LSWのちょっとかゆいところに手が届く「まごのてblog」

静岡LSW勉強会の管理人によるコラム集

【第62回】視線と脳のつながりとLSW

メンバーの皆さま
 
こんにちは。管理人です。
 
2/2(金)から長野に仕事で来てまして、現在、帰りの電車に揺られています。
 
名古屋まで「特急ワイドビューしなの」で約3時間。長野県北部にある
長野市から山の中をズンズン南に下って進んでいくのですが、天気も良くて雪景色が見事です。
 
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新幹線には毎日通勤で乗っているのですが、さすが「特急ワイドビューしなの」だけあって窓も大きく視界が開けてますし、走るスピードも景色を眺めるのに早過ぎずちょうど良く、たまには特急電車の旅も良いものですね。
 
そして縁あって、今日の午前には、長野県の現場の方々とLSWについて語り合う勉強会を設定してもらったのですが、やはり現場でコツコツ何気なく素晴らしい実践をされている方はたくさんいますね。
 
昨日今日と、長野の方々とキレイな景色に癒され、新たなアイデアと元気エネルギーをもらえた感じがします。
 
 
で、今回コラムの本題はここから。
 
まず前フリなのですが、心理学の中のNLP神経言語プログラミング)」というものがあります。ご存知の方もいると思います。
 
簡単言うと、人は情報処理に使っている感覚やチャンネルの感度・優先度が違うという話です。
 
 
例えば、
 
 
 
 
「浜辺に遊びに来たところを想像してください」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
はい、実際に想像してみて下さい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
現在、真冬ですからね…
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
想像できましたか?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この時、どんな情報から想像したかで、ご自身の優位な感覚がわかります。
 
 
 
 
 
例えば「明るい日差しが…」「白い砂浜が…」
という【視覚的】イメージがまず思い浮かべる人もいます。
 
また「波の音が…」「カモメの鳴き声が…」
という【聴覚的】な情報から入る人もいます。
 
はたまた「爽やかな風が…」「足裏の沈む感覚」
といった【身体感覚】から想像する人もいます。
 
まとめると、こんな感じです。

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人間五感が働いてますから、どの感覚だけという事ではありません。五感が同時に働く中で、得意な感覚、不得意な感覚のバランスは人それぞれという事です。なので、同じ現象を共有しても、感じ方や主観的体験が異なることが起こります。
 
特に発達凸凹のある子は、どこかの感覚が凡人の平均枠を超えて敏感だったり鈍感だったりするので、他の人に体験を理解してもらったり共感してもらいにくく、「なんか私がおかしいんじゃないか」なんて思いやすいわけです。
 
また、感覚が尖っていると受けるインパクも大きくなってしまうので、凡人なら忘れてしまう事でも大衝撃で、変にこだわったり忘れられなかったりして、周囲から変な目で見られるみたいな。
 
トラウマ体験のダメージの受け方や忘れにくさも、このような感覚の違いは大きく影響していると思います。
 
 
という事を対人支援に応用して、目の動きのパターンを観察することで、どのように情報処理しているのかを読み取ることをNLP神経言語プログラミング)では「視線解析」と呼ぶそうです。
 
具体的には、上下左右目線の動きによって、
 
右上 ⇒ 視覚的創造
右  ⇒ 聴覚的創造
右下 ⇒ 身体感覚
 
左上 ⇒ 視覚的記憶
左  ⇒ 聴覚的記憶
左下 ⇒ 内部対話
 
こんな情報にアクセスしていると。
 
表にすると、こんな感じ。

視覚的記憶

↖︎        ↗︎

視覚的創造

聴覚的記憶

←  👀  →

聴覚的創造

内部対話

↙︎        ↘︎

身体感覚

 
 
で、本題の本編はここからなんですけど、この前、ある障害型障害児入所施設(つまり知的障害の子どもの施設)で、来年度の高等部卒業を控えた子に、LSW的な取り組みをした時のこと。
 
施設職員さんと打ち合わせの中で、退所後の本人の社会生活を見据えて、あと残り1年ちょっとの施設入所期間で取り組んだ方がいいだろう課題(異性関係の心配)への動機付けとして、
 
「そもそも施設に入所した理由」
「入所前の生活変遷、家族イメージ」
「卒業後の生活の希望」
 
等を本人がどれくらい認識して語れるのか語れないのか、また気になっているけど聞けなくてモヤモヤしていることはないのか確認しよう、ということになりまして。
 
で、僕がホワイトボードに図を描きながら、
 
「一般的に、施設で暮らす子はいろんな家族の事情(お金、病気、死亡、失踪、虐待など)で施設入所するけど、施設で暮らす理由を知らない子や知りたいけど聞けない子は結構いるんだよ」
 
「この施設にいて職員さんや児童相談所が関われる間に、もし気になっている事があれば、調べてわかることは伝えたいし、(課題について)退所する前に知っておいて欲しい事の話もしたいよ」
 
というような事を、担当の職員さんと一緒にホワイトを眺めながら聞いてもらったんです。
 
すると、
 
「ちょっといいですか?」
 
と、子ども自ら手を挙げて、
 
入所の日付から、入所時に連れ添った児相職員のこと、
施設に来る前こんな事があってコレは覚えてる、
コレはわかんない、けど気にならない、とか
この先こんな生活をしたい、とか
 
ベラベラ喋るんです。
 
その語りをホワイトボードにメモしながら、流れに乗りつつ質問したりする中で、そんなに言語化が上手い子ではないので、その時は「思ったより良く語れるなぁ」くらいな感覚だったんです。
 
で、終わった後にホワイトボードを眺めると、
 
 
右上 ⇒ 卒業後で生活する場所の図
右  ⇒ そこでの生活の希望
 
真ん中⇒ 今の施設の図
 
左上 ⇒ 入所前の生活の変遷図
左  ⇒ 家族や入所時について語り
 
 
になってるんです。これ見て「あれ?もしや」と思いまして。
 
       【過去】          【現在】          【未来】

視覚的記憶

↖︎         ↗︎

視覚的創造

聴覚的記憶

←  👀   

聴覚的創造

内部対話

↙︎         ↘︎

身体感覚

 
 
そう、この表と時間の流れ[左右]だけじゃなくて、感覚のチャンネル[上下]とも何となく場所が一致している…。
 
 
ここからは、僕の根拠のない感覚的仮説なので、そのつもりで。
 
「視線の動き」と「脳」のつながりの話は、最近よく耳にして、
 
例えば、発達障害系の子は、視線が合わなかったりしますが、そもそも目の動かし方が上手くないということで、「ビジョントレーニング」という視線の動きのトレーニングから情報処理の不具合にアプローチする方法が出てきています。
【参考】LITALCO発達ナビ
 
また、トラウマ治療の中では「ブレインスポッティング(BSP)」という視線と脳のつながりを利用したトラウマ処理の方法が徐々に知られてきています。
【参考】ブレインスポッティグ・トレーニング・インスティチュート 日本
 
 
僕はどちらの研修も受けれてないので、あくまで推測ですが、NLP神経言語プログラミング)では「視線解析」でその時に情報処理に使ってる脳のチャンネル(部位)を知るという文脈でした。
 
しかし逆に、ビジョントレーニングやBSPでやっていることは、視線誘導することで意図的に使用する脳バランスにアプローチできる、ということだと思うんです。
 
もう言わんとすることは察していただいていると思うのですが、BSPもエビデンスが十分でないと書いてありましたので、あくまで仮説です。
 
もしかしたら、自分でも知らず知らずのうちに、ホワイトボードによる視線誘導によって記憶や創造のアクセスを促していたのでは、という事です。
 
もちろん、使い方を間違えると、引き出したくない記憶にもアクセスしてしまう可能性もあるので、きちんとした勉強や訓練が必要です。が、視線を応用すれば、より安全かつスムーズなLSWでの語りを促すことが可能になるのでは、という気づきです。
 
ビジョントレーニングやBSP研修を受けたり勉強すれば、確信に変わるんでしょうけど、こういう研修代って高いんですよね…。まぁクライエントの脳のバランスを整える前に、日程と家計と家族のバランスを整える方が大事(これが難しい…)なので仕方がないですね。
 
と思ったら、最近「ビジョントレーニング」の研修を受けたと言っていた同僚がいる事を今思い出しました!
 
