素直に監督に従って、むしろ言う通りにしようとしすぎて、それ以外のことをしようとしなくなる。だから、欧州式の育成方法が日本人に合っているかと言うとまた別の話しがあります。

 


主張が強い子には行動枠やコントロールを身につけさせる、逆に控えめな子には自由と主体性を育てる。

 


そんな「主張⇔調和」「自分を大切にすること⇔周りに合わせること」のバランス取りというか、どちらも上手にできるようにする成長プロセス、それはサッカーだけじゃなくて、子育て子育ち全般に共通するものかなとも思うんです。

 


発達的には、自分が大切にされて自分の感情を素のまま出せる乳幼児期(イヤイヤ期とか)、他者との調和を少しずつ学ぶ就学前(3〜6歳)、自律と規律の中で集団生活を送る就学期(小学生)というプロセスなんですよね。

 


でも、周囲に迷惑をかけるな、大人になる前に教え込まないと、と幼児期からビシビシやって抑制されると自分をコントロールする自律性が育たず、怖い人がいなくなれば抑圧の反動で自分の好き勝手やるという悪循環が起きることって珍しくないです。

 


感情のアクセルをまず練習して、それからブレーキによる減速を練習する感じ。危ないからと始めからブレーキばかりかけて自走させないと、そりゃアクセルの踏み加減わからずに感情出そうと思うとブォーンって吹かしちゃう、そんな幼児みたいな感情表現をその年齢でやる?ということが起こるんです。

 


身体に比べて中身(情緒)が未熟ってやつです。

 


なので、自分の感情を出して受け止めてもらうこと、感情の出し加減を学ぶことが、相手に合わせた自己主張をする第一歩なんです。相手を見るのは自分自身のコントロール感を掴んだ後の話し。

 


そして、加速したり減速したりを振り子みたいに行ったり来たりして、例えば中学生の反抗期にメチャクチャやって、自分は何なんだと自意識過剰気味に自分に目を向け、まぁこんなもんかと気が済んで、なんとなく自分はこの辺かなって所に段々と落ち着いてくる。

 


そんな、意識を自分に向け、他者に向け、ということを繰り返しすることで、自分を理解し周囲を理解し、自分と周囲との折り合いの付け方をだんだんと学んでいく。

 


そして、日本人は「他者意識」が他国より、どうも強いらしい。

 


俗に言われていて、みんな薄々は感じている国民性。もしかすると、日本生まれ日本育ちの日本人より、日本を外から俯瞰的に見れる人の方が、日本の長所短所を的確に捉える事ができるかもしれませんよね。

 


そんなこんなで、サッカー日本代表監督は、

2018ロシアW杯 西野監督

2014ブラジルW杯 ザッケローニ監督

2010南アフリカW杯 岡田監督

2006ドイツW杯 ジーコ監督

2002日韓W杯 トルシエ監督

1998フランスW杯 岡田監督

 


と日本人監督やJリーグで日本人をよく知るオシム監督などが歴任してきた訳ですが、その中でもトルシエ監督とロシアW杯直前に解任されたハリルホジッチ監督は強烈なキャラクターでしたよね。

 


ちなみにハリルホジッチは今回カタールW杯でもモロッコ代表を本戦出場させ直前で解任されてます。またも選手との軋轢とかで。

 


実際の所は現場の人でしかわからないのですが、推測では「抑圧と解放」みたいな現象が起きているような気がするんですよ。

 


ハリルホジッチはすごい自分の考えを明確に持っていて、良くも悪くも譲らない感じ。意見が合わない選手を排除的に扱うなんてことも一部報道ではされている。一方、記者会見などではユーモアに溢れる一面も見せる人でしたよね。

 


一方、後任の西野監督は調整型の人で、戦術はさほど無いけど選手の考えを尊重して調和を大切にする考え方のようですね。西野監督のインタビューを聞いていると。ちなみに森保監督はその西野監督をロシアW杯で間近に見て参考にしていると述べてます。

 


しかし、ハリルホジッチ監督と西野監督、どちらが良い監督なのかという問題は非常に難しい問いだと思います。

 


ロシアW杯で日本はベスト8まであと一歩でベルギーに2-3で負け、カタールW杯ではモロッコが予選リーグで世界ランク2位のベルギーを2-0で見事倒す結果を出している。

 


その両チームのベースを作ったのはハリルホジッチとも言えるわけで。ただ「規制⇔自由」のバランスが偏りすぎると「支配⇔放任」にもなる。それは同じ方法をとっても受け取る側の主観にも関わる話だから余計に難しい。

 


やはり、どちらが良い悪いではなくてバランスや調整、相性の問題だと思うんです。

 


サッカー日本代表監督の人選をみると「緊張と弛緩」を繰り返しているようにどうも思えて、管理の厳しい監督の後には、選手に自由を与える監督に、やっぱりチームの軸になるスタイルを構築できる監督に…という具合に。

 


それを一貫性がない、4年ごとに監督が変わるごとに方針が変わるという切り口もありますが、恐らく人選する側も監督を引き受けた側もそれがその時の日本に必要なもの、足りないものと判断してたんだろうと思わざるを得ない監督人選かなと。

 


いやいや、日本代表チームの方向性は、サッカー協会が示し、それに従って育成強化し、その延長線上にA代表チームがあるべきでしょ。

 


そういう正論は所々で聞かれるんですが、なぜかそうならない。それはたぶんサッカー協会だけじゃなく、日本の組織運営が、日本式「阿吽の呼吸」「即興性」に頼るものだからってことで何となく納得できてしまう。

 


一つの方向性を打ち出して批判を受けるより、みんなの意見を良い所どりをして不満が最小限になる折衷案、玉虫色のそれらしいことは言っていてどれも間違っていないんだけど、結局なにを優先的に大事にするのかの方向性がよくわからないような方針。

 


これは別に悪い事ではなくて、日本人が小さな島国で、みんなと末永く円満にやっていくために経験的に蓄積されてきた、生存率が高い蘇生術なんだろうと思うんです。

 


ただ、それが対世界となると最適解か、と言う課題と課題解決の相性の話しかもな、とも思うわけです。

 

 

 

さて、特に答えのある話しではないですが、W杯を通じて「日本人」についてアレコレ考えますね、と言う話しでした。

 


将来的にはどうかわかりませんが、現日本人の特徴的には、ただでさえ色々考えやすいところがあるので、自由で選択肢が多い状況よりも、ある程度限定された状況下で迷いなく突き進める時の方が集中して良いパフォーマンスが出るかなと言う気がします。

 


そう言う意味では、日本代表にはチャレンジャー精神で、スペイン戦に全力を尽くして欲しいですね。

 


がんばれ日本。