LSWのちょっとかゆいところに手が届く「まごのてblog」

静岡LSW勉強会の管理人によるコラム集

【第93回】東北での夏休み 〜LSW的に思う「日常」と「非日常」〜

メンバーの皆さま

 


お久しぶりです。管理人です。

 


気がつけば8月も最終週。

 


学校の夏休みは今週で終わるところが多いようですが、夏の暑さはしばらく続きそうですね。

 


blog更新もしばらく「夏休み」みたいな感じになっちゃいましたが、今後もぼちぼち書いていきますので、よろしくお願いします。

 


ということで休み明けの今回は、リハビリを兼ねてLSW的な「夏休み日記」的なものを少し。

 


東北といえば「カナノウ」こと秋田県金足農業が甲子園で旋風を起こしていましたが、ちょうどその頃、1歳4ヶ月の息子を連れて、妻の実家の気仙沼市(宮城)に帰省していました。

 


里帰り出産で産まれた息子にとっては、一年ぶりの気仙沼かつ初帰省。LSW的にいえば、生後3ヶ月半まで暮らした場所への「初訪問」なわけです。

 


ちなみに、静岡と気仙沼(宮城の先っちょ、ほぼ岩手です)の距離感はこんな感じ。

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真面目に「徒歩5日」とか表示されるのが笑えます。

 

実際の移動は車だったのですが、それでも休憩も入れながら、行きは10時間半、帰りは渋滞にも捕まって結局、片道14時間の大移動💦

 


まぁ、東名→外環→東北道三陸道と上の図とは違って東京を避けてずっと高速道路で行けちゃうので、運転はそこまで大変という程でもないんですけどね。

 


初めて車で行った時はさすがに疲れましたが、何回か往復していると、

「あと200km、もう少しだ」

「栃木まで350kmか意外に近いな」

なんて距離感覚が若干おかしくなってくるなと自分でも思いますが、色んなSAに寄ってご当地の物を食べるのも、それはそれで結構楽しい。経験と見通しが余裕を生む事を体験的に気付かされます。

 

 

 

で、話題を気仙沼と息子に戻すと、現在の息子は「人見知り」真っ盛りで、じいちゃんばあちゃんの姿を見かけただけで、ガシーッとママorパパにしがみ付いてくる。そして、じっーと様子を伺っている。

 


いや、あなた生後3ヶ月半まで一緒に暮らしてましたよ。なんなら、毎日じいちゃんとお風呂はいってましたよ。

 


なんて、当たり前ですけど、やっぱり覚えていないんですよね。1歳4ヶ月の息子とっての1年という月日の長さは、人生のサンブンノニの期間なわけですから、1年前なんて主観的にははるか昔。

 


そのくせ、ウチの息子はペットの猫には警戒心なくて、ガンガン触ろうとして割と猫の方に煙たがられてる(笑)。一年前は、猫の方が先輩風吹かせて泣いてる赤ちゃんを心配そうに見てたのに。

 


面白いです。

 


流石に滞在3~4日目は多少は慣れてきますけど、静岡の家に帰って来たら水を得た魚のように元気全開。やっぱり気を遣っていたのは明らかで、のびのび具合が全然違う。

 


以前の息子にとって「日常」であった気仙沼での生活は、いまや「非日常」なんだよな、と。今はイベント的な非日常より、安定した日常的な楽しみ関わりを求める時期なんだよなと、しみじみ。

 


乳幼児期の環境変化、特に養育者の変更が与える子どもへの不安や負荷ってこういう事ですし、慣らし保育などの「移行期間」の意味について、大人の都合だけでなく、もっともっと子ども視点での議論が広まっていく必要はあるよな、と。

 

 

 

また帰って来て思うのは、それでも一年前は数時間おきに授乳して、寝返りもロクにうてなかったのに…だいぶ成長したねなんて、年一回の「非日常」的なイベントは子どもの「日常」の成長を実感する良い契機になりますね。

 


やっぱり今回の帰省だって、息子の記憶には残らないと思うんです。それでも、数年後に大人が「あの時は」「この年は」なんてアレコレ語ることで、本人の記憶として形作られていく。

 


それは「こんな昔の自分に、こんな人たちが、こんな想いで関わっていたんだ」というエピソードの記憶。

 


そして、その物語には「帰省した」という事実だけでなく、関わった大人それぞれの想いやストーリーが必ず乗っかってくる。

 


帰省は「物語の舞台」でしかなくて、そこでそれぞれが何を感じて、どんなストーリーを皆で共有したのか。そういう誰かと一緒に過ごした、一緒に何かしたというプロセスが財産なのかなと思います。特に子ども時代にとっては。

 


社会的養護で暮らしたり措置変更を繰り返す子どもたちは、現在ばかりに焦点が当てられ、過去を共有するような経験をせずに大人になる可能性があるわけで、そこをカバーするのがLSW的な支援になろうかと思います。

 

 

 

なので、少なくとも一年に一回は、この地に戻ってこないとなと思うわけです。

 


そんな縁もあって、気仙沼には2011東日本大震災からほぼ毎年訪れているのですが、実は震災前の気仙沼の景色を僕は知らない。

 


確かに震災直後と比べたら、瓦礫はほとんど片づいているし、新しい復興住宅(団地)が建ってたり、海岸にはスーパー堤防という4~5mの壁が出来上がりつつある。

 


その一方で、津波で柵が曲がった橋がそのまま残っていたり、古い建物とまっさらな更地と真新しい建物が混在する景色は、僕からすればかなり不思議な空間。ですが、昔の景色を知り、今を暮らす地元の方々はこの「日常」をどう捉えているのか。

 


一見、新興住宅地を思わせるオシャレな団地と公園が並ぶ景色には、子育て世代がピッタリなのですが、実際は高齢者しか住んでおらず、団地の約半分は空室のままだそう。

 


仕方なく気仙沼市外の人にも入室希望を解放したとのことですが、「20年後には、今入ってる人もいなくなるし、誰も入ってないだろうな…」というお義父さんの言葉は現実を物語ってますよね。

 


また、どこかの堤防なんて業者が間違って基準より20~30cm高く作ってしまったもんだから、「もう一度作り直せ」(景観が違いますからね)という地元の声と、「周りの土地を盛り土で上げるからそのままで」なんて押し問答もあるそうで…。

 

 

 

「復興」

 

 

 

とは、元通りに戻すことではなく、もはや新しいものを一緒に作るプロセスだよな、と毎年毎年変わっていく気仙沼市内を見て思います。

 

 

 

息子の成長と、気仙沼の復興。

 

 

 

東北での「非日常」な時間の過ごし方を通して、改めて「静岡での日常」と「気仙沼での日常」がそれぞれ確実に流れていることに気づかされる。

 

 

 

あと、やっぱり東北は涼しい。

 

 

 

そんな体験をした気仙沼での夏休みでした。

 

 

 

 

 

 

 


ではでは。