その時は「へ〜」って位の薄いリアクションで、今思えば申し訳ない感じの反応だったと思うんですけど、改めて詳しく話を聞いてみようと思います。
 
まぁ、今回たまたま面接室が大きく、ワイドビューできる大きなホワイトボードもある部屋だったので偶然にも起きた体験だったとは思うんですけど、実体験での「気づき」を伴わなうか伴わないかで、同じ情報提示でも感じ方って全然違うし、やっぱりタイミングって大事だなぁ、とつくづく思います。
 
ホント、どこでどんな気づきが起こるかなんて、わからないものですね。
 
ではでは。
 
 
 

【第61回】喪失体験のストレスとシコリ

メンバーの皆さま


こんにちは。管理人です。

気がつけば、もう2月。早いですねぇ。

と自分で書きながら、月が変わる度に「もう◯月、早いですねぇ」と言ってるような…。

いつもiPhoneで書いているんですけど、先日、「メモ」アプリ機能で、太字や表が簡単に入れられることに、今更ながら気付きました。

こうやって段々と、世の中の進化のスピードについて行けなくなるんだろうなぁ、なんて感じます。

なので、今回から時々、文字が太くなったり「メモ機能」を発動させますが、まぁオモチャ買いたての子どもがはしゃいで遊んでると思って、優しい眼差しでご覧ください。


■ストレスの要素

今回扱うのは前回に引き続き「ストレス」
そんなメモ機能を眺めていたら、偶然、一年程前に自分で書き残していた「ストレス」の内容。

ハッキリ言って何度も読み返しても、いつ、何の本を見てメモしたのか、全く思い出せません。たぶん、いつか見直したいと思って書き残したんでしょうけど…。

まぁ「まごのてblog」の過去の記事見ても「当時の俺ってこんなこと考えてたんだぁ」って感じなので大して変わらないですけどね(笑)


で、本題ですが、心理学で「ストレス」と言えば必ず教科書に出てくるのがセリエ。そのセリエが、一般にストレスを招く要素として、

「不安」「情報の欠如」「主導権の喪失」

を挙げているようです。お、これはなんだか「LSW」や「あいまいな喪失」と重なりますね。

また、
「不安、葛藤、無力感、情報不足などの精神的要素は最大のストレス刺激であり、視床下部ー下垂体ー副腎の軸を強力に活性化させる。自分がコントロールできるという気持ちと完了行動は、その軸における活動を即座に抑制する」
(Rajesh K.Naz 1997)

であると。さらに加えると、ストレスとは必ずしも危害を受ける可能性など外部からの客観的な脅威だけじゃなくて、自分が絶対必要だと思うものがないという内的な認識もストレス刺激になりうる、と。

だからこそ無力感情報不足精神的欲求たとえば愛情を求める気持ちなど)が満たされないことも連なる軸(視床下部ー下垂体ー副腎)を活性化させる、と。そして、そうした精神的な欲求が達成されるとストレス反応は終わると。

ちなみに、この軸が活性化されて血中に放出されるのが通称ストレスホルモンと呼ばれるコルチゾール。そして、コルチゾールは唾液を使って簡単に測定できるようです。

ただし、「ストレスホルモン」なんて名前だと何だか悪いヤツというか放出されない方がいいんじゃないか、という連想をしがちですが、逆にストレス時に身体を活性化させて身を守ろうとする役割を担っているようです。

【参考】ストレスに反応するコルチゾールは敵か味方か(毎日新聞

前回、前々回コラムの図でも、[赤エリア]の危機状態(闘争、逃走モード)時は、ノルアドレナリンが分泌されて身体能力UPするけど激しくエネルギー消費する状態であることに触れました。

喪失体験時には、コルチゾールがたくさん分泌されるようです。つまり喪失体験は、非常にストレスフルで生理的には危機状態と感じているという事。

喪失体験を「ストレス」「ホルモン」の切り口で捉えるとこんな感じになるのかな、と。


■コメント

率直に思うのは、まさに施設入所や措置変更は、
「不安」「情報の欠如」「主導権の喪失」
のストレスを招く要素の三拍子が完璧に揃っているよなぁ、と。

支援者の中には、「安全な環境で…」と家庭分離や施設変更をゴリ押しする人や、「動機付け」とか言って本人のやる気をうんぬんとか言う人がいるんですけど、基本的には施設入所や措置変更がライフイベントの中でもかなりトレスフルな出来事と言う大前提、本人目線の体験を想像することがおざなりになっていないかな、と思うことがあります。

社会的養護(里親・施設)に行く子というのは、現実状況的に「行かざるを得ない」「家には戻れない」ことが実際はほとんどだと思います。

しかし「肉を切らせて骨を断つ」ではないですけど、本人目線では喪失という痛み・ストレスを伴わない里親委託・施設入所・措置変更は有り得ないと思います。「家に帰りたくない」という子ですら、友人や地域のつながりが切れてしまうわけですし、家族全員の全てが嫌なわけではないハズなので。

なので、なるべくその時の喪失ダメージをその時に手当てしたり、傷口を最小限に留める努力が必要だろうと思うのです。

具体的に言うと、次の生活場所について、言葉だけじゃなく視覚や体験も利用した(見学や慣らし保育)丁寧な説明をしたり、「行きたくない」と言う気持ちも言ってもいい安心感やわかってくれるはずという関係作り。そして、悲しい寂しい気持ちの言語化や共有をするプロセスやりとりが出来るかどうか。

子どもが「行きたくない」と言っても施設に行かないといけない状況は現実的にありますから、タイムリミットがある中で「不安」「情報の欠如」「主導権の喪失」という要素を0%には出来ないにしろどこまで解消してあげられるか。

特に「主導権」については見解が割れる所だと思いますが、僕自身は施設入所措置変更という結論(着地点)は変えられないにしても、そこに至るプロセスやスピードは可能な限り本人の意向を確認し取り入れたいと思っています。もちろん「伸ばせても◯◯まで」なんて限界設定はしますけど。

どうしても大人側に余裕がないと「ここしか行く所がない」「とにかく頑張れ」という励まし動機付けと言う名の「押し付け」なりがちと思います。

しかしながら、勝負所は、子どもの喪失に対する(当たり前の)ネガティヴな感情を受け止めながらも、いかに大人が考える「子どもにとっての最善の利益」のストーリーを語ってあげられるか、だと思うんです。

『このままだと、こうなる事が心配』
『こんな気持ちで日々の生活を送ってほしい』
『将来こんな風になって欲しい』

など。この支援者の想い」が「重い押し付け」になるかどうかは想いを伝える前にどれだけ相手の話を聞いているか。最低でもトントン社会的養護に行くレベルの子は10倍は聞いて受け止めて、その1/10聞いてもらえれば御の字ですかね。

その時は表面上「は?何言ってんの?」的な反応だったとしても、自分の事にしっかりと関心を向けて、真剣に考え心配してしてくれた人がいた、という経験の積み重ねは、数年後に必ずジワジワ効いてきます。

この喜怒哀楽ポジティブ/ネガティヴ感情リアルタイムで満遍なく扱っておくことは、マッサージにも似てるな、と思います。


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例えば、肩でも背中でもいいんですけど「コリ」って放っておくと「シコリ」になりすよね。そして、シコリを抱えていると身体が重かったり痛かったりして、可動域が狭くなって自由が効かなくなるじゃないですか。

僕も椎間板ヘルニアで腰が悪くて鍼灸に通っているというのは以前コラム(【第18回】「cure」と「care」の違い)に書きましたが、
やっぱりシコリ」を押されると痛い。

それを、触診して状態確かめて、温タオルで温めたり針を打ったりして解(ほぐ)して、最終的には手でマッサージしてもらいます。丁寧なプロセスを経ても痛い場所は痛い

でも、「この先生がやるなら間違いない」「この後の生活は楽になる」という信頼や見通し、実感があるから通い続けるわけです。

しかし本来なら、普段から姿勢や日常生活を整えて、適度な運動とウォーミングアップ・クールダウン、そうでなくても入浴後にストレッチをして、自分で出来るセルフケアをして身体をほぐして状態をキープ出来れば、言い換えれば自分の身体を大切にする時間と習慣を作ればそもそも鍼灸に通う必要はないわけです。


個人的にはこの関係と「未完の感情」「あいまいな喪失」は似ている気がします。

その場その場で、その時に自分の中で沸き起こる「喜怒哀楽」の感情を抑え込まないといけない場面が続くと、それは感情の「コリ」となり、やがて「シコリ」となります。

シコリ」にまでなってしまうと、解すのにも痛みを伴う場合がありますが、「コリ」段階で適度に揉んでもらえば気持ちよく癒される。気持ちの共感です。

ネガティヴ感情=「何でもトラウマ」と単純に考えてしまう人もいるようですが、そうではない。トラウマは安全感が脅かされる「恐怖」体験なので、トラウマ治療は認知的身体的な恐怖反応を「もう大丈夫」と取り除いてあげるとになります。なので今が安全で大丈夫でない人にトラウマ治療やっても「焼け石に水」です。

対して、喪失の悲嘆(グリーフ)によ「怒り」「哀しみ」は、もちろん体内にはコルチゾールノルアドレナリンが分泌されているとは思いますが、安全安心な環境や関係性の中で、話を聞いてもらって共感してペースを合わせてもらって「幸福ホルモン」オキシトシンが分泌されば、赤ちゃんが泣き止むように徐々に癒され、落ち着きを取り戻せます。

例えば失恋した時に失恋ソングを聴くのも、悲嘆のプロセスや「わかってもらえる共感」に近いと思います。でも、恐怖体験した後に自ら「恐怖ソング」聴きませんよね。恐怖ソングって何だって感じですけど(苦笑)あえて言うなら、映画ジョーズのテーマとか?


イメージ的には、人生トータルの経験で、
  「自分が尊重され合わせてもらう」
                            >「自分が周囲に合わせる」
というバランスにならないと、人の話を聞いたり人の立場に立って物事考えるのは難しいかな、と。普通は、乳幼児期で「自分中心」を経験するわけですけど、社会的養護まで来る子はそうでない子が多いので。


LSWというと、どうしても[過去]の生い立ちを振り返ることに注目がいきがちですが、まずは生活場所の変更という喪失体験ストレスや変更後の生活を送る中で、まずはその時の感情を可能な限り取り扱って「シコリ」をなるべく残さない[現在]に配慮をすることが、まず大事だと思います

でも現実生活で何でもかんでも思った事を好きなように言っていたらトラブルだらけになりますから、やはり現実場面とは違い、思った事を自由に安心して語れる[非日常]的空間も用意してあげる。これがLSWに限らず、一般的な心理士・カウンセラー枠を作って果たそうとする役割なハズです

ただ、社会的養護の子どもも大人も、かなり曖昧なボーダレスな世界を生きていると思います。それは、そこにいる子どもたちが、そもそも境界(=自分のペースやスペース)を守ってもらえない生育歴を辿ってきていて、その集まりであるということです。

なので「枠を守れ/守らない」のやりとりではなく、まずは、自分のペースやスペースが尊重されて心地よい感覚を感じてもらう体験してもらうことから始めなければ「約束」は守ってもらえません。

なので、支援者はかなりの柔軟性を持ちつつブレない「軸」も持ち合わせているか試されると思います。ここで、相手をこちらの理屈に従わせるのではなく、可能な範囲で遊んで配慮できるかが、さっき触れた

自分の事にしっかりと関心を向けて、真剣に考え心配してしてくれた人がいた、という経験の積み重ねは、数年後に必ずジワジワ効いてきます」やつです。

なかなか普段、支援者たちが普段何気なくやっていることの意味意図を語り合う機会はないのではないでしょうか?

考え方は、職種や所属機関の立場によって違う事は当然で、その相手の立場に立って考える相互理解の姿勢がないばかりに連携がうまくいかない」というボヤキで終わることが多いような気がします。

子どもに「相手の立場に立って考える」ことを求める前に、まず大人たちが「相手の立場に立って考える姿」を見せる。子どもの目の前で、職員や関係機関とやりとりするわけじゃないですけど、その基本姿勢何気ない言葉の節々や非言語の仕草に知らず知らず出てしまうと思います。

いつ書いたんだか覚えてない自分メモの一部にこんな物が残ってしました。


ロス・バック
感情レベル3
自分の内部から発する主観的な体験。私たちがどう感じるか。怒り、喜び、恐れなどの心の状態と、それに伴うからだの感覚は意識れている。

感情レベル2
それを意識しているかどうかに関わらず、他者がそれを見てとった感情。ボディーランゲージによって伝えられる。言葉にならない信号、独特の行動様式、声の高低、動作、顔の表情、軽く触られること、何かをするタイミングや言葉と言葉のあいだの間の取り方によってさえ伝えられる。多くの場合、本人たちはそれを意識していない

感情レベル1
感情からの刺激によって起こる生理学的な変化。例えば、脅威に対する「闘争が逃走」反応をもたらす神経系、内分泌系、免疫系の活動。意識的にコントロールされたものではなく、外からは直接見ることができない。本人の自覚も感情の表現もなしに起こる場合もある。



子どもたちは本当に大人の姿をよく見ています。見られているな、と最近よく感じます

[感情レベル]で考えても、やはり支援者の自己知覚、自分の中で起こっていることへの「気づき」は不可欠でそれがあってようやく他者理解だな、つくづく思います。

子どもの支援順番も「まず自分を大切に」それから「相手のことも大切に」ですよね。

だから、大人も「まずは自分や家族を大切に」。その感情葛藤全てを抑圧して「相手のことも大切に」しようとしても、その苦しさ無理感が相手に伝わってしまっている。そう言う自覚は支援者として必要かな、と思います。

ではでは。


【第60回】「ストレス」と「心拍変動:HRV」

メンバーの皆さま
 
こんにちは。管理人です。
 
いや〜、それにしても関東の雪の影響はスゴイですね。コラムをご覧の方の中にも、あの電車遅延や高速道路の封鎖の混乱の煽りをモロに受けた方もいらっしゃるのではないでしょうか?
 
あのニュースをしてしまうと、都会の便利さと脆さは表裏一体と言いますか、当たり前に回っている日常がちょっとしたことで簡単に非日常に崩れ落ちるんだな、と感じてしまいます。
 
静岡も何十年もクルクルと言われている「東海地震」来たら、ヤバイんでしょうけど。
 
で、今朝あるニュース見ていたら「雪の上の歩き方」をフリップを使って説明してまして…。内容は、
 
・歩幅は小さく
・足の裏全体で着地
・手はポケットから出し、手袋などを装着
・自転車には乗らない
 
などなど「The雪国・新潟県出身の僕からしたら「幼稚園児か!」みたいな内容をホント大真面目に説明してるんです。でも、コレ笑えなくて、関東で雪が積もると必ず転んで骨折する人が多発するじゃないですか。
 
雪国の人は小さい頃からいかに「雪と共存する」感覚を養っているのかよく分かりますし、先人たちが過去の苦労を糧に生活に困らない知恵や生きる術を知らず知らずの内に身につけているんだなぁ、と。
 
逆に、なんの準備もないと積雪20cmで酷い被害を被るし、過去に経験した事のない大人に、当たり前の感覚を認知的視覚的に説明しようとすると、確かに「雪の上の歩き方フリップ」みたいになるよなぁ〜、と。
 
「育ち環境」×「感覚」の違いは本当にあって、年末年始は新潟に帰省してましたけど、僕の中じゃ積雪100cm以下なら「今年はあんまり積もってないね」って感覚なんです。
 
で、12月に浜松で2時間くらい瞬間的に吹雪いた時がありまして同僚に「やっぱり雪見ると懐かしい?」とか、昨日には職場の方に「管理人さん、やっぱり新潟でも雪降ると嬉しいんですか?」と聞かれました。
 
静岡はホントに雪が積もることがないので、別に僕が雪国出身でイジられているわけでなくて、真面目に聞かれるんです。しかし僕は、雪が面倒くさくて静岡に住んでる人間なので、雪を見てテンション上がったり懐かしんだりは無いんですね。降るのが当たり前のものでしたし、寒くて大変、足冷える、車出すのが面倒臭くなる(駐車場と車上の雪を払わないといけないので)って感じです。
 
こんな感覚や想いの違いも、強引かもしれませんがLSW的ですし、今回のストレス話に後に通じますので、長い前段ですが呟かせてもらいました。
 
 
で、さらに本題までが長くて申し訳ないですが、もしかすると、前回のコラムで誤解を与えてしまったかなぁと心配になったので、まず前回の補足を。
 

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それは、前回使ったこの図だと「セロトニンはあればあるほど落ち着くようなイメージも出るかもという誤解の心配です。
 
おそらく日常生活の活動の中でセロトニンが増加する範囲なら大丈夫なんですが、「うつ病セロトニン不足」という判断でセロトニンを増加させる抗うつ剤の摂取しすぎると起こる「セロトニン症候群」というものがあります。
 
具体的には、精神症状(イライラ、不安、意識障害など)や自律神経症状(発熱、発汗、心拍数増加、腹痛など)などが出るようです。
 
これは「普通のうつ病」と「非定型うつ病」の話で、次の図で言うと、
 
【普通のうつ病】は、元気が出ない、やる気が出ない、不眠で朝起きれない、食欲もなく頭の回転が鈍くぼんやり〜ぐで〜とした[下]グレーエリアのイメージなんですけど、
 
【非定型うつ病】は、ちょっと前に若者に見られる「新型うつ病と言われているやつで、憂鬱だけど好きなことは出来る、寝れるんだけど寝足りない、夕方から元気がなくなる、食欲はむしろ過食で、イライラして落ち着かない[上]赤いエリアのイメージに近いです。
 

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セロトニン症候群の症状を見ると、赤エリアの状態と重なりますから、まさに【第57回】心理療法の系統的選択http://lswshizuoka.hatenadiary.jp/entry/2018/01/16/080849)の中で、
 
うつ病には認知療法というように、診断名と心理療法を一致させた治療効果がきわめて低いことがわかっている」
 
と患者の中で起こっている本質を捉えることの重要性の指摘があった「お薬バージョン」の状態なのかな、と。
 
まごのてblog」の読者の方ならお分かりと思いますが、セロトニンも例外なく極端に振り切るのでなく、何でも「ほどほど」で「バランス」が取れている状態がやはり良いということですよね、きっと。
 
で、社会的養護の子って、どちらかと言うと「赤エリア」つまり「非定型うつ」の状態の子が比較的多い印象を受けます。もちろん施設や里親宅で安心した途端に「グレーエリア」の不登校とかになる子もいますけど。
 
虐待環境に居ると、いつもスイッチオンの敏感な戦闘モードにいないと身を守れないので、心拍数も常に上げる状態、『漫画ドラゴンボール』で例えるなら常に「ハッ〜ぁ!」ってエネルギー放出して気を上げている状態なので、1日の途中でエネルギーが切れちゃうんですね。
 
なので、120%オン状態からエネルギー切れた瞬間に一気に0%オフになって、やる気や集中力が維持できない、寝ても寝ても食べても食べてもエネルギー足りないなんて、燃費が悪い不器用な身体になっちゃってるんです、きっと。
 
だけど、ドラゴンボール界王拳とか超サイヤ人も経験を積むと、攻撃や守備のインパクト時に瞬間的に気を上げたり、抜くとこは抜くと言った「省エネ」調整を学んでいきますよね。
 
この「気」の上げ下げの調整を一般的な地球人に置き換えると、「交感神経」「副交感神経」という話しになるのかな、と。

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[赤]=交感神経(アクセル、活動アゲアゲ系)
[青]=副交感神経(ブレーキ、落ち着かせる系)
 
とすると、日中は交感神経が活発でヤル気や集中力を持って活動して、寝る頃には副交感神経が働いてリラッ〜クスして休み、また日が昇って目が覚めて活動してというのが一般的な規則正しい普通の生活ですよね。
 
ですが、交感神経と副交感神経のリズムやバランスが崩れると、例えば、お昼にテンション上がり過ぎてて、夜も何だか落ち着かないが、電池が切れたように急に眠るみたいな子っていませんか?
 
この例は交感神経が優位過ぎる場合と思いますが、バランスの崩れのイメージはこんな感じ。

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酷くなると、昼は交感神経働きすぎで、副交感神経が働くはずの夜にもテンション落ちないだけじゃなく、寝ぐずり」の赤ちゃんみたいに疲れてても眠れなくて、仕舞いにはイライラしてトラブルになるので、睡眠の質を確保するために眠剤を処方せざるをえない社会的養護の子は決して珍しくありません。
 
しかし、これら自律神経の問題は一般成人の「疲れ」「冷え」にも関係しているようで、決して被虐待児だけけの人ごとの話ではありません。
 
ちなみに、順天堂大学小林弘幸先生が自律神経のバランスを4分類でわかりやすく解説してくれています。
【参考】「疲れ」「冷え」は自律神経の乱れから⁉︎その対策には、太い血管を意識した温活を!
 
現代人は、アクセル(交感神経)もブレーキ(副交感神経)も効いていない疲れ度・冷え度ともに高い「ぐったりタイプ」が断トツに多いみたいです。
 
 
で、話は変わりますが、前回コラムからセロトニンとか色々言われても、「じゃあ、そのアンバランスな状態をどう測るの?」と思われる方もいると思います。
 
なので、実はここまでが長〜い前置きで申し訳ないのですが、その測定方法の1つを紹介、というのが今回の本題。
 
それが題名の後半にある、
 
【心拍変動:Heart Rate Variability、HRV】
 
です。心拍変動とは脈と脈の間隔が速くなったり遅くなったりすること。
 
脈拍って一定のリズムを刻んでいるように思いますが、その間隔はストレスによって変化するんだそうです。で、その間隔がバラバラで一貫性がないと言う事は、つまり交感神経と副交感神経のバランスが乱れている状態だと。
 
逆に言えば、HRV(心拍変動)が一定に保たれているということは、ストレス刺激がないか、ストレス下でも交感神経と副交感神経のバランスがちゃんとコントロールされていると言うことだそう。
 
で、そのHRVを1分くらい指先に当てるだけで、測定できちゃうのが、上のリンクで紹介されている(画面右上の三本線を押すとメニューが開けます)
 
エムウェーブ emWave】
 
という商品。別に私は業者の回し者ではないので、詳しくはHPを見てもらいたいのですが、簡単に言うと指先や耳たぶに測定器を挟んで、PCや携帯の画面でリアルタイムでHRVが分かる仕組み。
 
そうすると「呼吸法」とか「リラクゼーション」が身体に与えている影響をリアルタイムで確認できるので、きちんと正しいリラックス法を実行できているかどうか、リラックス前後の身体感覚をセットで覚えることができます。
 
この身体の生理学的変化を見て取る方法は「バイオフィードバック」と呼ばれるもので、現場の臨床家が感覚で察知していることを科学的に数値化・視覚化するものです。バイオフィードバックがいい所は、客観的な自己点検がセルフで出来るという点。
 
どういう事かと言うと、過度のストレスに侵され過ぎると、感覚が麻痺してくるので、自分がおかしくなってることに自分で気付けなくなるんですよね。
 
 
例えば、個人で言えば、僕の場合ストレス過多になると、頭が鼻水詰まった時みたいにボヤ〜ンとなったり、舌の感度が落ちて何食べても味気なく感じたり、肩甲骨あたりが誰かに掴まれたように痛くなります。
 
一応、僕は心理士なので、これはストレス反応で重いケースから被曝している反応であることも頭では理解しています。でも、頭で分かっててもモヤモヤする身体反応からなかなか抜け出せない時があるんです。
 
大概は風呂や食事で忘れられるんですが、どうしても眠る前までモヤモヤが取れず思考に入り込んでくる時はTFT(つぼをトントンするトラウマ処理)などで簡単なセルフ処理します。よっぽどのことなので、年に数回ですけど。
 
 
また集団の視点で言うと、数年前に職場のメンタルヘルスが壊滅的な時期がありまして。でも、みんな感覚が麻痺してるのか、分かってても何したらいいのかわからないのか、組織的にしばらく手立てが打たれないことが続いたことがありました。児童福祉の中でも重いケースから被曝を受けやすい児相、施設、病院などの組織には、よく起こる事態かと思います。
 
どうにも言葉だけでは理解してもらえない(もしくは余裕なさすぎて頭に入らないor否認)ので、仕方なく文章化して職場全員に周知できる形にまで根回しを重ねて持っていったことが過去にあります。健康度がある程度あれば自分の身に何が起こっているかを知る[心理教育]的アプローチだけで、問題を言語化して内面から取り出して客観視できるので随分とストレスを軽減できるんですよね。
 
幸いにも職場全体には、リアクション出来る人が何人もいて、その後に手立てが打たれるようになったので良かったのですが、もしそれでも響かない程に組織全体が麻痺してたら、いよいよバイオフィードバックを個人導入して「数値化」してプレゼンまでしないとダメだな、と本気で考えていました。
 
感覚や経験のない人には、数値化したり何か整理された理論に乗っけないと伝わらないし、そもそも話を聞いてもらえないんですよ。
 
だけど、エムウェーブ emWave】はちょっと高くてですね。iPhone用で約3万円、PC用だと何人かで使えて5万円くらい。個人で手が出せなくもないけど…という絶妙な価格設定なんです。
 
そうこうしているうちに、なんと無料アプリが配信されるようになりまして。すごい時代ですよね。ご存知の方も多いと思いますが、それがこの2つ。
 
【ストレススキャン】
【COCOLOLO(ココロ炉)】
 
 
とりあえず、この2つを数ヶ月試してみたんです。通勤の行き帰りに毎日計測。すなわち[行き]→[仕事]→[帰り]で計測で仕事をサンドイッチして、仕事によるストレス反応をチェック。
 
結果は、確かにキツイ時期にストレス度は高く、あまりに高い時はセルフ処理すると、数値が落ちます。感覚的なものと数値はそんなに違和感ない。
 
ただ一つ問題がありまして。それは【ストレススキャン】と【COCOLOLO】の結果が割と違う(笑)
 
さすがに「ストレス100%⇄絶好調」程の差はないですが、同じ時刻で「ストレスフル/普通」くらいの差は出ることもある。どちらも携帯電話のライトの所に指先当てて測定するんで、誤差は出ると思います。まぁ無料ですしワガママ言ってはいけません。さっきの[心理教育]じゃないですけど、どっちかの測定結果を確認しただけでストレス軽減したのかもしれませんし。
 
あとアプリだと測定に2分くらいかかるので、リアルタイムにリラクゼーションの効果を確認するまでは出来ない。やれてビフォー&アフターの計測。
 
まぁ、そういうことで理屈的には、LSWの前後やリアルタイムまた生活場面でHRV測定して、「なんかストレス高くなった。生活に戻る前に処理しておくか」「普通って言ってるけど数値高いぞ。何があったんじゃない」なんて会話も出来なくもないですが、絵面を想像すると、実験とかウソ発見器みたいでなんか嫌ですよね(苦笑)
 
でも、「雪の上の歩き方」と一緒で、児童福祉臨床にどっぷり浸かってる人は、そこまでしなくてもその場のやりとりで相手を見てればなんとなく感覚的にわかるでしょ、思うかもしれません。
 
しかし、これまでそういう環境や経験がない人からしたら、「雪の感覚の掴み方」なんてわからないわけで。場合によっては「大丈夫でしょ」といつもと同じ様に歩いて転んで大怪我するわけなので、経験や感覚の積み重ねのない人にとっては、数値や視覚化は非常にわかりやすいわけです。
 
だけど、現場のケアワーカーや心理士たちは、今回ツラツラ数値化できると書いた内容を、子どもの何気ない表情や雰囲気を捉えて「なんか変じゃない」と巧みに察知する感覚を持って、日々の支援・臨床を行なっているハズなんです。
 
これは、かなりの「専門的技能」なハズですが、理論化や言語化、数値化がしにくい分野なので、暗黙知というか、その重要性や専門性が注目されたり、トレーニングして磨くという話しにまで至らないな、と。
 
また、ストレスも雪も、どれだけ積もったら不便に感じるか、それは準備と慣れによる所も似てるなぁ、と思います。僕みたいに雪が嫌で新潟から出る人もいれば、その雪がいいんだという人もいるし、出たくても色んな事情で出られない人もいる。これは仕事でも同じだな、と。
 
そんな風に地元や職場のこと考えると、やっぱり大事なことは自分の状態や感覚を「自覚」して受け入れて、最終的には人から強制されるストーリーでなく、そこでやっていく「覚悟」や「意味づけ」が自分の中で出来るかかどうかなのかな、という所にやはり着地しますね。
 
今回の内容をあえて東洋文化的に言うなら「気」や「場の流れ」「雰囲気」を感じる察するという類の話だと思うのですが、そのようなことを西洋文化の「バイオ(生物)」「数値化」的な視点に振り切った切り口で説明してみました。
 
 
長々とお付き合い頂き、ありがとうございました。今回はこれで終わりです。
 
ではでは。
 

【第59回】セロトニン・ドーパミン・ノルアドレナリン

メンバーの皆さま
 
こんにちは。管理人です。
 
段々とインフルエンザ、流行ってきました。
 
また来週から冷えるみたいですし、気がつけば「冬季オリンピック」まで2週間ちょっと。
 
いよいよ真冬到来って感じですね。寝不足と体調にはお気をつけ下さい。
 
 
で、今回は、
                 「バイオ(生物)」
                   /                          
「サイコ(心理)」ー「ソーシャル(社会)」
 
モデルでいう生物学的な話を。
 
以前から、オキシトシンなどホルモン系の話で、ちょろちょろ「セロトニン」とか「ドーパミンの名前が出ていましたが、特に触れてなかったな、と。
 
まぁ、それぞれはGoogle先生に聞けば詳しく教えてくれますので、LSWをイメージした中で簡単にまとめたいと思います。(以下の図は管理人作)
 
 
まず、表題の「セロトニンドーパミンノルアドレナリン」は【三大神経伝達物質】と呼ばれているそう。
 
ホルモン系の話は、横文字ばかりで細かすぎて覚えきれませんが、よく日本三大庭園とか、日本三大〇〇(「マツコ&有吉の怒り新党」より)って言いますから、とりあえず「三大」は押さえておくのが良いかな、と。
 
で、それぞれの関係のイメージはこんな感じ。

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まず、セロトニンは別名「幸せホルモン」と呼ばれ、ストレスを緩和させたり、ドーパミンノルアドレナリンの調整役でもあります。
 
ドーパミンは「快楽ホルモン」。言うなら「肉食系」、何かgetして嬉しい感じ。それは、やる気やモチベーションにも繋がる。
 
ノルアドレナリンは、覚醒系でよく聞く「アドレナリン」の前段階のやつ。肉体的・精神的苦痛つまりストレス時に、心拍数をあげて心身を興奮・覚醒させます。
 
心身の覚醒って、薬になるとヤバイ感じになっちゃいますけど、悪い事ばかりじゃなくて、例えば、勝負がかかったスポーツとか、他には「火事場の馬鹿力」なんて言いますけど、危機場面で脳のリミッターを外して身体能力UPするなんてことにも繋がりますし、「頭が冴える」「頭の回転が良い」状態というのもある程度の脳の覚醒は必要です。
 
なんでもそうですが、大事なのは「ほどほど」の加減。しかし、セロトニンが足りないと…

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ドーパミンノルアドレナリンの分泌が安定せず、過剰に出すぎたり、逆に過少分泌だったり、極端に振り切りやすくなります。
 
簡単に言うと「ハイな状態」と「ローな状態」。イメージ的は「躁」と「うつ」とも重なりますし、実際にうつ病の人はセロトニンドーパミンが過少分泌らしいですね。
 
なので、僕が声を大にして訴えたいのは、まだまだセロトニンの補充が十分じゃなくて、ドーパミンノルアドレナリンも全然安定的じゃない状態で、過酷な過去を扱うようなLSWをやったら、そりゃ荒れたまま落ち着かなくても仕方ないでしょう、という事。
 
じゃあ、セロトニンを補充するためには、どうすれば良いかと言うと、

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はい、いわゆる「規則正しい生活」を送る事なんです。運動は「リズム運動」と言うのがポイントで、激しく心拍数上がっちゃうヤツはダメだそう。散歩とか軽い体操とか、出来ればトントン左右交互に刺激が入るヤツが良い。
 
そういう左右刺激の心理療法ありますよね。コレってそんなに特別な事じゃなく、人間が歩行を始めた時から続いている自然なストレス解消法なわけです。
 
で、時々耳にして気になるのは、ドーパミンノルアドレナリンが過剰過少分泌しているような状態を落ち着かせたいという理由でLSWが検討される場合です。
 
もちろん「何か支援の突破口を」という気持ちはわかりますが、いきなり過去を扱うんじゃなくて、そんな大変な喪失体験をしてきたんだから症状が出る(落ち着かない)のは当たり前だ、という現在の自分の心身に起こっている事をしっかり説明してあげる方が(いわゆる「心理教育」)、安心感や落ち着きを与えてあげられると、僕は思います。
 
そして、まず日々の規則正しい生活で「セロトニンを貯金できた状態でLSWに取り組んだら、多少ショックな内容があってもストレスに耐え切れる可能性が高くなると思います。
 
さらに、LSW実施前に言われる「支援者との信頼関係」の効能については、オキシトシンでも説明できるなぁ、と思いまして。詳細は、
 
【第46回】愛着形成とオキシトシン
 
を見ていただくとして、要約すると、こんな感じ。

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不安な時に「よしよし〜してもらって安心」と言うのは、もともと日常的なスキンシップや非言語の応答・同調行動で「オキシトシン」が分泌されて「幸せ」という事が繰り返されて生理学的にもそのシステムが獲得されているから、触れられて安心するわけです。
 
しかし、

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「情緒的交流」って良く言いますけど、スキンシップや視線の応答など非言語のペースを合わせてもらった経験が過去に乏しい(もしくは発達凸凹で刺激の受け取り上手くなく結果として応答が合わない)ので、オキシトシン分泌されない→なかなかイライラが収まらない、という子が社会的養護ではゴロゴロいますよね。
 
なので、乳幼児期にオキシトシンシステムを獲得出来ていない子への支援は、不快のイライラ場面でヨシヨシなだめる以前に、日常生活で視線合わせて挨拶するとか、微笑み返すとかの応答で、普段からオキシトシンが出るような関係性が築けているかで、ほぼ勝負は付いているわけです。
 
よく話題に上がる「子どものアタッチメント(愛着)」問題は、僕はこのように理解しています。
 
なので、児相職員として家庭分離や措置変更時に、リアルタイムで喪失体験を支える立場とすれば、現実にそうなる限られた時間の中で、その子が元々どの程度オキシトシンシステムを獲得できていそうなのかを見積もり、いかに自分との面接や検査のやり取りでペースを合わせオキシトシンが出る(安心感を醸し出す)関係性を構築できるか、の勝負になるわけです。
 
 
つい先日、僕が数年、担当している在宅の子が交通事故が骨折して入院したんですね。で、今年度から担当替わった10年選手の福祉司さんから「お見舞いに行こうと思うんだかど、管理人さん一緒に行ける?」と聞かれたんです。
 
入院は術後二日だけだって言うんで、さすがに調整できなくて「さすがマメですね。助かります」ってお願いしたら、「いやいや昔、心理に面接お願いしてて全然会ったことない子を一時保護しに行ったら1日で逃げられたことあってさ。恩を売るわけじゃないけど、いま会っておかんと自分が後々困るだけだから」ってサラッと言うんです。
 
関係づくりってこう言うことですよね。毎日顔会わせなくても「あの時、来てくれた」「苦しい時に側に居てくれた」と言う、小さい積み重ねが結局、物を言うんです。
 
昔、知り合いの女の子が恋愛トークで「女子には絶対外しちゃいけないポイントがある。そこさえ押さえてくれれば、普段ある程度いい加減でも女子は大丈夫」と語っていたことがあって、その子が日本の女子代表ではないですけど、当時は随分肩の荷が下りたと言うか、目から鱗だったことを思い出しました。
 
サプライズとかギャップを作ろうとして、空回りする男子は後を絶たないと思うんですけど、流れやポイントを押さえているか外しているかどうかは「関係づくり」だなぁ、とふと思いました。
 
 
ちょっと話を本題に戻すと、LSW実施時の不安って、過去の喪失体験を思い出す「揺れ」をどう見立てて、どう支えるかということになると思うのですが、本人自身が心の揺れを抱えられる程度や耐性的なものは、もしかすると日常生活の「セロトニン」、関係性での「オキシトシン」という切り口で整理できるかもしれませんね。
 
ただし、過去の喪失体験に関係して「トラウマ」があるのか、もしあるなら今の安全感をどの程度脅かすのか、という事も重要なポイントになるので、
 
LSW実施時の揺れと収まり具合は、
 
「喪失体験のインパクト」×「本人の受ける器」
さらに、×「それを支える支援者チームの器」
 
マグニチュード〇〇、なんてイメージを持っています。あくまでイメージです。
 
ここ数回のコラムは「チーム」の話しが多めになっていましたが、やはりLSWの本人アプローチを考える上では「アタッチメント」「トラウマ」は外せない要素だと思うので、今後も少しずつ取り上げていきたいなぁ、とは思っています。
 
ではでは。
 
 

【第58回】奇跡のレッスン「答えは "波" が知っている」

メンバーの皆さま
 

「奇跡のレッスン」と言うNHK(BS)番組、ご存知でしょうか?

 
結構前からやってる番組で、様々な世界の「最強コーチ」が、一見奇抜にも思えるレッスンで子どもたちを見事に成長させ、そのスポーツの楽しさや醍醐味を体験を通じて伝えていくというのが、王道のパターン。
 
興味ある分野の時に時々観るんですけど、今回は正月気分抜け切らない成人の日(1/8祝)に「いよいよ明日から仕事かぁ〜」「面白いTVないなぁ〜」と夕飯食べながらボンヤリ眺めていたコレ。

「答えは"波"が知っている サーフィン」
 
まず番組内容を紹介すると、今回のレッスン対象は、弱小チームじゃなくて、日本トップの中高生たち。みな「プロになるのは通過点」「目標はワールドツアーチャンピオン」と意識も技術も高い子どもたち。
 
今回の「最強コーチ」は、南アフリカのクレイトン・ニーナバー氏。クレイトン氏は、サーフィンの技術を「理論化」し、トッププロのジョーディ・スミスを育てたことで知られている、と。
 
日本の重鎮プロサーファーがインタビューで言うんですね、
「ボクらの時代は、上手い人を観て、ひたすら波にのるしかトレーニング方法がなかった」と。
 
で、まず面白かったのが、クレイトン氏がサーフィンの技術を「理論化」するために取った方法。それは一流サーファーの技術を分析すること。特に参考にしたのは
Kelly Slater(ケリー・スレーター)】だと。
 
11度ワールドチャンピオンになっているサーフ界のレジェンドです。ネタが細か過ぎて伝わりにくいと思うんですが、何が言いたいかと言うと、以前コラム
 
【第24回】多職種連携に必要な能力
 
で、『多職種連携コンピテンシー』というものを紹介しましたが、そもそも「コンピテンシー」は1970年代で米国で生まれた、仕事のできる人(ハイパフォーマー)の行動特性を分析して、人事評価や人材育成に活かすマネジメント用語なんですよね。
 
あ、これって、クレイトン氏がやった「理論化」のプロセスと同じじゃん、と。日本の◯◯道における「型」も本質は同じですよね。優れた先人たちの良いところを集約して洗練していったものが「型」のイメージです。
 
さらに「ひたすら波に乗るしか練習方法がなかった」なんて、大した研修もなく新人が荒波(現場)に放り込まれる児童福祉とまさに同じじゃないかと。
 
…ってことをグルグル考えながら「まだ、これ観るの?」という声ニモマケズ、圧ニモマケズ、番組にのめり込んでいく僕。
 
 
さらに、クレイトン氏が言うんです。
「サーフィンは難しい、魔法の様に思われるかもしれないけど、そうではない」
 
「ケリーは、さぞかし凄い道具を使っているのではないかと思って、板を見せてもらったことがあるんです」
 
「しかし、予想と反して、ケリーの使っている板は、どこにでも売っている普通の板でした」
 
「足で波をきちんと掴めていれば、サーフィンは出来るということです」
 
「大事なことは、それを誰もが知っている感覚に置き換えて伝えること。そうすれば誰だって簡単にサーフィンが出来る様になります」
 
 
そこでクレイトン氏が課した練習は、まずサーフボードの後ろに付いているヒレみたいな板を取って波に乗ること。
 
きっと船で言うと「舵」みたいな役割の板ですから、当然少年たち「え⁉︎どうやって波の上でボード動かすんですか」的な反応。
 
クレイトン氏「足の裏で波を掴めていれば板と一緒に動けるはずだ。その感覚を掴む練習だ」と。
 
で、ジュニアで日本一になってるプロ予備軍の少年たちが四苦八苦しているわけです。
 
 
さらに翌日には陸地へ。リンクのHPにも写真あります「スケボー場」で練習。クレイトン氏によるとスケボーは、サーファー達が海に出れない時の遊びから始まったと。
 
それで、自転車で曲がる時は、曲がる方向に身体を斜めに傾けるでしょ(極端に言うとバイクでコーナーを攻めている格好)、サーフィンも一緒。身体を傾けて重心を移動させれば勝手にその方向に動いていくんだ、と。
 
で、スケボーに乗りながら自転車のハンドル持った格好で上半身は前を向いて、身体を斜めに傾けると…。足の力や身体をネジらなくても勝手にUターンしていきます。
 
クレイトン氏が言います「普段、道具を使って波の上で無理矢理に板を動かすことに慣れすぎている。もっと波を見て、波を感じて、波を掴まえて」
 
 
「主役はキミじゃない。主役は "波" だ」
 
 
目から鱗とは、まさにこのことで、別のシーンでは映像を使って波の分析をし、いかにイイ波に出会うか、その見極め観察ポイントを細かく教えられていきます。
 
日本トップの少年たちが「こんな事教えてもらった事がない」と口ぐちに言って、意識がみるみる変わっていきます。
 
 
これで冒頭20分くらいですかね。内容濃すぎるでしょ。頭もお腹もいっぱいになってきたのと、少年個別の話になってきたし、空気読んで(ニマケテ?)、この辺でTV番組を変えました。
 
察しのいい方はピンと来ているかもしれません。児童福祉分野は、法律や制度、養育ビジョン改正で結構ゴリゴリ素早く施設入所・里親委託を進められる整備が進んでいます。
 
確かに無理矢理に舵を切れることも緊急事態では必要です。しかし、舵を切れる事に慣れすぎて、目の前の人との対話の"波"に乗ること、また子どもや家族の想いを「主役」にする感覚やスキルの大切さが忘れ去られ失われていくのではないか、という心配や危機感が僕の中ではあります。
 
まさにLSWって、子どもの過酷な人生という荒波を振り返ってきちんと捉えて一緒にライドオンしていく感じですよね。
 
さらに施設入所や措置変更にリアルタイムに関わる児相職員の立場や経験を、サーフィンに例えると、子どもやその周辺のざわざわっとした雰囲気を「これは大きな波が来そうだ」と事前に察知して、乗り遅れない様に準備するなんて事を普段からしているな、と思いました。
 
コレって、波の分析の話と似てて、どんな措置変更に関わる波が来そうか見極めるポイントって、結構「なんとなく」の感覚感性的な経験則のもので、どこを見ろみたいな「理論化」はされていないなと。
 
 
話のシーンを変えると…
僕自身7〜8年前に、一度だけ先輩に連れられてサーフィンをしたことがあるんです。
 
で、一応「あの辺が動いたら、数秒後に波が来るから、パドリング始めて…」とは教えてもらうんですけど、タイミングがいまいち掴めないんです。
 
先輩と同じタイミングで動き始めても、僕のパドリングは全然前に進まないので、結局、波に追い越されて乗るトライすらできずに終わっちゃう。
 
そもそも、サーフポイントに行くまでに結構な波をくぐって行かなくちゃいけなくて、そこで波にボードごと飲まれて押し戻されちゃって、海水飲んで…なんてやってるので、だいぶ体力も持っていかれます。
 
たぶん2〜3時間、海に入っててトライできたのは、片手の指程度の回数。一回だけ立ち膝で少し進めましたが、最終的には先輩も波乗りに夢中になってるうちに僕は沖の方まで流されていて、足も釣っちゃって、先輩に助けてもらいながら上半身でなんとかかんとか必死で泳いで砂浜に戻るみたいな。
 
今、冷静に考えたら、割と笑えない状況で、先輩も
「管理人くんみたいに、普段から運動してない人だったらヤバかった」
 
と言ってました…。
 
 
でも、普段から児童福祉の現場では、こんな感じでとりあえず波乗りさせられて、知らず知らずに自力で帰ってこれないヤバイ所まで引きずりこまれてる職員さんはたくさんいるのではないか、と思います。ホントに。
 
なので、LSWに限らず児童福祉分野の研修は、「最強コーチ」クレイトン氏のように、
 
①上手な人の行動分析をして「理論化」
〉②日常の中の「体験」に落として感覚を掴む
〉〉③本番に即した形で「練習」
 
という具合に、伝え方とトレーニング方法を整理して磨いて行く必要があると思うんですよね。
 
ちなみに静岡県では随分前から「面接スキル研修」という①の講義だけじゃなくて③の練習をセットにする研修スタイルの歴史があります。そこに加えて最近、浜松の仲間と自主開催している面接スキルの研修会で、さらに②「体験」要素も取り入れた研修にチャレンジし、ある程度の手応えを感じています。
 
LSWに関しては実践の蓄積が少なすぎて①の段階がまだまだ足りないかな、と思いますが、将来的には①②③が揃って、
 
「児童福祉臨床でやることは、そんなに難しいことではないです。皆さん普段やっているコノ感覚と同じなんで。じゃあ練習しましょう」
 
なんて言える理論化+トレーニングが構築ができたら「奇跡のレッスン」になるんでしょうね。
 
私の知り合いで、LSWについての①のような研究に取り組んでいる方もいらっしゃるので、結果がとても楽しみです。
 
 
最後に、個人的な話を。
 
ケリー・スレーターは、素人目でも凄いとわかる技術の持ち主で凄くカッコいいんですけど
 
僕的には、先輩から事あるたびに「人生で尊敬してやまない人物はケリー」と聞かされ、先輩の車に乗せてもらうとケリーの波乗り映像がエンドレスリピートされている刺激にさらされ、かなり印象に残ってたんですね。
 
なので今回の番組の中で「ケリー」の名前が出ただけで、「お!」とサーフィンと先輩との思い出が色々蘇ってきて、知らず知らず「ケリー」好きになっていたかも、と。
 
で、改めてケリー・スレーターのことを調べて思ったことは…
 
 
先輩の顔と髪型が"ケリー・スレーター"そっくり

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(ケリー本人。ウィキペディアより)
 
日本人ですよ、先輩は。
 
耳で聞かされた話より、観させられた映像より、
「そうか。先輩が好きだから、ケリーも気になるのか」
と、コラムを書きながら改めて気づかされました。
 
人生どんな気づきがどこであるかわかりませんね。
 
先輩…、元気にしてるかなぁ。
 
ではでは。

【第57回】心理療法の系統的選択

メンバーの皆さま

こんにちは。管理人です。

たまには、ちゃんと(?)臨床に近い話題でも書かないとなぁ、と思いまして。

で、今回は少し前に読んだコレから。

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なぜそれぞれのクライエントに最も適合する心理介入を選択するのか』

ラリー・E・ビュートラ博士は、国際臨床心理学会2期に渡る元会長で、米国心理学会心理臨床部門と臨床心理研究部門の元会長で、長い間アメリカの臨床心理研究誌の編集長も務めていた方のようです。

で、紹介されているのが、ビュートラ博士が40年以上臨床心理研究をモニタリングし、様々な臨床研究を統合して開発した方法。

【Systematic Treatment Selection:STS
                                    (心理療法の系統的選択)


例えば、世界には1000種類以上の心理療法があるが、うつ病には認知療法というように、診断名と心理療法を一致させた治療効果がきわめて低いことがわかっている、と。

そして、治療効果を高めるのは、心理療法のブランド名より、セラピストとクライエントの治療関係要因やクライエントの特性や性格に適合した心理的介入である、と。

STSはその治療原則を表したもので、エビデンス的に治療効果のないものを除き、200以上の心理療法をクライエントに最も適合した形で選択することができる、と。


ここまで紹介されたらメッチャ気になりますよね。
だけどSTSの邦訳書はないようで…。

さすがに英語の原書は値段がちょっとお高いですし、買っても読み切るまでに心折れそうなので、webにアップされている本の一部らしきやつを、少し前に頑張って読んでみました。

で。まぁ概要は上の通りなんですが、わかりやすくて興味深いのが、こんな内容。

STSは、経験的に開発された手順である。

このアプローチには、2つの基本的なもの仮定がある。(a)すべての間者で良好に機能すること治療法またはモデルはなく、(b)ほとんどの治療法は一部のクライエントでうまくいく。

〜厳密には、STSは「統合的心理療法」ではない。つまり、理念的な概念を組み合わせたり、統一的な理論的アプローチを導き出しすことを試みてはいない。

〜"技術的な折衷的"アプローチというラベルは不正確である。STSは特定の技術セットを決めていないので、むしろセラピストの変化と影響の横断的な原則(例えば、治療的変化が起こりやすい、治療法がクライエントの抵抗を引き起こさない)と一致する特定のアプローチを手順に使用することを可能にする。

そして事例を絡めて、クライエントの
・機能レベルの評価
・コーピングスタイル
・抵抗のレベル
・動機づけと主観的苦痛

の解説が続きます。英語の論文読むなんて、院生以来10年ぶりですが、Google翻訳がホント優秀で、思ったよりスイスイ読めました。

まぁ単純化すると、万能な方法なんてないから、しっかり相手を見て、相手に合ってる方法で支援してね。本質は、それだけの事と思いました。

しかし、世界中の心理療法を把握している人物が真面目に35年〜40年間研究したプロセスの結果、この結論にたどり着き、公に発表してくれていると言う意味を考えなければいけません。

これは心理だけではないと思いますが、きっと心理療法の世界では長らく(今も)「どの心理療法が優れているか」なんて背比べ的な議論が絶えないのではないでしょうか。

アプローチの切り口がたくさんあるのは良い事だと思います。しかし、もっと大事なのは「本質を捉える力」。特定のアプローチは何を扱うのに長けていて逆に何が弱いのか。そして、クライエントの内面外面では何が起こっていて問題の本質を見抜く。そして、

                本質
              /         \
     支援者    ー    クライエント

特定の手法は、本質をクライエントと問題や世界観を共有する「手段」に過ぎないわけなので。

良いマッチングのためには、まず自分を知り、相手を知り、方法を知っていること。心理療法を1000もマスターして選ぶ必要はありません。要は、自分も相手も「安心してわかりやすく問題を扱える」ことだと僕は思います。

なので、アプローチの数というより、切り口の角度のバリエーションがあると相手に合わせられる幅が広がるし、知識や技術を補完するような組み合わせの支援も可能になりますよね。例えば、


「生物ー心理ー社会」

「認知ーこころー身体」

「生活臨床(日常)ー面接臨床(非日常)」


みたいな。もしかしたら、STSはこの辺をわかりやすく整理されているのかも知れません。ただし、

〜厳密には、STSは「統合的心理療法」ではない。つまり、理念的な概念を組み合わせたり、統一的な理論的アプローチを導き出しすことを試みてはいない。

特定のアプローチに固執しない考え方は、LSWと非常に近いのではないかと思います。どうしても、人は困ると藁をもすがる気持ちになってしまいますが、誰もが幸せになる万能な方法なんてないわけです。そもそも「幸せ」の意味や価値観自体が多様なので。

つまり、目の前の人と考えたり悩んだりして「支援者とクライエントが一緒に変化する」プロセスは、LSWに限らず対人援助全般に言える原則的なものだと思うんです


で、【セラピストに最も大切な資質】についても雑誌の中でビュートラ博士があげているのがコレ、

(1)セラピストの柔軟性
(2)セラピストのスキル
(受け答えの円滑さと治療介入による有効な手助けを提供する力)
(3)よりよい治療関係を築けること
(4)共感や感情移入、温かさ

そして「セラピストがクライエントに対してより知識を持ち、より気にかけることができるようになると、より効果的にクライエントを助けることができると思います」と。


え?


これって、別に「心理療法」「セラピスト」に限らず、もしかして人と接すること全般、例えば「営業」「経営」「教育」「保育」「子育て」などなどに共通することだし、各分野で語られていることのような気がします。

つまり、本質を捉えれば、異分野、異業種から学ぶことは沢山あるという事。

その道を極めようとする人は、他分野の超一流ともすぐに意気投合しますよね。おそらく本質的なところで分かり合えるからだと思うんです、きっと。

そんな感じの理由付けで(本当は興味の赴くままに)、今年もなるべく他分野の話に触れていきたいと思います。


ではでは。

【第56回】ジャパネット流「企業再生術」

メンバーの皆さま
 
こんばんわ。管理人です。
 
今回は経営マネジメント分野の記事から。
『新時代に勝ち残る企業のあり方』(致知2018.2)
 
"あの"ジャパネットたかた創業者の
×
神田昌典氏(アルマクリエイションズ社長)

の対談です。内容は企業経営ですが、LSW的な取り組みを展開しようとする時の話とあまりに重なっていてビックリしたので一部紹介します。
 
トピックは、
Vファーレン長崎、奇跡のJ1昇格の裏側
②企業のブランド力を高めるには
③フューチャーマッピング
 
の3つです。少し長いですのでご容赦ください。
 

V・ファーレン長崎、奇跡のJ1昇格の裏側
 
長崎は2013年からJ2に参戦して以来、累積赤字が3億円超で、選手に給与が払えない経営状況。
 
そこで、高田社長が「長崎から元気印をなくすのは損失だ」と、V・ファーレンの株式買い取って、自らが社長となり再建に乗り出した、と。
 
で、その再建方法が、海外リーグによくある石油王がチーム買い取ってじゃぶじゃぶ金使って有名選手を集めて…という手法とは全く異なるもの。
 
監督コーチ陣の交代、選手の大型補強は行わず、職場環境の改善に重きを置いた改革。具体的には、スタッフの増員、試合前の家電チャリティーオークション、選手を社長の自宅に呼んでカラオケやBBQなどなど。とにかく社員が働く安心感とモチベーションを高める取り組みの数々。
 
【参考】J2長崎、ジャパネット参画後の劇的変化。人員増加、職場環境の改善…着実に進められる改革
 
この記事の時点では、シーズン真っ只中でもちろんJ1昇格なんて決まってないわけですが、約4ヶ月後の11月11日高田社長就任から約7ヶ月あまりで見事、J1自動昇格を決めたわけです。
 
チーム主将はこの環境改善に関して「この人のためにも戦おうという雰囲気になった」と。
 
一方、高田社長はこう語っています。
「私がやったことは本当に大したことないんです」
 
「ただ一つ言えるのは、やっぱり人の心が変わると不可能が可能になる。…私の意思とか情熱が監督やスタッフ、選手、長崎県民にも伝播し、『J1になろう。再建しなきゃいけないんだ』と」
 
「もちろん精神論だけではなくて、監督が素地をしっかり作ってくれ、いろんな人の助けや偶然が重なったからこその結果です。だから、昇格を決めた日にも言いましたが本当に『長崎の奇跡』だと思います」
 
 
ちなみに監督は「ドーハの悲劇」世代には懐かしいあの"アジアの大砲"こと元日本代表FWの高木琢也氏。2013年から高木監督に就任し、数年かけて地道にチームを成熟させてきた素地なしにはJ1昇格はなかったでしょう。
 
しかし、2013年から6位→14位→6位→昨年なんて15位です。ちなみに、プレーオフの末に一年出戻りJ1昇格を決めた「3位名古屋グランパス」とは戦力や資金ともに雲泥の差なわけで。
 
長崎が「シーズン2位」で自動昇格するなんて、シーズン当初に誰が予想したでしょうか?
 
高木監督が作ってきた素地はもちろん、プラスして高田社長の皆の力を一つに集める」経営手腕がなかったらいろんな人の助けや偶然を重ねた奇跡は起こらなかったと思います
 
そして、高田社長は語りをこう続けます。
 
「商売って、売り上げとか利益ばかり求めていても面白くないですし、スポーツも勝った、負けただけでは長くは続かない。その先に何をもたらすかという方向に進んだ時、すごいエネルギーが出てくるんじゃないかと思います。つまり、それはミッションです」
 
「…V・ファーレン長崎の社長になってから、企業を再生しなきゃきけないってことで、一つひとつ課題を潰していった結果として、J1に昇格しただけ」
 
「…J1になることも、試合に勝つことも、目標じゃないんです。やっぱりサッカーというスポーツを通じて、世の中の人たちに元気と生きがい、夢、感動を伝えていく。さらに今掲げているのは、長崎は広島と共に被曝した県ですから、『平和を発信するクラブである』と。だから、あくまで勝つことやJ1昇格は手段なんです」
 
「…私は結果論者みたいに言われることがあるんですけど、そうじゃない。結果は重視しません。一番はプロセスです。プロセスで手を抜いている人や組織は絶対に目標を達成できない。いま目の前にある一つひとつのプロセスに集中する。それを重ねていくことで、最終的な人生の目標に到達できるのではないでしょうか」
 
こんなことを社長から語られて「力になりたい」「がんばろう」と思わない方が無理ですよね。しかも、たぶん高田社長はゴリゴリ押し付けるのではなく、ワイワイした雰囲気の中でやんわりじんわり、あの甲高い声で語るんです、きっと。
 
 
●LSWに置き換えると…
この高田社長の経営プロセスは、僕のLSW導入プロセスのイメージとピタリと重なるんです。
 
LSWって現在の子どもの適応うんぬんじゃなくて、子どもの未来や将来の投資的な意味合いが大きいと思うんです。つまり、それは直後に子どもが「荒れた/落ち着いた」先にある組織の「ミッション」なんだと思うんです。
 
ただし、忙しく余裕がない組織にゴリ押ししても反発が起きるだけなので、まずは人の話を聞く余裕が持てる職場の環境作り、モチベーションを高められる仲間作り、そして一致団結できるビジョンや未来を語り合う「ステップ/プロセス」が必要だと思います。
 
やっかいなのは『子どもの最善利益』と言う言葉で、見てる時間スパンが「今」と「10年先」の人では、まるでビジョンは異なるんですよね。もちろん必要なのは"両方"なんですけど、まず展望する時間の幅が共有できないと対話がずっと噛み合わないなぁ、と思います。
 
将来こうなって欲しいから、高卒までには、中卒までには、今はこれが必要なのではと言う話です。今と先の姿がきちんと繋がるようなイメージや語りの共有が支援者同士でされないと、僕の中では「LSW実施」はあり得ないです。
 
そこで手を抜くとロクな事にならないですし、悪気なくても回り回って「子どもの不利益」になります。それは、大人同士が内部分裂して、悪者を作って協力せず、結果的に一箇所に過剰な負荷がかかり子どもの揺れを抱えきれなくなる負のスパイラル、行き着く先は「望まない措置変更」です。
 
でも、その子の将来を考えるなんて、仮に親なら当然のことで、子どもの育ちを支える身としては「大したこと」ではないと思いますが、実際はそういうマインドになれない人もいる。だいたい自分自身に余裕がなくてフォローもあまりなくて、視野が狭くなっている場合が多いと思います。
 
そして児童福祉の専門家であるなら、社会的養護という一般家庭とは異なる状況下で育った子どもの自立後の理解、知見やフォローの緻密さにおいて、人とは違いを出せないと、とは思います。
 
 
で、対談が進むと、さらにLSWに重なった話になっていきます。
 
■企業のブランド力を磨き高めるには
 
さらに、高田社長は、変化を乗り越えて発展する会社の条件について、こう語っています。
 
「やっぱり時代がどんどん変化しても、ブレないミッションを持つことでしょうね。誰のために、何のためには企業は存続するのかというミッションがしっかりしていれば、時代が変化してもお客様の心に届くんじゃないかと思います」
 
これは時代の変化によって、役割や方針がどんどん変化する、率直には現場が振り回されていると言っても過言ではない【児童福祉】にピッタリの言葉ではないでしょうか?
 
さらに、
「私はテレビ番組を長年やってきましたけれど、最後まで見ていただくのは大変なんですよ。毎回闘いでした。そこで一番大事なのは、最初の10秒なんです。面白いなという誘導ラインが最初になければ、なかなか見てもらえません」
 
「30分の番組でポーランド産の羽毛布団を販売した時、私はスタジオでただ商品を説明するのではなく、ポーランドまでスタッフを12名連れて行きまして、卵が孵化するところから親鳥になって羽毛を刈るところまで、全部の工程を見てきました。そして、30分の中に現地で働く人の苦労、羽毛布団づくりに懸ける思いを表現して伝えたら、何十億円と爆発的に売れたんです。
   一つの商品に込められた努力や思いを伝えていく。それがブランド力を高めるのだと思います」
 
 
もちろん、それで品質の悪い物が届けば、ブランド力も信頼も失います。品質には絶対の自信がある、あとはそれをどう伝えるかプレゼンテーションだ!という話しですが、高田社長は小手先の喋くりスキルじゃなくて、多少不器用でもお客様に思いが伝わる「人柄」重視でTVショッピング販売員を選んで来たと。
 
おそらく、それは「自分自身の言葉」で語れるかどうか。そして「人柄」も「言葉の重み」も一つひとつの実体験の積み重ねによって形作られるものではないかな、と僕は思います。
 
児童福祉で相手にするのは、人への不信感で支援を受ける気なんてサラサラない大人や子どもたちです。「なんか今までの大人とは違うぞ」と思ってもらえないとコチラの話は聞いてもらえない。「人柄」って重要な要素ですよね。TVショッピングと違う点は、自分が話す前に、まずは相手の話を十分に聞く必要があるということ。
 
そして、安心感や信頼関係が作れてきたら、客観的なアセスメント(情報収集+心理検査結果)から、これまでの生い立ちから子どもが感じて来ただろう気持ち(=見立て)、そして我々が心配していること、今後お願いしたいことを丁寧に伝えていく。
 
ケース会議、施設入所の説明、家庭引き取り等々場面で、関係機関や家族とそれぞれの場面でやる、上記の「やりとり」とそれに至る準備「プロセス」は、どれも本質は同じだなぁと思っていましたが、高田社長の語るブランド力を高める方法とも共通点がこんなにあるものかとビックリしました。
 
 
さらに、共通点の極めつけは次の話。
 
■フューチャーマッピング
 
対談相手の神田氏が、経営コンサルタントを始めて10年くらい経った時に、自分の仕事を振り返り、今までやったプロジェクトのうち、うまくいったものとそうでなかったものを全部棚卸しして、必ず上手くいっていた手法があると。
 
それが「フューチャーマッピング」という手法。
 
ポイントだけの説明を引用すると、
「120%幸せで満ちたユーザーさんの顔を想像し、詳細に思い浮かべて、そこから逆算してどのような行動をしてくかを考える思考プロセスです」
 
「自分事で考えてしまうと、目先の選択肢しか出てきませんのでぶれるんです。ですから、自分とは関係のない他の誰かを思う、利他の気持ちを抱いて、そちらの方向にゴールを設定していくと、選択肢が広がりますし、短期間で結果が出やすくなります」
 
高田社長は「まさに私と同じ考え方です」と述べ、現在フューチャーマッピングは学校のキャリア教育で導入され、高校生20万人に配られている手帳の1番初めに掲載されている、と。
 
で、このマッピングの形を見てびっくりしました。
Googleの画像検索で「フューチャーマッピング 」見てみてください。
 
LSWや将来展望の面接でよく利用される
「人生曲線(ライフライン)」とグラフの形
※管理人作のイメージ図

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に、そっくりなんです。人生曲線の場合は左側から書き始めて、今まで主観的人生をどの様に捉えているか、そして将来の希望や展望を聞くのに役立つ手法かなと思います。
 
一方、フューチャーマッピングは考える順番が逆で、まず右側の「望む未来の姿」を具体的に想像し→「その間、自分がやったこと、周りにしてもらったこと」を現在(左)に戻る様に考えるという事ですが、これは、
 
【第34回】フィッシュボール
 
で紹介した[オープンダイアローグ]の中で使われる[未来語りのダイアローグ]で話題を取り上げてホワイトボードに書く順番と全く同じなんです
※管理人作のイメージ図

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からしたら、「フューチャーマッピング」は、ピコ太郎のPPAPばりに、
 
「人生曲せ〜ん」と「未来語りのダイアロ〜グ」を「ヴン!」と合体させた様なものに見えます。
 
フューチャーマッピングは、まず未来の理想の姿を想像するので、当然グラフは右肩上がり、右上には笑顔も書いてあるので、確かに未来の具体的な楽しい姿や、それに至る紆余曲折のプロセスを想像したり表現しやすい仕掛けが多く、参考になる点もあります。
 
ただし情報量が多いので、社会的養護の子の境界域レベルの知的能力や、過去〜現在も繋がらず肯定的な未来の姿イメージが全く描けない子には、ハードルが高い手法かな、というのが僕の一見の印象です。
(ちゃんと講習会を受ければ、そうではないと言われるのかもしれませんが)
 
だけど、将来の希望、なりたい姿をきちんと言語化するというのは非常に大切はプロセスで、言霊とかピグマリオン効果に表されるように「言葉には力がある」と僕は思います。
 
それは、人間の可塑性で「こうなる」と思えば、脳もそのように適応していくし、どうせ無理と限界設定した時点でそれ以上のことは起こらないし、良くも悪くも頭で思い描いたイメージに脳が近づこうと適応しようとする部分はあるだろうと。
 
そういう意味では分野を超えて、今自分がやっている実践と似たことを同時期にやっている人が居るというのは興味深いです。
 
■さいごに
今回言いたいことは、社長も経営コンサルタントも児童福祉とやってることはたいして変わらない、って言うか本質は全く同じじゃん!ということです。
 
そして、神田氏が大切にしている事として、
コンサルタントとして一番重要なのは、いま抱えている痛みをどうやって和らげ、それを幸せの方向にどう転換していくか。なので、人の痛みを理解する力、ここに尽きると思います」
 
と語る、心構えや志が、まさに児童福祉マインドそのものと重なっている所に驚きを隠せませんでした。
 
LSWは、まずはライフストーリーを整える「過去〜現在志向」の作業イメージが強いですが、本来はその先にある「未来志向」のフューチャーマッピングのような取り組みまでセットになるべきなんだろうし、その方法や手法は他分野からも学べるのではと思います。
 
経営コンサルタント分野の考え方や手法が、もっともっと他にもLSWに応用できたり、ヒントになることがあるのではと、好奇心を掻き立てられる対談でした。
 
V・ファーレン長崎、少しずつ補強を始めましたが、まだまだ戦力的には降格一番手。新シーズンJ1での戦いに注目です。
 
あ、またサッカーの話題になってしまいました。
 
ではでは。